♯14 職人気質は気難しい
結論を述べるなら、決闘の結果はノーコンテスト、無効となった。
状況的には詰めの一手でトラブルを引き起こしたジョウの敗北なのだが、暫定勝者であるメイベルが納得しないのだから仕方が無いだろう。
賞品であるユーリの所在も、一時棚上げとなってしまった。
尻切れトンボな終わり方をして、野次馬や空賊達の間から文句の一つも出てくるかと思いきや、それが全く無かった。
第二世代同士の真剣勝負を間近で見られて、皆満足そうに喜んでいからだ。
とは言え、一度は約束を決めた決闘。決着は付けねばならない。
再戦は五日後。
制限時間を考えれば、伸ばせるのはこれがギリギリだ。
その間、メイベルが各方面に働きかけてくれて、空賊達の襲撃は押さえてくれるそうなので、街中で襲われる心配が無いのは安心出来るだろう。
問題は大きなダメージを負ったバッドラック。
魂魄融合を使用しての、超絶機動で酷使した事もあり、再戦をするなら破損の修理も必要だが、摩耗した内部部品の交換も必須だ。何より謎のシステムダウンの原因を究明しないことには、安心して空も飛べない。
流石に二度目を許してくれるほど、メイベルも間抜けでは無いだろう。
第二世代型、それも純正魔導炉を使用する機体ともなれば、町工場の職人ではちょっとばかり手が余る。
専用の技術を習得した、錬金工房の技師が必要となる。
与えられた期間の内、最初の丸一日はそれらの手配に費やされた。
★☆★☆★☆
決闘から二日後。
ジョウ達は海沿いにあるジリアン州の都市、シンジュハーバーに来ていた。
メイベルが指定した決闘の場所に近いこともそうだが、貿易港もある大型都市ならば、魔導機兵を修理するのに必要な部品も場所も確保出来る。何よりも人が多く集まる場所故、賞金稼ぎに狙われる心配も少ない。
後は修理を円滑に行える技師を用意するだけ。
鉄道に乗って都市に到着したジョウ達は、そのまま休む間も無く、まだ決闘の疲れが残る身体を引き摺り、飛行船が発着する飛行場を訪れていた。
港に付いた荷物を内陸に空輸する役割が主な為、旅客機などは利用されて無いが、貿易都市だけあって空港は大きく滑走路も広い。大都市のハブ空港には劣るが、広さだけなら大陸南部ではトップクラスだろう。
運搬作業に追われる職員達の間を縫い、ジョウは滑走路の片隅で手配した技師の到着を待っていた。
遮蔽物の何も無い場所に、ポツンと佇む影は三人分。
疲れた表情で煙草を咥えるジョウと、何時も通りに仏頂面を晒すユーリ。
そして何故か付いてきた、空賊のゴリラ……もとい、ジョナサンだ。
沈黙が気まずいのか、ジョナサンは厳つい見た目に反し陽気な声で、率先して喋り出す。
「いや、不幸中の幸いだったヅラなぁ。たまたま、決闘した場所に鉄道が通ってたから、輸送は簡単だったヅラけど、これが何も無い荒野だったら目も当てられなかったヅラぁ」
「……まぁ、そうだなぁ」
煙草を持って気の抜けた返事をすると、ジョウは口からぷかぁと煙を吹かす。
そして、横目で自分の左手側にいるジョナサンを見た。
「んで。何でアンタもくっ付いて来てんの?」
「……今更過ぎるわ」
眉間に皺を寄せながら、ユーリが呆れきった小声で囁く。
問われたジョナサンは暑苦しい顔を向けると、何故か自慢げに鼻を鳴らす。
笑い方が癇に障ったのか、ジョウとユーリは同時に眉をヒクッと反応させた。
「オラがお前らにくっ付いてきた理由は一つヅラ。それは……」
勿体ぶるように言葉を溜めて、ユーリの倍はある大きな顔を近づけてくる。
「近い。顔が近い」
「怖気づいて決闘から逃げ出さないよう、お前を見張る為ヅラ」
「……あの女に命令されたのかしら?」
言い争いで負かされた苦い記憶があるからか、あの女と口に出すユーリの表情は険しい。
しかし、問われたジョナサンは首を左右に振って否定した。
「んにゃ。オラの独断だヅラ」
「ま、あのお嬢さんならそうだろうな。アンタらに任せるくらいなら、自分で見張る」
「だったら貴方は、何の為に監視なんてしているのよ」
よく聞いてくれましたとばかりに、ジョナサンは口角を吊り上げた。
回りくどい所為か、動作にいちいちイラッとさせられる。
「メイベル様はオラ達空賊の象徴! そのメイベル様の為にオラ達が出来ることを最大限に行うのは、当然のことだヅラ」
「あのお嬢さんは、んなこと欠片も望んでないみたいだけどな」
「んなことないヅラ!」
子供のように剥きになって、ジョナサンが食って掛かる。
「メイベル様は全空賊の憧れ、ビリーボーイ様の娘だヅラ。水より濃い血の絆があるヅラから、今は賞金稼ぎをしてたとしても、いずれはオラ達を纏め上げ、政府の連中も震え上がるほどの大空賊団を結成してくれると、オラは信じているヅラ!」
「それで今の内にご機嫌を取って取り入ろうって魂胆か。小さいねぇ、未来の大空賊」
「う、うるさいヅラ!」
図星を突かれたのか、否定するジョナサンの声は動揺に震えていた。
見た目通りに浅はかな考えだと肩を竦めるジョウは、ふとユーリの様子がおかしいことに気が付く。
「……お嬢?」
「…………」
問いかけるも反応は無く、ただ黙って地面を見つめていた。
顔を伏せているので表情は確認出来ないが、身体はほんの少しだけ震えている。
「お嬢」
「――ッ!? ちょ……気安く触らないでッ!」
肩に手を置くと流石に気が付いたようで、身体をビクッと跳ね上がるように驚き、睨み付けながら大袈裟に怒鳴り声を張る。
平手打ちでも飛んできそうな勢いに触れた手を離し、無抵抗を示すよう両手を上げた。
「どうかしたのか?」
「……別に、なんでもないわ」
「そうか」
何でも無いようには見えなかったが、ジョウは深く追求することはしなかった。
髪の毛を手櫛で梳いてから、そっぽを向いて黙り込むユーリ。
全身からは、不機嫌さを示すオーラが漂い始めていた。
「ず、随分と怖い娘ヅラねぇ」
「……ま、年頃の娘なんて、あんなモンだろうさ」
「アンタの物言いが優しく無いからじゃないヅラか? 女子供っつーもんは、もっと綿毛を掴み取るように、紳士的に扱うモンだと思うヅラよ」
「力尽くで誘拐しようとした空賊には、言われたくない台詞だな」
ひそひそと耳打ちをするジョナサンに皮肉を返して、ジョウはやれやれと言った視線を黙り込むユーリに向けた。
ユーリが機嫌を損ねた所為か、その場に妙な雰囲気の沈黙が訪れる。
無駄に踏み込まないジョウ。踏み込ませようとしないユーリの二人の間に、度々訪れる沈黙なのだが、この冷めた空気を初めて体験するジョナサンは落ち着かないのか、気弱な顔でおろおろと視線を彷徨わせた。
静寂に耐え兼ねて、ポンと大きく手を叩く。
「そ、そうヅラぁ! 機体を修理に出したらヅラ、皆で飯でも食いにいかないヅラか? この街には何度か来たことあるヅラから、オラが上手い店を……」
「なんでアンタと顔付き合わせて飯食わにゃならんのだ」
「貴方、敵でしょう」
「……仲が悪いのか良いのか、どっちかにして欲しいヅラぁ」
がっくりとジョナサンは、脱力するよう太い肩を落とした。
会話する気の無い二人の間で、何故か頑張って話を繋げようとジョナサンは努力するも、結局それは徒労に終わる。
暖簾に腕押し。
諦めて息を付くとちょうど、遠くの方からプロペラ音が聞こえてきた。
三人の顔が同時に滑走路の向こう側に向くと、一台の飛行船が入港しようとしていた。
両翼に複数のプロペラを装着した中型の貨物船。
「サンジェルマン552ね。型式は古いけど、中々の名機よ」
機械類には興味を示すユーリが、ここぞとばかりに口を開く。
飛行船は車輪を展開すると、そのまま危なげなく滑走路へ着地。ゆっくりと減速しながら、ちょうどジョウ達の前で停止した。
飛行船を迎え入れた空港の職員達が、手際よく降口にタラップを架設。
待たせることなく入り口が開き、中から一人の女性が現れるとタラップをリズミカルに下り、一直線にジョウ達の方へ向かってきた。
タイトなミニスカートにサングラスを身に着けた、赤いスーツの金髪美女。
ふくよかな胸を揺らしながら歩く姿に、ジョナサンは「おおっ!」と鼻の下を伸ばした。
「げ、激まぶヅラぁ……おい、悪運の。アレ、お前の知り合いだヅラか?」
「まぁな……ってか、なんでアイツが来てんだよ。呼んでないぞ」
「あら。呼んでないとは冷たい言い草ね、ジョウ」
呟いた言葉が聞こえる位置まで来た女性は、そう言いながらサングラスを外す。
泣きホクロがある垂れ目を露わにすると、外したサングラスを胸元に差し込む。
そのセクシーな動作に、ジョナサンは更に色めき立った。
「自分の子飼いがピンチだって聞いたから、殆どの仕事を切り上げて駆けつけてあげたんじゃない。ここは感謝して、キャシー様大好きッ、ってディナーに誘うのが男の甲斐性だと思わない?」
「思わない」
キッパリと言われて金髪の女性、キャシーは不満げに目を細めた。
「大体、デスクワークしか出来ないお前が、現場に来てどうするんだよ」
「失礼ね。これでも中央政府に勤めてた頃は、現場にだって出てたんですから……そりゃ、まぁ現役当時と比べれば、鈍ったところもあるだろうけど」
「お前がいた部署は諜報部だろう。どっちにしても、役に立たないじゃないか」
「むぅぅぅッ。折角助けに来たのにッ。頼まれてた技師や部品、工房や輸送用の手配をしたのは私なのよ? 少しは感謝してくれたっていいじゃない!」
「いや、感謝はするが、お前まで出張ってくる必要は無かったんじゃないかって言いたかっただけで……」
颯爽と登場した割に、急に子供のような態度で拗ね始めるキャシーに、ジョウは困り顔をしてしまう。
それを制したのは、ユーリの寒々とした言葉だった。
「痴話喧嘩の前に、その人のことを紹介して欲しいんだけど」
「「……あ」」
同時に言葉を漏らすと、咳払いを一つして仕切り直す。
キャシーは表情を引き締めると、先ほどまでとは打って変わって、大人びた表情を作りユーリと、ついでにジョナサンに顔を向けた。
「実際に会うのは始めましてかしらね。私はキャシー・シャムロック。ジョウが所属するギルド空撃社のギルドマスターを務める者よ……よろしくお願いするわ」
そう言って握手を求めるよう右手を差し出す。
ユーリは一瞬戸惑うも、チラッと横目でジョウの顔を見てから、軽く差し出された手を握った。
拒否される可能性も考慮したのか、キャシーはホッとした様子を見せる。
そして次にジョナサンの方を見ると。
「それであの……どちら様かしら?」
営業的な笑顔で問いかけると、ズズッと前にでて両手を差し出す。
「初めましてヅラ、キャシーさん。僕は……」
「ああ。そいつと挨拶する必要はないぞ。何せ敵のお仲間だからな」
「えっ? あっ、そうなの……?」
言われて握手に応じようとした手を引っ込めた。
途端、泣きそうな顔でジョナサンが振り返る。
「酷いヅラ! 挨拶させろヅラ!」
「うるせぇな! 警察に突き出して賞金に変えるぞ!」
「……相変わらず騒がしい男だな、君は」
睨み合う二人に力の抜けた、呆れたような声を浴びせたのは、全く違う女性。
いち早く反応したユーリは、「えっ?」と驚いたように眉を吊り上げた。
到着した飛行船から降りてきたのだろう。
裾の長い白衣を身に着け、額に眼鏡を置いた少女が、気だるげな足取りと表情で歩いてくる。
年齢にして十歳くらいだろう。ジョウの腰くらいの背丈しか無く、ユーリ以上に愛想無さげな仏頂面を晒し、右手に持った煙管で煙草をぷかぷかと吹かしていた。
ユーリが驚いたのは、彼女の耳だ。
「長い耳……エルフ?」
「なんだ小娘。エルフの技師が珍しいのか?」
視線に気づき、少女は不機嫌そうな顔を向ける。
慌ててユーリは、首を振って否定した。
「あ、いえ別に……私の住んでるところでは、あまり見なかったですから……って、技師?」
「ふん。知らんのか小娘」
鼻を鳴らしてから、咥えていた煙管を離し、輪っかの煙を吐き出した。
「純正魔導炉の核となる精霊石は、我らエルフで無ければ扱えん。この程度は常識だぞ。魔導重工に関わるモノなら、頭に叩き込んで置け」
「――なッ!?」
「ちょちょちょ、ちょっと! クライアントの娘さんなんだから、そんな言い方は止めてちょうだいな!」
必要以上の叱責を受けて怒りを露わにしたユーリが、反射的に言いかえすより早く、顔を青くしたキャシーが少女の毒舌を諌めた。
しかし、当の本人は反省した様子も無く、憮然とした表情で煙管を咥える。
「知るか。儂は思ったことしか口にせん」
「相変わらず手厳しいな、ブリュンヒルデは」
楽しげにジョウは、ククッと笑いを零してから、ブリュンヒルデと呼ばれたエルフ少女の前に歩み寄った。
足を止めるブリュンヒルデだが、眉間の深い皺はそのまま。
「わざわざご足労頂いて申し訳ないね、社長。南部は苦手だろ、暑いから」
「ふん。来たくは無かったが仕方あるまい。愛娘が怪我をしたと聞けば、急ぎ駆けつけるのが母親の役目……ろくでなしに嫁がせたツケというヤツよ」
「こりゃまた手厳しい。俺なりに、姫様には気を使ってるんだけど」
「抜かせ……娘が選んだ相手に口を挟めぬのが、母親のやるせなさよな」
煙管を離した口から、煙と共にため息が漏れる。
仲が良いのか悪いのか、いまいち判断が付きかねる会話が途切れたのを見計らって、気になる部分があったのかユーリが口を挟む。
「あの。愛娘ってもしかして、マークⅦのこと?」
「そうだ」
「それって、もしかして……」
探るようなユーリの視線に、ブリュンヒルデは怪訝な顔をするが、直ぐに意図を察して「ああ」と頷いた。
「マークⅦは儂が設計し、開発した。その意味での、母と娘だ」
「じゃ、貴女はワルキューレ社の?」
「うむ。社長だ」
「元、な」
「……チッ。いちいち小うるさい男だな貴様は」
睨み付ける視線に、余計な一言を付け加えたジョウは悪びれもせず肩を竦めた。
なるほどと頷きながらも、ユーリは新たな疑問を口にする。
「でも、ワルキューレ社は既に倒産してしまったんじゃ」
「ああ、一般的にはそう思われてるみたいなんだけどね」
苦笑しながら、キャシーが説明を補足した。
「ワルキューレ社は過去の事故で、魔導機兵開発からは撤退してしまったけど、全ての業務を停止してしまったわけじゃないの。小さな錬金工房として細々とだけど、存続しているわ。バッドラックのこともあって、空撃社とは提携関係にあるのだけれど」
「ほうほう。色々あるヅラだなぁ」
「ふん。そんなことはどうでもいい」
興味無さげにブリュンヒルデは一蹴すると、ジョウ達の間をすり抜ける。
「さっさと仕事を始めるぞ。娘のところに案内しろ」
「案内って、今から?」
「当たり前だ」
驚くユーリに当然とばかりに言い切って、ブリュンヒルデが振り返りもせずに、さっさと空港の入り口の方へ歩いて行った。
小さな背中を見つめながら、ユーリはポツリと呟く。
「仕事熱心。って捉えて、いいのかしら?」
「アイツの場合は、仕事も趣味もプライベートも分け隔てないけどな」
「……根っからの技術者なのね」
同意してからジョウの普通に会話をしていることに気が付き、ユーリは誤魔化すように咳払いをしてから不機嫌な顔立ちを作る。
種族、職種問わず、女とは気難しいモノだ。
内心で呟き肩を竦めてから、ジョウは遠ざかるブリュンヒルデの後を追った。
★☆★☆★☆
空港を出て一行が訪れたのは、シンジュハーバーにある魔導工房。
都市部に置かれている工房だけあって、立ち寄った田舎町の工場とは比べものにならないくらいに大きい。
そこの格納庫を一つ貸切った場所に、バッドラックは搬入されている。
独特の鉄と油の匂いと、途切れることなく続く機械音。
慣れない人間にとっては聴覚的にも嗅覚的にも、落ち着かない雰囲気が満載の工房内にあって、一番不釣り合いなはずのお嬢様、ユーリは何処か懐かしげな表情で、既に作業を始めようと技師達が準備を始める熱気を肌に感じていた。
ジャンルは違えど、ユーリもやはり魔導の娘。
工房の雰囲気が水に合うのだろう。
空賊のジョナサンと一緒になって、物珍しそうにキョロキョロしていた。
「ああいうところは、まだ子供のように思えるわね」
「それ、本人に言うなよ。へそを曲げるから」
微笑ましそうな眼差しを向けるキャシーに、そう忠告してからジョウは、真っ先に工房へ足を踏み入れていったブリュンヒルデに視線を向けた。
静かな沈黙を語る背中は声がかけ辛く、ちょっとだけ怖い。
彼女の見上げるすぐ正面に、目的の空戦機兵が置かれていた。
「…………」
トレーラーに乗せられた状態で寝そべる 破損したバッドラック。
特に首回りの装甲がバックリと割れていて、折角の美しい顔立ちが台無しになっていた。
愛娘の惨状をジッと黙って見入っていたブリュンヒルデは、当てつけのように長いため息を吐き出す。
「……随分と派手にやられたもんだな」
たっぷりと間を置いてから、厭味ったらしい言葉と共に後ろを振り返る。
此方を向いた顔は意外にも落ち着いていた。
無表情でわかり辛いが、激怒しているのなら振り向いた直後、デカいスパナの一つも飛んで来ただろう。
「すまない社長。俺の不手際でこんなことになっちまって」
「全くだ」
素直な謝罪の言葉を、ニコリともせず肯定。
しかし、真っ直ぐな視線を向けたまま、言葉を続ける。
「だが、謝罪に必要な無い。魔導機兵は戦うのが役目。損傷の具合を見れば、相手が手練れだということは理解出来るし、主も最善を尽くしたと娘も言っている……ま、今回は小言は勘弁してやろう」
「そりゃ、お優しいこって」
一発や二発、殴られる覚悟をしていたジョウとしては、少しばかり拍子抜けだ。
ブリュンヒルデは気難しい人物で、その感性は一般に人間とは大きくかけ離れた部分が多いが、決して理不尽を口にするエルフでは無い。彼女は彼女なりに筋を通した物の考え方をしている為、今回のような判断になったのだろう。
雷が落ちずに済んで、ジョウはホッと胸を撫で下ろす。
その間に、ブリュンヒルデの部下であるエルフ技師が、彼女に近づいてくる。
バッドラックの破損状況をまとめた紙を、彼女に渡す為。到着してまだ三十分も立ってないのに、行動だけでは無く仕事も早い。
流石は元、天下のワルキューレ社。
「社長」
「うむ」
渡されたメモに素早く視線を走らせてから、ジロッとジョウの方を見る。
睨み付けるかのような目付きに、何か悪いことでもあったのかと怯んでしまう。
「な、なんだよ。何かあったのか?」
「相変わらず、変なところで小器用な男だな。見た目は派手だが、魔導炉や内部回路などの重要な部分には問題が見られない」
「運だよ運。俺が悪運ってヤツに守られてるのは、アンタも知ってるだろ」
「知っているさ。お前がどれだけ、悪運に愛されてるかってね」
呆れるように言ってから、今度は視線をユーリに向けた。
威圧するような眼光に睨まれ、ユーリはビクッと身体を反応させる。
「……なによ?」
「如何にも、ジョウが嫌いそうな娘だな」
「ふん」
失礼な物言いに顔を顰めるも、ユーリは鼻を鳴らしただけで言い返さない。
口の悪さに口の悪さで対抗したところで、勝負にならないのは、彼女と接した数分で理解出来たことだ。
むしろ慌てたのは、彼女の父親をクライアントとするキャシーの方。
「ちょっとヒルデ。お仕事関係の娘なんだから、あんまり失礼な言動は……」
「ジョウ」
窘めるキャシーをサクッと無視して、ブリュンヒルデは煙管を咥える。
「今度はなんだよ」
「マークⅦの修理はメンテも含めて三日で終わる」
「そりゃ早い……いや、アンタにしちゃ遅いかな?」
錬金工房の技師を、普通の職人の感覚で語るのは間違い。
場所と部品と道具が揃ってさえいれば、同じ時間で魔導機兵を一から作れる。それも一切の睡眠、食事休憩なしの強行スケジュールでだ。
それが修理だけで三日とは、ちょっとばかりゆっくりすぎる。
「ついでに分解してオーバーホールもしておく。時期も近いからな……その間」
煙を吐いて離した煙管の先端を、ユーリへ向けた。
「そこの小娘とデートでもしていろ。いや、しろ。これは命令だ」
「……は?」
「……へ?」
「しなければマークⅦの引き渡しはせん。以上だ」
まさか、想像もしていない一言に、ジョウとユーリは唖然とした様子で固まる。
それは近くで聞いていたキャシーも同じく。
全く状況が呑み込めず「ヅラ?」と、頭にハテナを浮かべ説明を求めるよう、視線を彷徨わせるジョナサンに構わず、ブリュンヒルデは平然とした表情で煙管をふかした。
機械音が響く中、絶句することたっぷりと一分。
「え……えええぇぇぇぇぇぇぇぇぇッッッ!?!?!?」
「なんで貴様が一番驚く」
ブリュンヒルデの冷静なツッコミなど掻き消すように、工房に響いた絶叫は瞳に涙を溜めて動揺する、悲鳴のようなキャシーの叫びだった。