1-11 デート
普通に道路を移動して東京まで行くがすこぶる面倒だったので、多少の裏技を使って移動をすることにした。あまり褒められた行為ではないが、一時間くらいで東京圏まで移動が可能になるのでさっさと使うことにしたのだ。
空に力場で自転車が通れるくらいの足場を作って高速で移動するだけではあるが。
無理やり強度をあげて高速移動をしているのでそろそろ自転車が分解全壊してしまわないか心配だ。ここ数日で想定以上の速度で千キロ以上走っているので確実に消耗しているだろう。まだ一年も乗っていないので勿体ない気がするが、『飛行』を行うよりは自転車で走るほうが楽なので必要経費として割り切ることができる。
ただ迷彩が不完全なのでたまに一般人に見られるのがアレなのが問題だ。空を飛んでいるとなぜか発見される可能性が高まるので自転車で走るのが優位性が高い。だからこんな小遣い程度でガタガタ言うつもりはないが、使っていれば愛着もあるので壊す乗り方はあまりやりたくない。
「ま、たった今、壊れたんだけどね」
「びっくりしたねー」
俺の目の前にはボロボロになった自転車が置かれていた。フレームはまだがんばれそうだがスポークがもう限界だ。後輪のスポークのほとんどが破損して砕けているのか、なくなってしまっているいる。まったく気が付かなかった。前日までは特に問題なかったのだが、さすがに往復で五百キロ以上を連日続けると調子が悪くなるようだ。
仕方ないので廃棄するしかないのだがいきなり捨てることもできないのでとりあえず巨大腕で丸めておく。未練はあるが執着は無い。仕方ないものは仕方ないのだ。
とにかく目的地であるカフェに到着することはできたのでそこは御の字だろう。
スイカ大に丸めた自転車をカフェの隣にある駐車場の隅にそっと置いておくと、着ていたバスタオルをかぶせてから帯びていた霊刀を転がしておく。霊刀が盗まれそうな無用心さであるが、霊刀の基本能力で持っていかれる事はないだろう。万が一にも持って行かれたら探せばいい。認識してしまえば百キロ以上離れていてもどこにあるかわかる程度には、霊刀なのだ。リキマルが「えー」みたいな表情でカフェに入る寸前まで見ていたが、俺が押してやるとゆっくりと入店した。
藍の地味目な色のワンピースに白いエプロンをしている女性が出迎えてくれた。メイドといった風情ではなく、自然な格好をしたキッチン担当のお姉さんといった感じか。見ようによっては野暮ったいメイド服に見える辺りが兄さんの琴線に触れたのだろう。マニアックだ。
窓際の四人席に案内されるとホットティーを注文した。茶葉も選べるらしいのだが、残念ながらよくわからない。お勧めである「アッサム」という銘柄を注文すると二人でメニューを開いた。べったりと俺にくっつきながら「これなに? これなに?」と聞いてくる。俺もわからない。仕方ないのでお好きなスパゲティとミニドリアのランチセットを頼むことにした。嬉しそうに話しかけてくるリキマルが俺の顔に自分の顔をぶつけるようにプレスしながらデザートのことを聞いてくる。わからんというに。よくわからんのでデザートセットなるものも注文する。
ここまでで十五分かかった。
それなりに悪くない時間ではある。
余った時間で「ナポリタン」と「ボロネーゼ」と「トマトとにんにく」のスパゲティの違いを話し合いながら二人で適当に待つ。個人的に二人席で向かい合って話したかったが、なぜかこの四人席に案内されてリキマルも普通にそれに従った。
そういえば不思議なことに今日はいつものタンクトップとカーゴパンツじゃない。あの危険なものがチラッチラ見えそうなタンクトップをやめてくれたのはわりと嬉しい事実であるのでこの辺りは問題ない。
ここに来る途中で購入したなんかぴちっとした白いシャツ――ブラウス? と青のスリムジーンズだ。薄桃色のインナーが薄っすら透けているようで地味に落ち着かないが、乳首が見えそうなタンクトップよりはマシだろう。
髪も多少は梳いており、なんというか、見られる程度には良い。
あまりの衝撃に、
「その髪型いいね。いつもそれにしたら? 服と良く合っているよ」
と言ってしまった。
他人の服装に口を出してもいいものかと迷うが、きっと俺の言葉なら届くと信じていると予感していると思いたい、はず、きっと、おそらく。
どうでもいいが尻に厚みが無いのでちょっとそこも衝撃的だ。
それはともかく店内を見回す。
店内は塗りのある焦げ茶のシックな印象を受ける空間だ。壁は白だが、補強材のように伸びた木材が焦げ茶に塗られており、色の量としては多くないんだがゆったりとした雰囲気を受ける。四人席が三つ、カウンターが五人のそんなに大きな店ではないが、そこがいいと脳内兄さんが言っている。ふーん、と頷いておく。
しばらく待って料理が運ばれてきた。
俺が「トマトクリーム」でリキマルが「トマトクリーム」だ。
……なんでじゃ。
いや、そもそも先に注文したのはリキマルで「ボンゴレ」とかいうやつだ。その後で俺が注文したのだが、その後でさらにリキマルが俺と同じものに変えたのだ。すっかり言うのを忘れていたのだがここでは小皿を出してみんなで分けて食べるのが基本的なスタイルだったはずだ。言っていなかったが。
そのために何人かで来たときにそれぞれで違うのを頼んでみんなでシェアすると兄さんが言葉少なに自慢していたのだが、そもそもお前にこんなオシャレッティな店にいっしょにこられる友人が何人いるんだよと問いたい。おそらくそのシェアしたという友人はすべて女だろう。お前がそいつらにシェアされているのだと気づいていないのだろうか。
そうこうしながらリキマルに潰されるように張り付かれながら食事を終えた。
あまりにうるさかったので反射的な返事ばかりで内容を覚えていない。
あと食事は普通においしかった。
会計を済ませてカードをパスケースにしまってからポケットに収める。
ふとポケットに手を入れると隙になるんじゃないかとどうでもいいことを考えながら駐車場へと戻る。駐車場の脇に捨て置いた刀とバスタオルと自転車だったものを取りに来たのだ。
正直に言えば自転車だったゴミは誰かが持っていってくれないかなー、とか思っていのは事実だ。だがその場合はいっしょに刀も持っていかれるだろう。バスタオルは大丈夫だろうが。
そんなことを考えていたのは確かだ。
「あれ、自転車なくなってるね」
「どうでもいいけどお前、二人っきりじゃないときの言葉遣い変わってない?」
そんなことを口に出しては見たが現実は別に変化していない。
畳まれたバスタオルの上に刀が置かれている。その下にあった自転車を丸めたものが綺麗さっぱりなくなってしまっていた。
「おいおいどんな物好きだよ。あれだけ持っていくなんて」
クズ鉄を売るにしても刀も持っていかないか、普通。だいたい刀は一般人には持っていけない。だったらこっち側の人間が持っていったんだろうが、それならば刀の有用性も気がつくはずなのでついでに持っていくだろう。
……ま、いいか。
得したと思えば。
俺はバスタオルを拾うとさらりとまとう。そして刀を腰の後ろに帯びた。帯びるといってもベルトに挟んでいるだけではあるのだが。
「で、楽園天国に――」
いっしょにくる?
と続けようとしたが、不意に違和感を覚える。言葉の選択ミスを咎められている、そんな感じがした。瞬間的に言葉を直して続ける。
「――行こうよ」
タイムラグは無い。完璧のはずだ。
「え、いいの!?」
普通に嬉しがって俺の腕にしがみつく。
考えてみるとここまで連れてきているので「それじゃあさよなら」とか言うのは人としてどうかと思うことにようやく気がついた。俺が発しようとした言葉の意味はそう受け取れる。一応聞いておこうと思った、そんな間違った優しさのようだ。
しかし昨日の夜からリキマルの反応がまったく違う。
別に『特別なこと』は何もしていないはずだが、人間とはよくわからない。自分のことで精一杯の俺としては他人の情動まで理解できるほど余裕は無いようだ。
二人で並んで歩く――いや、走る。
腕を組んだまま上半身は微動すらしないが、腰から下はしっかりと腿を上げて高速で走っていた。二人で並んで。傍から見れば異様な光景だろうが、すばらしい、迷彩という技術は文句のつけようの無いほどすばらしい技術だった。俺ならこんな異様な光景を見られたくないし見たくも無い。
片道一時間という途方にくれても文句を言われないであろう時間を走った後に楽園天国についた。
だいぶ日守家から離れたものだ。
いつもはこの程度の距離を空けていることなどざらであるが、ここ二日ほど日守に用事が多すぎる。あまり立ち寄らない日守の敷地に入ってあれだけのことを世話して、次の日も呼ばれる。しかも瑞香の部屋にまで案内されるとか常軌を逸しているといっても過言じゃない。
しかも今日の瑞香の話はなんだったのか。
瑞香に死ぬ予定でもあるのだろうか。
だとしたら本当に大変なことであり防がなければならない事実である。
まあいいか。
瑞香みたいなやつが今日あったことを言い出すのもそんなにおかしいことではない。むしろ時々に言い出して他のやつらに発破をかけてくれないと問題なのかもしれない。
「雅弓、入ろうよ」
「ああそうだな。少し待っていてくれ」
俺は東京ドームほどの敷地面積と建造物を持った楽園天国を仰いだ。
楽園天国とは我々異能者――正式には『覚醒者』の成長を促すために作られた世界規模の組織であり、誰かが作り出した『正しい意味での魔法』と『魔術』を売りに出している場所だ。一応、金を払えば他者との殴り合いをマッチングしてくれて、なおかつ治癒もしてくれる良い組織だろう。
日守のように子供たちでじゃれて稽古になるような家は少ない。本来はこういった楽園天国のような場所で強くなるのが堅実で、普通だろう。
コンクリート色のような薄汚れた白の建物がそびえ立っている。
嫌いな色じゃない。落ち着いた印象を受ける。俺はゆっくりと中へと入った。
「あれ、いらっしゃい雅弓。今日は彼女同伴?」
一階正面、入ってすぐにある初心者受付兼簡易受付の場所の受付嬢が声をかけてきた。
少しそばかすの見え隠れした橙の赤毛をした少女だ。ただ橙色は脱色しているのか染めているのか、本来の色は真っ赤な赤毛で頭頂部がその色で染まっている。まるで赤い帽子をかぶっているようだった。
「いやー、久しぶりだねー」
「三日前に着たぞ。そのときに『着色』の魔法を買っただろうが」
人懐っこい笑顔で俺を呼ぶ少女。
マナという名前だ。大きく出っ張った胸の名札にそう書かれている。左右の膨らみに一枚ずつ布当てをしてシワで大きさを強調しているのが憎たらしいほどエロティカルだ。名札には大きくカタカナ二文字で書かれておりわかりやすい。学校の名札しか知らない俺としては妙な違和感を覚えるがわかりやすさ重視なのは好感が持てた。
マナはバニースーツと燕尾服を合わせたような妙な格好をしている。まるでカジノのディーラーみたいなそれだ。別にうちの姉のように頭にウサ耳をつけているわけじゃないので、そもそもバニースーツと思わないかもしれないが、なんとなくそう感じる。
マナは受付から出てくると俺たちの手を取って近くのベンチに誘った。受付嬢としてそれはいいのかと思ったがいつもこうなので特に口にしない。それよりもレオタードのような股間部を意識させたズボンなのはどうかと思う。見ようによってはぴったりのズボンの上にセクシーなラテックス材のショーツを履いているようにも見える。いや、悪い気はしない。しないんだけどさ。
「かわいいカッコだね。どこで買えるの?」
「いや、興味は持たないでくれ」
「奥の売店で買えるよ。着るんだったらもっとご飯を食べて運動して体作りをやってからがいいかもね。おっぱいを強調するためにコルセット型になっているし、お尻も厚みがないとぴったりいやらしくないよ」
「いや、言外の言葉を聞けよマナ」
「うん、がんばる」
とりあえず無視することにした。あまり発言をして意識付けて記憶に残しても困る。ここでさっさと用事を済ませよう。
「早く『着色』の続きを寄越せよ。もうほぼリアルタイムで表現可能だ。バスタオルに『バスタオルの動き』を投影しているのを見ろよ」
俺はバスタオルを翻す。微動せずに投影されたバスタオルが一気に浮き上がり、ゆっくりと落ちてくる。もちろんその間も本物のバスタオルは俺の背中にかかったままだ。
「おお、雅弓すごい。はい、じゃあこれあげるね」
俺の習熟度に納得したのか、マナは一枚の紙片を作成すると黒インクの色合いで文字を『着色』した。今ならわかる。マナが日常的に文字表記に使っている魔法は『着色』だ。今日は俺がそれを使おうとしているから使っているわけではない。やはりこの魔法は使える魔法だな。
マナの魔法の習熟度はその質と量ともども異常すぎる。この世で発表された魔法をすべて網羅しており、それに加えて現行で認識されている最大の錬度を誇る。ただし新しい魔法が発表されて、使用者がその魔法をほとんど使えなく、他のやつらもまともに使えないレベルであるとマナもその程度でしかない。
マナは時代の最先端を走るものではなく、誰かが使っているのを正しく認識できる能力が備わっているらしい。そのためにその過程をしっかりと把握してから同じレベルで使用できる。名前をつけるなら『過程』というべきだろうか。誰かが適当につくった何を基にしているかもわからない式を理解できるらしい。
プログラム言語的に言えばコンパイラのソースを見ただけでアセンブラに書き換えることが可能だそうだ。もちろん未知の言語で書かれたソースでもそれを見て動くところを観察さえしたら誰でも知っている言語に直せる。俺にはわからないがわりとすごい。頭おかしい。
そのためにここで新規魔法の買取と原理の変換を行うのが仕事なんだそうだ。
誰もが俺のように式を『数式』で現しているわけではないし、現していても俺のように結果を等価で現しているわけでもない。因数分解しか使えないので、大学で使うような高度な数式に変換することもできないので特に未来も無い。
ないない尽くしで頭が痛い。
結局のところ頭の悪いやつは大魔法のように高出力、広範囲、高性能の魔法を理解して使用するのは不可能だ。
それをしっかりと理解して翻訳してくれるのがマナだ。
頭が良すぎて頼りきりになってしまい申し訳ない気持ちでいっぱいなくらい。
とにかく紙を受け取ると一読して記憶する。
「ありがとう。返す」
「女性から貰ったものを返すなんてひどいなぁ」
「あまりからかうなよ」
俺から返された紙片を受け取ると、マナはそれを即座に分解した。もともと存在しないものだ。あっさりと散って消えた。
今日は妙に流し目をしてくるマナをシカトしながら『着色』の追加コードを使用する。今までは物体に投影する形でしか行えなかったので俺を中心として手を伸ばした距離までしか使用できなかったが、今度からは遠くにも映像だけ投影することができる。俺の修練次第ではあるのだが。
この『着色』は本来はその名の通り色付けが本位であったが、後世の努力によって映像投影が可能になった魔法だ。もちろん他にも結果的に同じことができる魔法はいくつか存在する。『迷彩』もそのひとつだ。こちらは最初はドットノイズやモザイクの一種であったが、今ではこの通りだ。
いくつかの魔法を理解してその本質を理解していけば魔法の純度が上がっていく。
これならば『迷彩』をしようして見つかる可能性もより低くなるだろう。
あと、もうひとつだけこれを覚えた要点がある。
誰も俺の攻撃が視覚確認できないので、感覚の鋭いものしか察知してくれないのだ。不可視で遠間で強力な攻撃ともなればそれだけで他は不要だ。そのために俺の技術力向上が見られない。
俺の能力はだいぶ前から上昇を見せていない。
問題はそこだけだ。
だから俺の攻撃を見えるようにしたらみんな多少は避けられるだろう。
かなりの上から目線であるが、こうでもしないと俺の試行錯誤が行えない。俺の持っている能力はすでに仕様、効果としては頭打ちの感があるが、まだまだ戦術論での上昇は見込める。一手で確実に仕留める方法を始め、四歩十三手詰み、七歩七手詰みのような刀を使用して行えた戦術戦闘も、この力場で行えるようになる、はずだ。
一撃ですべてを吹き飛ばすのは俺の基本戦術であるが、それが効かない相手に当たったときのための技術が欲しい。
目的地はわかっているのに、たどり着けない悔しさがある。
だからといって適当に喧嘩を売っても仕方ない。余剰領域の悪魔を虐殺するほど血に飢えているわけでもない。そもそもそこにいるのはたいした強さを持たないだろう。
結局のところ、俺が新しい技術を学んで組み合わせていくことを行いながら、敵が来るのを待っているのが無難だろう。今回の『着色』のようにうまく使えば幻影を作り出すことも可能な魔法もある。これと不可視の刃を組み合わせて攻撃をかければさらに回避が難しくなるのは間違いない。
そもそも普通に攻撃したら当たるので、今のところ余った技術ではあるが。
うちの兄さんや緋守家の彼方、氷鏡家の殺がいれば多少は稽古になろうが、今は全員がいない。というかここ数年で遠方の任に就いている。いや、うちの兄さんは違うか。
日本にも俺と同じくらいの強さを持ったやつがいないことはない。むしろしっかりとした数はいる。だがたとえば警察庁の悪魔対策課に「稽古つけてください。本気で殴り合おうよ!」って言ってもまず受けてもらえないだろう。ここ数年は悪魔は増加し続けている。そんな暇はないだろう。だいたい稽古は一回じゃすまないし。
どの道、あと三年待つか、俺が極端に弱くならなければどこにも行けないし好きなこともできない。
そんなものなのだ。
だからそれまではできることをやっていればいいのだが、それでは落ち着かないのが今の俺の気持ちだ。
「雅弓、雅弓、あれあれ」
「どうしたリキマル。弱いくせに気性が荒くて気の短いやつもいるから指差したり本当のことを口にしたりするなよ。喧嘩になる」
事実を口にすると近くにいた数人がこちらを向くが俺の顔を見るなり慌てて視線を逸らす。暇なときにここで試合を組んでもらっているのでそれを知っているやつらだろう。
「雅弓はひどいねー。ここのみんなは優しい人から喧嘩にはならないよ。わたしが殴っちゃうし」
マナが物騒な発言をするがそもそもこんなやつなので気にする必要もないだろう。
「第三位階の人間がここを利用しないことを知っていれば試合なんか組んでもらわなかったよ」
「第三と第四の人は自分で全部できるからこここないんだよね。雅弓はときどき着てくれるから話し相手になってくれて嬉しいよ。ここに来る人のほとんどはみんなは私の姿を正しく認識してないから話をするどころじゃないし」
「初心者の技術向上施設で初心者狩りしてたとか黒歴史にもほどがある」
黒歴史以外の何でもない過去に驚くほど苦い舌鼓を打ちながら、あふれてくる嫌な記憶に蓋をする。
「雅弓ってば、あれ見てよ!」
そうだった。リキマルから呼ばれていたんだ。自意識過剰もなんとかしないと。
リキマルの視線を追うと賞金首のポスターが貼られていた。
……こいつは本当に目ざといな。
「あの賞金首一位の千里眼の魔王ってやつだったら相手になるんじゃないかな?」
「……見つからないんだよ」
「見つからない?」
声を絞るようにため息を吐く。
「そいつは誰も見たことがない魔王だ」
「じゃあなんで魔王指定を受けてるの? なんで賞金首?」
「千里眼の魔王は八年前から現れた魔王だ。もちろんその頃はそんな名前じゃなかったし、やっていることも『遠見』を使っているだけの雑なものだったそうだ。もちろん感覚のいいやつには見られていることがわかったし、千里眼の魔王も特に隠そうとしていなくてただ見ているだけの、そんなはた迷惑な魔法使いとして認識されていた」
「あれ、隠れているだけの魔王?」
おそらく攻撃力の無い弱い魔王だと勘違いしている。俺はそれを無視して続ける。
「世界中でその雑な『遠見』が確認された。ありえないほど広範囲だった。不思議に思ったやつや、危険に思ったやつが捜そうとしたのだが、場所を絞ろうにも世界中のあらゆる地域のほぼすべてで確認されているためにうまくいかなかったそうだ。
『遠見』はその性質上データ電波送受信型ではないので、受信者が特定が不可能だ。そもそもそんなに遠距離をカバーできるものじゃないしな。普通のやつで長くても一キロメートルくらいだろう。おそらく距離をあげるために精度と隠密性を犠牲にした、そんなただの覗き屋だということで片付けた。大部分はそこで諦めた。反対に各国の政府は探し続けているようだが」
「じゃあ――」
「今から三年前。テロリスト組織である『ステア』がとある小学校を占拠した。当時のアメリカ大統領の娘、高官の子供を含めた小学生約千人を人質に取り、大統領に辞任と五千億ドルを要求した。今ならわかるがたぶん小学生のすべてを殺すのが目的だったんだろう。大統領の娘はついでだ。
それを救ったのが千里眼の魔王だ。
彼は小学校内部に潜んでいた数十人のテロリストを安全に確実に殺して被害者を一人も出さずに救出した。いや、救出したのはその場にいた警察官と軍隊だが」
「いい人なのに、なんで魔王扱いなの? 別に利己的にも見えないし発狂しているわけでもなさそうだし」
「完全遮蔽されていた小学校の内部。そこに潜んでいたテロリストの全員を一瞬で殺したからだ。『遠見』が使えなくなるような結界は張られていなかったが、それでも攻撃物である不可視の矢を小学校内部に作成して即座に攻撃できた。問題だろう」
リキマルは「何が?」とことの重大さを理解していない。
「たとえば、今この場に千里眼の魔王がいて、お前を殺すつもりがあれば、お前の額に矢が刺さっているんだよ。超長距離射程というのもおこがましいほど地球上をカバーできるほどの射程距離を持ったスナイパーと戦えるかよ。ふとした拍子に隣に座っているやつが死んでいる状況がこの地球上でありえるんだぞ。怖すぎるだろう。
しかもその後でテロリストの本拠地を知った千里眼の魔王が調子に乗った。本拠地に大量の矢を叩き込んで地形を変えるほどズタズタにしたんだ。一撃一撃が小型のミサイル並の攻撃力にアメリカは戦慄したって話だ。だからそいつを捕まえるためにわざわざ魔王指定にしたんだよ。まさしくどの面下げて、だ」
「へー、じゃあこの第二位の黒犬の魔王は?」
「さー? わからんなー。ブラックドッグってついてるからイギリスの能力者なんじゃないか?」
そもそもブラックドッグってイギリスだったっけ?
「じゃあ第三位の武術の魔王は?」
「えーと、確かあらゆる異能力を無効化する能力を持っているとかなんとか。あまりに無敵すぎるんで挑戦者募集という意味で自分の首に賞金かけて魔王指定したらしいぞ。香港の超金持ちらしい。俺じゃたぶん勝てないだろう。別に挑戦者が殺されたという話も聞かないから三年後に弟子入りしてみるのもいいかもしれんな」
「ふーん」
「ほれほれ、おもしろい情報があるかもしれないから遊んできなさい。これ、ここのカードね。金を要求されたらこれを出して。それでだいたいなんとかなるから」
俺はリキマルにカードを渡す。
が、即座に返される。
「いっしょに行こうよ」
「わかった」
俺は笑顔のリキマルに返事をする。俺も笑顔になっているだろうか。
「うっひょー熱い熱い。今日は全店舗二割引きにするんでしっかり遊んでいってねー。あんまり遊ぶとこないけどー」
マナが残像を残すくらい思い切り手を振る。早くどこかに消えろと言いたいらしい。ついでに大きく腰も振ってばるんばるんと胸も揺らしている。何がしたいんだあいつは。
よく考えたら俺も同じ状況に会えば同じことをするかも、しれない。
いや、やはり俺はそんなことはしないね。
俺は優しいからな。
さすがに腰は振らんし胸も揺らさないが。
どうでもよいことなのですっぱりと忘れてリキマルと並んで歩く。
人ごみ、と呼べるほどではないがマナの受付の奥、本来の楽園天国内部に移動するとかなりの人がひしめいていた。人ごみはあまり好きではないがリキマルと並んで歩くのは悪くないのでとりあえずひと回りしてから魔法図鑑を見に行こうという話になった。
「そうだ、雅弓、帰り口紅買ってよね」
そんなふうに帰りに口紅を買えと言われたので頷いておいた。他は聞き流しておいたが。
口紅の色を選べと言われたので、そこは断っておいた。そこでリキマルは退いたが、あの顔は明らかに俺に選ばさせるつもりだろう。真っ赤か桃色のやつにしようと適当に考えておく。
そこである人物が俺たち二人の前に出てきた。
日守家の下位異能者馬鹿中年、コーセツだ。
昨日、あれだけ拳を叩き込んで壁に叩きつけておいたのに、今このときに俺の前に出られるとはかなりのガッツがある。
「コーセツじゃん。どうしたの?」
日守家内で会っているわけではないので砕けた言葉遣いで話しかける。昨日、キレてしまったので普通にぶっ飛ばしてしまったがコーサカはまだマシな部類だった。自分の年齢の三倍を超える大人を捕まえてマシな部類とか表現する俺は何様かと思ったが、結果と有能さでいえば俺は氷上家で最強なので問題は無いだろう。
……いや、違うか?
まあいいか。
「雅弓くん、今日はずいぶんとご機嫌だね」
俺を射殺さんばかりにギラついた眼で俺を睨む。もしかしたらこれが普通の顔なのかもしれないが、そこまではわからない
しっかりと禿げ上がった頭を光らせながら太い眉毛を動かすコーセツ。日守家で見かける時は袴姿であるが、今は落ち着いた黒のスーツを着ている。しっかりとボタンを留めているが良く膨らんだ筋肉が中に着た同色のベストをみしりと押し上げていた。
いや、コーセツ、お前のほうがご機嫌じゃないか?
そう聞こうとして何か違和感を覚えたので発言を控える。コーセツのほうが俺よりも背が高いために俺に陰を作っている。別にわざとやっているわけではないのはわかる。だが何か妙な感覚だ。念のために自身に『解呪』をかける。
おそらくは何もしていない。
だが何かをやらざるにはいられない。
「珍しいな、コーセツ。日守家がこんなところにいるなんて」
「あまり強くは無いのでね。ここで勉強をしているのだ」
基本的に日守家の中でのじゃれ合いは日守家の中で済ませるのが礼儀だ。何か思うところがあれば即座に言ってぶっ飛ばされるか、あとで闇討ちするのが決まりごとだった。
だからコーサカの発言や動きは別におかしいものじゃない。が、何かゾワザワする。
「ところで雅弓くん」
「はあ、なにか?」
コーセツはちょっと視線を逸らしてから俺を見直した。
視線は動かさずに『遠見』でコーセツの視線の先、そして辺りのすべてを確認する。もちろん特に何かはない。
そして俺の『遠見』に反応して、俺を千里眼の魔王と勘違いしたのだろう数人が即座に索敵してこちらを向いたが速攻で舌打ちして私事に戻る。そもそも『遠見』も『力場』もありふれた異能だ。勘違いするなよ。
「私は君にならいいと思っている」
「……何が?」
なんかマジすげー嫌な予感がしている。
なんだろうこの胸を締め付けられるような感覚は。精神を鷲掴みにして放さない不思議な攻撃が確実に俺に向けられている。
この状況はまずい。
この状況はまずい!
今になって俺の脳内に警告が鳴り響いた。
こいつは、何かろくでもないことをしようとしている。それがなんなのかはわからないが、とにかく嫌な予感がする。
「リキマル、お前がそこまで言うのであれば仕方ない。癪であるが認めようじゃないか」
怖い顔をさらに鋭く深い厚みを持たせると、嫌そうな顔でリキマルを一瞥する。そして俺の方を再度見た。
「婚約を――そう、結婚を認める!」
こいつ、何を、言っている。
「よかった! 父様、ありがとう!!」
父様、だと?
リキマルが今まで出したことの無いような声でコーセツにお礼を言う。喜色満面に胸の前で拳を作って、そして大きく手を広げてコーセツの胸に飛び込むと、本当に嬉しそうにしていた。
コーセツも不格好ながらリキマルを祝福しているのがわかる。いや、わからない。まったくわからないね。俺は鈍感であるから、コーセツが腹で考えていることは何一つわからない。実はこんなことを言っている腹で日守家の地位を狙っている可能性だって捨てきれない。
話が逸れた。
ます、状況を整理する。
リキマルの親父はコーセツ。
リキマルは氷神家の人間。
つまりコーセツは氷神家の当主、だろう。
そして当主が結婚を認めた。
俺は、結婚するのか?




