陽だまり
「ウチも、陽だまりの神様になれるんかなぁ?」
そいつは少し照れながら、どこか寂しそうにそう言った。
俺は、何を言ったらいいのかわからなかった。
-陽だまり-
はじめてあいつと会ったのは、俺が学校の授業をサボり近くの病院の裏庭で昼寝をしている時だった。
病院にはフェンスを乗り越え侵入している。
この裏庭は人が来ない上に、地面は芝生で日がポカポカと当たる昼寝には最高の場所だ。
俺はいつも通りすっからかんでくたびれた鞄を枕にし、日を浴びながら昼寝を満喫していた。
「あんたどっから入ってきたん、サボりか?」
丁度うとうとしてきた時、すぐ横の病院から女の声が聞こえてきた。
俺は心地よい眠気を阻害されあからさまに不機嫌な表情で横を見ると、声質より幼い外見の少女が窓からこっちを見ていた。
「あんだよ、人がせっかく気持ちよく昼寝してんのに邪魔すんじゃねーよ、ブス」
「あんた自分の顔鏡で見たことあんの? ウチに引け取らんくらいにブッサイクやで?」
その言葉にカチンときた俺は、そのまま体を起こして制服についた芝生を掃いながら病室の窓口に近づいた。
近くで見ると少女はより小柄で、色白な肌に猫のような大きな目が印象的な可愛らしい容姿をしていた。
「……やっぱブス」
「こんなとこで学校サボって昼寝って、暇なん? ちょっとウチとお茶しようや」
「あ?」
少女は俺の悪態を無視してそう言いながら窓に寄りかかる俺を見つめた。俺は何も言えなくなり、はぁとため息をついた。
「なぁなぁ、学校って何人学生がおるん? 文化祭とか体育祭って楽しいん?」
あ、こいつ学校行ったことないのか。
あまりにも純粋な少女の瞳をみて不意にそう感じた。普段の俺だったらこんな面識のない女に構うことなんかしないだろう。
ただ今日はなんとなく、本当に気まぐれでちょっと話に付き合ってやってもいいかなって思った。
「お前、病気なの?」
「そうじゃなかったらこんなとこ居ないわ。 ってかウチの質問無視すんなや」
さっき俺の言葉も無視しただろと、心の中で呟いた。
「まぁええわ、ウチ最近入院することんなったんやけどな、まぁ何も無いから暇で暇でしゃーないねん」
少女は間髪入れずにそう言ってため息をついていた。俺に質問しておいて結局こいつがしゃべっている。
それでも自分が喋るのもめんどくさいので黙って話を聞いていた。
「ウチ、小っさい頃からすぐ病気になってん。 せやから学校とかあんま行ったことないんよ。」
なぁ、聞いとる?と尋ねながら、大きな瞳を俺に向ける。
話している様子を見ている限り、目の前の少女が病気などとは信じられなかった。
そのあともその少女はペラペラと色んなことを話していた。
昨日みたテレビの話、
難しい薬の名前まで憶えてしまった話、
お医者さんと看護師さんの話、
よく飽きないなという位にずっと、楽しそうに話をしていた。
「なぁ、また明日も来てくれる?」
最後に少女は少し寂しそうにそう尋ねた。
首を縦に振ると少女はとても嬉しそうに、お日様のような満面の笑顔を浮かべていた。
それからなんとなく少女の病室に足を運んでいるうちに、それが日課となってしまった。
初めは少女がべらべらと話しているのを聞いていただけなのだが、ネタが無くなってきたのか話の内容は質問形式へと変わっていった。
そして、なにもやることがない病院生活で唯一楽しいのが趣味の読書なのだと、少女は言った。
「読書か、暗い趣味だなおい」
「なんやって? あんたね、本をバカにしたらあかんよ」
キッと少女は俺を睨んで頬を膨らませた。
「本はな、ウチを遠くまで連れてってくれるん。 ウチはこうして病院から出られへんけど、本を読めば外で駆けまわれるし、海外にだって、宇宙にだって行ける」
少女は瞳を輝かせ、けれどどこか寂しそうな表情でそう言った。そんな少女に俺はなんて言葉をかけたらいいのかわからなかった。
それでも、そんな寂しげな表情を見ているのが嫌だった俺は、とっさに少女を呼んだ。
「話、してやろうか?」
「は?」
「俺が昔、母さんに聞いた話」
思いがけない俺の言葉に、少女はきょとんとした顔をしてから、すぐにお日様のような笑顔を浮かべた。
正直な話、母から聞いた話とかそんなの嘘だった。
ただ、今この場で作り上げた即興のお話。そんなもので目の前の少女が笑ってくれるならそれでいいと思った。
この世界には、陽だまりの神様がいます。
神様はいつも暖かい光ですべての生き物に安らぎを与えています。
ぽかぽかと暖かい日の光は、傷ついた身体と心に|沁<し>みわたり、たちまち癒してしまうのです。
陽だまりの神様は、多くの暖かい命で出来ています。
みんなの笑顔が、暖かい日の光となってこの世界に降り注ぐのです。
生命そのものが、陽だまりの神様なのです。
俺はそれだけ言って、ちらっと少女を見た。少女は真剣な面立ちでその話に聞き入っていた。
「続きはまた明日な」
「えー! そこまで言うといて続きはまた明日とかないわー!」
少女は真っ白な頬を膨らませてムスッとしていた。
俺も話はしてやりたいが、なにしろ即興で作った話だ。続きが思いつかない。
ムスッとした少女の顔を見て、自然と頬が緩む。そして、そのまま頭をわしわしと撫でてやると、少女は少し表情を緩めてにっと笑った。
それから、物語の続きを考えるのが俺の日課に加わった。
俺は毎日少女の病室に足を運んだ。少女の笑顔を見るのがいつの日か待ち遠しくなっていた。
学校の先生を撒くのは大変だったが、それでも物語の続きを頭の隅に少女に会いに行った。
「……あんたが来てくれるようになってからな、ウチ、毎日明日が楽しみなんよ。 前は病院の日々が苦痛でしかなかったのになぁ。」
ある日、少女はそんな言葉を漏らした。少女にしては珍しく弱気な言葉で、お日様のような笑顔も弱弱しくなっていた。
「ありがとな、あんた、ウチの陽だまりの神様なんかもしれんな?」
窓から入った風が少女の黒髪を撫でる。真っ白な肌に、そよそよと揺れる黒い髪がなんだか寂しく俺の瞳に映った。
「陽だまりの神様、はな。 頑張ってる人の笑顔の塊なんだ。 俺は頑張ってないから神様なんかにはなれないけど、お前は違う。 大きな、病気と頑張って闘ってるだろ?」
俺は無理矢理物語に設定を追加した。後で忘れないようにメモをしなくては。
少女はその言葉を聞き、少し照れくさそうに微笑んだ。
「ウチも、陽だまりの神様になれるんかなぁ?」
そいつは少し照れながら、どこか寂しそうにそう言った。
俺は、何を言ったらいいのかわからなかった。
その日を境に、俺は中々少女と話が出来なくなっていった。別に会いに行きにくくなったとかそんなわけではない。
抗がん剤という治療が始まったからだ。
薬のせいで免疫が落ちるため、病室の窓を開けてはいけなくなったのだ。
薬を使用し始めてから、少女はみるみるうちに変り果てていった。
真っ白だった肌は痩せこけ、皮膚も目も所々黄色くなっていた。髪の毛は抜け落ち、毎日ニット帽をかぶっている。
吐き気や腹痛や頭痛、あらゆる痛みが彼女の小さく細い身体を蝕み、ベッドの上でのた打ち回りもがく姿に、俺は何度も逃げたい気持ちに駆られた。
それでも、俺はそんな彼女のそばにいたいと、支えてあげるなんてそんな大層なことはできなくても、そばにいたいと願った。
それほどまでに、俺の中で彼女の存在は大きなものとなっていた。
そのような過酷な闘病生活の中でも、容態が安定した日は、病室の窓が開けられていた。
「……! 今日は大丈夫なのか?」
「ん、今は、大丈夫」
少女は俺に目を合わせようとはせず、ただまっすぐに白い壁を濁った瞳で見つめていた。
「なぁ、話の続きしようか。 あ、あと俺お前が面白いって言ってた本読んだんだぜ? あれはやばかったよな、だって……」
「ねぇ、もう、会うのやめよう」
少女の冷たい、生気を無くした声が俺の言葉を遮った。
なんとなく、そんな言葉が出そうな予感はしていた。ただ、聞きたくなかったのだ。
「……なんで、そんなこと言うんだよ」
「辛い」
一言だけ、少女は呟いた。
それは切実な、あまりにも残酷な少女の本心だった。その冷たい刃は俺の心に深く突き刺さり、俺の言葉さえも凍らせた。
もう、あのお日様のような笑顔は見ることなんかできないんだと、そう痛感した。
「ウチ、もう無理だよ……死にたい」
少女はめったにマイナスな言葉は口にしない。
「ほら、腕も足も骨と皮だけでさ、骸骨みたいやね……あはは」
少女の細い指が黄色く変色した皮膚を撫でた。
「髪も抜けちゃって、顔もがりがりで、色も変わっちゃって、ウチ、人間じゃなくなったみたいやろ?」
俺は、小さく首を振ることしかできなかった。
「これじゃ学校も行けへん、外になんか出れん、こんな汚い姿で、いやや、死にたい、もう頑張れない」
その言葉を最後に、少女の大きな瞳からぼろぼろと涙が零れ溢れた。
少女の心が、悲鳴を上げ、血を流した。
「もう治んないんだよ!どうせ死ぬんだからこんな苦しい思いなんかもうしたくない!死にたい!死にたい死にたい死にたい!」
あぁ……ここまで、少女は追い詰められていたのか。
ガリガリっと少女の爪が自身の皮膚を傷つける。
皮膚は黄色から発赤に変わり、薄く皮が向けたあとじわりと赤い液体が滲んだ。
「やめろよ!」
俺は咄嗟に窓を乗り越え少女を抱きしめていた。
これくらいしか少女の行為を抑える術が思いつかなかったのだ。
俺には彼女の辛さや苦しさ、痛みなんかはわからない。わかるわけがない。
それでも、自身の手で自分を傷つけてはほしくなかった。
腕の中の少女は折れてしまうのではないかというほどに細く、冷たかった。
「…………あははっ、あんた、お日様の匂いするなぁ」
いつもの、少女の声が聞こえた。
身体を離すと、そこにはお日様のように暖かい微笑みを浮かべ、そう言う少女がいた。
「なぁ、お話聞かせてくれん? 陽だまりの神様、最後まで……」
少女の言葉に、俺は小さく首を縦に振ることしかできなかった。
あれから少女はその病室から姿を消した。
俺が学校をサボって病院に忍び込んでも、そこに陽だまりの神様はいなかった。
お日様のような笑顔は、そこにはもうなかった。
真っ白なベッドの上には真っ白な枕とシーツ、毛布が綺麗に畳んであった。
「あれ、あなたは……」
ふと、病室の中に入ってきた女性に声をかけられた。
病院へは侵入しているので、係りの人を呼ばれるのではと思い、逃げようとした。
「ねぇ、待って! あなたあの子のお友達でしょう!?」
ぴたっと逃げようとした足の動きが止まる。
そういえばその女性はどことなくあの少女に似ている。
「やっぱり、そうだ。 ありがとう、いつも来てくれて」
ちょいちょいと手招きされたので、少し考えたが病室に近づくことにした。
どうやら女性はあの少女の母親らしい。
しゃべり方や振る舞いはあいつと違っておしとやかだが、表情がよく似ていた。
女性は思い出話をするように、あいつのことをいっぱい、たくさんしゃべった。
おしゃべりな所も似ているらしい。
「あの子、入院が決まった時はすごく暗かったの。 けど、ある日を境にすごく毎日楽しいって言ってたから……あなたのおかげだったのね」
女性は目を細め、暖かい笑顔を浮かべてお礼を言った。
「最期も、あなたのこと、話していたの。 それで、あなたに伝言を頼まれて」
「……? 伝言……?」
「『陽だまりの神様になってあんたのこと見ててあげるから、学校サボんなや』……だって。 陽だまりの神様って何かしら?」
気付いたら俺は走っていた。人生で全力疾走なんかするのはこの日くらいだろう。
心臓が全身に酸素を運ぼうと早く、早く脈打つ。大きく口を開けて何度も呼吸を繰り返すがどうにも息苦しい。
胸が締め付けられるように、痛くて苦しくて、こんなにも悲しい。涙が止まらない。
体中が強く脈打つ。俺はこんなにも生きているのに、あいつはもうここにいないんだ。
そう思っただけで胸が焼けるように熱くなって、目の前が涙でぼやけた。
どうにもならない虚無感から逃げるように、俺はただ走っていた。
それでも土手に差し掛かったところで、身体が限界を迎えてだらしなく膝と手をアスファルトについた。
時刻はいつの間にか5時を回っており、吐き気がするほど眩く美しい夕日が、俺の涙と鼻水と涎でぐちゃぐちゃになった顔を照らしていた。
きっとあいつがこんな顔を見たら不細工だと笑うのだろう。
「うわあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁ!!!!」
あいつはもういない。
とある絵本が、テレビでも話題となりベストセラーとなった。
著者は20代の若い男性で、昔出会った神様を絵本にしたそうだ。
本の題名は『陽だまりの神様』。
彼はお日様のような笑顔を浮かべ、大勢の記者の前でこう言った。
「ありがとな、陽だまりの神様さんよ」
~fin~
『陽だまりノベルス』の投稿作品として書き上げた短編です。
少し悲しくも、温かいお話を目指して書きました。
拙い文章ですが、何か感じていただけたら嬉しいです。
締切遅れてごめんなさい^ω^