1-17 『ひかみ家』⑤
弓を握ったのはいつの頃だったか。もう思い出せない。
ただはっきりと言えることはある。
俺の手には『弓』が握られている。それは不変である事実で、これからも続いていく間違うことのない法則だ。
手には三尺一寸の刃が握られている。
そうじゃない。これも弓だ。
四十を数える巨大腕がすべてに対処するための構えを見せている。
そうじゃない。これも弓だ。
固定化した直接斬撃がエネルギー量をそのままに空間に安定している。
そうじゃない。これも弓だ。
あれ弓だ。
これも弓だ。
すべては弓だ。
すべて弓を使うために必要なものばかりだ。
できるだけ多くの事柄を取り込んで、すべてを『弓』に変えていく。
弓を引くには腕が要る。力が要る。力を入れる場所と抜く場所がある。筋肉のひとつひとつに役割があり、使う場所に精密に力を流し込み、ゆっくりと、だが素早く操作していく。
幼い頃の俺は自身の両手でそれを行うことはできなかった。
だから腕をつくった。
最初は積み木みたいなものだ。ただ引っ張って、固定して、撃つだけ。
それだけの、ただの弓と、矢。
これならば弱い腕力でも自分の腕のほうが強く、精密性がある。役に立たない。
だが、俺はこの雑な『腕』を使い続け、弓ばかり引いていた。矢を撃っていた。一発、撃つごとに自分の目で観測して、『腕』に代入した力の量と照らし合わせながら、一日中でも撃っていた。
あるとき、矢が尽きた。
俺に使った命名法により弓と矢は必要であると、両親は大量に準備したそうだが、時間をかけて使い切ってしまった。再利用は嫌だった。良く見ると使用した矢にはダメージが残っており、思ったとおりに飛ばないのだ。
仕方がないので、『腕』をもう一本つくって、矢とした。
できるだけ細く、できるだけ真っ直ぐ、できるだけ精巧に。
このときに『同じもの』でなければ同じ結果が得られないと気がついた。
弓が壊れた。
弓を作った。
的が壊れた。
的を作った。
数百メートルでは必中するようになった。
当たり前のことだった。両親も頷いて褒めてくれた。
遠くまで矢を撃ちたいが、見えなかった。
俺の視界はとても狭かった。
『遠見』を覚えた。
世界が広がった。
日守屋敷の周りと家と小学校と近所しか知らなかった俺にはあまりに刺激的だった。
いろいろな人から話を聞いて、『遠見』だけを強化した。
ずっと弓を握っていたが、視線の先に矢を放つのはためらわれた。
だって、こんなにも、たくさんの人が生活しているのだから。
あるとき、どこかの知らない国の知らない学校が知らない人に襲われていた。
俺と同じくらいのやつらが銃を突きつけられていた。映画でよく見る光景だった。正直、興奮した。他の遠見を使っている人たちもこうやって『映画みたいな』光景を見ているのだろうと思うと、よりうらやましく思った。
ひとり、撃たれた。
良く見ていなかった。何かしたのだろうか。教室の後ろで固まっている生徒。教室の真ん中で倒れている少年。知らない人が覆面のまま銃を撃ったのだ。
動かなかった。少年は動かなくなった。
まさか、死ぬわけない、その程度で、さあ、立てよ、傷を塞げ、血を通わせろ、痛覚は無視しろ、心臓は筋肉の塊だから再生しやすい、傷口の内側を固定して余分な血を流さないように、出血は捨てろ、心臓を治癒させながら血を抜け、肋骨は後回しでいいから、ゆっくりでいいから、まさか、死ぬわけない、その程度で、さあ、立てよ、男だろ。
一分過ぎて、焦った。
俺が治癒しようと手を伸ばした。
届かなかった。知らない国の知らない場所には、俺の手は届かなかった。
手を伸ばした。
届いた。
手が届いた。
即座に治癒しようとするが、まったく傷口がふさがらない。
手が届いただけだった。
せめて撃たれた心臓から流れる血を止めようと、手で押さえた。
止まるわけがない。
でも、やってしまった。
少年が動いた。
いける、さあ、男だろ、治癒を――
少年の口がちょっとだけ動いた。目は開いてない。
そして言葉が出てきた。
しっかりと聞き取れないほど小さかった。
けど、何度考えても、思い出しても、どうしても、自己満足でも、こう聞こえた気がした。
ありがとう。だいじょうぶ。
苦しそうだったが、少しだけ笑ってそういった。気がした。いや、そもそもそんなことをいえるわけがない。いうはずがない。自己満足だ。ありえない。クソが。
手は届いた。
か細い手だったが、確実に届いた。
俺は弓を手にした。
矢を持った。
そして、撃った――
きっかけはこんなものだったと思う。
それからは少しずつ鍛錬していたことに身を入れてやるようになった。
昔から感じていた『すべてのことをひとつのことに活かす』を行うようになった。
弓を使うのは腕であり、上半身であり、下半身である。頭である。目である。筋肉、神経、骨、皮膚、脳、すべてを使う。
じゃあ剣術はどうだろうか。
同じだ。剣術もすべてを使う。全部だ。全部が全部を使用している。
おそらく物事というのは平面的なグラフなのではなく、三次元の立体的な造形物で表されるのであろうと理解した。
剣術を真面目に学んだ。
弓に何か役に立つのだろうか?
結論から言えば特に役に立たない。
だが巨大腕ができた。巨大刀ができた。
巨大腕の精密利用により、擬似神経の構築を行い、自分の腕と同じまで、同じ以上の性能に仕上げた。自分で言うのもなんだがよいものができたと思うほどだ。
巨大腕に使用した作成技術が『弓』に利用できた。
威力が上がった。命中が上がった。よりわずかな力でより威力と命中が上がったのだ。
繰り返していった。
ゆっくりとであるが、俺は前に進んでいけている。
苦難の連続であったわけじゃない。
が、別に簡単だったわけでもない。
だから、この『現状』でさえも、同じことだ。
やるべきことをやる。
ただ、それだけなのだ。
瑞香が十分な距離を稼いだようだ。
本当に十分な距離かはわからないが、駄目でもともとだ。状況的に俺のほうが圧倒的に不利だ。リキマルのほうはどう思っているのかわからないが、こちらとしては手も足も出ない状況だったのを何とかしたつもりだ。
事実、リキマルは瑞香が俺から離れていくことを止めないし、負わない。攻撃しない。今のところは何も言うことはない。
リキマルは俺が言った約束を守っているのだ。
ならばこちらも、守らないといけないだろう。
敗北したときに失うものを。
俺の日常が掛け金で、見返りは女ひとりだ。もちろんリキマルのことだ。
これで俺が勝てば、このまま日常を謳歌することができる。誰にも文句は言わせないし、言ってきたら確実に俺が潰す。
現状、俺がためらったせいでいくつかの問題が引き起こされている。
たとえば、他分家の関係性。
たとえば、瑞香の能力。それによるリキマルの思考極化だ。
さすがにこれ以上を失うのは問題だ。このままではすべてを捨ててリキマルと二人でどこかへと旅立たなくてはいけなくなる。さすがにそれはごめんこうむりたい。
巨大直剣、巨大刀、一子からパクった巨大重槍を巨大腕の八本に持たせる。
巨大腕の半分は防御、武器手は牽制、残りは予備戦力だ。その場に応じて切り替える。
状況的には俺が何もない場所に立っているだけに見えるが、すでに完全武装は済んでいる。近距離戦闘はそこまで得意ではないが、飽和攻撃には自信がある。しかも手加減はそれに輪をかけて自信がある。
負ける可能性のほうが勝つ可能性よりも高いだろう。
だが問題はない。
勝てばいいのだから。
先手は俺が取る。
俺の矢の一撃は小型のミサイルに匹敵する威力だ。燃焼という効果こそないが、衝撃としては確実に物体を分解してしまうほどになる。芯の硬い弾頭で穿った後に、その場で大量の衝撃が発生する。火薬を使っていないので爆発と呼んでもいいのか悩むが、やはり『爆発』でいいのだろう。
それはほとんどの異能防御壁を貫通、透過して叩き込まれることになる。矢の出現位置は俺が決められるのだから。
「避けろよ」
リキマルがしっかりと構えているのを確認する。
万が一ににも殺せない。
数秒の後――
十万と六千発の矢が発射された。




