1-9 猿王討伐
こぽこぽと音を立てて茶が注がれる。
おぼんに急須と茶碗が二つ。それだけだ。
どこにも湯沸しや保温ポットが置かれていない。ここは室内はごく普通の和室なので特に囲炉裏のような場所はない。どこで湯を沸かしたのだろうか。まさか急須だけ持ってきたのだろうか。いや、それが普通のことなのか。
テキトーな適当なことを考えながら茶を貰うとゆっくりとすする。
今日は日守家に呼ばれたのだ。
昨日も呼ばれたのに今日も呼ばれるという「あれ、そういう嫌われ方じゃなかったような」状況を味わっているが、どうせ昨日の依頼をこなしたので新しい依頼を入れようと思い立ったのだろう。さすがに学校をサボってだらけきっているところに呼ばれると、いらつく。
床の間のある普通の和室の真ん中で俺はあぐらをかきながら茶を飲み干すと、丸めていた背を伸ばした。バキバキと雰囲気に合わない音が鳴り響くと「さすがにやっちゃ駄目だったかな」などという思考も生まれた。いや、いかんかったか。
「もう一杯、いかがですか?」
目の前で瑞香が俺に茶をすすめてくる。
目を開けているんだか閉じているんだかわからない表情で威圧してくるこの女はあまり好きではない。好きではないが、特別に嫌いというわけでもないのでわりと付き合いやすい関係だ。
「いや、いいよ」
俺は茶のおかわりと断った。
戦闘系の異能者の大半はそうだと思うのだが、普通に訓練等で飲食物を制限しても活動効率を落とさない状態を維持している。旨いものを食べるときならともかく、基本的に不要な食事の摂取を行わない。
『異能』というまったく洗練されていない技術はただただ異端だ。すでに世の中に公開されて百年ほど経っているが分類分けがまったく進んでいない。「元素系」「物理法則系」「多目的系」くらいだ。まともに分類できたのは「物理法則系」だけなので「元素系」と「多目的系」からは毎年多くの小分類系が生まれる。
仕方ないだろう。
「誰にでもわかりやすく感覚を固定するため」にそういう名称が付いているだけなので「分類分け」をするという行為自体がすでに余分なのだ。「この世ではなんでもできるよ。ちゃんと思い描いて使ってごらん」と言ったところで信じるわけもないし、何より努力しない。努力できない。
本当に魔法が使えるなどとは夢にも思わないだろう。
まあ、昔の魔法使いがそういう魔法を使ったせいなのだが。
バシュッ
俺の顔の傍を水が通過した。
避けなければ顔が半分に切断されていただろう。ノータイムで撃つにはあまりに攻撃力の高い一撃だ。また頭部の破壊はそのだいたいの人間において「死」を意味するので、いくら俺であろうと死んでいた可能性が高い。図太いやつなら頭が半分になっても生きているだろうが、さすがにそこまで常識を捨てたつもりはないのでなんともなんとも。
「……やっぱりもう一杯、茶を貰おうかな」
「あらあら、そういうつもりはなかったのですが。ただ女性の部屋に来てなにやら余計なことを考えているようだったので、ちょっと」
つまり「ちょっと」のことで俺は攻撃されたことになる。
……これ以上の思考は死に直結するようなのでとりあえず忘れることにした。
「まあ、それで、依頼?」
雑に雑を重ねた誠意のある発言で瑞香の機嫌を取ろうと思うが、そもそもこの女はどうやって機嫌が取れるのかわからない。わからないので自然体でいいだろう。
いつもどおりの「いつキレて攻撃されるかわからない情緒不安定な女の見本」みたいなやつとして考えておけば問題あるまい。
「まあまあそれはいいではないですか。ところでお茶はおいしいですか?」
「はあ、まあ。おいしいけど」
不思議なことに瑞香は俺に二杯ほど茶を飲まさなければ話をはじめない。
どれだけ自分の能力に自信を持っているのかわからないが、どんな罠を設けた「水」であろうと割りと簡単に解呪できる。解呪できないほど強力なものになると、そもそもそんな罠を仕掛けずとも強いので何の意味もなくなる。
「それはよかったです」
にこにこと笑う不気味な瑞香。
何がそんなに楽しいのだろうか。何か空恐ろしいものを感じたので念入りに飲んだ茶を解呪する。これでただの水と変わらないはずだ。
「では、本日の依頼なのですが」
ようやく本題がはじまった。
しかし昨日の今日で新しい依頼とは。今までにこういうことはなかったので多少の文句も言ってやりたい気分ではあった。あったが、今までに俺が自分から首を突っ込んで解決した事件のあと、すげー疲れているときに依頼がなかったわけではない。
だが、一昨日は自分の予定。
昨日は鉄騎軍団。
今日もまた新しい依頼。
そんな状況は初めてだった。
別に瑞香が悪いわけではないので、俺が不満を現すような案件でもないだろう。むしろ俺が悪い。
「今日は猿王をお願いします。福島、栃木の県境を根城にしているようです」
それだけで話は終わる。
これだけで依頼が終わったのだ。
「わかった」
俺は北東へと視線を向けた。
別に向ける必要性はない。
ないが、視線を向けたほうが精度が上がるような気がする。
「しかし、最近は覚醒者が多いな」
「そうですね。それだけ魔法の名前が強いのでしょう。ニートの間でも流行っているそうですよ。良い異能者になっているそうです」
「そりゃよかった。ニートの大半は悪魔化しないからな。ああ、そうだ。猿王以外の普通個体はどうする?」
「そうですね。禍根をなくすためにも皆殺しでお願いします」
「わかった」
俺は遠見を解除すると立ち上がった。
「あらもう行かれるのですか?」
「リキマルを待たせている」
「二人で何か?」
「楽園天国に行くつもりだ。新しい魔法があるなら使えるようにしておきたい」
瑞香は室内にある時計に目をやる。
床の間に隅に置かれているアナログの目覚まし時計だ。俺が昔に誕生日プレゼントであげたやつで目覚まし時に録音した声で起こしてくれるという機能がついている。「あー最近は狙った時間に起きられないわー、超起きられないわー」とかいう格下への圧力により、部屋に置かれていた時計カタログに赤丸の付いていた時計をプレゼントしたのだ。
俺の声を録音?
するわけないだろう。
「そろそろお昼ですね」
「……ああ、そうだな」
なんというか、どこもそうだと思うんだが発言には、発した言葉以外の意味がある。昔はこれに気づくことができなくて瑞香にボコボコにされたものだが、最近はさらに難しい。今の「そろそろお昼ですね」にどういう意味が込められているのだろうか。
だからこいつと話すのは嫌なんだ。
言外に意味を含ませた、持って回った言い方で俺が理解できるとでも思っているのだろうか。俺だけじゃない。他のやつでも同じだ。察するのが格下の役目とはいえ、さすがに限度がある。仕事以外では好きにさせて欲しい。一仕事終わらせたばかりだというのに。
「……まあいいでしょう。雅弓、お疲れ様でした。下がってもいいですよ」
まあプラマイゼロだよね、と言わんばかりの表情で俺の退出の許可が下りる。
俺は隙なく立ち上がると部屋の外へと出るために障子に手をやった。
「ああ、そういえば」
瑞香の声に反応する。
こいつのこういうところが嫌いだ。終わったんだったらもう何もいうなよ。どこぞの刑事の真似か。
「たとえば、たとえばの話なんですが。もしも私が殺されようとしたらどうしますか?」
「死ぬんじゃないスかね」
状況設定がわかりかねるが、瑞香が殺される状況ならば瑞香は死ぬだろう。現実はそんなものだ。
ビシッ、と瑞香の笑顔が固化した気がする。気がするということにしておこう。俺の精神衛生上に問題がありすぎる。シカトしたほうが良い案件だ。
「私が殺される、そしてそれをあなたが助けられる状況だったら?」
「助けるけど」
こいつ何を言っているんだろうか。相変わらず意味不明の質問を時々ぶつけてくる変な女だ。
「雅弓の真意はわかりかねますが、その言葉を忘れないでくださいね」
それ以上に瑞香は何も言ってこなかった。
俺はそのまま障子を開けると外へと出た。
かなり急いで日守家まできたので多少は疲れている。何か旨いものでも食べて英気を養いたいところであるが、今日はリキマルもいっしょなので何を食べたらいいのか考えてしまう。いつもなら適当に焼肉や寿司でも食べに行くところであるが、リキマルは好き嫌いが激しそうなので迂闊な食事のチョイスができない。
リキマルに直接聞けばいいか。
そんなことを考えた途端、俺の脳の片隅にある脳内イメージエンジン(兄さん)が余計なことを言い出す。けっこう邪魔だがなかなか頼りになるので消さずに残しているエンジンだ。
『雅弓、レストランに誘え。聞くんじゃない』
「しかし兄さん。何を食べたいのかわからないなら聞けばいいんじゃ――」
『雅弓、バスタオルを脱いでレストランに誘え。絶対に聞くんじゃない』
「バスタオルはわかったけど、レストランはドレスコードが重いよ。たぶん俺らの服装じゃかなり浮く。なにより俺たちの年齢二人で入っていいのかわかりかねる」
『雅弓、その言葉を待っていた。東京にある葵家の別宅近くに個人経営のイタリアンカフェがある。夜になったら酒も出してくれる場所だ。だが昼間はランチをやっているのでお任せコースを頼めば問題ない。そちらに行け』
「兄さん、そこってかなり遠――」
『雅弓。俺は雅弓の頼りになるところが見てみたい。さらばだ』
脳内兄さんが消える。
どうやら言いたいことはすべて言ってしまったようだ。
……どうするべきか。
またかなり自転車で移動することになる。そこまで待たせるべきなのだろうか。だいたい朝食も適当だったので腹も空いているから近くの場所で済ませたほうがいいと思うんだが。
だがあまり反抗的なことを考えているとまた脳内兄さんが出てきそうなのでそそくさと思考を切り替える。そしてリキマルの元へと歩き出す。
なんか申し訳ない気分になりながら俺はリキマルへの最初の一言を考え始めた。
「あのさ、ちょっと時間がかかるんだけどおいしい食事を出してくれるお店があるんだ。そっちに行かないかな。もちろん俺が自転車をこぐからさ」
そんなことを空で口に出しながら廊下を歩いた。
すると後方にある瑞香の部屋で何か破裂音が聞こえた気がするが、特に問題ないと判断してそのまま出口へと足を止めなかった。
ただ単に瑞香の部屋に戻りたくなかっただけだが。