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「ある日」という日常のヒトコマ  作者: みここ・こーぎー
13/65

1-13 『ひかみ家』①

 痛ってえええええええええええええええええええええッ!?


 今まで感じたことがないほどの痛みが全身を貫いて脊髄を冷たく焼いていく。痛覚を剥き出しにして硫酸をかけられたような想像を絶するような痛みが『』を貫いた。

 基本的に痛みには耐性があり、どのような攻撃を受けようとも痛みによる不覚を取らないのが俺の自慢のひとつだ。事実、この間の赤城一子との戦いではほとんどのダメージに対して自己の精密動作と集中力のパフォーマンスの低下は起きていない。あれだけの攻撃と肉体破損を受けたのに、だ。


 だがこの痛みはさすがに、怯んだ。


 もちろんその痛みは俺がリキマルを刺したことに起因する。


 俺はリキマルに突き刺した短刀を即座に引き抜いた。

 といってもほんの二センチ以下だ。

 つーかありえねえ。

 ちょっとしゃれにならない。


 おそらく俺は顔を引きつらせていただろう。刺されたリキマルが心配そうな顔をした。刺されたことは特になんとも思っていないようだ。


 当たり前だ。


 これは儀式の一環だからだ。


 六単むつひとえの腹にわずかに赤い染みがじわりと浮かぶ。もちろん俺はその傷の治癒はしない。

 夫となる者の『行動』によって、

 妻となる者が『痛み』を覚え、

 先にかけておいた呪いゆびきりによって互いに『行動と痛み』を分かち合う。


 それがこの婚前の儀の一番最初にやらなくてはならないことである。

 最終的には妻にも夫と同じ呪いがかけられ、互いに自らの行動のあり方を理解するというものだ。指輪などよりも硬く繋がった約束と祝福ゆびきりなのだ。


 だが、これはなんだ!


 痛い。

 本気で痛い。


 普通なら刺した痛みの数倍で済むはずだが、明らかに桁が違う。規模が違う。というか全部何もかも違うだろう。


「瑞香……これは、なんだ」


「ふふふ」


 時間経過で多少はまともになった痛みを『痛覚遮断ペインコントロール』で無視しながら、俺は呪いをかけた瑞香に話しかける。


 だが、特に返答はない。ただ沈黙と、笑顔だ。

 いったい俺が何をしたというのだ。


 シカトされたので俺は痛みの数値レートを調べてみる。


 十七万。


 十七万?

 よくわからない数値が出力された。

 今だかつてこんな数値を見たことがない。


 腕をへし折られたことはあるだろうか?


 不意打ちで受けたときと、折れるとわかって耐えたときで若干変化するが、基本的には痛覚の数値はおよそ『一万』だ。


 というか俺の中では『俺単位』としてそういう前提にしている。ほとんどの事柄を記憶できるので痛みの規模も覚えており、それを前提に比較できるのだ。具体的にいえば脳が感じる絶対感覚を使用しているので慣れや耐えといった主観的な感覚は入らない。別に入っても問題はないのだが。


 その感知方法によると腕をへし折る痛みの十七倍の痛みに相当する。念のために説明するとこの『十七万』は俺の腕を『十七本同時にへし折った』というものではない。純粋に十七倍だ。


 熱湯をぶっかけられるか、それとも溶岩をぶっかけられるか、くらいの違いだ。俺じゃなかったらショック死するレベルだ。しかも肉体破損はないから質が悪い。こんなのが続いたら脳が潰れる。


「雅弓なら大丈夫です。信じていますよ」


 瑞香が似合わないガッツポーズをしながら俺に期待するような視線を向けている。俺は即座に無視した。


 さすがに不意打ちでやられたら今のように多少は顔をひきつらせるが、覚悟したら問題などない。ただ、痛いだけだ。だといいな。


「雅弓、だいじょうぶ?」


 まるで少女のように俺の身を案じているリキマル。誰だお前、って感じの雰囲気が全身から漏れている。それに対して何か言おうと思ったがどうにも体だるくなるほど精神力を削られたらしく、思っていたこととは違う言葉が口から出てきた。


「瑞香が『信じていますよ』って言ったってことは、逆説的に『痛みを耐えてくれ』ということであり、つまり『信じる』などという不確かな行為を相手に望むくらい信用するに値しないということで、口に出して相手に聞かせて自分を取り繕うくらい舐めた行為で――」


「つまり、すごく痛かったんだね」


「うん」


 リキマルの察しが良すぎてちょっと不快なレベルだ。いつもなら「じゃあ瑞香さまを殴るね!」くらい言ってもおかしくはないくらいの流れではある。いや、やられても困るし、やろうとしたら止めるが。ああ、待てよ。この発言ならより察しがいいのか。


 久しぶりの強烈すぎる痛みの衝撃に一時的に混乱をしているのか、うまく考えがまとまらない。


 まあ、どうでもいいか。


 頭をフラットにするためにいくつか適当なイメージを流し込む。強い月光と入道雲の濃い陰影、大昔に切り取った脳内写真だ。七歩戦術で読み勝ちして師匠の腕を斬り飛ばした後で完全な優位性で喉元に剣を突きつけたとき。昨日の朝のリキマルとのやりとり。

 少しは落ち着いたというべきか。全速力で走った後の止まない動悸、それをしっかりとコントロールできる状態が近いだろう。余裕はできた。


「では雅弓、力丸リキマルの両名は下がりなさい」


 瑞香の声で俺とリキマルはまた座る。

 俺の手は布で縛られたままだ。手錠をかけられたような状態のまま正面を見る。

 瑞香が背を向けて参列者へと向き直ると、参列者全員が俺たちのほうを――正面を向いた。


「では、緋守ひかみより祝いの言葉を」


 一番前を陣取っている緋守家の男が座礼を行い、ゆっくりと立ち上がった。男といっても俺と同じくらいの年齢か、幼さの残る顔だ。不適な笑みを見せながらこちらへと歩いてくる。


「ふ、雅弓。まさかお前が痛みを顕わにするとはな。よほど痛いと見た」


 俺の正面にどかりと座り、少年はしゃべった。黒の短髪に精悍な顔つき、になるであろう子供の顔だ。しっかりとした獅子の振る舞いを思わせる背筋の伸びた胴の入った様は明らかな力強さを感じさせる。これでこそ日守一族だ、と思える構えだ。


 問題なのは俺がこいつを知らないということだけだ。


「結婚は痛みを伴うものさ。お前もわかるときがくる。今にな」


「ああ、そうだろうな。ともかく、おめでとう! 心から祝福させてもらう!」


 そう言って緋守家の少年は俺と固い握手をする。


「今度、土産を持って遊びに行くよ」


「ああ」


 そうか。

 どうやらマジ知り合いらしい。どうしたものか。

 だが俺の面の皮の厚さはこの程度じゃ揺るぎもしない。適当にあしらっておく。


 少年が立ち上がり退いた。

 そして少年と同じくらいの年の少女が俺の前に座る。


 じっと見つめてみるが、さて誰だったか。思い出せない。

 記憶力はかなり良い方だが、そもそも記憶していないのだから思いだせるはずもないのだが。


「このたびは婚前の儀、おめでとうございます。緋守の人間として心より祝福をさせていただきます」


 声に聞き覚えはない。

 さっきの少年は数年前に「聞いた気がする」レベルの声だったが、こっちは本当に埒外だ。思い出すとかそういうレベルの問題じゃない。どうするか。


「ありがとうございます」


 言葉少なに返礼する。


 そして繰り出される俺の『愛の笑顔ラブリースマイル』が火を噴く。

 俺の笑顔が何よりの返礼になるだろう。笑顔には自身がある。少しばかり俺の行動がおかしくても状況と笑顔で清算できるはずだ。かわいい系の姉と同じ顔の俺の女顔はきっと万人に効く、そう信じて!


「――っ! も、もうしわけありません。わたしは、ワタクシは緋守の長女、きャほぅシ――キャホ――カホゥ――と申し、ます」


 名前を何度か噛んで、それでも言えなくて、そのまま押し通してきた。いや、名前が聞きたかったんだが。だが自己紹介をしてきたということは初対面なのだろう。なんとかなった、気がする。

 まあ普通は親戚の名前とか把握してしかるべきだから名前が言えなかったとか、そんなことは些事に過ぎない。今のは「初対面の相手に自己紹介を失敗した」というくらいだ。社会人では致命的だろうが、こと日守家はどうでもいいといったレベルだ。

 子供の細かい失敗など気にしていたらいくら時間があっても足りないし、萎縮させてしまったら何も出来ないのだから。


 とりあえず緋守家の挨拶が終わった。

 こいつらはなんとかなった。


 さあ、次だ。


「始めまして氷上家時期当主殿――」


























 ……なんとか、終わった。


 親戚付き合いはしっかりとやっておくべきだと心底思った時間はようやく過ぎ去った。

 みんな「おめでとう」と「よろしくな」を言葉を変えて言ってきただけだ。むしろそれ以外を言って話を長引かせるのはアウトだ。ここは「おめでとう」だけをいうべき場所なのだから。


 土神つちがみの連中は良かった。

 確実に初対面だかったから大きく振舞うことできた。

 これで初対面じゃなかったら後で割腹もので土神ごめんなさい。


 最後の祝辞が終わったら傍に立っていた瑞香がまた俺たちの前にやってきた。

 そして悪魔の言葉を吐く。


「では二度目の指切りを」


「え、嫌だけど」


 思わず素で答えてしまう。

 自分でもわかるくらい純粋な表情と発言だったために参列者から笑いをかみ殺した声が聞こえてくる。声を出していない奴も似たり寄ったりで俯いて笑い顔だ。


「では、二度目の、指切り、を」


 しっかりと聞こえるように言葉を区切りながら俺に圧力をかけてくる瑞香。あまりの良い笑顔に惚れてしまいそうになるが、ここにいる誰が見たところで悪魔の笑顔であることは確実なのでキューピッドはお引取り遊ばせ。


 幻視する裸の性的な天使を追い払いながら俺は立ち上がった。これも儀式の一環なのだ。自制できず思わず口に出してしまったことが異例なのだ。

 苦々しい顔で袖に仕舞っていた短刀を握る。


 ……やべえすでに儀式の目的が見失われた。

 俺は自身の行動で伴侶の痛みを覚える、という名目は遠いお空の彼方に飛んでいってしまった。ぴゅー。あまりの痛みに手が震える。痛みを味わうのが凄まじく嫌過ぎる。本気で勘弁して欲しいくらいだ。


 向き合う俺とリキマル。

 困ったような顔をしたリキマルが俺の手を取って手伝おうとする。自分を刺す、という手伝いだ。さすがにこれをさせるわけにはいかない。いかないのはわかるが……


「雅弓、ちょっと指切りを抑えてもらう?」


 リキマルが俺にだけ聞こえるように口を開く。瑞香が隣で笑っている。悪魔め。


 指切りを抑えてもらう、というのはつまり「瑞香に痛みの倍率を下げてもらう」ということだ。まず通らないだろうな。瑞香だし。


 そして俺も通さない。俺だし。


「いや、だいじょうぶだ。一度受けた痛みくらい簡単に受け流せる。無視できる。そう、俺はこの世で最強の男なのだから」


 俺は自己暗示のためにぶつぶつと適当なことを呟く。


 なんとかなる……いや、なんとかなるじゃない。なんとかするんだ。


 よし、覚悟を決めた。


「では、雅弓。二度目の指切りを」


 俺は刺す。

 ゆっくりと、六単の上から腹を――




 ――――ッッッ!!




 体の内部を潰すようなおぞましさと上半身と下半身をプレス機で完全圧縮されるような感覚が響く。もちろんそんな攻撃を受けたことはない。だが、そう言わざるを得ない。

 潰されてなお軽傷であるかのような印象と、そして今すぐ痛みにのけぞって叫ぶ醜態を晒したくなるような痛みが全身を貫いていく。


 一度受けたことのある痛みだ。

 二度目はなんとかなった、気がする。


 相変わらず痛みの数値は変わっていないが、耐えられた、はずだ。


 痛みで動けない。

 足がすくむ。軽く前傾姿勢になる。奥歯を噛み砕くほど力を込める。上顎と下顎が潰れるくらい痛む。この痛みは問題ない。だが、この呪いの痛みは問題がある……


 そう、問題がある、だけだ。


「くう……」


 俺は息を吐いて痛みを飛ばす。

 すべては飛ばない。痛みを細かく分類分けしてその全域から痛みの元らしきものを分解していく。すくむ足を痛みの瞬間でも動かせるように脳と足の神経をいじる。恐怖と痛みで緊張する筋肉に命令くだす。痛みに対応した全身の動作を作成し、書き換える。反射をできるだけ小さくして自分の意志で操作できるようにする。


 今、できることを粗方行うと俺は深呼吸をした。


「よし、痛みは治まった」


「よかった。三度目の指切りはだいじょぶ?」


「ここまで醜態を晒したんだ。耐えるさ」


 軽口を叩く。

 未知の痛みであったから、対策ができていなかったから、甘い考えだったからこのざまだった。三度目はない。三度目は軽く眉をしかめるくらいで済ませる。


 なるほど、今ならわかる。

 瑞香は俺の能力ならこの程度の痛みはなんとかなると踏んでいたのか。

 確かにできないことはない。あとで姉さんに手伝ってもらえばもっと楽に耐えられるだろう。

 ありがとう、瑞香。


 俺は瑞香に笑顔を向けた。


「……チッ」


 瑞香は舌打ちをした。笑顔のままで。


 おいおい、お前が嫌がらせとかありえないだろう……

 どれだけ俺のことが嫌いなんだよ……


 衝撃的な事実に防御無視の痛みを受けながらリキマルに向き直る。

 刺した瞬間に短刀は引き抜いてしまっている。主に俺がヘタレたからだ。別にリキマルに気を使ったわけじゃない。

 そもそもこの『刺す』という行為に対して嫁を心配したり気を使ったりしてはいけない。嫁のほうが痛みは少ないし、日守家ではかすり傷以下だからだ。 

 もちろんそれと『心配したり気を使ったり』というのは話が違うだろうが、異能者と一般人をいっしょにされても困る。そう割り切ってもらうものだ。


 今回に関しては俺に余裕がないのでなんとも言えない。


「では、氷神力丸、謝辞を」


 夫となるものが挨拶を受けて、妻となる者が……どうでもいいか。痛いし。


 俺は精神的な回復に努める。


 リキマルは瑞香が引いた後で前に出ると声を張り上げた。


「皆様、本日は忙しい中、時間を割いていただいたことをありがたく思います。

 そして瑞香様、今日この日に婚前の儀を執り行っていただきまことにありがとうございます


 また氷神家現当主がこの場にいないことをお詫び申し上げます」


 あれ、コーセツいないのか。

 そういえば挨拶にこなかったな。

 気づいていなかったといえば嘘になるが、このタイミングまでにはくるものだと思っていたのだが。


「傍で聞いていると皆様の雅弓への評価がわかり嬉しく思います」


 いや、誰かなんてほとんど忘れているんだがな。

 ついでにさっきのやりとりも覚えてない。忘れたことにしたから、もう思い出すこともないだろう。思い出さないといいな。


「これから私たち二人は婚約を結び、結婚に向けての生活に入ることになります。

 氷神で貧しくも喜びに満ちた生活ができるように二人で手を取り合って過ごしていきます。


 しかし何より雅弓が氷神への婿入りして氷神の繁栄が約束されたことでしょう」





 ……婿入り?





「日守最強の異能者である雅弓。そして始祖四家である本物の『氷神ヒカミ』の血と交われば、現宗家である日守ヒノモリの力を上回るのは確実」


「……リキマル?」


 リキマルを呼ぶ。


 だが、リキマルは振り向かない。


 この辺りでようやく参列者も状況を飲み込んだのか、剣呑な雰囲気になった。

 しかし誰もまだ手を出そうとしない。

 俺だってそうだ。

 呼びかけてしまったが、リキマルの目的を知らなくてはならない。


 とはいえ、俺もリキマルが言い出す言葉には検討がついている。


 そしてここにいる誰もがわかっている。


「よって、ここで『守護天命の儀』を行うことを宣言したいと思います」







 ぬるり、とリキマルの手が滑らかに浮いた。


 俺は手にした短刀を強化して滑るその空間にぶつけた。

 ある人をかばう。

 鳴り響く鋼音が状況を知らせた。


 リキマルがいつのまにか刀を握り締めており、それを振るったのだ。それは奪命散魂の一撃であり、確実に人を殺すための技だ。


「リキマル! 何をする!?」


 砕けた短刀が掌をズタズタに裂くが気にしてはいられない。リキマルの追撃を防ぐ。


 即座に力場を形成すると壁を――いや、立方体キューブを作ってリキマルの追撃の盾とする。


 直後、リキマルの放った不可視の巨大刀の一撃が屋敷を切り裂くように叩き込まれた。

 壁が、天井が、広間が、畳が、粉々に砕け散る。その最終地点で俺が立方体の力場で半ばそれを砕かれながらも防ぎきった。


「雅弓、おかしいよ。どうしてそいつを守るの? もう、守らなくてもいいんだよ」


 ころころと変わる口調を指摘できるはずもなく、俺はリキマルの仕掛けた不可視の巨大刀を自身の力場で確実に固定する。


「もう、日守を、瑞香を守らなくてもいいんだよ?」


 リキマルは俺の見て、そして俺の後ろにいる瑞香を睨みつけて断言した。


「今日から氷神が宗家になるんだよ。そして氷神当主は父様から雅弓に移る。父様、たぶん嫌って言うと思うけどだいじょうぶ。なんとかするよ」


 なんとかする、にそこはかとない暗いものを感じたが、問題はそれだけじゃない。


「私は雅弓の奥さんだから、雅弓のためになることを全力でやるよ」


 まるで裏切りの幇助のようなことを言い出すリキマルであったが、別に今の言葉はそういう意味は皆無だろう。ただ自分の考えを口にしたにすぎない。


 だいたいそんな下克上をやる連中は日守にはいない。

 少なくとも第三位階以上の連中は露とも考えていないだろう。宗家になりたいとも思わないだろうし、代わりができるとも思わない。成れと命令されても断るだろう。できないのだから。


「リキマル、落ち着け!」


「雅弓、どいて」


 リキマルが手にした刀を振るう。

 雑な一撃じゃない。剣術を知っている動きだ。俺と同じくらいか、わずかに下か。

 ありえない、とは言わないがリキマルにできる動きじゃない。研鑽を積んだものが到達できる高みにリキマルは立っている。それだけの一撃だ。


 力場を構成して三尺一寸の不可視の刀を作りあげると、即座にリキマルの攻撃を防ぐ。

 

 刃金の火花が鳴る。


 やはり直後に追撃がきた。

 不可視の巨大刀が俺目掛けて――後方の瑞香を目掛けて薙ぎ払われる。

 崩壊していく屋敷を傍らに確実にそれを止めた。


 これは……間違いなく、『力場おれのわざ』だ。


 力場は扱いは難しいがそんなに習得が難しい異能ではない。

 誰でも超能力は欲しいと思ったことはないだろうか。寝そべりながら届かない場所にあるテレビのリモコンを取りたいと思ったことはあるだろう。その延長線上の技術だ。

 だからといって全員が全員、刃物を具現化できるわけでもなければ、拳銃や鈍器、投擲武器といったものが得意なやつもいる。俺もそのすべてができなくはないが、それぞれの専門化にくらべれば一段落ちるだろう。


 リキマルが使える技じゃない。


 リキマルの略歴は知っているが、過去に剣術を習ったこともなければ体術も大きくは使えない。氷神の秘伝の異能を覚えるために屋敷にこもっていたくらいだ。もちろんそこで覚えたといえばそうかもしれないが、だったら――


 俺のわざがつくわけがないッ!!


 まったく動かない瑞香を小脇に抱えて移動することにする。

 他の参列者は大丈夫だろう。あれでも第三位階の連中が多い。死んだら墓前で「ばーか」って言うからむしろ死んでみろ。

 そんなことを思いながら参列者に感謝する。

 あのタイミングで瑞香に駆け寄ることができたやつはいたはずだが、それを俺に任せてくれたのだ。


 リキマルが刀と、巨大腕ラージアーム巨大刀ラージブレイドを振り回す。

 出鱈目じゃない。

 しっかりと俺の足場を狙って、俺に傷をつけまいとして手加減した攻撃だ。あくまでも狙いは瑞香だけなのだろう。相変わらず瑞香は笑ったままだ。


「何がおもしろいんだよ!」


「いえ、雅弓に助けてもらえるとは思わなかったので」


「ぶっとばすぞ!」


「手を離していただければいつでもぶっとばされてしまいますね」


 一瞬、手を離したい気に駆られるが、こればかりはやってはいけない。


「雅弓、お願いだから瑞香を離して。だいじょうぶ。これから二人で『ひかみ家』をまとめていこうよ。だいじょうぶ、雅弓ができないところは私が全部やるよ。全部できるから」


「それが嫌だって言っているんだ。良く考えろよ、日守家がやってきたことを! わかるだろう!」


「うん、わかってるよ。だから、瑞香を手放して」


 縦一文字に屋敷が割られる。

 俺はその隙間から屋根に上がると鉄土の瓦を踏みながら逃走を図る。何をするにも瑞香が邪魔で動きが悪い。屋敷のどこかに『智香ちか』か『風香ふうか』がいるからそいつらに瑞香を渡せばなんとかなる。待てよ、『風香』はややこしいことになる。『智香』がベストだな。


 俺はまともに見通せない屋敷の内部をできる限り遠見クレアボヤンスで覗いてく。あまり口に出したくない名状しがたい何かを直視していくが、この程度ならば問題はない。本気で探す。


 森の緑の地平線が遠くに見える。

 そしてそこまで続いていく無限の鉄土瓦の屋敷屋根がどこまでも、四方八方に広がっている。どうやら屋敷の結界の中に入ってしまったらしい。リキマルが振り回す巨大刀ですべてが粉砕されていくが、そんなもの最初からないかのように即座に修復されていく。


「雅弓、危ないです」


「なにッ!」


 不可視の巨大刀、その二本目が俺の背中を二つに割ろうとその切っ先を伸ばしてきた。

 瑞香に言われるまで感知できなかった。避けられない。瑞香を捨てるか? 捨てたら避けられるギリギリか。良く考えられてるな。やるじゃんリキマ――


「雅弓、それはいけません」


 瑞香が『スレイブユニット』を召喚すると巨大刀に叩きつけて相殺する。

 水とは思えないほどの衝撃が巨大刀を食い止めた。


「何をする。瑞香」


「雅弓、体を捻って盾を出すだけではなんの意味もありませんでした。死ぬつもりですか?」


「誰が死ぬつもりか」


 俺は力場を安定させるとリキマルの攻撃を防いでいく。

 俺を捕らえようとする巨大腕がそこかしこにある、のがわかる。ただしリキマルが細工しているのだろう。まったく見えない。ばら撒いた小規模の力場が破損していくルートを察知して回避と防御を行う。


「雅弓、私を捨てなさい。私といっしょにいるといろいろ不都合でしょう」

「ちょっと黙れよ」


「ねえ雅弓。もしかして瑞香のほうがいいの? だいじょうぶだよ。私、瑞香の代わりもできるから問題ないよ、ほら」


 瑞香の代わりができるわけないだろうと思いながらリキマルに視線を移す。




 驚愕した。





 屋根の上を走るリキマルの姿が消えた。


 代わりに、瑞香が走っていた。


「はっ?」


 思わず自分が小脇に抱えている存在を見る。

 瑞香だ。

 紛れもない瑞香が俺と視線を合わせていた。

 そのまま後方を見ると、やはり瑞香がいる。リキマルの代わりに巨大刀を振り回しながらこちらへと駆け寄ってくる。意味がわからない。


完全模倣モーフィングですよ、雅弓」


 瑞香が何事もないかのように言った。


「モーフィ……は?」


「氷神の固有異能です。別に『模倣コピー』でもかまいません。氷神は『技術解体リバースエンジニアリング』が得意でして。ほぼ完全に技術をコピーすることが可能です」


「……ああ、なるほど。ほぼ・・ということは穴があるんだな」


「いえ、完成度が高まるだけです。所詮、異能など個人の技術。大量の技術を有している氷神から見れば稚拙もいいところなのでしょう。技術的な穴を見つけて指摘、もしくはより良くしてもらえます」


「なんじゃそりゃ……」


 げんなりする。

 どうしろってんだ。いや、別に戦う必要性も特にないのだが。


「その取得方法や原理は私ではわかりかねますが、彼女なら私の代わりに日本を守護することは可能でしょうね。どうです? 任せてみては」


「お断りさせてもらう。瑞香のことは大変申し訳なく思うがそのまま日本守護の任を全うしてくれ」


「ふふ、ざんねんですね」


 ――巨大腕が掠る。

 俺の右肩が圧し折れ、砕かれて、鉄土瓦に叩きつけられた。ついでに抱えていた瑞香もいっしょだ。

 できるだけかばったが限界がある。

 瑞香は血反吐を吐いて肺の中を綺麗にしてから体の修復を始める。


 力場を構成する。

 隣にいる瑞香の異能干渉を受けて最大効果を発揮できていない。

 だが守らねばならないだろう、瑞香を。


 ……待てよ。


 もしかして俺が勘違いしているだけでリキマルに瑞香を害する気はないのでは。


 そんな今更な無駄なことを考える。


 撃墜された俺たちの五メートル先にリキマルが着地する。

 だがその姿は瑞香だ。いつも瑞香が着ている六単を着ている。本物の瑞香と違い表情が豊かで、なんといえばいいか、性的な魅力が強い。あまり直視するのははばかられる。


「ほら、雅弓、私も瑞香になれるよ。だからこっちにきてよ、ね?」


「リキマル、聞きたいことがある。お前の望みはなんだ? なぜ瑞香を狙う」


「私は雅弓を宗家当主にしたい。それが私の雅弓への恩返し。そのためには『守護天命の儀』で宗家を入れ替える必要があるよ。私ひとりで今の日守宗家の仕事はすべてできるよ。だから、役立たずの宗家は滅んでもらって氷神家が宗家に戻るの。ごめんね、本当は『氷上』にしたいんだけど命名法のせいでできないんだ。けど、だいじょうぶだよ。雅弓が一番だよ」


 瑞香の顔をしたリキマルが笑う。

 どう見てもリキマルの笑顔だ。ずっと傍で見てきた俺だからわかる。

 だがそれと同じくらい強く、「じゃあ俺が見てきたリキマルっていうのは誰だ?」と考えた。


 ひらひらと揺れるリキマル。瑞香ではありえない着崩した格好は肌の露出が多い。なんといえばいいか、それがすべてであるといったような仕草だ。


「……瑞香、あいつはお前の能力をどれだけ模倣できてる」


「完璧に、ですね」


「馬鹿野郎。そんなことしたら日本が水没するだろう」


「しますよ。これから」


「これから?」


「はい。私が能力を模倣されたのはついさっき。私が『水』の能力を使用して攻撃を防いでからです。あの様子では私の能力は全力で使用しているようですが、何のために使用しているのかわかっていないようですね。しかも私よりも効率がいいようですので、数時間で取り返しのつかないことになるでしょうね。ですから今まで氷神の前では異能を使わないように心がけてきました」


「――な、お前」


「そして、その残り時間もこの無限回廊の結界が崩壊する時間です。不幸中の幸いですね。『外』だったら即座に破滅していた」


「雅弓、なんでずっと瑞香と話すの? 私も瑞香だよ。私と話そうよ。だいじょうぶだよ。瑞香の記憶も振舞いも全部わかるよ。なんでもわかるよ」


 すげえこと言った。

 あれが本当ならどうしたらいいのか。


「瑞香さん、なんかすごいこと言っていますが」


「でしょうね。私と同じ能力を手に入れることができているのに、記憶だけは模倣できないとか、それは嘘でしょう」


「もはや『完全模倣』とかいう言葉を飛び越えている気がする……」


「ふふ、ただの名前ですよ。言葉に惑わされないでください。ただ同じ能力を手に入れただけです。とても簡単に、完全に」


 いや、待てよ。

 だったら大丈夫なんじゃないか。瑞香の記憶を持っているのなら。


「リキマル! 瑞香の記憶を持っているならわかるはずだ。瑞香を殺す必要はないことが! むしろ不利益にしかならない!」


「知っているよ。読んだよ。けど、それでも瑞香はいなくなって欲しい。私が代わりをやるから、それでいいでしょ?」


 話が通じてない!


 鋼鉄を引き千切るような耳障りな音が響き渡る。一秒毎に大きくなる轟音に顔をしかめながら、震える空間に自分の動悸を重ねる。


 瞬間、音が止んだ。


 そして、何もない空間が割れた。

 緑と黒の斑のような空間の裂け目から滝のように大量の『水』がこぼれる。

 ひとつ割れたら、あとは連鎖して割れていく。俺たちの周りに、奥に、空に、地面にどこからもあふれてくる。

 大量の水が少しずつ無限回廊を浸食していく。


「予想よりも早いですね。数十分、といったところでしょうか」


 坦々と告げる瑞香。

 「あらまあ」と言いたげな感触にイラッとするが、こいつはこういうやつだ。仕方がないのだ。


「さあ、戻ろう、雅弓。私なら出られるよ、ここ」


「いい加減にしろ! リキマル!!」


「――っ!」


 裂帛の気合と共に声を張り上げる。

 俺が怒っていることがわかったのだろう。リキマルも言葉を詰まらせる。


 あまり言いたくない――いや、絶対に言いたくないことだったが仕方ない。口にする。俺は、瑞香よりもリキマルのほうが大切だから。


「……良く聞け、瑞香は人間じゃない」


「……」


「瑞香は、現象だ。日本における『水』という概念に過ぎない。大昔に命名法で人間として生まれてきた、現象なんだ」


 瑞香はいつもの笑顔を絶やさないまま、俺を見ている。

 心が痛い。

 指切りよりも痛い。

 俺だけじゃなく、他者まで巻き込む痛みだ。


「いい加減、わかれよ……」




 本当はわかってるんだろう、リキマル。




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