07 襲撃の夜
≪天音目線≫
「あれ、天音、どこ行くの?」
恵斗の声が天音の背中にかけられた。
ここは学園内にある高等部用の女子寮。
寮とは思えない広さと、設備の充実したいくつもの部屋が並ぶ。
その一室。
4階の一番端に恵斗と天音の部屋はあった。
玄関で靴を履く天音に、心配そうな恵斗の声。それもそうだろう。寮の門限は午後10時。もう2時間も無い。
「ちょっと用事ができたから、少しお買い物行って来る」
「買い物って、明日じゃ駄目なの?」
なにか今すぐ必要なものはあったかと、恵斗が目を上に向けた。それを見ながら天音は後ろ手に扉を開いた。
「すぐ戻るから」
「あ、ちょっと」
恵斗の言葉を遮るように、天音は扉を閉めた。
(ごめんね、恵斗)
心の中で詫びながら、天音は寮の階段を下りた。
昼の活気を知っているせいだろうか。夜の学校とは不気味なものだ。人通りの無い通路、声の無い校庭。街灯だけが光り輝く。
高等部の施設は全て学園の南部に存在する。学園から外へ出るには東西南北にある門を通るしかないが、その立地のせいで高等部の生徒が使えるのは南門だけだ。学園内部が広すぎるため、他の門は遠すぎて使い物にならないためだ。
広い道を歩きながら、守衛のいる門の詰め所へと向かう。この時間には門が閉められてしまうため、開いてもらわなければならないからだ。
一見低い塀に囲まれた学園。しかしそこには目に見えない障壁が張り巡らされている。警報機、探知機、能力妨害、結界。それらが学生の夜間外出をも完全に封じることを揶揄し、学生たちは『不自由の檻』と呼んでいた。
「すいませーん」
詰め所の中を覗きながら、天音は声をかけた。
「どうした?」
「すいません。少し外へ出たいんですけど、門を開けてもらえますか?」
守衛の男は首を振った。
「もうこの時間は学外の出入りは禁止されている。明日にしなさい」
それは天音も知っていた。
天音は懐から一枚の手紙を差し出す。
「これが届いたんです」
「ん?」
それを受け取り、守衛は目を走らせた。徐々に表情が硬くなっていく。
「わかった。許可しよう」
読み終えて男は硬い声で言った。同時に、門が開く。
「だが、10時までには戻ってくるように」
「わかりました」
天音はそう言うと、学園から外へと出た。
天音が通ってきた南門は、学園一不人気だ。
その理由は工業地区のほうへと開かれている点にある。遊び場や飲食店が存在しないこの地区は、細い路地が複雑にからんでいる。街灯も少なく、利便性が無い。そのため、高等部の生徒の間では時間がかかるものの、他の校門を使うことが多い。
天音は学園を左手に見ながらしばらく大通りを進み、細い路地へと足を踏み入れた。
「確か、この先に……」
その手紙が届いたのはついさっきだった。
内容は、『ご両親の行方が分かった』という短いもの。
天音の親は死んだ。少なくとも、天音はそう告げられた。
だから、天音はその手紙を最初ただのいたずらだと思った。しかし、無視できない紋章がその手紙には押されていた。
羽と剣が交わった印。
規則に厳しい学園の見張りの男に夜間外出を許可させるほどの効力を持つ、政府の印章。
「一体誰が送ってきたんだろう」
送り主の名前はなく、あるのは合流場所と時刻のみ。
あまりにも怪しい。
だが、天音は確かめに行かずにはいられなかった。
曲がりくねった路地を進む。幅は狭く、3人も並べば道はふさがってしまう。街灯のない路地裏は暗く、今更になって天音は心細さを感じ始めていた。
せめて恵斗には話しておけば良かった、と弱気になってしまう。
「寒い……」
季節は2月。まだ春とはいえない。
路地を抜ける冷たい風に身をすくめてしまう。
そのときだった。
路地の先に、キャップを深くかぶった男が2人。
手紙の差出人ではない。天音は本能的に危険を感じ取った。肌を刺すような威圧感。天音はきびすと返した。
「嘘……」
そちらからも1人。口元をにやりと歪ませる男。
天音は急いでわき道へと飛び込んだ。
「捕らえろ!」
叫び声が背後から聞こえた。
路地をジグザグに走る。背後からは複数の足音。
「はあ、はあ」
なんで、どうして。
天音の脳裏には同じ言葉が何度もよぎる。
自分は騙されたのだろうか。
しかし、あの政府の紋章は本物だった。
「いたいっ!」
石に足をとられ、天音は派手に転んだ。
くじいた足が熱を帯びる。それを無視して立ち上がる。
しかし。
天音は顔を上げて愕然とした。
「行き止まり」
そこにはあまりにも高い壁があった。
振り返ると、さきほどの3人。
足が震え、吐き気がした。
なぜ、なぜ、なぜ。
意味の無い問答が心の中で繰り返される。
「馬鹿な奴だな」
男の一人が嗤った。
「あの手紙を信じて来たのか」
「私の、親は?」
天音はかすれた声で言った。
「死んだろ? 5年前に。お前が一番良く知っているだろう」
男の言葉が天音の心に突き刺さった。
騙された。
その瞬間、天音の中で感情が色を変えた。
恐怖は怒りに。悔しさは憎しみに。
――怒りに身を任せろ――
天音の中で誰かの声がした。
――自分を手放せ――
知らず知らずのうちに天音は歯軋りをしていた。目の前の男をにらむ。
――それでいい――
強く握りすぎて、爪が肉に刺さった。
そして、一歩を踏み出そうとしたとき。
天音の視界を黒が覆った。
「天音」
天音の視界をふさいだのは黒いコートだった。
かすかに見える横顔は、今日学校で言葉を交わした、彼だった。
「鈴掛君?」
急速に天音の中に温度が戻ってくる。それと引き換えに恐怖がぶり返してきた。
力が抜けて地面に座り込むのをとめられなかった。
「もう大丈夫だ。そこでじっとしてろ」
そう言うと、鈴掛君は男たちをにらみつけた。
***
(間に合ったか)
神谷からの連絡では細かい場所まではわからなかったため、クロはしらみつぶしに天音を探し回り、ようやくその姿を見つけたところだった。
クロは冷や汗が背中を伝うのを感じる。
それは目の前に立つ、3人の男のせいではない。
天音から感じた殺気のせいだった。
(なんだったんだ、今のは)
天音から生じる不穏な空気はもう感じない。それが余計にクロの心を揺れ動かした。
彼女は何を隠している?
「お前、邪魔するつもりか?」
そんなクロの思考を、男の一人が妨害した。にやにやと嗤いながらゆっくり近付いてくる。
3対1。
数的有利からくる絶対的な自信が、その足取りから感じられた。
「くだらない」
人数だけで勝った気になるような奴に、クロは早くも興味をなくしていた。
天音がなぜこんな夜遅くに学園を抜け出しているのか。わからないことだらけだったが、クロはひとまず、目の前の敵に焦点を合わせた。
遠慮はいらない。どうせ、もう天音には説明しなければならないだろう。クロが護衛である、と。
クロの心が、平坦になっていく。
少し離れた所で男たちの体が光で包まれた。『強化』の発動をクロは見て取った。
「そこをどけば、命だけは助けてやるよ」
男の一言に、クロは笑いを漏らした。
「アホか」
「はあ?」
「それはこっちの台詞だ」
瞬間、クロは『強化』を発動した。
5メートルの距離を一歩でつめる。
そのままの勢いを保ったまま右腕を突き出す。
それだけで一番近くに居た男の腹部をいとも簡単に貫通した。
腕を引き抜く。派手な勢いで、男の腹から血が噴出した。
敵を前にして油断したままに口を開くなど、クロからしてみれば愚行以外の何物でもない。
「てめえ!」
男の一人が炎を生み出した。そして、その火球をクロめがけて投げつけた。
クロに炎が襲い掛かってくる。
それを腕の一振りでクロは迎撃した。炎はその身まで届かなかった。
「くそっ!」
もう一度、男は先ほどよりも強力な炎を放った。
しかし、やはり結果は変わらない。『強化』で守られたクロの肉体はその熱さえ遮断する。
「おい、やばくねえか?」
攻撃をしてこない方の男が、炎を完全に無効化するクロを見て言った。
「馬鹿野郎! びびるな!」
「でも、あいつめちゃめちゃ強いぞ!?」
プライドが邪魔をしているのか。リーダー格と見られる男は、忌々しそうにクロをにらんでいた。
クロもこれ以上嬲るのも飽きてきた。
『強化』を足に重ねがけする。
そして、跳躍した。
瞬時に移動してきたクロに、炎使いの男は目を見開いた。
防御をとろうと身をかわす。しかし、クロのほうが早い。
左足を軸に一回転し、勢いをつけた右足をたたきつける。
鈍い音を立てて、男の体はコンクリートにぶつかると、ずるずると滑り落ちた。
これで、後1人。
クロはその男に向けて目を向けた。
「ひっ」
そいつはクロににらまれて、情けない声をあげた。おそらく、戦闘系の能力を持たないのだろう。攻撃もせず、逃げもせず。恐怖で動けない情けないその姿に、クロは苛立ちを覚えた。
「答えろ。お前たちは何者だ」
クロの質問に、がくがくと震えながら男は口を開いた。
「お、おれたちはそこの嬢ちゃんを殺すよう言われただけだ」
「誰に」
「し、知らない男だ」
「そうか。ご苦労」
それだけ言うと、有無を言わさず、クロはその頭を地面にたたきつけた。
ぐしゃり、と嫌な感触がクロの手に伝わる。
「ただのごろつきか」
あまり有益な情報はひき出せなかったと、クロは頭をかいた。
見渡せば、凄惨な殺人現場が広がっていた。
血の臭いが鼻を突く。
「鈴掛君?」
背後から、天音の声が聞こえた。
「あなたは、何者なの?」
天音はいまだ地面に座り込んだまま、目だけでクロに訴えかけていた。
「全て話す。その前に移動しよう」
クロはこのあたりに、他部隊が使っていた地下室があることを思い出して、そこへ行くことを決めた。
「まだ、敵がいるかもしれない。安全な場所まで案内する」
恐れられるかもしれないな、とクロは他人事のように思った。目の前で3人を殺し、全身血まみれの男。それが今のクロだった。
返事が無いことも半ば覚悟しながら、クロは天音を見つめた。
天音の瞳が揺れる。しかし、天音は深くうなずいた。
「……わかった」
よろよろと立ち上がると、天音はクロをまっすぐに見た。
「こっちだ」
クロは天音を先導して記憶を頼りに路地を進み始めた。
街灯はない。月明りも、くもっているためほとんどない。
それでも、何度か角を曲がりクロは目的の場所にたどり着いた。
寂れた工業地区の一角。そのうちのひとつの建物にクロは入っていくと、床を右足でけり始めた。天音のいぶかしげな視線を感じつつ、それを繰り返す。コンクリートを打つ鈍い音が鳴る中、一箇所だけ少し音が軽い場所が合った。ほこりを払い、クロは隠し戸の取手を持つと重いふたを持ち上げた。するとその下に地下に続く急な階段が現れた。
「こっちだ。歩けるか?」
「大丈夫」
ふらつく足で、天音はクロを安心させるようと少し笑った。それを確認したクロは一度頷くと、先導するように階段を下っていった。
20段ほどの階段を下りた先にあったのはだだっ広い四角い空間だった。照明は煌々と広い部屋を照らし、少しほこりっぽい空気は冷たかった。
「適当に座ってくれ」
クロは汚れたコートをその辺に投げ捨てると、壁にもたれかかった。
天音は力なく少し離れた場所に腰を落ち着けた。
沈黙。
気まずい空気が流れる。
クロはそれを破ろうと口を開きかけた。そのときだった。
「鈴掛君」
天音がクロの名を呼んだ。
「なんだ」
「助けてくれて、ありがとう」
天音は床を見つめながら元気ない声で言った。
「……どういたしまして」
意外だった。
天音の最初の一声はお礼だった。
目の前で見知らぬ男に襲われかけ、今日あったばかりのクラスメートの惨殺の光景を見て。
それでも、天音は最初に「ありがとう」と言った。
「怖くないのか?」
「え?」
天音が顔を上げた。
「おれのこと」
「……」
天音の視線が泳ぐ。そして、クロの目へと戻ってきた。
「少し、怖い。でも、鈴掛君は守ってくれたから」
意外と強い子なのかもしれない、とクロは思った。
あれだけの体験をしていながら、パニックにもならず思考もしっかりしている。
(これなら、話しても大丈夫か?)
隠し通せるとは思っていなかったが、まさかこんなに早く身分を明かすことになるとは。
クロは深く息を吸った。
「天音」
天音はじっとクロを見つめた。今にも泣き出しそうなその目に少しだけ心が痛くなる。
天音は強がっているんだ。
本当は弱いのに、それを塗りつぶすように強がる。
しかし、クロはそれこそが強さだとも思った。
クロはなるべくやさしく、ゆっくりと話し始めた。
5月14日 修正