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♯19 沈黙は優しさなり






 重い重いため息と共に、長く続いた話は終わりを告げた。

 薄暗い室内には再び沈黙が宿り、黙って耳を傾けていたジョウが、工具で懐中時計を修理する音だけが届く。

 ベッドに横たわるユーリは唇を結び、ジッと見つめるような視線が横顔に突き刺さる。


 嘆いているわけでも、自嘲しているわけでも無く、感情が失ったかのような虚ろさだけが、向けられる視線に宿っていた。彼女は全ての事に、諦めていた。毒づき、他人を寄せ付けないながらも、年相応の弱さを持ち合わせる少女。ユーリ・グーデリアという人間の深淵に宿すのは、愛する者達が変わり裏切られ続けた果てに生まれた虚無感なのだろう。


 ユーリは人の愛の深さを誰よりも知っている。

 同時に、愛が永遠では無い事、容易く心変わりをしてしまう事も、身に沁みて覚えてしまった。

 彼女の語って来たモノ全てが、人の本質というわけでは無い。

 しかし、歩んできた道のりが人の人生ならば、そこで付けられた傷の痛みや、体験した苦しみは、他人の言葉だけでは容易く拭いさる事は出来ないだろう。ましてやユーリは、現在進行形で、続く悪夢に苛まれているのだ。


 不器用なジョウには、上手い慰めの言葉は浮かばなかった。

 淡々の語り続けている最中、一切口を挟まず、暇さえあれば咥えている煙草も吸わず、黙々と机に向かい懐中時計を修理し続けている姿は、変に慰められたり同情されたりするより、ユーリにとっては心地よかったのかもしれない。

 喋っている時は苦しげだった息遣いも、今は何処か安らかに思える。


「眠いのか?」


 話が終わって大分立ってから、ジョウはそれだけを問う。


「ええ。長い話だったから、疲れてしまったようね」

「そうか」


 眠気があるからか、ユーリの言葉に息が混じった。

 静かな夜だから、彼女が身を捩ると衣服とシーツが衣擦れの音を奏でる。


「寝るなら部屋に戻れ」


 彼女が訪ねてきた目的は、全て果たした。

 真夜中に子供とはいえ女と二人きりというのは、あまり体裁が良く無い。

 当然、不埒な真似をするつもりなど欠片も無いが、万が一キャシー辺りにでも見つかったら、余計な騒動になるのはわかりきっている。

 そう思って促すが、横たわるユーリは拒否するように身体を縮こませた。


「もう少し、ここにいては駄目かしら?」

「ガキに言われても嬉しくない台詞だな。駄目だ」

「お願い。今はあまり、一人になりたくないの」

「……ッ」


 悲しみを帯びた声に、有無を言わさず否定をようとした口が詰まる。

 こうなるから、深く踏み込みたくは無かったのだ。


「だったら、キャシーがいるだろう。アイツのところに行けよ。酒臭い守銭奴だが、面倒見は悪く無い女だ」

「嫌よ。他人なんて信用できない」

「俺だって他人だろう」

「貴方は、その……これ以上は嫌いようがないから」

「ああ、なるほど」


 納得したように頷いてから苦笑を零すと、ユーリは「ううっ」と恥ずかしがるように呻き、更にベッドの上で小さくなった。

 思春期特有の色っぽい話。なわけは無い。

 過去は辛いモノばかりでは無い。楽しかった日々があるから、今が余計に寂しく感じられるのだろう。

 人恋しいのは、人を愛している証拠だ。


「お嬢」

「なに?」

「自分の事を変えられるのは、自分だけだ」

「……変えられないわ。私は弱い人間だもの」

「強い人間なんかいない。いたとしても、最初っから強かったわけじゃない」

「貴方のように?」

「俺のようになるなってことさ」


 工具を操る手が、僅かに止まる。


「俺が生きる意味は、もう空を飛ぶ事しか無い。ただ、それだけの為に生きているんだ」

「……私も、飛べるかしら」

「飛べるさ。空を飛ぶなんて、大した事は無い。憎い奴をぶん殴るより、簡単さ」

「そう……そう、かもね」


 大きく吐き出す息に混じる、ユーリは微かに笑ったような気がした。

 もしかしたら、気の所為なのかもしれないが。

 それを確かめる事無く会話が途切れると、ユーリの息遣いは次第に安らかな寝息へと変わっていった。

 結局ジョウは一睡もする事無く、そのまま明け方まで時計の修理を続けていた。




 ★☆★☆★☆




 二日後。

 今日はいよいよ、メイベルに突き付けられた決闘の日で、同時にユーリの父親が目的地に留まっている最終日となる。今日中に決着をつけて、彼が逗留するミザリー群島まで辿り着けねば、面倒事を重ねてまで大陸の南方に来た苦労が全て水の泡だ。

 これを逃せば、賞金稼ぎ共の追撃に悩まされる日々に逆戻り。

 バッドラックを中破させてしまった手前、これ以上、経費を嵩ませるわけにはいかない。


 今日一日で、ジョウがやるべき事は二つ。

 メイベルに勝利し空賊共を黙らせてから、最速でミザリー群島へユーリを送り届ける。

 スケジュール的には中々厳しい挑戦が、今まさに始まろうとしていた。

 決戦に備える為、早朝のまだ日が昇り切る前から集まったジョウと、空撃社のスタッフ達は、修復を終えたばかりのバッドラックを、ギルドが所有する輸送用の飛行船に乗せ、シンジュハーバーを出立した。


 バッドラックで直接、約束の場所に赴いても良かったのだが、それに意を唱えたのが見張り役のジョナサンだ。


「駄目ヅラ! そんなこと言って、お前さんが逃げない保証が無いヅラ!」


 と、単独で向かう事に対し、断固拒否の姿勢を取る。

 そんな勝手な主張をされてもと、困ってしまうのはジョウ達の方。

 二人でも狭いバッドラックの操縦席に、ゴリラ並の体格を持つゴリラ……もとい、ジョナサンを詰め込むのは難しい。何より無理に押し込むような真似をすれば、デートを終えて折角ご機嫌を戻したバッドラックの、機嫌をまた損ねる可能性が高い。


 結局、キャシーが「ウチの飛行船出すから、それで行きましょ。高い金払ったんだから、私も見届けたいしね」と、提案を出してくれた。

 経費が嵩んでいるから、これ以上の出費に内心では戦々恐々なのだろう。

 一方でブリュンヒルデとワルキューレ社の面々は、バッドラックの修理と点検を終えた直後に、荷物をまとめてさっさと帰ってしまった。

 ほぼ三日間、不眠不休で働き続けたとは思えない快活さには、ユーリも目を丸くして驚いていた。

 一応は。


「外国産如きに手こずるな。次に下手な壊し方したら、マテリアの素材にしてやるからな」


 と言う、暖かい激励のお言葉を残して、ブリュンヒルデは来た時と同じよう、颯爽と新たに準備した飛行船に乗って帰り路についた。

 彼女らしいと言えば、彼女らしいだろう。

 見送りの時、無言で深々と頭を下げるユーリに、僅かだが微笑みかけた姿はちょっとだけ珍しかったが。


 話を戻そう。

 決闘の場所はミザリー群島の近い場所にある、ジリアン州の海岸。

 到着する頃には既に太陽は登り切り、南方特有の熱気がゆっくりと、空気に熱を宿し流れ始めていた。

 近場に町が無いので、適当な場所に飛行船を停泊させる。

 準備はキャシー達に任せて、一足先に決闘の舞台となる海岸を拝んでみようと、ユーリと監視役のジョナサンを引き連れて目的地にたどり着くと、既にそこは大勢の人間でごった返していた。


「……随分と大盛況だなぁ。これから、何の祭りが始まるんだ?」

「屋台まで出てるし……これ、もしかして全員野次馬?」


 前回と同じパターンじゃないと、呆れたように眉間に皺を寄せる。

 広い砂浜が広がる海岸線に集まったのは、三ケタはいるであろう野次馬の集団。

 何処から噂を聞きつけてきたのか、既にバッチリと設営されているロープで仕切られた観客席に陣取り、屋台で売られている食べ物や飲み物を片手に、決闘が始まるのを今か今かと見守っていた。


 恐らくは近郊の町に住む人間達なのだろう。

 純粋に魔導機兵同士の決闘を楽しみにしている人もいれば、屋台や露店を出して儲けようとする商売人達。果ては始まるまでの座興として、大道芸人達が芸を披露し、吟遊詩人が音楽や歌を奏でている。

 景気よく花火も打ち上げられ、ちょっとしたお祭りの如き光景が繰り広げられていた。

 取り仕切っているのは勿論、前回と同じくメイベルファンクラブ……もとい、空賊団の連中だ。


「なにこの手際の良さ。空賊って、みんなこうなのかしら」

「陽気で自由、楽しい事が大好きなのが空賊ヅラ。それに、何だかった言って集団生活だヅラから、自然と大人数を仕切るのに慣れちまうヅラよ」

「……無法者って、何なのかしら」


 初めてユーリが、本気で困惑している姿が見られたかもしれない。


「ったく。朝っぱらからこんなに集まるなんて……この辺りはどんだけ退屈なんだよ」

「それだけ魔導機兵の決闘は、娯楽性が高いという事じゃないかしら」

「だったら一つ、賭けの胴元にでもなってみるか」

「一回負けてるのだから、賭けが成立しない可能性が高いんじゃないのかしら」

「だったら俺がその分も勝負を受けてやるさ」

「強気ね。若い美空で借金地獄は相当、苦しいと思うのだけれど」

「いざとなったら、キャシーに押し付けて踏み倒すから大丈夫だ。姫様の速さは、お嬢も知ってるだろ?」

「そっちの守銭奴の方が、鬼の形相で追いかけてきそうね」

「違いない」


 互いに顔は向けず、賑やかな海岸を眺めながら、慣れ親しんだ日常会話を楽しむようにテンポよく喋り続ける。

 軽口の応酬に口が挟めず聞いているだけだったジョナサンは、怪訝な顔で首を傾げた。


「……お前ら、何時の間にそんなに仲良くなったヅラか?」

「別に」

「仲良くなんて無いわ」

「……絶対に嘘ヅラ」


 狙い澄ましたようなテンポの良さに、ジョナサンは唇を突き出した。

 会話が途切れたのを見計らったかのよう、強風が吹き抜け舞い上がる砂粒にジョウとジョナサンは目を細め、ユーリは煽られるスカートと髪の毛を押さえた。


「凄い風ね」

「まぁ、海辺だからな……っても、これは強すぎだが」


 見上げると、多めの雲が早く流れていた。

 べた付く潮風は魔導機兵の手入れが大変なので、あまり好きでは無いが、ここを吹き抜ける風は何処か爽やかな清々しさがあった。

 勢いが緩まり柔らかな涼風に変わると、横のユーリも心地よさげな表情へと変化する。


 白い砂浜の先に広がる海は、まさに観光の名称と呼ぶに相応しい光景。照りつける太陽が波飛沫を上げる水面に反射し、キラキラと宝石のような輝きを放つ青い海の向こう側には、島々がうっすらと陰影が浮かんでいた。

あれが、目的の倍所であるミザリー群島だ。


「……美しいわね。本当に」


 普通の海では見られぬ絶景に、暫し時を忘れて見入っていた。


「――美景に酔いしれる事。これ、まさしく人生を杯とした一献の酒である」


 唐突に、何の脈絡も無く少女の声が、砂浜に響き渡った。

 聞き覚えのある独特な語り口調に、ジョナサンの目が少年のような輝きを放つ。


「おおッ!? こここ、このお声はヅラ!?」

「……アイツだな」

「……アイツね」


 テンションを上げるジョナサンとは対照的に、二人は嫌な予感にため息を合わせる。

 声の響き方からして、距離はまだ遠い場所にいるっぽいが。

 無視する事も出来ないだろうから、二人は首を巡らせ目的の人物を探し出そうとするが、同じ場所に目を向けたと同時に、思わず絶句でもするかのよう大きく肩を落とした。


 起伏のある砂浜の彼方から、跳ねるように疾走する四足の姿が。

 四足の正体は白馬で、それに跨り手綱を操るのは眼帯の老執事シャーリーだ。

 朝日に照らされおぼろげなシルエットを脱ぎ捨てた姿に、同じく視線を向けていた野次馬達。特に空賊連中から、溢れんばかりの歓声と拍手が沸き起こりこの場違いな人物の来訪を、諸手を上げて出迎えた。

 白馬に跨る老執事の背に立つ人物こそ、空賊達が敬愛する空と無法の象徴。

 深紅のドレスを身に纏う少女は、走る馬の背で両腕を胸の前に組み、器用に仁王立ちをしてニヤリと頬を吊り上げた。


 メイベル・C・マクスウェル。

 悪漢王ビリーボーイ・マクスウェルの娘にして、賞金稼ぎのウィザードだ。


「またせたわね、皆の衆! さぁ、天に轟く龍の出陣よ!」


 大袈裟な語りに呼応するよう、空賊達が腕を振り上げて雄叫びを上げた。

 砂浜なので踏み鳴らす足音は響かないが、何処か狂気じみた姿に先ほどまで和気藹々と楽しんでいた一般人達も、若干引き攣った表情を見せていた。

 それはジョウの真横にいる人物も同じだ。


「ふおわぁぁぁぁぁぁあああああああ!!! メイベル様ぁ、最高だヅラぁぁぁぁぁぁ!!!」


 両腕を振り乱し、熱狂的な喝采を送るジョナサン。

 今にも胸を叩く、ドラミングでもしそうな勢いだ

 一部と全く噛み合わないテンションを生み出しながら、白馬は真っ直ぐと此方に向かうと直前まで迫ったところでメイベルは馬の背から跳躍した。


「――とおッ!」


 掛け声と共に地面へと着地。

 数歩前に足を進めながら勢いを殺すと、ちょうどよい距離でジョウ達と対面する形になった。

 前のめりになった身体を起こし、そばかすのある顔立ちに笑みを覗かせた。


「……逃げずに来た事は賞賛するわ悪運」

「そりゃ、逃げる理由は無いからな」

「ふっ、実に見事な気迫。ならば、無駄な問答は無用ね」


 満足げに頷いてから、メイベルはチラッと視線をユーリに向けた。

 苦い思い出があるからか、ユーリは僅かに怯むが、それが相手に伝わらないよう表情に力を込める。

 短い沈黙の後、メイベルは鼻を鳴らしてから口を開いた。


「悪く無い目をするようになったわね」

「……ふん」


 不機嫌に眉間を狭めると、メイベルは楽しげに微笑みかけてから、ジョウ達に背を向けた。

 すぐ側にて、馬上で待機するシャーリーに声を飛ばす。


「さぁ、戦の幕開けよ。準備に滞りは無いわね!」

「抜かりなく。で、御座います」


 馬上で一礼しながら、スカートを翻し砂浜を進むメイベルに追従していく。


「さ、最高にクールヅラ、メイベル様……さいっこぉぉぉに、チャァァァミングヅラぁメイベルさまぁぁぁぁぁぁぁ、ゴガッ!?」

「騒々しいわよ大猩々!」


 振り返りざま、何時の間にか拾った石ころをジョナサンの顔面に投げつけてから、メイベルは颯爽と最後の準備の為に戻っていった。

 砂の上で顔面を押さえ悶絶するジョナサンを一瞥して、ユーリは呆れたようにため息。

 軽く前に下げた首に、上から何かをかけられた。


「……えっ?」

「ほれ。約束のモン」


 自分の胸元に視線を向けたユーリは、驚いたように小さく息を飲み込んだ。

 露店で買った、銀製の懐中時計だ。

 顔を上げるユーリに向かい、ふふんと自慢げに笑ってみせる。


「中々に苦労したんだ。大切に扱えよ」

「それって」


 懐中時計を手に取り蓋を開くと、文字盤の上で秒針がゆっくりと正確に円を描いている。

 壊れていた筈の懐中時計は、確かな時の流れを、三本の針で刻んでいた。

 じっと見つめる瞳が、反射するガラス風防の中で揺れる。


「…………」


 キツク唇を真横に結んでから、ユーリは鼻から大きく息を吸い込むとジョウの顔を見上げた。

 瞳の奥に揺れる憂いは、瞬き一つした後に、強い輝きにすり替わる。


「勝ちなさい。負ける事は、私が許さないわ」

「……ま。ぼちぼちやってみるさ」


 言って片目を瞑って見せると、交差する瞳の奥が再び揺れたような気がした。


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