♯23 終わりよければ全てよし
耳をつんざくような轟音が響き渡る。
切れ間なく叫ぶ銃声は、全部で計六つ。リボルバーマグナムの装弾数と一緒だ。
拳銃を撃つという行為は、口で説明するほど簡単なモノでは無い。ましてや、反動の強いマグナム弾なんて、訓練した大人でも片手で撃つのは難しいだろう。下手をすれば、肩の関節が外れてしまう。
当然、狙いだってまともに合わせられるわけが無い。
女の細腕で、しかも銃を撃った経験も無いユーリがいきなりトリガーを引いたところで、都合よく目標を撃ち抜けはしないだろう。
そんな事が簡単に出来たら、世の中から軍人という職業が無くなってしまう。
だが、そんな事は問題では無い。
何故ならばユーリが放った弾丸は全部、目標とした場所に着弾したのだから。
「……痛ッ」
硝煙の匂いが充満する中、反動で痛めた肘と肩の激痛にユーリは顔を顰めよろけた。
轟音が残響となって、まだ耳の奥で鼓膜を震わせている。
銃口から煙を上げるマグナム銃は、痺れと初めて銃を撃った恐怖からか、震えるユーリの手の平から逃げるよう零れ落ちた。
「……な、なんの、真似だ」
長い沈黙を経て、ようやく耳鳴りのような残響が消えたかと思うと、唖然とした表情のレイモンドが娘にそう問いかけた。
当然、レイモンドの身体には、銃で撃たれたような傷は皆無だ。
声色には深い戸惑いが色濃く滲み出ている。
娘に銃を向けられた事に対して。
いや、心を閉ざしてしまっているとはいえレイモンドは聡明な男。自分が娘に対して酷い仕打ちをしている事は理解しているだろうし、殺意を向けられたとしても、今更動じるような安い心構えはしていないだろう。
だからと言って、今更行いを改める気も無いだろうが。
困惑があるとすれば、レイモンドの予想外の事柄が、ユーリの手によって引き起こされたからだ。
立ち上がったまま、レイモンドは視線だけを、ユーリの左手側を向けた。
全面ガラス張りの壁。
既に高度は大分上昇しており、雲が間近に確認する事が出来る。
ユーリが放った六発の弾丸は全て、ガラス張りの壁に向けて撃たれたのだ。
飛行時の気圧変化に耐えられるよう、錬金処理が施された強化ガラス。しかし、客船としての運用目的から、戦闘を想定して作られていないので、弾丸を受けたガラスは上から下まで大きな罅が走っていた。
何発かは貫通しているのだろう。轟々と、耳障りな風の音が僅かに室内へと吹き込む。
戸惑いと疑惑に満ちた父の視線を浴びながら、ユーリは痛めた左腕を押さえながら、ゆっくりと身体を起こした。
「……父さん。一つ、お願いがあります」
「お願い、だと?」
「はい。私と賭けをしましょう」
「賭け?」
意図がくみ取れずに、レイモンドの視線に探るような色が浮かぶ。
普段だったらユーリの言葉に耳を傾ける事は無かっただろうが、鳴り響いた銃声と割れた強化ガラスが、凍てついていたレイモンドの心に、ほんの少しだけ動揺を生み出したのだ。
「賭けとはどういう事だ? まさか、イカサマでも使って賭けに勝利し、くだらん頼みごとでもしようという魂胆ではあるまいな」
相変わらず浴びせ掛ける言葉は辛辣。
逆を言うのならば、問答の形になっている事自体、ユーリにとっては僥倖なのだろう。
何故なら、この父娘の会話は父が一方的に話を切って終わるパターンが殆どだからだ。
筋を痛めたのだろう。痺れるような痛みが、指先にまで走る。
「そこまで、考えの浅い小娘じゃないわ……いいえ、少し前の自分なら、そんな浅い考えも口に出来ずに、唇を噛んでジッと父さんの言葉に耐えていたのでしょう」
「今は違うと言うのか? ふん。少しばかり外の世界を旅したからといって、随分と増長したモノだな」
「増長? そう。そうね。そうかもしれないわ」
「……何を笑っている」
呟く言葉に笑みを浮かべるユーリを、気味悪そうにレイモンドは見据える。
「父さん。父さんは、少しばかりと言うけれど、私にとっては実に有意義な修学旅行だったわ」
思いだし笑いを浮かべるよう、唇を綻ばせた。
久方ぶりに見る娘の楽しげな表情だったからか、レイモンドは戸惑い続く言葉が出てこない。
「空賊、賞金稼ぎ、そしてギルド……私の人生とは全くの無縁だった無法者達と、私は大勢知り合う事が出来た。有意義だったけど、私は未熟者だから、学べた事はほんの一握りの事柄だけ」
「……何を学んだと言うのだ?」
「空を飛ぶということ。空を飛ぶ、勇気を持つことよ」
力強い言葉で、ユーリは真っ直ぐとレイモンドを見据えた。
考えてみれば、ちゃんと父の顔を真正面から見つめるのは、随分と久しぶり。もう、最後が何時だったのかも覚えていない。
心情的にはレイモンドも、近いモノを抱いているのだろう。
睨み付けるような視線を向けるモノの、瞳の奥は依然戸惑いで揺れていた。
噛み付いてくる牙すら、完膚無きまでに叩き折って来たつもりなのに、ここにきて力強さを見える娘に、どう反応を返して良いのか迷っているようにも思える。
けれど、瞳の奥の迷いは、癒えぬ傷から滲む憎しみによって掻き消された。
「空を飛ぶというのは、ふざけた空想癖のことを言うのか? それとも、本当に空を飛ぶつもりでいるんじゃないだろうな……ふん。馬鹿馬鹿しい」
「その通りよ、父さん」
吐き捨てる言葉を肯定するよう、ユーリは頷いた。
冗談や皮肉と受け取られぬように、真剣な表情で確りと。
レイモンドは、大きく目を見開いて絶句する。
「……何を馬鹿なことを」
そう呟くのに精一杯だったのは、ユーリがこけおどしで言っていない事を察したからだろう。
冷え切っているとはいえ父と娘。言葉の真偽くらい、判別が付くのだろう。
父の疑惑を後押しするよう、罅割れたガラスの方へ近寄る。
側に置いてあった来客用の帽子掛けを両手に持つと、ユーリは思い切り振り被った。
「――ッ!?」
「――ハッ! ヤッ!」
数回、丈夫な帽子掛けでガラスを力任せに殴りつける。
最初の数回は丈夫なガラスに弾かれるが、殴り続ける度に鈍く響く音は明確に変化していき、罅割れも徐々に細かく大きく広がっていく。
マグナム弾によって、既に強度はギリギリだったのだろう。
「――このッ!」
数えて十度目。
表面が削れボロボロになり始めた帽子掛けの角が、罅割れて砕けたガラスの隙間に入り込んだかと思うと次の瞬間、ガラスは凍結したかのよう真っ白に染まり、一部を帽子掛けが叩き割り貫通する。
刹那、気圧の変化により、ガラスの罅割れた部分が弾け飛ぶように砕けた。
猛烈な外の風が吹き込み、机の書類が舞い家具類がなぎ倒される。
「――うおっ!?」
渦巻く風に煽られ、レイモンドは飛ばされた壁際に張り付く。
ユーリもまだ残っていたガラス壁に寄りかかり、強風に顔を顰めながら飛ばされないよう足を踏ん張っていた。
舞い上がる書類や陶器の破片を腕で払いながら、レイモンドは叫ぶ。
「――貴様ッ、正気かッ!?」
「私は至って正気よ、父さん!」
叫び返しながら、ゆっくりと外からの風が吹き込む割れたガラスの方へ近づく。
縁ギリギリに立って、ユーリはもう一度同じ言葉をレイモンドに投げかける。
「賭けをしましょう。父さん」
「くっ。またそれか……一体、何がしたいんだお前はッ!?」
「今から私はここから飛び降りるわ……もしも、私が生きていたら、もう私や母さん、あの人の事を忘れて。忘れる努力をして」
「自殺願望に目覚めでもしたのか? この高さから落ちて、生きていられる筈が無い」
「それこそ、父さんの望むところだったのでしょう?」
「……むっ」
手痛いツッコみに、強風に耐えるレイモンドは口を真一文字に結んでしまう。
否定してくれない父に、ユーリは寂しそうに微笑んだ。
扉を隔てて、部屋の廊下側に人が集まって来たのか騒がしくなってきた。足を踏み入れる事を躊躇しているのは、事前にレイモンドが人払いをしておいたか、父娘の諍いに巻き込まれたくないと思っているのだろう。
強風に煽られ乱れる髪を押さえながら、ただ黙って此方を見ているだけの父を見据える。
「さようなら、父さん。もし……もしも、互いの心に後一歩だけ踏み込める勇気が持てたのなら、また会いましょう」
「……そんな日が、本当に来ると思っているのか?」
「さあ?」
首を傾げ、ユーリは曖昧に微笑んだ。
「でも、飛べない人間が飛べたとしたら、そんな奇跡が起こる可能性もあるでしょうね」
そう言うと掴んでいた手を離し、剥き出しになった空へ背を向けた。
レイモンドは一瞬だけ、「あっ」と口を開き手を伸ばしかけるが、その手はユーリに届く事無く途中で拳を握り、そして下ろされた。
「…………」
「……ふっ」
無言の拒絶に父娘は、最後の視線すら交わすことは無かった。
心の中で一区切りがついたと思っても、やはり目尻に浮かぶモノがある。
最後に時計を確認。そろそろ、いい時間だろう。
泣いていると思われたくなって、最後にペコリと頭を下げると、戻す勢いのまま背後の空へと身を躍らせた。
「……バイバイ、パパ」
風に包まれる浮遊感と共に、ユーリの身体は雲海へと投げ出された。
内臓が持ち上がるような落下感。
最初は視界に入り切らないほど大きかった飛行船も、瞬く間に小さく離れていく。それは自身が落下してくる筈なのに、飛行船の方が急速上昇して空の彼方へと昇って行くかのような、そんな錯覚をユーリに与えていた。
背中を押し上げるように吹き上げる風は、凍えるほど肌に冷たい。
小さくなる飛行船は直ぐに真っ白な雲海に閉ざされ、抜ける頃には既に遠く離れよく見えなくなってしまった。
「――ッ!?」
落下速度はぐんぐんと上がり、言葉も喋れなければ呼吸も上手く出来ない。
頭の重みで自然と上下が逆になり、頭上には何も無い大海が広がっていた。
見渡す一面が青い海。視界の範囲には、陸地らしい物は存在していなかった。
ユーリは唇を真一文字に結んだまま、自由落下に身を任せる。
恐怖が無いと言ったら嘘になる。しかし、自暴自棄の果てに、強がりだけを口にして自殺行為に及んだわけでは無い。
勝算はあった。足らない頭を捻って、仕込みもやってみた。
心残りがあるとすれば、一つだけ。
(……もう少し、愛想良くしてやればよかったかしら)
徐々に近づく水面に湧き上がりそうになる恐怖感を堪えるよう、固く両の瞳をグッとキツク閉ざした。
目を閉じて一拍待った後、一際強い風が真横を吹き抜ける。
次の瞬間、身体を包み込むよう何か硬いモノが添えられると、全身を纏う重力がゆっくりと和らいでいった。
ユーリに驚きは無い。
空中で冷たく丈夫な物に寝そべった状態で、ユーリは閉ざしていた瞳を開く。
「……遅いわよ」
空中で停止し、両手をお椀型にしてユーリを優しく受け止める漆黒の空戦機兵に、開口一番そう言いながらも、唇の端に笑みを浮かべていた。
◆◇◆◇
遅いわよ。
外部スピーカーはOFFになっているので、言葉自体は伝わらなかったが、此方を見上げて動かしたユーリの唇は、確かにそう告げるようハッキリと動いていた。
緊張感を解きほぐすよう息を吐き出してから、操縦桿を握るジョウは苦笑を漏らす。
「やれやれ。助けてやったってのに、相変わらずに我儘なお嬢様だな」
バッドラックの姿勢制御をオートに切り替え、操縦桿を離しても今の状況を保てるよう操作してから、ジョウはハッチを開き操縦席を外に剥き出しにした。
一千メートルの高さだけあって、吹き込む冷たい風に身体をブルッと震わせる。
「……ううっ、寒っ」
強い冷風に顔を顰めつつ、座席から腰を浮かせたジョウは身を乗り出した。
ちょうど正面には、手の平に受け止められたユーリは、仰向けに寝そべる形で此方に顔を向けている。
パッと見た感じでは怪我な無さそうで、ジョウはホッと胸を撫で下ろした。
「遅いわよ」
身体を起こしたユーリは、浮かべていた笑みを引っ込め、同じ台詞を改めて口にする。
この口の減らなさはやはり天性のモノか、千メートルちょっと自由落下した程度では治らないらしい。
「遅いったってなぁ。これでも随分と飛ばしてきたんだけど?」
「ヒントは十分に与えた筈よ。まぁ、お間抜けな貴方の事だから、折角置いてきたヒントに気が付けない可能性も、重々ったのだけれど」
「ああ、そうかい。んじゃ、俺が間抜けじゃ無かった事に感謝してくれ」
皮肉を皮肉で返してから、ジョウはポケットから取り出した懐中時計をユーリに投げて渡す。
胸の辺りで受け取り手の平の懐中時計に視線を落とすと、安堵するよう頬を綻ばせた。
「……よかった」
呟き、大切に慈しむよう、両手で優しく包み込んだ。
「しかし、上手いこと時間通りに飛び降りたな。懐中時計の時刻と、ほぼ同じじゃないか」
「ええ。父は時間に正確な人だから……ある程度の時間さえ決めておけば、タイミングを合わせる事は可能だと考えたの。見事、予感は的中したわけだけれどね」
「……ああ。そだな」
自分で考えておいて、会心の作戦だと思っているのだろう。
懐中時計を首に掛けながら、ドヤ顔で意気揚々と語るユーリに、曖昧に相槌を打ちながらジョウは心の中で苦笑した。
実際、ユーリが語るほど簡単な事じゃ無かった。
落下する時刻はあっても、飛行船がどのルートを通り、どの高度で飛ぶかをジョウは把握していなかった。それに、幾らレイモンドが時間に正確だと言っても、秒単位で飛行船をスケジュール通りには動かせないだろう。
誤差の具合によっては、間に合わない場合が重々に存在していた。
それを可能にしたのはユーリの自称・計画性では無く、ジョウの技術が卓越していたわけでも無ければ、ただの幸運というわけでも無い。
全ては情報に優れた金髪女と、目がすこぶる良い賞金稼ぎのおかげだ。
「やれやれ。嫌な女共に借りを作っちまったぜ……高くつかなきゃいいけどな」
「ん? なにか、言ったかしら?」
「いんや、何にも」
首を傾げるユーリの手を引いて、操縦席に招き入れながら、ジョウは大袈裟に肩を竦めてみせた。
苦労でも労ってくれるようユーリが肩をポンと叩くと、何時もの定位置に戻っていく。
座席の後ろにある、狭苦しい空きスペースだ。
文句の一つでも言ってやろうかとジョウは口を開くが、言ったところで無駄かと諦め、深いため息と共に座席へと座り直しハッチを閉じた。
「それじゃ、お嬢さん。ここからは仕事の話をしようか」
「仕事? ……ああ」
流石に物分りはいいらしく、ユーリは直ぐに言いたい事を理解してくれたようだ。
「お金を払えってことね」
「ああ、そうだ。俺は人助けを慈善事業の趣味でやってるわけじゃない、商売だ。お嬢様のクソわかり辛い暗号を解読して、空の彼方まではるばる助けに駆けつけてやったんだ。しかるべき報酬があって当然だと思わないかい?」
「無いわよ。私、無一文ですもの」
「……そこはほれ、グーデリア重工の娘なんだから」
「私に関わるなと啖呵を切って出てきた手前、あの人が私に関してもうびた一文払う事は無いでしょうね。まぁ、いわゆる勘当されたとでも言うべきかしら」
風で乱れた髪を手櫛で直しながら、他人事のようにユーリは言う。
短い沈黙の後、ジョウは頭痛を堪えるよう眉間を指で押さえた。
「なぁ、おい。俺はこの金にもならないろくでなしを、外に放り投げてもいいのか?」
「駄目よ。ねぇ、ジョウ」
疲れたように座席にもたれ掛かるジョウの真横に、ユーリがにゅっと顔を突き出す。
「気が利く助手を、雇うつもりは無いかしら?」
「……ギルドで働きたいんならキャシーに言え。賞金稼ぎか空賊になりたいなら、おあつらえ向きの人材が、ついこの間お知り合いになったばかりだ」
「おあいにく様。働き場所は自分で決めるわ……ねぇ、駄目かしらジョウ?」
強引な交渉に出ておいて、最後の問い掛けには少女特有の弱さを滲ませる。
天然なのか意識的なのか。
どちらにしても、このまま成長すれば碌な女にはならないだろう。
少し考えてから、ジョウは取り出した煙草を口に咥えた。
「給料は払えないぞ。貧乏なんだからな」
「心配いらないわ。私に助手につく以上、稼がせてあげるから」
「世間知らずのガキじゃ、説得力が不足しているぞ」
「じゃあ、それを証明させてちょうだい。まずは炊事洗濯から、下働きでも何でもこなしてみせるわ」
「お嬢様育ちに、んな高尚な仕事が出来るのか?」
「人は誰でも最初は初心者よ」
何だこの口の減らなさはと、ジョウは辟易としてしまう。
何処か吹っ切れたような健やかなユーリの様子は、別れて数時間しか立ってないとは思えない変わりよう。子供の成長は早いと言うが、女の子は尚の事。早すぎるだろうという意見もあるだろうが、人は覚悟と決意さえあれば、何時だって成長出来るのだ。
いい歳をした大人には、羨ましい限りだとジョウは煙草を吸う為マッチを摩る。
煙草の先端に火を点けようとした時、後ろから伸びた手が咥えた煙草を掠め盗った。
「おいおい。何をするんだ」
振り向くと煙草を手の平で握り潰すユーリが、此方をドヤ顔でねめつけていた。
「助手としての最初の仕事よ。操縦席での煙草はご遠慮願うわ」
「まだ雇うとは決めてない。そんなルールを勝手に作るな」
無視して煙草の箱を取り出すが、再び後ろから引っ手繰られてしまう。
「駄目よ。マークⅦだって、嫌がっているわ」
「おいおい。姫様がんな狭量なわけ……」
言いかけた言葉を否定するよう、バッドラックは魔導炉の駆動音を大きくして、機体を小刻みに揺らした。
同意を得て自信ありげな顔を見せるユーリに、深々と息を吐いてから火の点いたマッチを振って消化する。
「だから女とガキは嫌いだ。直ぐに結託しやがる」
「で、どうかしら? 私の事を雇って頂ける?」
「……あ~」
期待感の混じる声を背中に受けて、ジョウは呻り声を上げながら操縦桿を握る。
「放り出して野垂れ死にされるのも、後味が悪いしな……邪魔だけはするなよ」
「……ッ!?」
嬉しそうに息を吸い込んだ後、歓喜を表すように座る座席を揺らした。
自分で言って早々に、ジョウは早まったなぁと後悔してしまう。
彼女を助手として雇うなんて、正気の沙汰とは思えない。面倒事が増える上に、キャシーから謂れのない罵倒を浴びる事が目に見えていた。
それでも断り切れなかった理由は、やはりユーリに同情しているからだ。
それ以外の理由は無い。
決して、一人で生きる事が辛くなったとか、情けない理由は無い。
「はぁ……まぁ、いいや。んじゃ、さっさと帰るか。もう早く帰って風呂入って酒飲んで寝たい」
寝て起きたら、この悪夢が覚めているたら良いのに。
ジョウの心情を知ってか知らずか、ユーリは楽しげに座席を揺らす。
「ねぇ、ジョウ。一つ要望があるのだけれど」
「はいはい、今度は何ですかお嬢様」
半ばやけくそ気味に問うと、ユーリは「それ」と勢いよく指を差す。
「貴方、まだ一度も私の名前を呼んで無いわよね」
「そうだったっけ?」
「そうよ。今後、円滑な人間関係を築いて行く為に、互いの呼び名をハッキリさせておいた方がいいと思うの」
「……別にいいだろう、面倒臭い」
「駄目よ。私の事はお嬢ではなく、ユーリと名前で呼びなさい」
雇われ者の見習い助手の癖に、雇用主に対して随分と強気な要求に出る。
面倒臭い以外の感情が全く無いジョウは、誤魔化すように頭を掻き毟った。
「気が向いたらな」
「気が向いたらって、いつに――キャッ!?」
抗議の言葉をかき消すよう、バッドラックを前触れなく急速発進させる。
膝立ちで身体を固定していなかったユーリは、加重に引っ張られ後ろ向きに引っくり返った。
苦しげな声で罵詈雑言が飛ぶが、無視してフットペダルを全力で踏みつける。
蒼天と蒼海に挟まれた空を、アシンメトリーな黒い装甲の空戦機兵が、飛行機雲を引きながら飛翔していく。
ここが海でも、山でも、陸地でも、空の青さは変わらない。
流れる雲と共に見える景色が変化していこうと、空を飛び続ける限りは、この変化の無い青とは長い付き合いになるのだろう。
この空の青に飽きる日がるくのか、それとも翼が折れ地に堕ちる日が来るのか。
今はまだわからない。
だからこそ、ジョウはバッドラックで飛び続ける。
この空に存在し続ける事が、彼にとって今を生きる証なのだから。
最後まで読んで頂き、本当にありがとう御座いました。
もしよろしければご意見、ご感想等を頂けましたら、
今後の作品作りの参考にしていきますので、よろしくお願い致します。




