06 4人の同期生
「100年前、『終末の日』を境に人類は『神威』を手に入れた。超能力とかつて呼ばれていたこの『神威』は、現在では様々なものに応用されている。たとえば……」
昼休み前、午前最後の授業。『能力史』の教科書を片手に話をする教師を無視して、クロは窓に切り取られた空を見ていた。
(もう、1週間か)
クロが偽りの身分でこの学校に転入してから、もう1週間が経過していた。
早いものだと思う。
ここにはクロの知らないものがたくさんあった。今目の前で繰り広げられている授業もそのひとつだ。
教師の書いたものをノートに写す音がカリカリと響く。生徒たちの目が何度も黒板とノートを行き来する。
クロのいた訓練学校ではノートも筆記用具も、はては教科書などというものも存在しなかった。
聞いて、その場で憶える。
慣れない内は大変だった。たった一度聞いたことをすぐ覚えるなんて正気じゃないと思ったこともあった。
しかし、それができない者は容赦なくつまみ出された。説教され、時には殴られることもあった。
クロも経験者の一人だ。というよりも、それを経験しなかった者はおそらくいない。そのせいで、授業中の緊張感は並みではなかった。
情報の取捨選択。それが重要だと気づいた後には、怒られる事は減っていった。
しかし、それができないものも居た。
気づくと、彼らはクラスから消えていた。なんの予兆も無く姿を消していく同級生。クロにはそれがおそろしく怖かった。
だから、クロは努力した。
敗者にはなりたくなかった。
(まるで、コピー機にでもなる訓練か、これは)
だから、クロの目には学園の授業風景は奇妙に映ってしまっていた。彼らが学んでいることを、クロはもう何年も前に学習し終えていた。
横目で、天音を盗み見ると、彼女もまた、ノートにペンを走らせていた。
隣の席ということもあって天音とは何度か、会話を交わしていた。
天音は普通な子だった。やたらとクロに話しかけては、よく笑う子だった。しかし、普通であればあるほど、クロは自分の任務が何なのか分からなくなった。
何から守ればいいのか。何で守る必要があるのか。それすらいまだによくわからない。
スピーカーからチャイムの音がした。
「じゃあ、今日はここまでとする。各自、しっかり教科書を読んでおくように」
にわかに教室が騒がしくなった。
「さてと」
昼は神谷と学食に行くのが習慣になっていた。いつも通り、神谷に声をかける。
「神谷」
「ああ、今行く」
「また神谷と学食か?」
そういって前の席の男子生徒が振り向いた。
「まあな」
「仲がよろしいですな」
この1週間で、クロにたいする好奇の視線はほぼ消滅していた。挨拶を交わす程度の間柄も増え、クロはクラスになじみ始めていた。
変わらない日常。退屈ながらも、それは楽しいものだった。
「さて、行くか」
近くにやってきた神谷とともにクロは教室を出て、学食へと向かった。
***
にぎやかな学食。たくさんのテーブルが置かれた食堂内は人でごった返している。
その中の窓際の席に2人はいた。
「そういえば、恵斗との放課後デートはまだ続いてるのか?」
神谷はラーメンをすすりながら訊ねた。
「デートじゃないが、まだ続いてるな」
クロの言葉を聞いて、神谷は苦笑いした。
「お気の毒様だな」
クロが学園に来たあの日から、放課後は毎日恵斗と会っていた。
しかしそれは別に甘いものではない。むしろその逆だった。恵斗にとってクロは模擬戦闘の好敵手だっただけだ。
刃金ほどではないにしても、恵斗の戦闘技術は高いものだった。
「黒哉相手なら本気が出せるから楽しいわ」
よく恵斗はそういった。
いつしか、恵斗は顔を合わすたびに「今日も放課後時間ある?」と聞いてくるようになっていた。
正直、クロは面倒だったがいつも押し切られて恵斗の対戦相手を務めていた。
「いい加減、勘弁して欲しいんだけどな」
うんざりしたようにクロはため息をついた。
「まあ、いいじゃないか。友人関係の構築も学生の本分だ」
神谷はスープを飲みながら言った。
「それに、まだ何の動きも無いしな。今のうちに楽しんでおいた方がいいぞ」
神谷の言うとおり。
天音の身に危険が迫るような事態はまだ起きていなかった。
「それなんだが、神谷の姉貴から連絡とかはないのか?」
「特にないな」
「そうか」
本当に何も起きていないのか、クロの見えないところでなにかが起こっているのか。
「まあ、気楽に構えておけばいいさ」
「そうは言ってもなあ」
神谷の余裕はクロにはまねできなかった。
「それにしても、クロが来てから1週間経ったな」
どうだ、学生生活は。そういって神谷はクロを見た。
クロは首をすくめる。
「どうもこうも」
食べ終わった食器に目を向ける。
「やはり、おれたちは同じ環境では生きていけないな」
この1週間で感じたのは「違い」だった。
地上で平和に生きる『セカンド』。
地下で必死に生きる『ファースト』。
そこには、やはり大きな格差があった。
「僕の目には随分なじんで見えるけどな」
「それはおれが『鈴掛黒哉』だからさ」
そう。
彼らの目に映っているのはクロじゃない。
「切ない話だな。けどさ」
神谷は軽い感じでそう言うと、声を潜めた。
「天音も恵斗も。お前のことを友達だと思っているはずだ」
「どうだろうな」
クロのさめた態度に、神谷は笑った。
「まあ、もう少し肩の力を抜いてみたらどうだ」
神谷の言葉にクロはうなずけなかった。
***
食器のこすれる音と話し声。
夜の食堂は騒がしさに包まれていた。
ならべられた長机のひとつ、その隅でクロは夕食を食べていた。機械的に料理を口に運びながら、この1週間を振り返る。
「疲れたな」
クロに残るのは疲労感だった。
放課後。今日もまたいつものように恵斗との訓練を終えて、クロは拠点に戻ってきていた。
体の節々の痛みは、間違いなく恵斗のせいである。
「はろー」
「シオンか」
クロの隣に腰を落ち着けたのはシオンだった。
「なんか、お疲れムードが出てるわよ。あんたから」
「事実、お疲れなんだよ」
クロのその言葉を聞いて、シオンはあらあら、と言った。
「アキラから聞いたわよ。地上の学校に通ってるらしいじゃない」
シオンは口を尖らせた。
「なんで教えてくれないのよ。教えてくれたら」
シオンが無表情で言った。
「全員始末するの手伝うのに」
「護衛任務なのに、始末して如何する」
クロは、シオンが一番『ファースト』らしい『ファースト』だと思った。見た目によらない、という点では、恵斗をもしのぐだろう。かわいらしい顔立ちに似合わない、その内面。
彼女は『セカンド』を憎んでいる。
自分を捨てた親を。
自分を拒絶した社会を。
全てを憎んでいる。
時として、その思いが彼女を暴走させることもあったが、最近はおとなしくなった、とクロは感じていた。大人になったということかもしれない。
今の物騒な発言さえ、彼女にしてはかなりオブラートに包んだといえる。長い付き合いのクロはそれを知っていた。
「あ、ツグミ!」
シオンが手を振るその先に、クロは相方の姿を見つけた。
こちらに気づいたのか、人波を器用に避けながら小柄な少女がクロの正面に座った。
「よお、ツグミ」
「久し振り、クロ」
久し振り、といっても朝も会っているので1日たっていないのだけども。ツグミはクロと会うと、いつも「久し振り」と言った。
それは彼女の癖だった。
「任務は、どう?」
「ぼちぼちだ」
ツグミの質問に、クロは伸びをしながら答えた。
「変な銀髪の女と、戦闘狂の女に囲まれて。今週は疲れたよ」
「……クロ」
「へ?」
シオンのやけに小さな声がクロに届いた。
何も言わず、シオンが目だけで指し示す。
その先にクロが目をやると、普段はあまり感情を表に出さないツグミが、ものすごい不機嫌オーラを放っていた。
「あれ、おれなんかまずいこといった?」
クロはわけもわからず、シオンに小声で訊ねた。
「とりあえず、謝っときなさい。血の雨が降るわよ」
真剣な様子でシオンが助言をした。
「え、でもおれ」
「いいから」
切羽詰った様子でそう言うと、シオンはクロをにらんだ。その目が怖くて、ついクロはツグミへと目を向けた。
いつも無表情だが、さらにそれを冷えつかせた相棒がそこにいた。
釈然としない物を感じつつ、クロはシオンの言葉に従うことにした。
「ツグミ、悪かった」
「……わかった」
(あれ、本当におれがなにかしたの?)
謝っておきながら、クロはそれがすんなり受け取られたことに驚いていた。
「まったく、このにぶちんは」
シオンの呟きは、しっかりクロの耳に届いた。
「なあ、なんで今おれは……」
自分の何がいけなかったか聞こうとしたクロの足に、鋭い痛みがはしった。
シオンがテーブルの下で思いっきりクロの足を踏んづけていた。
「なあに?」
「なんでもないです」
シオンはにっこり笑いながら「そう」と言ってクロから視線をはがした。
「ところで、アキラがさっきクロを探してたわよ。この裏切り者~とか言いながら」
「裏切り者? なんだそれは」
アキラの意味不明の言動に首をかしげたクロ。その首に誰かの手刀が刺さった。
「いってえ!」
クロが理不尽な暴力に後ろを振り向くと、噂の男が立っていた。
「なにすんだよ、アキラ」
「探したぜ、このやろう」
クロの隣、シオンとは逆側に座りながら、アキラがまくし立てた。
「どうせ美少女に囲まれながら楽しく授業受けてきたんだろう? 仲のいい友達と馬鹿やりながら窓ガラス割って青春をかみしめてたんだろ? うらやましいぜこの裏切り者が」
「まてまて。少し落ち着け」
鼻息荒く言葉を羅列するアキラに、クロは若干ひきながら説得を試みた。
しかし、アキラはそれを聞かず、なぜかクロの食べかけだったオムライスを奪い食べ始めた。
「アキラは少し頭のねじ外れてるからねえ」
面白そうに眺めながらシオンが言った。
「アキラは馬鹿」
ツグミも小さく呟いた。
その攻撃に、クロはアキラが泣くんじゃないかと心配になる。
「それで、地上の生活はどうなんだよ、クロ」
しかし、案外本人はけろりとしていた。アキラは口いっぱいに飯をほおばったまま、そう訊ねた。
その目にはわくわくしたような輝きがあった。それを身ながらクロは言った。
「別に、お前が思っているようなものは無いぞ」
この1週間で、クロは実感していた。
やはり、『ファースト』と『セカンド』は生きる世界が違う、と。
天音と言葉を交わし、神谷と飯を食い、恵斗と戦い。
彼らだけではない。
今では他のクラスメートとも挨拶を交わすくらいの仲にはなっていた。
しかし、クロは感じてしまう。両者の間にある壁のような物を。
彼らが見ているのは「鈴掛黒哉」であり、クロではないのだ。『ファースト』であることを隠さなければ、一緒にいることもできない。
距離が近付くほどに。
言葉を交わすごとに。
クロはその「違い」を実感せずにはいられなかった。
「なんだ、そうなのか」
アキラはがっくりしたようにそういって、また食べ始めた。
「そういえば、全員集まったわね」
「ん?」
クロは一瞬頭をひねったが、すぐにその言葉の意味を理解した。
「ああ、そういう意味か」
全員。
それは『陽炎』へと入隊した、同期のメンバーを指していた。
「いつのまにか、これだけになっちゃったわね」
シオンがしみじみと呟く。『セカンド』がからむと暴力的になるシオン。しかし、クロは彼女のほかの一面も知っていた。
おそらく、この場の誰よりもシオンはやさしい奴だ。人が困っていたり、悩んでいるとすぐに声を掛けて励まそうとする。
シオンはそういう奴だった。
「みんないなくなっちゃったな」
口の中の物を飲み込んでアキラが言った。
そこには茶化すような響きはなかった。
「仕方ないさ」
クロのほうへとみんなの視線が集まる。
「あんたは、本当にドライよね。見た目によらず」
シオンが言う。
自覚は無い。だが、そうなのかもしれないと、クロは思った。
『ホーム』の扉を、ナガレとともにくぐったあの日から2年。最初に10人にいた同期生は、この場の4人だけとなっていた。
私の命令無くして死ぬのは許さない、というあのナガレの指示を守っているのは、クロたちだけだった。
あるものは任務中に、あるものは任務で受けた傷で。
一人、また一人と知り合いは消えていった。
訓練生時代に聞いた、『陽炎』の死亡率の高さ、というものをクロは身をもって感じていた。
わずか2年で、6割が死亡。
絶望的なその数字は、今後さらに増えていくのだろう。
そのことに少しだけ、恐怖する。
次は自分かもしれないことにも、次がここにいる仲間かもしれないことにも。
そんな感情を無理やりおしのけ、クロはアキラに話を振った。
「そういえば、アキラはなんで『陽炎』に志願したんだ?」
「あ、そういえば、私も聞いてない」
クロとシオンの言葉に、アキラは照れたように笑った。
「別にたいした理由じゃない」
そこで少し言葉を切りアキラは、クロ、シオン、ツグミを順繰りに見た。
「仲のいい奴がみんな『陽炎』だったから。それだけだ」
「……やっぱあんたって馬鹿ね」
「ああ、馬鹿だな」
「アキラは馬鹿」
3人の感想が一致した。
「おい、いい話だろ。泣けよ」
「いや、そんな無茶な」
クロは肩をすくめた。
しかし、そんな軽口をたたきながらも、クロは少しだけうれしかった。きっとシオンとツグミも同じ気持ちのはずだと思う。
まだ、ここには友がいる。その感覚を思い出していた。
「それじゃあ、ツグミはなんで『陽炎』なんだよ」
アキラが不満げに声を上げた。
「たしか、おれらの代じゃあ、一番の成績だったろ」
「あーあ」
シオンが溜息をついた。実は、クロとシオンはツグミの志望動機を知っていた。
「アキラ、あんたなんてことを」
「どういう意味だ、シオン」
アキラが不可解だというように眉を寄せた。しかし、ツグミが話し始めたのを聞いて意識をそちらに向けた。
クロは顔を少しうつむけた。
「私が『陽炎』にきたのは」
ツグミの視線をクロは感じた。
「クロがここに行くといったから」
「……」
一瞬の静寂。
アキラが絶句してクロを見た。
「ツグミがクロを特別扱いしてるのは知ってたが、そんな仲だったとは……」
クロは顔から火が出そうだったが、無理やり真面目な表情でツグミを見ていた。
シオンが「ご馳走様」と言いながらアキラをにらんだ。
「むしろ、私はそれに気づいていなかったあんたにびっくりだわ」
あきれた口調でシオンが言う。
「むしろ引いてる」
「そこまで言わなくてもいいじゃねえか」
アキラが反論した。
「訓練生時代から、この2人はべったりだったじゃない」
「おい、シオンちょっと待て」
クロは聞き流せない単語に待ったをかけた。
「べったりってどういう意味だ」
たしかに一緒にいることは多かったが、クロとツグミが友人以上の関係になったことは無い。
「そのままよ。このバカップルが」
シオンが吐き捨てるように言った。その目には明らかにこの状況を楽しんでいた。
シオンは理解している。
クロとツグミが、そんな甘い関係ではないことを。
だからこそ、余計に性質が悪かった。
「あのなあ、おれたちは」
そのとき、クロのポケットでブザー音がした。周囲にいた者がなにごとかと辺りを見渡した。
「……悪い。仕事だわ」
クロは立ち上がった。それを見て「話を聞かせろ!」とアキラが袖を引っ張った。
「また今度な」
それを振りほどき、急いでクロは食堂を出た。
クロは未だブザー音を発する小型の受信機を取り出した。
スイッチを切ると、音がやんだ。
学園にいる神谷からの危険信号。その受信機。
あくまで簡単な信号のやり取りしかできないためはっきりとはわからないが、どうやらなにかがあったらしい。
『工業地区』。
受信機のモニターにはそう書かれていた。
『陽炎』の拠点のほぼ真上にあるこの地区は人通りも無く薄暗い。なぜ天音がそんな所にいるのかはわからなかったが、クロは『強化』を発動して全速力で拠点を駆けた。学生服でなく戦闘服に着替えていたことに、クロはわずかに安堵する。能力の発動を補助する回路が『強化』に反応して更なる速さをクロに与える。
(何でこんな時間に!)
学園の門限はもう過ぎているはずだ。にもかかわらず、なぜ天音は『工業地区』などにいるのか。
クロは全速力で走り続けた。
5月14日 修正