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♯22 忘れ物には意味がある






 眼下に広がるのは美しいサンゴ礁。太陽に光に照らされ煌めく穏やかな波間を彩るよう、色鮮やかな色彩が青い海を染め上げる。その中に点在する島々には木々が生い茂り、大海に緑色のアクセントを加えていた。


 ミザリー群島。

 南方特有の強い日差しの下、海と風の恵みで育まれた天然自然の美は、まさに絶景と呼んで差支えが無いだろう。この光景に比べれば、人が研磨した宝石の輝きなど、取るに足らない存在なのかもしれない。

 強風に煽られる雲の流れに逆らうよう、蒼天を飛ぶ一機の魔導機兵。

 南国情緒には不釣り合いな黒い装甲を、空と海に映し出し、バッドラックが悠々と快適に空を舞っていた。


 ウイングから放射される青い魔力粒子が尾を引き、青白い飛行機雲を作る。

 つい数時間前まで、生死をかけた決闘を行っていたとは思えない優雅さだ。

 一度は敗れた相手に、見事リベンジを決めた為か、心なしかバッドラックの表情は誇らしげで、機動も何処となく軽やかに感じられた。気の所為や思い込みでは無いのは、握る操縦桿と踏み込むフットペダルのレスポンスの良さから、容易にくみ取る事が出来た。


「ふんふふ~ん♪」


 上機嫌なのは、操縦者であるジョウも同じ。

 珍しく鼻歌まで歌って、リズミカルにバッドラックを動かす。

 久しぶりに何のストレスも無く、自由に空を飛べる事が堪らなく嬉しく、上がるテンションを押さえ切れないのだ。


「邪魔な空賊共や賞金稼ぎもいなけりゃ、眠気を堪えて神経すり減らしながら、夜間の低空飛行をする必要も無い。少し風が強いが、風光明媚な群島を眺めながら気楽に飛べるってのは、もう一種の娯楽だな。金払ったって惜しくない」


 ご機嫌な気分は、舌の滑りすら良くなる。

 ここ数日の苦労を考えれば、無理からぬ事ではあるが、いい歳した大人が年甲斐も無くはしゃぐ姿はちょっとばかり滑稽だ。

 年頃の女子にはそう思えるのか、露骨なため息がシートの後ろから聞こえた。


「ふぅ……恰好悪い」

「あん? 何か言ったか、お嬢」

「格好悪いと言ったの」


 問いかけに誤魔化す事無く復唱すると、背後から突き出すようユーリが顔を覗かせた。

 上機嫌なジョウとは対照的に、その表情は不機嫌の一色。まぁ、普段通りだと言えば、普段通りなのだが。


「面倒事はすっきり片付いたってのに、随分と不景気じゃないか」

「ふん。不景気にもなるわ。雇い主を気に掛けず、能天気に耳障りな鼻歌を奏でられてたら、気分も滅入るというモノよ」

「なんだよ。構って欲しいのか?」

「……死になさい。このッ」


 ジョウの座っている座席に、ユーリが膝蹴りを加えた。

 衝撃で揺れる座席の振動に、ジョウはククッと笑みを零した。

 何時もと同じなようで、何時もと違うユーリの反応。思えば、操縦席内でこうも気軽に言い合いをする事は、今まで無かったかもしれない。恐らくは地面の上に立っている時より、一緒に飛んでいる方が長い時間を過ごした筈なのに、何とも不思議な話だ。


 勿論、揺れの少ない飛行で、乗り物酔いになっていないのも理由の一つだろう。

 けれど、本質はもっと別のところにある。

 勿体ぶった言い回しなど必要ない。単純に会話を重ね、本音を交わし、わかりあって距離が縮まっただけの話だ。

 いい年をして少女向けの恋愛小説を読み耽り、碌に男女交際もしてこなかったキャシーに言わせれば、恋が芽生えたなどとしゃらくさい事を涙目で語り、不条理な理由で泣きながらジョウを責め立てるのだろう。


 全くお門違いも良いところだ。

 心に傷を持つ者同士、少しばかり共感し合っただけ。

 普通の人間関係と違う部分があるとすれば、ただそれだけの相違点だけだ。


 緩やかに、穏やかに。バッドラックはミザリー群島の空を進む。

 この調子ならば、後十分もしない内に目的の場所に到着するだろう。

 方向を示すウインドウに記されたマーカーも、徐々に近づいてくる。連絡は既にキャシーの方から入っているので、辿り着いて早々、面倒事に巻き込まれる事も無いだろう。


「やれやれ、ようやくお仕事完了だ。長かった……いや、短かったのかな?」

「長かったわ。色々な事があった……本当に、色々な事が」

「……直してやった時計、大事にしろよ。それなりに苦労したんだ」

「……うん」


 素直に頷かれた事が予想外で、思わず言葉が続かなくなってしまう。


「ねぇ、ジョウ」

「ん?」

「ジョウはこの仕事が終わったら、どうするのかしら?」

「別にどうもしないさ。報酬を貰ったら、またキャシーから新しい依頼を受ける。整備代も稼がなきゃならないしな、貧乏暇なしさ」

「そっか」


 短く呟いてから、ユーリは言葉を閉ざすよう沈黙した。

 気まずいような、こそばゆいような静寂の中、バッドラックの駆動音だけが操縦席内に木霊する。

 自然と軽口を叩く気になれなくて、ジョウも黙ったまま操縦に集中していた。


 もしかしたら、自分は寂しいと思っているのだろうか?

 そんな考えがふと頭の中を過り、苦笑と共に「そんなわけないだろう」と、誤魔化すように少し強くフットペダルを踏み込んだ。

 正面に構える一際大きな島が、ドンドンと近づいてくる。

 島には小さな空港があり、これから飛び立とうとしているのか、大型の飛行船が駐留しており、その周囲を働きアリのよう忙しなく作業員が動き回っていた。


「見えてきたな」


 問いかけるわけでも無く呟きながら、バッドラックはゆっくりと高度を下げて、着陸態勢へと入っていった。




 ★☆★☆★☆




 事前に連絡が入っていたからか、空港の滑走路にはユーリを出迎える為、数人の大人達が待ち構えていた。

 操縦席のハッチを開くと、湿り気のある熱風がむわっと吹き抜ける。

 潮の香りに混じり、島特有のモノなのだろう。濃い森の香りが鼻孔を擽った。

 ジョウが身を乗り出し下の方へ顔を向けると、出迎えの大人達は後ろに手を回した状態で、此方に向かいペコリと頭を下げて見せた。

 操縦桿を操り、開いた操縦席のすぐ側まで手の平を寄せる。


「乗れ。このまま下ろす」

「……見送りもしてくれないのかしら?」

「悪いが、これ以上の面倒事はゴメンだ」

「あらそ。ふん」


 鼻を鳴らしてそっぽを向いてから、窮屈そうな座席の後ろを抜け出し、操縦席からバッドラックの手の平へと飛び移る。

 振動で落下しないよう注意を払いながらゆっくりと動かし、バッドラックが滑走路の上に膝を突くと、安全に降りられる高さにまで手の平を下ろす。ある程度の高さまで来ると、ユーリは身軽な足取りでぴょんと飛び降り、此方を振り返って見上げた。

 最後まで不機嫌な。けれど、ちょっとだけ寂しげな表情で、操縦席から軽く身を乗り出すジョウを見つめる。


「――ジョウ」

「あいよ」

「短い間だったけど、少しは貴方の事、信頼出来るようになったわ」


 そう言って、風に煽られ乱れる髪を右手で押さえる。


「私も、貴方のように飛べるかしら?」

「さあな。でも、飛んでみるんだろ」


 問いを問いで返すと、ユーリは何も答えず、目を細めて笑った。

 そして軽く手を振ると身を翻し、迎えに出ていた大人達に連れられて、奥に停留してある飛行船に向かって歩いて行ってしまった。

 最後は随分と呆気ないモノだ。

 拍子抜けしたようにジョウは座席に座り直すと、鼻から大きく息を吐き出し脱力した。


「さよならも無しかよ。ったく。だからガキは嫌いだ」


 折角苦労に苦労を重ねて仕事を完遂したと言うのに、いまいちすっきりとした気分になれず、ジョウは頭を掻き毟りながら背もたれに体重を預けた。

 軋む座席の音に、奇妙な異音が混じる。


「……ん?」


 何か硬いモノがぶつかるような音に違和感を覚えて、身体を起こしたジョウは座席の後ろを調べて見る事にした。


「アイツ、忘れ物でもしたんじゃないだろうな」


 覗き込むと、音の主は直ぐに判明した。

 座席の後ろにあるネジの出っ張りに引っ掛けられた懐中時計が、振動に合わせてユラユラと左右に揺れていた。

 これは、ジョウが修理してユーリに渡した懐中時計だ。


「何のつもりなんだかね」


 忘れていったとは考え辛いので、故意に引っ掻け置いて行ったのだろう。

 何か意図があるのだろうか?

 単純にいらなかっただけなら、ちょっとショックだなぁと思いつつ、手を伸ばし懐中時計を取った。


「……おっと」


 蓋を開くと挟んであったのか、小さな紙切れが一枚、ヒラリと膝の上に落ちる。

 拾い上げて確認してみると、片面に小さな文字で走り書きがされていた。

 内容は短く、たったの一文。


『私は飛べるはず』


 紙切れを指で挟むジョウは、眉間に皺を寄せた。


「何のこっちゃ」


 人間は空を飛べるように出来てはいない。

 そんな事は子供だって理解出来ている事実なのだが、比喩表現だとしても、いまいち内容がくみ取れなかった。

 わかり易い場所に置いてあるのだから、伝えたい意図がある筈なのだが。


「言いた事があるなら、口で言ってけってんだ……全く」


 嘆息しながら何の気なしに、反対の手に持っていた懐中時計に視線を落とす。

 目に留まったのは、短針と長針が刺す時刻だ。


「随分と進んでる……ってか、止まってるな。ゼンマイが切れたのか?」


 ゼンマイを巻き直そうと手を伸ばした時、頭の中で閃くモノがあった。

 私は飛べるはず。止まった時計。二つの針が示す時刻。

 何となく、何となくだが、ユーリが何を言いたいのか、見えてきた気がした。

 時計と紙切れを見比べていたジョウは、口の中で小さく舌打ちを鳴らすと、蓋を閉めて懐中時計を上着の内ポケットへと仕舞い込む。


「ったく。最後の最後まで、面倒なお嬢様だよ」


 文句を言いながらも、自然と唇の端に笑みが浮かんでいた。




 ★☆★☆★☆




 出迎えてくれた黒服の男達に連れてこられたのは、宿泊施設やグーデリア重工が所有する社屋では無く、停泊させてあった大型飛行船の内部だった。


「此方で社長がお待ちです、お嬢様」


 そう言って通されたのは、飛行船の中心部近くにはる一室。

 この飛行船はグーデリア重工が所有する船なので、客船とは違い内部は随分とカスタムされている為、社長専用に作られた部屋は、ホテルのスィートルームかと見間違うくらいの豪華さと利便性を持ち合わせていた。

 扉を開く黒服に礼を告げるよう会釈をしてから、ユーリは厳しい表情のまま室内に足を踏み入れた。


 絢爛な家具や装飾が施された高級感溢れる室内は、飛行船の中とは思えない。

 奥には別に扉が二つほどあり、こことは別に浴室と寝室があるのだろう。

 広さはそれほどでも無いが、狭苦しいと感じないのは、左手側が全面ガラス張りになっているからだろう。

 今は広い滑走路の上で忙しなく働いている作業員の姿しか見えないが、飛行船が空へ高くへと昇れば、遮ることなく広がる青空の下、遠く世界の果てまでも見渡せるような絶景が、視界を楽しませてくれるのだろう。


 だと言うのに、ユーリは今、酷く息苦しい気分で部屋の入口に立っていた。

 原因は正面のデスクで、現れたユーリなど気に留める気配一つ見せず、黙々と書類仕事をする男性の姿があるからだ。


「……パパ」


 寂しさと落胆が入り混じる声が、唇から滑り落ちる。

 呟きが耳の届いたのか、僅かに肩を反応させると、父親であるレイモンド・グーデリアはゆっくりと顔を上げ此方に視線を向けた。


 感情の無い、冷たい視線が突き刺さる。

 目不足なのは目元にはクマが浮かび頬もこけ、最後に見た時よりも全体的にやつれた雰囲気があった。

 誘拐された娘が心配で心労を重ねたと言えば、そう見えなく無いだろう。


 だが、そうでは無い事は娘であるユーリが一番知っていた。

 値踏みするように頭からつま先まで視線を巡らせてから、ようやくレイモンドは口を開いてくれた。


「戻ったのか」


 若干の落胆が混じるような。と言ったら、被害妄想が過ぎるだろうか。

 言葉は続かず、奇妙な間が室内を気まずい空気で満たす。

 心配する言葉も気に掛ける言葉も無く、ユーリは表情を殺したまま、深々と頭を下げる。


「この度はご迷惑をおかけしました、お父さん」

「全くだ。世間体がある以上、君を見捨てる事が出来ない上、救出のパフォーマンスもそれなりに大きく行わなければならなかった。会社としては、酷い損害だよ」


 私の所為じゃ無いのに。

 言いかけた否定を、喉の辺りでグッと飲み干す。


「私としては戻ってこれなくとも一向に構わなかったのだがね。実際、そうなるように仕向けた事くらい、愚かな君でも気づいているだろう?」

「……賞金の事ですか」

「そうだ。世間に向ける目程度は、持っているようだね」


 褒められていると取れなくも無い言葉。

 昔の自分だったら、どんな他愛のない言葉にも、無邪気に喜べたモノだが、今となってはユーリの心を動かす事は出来ない。

 向こうが動かす気が無いのだから、当然なのだろう。


「どう転ぶかと思ったが、空撃社の人間は予想以上に有能だったらしい。想定外の危険手当として、随分と報酬を持っていかれたよ」

「そうですか」

「残念だったが、仕方が無い。これも運命と諦めよう。任務完了につき、賞金は取り消されたので君の身の安全は保障される。戻ったら、今まで通りの生活を続けたまえ。私の邪魔にならない範囲でな」

「……はい」


 何処となく不機嫌な父の言葉は、冷たく鋭利にユーリの心を切り刻む。

 まるで水中の中にいるような息苦しさ。今すぐにでもこの場を立ち去り、自分の為に用意された部屋に飛び込んで、ベッドに潜り込み寝てしまいたい。目の前の嫌な現実を否定して、幸せだったあの頃を夢想する為に逃げ出したかった。


 けれど駄目だ。逃げれば、また同じ事の繰り返しだ。

 重苦しい沈黙の中、何時の間にか発進準備が完了したようで、飛行船が大きくガタンと揺れたかと思うと、高鳴る駆動音と共にゆっくり前進し始めた。壁にかけてある時計を確認すると、聞かされた時刻きっかりにこの島を出港するようだ。

 几帳面で時間にうるさいレイモンドらしい、正確なスケジュールだろう。

 空戦機兵とは違い、搭乗者に負担をかけないよう、緩やかな角度で高度を上げて行く。


「……聞きたい事があるのですが」

「なんだ?」


 煩わしそうな視線にもめげず、ユーリは力を込めるよう拳を握り締めた。


「父さんは、何時まで母の事を引き摺るおつもりなんですか?」


 あの日以来初めて、ユーリは父の前で母の話題を口にした。

 聞き流すつもりでいたのか、作業に戻ろうとしていたレイモンドの動きがピタリと止まり、眉間に深い皺が刻まれる。

 目に見えてわかる程の、不機嫌がレイモンドの全身から醸し出されていた。


「なんだと?」


 常に無感情なレイモンドの言葉に、微かだが明確な怒気が宿される。

 普段は気を張り人を寄せ付けない態度を取っても、ユーリの心は硝子のように繊細だ。

 挫けそうになる心根を奥歯を噛み締めながらグッと堪え、睨み付ける父親の視線に真っ向から立ち向かった。


「母があの人と死んでから、もう何年が過ぎたと思っているのですか」

「その話はやめろ。今すぐに」

「裏切られた悲しみはわかります。不義の子である私に、辛く当たる気持ちも理解出来ます。けれど、今の父さんはあまりにも哀れよ」

「今すぐやめろ。いいな、これは命令だ」

「やり場のない怒りを忘れられないまま、他人や自分を傷つけ続ける。滑稽だわ。そんな姿、私や母さんが愛した父さんじゃない!」

「止めろと言っているんだッ!」


 激昂するよう机を殴りつけ、椅子を弾き飛ばしながらレイモンドは立ち上がった。

 やつれ果てて生気の薄い表情から打って変わって、首まで染まるほど顔面を真っ赤にして感情を露わにする。


 まさに怒髪天を突くと言うのだろうか。

 ここまで激怒する父親の姿を、ユーリは初めてみる。

 怒りのあまり血走った眼球をギロッと向けられ、反射的にたじろいでしまう。


「……うっ」

「君はつくづく愚か者だな。他の誰に指摘されようとも、不義の子である者に言われる屈辱を君はわかっているのかッ」

「わかりません」

「……なんだと?」

「父さんの屈辱は、私にはわかりません。けど、父さんの悲しみなら私にも理解出来ます」

「知ったような口を叩くなッ!」


 怒声を張り上げると、飲み終わったコーヒーカップをユーリの足元へと投げつけた。

 直撃こそしなかったが、細かく砕けた破片が足を打つ。

 それでも怒りが収まらないレイモンドは、荒い息遣いで捲し立てる。


「私は妻を愛した! それは認めよう。君の事を愛していた。それも認めよう」

「なら……」

「だが、それが今更どうした! 無意味だ、何もかもッ!」


 伸ばされた手を振り払うよう、怒りと悲しみに満ちた慟哭を絞り出す。


「全身全霊で家族を愛した。私の出来うる限り、考えうる限り。私も完璧な人間では無い。至らないところもあれば、妻や君を悲しませた時もあっただろう。だが、だがそれだとしてもッ。こんな仕打ちを受ける程の罪を、私は犯したとでも言うのかッ!」

「……パパ」

「何故だッ!? 何故、妻は私を裏切った! 何故、彼は私を騙したのだッ!」


 堪えていた数年分の怒りを爆発されるよう、机に置かれた物を全て薙ぎ払い、地面に叩きつけ、何度も何度も癇癪を起した子供のように拳を殴りつけながら、レイモンドは張り裂けんばかりに叫び続けた。


 ユーリには言葉も無かった。

 家族を誰よりも深く愛したレイモンド。だからこそ、裏切られ反転した憎しみの傷は深く癒え難い。もしかしたら、父が娘と頻繁に会わぬようにしていたのは、憎しみの本流を理不尽にまで叩きつけてしまう恐怖があったのかもしれない。


 情けない。哀れ。滑稽だ。

 何も知らない第三者が見れば、レイモンド・グーデリアは妻に捨てられ親友に裏切られ、その怒りを実の娘で晴らす最低の父親だろう。

 言い訳も出来ない。事実、その通りなのだから。

 だが、娘であるユーリはそうは思わなかった。


「……パパ」


 机を叩きながら泣き叫ぶ父の姿を見て、ユーリの頬に一筋の涙が伝う。

 そして察する。

 全ては終わってしまった。

 母も秘書官も帰らぬ今、誰も父の傷を癒す事は出来ない。

 唯一それが出来た筈のユーリは、幼く自分の事で手一杯。ようやく手を差し伸べる勇気を得たのに、あまりにも時間が経ちすぎてしまったのだ。


「ゴメン……パパ」


 涙で掠れる謝罪も、父の耳には届かない。

 ならば、ユーリが出来る事はもう、一つしか無かった。

 あの夜。懐中時計を直すジョウと話をし、空を飛ぶ決意をした時から、心に決めた事がある。

 父との関係が修復出来ぬなら、父と自分を救う方法は一つだけしかない。


 チャンスはあった。空賊のジョナサンが側にいたのは、神の采配だったのだろう。

 自分の背中。セーラー服のスカートに挟んだそれを、右手で抜き机に伏せて嗚咽を漏らす父に向けた。

 リボルバーの拳銃。それも、牛だって打ち殺せるマグナムだ。


「さよなら。パパ」


 泣き笑いをしながらユーリは、躊躇う事無くトリガーを引いた。





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