♯20 嵐の前は静かなくらいがちょうど良い
海から強く流れ込む潮風に吹かれ、相対するのは二機の魔導機兵。
漆黒のバッドラックと、深紅のアイアンメイデンだ。
夏日と呼ぶには柔らかい日差しを浴びながら、砂浜に今回の主役とも言える二機が姿を現すと、空賊達が安全な位置に設営してあった観客席から、人々の歓声と拍手が広い海岸に響いた。
二機共、胸のハッチはオープン状態で、最終チェックを終えた両操縦者が足元に降り立ち、同じよう対峙する姿を見せる。
ジョウとメイベル。
無言、無表情で睨み合う内に、次第に拍手と歓声が引いて行き、自然と波と風の音だけになった。
そこでようやく、固く結ばれていた唇が開かれた。
「待ちに待ったわ。この時、この瞬間を」
最初に言葉を発したのはメイベル。
彼女は大袈裟とも思えるほど、万感の想いを言霊に乗せる。
「慙愧に絶えない結末から数えて五日。輪廻を巡る魂魄が如く、再び我らの魔導が相打つとなれば、心が躍るのも致し方なし。そうは思わないかしら?」
「……あいっかわらず、鬱陶しい物言いをするな。お前は」
興奮もあってより饒舌になるメイベルの語り口調に、ジョウは毒気が抜かれるよう肩を落として自分の頭を掻いた。
リベンジをする心意気は、負けているジョウの方が強い。
なのだが、あの独特の喋り口調を聞くと、どうにも緊張感が殺がれてしまう。
狙ってやっているのならば、大した策士なのだろうが、メイベルの口調は芝居などでは無く天然モノ。本人は至って真面目なのだから始末に負えない。
更に驚くべきなのは、他人からどう見えているのか、自覚した上だという事。
メイベルは両の腰に手を添えて、不敵に笑い薄い胸を逸らす。
「風格というモノは身なりだけでは無く、立ち振る舞いにも表れるモノ。当然、口調もそれに含まれるわ」
「そのもったい付けた喋り方が、アンタに相応しい風格ってヤツなのかい?」
「然り。私の口調は身から溢れたす王者の風格が、言霊として具現化したモノ。愚民の嘲笑など、薫風の心地よさに等しいわ」
「強がりじゃ無いってんなら、大したモンだよ」
ここまで来ると、呆れを通り越して感心してしまう。
王者の風格というモノがどんなモノなのか、ジョウにはいまいち具体的な想像は出来なかったけれど、メイベル・C・マクスウェルが普通の人間が思い浮かべる常識から、遥かに外れた存在である事は十二分に理解出来た。
良い意味でも、悪い意味でも。
そしてメイベルの実力は、誰よりもジョウが知っている。
「……ふっ」
「なんだよ?」
ジッと此方を見つめていたメイベルと視線が合うと、唇を綻ばせて笑う。
一瞬、馬鹿にされたのかと睨むが、彼女は怯む事無く真っ直ぐと見返して来た。
「良い気迫だわ。飄々とした軽薄さを身に纏いながらも、内には静かに燃え上がる蒼炎を宿す……それでこそ、私が認めた宿敵よ」
「随分と大層なモンに任命されたなぁ、オイ」
「不服かしら? 私はいずれ、その名を世界に轟かせる。その第一の宿敵となれることは、栄誉だと思うのだけれど」
「悪いが、皮算用は好きじゃない。それに……」
不敵に笑ってから、視線を横のバッドラックに向ける。
「勝つのは俺達だ」
「……笑止。だが、実に良い」
どっちだよ。と、ジョウは困惑顔を浮かべた。
「勝利に渇望無き輩と競い合う事ほど、虚無感に苛まれるモノは無いわ。結果、互いのどちらかが死の獣に命を食い千切られようとも、私の背に退路は無いの」
伸ばした人差し指で、ジョウの心臓部分に狙いを定める。
「立ち塞がる全てを撃ち貫き、栄誉と栄光を手にするわ」
「んじゃ、俺は。明日の暖かいベッドと美味い朝食の為に、最速で駆け抜けてやるさ」
ジョウは気負わず、ズボンのポケットに両手を突っ込んだまま、不敵に笑う。
呼応するよう、メイベルも笑った。
これは互いの利益と、尊厳を賭けた決闘。語り尽くすべき言葉はもうこれ以上は必要無く、後は刃と銃弾を交わすのみ。
もう一度、強く視線を合わせてから、二人はそれぞれの機体に乗り込んだ。
◆◇◆◇
ハッチが閉じると、潮風と陽光に照らされた南国から隔離され、漆黒の闇に閉ざされる。
操縦桿を両手に握ると、メイベルは静かに息を吐き出した。
「すぅぅぅ……はぁぁぁ」
急かすように鼓動を奏でる心音を落ち着かせるべく、瞳を閉じて浅く呼吸を繰り返す。
表面では無く身体の内部から、日光によるモノとは違う熱が沸々と湧き上がる。
心身を落ち着かせようと頭の中を空っぽにしよとするが、自然と微笑みにより唇の端が吊り上ってしまう。
「いけないわね。無法の喜びが、私の理性を凌駕している」
普段は淑女として優雅な立ち振る舞いを心がけているが、根本的な部分は父の血を引いているからなのか、激情家な空賊の性質を色濃く持つ。
長年の訓練で大分制御出来るようになったのだが、今日ばかりはそれが上手くいかない。
理由は当然、目の前に自分を熱く滾らせてくれる好敵手がいるからだ。
「これが闘争というモノ。読み物や語り部の創作とは違う、身に迫る死の脅威と生の実感が、私の魂魄を強く震わせる……ふふっ。きっと悪漢王と呼ばれたビリーボーイ、我が父も、同じように修羅の愉悦に浸っていたのでしょうね」
偉大過ぎる名を持つ父の名を、久方ぶりに気負う事無く発した。
自由奔放に見える彼女だが、やはり背負う父親の名前は重い。
どんなに豪放な言葉を発しても、どんなに優雅な言葉を紡いでも、メイベル・C・マクスェルという個人が持つ財産はあまりにも少ない。今は閉ざされているので見えないが、観客席では大勢の空賊達が、メイベルに対して声援を送ってくれているだろう。
しかしそれは、彼女が悪漢王ビリーボーイの娘だからだ。
メイベル自身には積み上げた実績も経験も皆無。
ビリーボーイの娘という事実が、彼女の傲慢とも思える言動に説得力を持たせているだけで、中身が伴っていないのは、本人が一番理解している事だ。例え実際には十分な実力を兼ね備えていたとしても、事実は変わらない。
悪漢王の娘。
新米賞金稼ぎであるメイベルが背負うのは、ただそれだけに過ぎない。
「私の腹の奥底には、父の高潔な悪名に抱く嫉妬心がある……それを払拭する為の武器が、シャーリーにより研磨された我が技と、このアイアンメイデンよ。そして、強敵を完膚無きまでに打ち貫いてこそ、メイベル・C・マクスウェルは完成するッ」
決意と共に瞳を開くと、身体を巡る魔力を機体と直結させた。
「ショータイム」
言霊によるロック解除で、アイアンメイデンは起動。
操縦席に、三面のモニターが展開して外の光景を映し出す。
正面に構えるのは漆黒の空戦機兵。
マークⅦ・バッドラックだ。
「……ふふっ」
抑え込んでいた高揚感が、再び胸を熱く焦がす。
緊張と興奮から操縦桿を握る手の平が、早々にじっとりと湿り始め、指先から痺れが上って来ていた。
だが、まだ待てと、メイベルは自身の心に言い聞かせる。
「勝負の瞬間……貴様も心得ているでしょう? 悪運」
巡る魔力に炎を灯し、メイベルは乾く唇にペロリと、真っ赤な舌を這わせ濡らした。
◆◇◆◇
自分の魔力を直結した瞬間、ジョウは思わず苦笑いを零した。
計器の良い、歌い上げるような駆動音に淀みなく巡る魔力ライン。問うまでも無いくらいに、バッドラックは決闘前とは思えぬくらいの機嫌の良さをみせていた。ここまでご機嫌なのは、ここ数年では見た事ないくらいだ。
前のめりになる態勢で、ジョウは正面の計器を軽く撫でた。
「泣いたカラスがもう笑ったってか? お姫様がご機嫌で、俺も嬉しいよ」
バッドラックの機嫌が良い事もそうだが、やはりブリュンヒルデが良い仕事をしてくれたのだろう。
出発前に軽く試運転した時のレスポンスが、以前とは段違いだ。
逆に言えばそれだけ無理をさせ続けたわけで、今更ながら申し訳なかったと思う。
「何時もそれくらい素直だといいんだけどな」
くくっと声を漏らして笑ってから、視線を座席の後ろに向けた。
「で? お前さんはそんなところで、かくれんぼでもしているのか?」
反応を待つように沈黙すると、直ぐに観念したかのよう座席の後ろにある狭い空間で、モゾッと何かが蠢いた。
隠れるよう身を潜ませていたのは、黒いセーラー服の少女ユーリ。
乱れた黒髪を直しながら、彼女はバツが悪そうに不機嫌な表情を作る。
「……流石に、聡いわね」
「ばれないって思ってる方がどうかしてるんだよ……何でここにいる?」
「それは……時間の節約よ」
一瞬だけ考えるように沈黙してから、ユーリは堂々とした口調で答える。
「父さんが出発するのは今日中。予定では午後の筈だから、決闘に勝ったとしても悠長に余韻に浸っている暇は無いわ」
「なるほど。だから前乗りしといて、勝ったらその足でそのまま目的地に向かうって事か」
「その通りよ」
当然でしょと言わんばかりに口調に、ジョウは苦笑いを頬に浮かべた。
「そりゃ結構だが、まずは目の前のデカ物を何とかしなきゃならないんだがね」
ジョウが指さす先、モニターの向こう側には、重装備の騎士を思わせる風体の魔導機兵アイアンメイデンが、決闘の始まりを威風堂々とした佇まいで待ち構えていた。
高まる魔力は、モニター越しにもヒシヒシと感じ取る事が出来る。
しかしユーリは、事も無げに言い放つ。
「勝つでしょう、当然」
「……ま、お仕事ですから」
確信めいた言葉にもう一度苦笑してから、ジョウは操縦桿から手を離すと、ズボンのベルトを外して真後ろに放り投げた。
「機体の何処かにベルトを通して、自分の身体を固定しておけ」
「自分で乗り込んでおいてなんだけど、本当にいいの?」
「折角盛り上がってんのに、ちょっと待ったと水を差せないだろうが。少し揺れるが、我慢して見てろ……お前に、空の飛び方ってヤツを叩き込んでやる」
「……ベルト」
息を大きく飲み飲み込みユーリはちょっとだけ沈黙してから、感情を押し殺したようなぶっきら棒な声を出す。
手で握ったベルトの金具部分が、カチャッと音を鳴らす。
「生温かいんだけど」
「それも我慢してくれ」
胸の前で手の平を擦り合わせてから、ジョウは操縦桿を再び握り締めた。
背後ではユーリが、ベルトで自分の身体を固定するよう、四苦八苦する気配が伝わる。
自分以外の誰かが機体に搭乗しているのを認識するだけで、不思議と普段以上に身が引き締まる想いがあった。
増えた重量の分だけ、命の重みが増しているのだろう。
以前よりずっと鮮明に感じ取れるユーリの気配に、自然とジョウの中で緊張感が高まっていた。
「……どうかしたのかしら?」
「いや、何でも無い」
緊張が伝わってしまったのか、怪訝な声でのユーリの問い掛けを否定すると、ジョウは眼球を奥に引っ張るような感覚で力強く目を閉じた。
普段はあまり使わない目の奥の筋肉が酷使され、鈍い痛みが眼球の周辺に広がる。
勢いよく目を開くと、真っ白い光が広がってからゆっくり視力を取り戻していった。
「よし。それじゃ一つ、ぬるっとやってみるか」
強引に緊張感を解きほぐしてから、自らの言葉で自身を鼓舞する。
年甲斐も無く気合を入れ過ぎたからか、繋がった魔力ラインを通して、バッドラックが笑みを零したような気がした。
茶化すなよ。
内心で呟きつつも、既に感覚は戦闘モードに切り替わっている。
背中のウイングが展開し、何時でもスラスターを噴射できるよう準備は万全。
無法者同士の立ち合いだ。よーいスタートなどという、お上品な合図は無い。互いに覚悟を決め、互いに得物を握り締めた時点で、決闘は始まっている。後はどちらかが敗北を認めるまで、刃を交わし弾薬を叩き込むのみ。
スラリと抜き放つ剣の刃に、燃える太陽が照り返す。
心なしか輝く刃も、今日は何だか頼もしく思えた。
剣を構えた態勢で静止し、出力を一定に保つよう足裏でフットペダルを調整しつつ、アイアンメイデンの出方を伺う。
「……動かない、か」
先ほどと同じ態勢のまま、アイアンメイデンに動きは無い。
得意の銃器も構えておらず、魂魄同調も行っていないので、見た目は無警戒、無防備を晒しているように思えた。
背後から覗き込むユーリからも、怪訝そうな気配が伝わってくる。
「どういうつもりなのかしら?」
「わからないが、自信はあるようだな」
「自信?」
「俺が動いてから、間合いに踏み込むより早く撃ち抜ける自信が、さ」
そんな馬鹿なとはユーリも言えないのは、前回の戦いで実証済みだ。
正面に立つアイアンメイデンの姿があまりに不気味だからか、背後でユーリが唾を嚥下する音が聞こえた。
その間も二機は動かず、強く吹き抜ける海風が機体を僅かに揺らす。
「……どうするの?」
「さぁて、どうしたモンか」
一足早く焦れ始めるユーリに対して、ジョウは気の抜けるような声を出しながらも、警戒心は一切緩めていない。
正直に言って、余裕は一切無い。
ひり付くような気配を察して、ユーリもそれ以上は無駄口は叩かなかった。
一秒、二秒、三秒、四秒、五秒。
体感時間は酷く緩慢で、一秒と一秒の間が数十秒あるような錯覚に陥る。
自然と表情は強張り、手の平が汗で滑る。しかし、安易に拭おうと操縦桿を握る手を緩めた瞬間、取り返しのつかない隙を生んでしまう気がして、ジョウは態勢を崩せないどころか、瞬き一つするのにも緊張を強いられていた。
カウントで言えば一分。
長い長い一分間を経て、黒と赤の機兵はまるで最初から示し合わせていたかのよう、同時に動き出した。




