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♯10 厄介事は厄介事を引き寄せる






 西から吹き込む強い風が、上空500メートルを飛ぶ空戦機兵を揺らす。

 夜の帳が下りた空は星明りと月に照らされ、遠くには薄らと山影を映しだし、眼下にはまだ人の手が入っていない深い森が広がっている。


 宵闇を切り裂くよう飛翔するのは、空戦機兵のバッドラック。

 背中に装着されたM字型のウイングから、揚力と推進力を生み出す青白い魔力粒子を噴射しており、夜の闇の中でぼんやりとだが鮮やかな色を生み出していた。

 だが、噴射される粒子は通常よりも淡く、それに比例して機体の速度も遅い。


 わざわざ空賊や賞金稼ぎの目を誤魔化す為、危険を冒してまで夜の空を飛んでいるのだ。派手に魔力粒子を撒き散らしていたら、余計に目立って仕方が無いだろう。高度が通常よりずっと低いのも、下手に高さがあると索敵に引っかかる可能性があるからだ。


 ミザリー群島を目指して旅立ち、今日で五日目の夜となる。

 賞金稼ぎや空賊達の襲撃を避ける為、キャシーが割り出したのは、大陸をグルッと西側に迂回するかなり距離があるルート。幾つかの町を経由し治安の良い、安全な航路を選びに選び抜いて、ようやく五日目で群島があるジリアン州に入る事が出来た。


 飛ばせば一日で済む距離を、五日がかり。いや、今日で六日目か。

 低速低空という非常に神経のすり減らす操縦を、視野の利かない夜間に執り行うのだから、ジョウの心的疲労もかなりの負担があるだろう。

 そのおかげもあってか、アレ以降、襲撃は無く安全に飛行出来ている。

 問題があるとすれば、もっと別の事にだ。


「……おっと」


 強風に煽られ操縦桿が取られる。

 直ぐに微調整しようとするが、バッドラックは操縦をむずがるように魔導炉の出力を弱めると、ガクッと大きく機体を揺らし高度を落とす。

 上下の揺れに、ジョウの身体が座席から僅かに浮き上がった。


「ッ、っと……くそッ。まぁだご機嫌斜めなのかよ」


 慌てて機体を安定させたジョウは、困り顔で額を掻いた。

 どうにもここ数日、バッドラックの出力が安定しない。

 ウィザード的な言い方をすれば、お姫様のご機嫌がよろしく無い日が続いている。とでも表現するべきだろう。


 原因は不明。

 補給に寄った工房などで軽く見て貰ったりしてみたが、機械的な異常は部品の摩耗以外に見られなかったそうだ。

 魔導炉も至って正常。景気も数値的には、平常値を示している。

 原因があるとすればきっと、ジョウの何かが気に入らないのだろう。


「やれやれ。お前のご機嫌も斜めなのかよ」


 ガックリと首を落としながら、ジョウは背後を見やる。

 座席の後ろにある小さなスペースで、毛布に包まって眠るユーリの姿があった。


「……ん、んんッ」


 眠い自体はとても浅いらしく、月明かりに覗く顔色は青白く、頻繁に苦悶の表情を浮かべていた。

 ただでさえ狭く、揺れる空戦機兵。寝苦しいのは当然だ。


 更にユーリを苦しめているのは、酷い乗り物酔い。

 長距離を移動する上、低空飛行という安定性にかける飛び方をしている為、ユーリの乗り物酔いは最初の頃より随分と悪化してしまっている。それは昼間にまで尾を引き、気分の悪さから食事も喉を通らず、眠りも浅くなってしまう。

 その所為で体力を消耗するから、余計に酔い易くなるという悪循環。


「……おい。キツイなら、今日はここらで切り上げるぞ」

「へいき、よ。放って置いて」


 目を閉じたまま、苦しげにジョウの言葉を突っぱねる。

 ずっとこの調子だ。

 最初の補給の時に突き放したのが尾を引いているのか、ジョウに対するユーリへの態度はより頑ななモノになっていた。

 酔い止めの薬も効果が薄いようで、流石のジョウも心配になってくる。


「……勝手なモンだな。俺も」


 既に情が湧き始める心境の変化に、背後のユーリに聞こえぬよう自嘲する。

 出会ってから一週間経過するが、二人の間に会話らしい会話は、あの補給の時以降殆ど無かった。

 ユーリは体調不良と不機嫌さでそれどころでは無い上、ジョウも自ら話しかける事は皆無。現状の確認をする為に通信を繋げるキャシーも、流石に呆れた様子で「大人なんだから、もっと歩みよってあげたら?」と心配げに言っていた。


 無茶言うなよと、ジョウは内心で呟く。

 一度手厳しく突き放してしまった手前、今更どの面下げて歩み寄れば良いのか。

 大人だからこそ、歩み寄れない場面もある。


「おい。もう少しで次の町に付く。今度は長めに休憩を取るから、それまで我慢しろ」

「…………」


 声は出さず息遣いだけで、肯定の返答をする。

 声を出すのも億劫。と、言うよりは、ジョウと会話をしたく無いのだろう。

 欠伸混じりにため息を吐き、ジョウは自分の頭を乱暴に掻いた。


「……だからガキは苦手なんだよ」


 言った途端、また機嫌を損ねるよう、バッドラックが変調を見せバランスを大きく崩した。

 ああ、くそっ。

 口に出せば姫様のご機嫌を余計に損ねるので、毒づきたくなる言葉をグッと飲み込み、ジョウは宥めるよう優しく優しく操縦桿を操る。

 人でも兵器でも、女心は何時だって男にとって理解し難いモノだ。


 遠く山の向こう側が白み始めるのを横目で眺めながら、辟易とするようジョウは下顎を突き出した。

 胃がキリキリと痛むのに耐え忍び、それから数時間。

 空の低いところに朝日が顔を出し、山の影が眼下に広がる森の上にかかり始めていた。

 地上を見回してみれば、早々に活動を始めた鳥達が群れをなして飛んでいる。

 頭上には雲一つ無い晴天が広がり、気温はまだ肌寒いくらいだが、真横から主張を続ける太陽の存在が、今日一日の暑さを予感させてくれた。


 明るくなれば視界が開ける。視界が開ければ、見つかる可能性が高くなる。

 体調を崩したユーリに考慮して、最低限の速度を保っていた為か、夜の内に次の町に辿り着く予定がギリギリになってしまった。

 それでも賞金稼ぎ連中に見つかる事無く、無事町の中へ逃げ込む事が出来た。


 規模自体は大きい町では無かったが、鉄道が通っている為、人の出入りが多く賑やかな雰囲気が満ちている。設備も整っているようで、森の中にバッドラックを隠す事無く、専用のガレージに機体を収容すると、二人は休息を取るのに町へと繰り出す。

 乗り物酔いをしているユーリは当然として、連日の飛行によりジョウもまた疲労が蓄積していた。


「眠い。腹減った。煙草吸いたい」


 ふら付いた足取りの二人が、早朝の大通りを歩いて行く。

 顔色が悪く目の下に隈を作っている姿が痛ましいが、それ以上に並んで歩く二人の距離感が微妙で、夜間飛行時の気温より寒々しかった。


 バッドラックのメンテや、キャシーへの報告。ルートの確認などやる事は山のようにあるが、流石に今日は体力の限界だ。今日は少し上等な宿を取って、柔らかいベッドに飛び込み夕方まで爆睡してしまおう。

 十分な睡眠と疲労回復を得るには、ただ眠るだけでは駄目だ。

 油が抜け切った身体に栄養を注入しなければならない。

 つまり、睡眠欲を満たす前に、まずは食欲を満たそう。


 ユーリの方も食欲は無くとも、乗り物酔いの薬を服用するには、腹の中に何かを入れておかねばならない。

 駅舎の方まで来れば、早朝でも開いている店がある。

 適当に選んだのは、小奇麗な外観をしたカフェ風の店舗。

 ジョウの趣味では無いが、ここならば年頃のユーリでも、文句無く食べられる物があるだろう。

 賑わっているらしく、建物の外からも笑い声が漏れ聞こえる。


 この時点で、ジョウは気が付くべきであった。

 しかし、疲れ切って注意力が散漫になっていたジョウ達には、扉の向こうから聞こえる野太い声に何の疑問も抱けなかった。

 扉を押し開くと来客を知らせるベルが鳴り響く。


 瞬間、ユーリは思い切り顔を顰めた。

 瀟洒な外観に比例するよう、店内に立ち込めるのは視界が白むほどの煙と、強いアルコールの匂い。

 粗野な笑い声を響かせていた客達の視線が、一斉にジョウとユーリに注がれた。


「――ッ!?」

「……声を上げるな。堂々としてろ」


 睨まれ怯みかけるユーリの耳元に、ジョウは素早く囁く。

 見れば、店内のほぼ全てのテーブルは、ガラの悪い強面の男達で占められており、年頃の女子が好むカフェの代わりに、酒瓶を傾けていた。


 まるでこの店内だけ、昼夜が逆転したかのような錯覚に襲われる。

 賑々しかった喧噪が治まり、異分子に対して警戒するような視線が向けられた。

 明らかに連中はカタギの人間では無い。


「賞金稼ぎ……いや、空賊か」


 彼らが揃って身に着ける共通の武器、カトラスを見て、ジョウはそう判断する。

恐らくなど言う必要も無く、目当てはユーリなのだろう。

 どうやら運が悪い事に、ジョウ達は空賊達のたまり場に、不用意にも飛び込んでしまったようだ。


 悪運、ここに極まれり。

 気丈な態度を見せながらも、強張った表情で「どうするつもり?」と、問いかけるような上目遣いを此方に向ける。

 能天気な老人空賊とは正反対の荒々しい雰囲気に、怯えるような気配を滲ませていた。

 まかせとけ。そう示すように頷いて、ジョウは店内をグルッと見回した。


「……えっと」


 大きく息を吸い込んでから、ジョウは笑顔で後頭部を掻く。


「失礼。入る店を間違えちまったようで」

「……無理臭すぎるでしょう」

「うるさいっ」


 呆れる横目を見せるユーリの肩を抱き、後ろを向くよう促す。


「それじゃ、ごゆっくり」


 精一杯のスマイルを飛ばし、手を振って出て行こうとするが、開きかけた扉をすぐ側に座っていた男の一人が、手で抑え付け邪魔をする。

 僅かに開きかけた扉は、大きな音と共に閉ざされ、激しく揺れるベルがやかましく響く。

 戸を閉めた男は頬を吊り上げニタリと笑うと、ドスの利いた声で威嚇してくる。


「遠慮すんなよ兄さん。朝飯だろ? ……食ってけよ」


 そう言って扉を押さえた男は、手に持ったナイフをチラつかせた。

 男の言葉を切っ掛けに、店内に剣呑な空気が満ちていく。

 舌なめずりをする肉食獣が如き視線を、一点に向ける先は、横にいるユーリ・グーデリアだ。

 奥へ行けと言うように、男はジョウの肩を拳で小突く。


「……っ」


 怯えるような気配を見せるユーリを、さり気なく背中で庇いつつ、ジョウは嘆息してから男達がわざわざ開けた席、最奥のカウンターの方へ歩みを進めた。

 動き出すと同時に男達は、二人を逃がさぬよう、入り口や窓付近に陣取る。

 完全に包囲されてしまった。


「鉄道が通ってる町は、治安がいいって聞いてるんだけどな。アンタら、ご機嫌な様子だけど暴れて平気なのか?」

「心配には及ばないさ……なぁ?」


 扉を押さえていた男が問いかけたのは、カウンターの向こうにいる初老の男性。

 この店の店主なのだろう。客の男達とは明らかに違う、痩せこけた外見の気の弱そうな老人は、グラスを拭きながら申し訳なさそうな視線を向けた。

 ジョウは舌打ちを鳴らして、カウンター席に座る。


「店の人間もグルかよ」

「悪いね、お客さん。この町にも、色々と事情があるんだよ」

「無法者なんざとつるむ事情なんか、知りたくもないけどな」


 鼻を鳴らして、ジョウはカウンターに頬杖を突いた。

 ザッと数えて、男達の人数は二十人ほど。

 やってやれない数では無いが、この狭い店内でユーリを守りながら戦うのは少々骨が折れる。

 銃などを隠し持ってた場合、流れ弾もちょっと怖い。


「ここは、少しばかり様子を見るか」


 そう呟いて、ジョウは指先でトントンとカウンターを叩く。

 呼ばれた店主は、表情に戸惑いを滲ませる。


「な、なにか?」

「こっちのお嬢様、乗り物酔いが酷いんだ。なにかあるかい?」


 この状況下で、随分と余裕をかました態度と言葉に、店主を含めてその場にいた男達は一瞬、呆気に取られてしまう。

 男は度胸。こういった場面では、ビビった方が負けなのだ。


「……だったら、ジンジャーエールはどうだろうか。炭酸水は胃の調子を良くしてくれるし、生姜は吐き気を押さえてくれる」

「頼む」


 頷くと、店主は少し躊躇いながらも、準備に取り掛かった。

 ユーリは驚いた表情を見せるが、ジョウから向けられる視線に気が付くと、ハッとなって顔を逸らしてしまう。

 チラチラと、物言いたげな視線を何度も投げかける姿から、感謝されてないわけでは無さそうだ。


「……ふっ」


 自然と、ジョウの口から笑みが零れた。

 あまりに堂々とした態度が気に障ったのだろう。

 顔に入れ墨を入れた男がテーブルを乱暴に殴りつけてから立ち上がると、肩をいからせてジョウのすぐ近くにまでやって来た。

 男はジョウの肩を掴むと、椅子を回転させて無理やり後ろを向かせる。

 酔いもある所為か、酷く短気な態度で入れ墨の男はジョウに詰め寄る。


「おい、兄ちゃん……随分と余裕じゃねぇか……ああッ?」

「遠慮するなって言ったのはアンタらの方だろう? それと、顔を近づけるな。酒と口臭が入り混じって臭いんだよ」

「な、なんだとぉぉぉ!?」


 あからさまな挑発に乗せられ、激昂した入れ墨の男は、ジョウの胸倉を両手で掴み上げた。

 そのまま椅子から引き摺り下ろしてやろうと力むが、ジョウの身体はピクリともしない。


「な、なんだコイツ……椅子とくっ付いてるみてぇに、全然動きやがらねぇ」

「おいおい。どうしたってんだ、よッ」

「――ガッ!?」


 持ち上がらないと身体から力を抜いた瞬間を狙い、無防備になった股座にジョウは蹴りを叩き込んだ。

 脛に気持ちの悪い嫌な感触を受けると、目玉が飛び出さん勢いで両目を大きく開いた入れ墨の男は、白目を剥いたかと思うと、股間を押さえるようにしてその場に蹲り、口から泡を吹いて痙攣を繰り返した。

 無残な光景に、その場にいた男達は自分の股間を押さえて青ざめる。


「ふん」

「……へっ」


 同時にジンジャーエールの注がれたグラスをカウンターに置いた形のまま、固まっていた店主の手首を掴み、引き摺り出すようにして床の上へと投げ捨てた。

 突然の事に受け身も取れず、店主は背中から床板に叩きつけられる。


「――げふっ!?」


 男達の注意が店主に向けられている隙に、素早く横のユーリを見た。


「今の内に、そのジンジャーエールを持って、カウンターの内側に行ってろ」

「わ、わかったわ」


 流石にこの場は、素直に頷いて此方に指示に従ってくれたようだ。

 ユーリがカウンターの内側に逃げ込んだのを切っ掛けに、ただでさえ剣呑だった空気に、怒気の混じった熱が帯び始める。

 テーブルを引っくり返し椅子を蹴り飛ばしながら、男達が一斉に立ち上がった。


「――テメェ!?」

「――舐め腐りやがって糞がッ!」


 店が揺れるような怒声と共に、血気盛んな若い空賊二人組が我先にと、椅子に腰を下ろしたままのジョウに殴り掛かってきた。

 顔面を狙って繰り出される拳を、ジョウは涼しげな表情で首を傾けて躱す。


「やれやれ。アンタら無法者連中ってのは、どいつこいつも脅し文句にバリエーションが少ないねぇ」


 言いながら座った状態で、先行してきた男の顎に下から掌底を叩き込む。


「――ガフッ!?」


 顔を跳ね上げ仰け反る男。

 前のめりに倒れそうになる男の身体を、掌底を放った方とは反対の手で肩を軽く抑えると、腹部を狙い思いっきり後方へと蹴り飛ばした。

 脱力した男の身体は軽々と吹き飛び、後ろから殴りかかろうとした男に衝突。


「――なッ!?」


 勢いよく二人は衝突し、弾かれたボールのよう不恰好に床へと倒れ込んだ。

 迂闊に踏み入ったとはいえ、椅子から腰も浮かさず二人をあしらった事に対し、熱を帯び始めていた海賊達の間に明確な動揺が走った。


「な、なんだコイツ……」


 何処からか、畏怖の混じる声も漏れ聞こえる。

 上手い具合に出鼻を挫く事に成功し、ジョウは自身の優位性を印象付けるよう、極めて余裕の態度で大袈裟に足を組み直した。

 大胆不敵なその態度に、海賊達は思わず息を飲む。


「悪いが俺達は先を急いでるんだ。これくらいで手打ちにしとかないか? アンタらだって薬代で余計な出費を増やすのは嫌だろう」

「……うっ」


 実力を見せつけられた事もあり、強気な発言に怯むような声が漏れる。

 しかし、相手は空の無法者である空賊連中。

 この程度の脅しに屈しないとでも言うよう、一際目立つ外見の男がジョウの前に進み出た。


「随分とデカい口を叩くじゃねぇヅラか」


 独特過ぎる喋り口調と共に、男は戦意を示すようポキポキと拳を鳴らした。

 キツイ訛りも特徴的だが、ユーリが目を見張ったのはその個性的な外見だ。


「うわぁ……まんまゴリラ」

「――誰がゴリラヅラかッ!」


 小さな呟きも耳聡く感知して、ゴリラ顔の男は唾を飛ばしながら怒鳴った。

 ユーリはカウンターから覗かせていた顔を、さっと下へと隠す。

 目の前で憤慨する人物を一言で表すなら、ゴリラ面のモヒカン男。

 これに尽きる。


 顔もゴリラなら身体つきもゴリラ。

 成人男性の平均より二回りは大きく、筋肉質な身体で猫背気味。足が短い代わりに丸太のような腕はだらんと長く、下唇が分厚く突き出ている。

 服を着ていなければ、猟師に撃ち殺されてもおかしくないゴリラっぷりだ。


「……なんだよ、ゴリさん。なんか文句でもあるのか?」

「誰がゴリさんヅラかッ! オラにはちゃんと、ジョナサンという立派な名前があるヅラよッ!」

「普通すぎて逆に意外だわ」


 カウンターの上に顔を半分だけ出して、ユーリはジト目を向ける。

 ゴリラ顔のジョナサンは、この場にいる空賊達のリーダー的存在なのだろう。

 鼻息の新井彼が台頭した事により、萎えかけた空賊達の士気は立て直し、再び熱気が盛り返した。

 面倒臭い事になって来たなと、ジョウは内心で舌打ちを鳴らしながら頭を掻く。


「おい、兄ちゃん。随分と腕っぷしが立つようヅラが、このベアハングのジョナサンを相手にしても、透かした面を続けられるヅラか?」

「熊なのかゴリラなのか、どっちかにしろよ」

「――ゴリラじゃねぇって言ってるヅラッ!」


 ゴリラハング。

 もとい、ベアハングのジョナサンは、額に血管を浮き上がらせ叫ぶ。

 本人は気に入らない様子だが、仲間の空賊達もどちらかと言えば、ジョウ達と同じ意見らしく微妙な顔を浮かべていた。

 いまいち締まらない空気に、ジョナサンはワザとらしく咳払いをして雰囲気を立て直す。


「どうやって探しだすかと悩んでいたところヅラが、自分達からネギしょってやってきてくれるヅラとは……飛んで火に入る夏の虫とは、まさにこの事ヅラ」

「そりゃ、どーも」

「……お礼言っている場合じゃないでしょう」


 やる気なさげな態度に、思わずユーリはツッコんでしまう。


「噂によると上等な空戦機兵を持ってるらしいヅラが、陸に降りちまえば関係ねぇズラ。痛い目に逢いたくなけりゃ、その娘っ子をこっちに渡すヅラ」

「……あん?」


 堂々とした態度で手を差し出すジョナサンを、耳を穿りながらジョウは思い切り怪訝そうな顔を向ける。

 穿っていた指に、ふっと息を吹きかけてから。


「馬鹿も休み休み言えよ。今さっき、痛い目にあったのはお前らの方だろう」


 そう言って指差す先には、ジョウに叩きのめされて気絶した男達が、仲間の空賊達に開放されている姿があった。

 ジョナサンはうぐッと、言葉に詰まってしまう。


「大体、アンタら賞金首捕まえる方じゃなくて、賞金稼ぎに捕まえられる方だろう。小娘一人を大勢で追いかけ回して、小銭を漁ろうなんて考え、大空を住処とする空賊にしてはせせこまし過ぎやしないか?」

「ふん。馬鹿を言うなヅラ。オラ達空賊が、賞金目当てでそのな娘っ子を追い駆け回していると思うなだヅラ!」

「……何だって?」


 意外な言葉にジョウは眉を潜め、顔を半分突き出すユーリと視線を合わせる。


「アンタら、一体何が目的なんだ。まさか、コイツを人質にグーデリア重工から身代金をせしめようって腹じゃないだろうな?」

「ふひひ……そのまさかヅラよ」


 ゴリラ顔を不細工に歪め、ジョナサンは含み笑いを漏らした。

 何て短絡的なと、呆れるジョウ達をよそに、ジョナサンは興奮気味に鼻の鼻を大きく広げた。


「ギルドや賞金稼ぎ連中の台頭で、すっかりオラ達空賊の立場というモノが、危うくなってるところヅラ。ここらで一つ、ガツンとデカい事件を起こして、空の支配者はオラ達だと言う事を示さねばと最近、空賊専門誌、空賊ジャーナルの投稿欄にはその手の投稿で一杯なんだヅラ」

「すげぇな。ローカル誌にも程があるだろう」


 変な部分で感心していると、ジョナサンはビシッと、フランクフルトのように太い指を此方に突き付けてきた。


「言う通りにする気が無いヅラなら、こっちも空賊らしい対応をするのみヅラ……オメェをボコボコにして、娘っ子をぶんどるのみ……ついでにオメェの乗ってる空戦機兵も、ジャンクにして売り飛ばしてやるヅラ……おい」


 首を巡らせジョセフが合図を送ると、空賊達は気合を入れる掛け声と共に、一斉に腰のカトラスを抜き放った。

 鈍く光る湾曲した片刃の剣に、背後のユーリが怯えるような気配を浮かべる。

 流石に誤射を警戒してか、銃器を持ち出す様子は無いが、二十人近くを一人で相手するのはちょっとばかり骨が折れる。

 平然さを装ってはいるが、状況が悪いのはユーリのも理解出来ていた。


「……ねぇ」


 不意に強張った声で、背後からユーリが話しかけてくる。


「別に、無理する必要は無いわ……私がアイツらのところに行って、この場が丸く治まるなら」

「馬鹿な事を言ってるなよ」


 心底呆れたような表情で、ジョウは頭を掻き毟る。


「仕事を途中で放り出したら、俺がキャシーにどやされる……ギルドの仕事ってのは、何よりも信用と実績が重要視されるんだ」


 少し驚いた顔をしてから、ユーリは責めるような棘のある瞳を向ける。


「……私の事なんて、面倒な荷物としか思ってない癖に」

「ああ、面倒だね。けど、大人ってのは自分の仕事に責任を持たなきゃならんのさ」


 言いながらジョウは、椅子から立ち上がる。

 ジョウが動いた事に、空賊達はどよめくが、構わずカウンターの向こう側にいるユーリに軽く視線を送った。


「お嬢は俺が父親のところに送り届ける。それが、大人としての責任だ」

「……ッ。格好つけて……」


 呟く言葉に軽く微笑んで、ジョウは真正面のジョナサンの方へ向き直った。


「やるつもりヅラかぁ? ふん。生意気な」


 鼻を鳴らすジョナサンも、腰のカトラスを抜き放つ。

 ジョウは首を左右に倒し首回りを解してから、その場でステップを踏むように数回ジャンプを繰り返す。


「こっちは徹夜明けで気が立ってるんだ……骨の一ダースは覚悟出来てるんだろうな?」


 殺気を込めて睨み付ける。

 空気が凍てつくような迫力ある眼光に、数で完全に優位に立っている筈のジョナサン達は気圧されるよう息を飲み込んだ。

 賢明な野生の獣ならば、この時点で格が違うと理解出来ていただろう。


 しかし、プライドに生きる空賊達は、怯む心を無理やり奮い立たせて、自らの象徴たるカトラスを振り翳した。


「構う事はねぇヅラ! 切り刻んでやれ!」


 膨らむ殺気に、ジョウは腰の後ろのホルスターに納められた、リボルバーの拳銃に手を伸ばす。


「射撃は苦手だが、この人数なら一人くらいは当たるだろう」


 空賊達は気合の入った叫び声と共に、カトラスを振り乱しジョウへと迫りくる。

 カウンターの向こう側から顔だけを出し、背中を見守るユーリは思わず叫びそうになって口を開くが、何て言って良いのかわからず辛そうな表情で唇を噛み締めた。


 多人数が床板を踏み締める振動が、木造建ての店を大きく震わせる。

 親指で撃鉄を上げながら、ジョウが拳銃を抜いたその瞬間、騒動に割って入るかのよう勢いよく店の扉が弾け飛んだ。


「――なんだッ!?」


 空賊の誰かが叫んだ声は、ガラスが砕ける破壊音に掻き消された。

 留め金が外れ飛んで行った扉は、空賊達の頭上をすり抜け窓ガラスを叩き割った音だ。


 湧き上がりかけた熱気は、氷水でもぶっかけられたかのよう一瞬にして静寂が広がり、ジョウや空賊達の視線は扉が無くなった出入り口に注がれた。

 そこに佇んでいたのは、赤いドレスに身を包んだ少女が一人。

 彼女は顔を上げ、驚きに制止する皆を見回すと不敵に鼻を鳴らした。


「謝肉祭には間に合ったようね。真に勝手ながらこの場、この時間は今よりこの私、メイベル・C・マクスウェルが仕切らせていただくわ!」





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