放送局より愛を込めて ~ VTR ~
浅間高校一年の空木こずえは、親しくなればなるほど意図的に相手に容赦を忘れる癖があった。
同じ放送局の先輩で彼氏の九流川雅貴には、多分誰よりも容赦しない。
九流川と空木は何となくなりゆきで彼氏彼女の関係になった。本人達もどうしてお互いくっついてしまったのかわからない。わからないけどそれで問題ない。
つまりは「小さい事は気にしない、大きな事にもこだわらない」と云う人種同士なのだ。
本人達はそれでいいのだが、周囲はそうはいかなかったようだった。
九流川は、女子に人気があった。
理由としては、全国模擬のいくつかで常に一位の頭脳と、やれば何でも適当なレベルまで出来てしまう器用さ、そして何より顔面偏差値が高い方だからだ。美容師の友人に無料という理由だけでカットモデルとして髪をいじられてるので、やや長髪にはなっているが不潔ではない。外見的な欠点をあげるとするなら目つきが悪い程度だ。
ずぼらで散らかし魔で口が達者で喧嘩っ早くて家事の一切が出来ないという性格は、親しくならなければ知られる事もない。
空木はどうかというと、家事(特に収納)が趣味で、根が真面目なので成績は最低学年30位前後。
スポーツは得意ではないが目立って下手でもない。ちょっと人見知りする所はあるが、親しくない間柄なら人当たりも計算できる。
自他共に認める可もなく不可もない真面目な子で、九流川には釣り合わないと思っている者も多いのだろう。
思春期の男女交際はからかったり冷やかしたりするものだ。それは分かっているのだが、九流川はともかく空木には嫌がらせじみた事がないでもない。
今朝も「死ね」と書かれたルーズリーフの切れっ端が空木の上靴の中に入っていた。
だが、残念ながら空木はそういう事に無頓着なのであまり効果はない。万人に好かれようと思っていないからだ。
嫌がらせと言ってもそうたいした事はない。今朝のように手紙が入っているとか、机に落書きがされているとか、その程度だ。だいたい空木に嫌がらせをするという事は結果的に九流川を敵に回す事になり、そして最終的には『全国一位の頭脳』を重要視する学校側すら敵に回す事になるので、大それた嫌がらせは停学や退学に直結する事を周囲はわかっている。
空木は後でルーズリーフを処分しようと制服のポケットに入れた。こんなもの、空木にとっては気分すら害されない。アホだ、という感想を持つくらいだ。
恋愛は二人でするもので、第三者に首を突っ込む権利は無い。横恋慕は空木的にはアリだが、そのやり方にも礼儀があると思っている。
「こずえー、このDVDだけ何も書いてないんだけど、掃除の時見たか?」
放課後の放送室で、九流川はラベルのないDVDを見つけて空木へ振り返った。
先だって空木の指揮の元に、放送局は保管されていたビデオテープの総ざらいを行った。テープの本数は千本をくだらず、それをDVDに焼き直すという作業を普段の仕事と平行して行ったものだから、1シーズンほど過ぎてしまった。
それでもその甲斐あって、見苦しかった棚は見事なほど機能的に生まれ変わっていた。
「全部確認してラベルを付けたと思ったんですが……すみません」
「お前が謝る事じゃねぇだろ。中身確認するからモニタ立ち上げてくれ。未使用かもしれねぇからな」
空木は慣れた手付きでモニタ付近のランプをグリーンに変えてゆく。九流川は目前に現れた『Standby OK』の文字を確認して、DVDをデッキに放り込んだ。
ジジ、という雑音をはさんでややしばらくすると、モニタにはごく普通の生徒達が現れた。何をするでもなくただ放課後の喧噪を映している。
「未使用ではないようですが……うちの学校……でしょうか。それにしては制服が違うような気が……」
「確か10年くらい前に制服のデザインが変更されてるはずだ。日付からいってざっと15年くらい前の映像だと思うが、背景の校舎に見覚えがあるから多分うちの高校で間違いないんじゃねぇの?」
しばらく無言でモニタを見守っていた二人だが、特に何かを撮った映像ではなさそうだと判断した。授業から解放された生徒達の他愛も無い風景が延々と続いている。
「……あ?」
突然、沈黙を破って九流川が声を上げた。
「だからそうやって語尾を上げるなと何度……」
「ちょっと戻せ」
空木を無視して、九流川はモニタから目を離さない。
「何か映ってましたか?」
「なんか、でかいモノが窓の向こうを落下した」
空木はモニタを見ながら早戻しの操作を行った。
「多分方角的にはこの放送室の横……」
そう言って窓の方を向いた九流川につられて、空木も窓を見た。
その視界に、鳥のような影がよぎった次の瞬間。
頭から勢いよく落下する女生徒と、一瞬目が合った。
「せ……」
先輩、と言いかけた呆然とする空木を、九流川は瞬間的に強引に自分の胸の中に引っ張り寄せた。
「見るな!」
転がるように九流川に抱き込まれた空木は、どん、と云う鈍い音に殴られたかのように悲鳴を上げた。
ぼんやりしていると、空木の目の前に缶コーヒーが出現した。
「先輩……」
「やる。それより、人生2度目の事情聴取は大丈夫だったか?」
九流川は自分の缶コーヒーのプルトップを弾くとため息を吐いた。
あの後、目撃者が複数いたため学校中大騒ぎとなり、玄関前にはパトカーや救急車が押し寄せた。
2人は教師や警察から放送室の位置的に何か見ていないかと尋ねられ、嘘をつく理由もなかったので正直に話した。
どうやら最終にして最短距離目撃者だったらしく、2人はこの時間まで学校で事情聴取され、保護者が来るまでの間待機するように言いつけられていた。下校時刻はとっくに過ぎているのに、放送室でこうしてコーヒーを飲んでいるのはそのためだ。九流川は一人暮らしなので帰っても良かったのだが、さすがに空木1人を置いて帰る気にはなれなかった。
「前も思ったんですけど、事情聴取って一人一人個別にするんですね」
「あぁ、口裏合わせられないようにな」
言って、九流川はコーヒーを機材の上に置いた。いつもならとがめる空木もさすがに今日は覇気がない。
「先輩、あの、飛び下りた……自殺の原因って……」
「失恋」
九流川は素っ気なくそう言い放ち、それはどこか乾いた言葉だと空木は思った。
失うくらいなら死んだ方がマシな恋が現実にあるのだという事が、空木にはいまいちよくわからなかった。
男はひとりじゃないし、この先どれだけ素敵な人が現れるかわからないのに、そんな会った事もない遠い恋人より、今必要としているただ一人の人が全てだったのだろうか。
「忘れちまえ。お前には関係ない事だ」
九流川の言葉はいっそ冷たく聞こえるほどだが、その目はこれ以上空木に嫌な思いをさせたくないと語っている。残念ながら当人には伝わっていないが。
「自分を殺す恋もあるんですね。そして、他人を傷つける恋もある……」
空木はポケットにしまってある「死ね」と書かれたルーズリーフの切れ端を思い出した。あれもまた、口に出せない思いがあったのかもしれない。ましてや死ぬほど好きな相手なら、周囲にいる人間はさぞ目障りだろう。
あの女生徒は、もしかして九流川の事が好きだったのではないか。そのとなりに自分がいるから、絶望して身を投げたのでは。
そう思うと恐ろしくてたまらない。自分が直接手を下したわけではないが、自分の存在があの名前も知らない女生徒の命を奪ってしまったのかもしれない。
もしかしたら、あの「死ね」と書かれたルーズリーフを書いたのは、あの女生徒なのでは。
それを読んだ空木に堪えた様子がなかったから、突発的に自ら死を選んだのでは。
あのメモは中傷などではなく、本気で「死ね」と思われて書かれたのではないか。
思考の暴走を自覚し、空木はコーヒーに口をつけた。
「……恋愛なんて、しない方が幸せなのかもしれませんね」
九流川はコーヒーを吹き出した。
「ばっ、なに言ってんだお前、恋愛って楽しいだろ」
九流川は慌てて手近にあったタオルでコーヒーが飛んだ制服を拭いた。
「それは先輩だからですよ。よりどりみどりでしょう?」
「よ……より……え?」
九流川は呆然として空木を見た。
お前俺と付き合ってんじゃねぇのかよ。俺と恋愛してんじゃねぇのかよ! 俺との恋愛はつまんねぇかよ!
と言いたかったが言えなかった。そうです、と言われる可能性が0%じゃないと思ったからだ。
つまり怖かったのだ。そんな九流川の心の声など空木には届かない。
「私は怖いですよ。強く誰かに要らないと思われる事は」
「待て! 言ってねぇって! 誰もそんな事言ってねぇだろ!」
空木がそれに答えようとしたその時。
かたん、と何かが落ちる音がした。
振り返ると、そこには1枚のDVDが落ちていた。
「今……これ、いったいどこから落ちて……?」
「まだ話は終わってねぇぞコラ」
その言葉は空木のDVDに対する関心を超える事ができず、ラベルのないDVDを訝し気に確認すると、空木は 「モニタ立ち上げますね」と、さっさと複数のスイッチを慣れた仕種で操作し始めた。
仕方なく、九流川は口をつぐんだ。怒ったら負けなのだ。色んな意味で。
DVD再生と同時に再生時間が表示された。雑音や映像の乱れがなく再生されたという事は、ビデオテープからダビングされたものではない証だった。
何となく無言で見守っていた黒いままのモニタには、やがて2人の人物がぼんやりと映し出された。それに先立って会話が聞こえる。
『―――のDVDだけ何も書いてないんだけど、掃除の時見たか?』
「え……?」
空木が絶句した。
『全部確認してラベルを付けたと思ったんですが……すみません』
『お前が謝る事じゃねぇだろ。中身確認するからモニタ―――』
「これは……昼間の俺達の会話か…?」
九流川も唖然とした。スピーカから聞こえる声は間違いなく自分と空木であり、モニタにも自分と空木が映っている。空木の右後方から撮られたようなアングルだったが、そこには小型の冷蔵庫とポットが置いてあり、とても録画機材を設置できる角度と距離はない。
『見るな!』
モニタの中の九流川が怒鳴った。
今や目をそらす事もできず、二人は映像に釘付けになっていた。その二人の目に、窓の向こう側に落下する物体が映った。先程自殺した女生徒がびっくりするようなスピードで画面の上から下へ移動する。
だが、落下した人間は1人だけではなかった。
女生徒の背後から覆いかぶさるようにしがみついている人間が、もう一人。
まるで引きずり下ろそうとしているかのように、固く女生徒を抱きしめ、そして。
カメラ目線に笑った。
どん、と云う鈍い音と共に、モニタの中の空木は悲鳴をあげた。
映像はそこで途絶え、再び真っ黒になった。
空木は両手で口を押さえた。吐きそうになったのだ。九流川もさすがに気色ばんで何も言えない。
機材の発するわずかな電子音を何十秒くらい聞いただろうか。口を開いたのは空木だった。
「い……今の……?」
震える空木を、九流川はそっと抱き寄せた。驚くほど体温が下がっている。
「後ろに……誰か……?」
九流川は腕に力を込めて強く空木を抱きしめた。その拍子に空木の制服のポケットからかさりと音がして、くしゃくしゃになったルーズリーフの切れ端が見えた。
怯えている空木を驚かさないようにそっとそれを取り上げ、九流川は眺める。
一瞬、その目に剣呑な光を宿らせると、九流川はそれを丸めてゴミ箱に捨てた。
「忘れろ」
空木の髪に顔を埋めて、九流川は小さくささやいた。
「忘れちまえ。―――全部、お前には無関係な事だ」
どこかで、かちり、とスイッチの入る音が聞こえた。