1-16 『ひかみ家』④
俺とリキマルは婚約を交わした。
リキマルは妻として張り切っており、俺を日守家の一番にしたいらしく、とりあえず邪魔である瑞香を殺そうと躍起である。
実は瑞香は不思議パワーで日本を守っている。
殺すと日本に多大な影響を与える。
リキマルはそれを自前の能力で何とかすることが可能であり、『瑞香は必要ではない』という理由の元で殺そうとしている。
二人とも生きていると不思議パワーで日本が水没する。
つまり、どちらかの不思議パワーがなければいい。
「瑞香、お前の水の異能力ってカットできないのか?」
「カットしたら不思議な力で私は死ぬのです」
白目を剥いて、瑞香が自分の首を親指でカットするジェスチャーを行う。
その行為が似合っていない、ところがまた良く似合っている。
俺は視線を移す。
「リキマル、とりあえずお前が使う瑞香の力をカットしろ」
「嫌だ。瑞香を殺さないってことでしょ?」
……つまりカットが可能ということか。
「わかったわかった。カットしたら瑞香を殺さない条件でお前の言うことを聞こう。俺に叶えられる範囲だが」
譲歩しているようでまったく譲歩していない俺の言葉に反論をしようとしたリキマルであったが、俺の発言にいくらかのメリットを見出したのか攻撃の手を休めてこちらを睨んだ。
俺はその間に巨大腕の修復を行う。解除したいところであるが何かあったら防御できなくなる。しっかりとリキマルの状況を把握しながら聞き手に回った。
「……雅弓、あの夜の事を覚えてる?」
リキマルがこちらを覗いてくる。
視線で俺の眼球を射抜くように、何かを知ろうとするようにこちらを覗いてきた。
あの夜、といわれても該当するのは三つしかない。
ひとつ、初めて会ったときだ。
日守宗家での宴会の席で、確か八歳だったか。当時は瑞香は日守家を取り仕切っておらず、後見人みたいな爺が我が物顔で闊歩していた。確かそいつをボコボコにして言うことを聞かせるつもりで宴会に参加したと思う。
そのときにガリガリに痩せてボロボロの胴衣を着込んだ、ギョロギョロとした大きな目の子供を見た。
リキマルだ。
普通に男だと思った。せわしなく親指の爪を噛んでぶつぶつと何かを呟いていたはずだ。うちの兄さんも外泊した後にそんな感じになっていたので、単に情緒不安定なやつなのだろうという認識しかなかった。
俺から話しかけた。
当時は爺を叩きのめした後に俺の正当性を認めさせるための下地をつくっていたので、俺の知らない分家の子供だろうと思って親を紹介してもらうつもりで話しかけたのだ。
ま、教えてもらえなかったけどね。
ふたつ、スカートを着てきたときだ。
一昨年の雪の日だったか。確か二月の半ば頃で、巨大腕で雪かきでもしようと外に出たときだ。日付も変わる寸前の時間にガタガタと震えながら玄関先に立っていた。かなり雪に埋もれていたのであと数時間も経過していれば凍傷のひとつでもできていたというところだろう。
姉さんが妙にそわそわと翌日を楽しみにしていた日だったので、ちょっと驚かせようと雪かきついでに大量の雪ウサギをつくるために外に出たのだ。
そのときに偶然出くわしたのだ。
リキマルは正気度がかなり低下していたのか、ガタガタと震えながら真っ赤な顔で支離滅裂なことを繰り返していた。寒かろうと思い、家の中に連れて行こうとしたらいきなり走って逃げて行ったのを良く覚えている。
ま、雪ウサギはつくっておいた。
みっつ、一昨日だ
来客ではしゃいでいた姉さんの電池が切れてからは二人で俺の部屋にいた。
二人で話をして、二人で漫画を読んで、押入れからアルバムを引っ張り出して、押入れをひっくり返して、とイベントが目白押しだった。多少、気恥ずかしかったのだろう。赤い顔でいろいろと先んじて、そして有無を言わせずに俺の肩にもたれかかっていた。
それくらいだ。
特に何もなかった。
寝付けないようだったので、少し夢見をよくしたくらいだ。
それくらいだ。
覚えている限りを反芻して、口にする。
「みっつあるけど、どれかな」
「……」
リキマルが表情を変えないまま、無言の返答を返す。
これは……地雷をひとつ踏んだか。
これからこれから。
さて、俺からの会話を続けるべきか。
向こうからの返事を待つべきか。
いや、待つか。
互いに無言の時間が続く。
割れた空間からあふれていく水に、対流が起きてうねっている足元を激しく荒らしている濁流の轟音が聞こえてくる。
倒壊後も更に粉々に砕かれていく屋敷が無残にその姿を小さくしていく。ここまで被害が大きいと空間オブジェクトの再生が行われないのか、屋敷色の透き通った凍えるような水だけが存在している。
崩壊のときは確かに進んでいた。
……意味もなく数分が過ぎ去る。
まったく目を逸らさない俺とリキマルがただ静かに立っている。
地雷、ふたつ目か。
なんと言えばいいのか。
特に言葉が思い浮かばない。
個人的にはさっさと婚前の儀の続きをやって家に帰りたい。
姉さんに「俺の嫁」と言って紹介して「やった、妹ができたわさ!」という会話を聞きたい。おそらくそろそろ問題になるので兄さんも帰ってくるだろう。電話もかかってきたし。帰ってきた兄さんに紹介したらきっと「まさか、そんな、俺もヒナタと……」とか青い顔でぶつぶつと呪詛を吐きながら親指の爪を噛むだろう。父さんと母さんが帰ってくる頃には俺とリキマルの関係は知っているはずだ。どこにいるのかもわからないし、電話が通じる場所でもないだろうし、連絡ができるような状態でもないと思うが、それでも暖かく迎えてくれるだろう。きっと。とりあえず俺は殴られるかもしれないが、それはそれで問題ない。そういう普通の家なのだ。『氷上家』は。ただうちの爺さんが『氷上忍者軍団』を持っているだけだ。普段は何をしているのかわからないし聞いたら入団させられそうだから特に知るつもりもないが、そんなものだ。
俺の家はそんなに堅苦しい場所ではない。
普通の二階建ての家で普通に飯を食ってすごすような場所だ。
趣味の空手に通うように、ちょっと危険な術法を学んだり、人を殺せる意志を持った妙な奴らを叩きのめして警察に転がすのが役目だ。普通に家と大きくは変わらないだろう。
だから、別に『日守宗家』などという肩書きを貰ったところで何か良いことになるかといえば、そんなことは本当に何もないのだ。学校の片手間、というには少し気合の入った日数を悪魔討伐やらに費やしているがその辺りも暈しながら学校に許可を取っているし、本来はこうやって何日も学校に行かないということもない。『氷上家の生活』をするために多少はわがままに、傍若無人に振舞ってしまっているが、その分の見返りは日守家に払っている。
俺が高速で悪魔や魔王を仕留め、人よりも多く、日守家の誰よりも多く働いている。
クソが。
こういう面倒くさいことにならないように、『面倒くさい事』をひとつにまとめてきたとに。
俺は誰にも見られない方法で討伐成功数を稼ぎ、それを知らせないまま『日守家のお気に入り』というスタンスで過ごす。何をやっても「あいつは宗家のお気に入りだからな」と言われ、ヘイトの方向性を調整してきた。
まさか欲しくない王冠のために手間を使うことになろうとは露とも思わなかった。
そう考えるとリキマルにも腹が立ってくる。
いや、違う。
リキマルが悪いのだ。
「わかった。リキマル、もう面倒くさい」
「……雅弓」
「面倒くさいから、俺と戦え。俺と戦って俺を倒したら後ろにいる瑞香を好きにしろ。それまでは一切、触るな。攻撃するな。見ることもするな。俺が本気を出せないからな。逆にお前に負けたら俺があらゆるおとをやってやる。瑞香を殺すことも、日守家の連中を皆殺しにすることだって、世界中に散った神一族の末裔を根絶やしにすることも、地上における五十億の人類の大半の命を奪う事だってやってやる。
だから――」
大きく息を吸い込む。
全身に力を溜め込む。
全身を急速励起させて急激な活性化を促す。
力場をすべて起動させる。膨大な予定エネルギー量を虚数空間に充填すると、その接続先である存在が不確定してる積層型連続面を生成する。そのまま遠見と複合接続させて視線と連動させて強力な『エネルギーの排出先』をつくりあげた。これで俺本来の力場の使い方をすることができる。
「――俺と、戦え」
両の拳を胸の前で叩きつけて自分を鼓舞する。
俺が張り上げた雄たけびがこの異様な空間に響き渡るとさらに崩壊の速度をあげてしまった。
だが、問題ない。
ここでリキマルを倒せばいいだけの話だ。
リキマルは少しだけ悲しそうな顔をするが、やはり俺と視線を離さない。
ここでリキマルを止める。
そのうち、時間がきたら嫌でも『瑞香を殺さなくてはいけなくなる』からだ。
別にそういう制約があるわけでもないし、絶対にそうしないといけないわけじゃない。現にリキマルを殺しても問題は解決する。瑞香に能力を止めることができないのなら、リキマルに止めてもらうしかない。だが、それをやりたくないというのであれば、
残念だが瑞香に犠牲になってもらうだけだ。
「リキマル。絶対にお前を止める。絶対にお前に俺の言うことを聞かせる」
キレたか、と自身の事を思ったが、特にキレていないようだ。俺は冷静だ。普段からキレやすいと思っていたが、やはりここ一番ではなんとかなる程度には俺も冷静になることができるようだ。冷静さを欠いたら負けだ。冷静でないことこそが最大の敗北だ。
つまり、冷静であれば勝てるというわけだ。
よりはっきりと浮き上がってくる強固な意志が俺を支配する。
――瞬間、俺の正面にあるほとんどの物体が爆発するように消えた。
音は聞こえなかった。ただ一瞬で大量の爆発と衝撃が巻き起こり、すべてが、あらゆるすべてがなぎ払われたのだ。かろうじて立っていた瓦礫のような屋敷の屋根、バラバラに崩れたゴミ、水、すぐそばにある黒と緑いろの斑の傷口を見せる裂け目。
それを俺が一瞬で消し飛ばしたのだ。
俺の本来の『力場』の使い方で。
リキマルのいた空間には何もなくなってしまっている。大きく半球の穴が開いた水はすぐに元に戻ったがそれ以外は何もない。「リキマルは死んだか?」「いや、ありえない。探せ」という脳内のやり取りが行われる。別に殺すつもりは欠片もない。この程度では怪我をする程度だろう。もしかしたら直撃したところで怪我すらしない可能性もある。
いた。
少し離れた場所で、浮いている。
俺は浮かせていた鉄土瓦から一歩、進む。
何もない場所を踏みしめる俺。力場の精度を上昇させて『そこにある』という地面を置いたのだ。俺に地形不利という言葉はない。そこが、俺の立ち位置だ。
「お前に若干不利だからな。名乗らせてもらうぞ」
俺は大量の『眼』を開く。
数十や数百では利かない数の俺の擬似視覚がこの空間のすべてを観測する。それは水のうねり、それは大気の、それは倒壊した建物、それは状況における『数値』だ。観測できるものはほとんど観測し、俺が処理できないもの容赦なく切り捨てていく。
戦闘における優位性を取るために全力で情報の収集をおこなっていく。
数秒で状況の把握を済ませると、
俺ははっきりとした声で強く聞かせた。
「俺が、賞金首一位の『千里眼の魔王』だ。」




