王国軍の兵士 1
「おい、ふざけてんのか!」
黒い鎖帷子をつけた王国軍兵士が、無言でいきなりエリーを思い切り投げ飛ばしてから、一呼吸遅れて怒鳴り始めました。
僕は、走ってエリーの所まで追いつきました。
クヌクヌは……、クヌクヌは、さっきエリーから逃げる時とは比べようもないほどの本気を出したのでしょう、全く目で捉えることができないほど瞬時に今来た路地を引き返し、姿を隠しました。
……路地に比べるとずいぶん明るい馬車通りには、それなりに人が行き交っていましたが、誰も近づいて止めに入ったりはしないで、この小さな事件に気がついた人達は皆黙って心配そうに遠巻きに成り行きを見ています。本当は、こんな厄介ごとには関わらないでそのまま気がつかないふりでもして立ち去ってしまうこともできたのでしょうが、哀れな小さな女の子の身にこれから降りかかるかもしれないひどい災厄を想うと、誰にとっても女の子を見捨てて目を伏せながら立ち去ることはどうしても憚られたのでしょう、皆その場に立ち止まっていました。例え自分では何一つ手助けできないとしても。
鎖帷子の兵士が壁際で転がっているエリーに近づき、躊躇なく右足で蹴りつけようとしました。かろうじて、僕が間に入るのが間に合い、エリーは蹴られることなく、代わりに僕が蹴り飛ばされました。
「兵士様、大変なご無礼をいたしました」
道端に転がっていた僕は、半身を起こして兵士に謝りました。
「赤毛のガキ風情がなめてんのか! 道を歩く王国軍兵士の邪魔をするなど、殺されても当然文句もねえだろうがっ!」
兵士は自分で怒鳴りながら怒りがエスカレートしていくようでした。他の2人の兵士は、加担はしませんが、ニヤニヤしながら脇で道端で転がるエリーと僕を上から眺めています。
「本当に申し訳ございません。でも、この子も兵士様のお邪魔をするつもりなど毛頭ありませんでしたので、どうかお許しください!」
何とかその場を収めようとして、僕は謝罪の言葉を続けました。しかし、何の効果もありません。
兵士は、もう一度僕の横腹を蹴りつけました。
「グエッ、ゴホッ、ゴホッ!」
激しい痛みとともむせ込みます。
兵士は、僕の横を通り過ぎ、エリーの目の前に立ちました。
「赤毛のゴミ虫が」
兵士はもう一度エリーのことも蹴ろうとしています。硬い戦闘用ブーツで本気で蹴られれば小さなエリーなどひとたまりもないでしょう。
僕は、首からぶら下がる胸の前の小瓶の形のブローチをそっと握りしめ、小さく震えていました……。
◇◇◇
もちろん、僕はほとんど無力です。素手で兵士に立ち向かって行ってもひとたまりもなく殺されてしまうでしょう。手を出せずに遠巻きに眺めている街の人々も同様です。
でも、いくら何でも、ちょっと道端で遊んでいた小さな子どもが足にぶつかってきたくらいで子どもを殺してしまうような所業が当然のように許されて良い訳はありません。
通常であれば、さすがに、兵士相手であっても周りに人だかりができて全員で兵士を罵ったり、中には力ずくでもこの暴挙を止めようとする人が現れたって、別に不思議ではないはずです。兵士を統括しているこの街の領主様だってこの兵士の振る舞いを許しはしないでしょう。よほど愚かな領主でもグランド・ジョルディンほどの規模を持つ街で領主を護る兵士達が怒りにまかせて街の人を殺めるようなことが日常的に起こっていたら、とてもではありませんが街を治め切れるものではないからです。しかも、実際の領主様はそこまで馬鹿者ではありません。
では、どうして、こんなことになっているのでしょうか?
ここで少しだけ、このグランド・ジョルディンの街についての複雑な背景をお話しする必要があるかと思います。
以前、エリーの生い立ちの中で、ここウエスト・リジョン一帯を巻き込んだ内戦があったことはすでにお話ししました。
ウエスト・リジョンは、さらにいくつかの地方と共に、ブリュンヒルデ王国の統治下にあります。2年前の内戦は、不遇な扱いを受けていた退役兵士達の一部が地方の山賊まがいのいくつかの集団に焚きつけられて自然発生的に王であるガルトリッヒ・コン・ブリュンヒルデⅣ世に反旗を翻して起きたものでした。
ただ、あまり計画的でなくむしろ無秩序に近い形で始まったその反乱も、王の治世を顧みないあまりの放蕩ぶりと無能ぶりに王国中がひどく疲弊していたせいでしょう、反乱軍が雪だるま式に増えていき、一時期、このウエスト・リジョンはおおむね反乱軍の勢力下にありました。
その際、王国より自治権を与えられているこのグランド・ジョルディンの街は、もちろん反乱軍に与しはしませんでしたが、出兵については理由をあれこれつけて先延ばしにして、事実上、街を護る以上には内戦に加担せず、中立に近い立場を取りました。
これは、ある意味仕方のない面もありました。
一つには、この街を治めるジョルディン伯爵家には、私兵は100名弱しかおらず、戦闘魔術師もほとんど雇っていません。街の治安と外敵からの防御は、主に普通の市民から構成される自衛団と街に住む数名の強力な魔術師によってなされています。
市民にとっては自衛団に加わることは誇りではありますが、あくまで故郷であるここグランド・ジョルディンの街を護るために参加するのであって、王国を護るために街を出て王国軍の一員として遠征するつもりなど始めから毛頭無いのです。
もう一つの理由としては、やはり、ブリュンヒルデ王に対する強い不満がありました。自分自身の悪政が原因で起きた反乱の尻拭いを自分ですることなく、地方領主達に押しつけるやり方にはついて行けない、という気持ちが市民の間で非常に強かったのです。
結局、グランド・ジョルディンの街は、積極的に反乱軍の鎮圧にあたることはなく、自衛に徹して一時期かなりの勢力を誇った反乱軍の侵攻から自力で街を護り切りました。
ただ、そのことは、内乱鎮圧後、この街に対する王国の介入を許すことにつながってしまいましたので、仕方がなかったとはいえ、必ずしも最善手ではなかったのかもしれません。
内戦後、王国は、反乱軍の残党監視と万が一の際の第一次出撃拠点とするためという見え透いた大義名分を立てて、この街に王国軍兵士を駐留させ、兵士の駐留に必要な範囲で軍事司法権の一部を奪うことをジョルディン伯爵家と自治議会に承諾させました。
地方領主の自治権は、建前上は出兵の義務との引き換えであり、これを果たさなかったことはグランド・ジョルディンにとっての弱みとなったのです。