歴史ある街並〜東広場を通り抜けて〜
ブランカ婆さんの家は、街の東側、奥に見える起伏の激しい丘陵地帯へと連なっている広い森の端と城壁に囲まれた旧市街との中間の辺りにあります。周囲には茶色いレンガ造りの小さな農家がぽつりぽつりと建っていますが、農家以外にも鍛冶屋や小規模な魔法薬の生成工房などの火を扱う建物がいくつか建っています。森から燃料となる薪を切り出すのに都合が良いからです。
森の方向を背にして西を向くと新市街東地区の鐘楼が見えます。割と目の良い僕が目を凝らせば鐘が鳴らされている時の鐘の揺れ具合を十分に肉眼で見て取ることができます。たぶん、鐘楼まで4分の3マイルくらいでしょうか。ブランカ婆さんの家から一番近い街の人の住む家まではその半分くらいの距離があります。
グランド・ジョルディンの街は、中心にある1周1マイル程度しかない城壁に囲まれた狭い旧市街と、その周囲に広がる新市街、さらにはブランカ婆さんの家があるような街と外界を隔てる外周地区から成っています。
新市街は東西南北の4地区に分かれており、それらの総面積は少なくとも旧市街の7、8倍はありますので、住民の人口も新市街の方が圧倒的に多くなっています。グランド・ジョルディンの街は交易が盛んなうえ、ブランカ婆さんの他にも有力な魔術師が何人か住んでいることから魔法薬や魔道具、そして各色のジェムの生成も行われていて、ウエスト・リジョン地方の中でも経済的には比較的豊かな街として栄えています。
◇◇◇
ブランカ婆さんの家を出た2人と一匹、僕とエリーとガドは、東地区の中心部、時を知らせる鐘楼の周辺の東広場で毎日朝と夕暮れ前の1日に2回立つ市場に向かいました。まだ少し早いですが、そろそろ2回目の市が立ち始める時刻です。
東広場に近づいていくと、周りには、荷台に野菜や果物、干し肉などに加え、露天を開くための道具類を載せた荷車を引いて広場に向かうおばさん達が、2、3人ごとにかたまって大声でお喋りしながら歩いていく姿がちらほら見えます。
今の季節は旬を迎える果物の種類が多いので、荷台には真っ赤に熟したみずみずしい赤プラムやシェリー、鮮やかな紫色のスィートパプリカなどが山盛りに積み込まれています。その脇の方を、時々カチャカチャと音を立てながら数種類の農具を束にまとめて肩に担いで歩いている男達もいます。
「もうすぐ、市が立つね。でも、少し早かったみたいだから、先にナイフの用事の方を片付けようか」
僕は、エリーに声をかけました。
「そうだね! エリーもそれがいいと思うのです!」
エリーが足を止めてくるっとバレーダンサーのように一回転してから、いつもの口調で元気に返事をしました。
(本当に明るくなったなあ)
僕は、ブランカ婆さんの家で漏らした感想をもう一度心の中でつぶやきました。
ガドも鳴き声を立てずに静かに微笑んでチラッとエリーに目をやっています。エリーはエリーで、時々横を歩くガドの頭を撫でたり、頬の辺りを手のひらでチョンと触ったりしながら歩いています。
しばらく歩くと、僕達は鐘楼のある東広場に着きました。まだ夕暮れにはかなりの時間があり広場には元気な太陽が照りつけていてまぶしいくらです。広場の反対側が見通せるくらい閑散としており、所々で石蹴りをして遊ぶ子どもの姿や開店準備のために店先に野菜や果物などを並べているおじさんおばさんの姿が目に映る程度です。
僕達は、そのまま広場を通り抜けて、もう少し旧市街の城壁に近い、商店が建ち並ぶ細い路地が何本か束になっている一角に向けて歩いていきました。
東広場を抜けると、かなり込み入った路地が続き、全ての建物は石造りの3階建てに統一されていて、曲がりくねってはいますが歴史を感じさせる統一感があります。
僕は、この重厚感があるのに生き物のようにも思える街並みが好きです。ただ、馬車が通れる大通り以外の路地はかなり狭く、建物の影が落ちて少し暗くなっているところが多いので、その暗がりにはちょっとだけ不安をかき立てられることがあります。
◇◇◇
東広場からのまだ西日混じりというのには早い明るい光が届かなくなった辺りまで来たところで、突然ガドが立ち止まって、クゥーンと一声だけ鳴いて合図をしてきました。
「あれ、クヌクヌちゃん!」
エリーが先に、後ろから追いついてきて足下で走り回っている小さな焦げ茶色のうさぎを見つけて叫びました。そのうさぎは、もちろんクヌクヌのことですが、僕の足下に近づいてきてそれからツンと一回だけ鼻先で僕の右足の甲をつつきました。
僕は、クヌクヌも来てくれて、ちょっと嬉しくなりました。
「来てくれたんだね! でもどうしたの?」
僕が立ち止まって声をかけると、クヌクヌは顔を空に向けて後ろ足で立ち上がって首の辺りを見せました。春レンゲの細いツルを編んだ首輪に何かの黒い木の実のような粒がぶら下がっていました。
粒を手に取ってみると、
『やっぱりおまえ達と一緒に行きたいんだとさ。連れて行っておやり。』
黒い粒がブランカ婆さんの声に変わり、小指の先ほどの小さな灰色の煙を立てて消えていきました。
「ブランカ婆さんの声手紙か」
あまり実用的な意味はありませんが、ブランカ婆さんは時々こういうお洒落な小手品のような魔術を使います。
クヌクヌは、婆さんの手紙を渡すことができて、満足そうに手《前足》をペロペロなめてから顔を拭いています。
「わあ、クヌクヌちゃんだ、クヌクヌちゃんだ、一緒に行ってくれるのですか?」
エリーはびょんびょん跳ね回りながらクヌクヌを抱っこしようと近づいてきます。でも、クヌクヌは、びっくりしたようで顔を拭く手を止めていきなり走って逃げだしました。クヌクヌは、決してエリーのことが嫌いではないのだと思いますが、うさぎとしての本分、いきなり近づいてくる自分より大きな生き物がいたらとにかくびっくりして逃げる、という鉄の掟を頑なに守っているようです。
クヌクヌは、細い路地の先にある、もう少し太い馬車通りにつながる路地の出口の方へ走っていきました。エリーも走って追いかけます。路地から馬車通りに出る直前でエリーがクヌクヌに追いつきかけました。すると、クヌクヌは160°か170°、要するに、ほとんど逆方向の真後ろに一瞬で向きを変えました。
「あーっ!」
勢い余ったエリーが自分も振り向こうとして体のバランスを崩して、背中からケンケンをして馬車通りに飛び出して行きました。
『ドスン』
エリーが背中から、馬車通りを歩いていた3人組の兵士の一人にぶつかりました。
エリーにぶつかられた兵士は、怒鳴り声を上げるより早く、いきなりエリーの背中から襟首をつかんで道端に勢いよく投げ飛ばしました。
王国軍の正規兵です。