1-12 婚前の儀で嫁を刺す
結婚――いや、『婚約』の話はトントン拍子に進んだ。
日守家においての婚約を見たことがないわけではなかったが、それでも自分の順番になると話は別だ。勝手に何か大きなものが狭い場所を移動しているような焦燥感が俺の中を渦巻いている。俺に絡みつくように何かを探っている。そんな気がする。
コーセツから、氷神家当主から許可を貰った昨日の今日で日守宗家による婚前の儀が行われている。
略式な結婚式である『婚前の儀』を先に執り行い、互いの年齢が十八に達した時点で婚礼の儀を正式に執り行うのだ。だからといって今からやるものは暫定的でおためごかしといういわけではない。婚礼の儀と同じくらい強い儀式だ。実際に呪いを使うというものもあるが、それ以前に二人の運命を決定付ける最初の約定だ。
馬鹿にできるものではない。
しかし、昨日の今日で婚約もクソもないかと思われるかもしれないが、こと日守の家についてはそれは当てはまらない。決まった次点で即座に執り行うことになる。日守宗家に「結婚します」と言った次の日にはすべての準備を済ませ、そして婚約する。
これは別に考えが変わらないうちにさっさと互いを束縛するためというわけではない。
日守宗家、分家に限らないが日守の一族は基本的にこの里にいない。まずうちである『氷上』の自宅はこの里ではないし、里に近くないし、別に東京でもなく、龍脈や霊的な加護を授かっている場所というわけでもない普通の土地だ。一昨日に行った開発途上地区のような微妙な場所だ。葵家が頭おかしいくらい広大な敷地を取っているだけであとは何もなかったりする。むしろ葵家のせいでコンビニが近場にないのがイラつく。
話が逸れた。
日守の一族はそもそも里にいないしそこで住んでいたとしても基本的に全国各地に散っているか、もしくは海外の龍穴の状態を確認したり悪魔を倒したりと大忙しだ。とてもじゃないが婚前の儀なんかにこられないし来るつもりもない。あと行きたいと思っても戻るための時間が足りない場合が多い。多すぎる。
その派遣された一族に配慮してさっさと婚前の儀を執り行うのだ。
わずか一日で終了させればどうあがいても時間の都合がつかずにこられるはずもない。その旨で暗に「こなくても問題ない」と言っているというわけだ。
むしろ誰かに来てもらいたいときは事前に連絡するべきだ。それまで日守宗家に言うな。
そんなわけで通常じゃありえないほど高速で準備されているというわけだ。
俺は婚前の儀の会場で座っていた。
隣にはリキマルも座っている。いつもよりも穏やかな顔をしていた。いつもはもっと張り詰めたような辺りを警戒しすぎておかしくなった猫のような状態だが、今日は珍しい。別に何かおかしいところがあるわけでもないし、特に問題はないだろう。個人的にも嬉しい時間でもある。リキマルも時折、嬉しそうに笑っているた。
しかしこの服、どうやっても一日じゃ準備できそうにないのだがどうやって作っているのだろうか。
俺は着ている服をまじまじと見つめる。
俺は胴衣袴でリキマルは瑞香が着ているような十二単もどきだ。枚数が少ないので六単と呼べばいいだろうか。ぶっとばされるか。
とにかく平安時代をイメージしたようない格好だ。俺もそういった雰囲気がある。胴衣と袴ではあるのだが。
「それではこれより婚前の儀を執り行います」
いつも瑞香が座っているような一段高い上座に俺とリキマルが座っている。
そしてその前に瑞香が立っており、いつもの服ではなく巫女めいた赤袴だ。なんか時代がごっちゃになっていて当時の人に笑われそうだと感じるが、そんなことはないのだろう。きっと。だって日守宗家の儀式なのだから。
俺とリキマルの正面は座敷になっており俺たちの視線を邪魔しないように、日守家に来ることができた連中が向かい合わせで座っている。ただ静かに座りこちらを見ていない。
これは婚約である。
が、しかしそれ以前に『儀式』の側面が強い。
「雅弓、前へ」
俺が呼ばれる。
明らかに開始の言葉が足りない状況であるが、これも一応の理由がある。
俺は立ち上がると一段低い位置にいる瑞香と並んだ。俺は瑞香を軽く見上げると手にしていたただの布切れを瑞香に渡す。俺が普段着ている洋服の端切れだ。俺といっしょにいる時間が長いので多少の霊力は持ったかもしれないが別に覚醒しているわけじゃないだろう。日守でいえば雑巾以下の布だ。
瑞香はそれを受け取ると俺の両手を縛る。
軽く縛ったそれは明らかに結びが甘く、俺がちょっと力を込めれば外れてしまうようなものだ。
「リキマル、前へ」
今度はリキマルが立ち上がり俺の眼前へとやってくる。明るい表情を浮かべており特に現状に不満はなさそうだ。勝手な印象としてリキマルは俺との結婚に反対のような気がしたがそうでもないようだ。少なくとも表面上は問題なさそうに見える。
昨日から――いや、一昨日からかリキマルの様子が変だ。確定で変であるといってもいいかもしれない。普段は崩すことのない虚勢や俺が常に使っているような強面を使うことなく自然体、のような女の子めいた表情やらなんやらをする。
おかしくはない。
と言ってしまえば確かにそうだろう。
初対面の頃から少しおかしい娘だったので別に今更どうかと思うほどでもない。
ただここ数日はなんか、こう、妙に女の子めいて見える。特にうちで一晩泊まってからはその傾向が強い。まるでもうあの男めいたしゃべりと振る舞いは要らないと言わんばかりだ。
別に正直言えばリキマルのしゃべり方など「どちらでもかまわない」のだ。口に出してしまえば本人は拗ねるだろうが、リキマルには俺が「どちらでもかまわない」と言った意味を理解しているので俺としては不満はない。向こうは不満だらけだろうが。
とにかくなんか今更に女の子女の子しているというだけだ。個人的に少々おかしく思えるが、他のやつらから見ればそうでもないのだろう。
俺はリキマルの方を向く。
リキマルは差し出された俺の両腕にさらに自分が持ってきた布を巻く。昨日着てた服だろうか、端切れにしてももう少し選んだほうがいい感じのボロい布だ。
いや、違うな。
本当にボロの布切れだ。
リキマルが普段着ている服に良く似ているが、そうではなさそうだ。どこかに仕舞っていたのだろうか、そんな『丁寧に補完された綺麗なボロい布切れ』と呼称するべき布だろうか。
なんというか、すげー『今さっきまで着ていた服を適当に千切ってきた感』がある細工だ。この日のために用意した布なのだろう。きっと婚前の儀で使用するため小さい頃の服の切れ端をずっと肌身離さず持っていた、とかそんな専用の布なのだろう。
いや、お泊りしたときにそんなのは持っていなかったけどさ。
とにかくその布で俺の両手を更に縛る。これも別に力を入れれば外れてしまいそうな程度だ。
「では。儀を始めます」
瑞香が婚前の儀で使用する『呪い』を練り始めた。
普通の相互契約系の呪いのひとつだ。どこぞの神族系の『誓い』だと思えばわかりやすい。ただ別にプラス効果は特にない。約束を破ると体に痛みが走るという、ただそれだけの代物だ。ただめっちゃ痛いらしい。
瑞香がうにゃらうにゃらと何かを唱えている。
別に異能を使うのに言葉を発する必要はない。そういう制約をつけたのであれば必要であるが、基本的に必要ない。だが瑞香は唱えている。これは婚前の儀式の流れのひとつだからだ。なんとなく雰囲気が出るという、流れだ。
実は済ませようと思えば二分くらいで終わるので、間を持たせるための祝詞風何かと儀式風何かだ。
視線を周りの向ける。どうせよくわからん言葉で数分使うのだ。胸先ひとつで三秒以下まで短縮されることもあるだろうが、基本的に暇である。体と思考のわずかな部分は『全力で儀式を受けている振り』をしているが遠見とそれによって反応している思考は全力で別のことをして暇を潰しているた。
畳に向かい合って正座している日守の人間は誰一人としてこちらを見ていない。
これは別に俺が嫌われていて無視されているというわけではない。そういう流れなのだ。最初に呪いをかけられるときは誰も見てはいけない。そしてそれを誰も邪魔してはいけない。そのために誰も俺たちのほうを見ていないのだ。
ただそれはそれとして俺は嫌われていて無視されることはよくある。
それと同じ数だけ因縁をつけられて稽古をつけるときもよくある。
そんなもんだ。
今日は珍しく半分くらい分家が揃っている。
武装管理の『緋守』
北方管理の『氷鏡』
東方管理の『火神』
西方管理の『水鏡』
南方制御の『シラドウ』
宗家近衛の『氷神』
行脚守護の『サクラ』
龍穴制御の『土神』
全員で二十人ほどいる。
わりと珍しいこともあるものだ。おそらくはコーセツが呼んだのだろう。でなければこんなにも人が集まるわけがない。さすがに娘の婚約にはそれなりの数を呼びたかったのだろう。
特に土神のやつが日本にいるとは思わなかった。
こいつらは基本的に海外に住んでおり、世界各地にある龍穴と呼ばれるエネルギー溜まりの制御を行っている。荒れた土地をよみがえらせたり無意味に土地が活性化している場所のエネルギーを余所に移したりと時間をかけてやることが多い。
年に一度、伝令役が帰ってくるかどうかレベルの希少性だろう。
俺は記憶力は良い方だが好奇心が足りないので人の名前と顔が一致することが少ない。ちらりと見たレベルでも見たことくらいは覚えているが、どこであったのかどんなやつだったのか覚えていない。そのせいでボコボコにした相手にさらりと「お前、誰?」とか聞く。そんなこともあり俺が嫌われて、仲良くなれないことに楔を打ち込んでいることに拍車をかけているのだろう。
今回俺がこいつらの区別がついたのは武装のおかげだ。
たとえば土神の連中は大陸系の影響を受けているので仙術めいた技を使う。そのために陰陽思想にゆかりのある物品を手にしている。こいつ背中にでかでかと大極図が描かれている赤い道士服を着ているので、おそらくそうであろうと当たりをつけられた。
他のやつらもそんな感じだ。
氷鏡の投擲短剣と文言格式布。
火神の青銅霊剣。
水鏡の血白布。
日守に集まるときの正装だ。見える位置に武装を置くことで自身の身元をはっきりとさせている。別に偽ってもいいが、バレたら注意される。注意されるだけで特に何があるわけでもないが。
ちなみに『氷上』に装備しなければならないものはない。
少なくとも今のところはない。
うちの分家は体術でのし上がった家だ。
もともとは日守家の守護役として活躍した家だったらしいが、江戸時代に入る頃には十分な量の異能者が揃ったらしく、うちの家は能力不足として没落した。そのまま明治時代まで分家序列最下位だったらしいのだが、うちの曾爺さんが頭おかしいくらい強かったらしく日守宗家から嫁さんを貰ったらしい。
強い異能者の血が混ざったことで日守家にも強力な異能者が生まれることになった。そのおかげで分家序列は上位に食い込み、氷上家は他から睨まれる対象になったのだ。
百年前から爆発的に発生した自然異能者のせいで、直接的な攻撃をかけられることはない。ないが、一部の権力のあるやつらから何かを差し向けられることもある。嫌がらせ程度だ。
ここにいるのはそれなりに俺に何かあるやつではないのか、特に暴力的な意志を感じない。そもそも各家の第三位階以上のやつらにはそんなに嫌われていないので本格的に問題がでるということはないだろう。問題なのは第三位階以上の連中が少ないということと、その少ない連中の一部が俺をわりと本気で嫌っているということだ。
とりあえず俺の性能は本気を出しさえしたら日守一族を本気で潰せるレベルにあるのでおいそれと攻撃をかけてくることもないだろう。もしそうなったら俺と戦闘を仕掛けてきた家は死ぬだろう。
相変わらず防御が下手なのでいい加減に何とかするべきか。
「氷上の雅弓、手を」
おっとようやく瑞香ダンスが終わったらしい。キングオブポップのバックダンサーくらいの舞であれば俺も余所見をしないのであるが、さすがに儀式にそこまでのエンターテイメント性を求めるのは駄目だろう。
俺は頭を上げてうやうやしく礼をしながら瑞香が持っているソレを自分の手で受け取る。
それは短刀だ。
銀色の刃をあらわにした抜き身の短刀が俺の手に置かれている。
短刀、とは言っているが柄はなく、茎が剥き出しだ。まともに握れるものじゃない。俺は茎を指関節で器用に挟んでから拳を作るように握りこんだ。打ち刀は振れないが短刀ならなんとかなる気がする、その程度の握りだ。
俺は布手錠をしたままリキマルへと向き直る。
奇怪なほど笑顔のリキマルがそこにいた。別人なんじゃなかろうかと思わなくもないが、その辺はあとで聞いてみればいい。言わないならそのまま全部ひっくるめて愛してあげたら良いのだろう。俺にはそれくらいしかわからない。
本心から嬉しそうな感情を発露させながら俺を見ているリキマル。俺はその感情を捉えながら少し照れた。大丈夫かと思ったがそうでもないらしい。さすがにこんな婚前の儀の最中に視線を合わせると少し恥ずかしい。
「雅弓……」
「リキマル……」
俺たちは互いの名前を呼び合う。
さらに照れくさい。
そして、俺は――
笑顔のままリキマルの腹に短刀を突き刺した。




