♯16 子供は素直な方が可愛げがある
翌日。
シンジュハーバーの駅前に、ジョウはボンヤリと立っていた。
大陸の南部に位置するだけあって、照りつける太陽からの陽気に、黒いジャケットの下はじんわりと汗ばんでいる。
眠そうに欠伸を噛み殺してから、やる気なさげに空を見上げた。
「……ああ。いい天気だなぁ」
雲一つ無い抜けるような青空は、一足早く夏の気配を漂わせていた。
時刻は、昼食時を少し過ぎた頃。
休日では無いのにも関わらず、大きい街のしかも駅前と言うことだけあって、人の出入り往来は多く、大通りは非常に賑わっていた。
これが大陸中央部だったら、自動車の往来も激しかったのだろうが、ここシンジュハーバーでは馬車は頻繁に見るものの、自動車が走っている姿は殆ど見られない。あるとすれば、街の周辺を定期的に走るバスくらいだろう。
大きな街でも大陸の南部では、まだまだ自家用車の流通は難しいらしい。
陸海空と移動の手段が整っているのも、自動車を必要としない理由の一つとも思えた。
温かな陽気に誘われ、噛み殺しきれなくなった欠伸に、ジョウは大口を開けてから目元に涙を溜める。
「やれやれ。仕事中だっていうのに、こんなのんびりしてていいモンかね」
指で浮かんだ涙を拭いながら、やる気無さげに呟く。
傍目からは仕事をサボっているように思われがちだが、これも立派な仕事の一環。破損しシステムトラブルを起こしたバッドラックを修復する為、ジョウは今からユーリとデートをする待ち合わせの最中なのだ。
「……マジかよ」
改めて置かれている立場を再認識し、ジョウは目頭を押さえた。
自分で思い返してみて、状況が支離滅裂過ぎで笑いも込み上げてこない。
「そもそも、何でわざわざ駅前で待ち合わせなんだよ」
今朝、朝食時にユーリと顔を合わせた際の話だ。
相も変わらず無愛想な表情で朝食を共にしたユーリは、食事終わりに何の前振りも無く場所と時刻をジョウに告げ、唖然とするその他二人を尻目に、とっとと自室に籠ってしまった。
唖然としていたキャシーに、しつこく問い詰められたのは言うまでも無い。
バッドラックのご機嫌を直す為、ユーリとデートをするつもりではいたモノの、どう誘ってよいのか頭を悩ませていたので、この事態は渡りに船と言えるだろう。
まさか、向こうから歩み寄ってくるとは、思っても見なかったが。
飲み過ぎて二日酔いのキャシーに睨まれ、何故かジョナサンに「頑張るヅラ!」と激励されつつ、ジョウはトボトボと指定された待ち合わせ場所に、今から十分ほど前に到着した。
「さて。約束の時間はもうすぐの筈だが……」
時刻を確認する為に、駅舎に備え付けてある時計を見上げると、誰かが近づいてくる気配を感じた。
気配はすぐ側で立ち止まり、至って冷静な言葉をジョウに投げかける。
「あら、早かったのね」
振り向くと、普段と同じ黒いセーラー服を着たユーリが立っていた。
不自然なほど何時もと変わらない表情で、耳元の髪の毛を掻き上げ、クールな視線を此方に向ける。
「待たせてしまったかしら?」
「いや、いま来たところ」
自分で言っておきながら、思わず苦笑が浮かんでしまう。
同じ感想を抱いたのか、ユーリは嫌味っぽい笑みを唇に張り付けた。
「定型的な台詞ね。まさか、貴方がそんな気の利いた言葉を言えるなんて、少しだけ驚いてしまったわ」
「俺としては、わざわざ待ち合わせを設定する、お嬢様の乙女心に驚嘆したがね」
「……ふん」
何時もの調子で軽口を叩くと、ユーリの表情が途端に曇る。
しまったと、ジョウは口元を手で覆った。
「いや、悪い。今日はこの手のやり取りは止めにしておこう。でなけりゃ、アンタを不快にして終わっちまう」
「良く理解出来ているわね……私も、極力発言には気を付けるつもりだわ」
言い淀むよう視線を外し、ユーリは自分の髪の毛を指で弄った。
予想外の対応に、ジョウは内心で驚く。
デートに誘われたのもそうだが、もしかしたら彼女の中で、何かしらの変化があったのかもしれない。
問題があるとすれば、彼女の恰好だ。
「……なにかしら? あまりジロジロと見ないで欲しいのだけれど」
「そう言われてもなぁ」
嫌そうに細められる視線を向けられ、ジョウは困り顔で頬を掻く。
「その恰好、もう少しどうにかならなかったのか?」
「あら、不思議なことを言うのね」
指摘を受けたのにも関わらず、ユーリは不思議そうに小首を傾げながら、黒いセーラー服のスカートをちょんと摘んだ。
膝小僧が露わとなり、ジョウは気まずさから視線を外した。
「学生の付加価値は制服姿にこそあると思うのだけれど」
「ま、一理はある」
「貴方は学生時代、女学生と縁遠いと勝手に推測して、あえてこの恰好を貫いたのだけれど、間違いだったかしら?」
「何処をどう見て、んな推測がなりたったのかは疑問だが、まぁ、概ね間違っちゃいない……間違ってるとしたら」
目を三角にしてギロリと睨み付け、
「俺が制服に劣情を催す人種と勝手に決めつけてるところだ」
「それは残念ね」
「嘘をつけ。お前がそんな殊勝な女か」
ユーリがジョウを喜ばせる為に、着飾ってくれるような健気さが欠片でもあれば、道中はもう少し楽しいモノだっただろう。
デートと言ってもご機嫌取りのようなモノなので、綺麗な洋服を着てオシャレに振る舞う必要性は無いが、ジョウとしては少しばかり残念な結果と言えなくは無い。具体的に言えば、世間体的な意味で。
成人男性が制服姿の未成年と連れ立って歩く姿は、ちょっと問題ありだろう。
「……まぁ、日が暮れる前に帰れば、大きな問題にはならんだろう」
「考えすぎよ。気が小さい男ね」
「世に蔓延る倫理観ってのは、健全な男に優しく無いモノなのさ」
くだらない冗談に、ユーリは意味がわからないとジト目を向ける。
「そもそも、待ち合わせをする必要があったのか? 同じ宿に泊まってるんだから、フロントで待ち合わせりゃよかっただろう」
「細かい男ね、特に理由は無いわ。あえて言うなら、ただの気分よ」
「気分、ねぇ」
何となく腑に落ちないが、それで多少は機嫌が取れるのならば安いモノだろう。
とにかく、ユーリと合流することは出来たので、ここからデートは開始となる。
ズボンのポケットに両手を突っ込んだまま、先導するように歩き始めた。
「んじゃ、行きますか」
「ええ、そうね」
頷いたユーリが、横に並んで足取りを合わせる。
二人は揃って、まずは駅前にある大通りへと足を向けた。
大きな駅がある街の中心部だけあって、平日だというのに大通りは非常に賑わっていた。
温暖な気候のジリアン州は観光名所が多く、年間を通して多くの旅行客が訪れる為、人が途切れることが殆ど無い。特に貿易空港の存在により、大陸各地から様々な物が集まるシンジュハーバーは、隠れた名所の一つとされている。
物が集まる場所に人は集い、更に人を目当てに商人達が集まる。
シンジュハーバーの大通りは、地方都市とは思えぬほど、様々な店舗が立ち並び、それぞれで賑わいを見せていた。
「随分と活気があるのね」
「だな」
物珍しそうに、けれども田舎者と思われるのが嫌なのか、ユーリはチラチラ視線だけを動かして遠慮がちに周囲の様子を伺う。
独り言のような言葉に軽く相槌を打ちながら、ジョウは居心地が悪そうに肩を竦めた。
「やっぱり、目立つよなぁ」
ユーリは周囲への好奇心から気が付いていないが、すれ違う人々の何人かは、時折此方に向けて不思議そうな視線を向けていた。
成人男性と制服姿の女学生。
昼間だから幾分怪しさが薄れるとはいえ、不釣り合いな二人には違いない。
親子には当然見えないし、兄妹と呼ぶには並んで歩く二人の距離感が微妙。仲良さげに会話でも弾ませていれば、少しは賑やかな喧噪に溶け込めていただろう。
制服姿もそうだが、ジョウの身長が高いから、余計に周囲から目立ってしまう。
「気にし過ぎよ。旅行客が多い街だし、変わり者の一人や二人、いちいち気に留めているほど暇では無いわ」
「子供が語るべき言葉とは思えないねぇ。そもそも俺は、世間体の話をしているんだ」
「呼び止められたところで、実際何も無いわけでだし、それこそ気にする必要は無いわ。どうせ旅立てば、金輪際足を踏み入れることなんて無いだろうし」
「……そりゃそうだ」
大陸は広い。金輪際は言い過ぎだが、次にシンジュハーバーを訪れる機会など、そうそうは無いだろう。
納得すれば単純なモノで、途端に周囲からの視線が気にならなくなってくる。
もとい、そう思い込むことにした。
改めて心構えを作り込み、二人は並んで大通りを歩く。
特に急ぐ必要も無いので、通行の邪魔にならない程度ゆっくり、のんびりとした歩みだ。
駅前を正面に真っ直ぐ伸びる大通りは、横幅が広く人の往来が多くてもゆったりと余裕を持って進める。観光客が歩きやすいのを意識しているから、自動車や馬車などの侵入は禁止になっており、休日などは大道芸人や楽師が路上で各々の芸を披露し、賑やかな人だかりを作るそうだ。
残念なことに今日は平日なので、その姿を見る事は叶わなかったが。
逆にのんびりと物見遊山で出歩くには、ちょうど良いだろう。
問題があるとすれば、散歩以外にやることが無いくらいだ。
「……デートするっつっても、俺はこの街のこと何も知らないしなぁ」
「デートって言わないで」
「いや。一応、デートしろって言われてるんだがな」
「それでもデートだなんて気持ちの悪い表現をしないで」
「……今日も絶好調だな」
素っ気ない口調の毒舌に、ジョウは怒りすら感じずむしろ何時も通りと感心してしまう。
いや、怒りを感じなかったのは、普段の口の悪さとは違い、刺々しさが含まれていなかったからだろう。
軽快な言葉の応酬は、キャシーとの会話を思い起こさせる。
会話は少なくとも、以前とは違い不思議と心地よさを感じさせた。
「…………」
「…………」
不自然に開いていた二人の距離も、ちょっとだけ狭まる。
温かな日差しの下、賑やかな街並みを散歩するだけというのも、初めて訪れる土地なら十分に楽しめた。
駅の近くは食事処が多いようで、至る所から食欲をそそる香りが漂ってくる。
見れば外の風景を楽しみつつ、優雅な気分でお茶と軽食を楽しめる、オープンテラスまで設置してあった。
「そういえばお嬢。飯は食ったのか?」
「軽く済ませて来たわ」
「そっか」
本人は否定してもデートである以上、ただ歩いているだけというのは男として体裁が悪い。軽く食事の一つでもすれば、少なくともブリュンヒルデに対する言い訳くらいは立つかと思ったが、早々に当てが外れてしまった。
じゃあどうするかと後頭部を掻く姿に、困っている事を察したのだろう。
申し訳なさそうに、ユーリはチラッと視線を地面に落とした。
「ごめんなさい。その、こういうの、慣れてないから……それに、まだ気分が悪くて」
最後は消え去りそうな声で、ユーリは罪悪感の滲む声で謝罪する。
その殊勝な態度に、面を喰らったような表情をした後、何か企んでいるんじゃないかと思わず身を屈めて覗き込んでしまう。
顔を近づけられたユーリは、ビクッと肩を震わせ、視線から逃げるようそっぽを向く。
「ちょ……気安く近寄らないで」
「いや、すまん……どういった風の吹き回しかなって思ったもんで」
「…………」
素直に思った事を口にすると、一瞬だけ何時もの不機嫌なオーラを滲ませるが、口の悪さまでは発揮されずため息を一つ。
バツが悪そうに、視線を彷徨わせてから、チラリと横目でジョウを見上げた。
「別に、深い理由があるわけじゃないわ……ただ。その、私だって子供では無いの。貴方が、デリカシーが無いなりに、多少は気を使ってくれている事には、気づいているわ」
「ハハッ。そいつはありがたい」
「茶化さないでちょうだい」
軽く苦笑しながらの答えを、拗ねたような声で遮る。
何処か普段と違う雰囲気で、慎重に言葉を選びながら喋るユーリの姿に、ジョウは口を噤みながらも居心地の悪さを誤魔化すよう頬を指で掻く。
どうも苦手が流れだが、断ち切るわけにもいかず黙って耳を傾けた。
「私は貴方を信頼しているかと言うと、まだハッキリ、うんと言える自信は無い。けど、悪い人では無いということくらいは理解出来たわ」
「……ああ」
「貴方と行動を共にして、好きになれないところは一杯あったわ。でも、誘拐されたのを助けだされたこと、喫茶店で襲われた時、守ってくれたこと。他にも色々あるけれど……か、感謝してる、わ……本当よ?」
「…………」
思わぬ言葉に反応に困ってしまい、ジョウは沈黙してしまう。
それが余計に羞恥心を煽ったのか、ユーリの頬が一瞬にして真っ赤に染まると、恥ずかしさを誤魔化すように髪の毛を弄りながら此方を睨み付けてくる。
「な、何か反応くらいしなさいッ……私が、馬鹿みたいじゃないッ」
「ああ、うん。いや、そうだなぁ」
こくこくと頷きながら、ジョウは何と声をかけて良いか言い淀む。
迷った挙句、選んだのは普段通りの、無難な言葉だった。
「別に、礼を言われるような事じゃない。仕事だよ、仕事」
聞きようによっては、突き放すような冷たい言葉に聞こえるだろう。
だが、それでいい。そう受け取られても構わない。
これは想像でしか無いが、ユーリ・グーデリアは、十代の少女が抱えるには大きすぎる苦悩を抱いている。触れる者達を傷つけようとする刺々しい態度や、自らの弱さを吐露する行為を恥とするプライドの高さからも、それらは薄々と伺えた。
他人との関わりを拒絶し孤高を貫こうとしながらも、少女の心は孤独の儚さに耐えきれるほど強靭には作られていなかった。
彼女の作られた孤高は、既に限界に来ているのだろう。
あえて厳しい言い方をすれば、自身の弱さを晒け出す事で、他人から同情を引こうとしている。本人に自覚は無いのかもしれないが、聞かれてもいない不幸を自ら口にする行為は、他人の目を自分に向けたいが故の行動なのだろう。
あるいは、助けを求めているのかもしれない。
しかし、安易に伸ばされた手を取れば、共倒れだ。
ジョウは魔導機兵を上手く扱えても、人の人生を薔薇色に変えるような能力は持ち合わせていない。ユーリ・グーデリアの不幸な生い立ちに同情し、力を貸したとしても出来ることなどたかが知れている。頑張れと励まし、君なら出来ると背中を押して何になる? 無責任な行動で得られる応えは、無慈悲な結果だけだ。
それでもジョウは、無責任な行動を取ってしまう。
わかっているからそこ、深くユーリに立ち入りたくなかった。
突き放されたとわかれば、また怒ったような顔の奥に悲しみを滲ませ、ユーリは再び口と心を閉ざしてしまうだろう。
一応はデートの体裁は整えたのだから、これで十分な筈だ。
バッドラックのご機嫌まで治るかは微妙だが、そこら辺は最悪、腕でカバーするしかない。彼女もジョウやユーリに危険が及ぶような真似をしてまで、不機嫌を貫き通す事は無いだろう……多分。
思った通り、ユーリは見上げた瞳を大きく見開き、動揺するような揺らめきを覗かせた。
けれど、溢れる悔しさを飲み込むよう、彼女はグッと奥歯を噛み締める。
「そう、だとしても……私が感謝をしていることは、変わらないわ。何より貴方は、私の夢を一つだけ、叶えてくれた……」
「……夢?」
問い返すと、ユーリは小さく首を縦に振る。
「空を、飛びたかった。それだけよ」
小さな声で、まるで秘め事を語るかのよう、頬を赤らめて呟く。
空を飛びたい。
棘と毒に彩られたユーリの言葉の中で、初めて素直な感情の色を見た気がする。
「そっか」
「…………」
「いい夢だな」
「……ッ!? ……うん」
視線を下に向けたまま、小さな声でユーリは頷いた。
単純なモノだと、ジョウは自分自身に向けて内心で苦笑する。
空を飛びたい。ユーリが何故、そのような心境に至ったのかは定かでは無いが、気持ち自体はジョウにも理解出来た。何の事は無い。ジョウ自身も空に焦がれているから。だから今も、空戦機兵に乗って空を飛び続けているのだから。
再び二人は黙り込み、晴天の下、街の大通りを進む。
何をするわけでも無く、ただ歩いているだけで、デートと呼ぶには色っぽさや華やかさに欠けるが、家族でも恋人でも友達ですら無い二人の関係なら、これくらいの距離感の方が心地よかった。
並ぶ二人の間は、人一人が入れない程度の間隔が開いている。
体温を感じるような距離では無いが、パーソナルスペースに踏み込んでいても、不快に思わない程度の関係性は築けつつあるのかもしれない。
特に目的地を持たず、駅周辺をぐるりと回っていると、不意に見知らぬ男性に呼び止められた。
「ちょっとお二人さん。時間があるようなら、見ていかないかい?」
「……ん?」
声をかけてきたのは、日焼けした肌を持つ露天商の男性だった。
二人は思わず足を止めて、路上に広げた布の上に商品を並べ座る、にこやかな営業スマイルの男性に視線を向けた。
売られている商品は、銀細工などアクセサリー類だ。
「ほう。この辺りで銀製品ってのは珍しいが、アンタが作った物かい?」
「半分くらいはね。後は旅の途中で買い集めた物さ」
「……へぇ」
商品の前に座り込むユーリは、繊細な細工を見て感心したような声を漏らす。
「二人は恋人同士かい? 特産品じゃないが、旅の記念に一つ……」
「恋人同士じゃないわ」
営業トークを遮るかのよう、ユーリはぴしゃりと否定する。
頬の一つも赤らめれば可愛げがあるのだが、普通に間違いを指摘するような言葉に、露天商はぎこちない笑みで戸惑っていた。
「そ、そうかい? ……だったら、兄妹かな? それとも歳の近い親子とか」
「色々と込み入った事情があるんだ。詮索しないでくれると助かる」
「なるほど。それはそれは、失礼したね」
説明が面倒なのでそう断りを入れると、露天商は納得したように追及を止めてくれた。
このご時世、誰だって大なり小なりの事情を抱えている。旅商売をしているだけあって、その辺りのことは心得ているらしく、余計な詮索も邪推もせず、露天商は商売の方面に話を戻した。
「大陸各地で仕入れた物もあるから、気軽に見ていってよ」
「見てくのは構わんが、俺はあんまり金を持ってないぞ」
「そこはほら。男の甲斐性ってヤツをねぇ……無一文ってわけでも無いだろ?」
「むぅ」
折角足を止めた客を逃してなるものかと、露天商は調子の良い口調で、何とかジョウから財布を引き出そうとする。
見るくらいならと、ジョウも座り込み商品を眺めるが、正直碌な物が並んで無かった。
「細工は凝ってるが、まぁ普通のアクセサリーだな……他も目ぼしい物はこれといって……」
並べられているアクセサリー類は、どれも見た事があるような代物ばかり。
露天商が並べる商品に、目が飛び出るような掘り出し物は期待していなかったが、このラインナップではちょっと食指が動かない。
それなのに露天商は、瞳を爛々と輝かせアレやコレやと商品の説明を勝手に続けている。
そんなに客が来ないのだろうか?
流れで買わされそうなので、適当に言い訳をしてさっさと立ち去るべきだろう。
「おい、お嬢……」
横のユーリに声をかけようと、肩に伸ばした手が途中で止まる。
「…………」
「お嬢?」
真剣な眼差しで商品を見つめる視線を追うと、そこに置いてあったのは古びた、銀製の懐中時計だった。
アンティークと呼ぶ程では無いが、かなり年季が入っているように思える。
「お嬢さん、そいつが気に入ったのかい?」
「気に入ったと言うか、少し気になるだけ……なんだけど」
素直では無い言葉とは裏腹に、じっと見下ろす瞳には熱が籠っている。
ここぞとばかりに露天商が売りつけようと、言葉巧みに攻めてくると思いきや、少し困ったような表情で言い淀んでいた。
気配に気づいたユーリは顔を上げ、眉を潜める。
「もしかして、売り物じゃないとか?」
「いや、その。一応は売り物なんだけどね」
「じゃ、曰く付き、呪い付きの一品か?」
「おいおい、まさか。有名なブランド物じゃないが、これは北部にある時計職人の町で作られた、由緒正しい名品なんだぞ」
茶化す言葉に、露天商は自慢げに説明した。
それを聞いたユーリは「へぇ」と感心したような声と共に、再び視線を懐中時計の方に落とした。
確かに面白いが、それだと露天商が渋る理由がわからない。
「俺らじゃ手が出ないほど高いとか?」
「いや、安いよ。この中じゃ、下から数えた方が早い程度に」
「やっぱり呪いの一品……」
「壊れてるんだよ、その時計」
ジョウの言葉を遮って、露天商が理由を告げる。
視線で露天商に伺いを立ててから、ユーリが手を伸ばし懐中時計を手に取ると、上蓋を開いて中を確認するが、やはり時計の針は止まったままだった。
試しにぜんまいを巻いてみても、ピクリとも動かない。
「……そう。なら、仕方ないわね」
残念そうな表情で、ユーリは懐中時計を戻した。
「そんなに欲しかったのか?」
「懐中時計には前々から興味があったから。でも、絶対に欲しかったわけじゃないし、どうせ今、私はお金を持ってなかったから買えなかったわ」
「…………」
平静を装いながらも、落胆の色を隠せない横顔を見つめ、ジョウは小さく舌打ちを一つ。
戻された直後の懐中時計を手に取ると、驚くユーリをよそにぶっきら棒な口調で、露天商に問い掛けた。
「幾らだ?」
「へっ? ……ああ、いや。売るのは構わないけど、本当にいいのか?」
「壊れてるんなら直せばいいだけだ。なら、高い金払って買うよりお得だろ」
そう言いながら、ズボンのポケットから硬貨を取り出し、懐中時計と引き換えに炉連帳に渡した。
提示された金額にはギリギリ足りていたので、内心でホッと胸を撫で下ろす。
「貴方、時計なんて直せるの?」
「ウィザードだからな。一応、手慰み程度には弄れるさ」
「…………」
懐中時計をポケットにしまい、立ち上がるジョウに何か言いたげな様子で、ユーリはチラチラと視線を送る。
聞きたい事は問うまでも無く理解でき、ジョウは苦笑を漏らした。
「直ったらやるよ。俺に時計は必要ないからな」
「……いいの?」
「ああ。その分は、報酬に上乗せして貰うさ」
そう言ってから、ジョウは再び歩き始めた。
ユーリは無言のまま、喜びを噛み殺すように大きく目を見開くと、小走りでジョウの横に並び足並みを合わせる。
並ぶ二人の距離は、肩が触れ合う程度にまで、縮まっていた。