1ー2 油断すると寝るくらい眠い
知ってたけど、分家というのは宗家の命令に対して自由意思がない。宗家は偉く身分が高いので分家に出す命令というのは基本的に熟考されたそれであり、特におかしい部分などはない。
他所の会社がどういうものか知らないが、うちの宗家は「尊敬される程度には優秀であり、こいつらがしくじるなら分家の誰がやったところで変わらない」といったニュアンスが多分に含まれる。
少なくとも俺はあのときから宗家の判断が大きくおかしいものであると感じたことはない。そしてその結果も問題はない。
つまり、俺が針のムシロに座っているのもその辺を踏まえた上での英断が掛けられているわけで、瑞香が加虐快楽を求めた上での行為でないことは可逆的に証明されているということなのだ。
御前試合跡地にて、そのど真ん中に正座させられている俺を、分家揃い踏みで見ている。恥ずかしいを通り越して苦しい。ちなみに氷上家は俺だけなのでこの醜態を直接見られることはない。二時間もしないで知られるだろうが。
「雅弓、何かありますか?」
「いえ、特にありません」
目上の人間に使ってはいけない言葉百選に載っていた言葉を使うが、これはあくまでも俺への罰則を積んでいくための儀式なのでこれはこれで正解なのだ。
気を良くした瑞香が細い目で俺に笑顔を向けた。
知ってたけど、こいつサディストなんじゃなかろか。知ってたけど、超知ってたけど。
瑞香は濡れたような艶のある長い黒髪をしている。俺が内心でかぐや姫カットと呼んでいる前髪ぱっつん、ぱっつんシャギー、日本人形ロングのトリプルコンボを余すところなく使った完璧な姫様であるといっても過言ではない。
着ているものも凄く、着物と十二単の中間くらいのボリュームを持った青を基調とした金の縁取りが目に鮮やかだ。正直、立ち上がって裾を踏まないギリギリの召し物だ。
「では遅れた雅弓に処分を言い渡す」
瑞香の細い切れ長の、ああこいつ結婚できないだろうなこんな怖い顔じゃみたいな目が俺を射ぬいた。小顔で軽い白化粧が嫌味にならない感じで似合っており昔ながらの紅も現代を意識しながら麗しい。まあ結婚できないだろうな。
「キリヒトと戦いなさい。最終戦です」
ああこいつ結婚できないだろうな。
確かうちの兄貴といっしょの年齢だったはずだがどうにも二十歳に見えない。口に出したらぶっとばされるだろうか。
「俺が勝ちますが、いいんですか?」
前にもこのパターンがあった。
普通にキリヒトをぶっとばしたら「自分の強さもわからないのか! 力を計り、差があるときは戦わないのが真の強者だ!」とキリヒトパパに怒られた。
そしてキリヒトパパはボクの後ろにいたりする。
こちらを睨むようにじっと静かに見つめている。怒っているわけでもないし、何か文句があるようにも見えない。ただ静かだ。静かに、俺を見ている。
なんなんナンだろうか。
一応、文句があれば聞きますし、勝負であれは受けます。ついでに無様に負ける覚悟もありはするんですが。
「キリヒト、お前は雅弓との勝負をどう思う?」
「是非ともお願いしたく思います。いつかの借りを返したいです」
いつかの借りね。
確かになくはないが、こう返されるとは思わなかった。いや、良い意味でだ。
「発言を」
俺はおずおずと手を上げて発言の許可を求める。
別に大昔であるまいしこんなことを言わずとも良いのであるが、なんか雰囲気が許してくれない。とりあえずはへりくだっておくのもいいだろう。キレたら暴れればいい。
しかし俺の沸点も低いからなあ。
本気でキレたら自分でも何を仕出かすかわからん。
「構いません。なんですか?」
「では戦うことは構わないのですが、後日にやりませんか? 今日はキリヒトも疲れているでしょうし。俺はほら、八時間くらいあればいつでもこられますので」
さりげにデカイ嫌みを言っておくが瑞香はどこ吹く風か。笑顔のままさらにころころと器用に笑う。
「私があなたを痛めつけて釣り合いを取りましょうか?」
「後日に、やりましょう」
嫌みにイラついたのか本気の言葉が出てきた。まずいのでさっさと訂正した簡潔明瞭な言葉にしておく。
「いえ、私は大丈夫です! 今からでも行けます!」
いや、実は俺が疲れてるんだ。大きな案件を終わらせたあとに八時間ダッシュとか明らかにおかしいだろう? 別にお前を労ったものじゃない。
「そうですね。雅弓の発言も一理くらいはあるでしょう。最終戦は午後から行います。それまでは体を休めておいてください」
よし、二時間くらい寝ればわりと体調もまともになる。
「雅弓は私と来なさい。話したいことがあります」
この女、やりやがるな。どうあっても俺が負けるところを観たいのか。よし、負けてやろうじゃないか。圧倒的なまでにケチのつけようがない俺の敗北と、そしてキリヒトの勝利を!
くだらないことに情念を燃やしている俺を尻目に瑞香は立ち上がると屋敷内部へと歩き出した。着いていかないとガチで迷子になるので俺は慌てて立ち上がると膝についた砂利を払った。
すい、と俺の前にキリヒトパパが立ちはだかった。
俺と同じくらいの身長なので視線が合う。さすがにオジサンと視線を合わせ続ける趣味はないので、なにか用事があるのだろうと当たりをつけて聞いてみる。
「何かご用ですか? 氷神当主」
さりげに視線をずらそうと思ったが、相手がずらさないので何かやりづらい。
そして何も言ってこない。
ただ、俺を見ている。
隣にいたキリヒトに視線を向けて、目だけでキリヒトパパのことを聞いてみるが、こちらもよくわからないようで首を横に振る。あとどうでもよくないことだから言っておきたいんだが、こいつあれか、シークレットブーツを履いていない俺と同じ身長なのか。ファッキン嫉妬。いや、嫉妬はおかしいか
しばらく俺を見ていたが、キリヒトパパは不意に道を開けた。自分で塞いでから開けるというマッチポンプな行為ではあったが、瑞香の後を着いていかないと大変なことになるのは間違いない。俺は多少の感謝を抱きつつキリヒトパパの横を抜けた。
「あー、何て言えばいいか」
抜けながら、言葉を紡ぐ。
「いや、君が正しいのだ」
言葉が重い。
すべてを理解した上での言葉だった。その感情は俺ごときでは到底理解することができない。だが、今すぐ俺をどうこうしたいというわけではないようだ。
声がする。
キリヒトパパが何かを言った気がしたが、俺にすら届かないほど小さなそれだった。
そして俺は離れた。
瑞香の後をしっかりとついていく。
足早に歩を進めて瑞香から離れないように細心の注意を払った。本音を言えば瑞香に抱きつくか、瑞香を抱っこして進みたいほどだ。
「雅弓、着いてきていますか?」
「はい、なんとか」
もっと近づいてもいいのよ。みたいなニュアンスで言ってくるが、これ以上近づいたら着物の裾を踏んでしまう。さすがにそれは問題なので……
この日守屋敷は宗家の人間しか歩けないように細工がなされている。迂闊に足を踏み入れようなものなら、この折り畳まれた空間のどこかで迷子になって餓死することになる。
今の俺ならパターンを読みきるのも不可能じゃないだろうが、わざわざやるほど暇でもない。あと、日守の連中はこの迷路はなかなか自慢の一品らしいので踏破すると俺に災厄が降り注ぐのは、間違いない。
瑞香の後ろ姿が不意に揺らぐ。
俺は状況を把握した!
まずい!?
映像の焦点は前方にあるが、気配は後ろにある。俺は即座に後方へと手を伸ばす。何かを掴む感触がすると同時にそちらへと跳躍した。
「あら、恋しくて?」
瑞香が笑う。
それも仕方ない。
今の俺はみっともなく瑞香に抱きついていたからだ。緊急回避なのがわかっているのか、瑞香は俺が抱きついていることを非難しない。むしろ機嫌良く笑っている。
日守の無限回廊の一端を見せたのがそんなに嬉しいのかよ。おそらくはぐれたとしても午後には出してもらえただろうが、さすがにそれだとしてもこの中にいるのはごめん被る。
「あまり嫁入り前の女に抱きつくものではないですよ。さあ、こちらに」
くそ、止まるときは止まるって言えよ。早く分家から婿でも貰って結婚しろよ。
おずおずの瑞香から離れる。
が、中指は瑞香の着物に接触させたままだ。くすくすと笑いながらいつの間にか出現していた襖を開いて壁の中へと入っていく。
……今、少し考えたのだが、無限回廊にいたほうが寝ていられたんじゃなかろか。
室内は特に何がある訳じゃない基本的な部屋だった。
ごく普通の和室であり、床の間に梅の花が飾られているので個人的には好きだが、瑞香の部屋だしな、まあ。
「ここでなら気兼ねなく話ができますね」
お前、よく知らないやつとマンツーマンで話するとかどんな拷問だよ。
記憶力には自信がある。瑞香と二人だけで話した時間など三十分に満たない。ついでに言えば話した時間は三時間ほどだ。知り合って十五年ほど経つがその程度である。
そのだいたいは家のことやら叱られたことやらで会話らしい会話ではない。
「どうぞ。座ってください」
槍で打たれるのが怖いので畳を踏むときは注意を払う。というか瑞香のことで注意を払わないことなどないので意識してやる必要もないが、念を入れておけば何かあったときに諦めがつくというものだ。
そんな後ろ向きなことを考えながら瑞香が茶を淹れてくれるのを待った。別に催促したわけでもなくて、瑞香からも「私は熱い茶と温い茶と冷たい茶が嫌いだ」と言われて茶盆を投げつけられたわけでもない。
俺はそこまで再認識してから「瑞香が自主的に茶を淹れている。ただし俺の分があるのかは未知数」と結論を出してその雑な瑞香の手の動きを、いや、一挙手一投足を注視している。いくつかのパターンを用意してから、無数に可能性を分岐させていき、そしてその解決策をこうして事前に講じている。
さすがにいきなり裸踊りや体を求めてきたり告白してきたりといったどうでもいい、それでいて可能性が限りなくゼロに近いことまでは考慮していない。もしやってきたら脳フリーズを意図的に起こして見なかったことにする。
瑞香が時間をかけて茶筒から茶葉を取りだして時間をかけて急須に叩き込んだあと、自分の能力を使ってお湯を注いだ。
瑞香の異能力は水を生み出すことだ。
凄い弱そうな説明だが、以前に地下施設ごと水没させられて最深部で浮上できないように水流を発生されてからは侮らないようにしているってか怒らさないように努めている。
他にも水ビームや水レーザー、水散弾も可能だ。今の俺ではまともに防げないのできっと使ってこないだろうし、俺も使われるようなことをしているつもりはない。
どうでもいいんだが誰かが生み出した水を飲むのはなんか汚いような気がするのは俺だけだろうか。別に飲むけど、例えば汚いおっさんが生み出した超綺麗な水よりは、かわいい女の子が生み出した汚い水は嫌だなあ、やっぱり。水道水でも飲むか。
そうこうしているうちに瑞香がお茶を湯呑みに注いで俺に渡してきた。大量の茶葉を使った割には薄い茶だ。一口飲んで「おお玉露や」とか言ったほうがいいのだろうか。
受け取った湯呑みに口をつける。
薄い。
「美味しい」
俺は感嘆の声をあげた。
茶は薄いがよい水で淹れているので茶の甘さがよく引き出されている。茶葉をたくさん使ったのはファーストドロップを意識したものであり、蒸らしてしまってはこの風味を味わえない。まさに最初の一口のための最大を引き出した素晴らしいお茶だ。
しかも時間をかけながら蒸らしていけばゆっくりと濃い味になっていくので飽きることはない。ベストなお茶といえた。
という設定のもとで俺は最高の声を出した。
瑞香は俺の一言で嬉しそうに目を細めて笑う。
さて、今回はどんな小言が俺を待っているのか。
念のために話を逸らすための話題を考えておこうか。でもなあ、瑞香がどんなものを好きで何が嫌いかなんてわからないからな、なんともしがたい。
適当に考えているとひとつ気がついたことがある。
あれ、瑞香ってお湯も生み出せるの?
……怒らせないようにしよう。さすがにお湯のタイダルウェイブとか生き残れる要素が見当たらない。
「ところで雅弓」
「はい」
名前を呼ばれたあとに多少の間があったので、一呼吸置いた体で返事をする。たぶん、求めていたのは返事、相槌だったはずだ。
「最近はどうですか?」
くっそ漠然とした言い方のせいで何を言っていいのかわからない。「いやあ、実は電報を受けとる二十分前まで世界を救っていました。マジ眠たいッスわ。帰っていいスか?」とか本音でしゃべったら熱湯津波がくるのは想像に難くない。
なので本当に最近あったことを口にしてみふことにする。
「姉に甘いもの以外で料理とか教えていました。誰でも簡単な煮込みハンバーグとかポテトサラダを」
世間話が許されるのかわからないが口にしてみる。さすがに水弾が飛ぶことはないだろう。仮にも近況だし。
クワッ!
瑞香が目を見開く。
その姿まさに修羅か羅刹か女か。
しまった! 失敗か!? バッドコミュニケーション早えよ!
クソゲーっぷりに絶望しながら、それでも話を続けることにする。黙っていては解決にはならないはずだ。
「姉は甘いもの好きが高じてお菓子作りは得意なのですが、そのためかどうも普通の料理にも砂糖を使うことがありまして。それで俺が教えていたのです」
「雅弓は料理が?」
「まあ、手慰み程度には。姉はアレですし、兄もアレですんで、結果的に自分で作らなくてはまともな食事にありつけなかったので」
その兄も最近は喫茶店でバイトをしているとかなんとかいっていた気がする。だったらお前も作れよとか思うが、厚切りトーストとコーヒーくらいしか出しやがらねえ。俺の場合はほったらかしにしてもよい煮込み料理が基本ではあるのだが。
「ふうん……」
瑞香が真面目な顔でなにかを考えている。
……なんでこんなことを話しているんだろう。っていうか今までこんな話をしなかったじゃん。まともに話したこと少ないけど。
湯呑みの茶をすべて飲む。
一応、本当に喉は渇いているのだ。
「雅弓」
いきなり呼ばれた。
見れば急須を手に俺へと差し出している。むしろ自らが淹れようとしている。なんだこれ。
これはあれか返杯をしろということか。
だがそれは駄目だ。この茶を瑞香に飲ませるわけにはいかない。飲ませたらこの茶の味が知られてしまう。
俺は無知を装いつつ、馬鹿に成りすぎぬよう、賢しくなりすぎないように茶を注いで貰う。
俺の湯呑みに茶を注ぐたびに瑞香が妙に嬉しそうなのはなんなのだろう。飲むところを見てもそうだ。だからといって別に変な成分が入っているわけでもなさそうだ。
あれか、自分の生み出した水を他者に入れる感覚が嬉しいのだろうか。
……まあ、好みは人それぞれだ。
当たり障りのない話をしながら時間が過ぎていく。そろそろまともな濃さになった茶を「あ、すみません。俺ばかり飲んでしまって。瑞香様もどうぞ」と返杯しようとしたら断られた。きっぱりと断られた。
……なん、なのだろう。この不安な感覚は。
姉の話、兄の話、俺の話と会話を続けながら時間が過ぎていく。これは、なにかまずい事態になっているにも関わらず、俺だけが気づいていない危険な状態なのではないだろうか。
確かにそろそろ会話時間が四時間を超えてもうそろそろ午後になってしまうのであるが。
ほんとに体力の回復ができずに困る。負けるつもりだからいいと言えばそうなのだが、負け方というものもあり、相手に勝利を納得させるだけの戦いをしなくてはならないのだ。こちらは。
「そろそろ時間ですね」
そうですね。
わりときついのですが。
瑞香が廊下側の襖に目をやる。俺たちが入ってきたところだ。
「失礼します! キリヒトです!」
ナイスキリヒト。お前が来たってことは戦うってことだけど、お前が来てくれたお陰で瑞香の視線がようやく外れてくれた。それだけでも俺は嬉しい。なんせここにいる間、一度も外れなかったのだ。いい加減に疲れてしまった。
「どうぞ」
瑞香が襖向こうのキリヒトに視線を向けた。先までと違いいつものキリッとした結婚が危ぶまれる人を殺せそうな目付きだ。
スッと開いた襖に注目した瑞香の隙を縫って、俺は頭を休ませるように楽にした。眠い。