♯4 始まりは空で訪れる
ユーリ・グーデリアは現在、腕を縄で後ろ手に縛られて拘束されていた。
別に縛られて喜ぶ、緊縛趣味があるわけでは無い。
自分の意思には関係無く、手足を縛られ、身動きが出来ない態勢にさせられ、床に芋虫のよう転がされているのだ。
何故、こういう状況に陥ったのかは、ユーリの立場から説明せねばなるまい。
彼女、ユーリ・グーデリアは、とある有名女学館に通う学生である。
金持ちが多く集まる、予算だけは潤沢にある女学館の二期生であたるユーリは、修学旅行で連邦の南西にある観光地に、飛空船に乗って優雅な空の旅をしている途中、空賊によって襲撃を受けたのだ。
危機一髪、学生や引率の教師は避難用の小型艇に乗って脱出したのだが、級友達を避けるよう下部の倉庫で居眠りをしていたユーリは、騒ぎに気付かず逃げ遅れてしまった。
目を覚まして状況を把握した時に、既に時は遅し。
拘束され、金目の物と共に人質として、空賊船に運び込まれてしまった。
「やれやれ。参ってしまったわ」
全然参っていない口調で、ユーリは呟く。
泣き喚いたり、騒ぎ立てたりしなかった所為か、猿轡などはされず口元は自由。
息苦しさを感じないで済むのは、僥倖と言えるだろう。
赤と黒のセーラー服に身を包んだ、腰まで届く長い黒髪をした美少女。育ちの良さを窺わせる品の良い顔立ちをしているが、切れ長で鋭い目付きをしている所為か、何処となく冷たい印象を受ける。
そんな理由からか、ユーリ・グーデリアには友達と呼べる物が存在しなかった。
一人取り残され、逃げ遅れたことには、その辺りの事情もあるのだろう。
「ふん……別に、どうだっていいことだわ」
錆と油の匂いがする床に頬を押し付け、ユーリは他人事のように呟いた。
古いタイプの飛空船なのか、ガタガタとエンジン音がうるさく、船体を揺らす振動は今にも空中分解してしまいそう。
サイズも小さく、学校の教室が三つ繋がった程度の大きさしか無い。
空族船などと恰好を付けてはいるが、船自体はとんだボロ船だ。
普通のお嬢様なら嫌悪感を示す薄汚い船のも、ユーリは瞳に好奇心の炎を灯していた。
「何世代前の飛空船なのかしら? 二十年三十年……下手をすれば、もっと昔の船かもしれないわね」
エンジンの音と、チラリと見た外観から、ユーリはそう船を分析する。
飛空船は魔導エンジンによって浮力を生み出し、空を飛ぶと言うより、空に浮くといった方が正しいだろう。
機動性などは空戦機兵に劣るが、かなり大型の飛空船も浮かび上がらせることが出来る。
最新鋭の戦艦クラスともなれば、要塞と見間違うほどのサイズを誇り、今は戦時下であったのならば、蒼天の空に浮かぶ天空の城が如く太陽を遮り、飛行する勇壮な姿を拝むことが出来ただろう。
軍縮が叫ばれる現在では、夢のまた夢なのであろうが。
現在、ユーリが床に転がされているのは、空族船の下層部分。
本来なら、小型艇などを納める格納庫の役割をしているのだろうが、そのような物は無くガランとしていた。
恐ろしいのは、壊れているのか元から無いのか、横を覆う筈の装甲や外壁が半分ほど無くなっており、外が丸見えの吹き抜け状態だということ。
流れる雲が間近に眺められる、絶景と呼ぶにはスリリング過ぎるだろう。
外からの風がビュウビュウと、遠慮なく船内部に吹き込む。
気流に煽られ大きく揺れた時には、何処からか転がってきた空き缶が、カランコロンと音を立ててやってきたかと思うと、そのまま吸い込まれるよう、外へと放り出され遥か上空から、地面に向けて落下していった。
ゾッとするような光景だったが、ユーリの場合は違ったようだ。
「……空、高い」
顔を上げ、吹き抜けの壁から覗く景色を眺める。
真っ青な空が、一面に広がっていた。
位置的に地上は見えなかったが、雲一つ無い見晴らしの良い青空は、見ているだけで吸い込まれそうな気分になった。
無表情だったユーリの瞳に、僅かだが熱の籠った色が宿る。
地上で見る空と、空賊船から見る空。違いは全く無い筈なのに何故だろう。
ここから見る空はより深く、そして濃く見えた。
暫く空の青に見入っていると、錆だらけで底が抜けそうな階段から、数人の空賊達が騒がしく降りてきた。
「……ッ」
ユーリは咄嗟に床に伏せ、気絶したフリをする。
薄目で確認すると、現れたのは三人の空族達。
空賊と言えば一般的には、空を自由気ままに暴れ回る、アウトロー集団なのだが、この船の空賊達はちょっと普通とは違っていた。
何が違うかを一つ上げるとすれば、空賊達の平均年齢が、異様に高かったのだ。
三人の中で一番体格の良い男。推定、七十歳程の老人が籠った声を張り上げる。
「おいおい。話が違うでねか! 金持ち学校の船じゃなかったんかいや?」
「宛が外れちまったなぁ、あんちゃん」
異様に甲高い声で笑うのは、ヒョロヒョロで眼鏡の老人。
推定、六十後半くらい。
「オメば、うっせーんだよキンキンキンキン、鳥っ子が首絞められたような声だしてからに」
「あんちゃんが言うかね。あんちゃんこそ、大声張り上げるけんども、声が全く前に飛んでねぇべよ。鼻の穴っ子に、おが屑でも詰まってんでねべか」
「あんだ、オメ。弟の癖して、兄貴を馬鹿にすんだか!」
「そっちが先に言うなんでねか。あんちゃん、そういうとこ、ガキの頃から全く変わんねなぁ!」
訛りの酷い喋り口調で、兄弟らしい二人は喧嘩を始める。
空賊らしく、髑髏柄をあしらった派手な衣装を身に着け、体格の良い老人は大型の機関銃を担ぎ、細身の老人は海賊刀、いわゆるカトラスを腰にぶら下げていた。
互いの襟首を掴み、罵り合う二人を、最年長の老人、推定八十歳が止めに入る。
「落ちぃ着かんぁかぁ、こっの馬ぁ鹿者共がぁ」
妙に間延びした声で、老人が気の抜けた声を張り上げる。
ピタッと、老人達は言い争うのを止めた。
真っ白な髭をたっぷり蓄えた老人が、皺の浮いた顔で兄弟を交互に見る。
「所詮はぁ、ヤクザ稼業。こんなぁ日も、あるけんしゃーなかぁよぉ」
含蓄だけはある言葉に、兄弟は納得したよう「んだんだ」と何度も頷く。
捻りも中身も無いと思ってしまうのは、ユーリがまだ、若者だからだろうか。
どうやら、金持ち学校という触れ込みを聞いて襲ったモノの、想像以上に実りが無くてガッカリしているのだろう。
だが、それも当然である。
ユーリの通う女学園は嬢様学校だが、それ故に格式を重んじる。
卒業生が馬鹿ばかりだと噂されるのが、歴史ある名門だからこそ我慢ならないのだろう。何処に出しても恥ずかしく無い淑女を育てる名目で、厳しい教育と躾が義務付けられ、身を飾るような装飾品など、持ち込むことを固く禁じられている。
全寮制の為、家族や親戚に配る土産物も必要無く、学生が持つ金目の物など文字通り、子供のお小遣い程度しか持ち合わせていない。
ユーリに至ってはどうせ使わないからと、財布自体寮に置いてきてしまった。
「そうなると、金になる獲物は、私だけということね」
状況を客観的に分析し、ユーリは他人事のように呟いた。
人質とは思えない落ち着きっぷりは、恐怖に竦んでいるわけでは無く、ましてや家族が助けに来てくれるかたという、能天気な勘違いをしているわけでも無い。
空を見つめる瞳に映るのは、諦めたような鈍い光だけ。
別に人質にされたことで自暴自棄になっているのでは無く、ユーリ・グーデリアは元から、人生にある種の達観を抱いているのだ。
「……えっ?」
不意に、遠くの方で何かが、太陽光に反射したような気がした。
気のせいか?
そう思うユーリの耳に、ボリュームを上げた老人空賊達の声が響く。
「金目のモンがねぇってことはばよぉ。この娘っ子、売り払うしかなかっぺよ」
「んだんだ。儂もそう思うんよ。あんちゃんに賛成だぁ」
「はぁん。そうだっぺどもよぉ、まんだ、若いぃ娘ぇっ子じゃぁないかい。可愛そうぉと、思うんだがやぁ?」
「んだんだ。一番上のあんちゃんの、意見もわかるべぇ」
「お前さんは爺になっても、主体性っちゅうモンがなかとなぁ」
正直、訛りがきつすぎで、誰が喋っているのか微妙にわからない。
すると、上から伸びる金属の管。伝声管からこれまた、老人の声が聞こえた。
『あんちゃん!? れーだーに反応あり。急速に、近づいてくる物体があるっぺよ!』
「ああん? あんだってぇ?」
お約束のボケをかました所で、ユーリの目にも、いや、ユーリの目だからこそ、外から飛来する物体を肉眼で確認することが出来た。
やはり、見間違いでは無かった。
雲間を飛来する影が近づき、ハッキリと形が認識できると、ユーリは思わず息を飲む。
「……マークⅦ。現行機がまだ、存在していたんだ」
他人から見れば、青空に黒い点がある程度にしか認識出来ないだろう。
だが、並外れた視力を持つユーリには、ハッキリと視認することが出来た。
昔、一度だけ見たことのある、ワルキューレ社の空戦機兵。
魔導機兵に興味など無いユーリが唯一、美しい外観に目を奪われ、鮮烈な記憶を脳裏に焼き付けた空戦機兵が、自由に大空を駆け巡っていた。
「羨ましい」
ポツッと、そんな本音が零れ出た。
鳥籠に囚われた小鳥が空を飛ぶ鳥を羨むように、ユーリは自由に焦がれていた。
いや、実際は違う。
ユーリ・グーデリアにはただ、空へと飛びだす勇気が無い。それだけの話だ。
少女の感傷とは裏腹に、接近する空戦機に気が付いた空賊達は大わらわ。
「なんだぁ、ありゃ!? 空軍かぁ? 空軍が、襲撃に来おったんかいな!」
「んだけんど、あんちゃん。こっちには、人質がいるっぺかや、心配なか」
「んだんだ」
兄弟が慌てふためく中、船長だけがのびりと伝声管に顔を近づける。
「回線開いてぇ、接近する機体にぃ、人質がいることぉを、伝えっぺがやぁ」
『……あんちゃん。不味いっぺ』
「不味いって、なんじゃあよ?」
『近づいてくる空戦機、空軍やのうて、ギルドのモンだっぺ。空撃社の』
瞬間、それを聞いた空賊達は絶句する。
ギルド・空撃社の名は、ユーリにも聞き覚えがあった。
アンダーグラウンド系の雑誌で、度々目にする金さえ積めばどんな仕事も請け負う、業界でも悪名高いギルドだ。
空賊達もその悪名を耳にしたことがあるから、ただでさえ血色の悪い顔色を、更に青く染め上げているのだろう。
だからといって、空賊を名乗る以上、簡単に諦めるつもりは無いらしい。
「こ、こっのクソがぁ! 空賊生活六十年、儂らのぉ、意地ばぁ、見せたるっぺよぉ!」
ふがふがと入れ歯が飛び出しそうな勢いで、船長が激を飛ばす。
身体の大きい空賊が、担いでいた機関銃を構えると、揺れる船の動きに合わせて銃口を、高速で近づいてい来る空戦機兵に向けた。
「でぇぇぇい! ハチの巣にしてやっぺがっ!」
爆音を響かせて、機関銃が火を噴く。
勢いよく排出された薬莢が地面に転がり、揺れる船の動きによって、吹き抜けから外に投げ出されていった。
口径の大きな機関銃だが、流石は空賊と言うべきか、バランス一つ崩さない。
「いや、手に持って撃つタイプの銃じゃないでしょう」
濃い火薬の匂いに咽そうなるが、吹き抜ける風によって、すぐに消えてしまう。
だが、放たれた機関銃は掠りもせず、空の彼方へと溶けていった。
ふがふがと、船長は入れ歯の位置を直しながら、痩せた空賊の方を見る。
「他に武装はぁ、積んでぇ、なかったかいのぉ」
「あんちゃん。孫の誕生祝だって言って、金目になるモン、大砲や諸々の武装は売っぱらっちまたっでねか」
「ほぅ、そげだったかのぉ。まぁ、近頃ぉ、空賊業も、不景気ぃだからのぅ」
「んだんだ」
三人は顔を付き合わせて、しみじみと頷いた。
誤解しないで頂きたいのが、これが空賊の実態というわけでは無いということ。
彼らのように年齢層の高い呑気な空賊達は、かなりレアなケースだ。
そうこうしている内に、接近した空戦機が空賊船の上空を高速掠める。
「――ッ!?」
衝撃で機体が大きく揺らされ、ユーリは悲鳴を噛み殺して、反射的に直ぐ近くにあったパイプに抱き着いた。
空賊達はバランスを崩し、床に四つん這いになって口から悲鳴を漏らす。
痩せた空賊がユーリの方に視線を向け、必死の形相で指差した。
「ひひひ、人質を盾にするんだぁ! そっすっべば、空撃社の連中も迂闊に手を出せないっぺ!」
「んだんだ」
「ようし、あんちゃん。ここは儂に任せっぺよ!」
揺れが治まった船内を立ち上がり、体格の良い空賊が手をボキボキ鳴らしながら、ユーリの方へと近づこうとする。
不味い。
そう思うが、手足が拘束されている以上、身動き一つ取れない。
年齢の割には太い腕が、ユーリの首根っこを目掛け伸ばされた瞬間、先ほどより更に大きな揺れが、今度は上下に空賊船を揺らした。
「――ぬぅおわぁ!?」
体格の良い空賊はバランスを崩し、後ろの壁に顔面から突っ込んでしまう。
ガチンと嫌な音を立てて、気絶した空族はそのまま床の上に崩れ落ちた。
残りの二人も揺れで倒れたらしく、吹き抜けギリギリの壁に折り重なっていた。
「……今のは?」
ユーリが顔を上げると同時に、ノイズのような電子音が微かに聞こえる。
『あ~、空賊の爺さん達。悪いことは言わんから、人質を解放してくれないか? 俺の目的はそれだけだから、アンタらを捕まえようとは思わないし、手に入れたなけなしの獲物にも手を出さない……どうだい?』
外部スピーカーを通して、若い男の声が聞こえてくる。
身体を起こした船長が、落ちた入れ歯を口の中に入れ直しながら怒鳴った。
「んなぁ、情けないことばぁ、出来る訳ないっぺが……」
『拒否するってんなら、このまま空賊船を引き裂いて、人質だけ助け出すけど?』
言うと、空戦機の腕力で、空賊船の装甲を押し潰そうとしているのだろう。
ギシギシと、空賊船全体が軋む音に、船長の含む全員の顔色がサッと青ざめた。
恐怖から折角入れ直した入れ歯が、ポロッと口から飛び出し。
「こ、こうふぅくしゅっぺぇ。やんめぇてちょうひゃいよぉ!」
『よ~し、OKだ年寄衆。だったら、次にやることはわかってるな。人質の拘束を解け。一瞬だったがすれ違い時、ちゃんと確認してるんだぞ』
声には出さず、目を大きく開いてユーリは驚く。
吹き抜けになっているとはいえ、あの高速で視認していたということか。
空賊達は悔しげな表情に諦めを乗せ、未練がましい視線をユーリに向けた。
ユーリは軽く息を付くと、寝たふりを止めて身体を起こす。
「必要ないわ」
そう言って近づく空族を鋭い視線で牽制すると、後ろに回された腕を軽く捻ると、手首を拘束した縄がハラリと落ちる。
「――へっ?」
目を丸くする空賊を無視するよう、自由になった手を足を拘束する縄に伸ばす。
左右の足を内股にピッチリ合わせると、縄の間に隙間が生まれた。
縛りつけた縄もこれでは意味をなさず、少女の力で容易く解かれてしまう。
もう一度、息を付くとユーリは立ち上がり、涼しげな顔で黒髪に手櫛を通す。
「それじゃ、戻りましょう」
呆気に取られる空族達に、ユーリは感情の薄く表情で、軽く小首を傾げた。
「御機嫌よう。クソつまらない修学旅行よりは、楽しめたわ」
釣られるよう、空族達三人は「どういたしまして」と頭を下げた。
何とも間抜けな光景を茶化すよう、外部スピーカーから口笛を吹く音が、轟々と異音を響かせるエンジン音に混じってユーリの耳に届いていた。