♯15 手厳しい言葉こそ子供には必要
「もうっ! もうもうもうっ! 何がどうなっているのかさっぱりよもうっ!」
もうもうと牛のように叫びながら、涙目のキャシーは一気に飲み干した酒のグラスをカウンターに叩きつけた。
引き気味のバーテンを赤ら顔の三白眼で睨み付け、空いたグラスを突き付ける。
「おかわりっ!」
「……かしこまりました」
客商売の鏡のような冷静な対応で一礼すると、グラスに琥珀色の酒を注ぐ。
ここはシンジュハーバーにある、酒場のバーカウンター。
時刻は既に夕食時を過ぎて、子供なら寝静まっている頃合い。
賑々しい大衆向けの酒場とは違い、薄暗く高級感の溢れる店内は、大人の時間に相応しい落ち着いた雰囲気に満ちていた。
酒を注ぐ商売女もいなければ、酔って暴れる無法者もいない。
店の隅で静かに奏でられるピアノの音色に耳を傾けながら、紳士淑女が酒と煙草を楽しむ大人の空間。その中にあって、カウンターに座り自棄酒を飲むかのよう荒ぶるキャシーの姿は、ちょっとばかり場に相応しく無かった。
隣に座りグラスを傾けるジョウも、呆れたように長いため息を吐く。
「飲んで騒ぎたいんだったら、違う店にするべきなんじゃないのか? お前さんがエールみたいに高い酒を煽る度、後ろからの冷たい視線が痛いんだが」
「大丈夫です。高いお金を払ってるんだから」
「完全に成金の発想だな。それは」
「成金主義がナンボのモンよ!」
小指を立ててぐびぐびと、浴びるようにキャシーは酒を嚥下する。
大人っぽいセクシーな外見とは裏腹に、完全に酔っ払い親父のような飲み方をする上司に、ジョウは呆れた横目を向けながら、つまみのナッツを口の中に放り込んだ。
軽く炒ったナッツの香ばしい風味は、ジョウの飲む安酒に良く合う。
呆れているのは、ジョウ一人だけではない。
「全く。高い酒はもっと味わって飲む物ヅラ。これだから酒の飲み方を知らん女子はいかんヅラ」
「……何でお前まで一緒にくっ付いてきてんだよ」
ジョウの隣。キャシーが座る場所とは反対の方向に、空賊のジョナサンが腰を下ろしちびちびと舐めるよう酒を飲んでいた。
ポリポリとナッツを咀嚼し睨むと、ジョナサンは当然とばかりに胸を張る。
「オイラはメイベル様との決闘の為に、アンタを見張る役目を自主的に遂行しているヅラ。逃がさないヅラよ」
「そりゃ勤勉なことだが、出来れば明日は遠慮して欲しいね」
「当然だヅラ。オイラは誇り高き空賊。でばがめをするような破廉恥漢じゃないヅラ」
「……そのまま邪魔してくれて結構なのに」
堂々と胸を張るジョナサンに、唇を尖らせたキャシーが一人愚痴る。
自棄になるよう酒を飲み干し、空いたグラスの中にある氷をカランと鳴らした。
「それでどうするヅラか、デート。本当にするヅラ?」
「友達みたいなノリで話しかけてくるなよ……ま、姫様がご機嫌斜めな原因が、あのお嬢様にあるってんなら、ご機嫌取りの真似をする必要もあるだろうさ」
「むむむ。俄かには信じられんヅラ」
厚ぼったい下唇を突出しながら昼間の話を思い出してか、ジョナサンは難しそうな顔をした。
昼間の話とは、ブリュンヒルデが見抜いたバッドラックの不調の原因だ。
「姫様とお嬢が、ねぇ」
実際に聞いたジョウも、半信半疑の表情を浮かべる。
彼女の話よると、バッドラックはユーリに同調していると言うのだ。
同調。人間的な言い方をするなら、同情と言い換えてもいい。
何が原因で、どうしてそうなったのかはわからない。けれど、こと魔導技術に関して、ブリュンヒルデが見立てを間違うなんてことはあり得ない。魔導炉の中心である精霊核に関わることなら尚更だ。
バッドラックを愛娘と呼び、魔導を極め続けるブリュンヒルデのこと。
問題が解決されない限り、バッドラックを引き渡してはくれないだろう。
その為には何としても、ユーリとデートをしなければならない。
「正直、気が進まないな。嫌われてる相手を、仕事の為とはいえ無理やり連れだすのは」
「……それはどうかしら」
赤ら顔に真面目な色を宿し、頬杖を突きながら横目を此方に向けた。
「問答もしてくれないほど、嫌われてるってか? 俺は」
「ああ。確かに夕飯が終わった後、オイラ達に目も向けず宿の部屋に戻っちまったヅラからなぁ……オイ、悪運。オメェ、相当嫌われてるヅラよ」
「うるせぇなぁ。んなこと、俺が一番知ってるよ」
得意げな顔をするジョナサンを睨み付けてから、自分の言葉に空しくなる。
嫌われている自覚はあるが、他人に指摘されると殊更むかつく。
男二人の会話を聞いて、キャシーは大きくため息を吐いた。
「馬鹿男。そんなんだから、甲斐性なしなのよアンタは」
「随分な言い草じゃないか、金髪馬鹿女」
一番言われたくない相手に馬鹿にされ、カチンときたジョウが条件反射のように言いかえすが、何時もだったらすぐさま挑発に乗って食い付いてくるキャシーは、不機嫌そうな顔をしながら何杯目になるのかわかならい酒を、バーテンに注いでもらう。
グッと半分まで一気に飲み下してから、横目でジョウを睨んだ。
怒っている。とは違う、真剣な眼差しに、軽い調子の皮肉が封じられた。
「……なんだよ。言いたい事があるなら、ハッキリと言え」
「…………」
口の中に残ったナッツを酒で胃の中に流し問うが、キャシーは何も答えない。
奇妙な睨み合いの所為か、流れる緩やかなピアノの音色が鮮明に響いていた。
口を挟めずジョナサンが固唾を飲んで見守る中、先に動いたキャシーが無言のまま鞄の中から一枚の茶封筒をジョウの前に投げて寄越した。
カウンターの上に置かれる茶封筒を、怪訝な顔をしながら手に取る。
「これは?」
「ユーリ・グーデリアに関しての調査書」
封を開けようとしたジョウの手が、ピタッと止まった。
触った感触から中に入っているのは書類の束。そこそこ厚みがあることから、随分と詳細に調べたのだろう。
元政府機関の諜報員である彼女なら、小娘一人の経歴を洗うなど造作も無い。
生まれた病院の名前から現在に至るまで。それこそ初恋の相手や、机の引き出しにしまってある恥ずかしいポエムノートまで。本気を出したキャシーに、調べられないことは殆ど無い。
金がかかるので守銭奴のキャシーは、滅多にやらない筈だが。
書類に落としていた視線を、キャシーの方へ向けた。
「俺、お嬢様の経歴を調べてくれって、お願いしたっけ?」
「私の独断よ。予定していた以上に、色々と危険な橋を渡る羽目になっちゃったから。報酬の値上げや危険手当の追加で、グーデリア重工と取引する場合に、少しでも有利になる情報が欲しかったのよ」
「そりゃ、ご苦労のこった……んで? お目当ての情報は見つかったのか?」
「ええ。ユーリお嬢様。彼女、レイモンド社長にとって、かなりの爆弾だったわ」
「血が繋がらないってことだろう」
「……本人から聞いたの?」
知っているとは思わなかったらしく、キャシーは驚いた顔を此方に向ける。
「まぁ、ちょっとな」
言いよどむのを誤魔化すように、ジョウが煙草を咥えマッチで火を点けると、気を利かせてバーテンが目の前に灰皿を置いてくれる。
口から紫煙を吐き出すのを見て、キャシーは話を続けた。
「血が繋がらないだけじゃなくて、ユーリお嬢様はグーデリア重工内でかなり、特殊な立ち位置にいるようね……調べた情報も、決して楽しんで読める物じゃないわ」
「そんなモンを、俺に渡してどうしようってんだ」
「バッドラックの不調の原因が、ユーリ・グーデリア本人なら、解決策は過去にこそあると思うんだけど?」
「…………」
唇を真一文字に結んだまま、茶封筒に視線を落とす。
ブリュンヒルデが語るには、バッドラックはユーリ・グーデリアに『同情』しているそうだ。
純正魔導炉の大元である精霊核は、人の魔力にのみ反応を示す。
魔力とは生命の根底。もしも、人の身体のどこかに魂があるとしたら、魔力はそこから生み出されていると考える魔導学者は多い。魂魄融合の名が示すように、精霊核は人の魂と深く結びつき共鳴することで、より多くの力を発揮する。
ロマンを求めた言い方をするなら、心の繋がりとでも表現するべきだろうか。
似合わない。そう言うようにジョウは唇の端を吊り上げると、茶封筒は開かずキャシーの前に投げ返した。
「……読まないの?」
「人の人生に土足で踏み込むのは趣味じゃない」
「それ。私に対する嫌味に聞こえるのだけれど?」
拗ねるように眉根を狭めるキャシーに、苦笑しながら肩を竦めた。
「男と女じゃ、意地の張り片が違うのさ」
「理解不能ね」
眉間に寄った皺は戻ることなく、キャシーは八つ当たりをするかのよう、残った酒を一気に飲み干した。
★☆★☆★☆
夜は更け、町が静かな寝息に包まれ始める頃。
バッドラックが搬入された格納庫は、この時間でもまだ灯りが点っていた。
と、言っても作業が続いているわけでは無く、修復作業に勤しんでいたワルキューレ社の社員達は既に宿へと戻り、昼間の喧噪とは打って変わって、静けさに満ちた格納庫の中には、二人分の影しか残っていなかった。
黙々と作業をするブリュンヒルデと、その様子を見つめるユーリの二人だ。
破損した装甲を外され、内部を露わにするバッドラックの前で、ブリュンヒルデは椅子に座ると分厚い本のただ黙って呼んでいた。
作業と呼ぶには、些か不可思議な光景に思えるだろう。
これはブリュンヒルデが、バッドラックと対話を行っているのだ。
生命としての魂を宿す純正魔導炉は、通常の魔導機械のように、部品を分解して整備をするようなマネは出来ない。
医者が健康診断でいちいち、患者の腹部を捌いて内臓を目視で確認しないよう、対話による問診を行う。これは極めてそれに近しい行為だが、人と違い言語を用いない精霊核と対話を行うには、特別な魔導書を通す必要性がある。
これは魔導技師の中でも、高い技能を持つ一部の人間しか出来ない行為だ。
本に視線を落としながらブリュンヒルデは時折、微笑ましげに頬を綻ばせる。
「ふっ……全く。お前は何時まで経っても、屈託の無い子供のようだな」
開かれた魔導書の中身は白紙。しかし、ページを捲る度に、文字や図形が浮かび上がり、ブリュンヒルデが指先で一部をなぞると、図形の形や文脈が変化する、
これをかれこれ、三時間近くは繰り返していた。
対話に一区切りがついたのか、顔を上げたブリュンヒルデが、壁に寄りかかるユーリをチラリと見る。
「こんなところを見ていても退屈だろう。部屋に戻ったらどうだ?」
「いいえ、そんなことは無いわ社長。とても、興味深い」
三時間振りに交わした互いの会話に、ブリュンヒルデは軽く息を吐く。
「魔導機兵に興味があるのかね?」
「魔導機兵というか、バッドラックには興味があるわね」
「……その名はあまり儂は好かんのだがな」
ブリュンヒルデは渋い顔をする。
悪運の名はブリュンヒルデにとって不名誉なモノ。自身の未熟さ故につけられた名を、自分のプライドの為に覆し否定するような無様さは持ち合わせて無いが、それでも母親と名乗る彼女は良い気持ちはしない。
表情でそれを察して、ユーリは申し訳無なさげに、眉を八の字に下げる。
「ごめんなさい。気に障ったかしら」
「別に構わん。未だ慣れないというだけだ」
「やっぱり、不名誉な名前だから?」
「数日間、考えに考え抜いた名前を、娘につけてやれなかったのが悔しいからだ」
予想外の答えを受けたユーリは、目をぱちくりさせると、自然と頬に笑みが浮かんでしまう。
彼女は技術者や経営者である前に、魔導機兵の母親なのだろう。
何処か子供っぽく思えるこだわりが、何だかとても微笑ましく感じられた。
「ねぇ、社長」
呼ばれたブリュンヒルデは面倒臭げに息を付き、視線を魔導書に戻した。
「悩み相談があるなら明日、ジョウにでもしたまえ。儂の本分は魔導技術、それ以外に時間を割く契約はしていない」
「軽い雑談くらいなら構わないでしょう? それとも、手元が狂ってしまうかしら」
「安い挑発だな」
ニコリともせずに言い、座ったまま背筋を伸ばした。
「話したいなら勝手に話せ。気が向けば、相槌くらいは打ってやろう」
「どうも」
ユーリも笑ったりせず、視線をブリュンヒルデから外して、バッドラックを見上げた。
「この子は、私を憐れんでいるのかしら?」
「…………」
「魔導機兵に魂があるなんて信じ難いけど、彼女が私を憐れんだり、同情しているとしたらきっと、うじうじと悩む私がよっぽど惨めに見えたんでしょうね」
言った通り反応を示さないブリュンヒルデに構わず、自虐めいた口調で続ける。
感情が薄いからか、自分自信に向ける言葉が余計に辛辣に響く。
「何も出来ないのを誤魔化したくて孤独を気取って、少し時間を共にしただけの相手に縋ろうとして拒絶される……滑稽ね。悲劇以前に、喜劇にもなり得ないわ」
「…………」
「伸ばそうとした手を払われて、やはり孤高を貫こうとして突っ張ってみても、滲む優しさを垣間見ただけで、また無駄に心がざわついてしまう……野良犬みたいにぐるぐると無駄にその場を回る私は、自分でも情けないと思うわ」
落ち込む感情に比例するよう、ユーリの背中が丸まっていく。
バッドラックを見上げていた筈の顔は、気が付けば俯き、零れたオイルの跡で黒ずむ地面をジッと見つめていた。
意味があるわけでは無い。
心情を吐露したら恥ずかしくなり、顔向けが出来ないのだ。
「……私は弱い人間。とても、とても弱い」
「ユーリ・グーデリア」
名前を呼び開いていた魔導書をパタンと閉じると、ブリュンヒルデは椅子ごとユーリの方を振り向いた。
かけていた眼鏡を額に上げ、じっとりとした三白眼が射抜く。
「なるほど。確かに我が娘が心配になるわけだ。同時に、あのお人好しが手を差し伸べないのも頷ける。自分の不幸に酔っているだけの人間に、かけるべき言葉など無いからな」
「どういう、意味かしら?」
辛辣な言葉に、顔を向けたユーリの声が震える。
怒りや悲しみでは無く、確信を突かれた動揺で。
「言葉通りの意味だ。相手に寄りかかる気満々で迫られても、向こうとしては手を取り辛いだろうさ。下手に手を取れば、同じ場所に引き摺りこまれてしまうからな」
「わ、私が不幸自慢していると、そう言いたいの?」
「正確に言えば、自慢しようとする気配を満々に出している。そう言った方が正しいな」
睨み付ける視線など物ともせず、ブリュンヒルデは淡々と分析する。
ユーリは自分の顔が、耳まで熱くなるのを感じた。
昨日、賞金稼ぎのメイベルに言いかまされた時と同じだ。
決定的に違うのは、胸を抉るような言葉がユーリの心を捉え、反論の余地さえないほど自らの行いを自覚させたこと。奥から湧き出る身勝手な怒りは羞恥へと変わり、耐え難いほどの自己嫌悪に襲われ、ユーリはその場に座り込んでしまう。
我が身を振り返り、込み上げる感情を堪えるよう、キツク奥歯を噛み締めた。
「ま、気落ちすることは無い。子供は大概、身勝手なモノだ。君だけが特別モノ知らずというわけじゃない」
慰める風では無く、ただ思った言葉を述べながら、魔導書を読んでいて疲労した眼球を労わるよう、指で目頭を揉み込んだ。
「儂には精霊の声が聞こえても、人の持つ心の機微は理解出来ん。君が何に悩み、何に惑うのか応えが出せるとしたら、それはあの男なのだろう」
「アイツは私のことに興味なんか無いわ。お荷物程度にしか思われてないもの」
何処か拗ねるような態度に、珍しくブリュンヒルデは困り顔を見せた。
「ジョウが大人げ無いのは今更だが、お前も面倒臭い女だな」
「人当たりの悪さは、貴女に言われたくないわね」
「もっともだが、まぁ聞け。これでもエルフである以上、お前ら人間より多少なりとも年月を重ねている。悩んだところで人間同士は分かり合えん。まずは話合え」
「……でも」
再び拒絶されることが怖くて、ユーリは二の足を踏んでしまう。
「その為のお膳立てを、我が娘がしたのだ。茶番も甚だしいが、愛娘の善意を踏みにじるわけにもいかん。逃げ道を塞がれている以上、伸ばされる手を拒むことはせんだろう……なにより、あのお人好しが、女の助けに応えんわけがない」
「…………」
「もう行け。後のことなど儂は知らん。勝手にしろ」
「……わかったわ」
突き放すような言葉に頷くと、ユーリは下を向いたまま、頼りない足取りで格納庫を後にした。
人の気配が無くなり、ブリュンヒルデは態勢を元に戻しながら、疲れたように首を巡らせる。
「全く。何故この儂が、人生相談の真似事などせねばならん」
愚痴りながら魔導書を開くと、すぐさま浮かんだ文字に片眉を反応させる。
愛娘から母親へ、感謝を示す一文だ。
奥歯に物が挟まったような微妙な表情をしながらも、バッドラックを見上げたブリュンヒルデは淡く微笑む。
「誰に似たのやら。お前も大概、お人好しだな」
呟いてから再び眼鏡をかけ直すと、バッドラックとの対話に戻った。
母と娘の他愛の無い会話はこの後、夜が明けて太陽が昇り切るまで続いた。