05 刃金龍二
「本当にこれは学校か?」
クロは恵斗の隣を歩きながら、周りの木々を眺めた。うっそうとした森の中を生徒たちは何の疑問も無さそうに進んでいく。
「いくらなんでも、校庭に森はおかしいだろ」
「まあ、そのうち慣れるわよ」
特に気にした様子も無く恵斗が言った。
中央能力開発学園。通称、学園とやくされる事の多いこの学校は、非常に広大な敷地を持つ。そこには数え切れないほどの施設が乱立しており、ごちゃごちゃとした様はまるでひとつの街のようにも見える。
グラウンドひとつとっても、高等部の位置する南部だけで5箇所存在する。さらにその全てが400メートルトラックなみの面積を持つ。最初、クロはその事実を知ったとき、このあたりが「学園区」と呼ばれる所以を肌で感じた。
クロは今、そのうちのひとつ、第3グラウンドに向かっていた。
着ているのは制服ではなく、運動着だ。その手足には『能力緩衝装置』と呼ばれるものを装着している。
これは『神威』により受けた衝撃を吸収し、そのダメージ量を計測する機器だ。現在、多くの学校や軍隊でこの道具は使われているらしい。安全性と詳細な戦闘能力の測定に非常に便利だそうだ。
(これじゃあ、戦闘訓練にならないだろうに)
訓練学校では常に生身ひとつで戦闘技能を学んだクロはそう思った。
戦闘とは命のやり取りだ。
最も怖いのは相手ではない。
一瞬の気の緩み。
慢心。
そういったことを学ぶには、この正方形をした装置は邪魔だ。
クロはとんとんと、その装置を指でたたいた。
「そういえば、案内させて悪かったな」
「別にこれくらいどうってことないわよ」
授業が行なわれる場所の分からなかったクロは、こうして恵斗に案内役をお願いしていた。
枯葉が足元でつぶれる感触がする。
森の中は涼しく、ここが学校内であることを忘れさせた。
「ここが第3グラウンド。よく使うから、場所は覚えておいたほうがいいわ」
「これまた広いな」
しばらくすると、森の中に空き地のようなグラウンドが現れた。
木で周りを囲まれ、外は全く見えない。
すでにそこには多くの生徒がいた。
クロたちの到着と同時に、授業開始を告げるベルがなった。
「ちゃんと装置は装着できているか?」
教師の若い男が声を張り上げた。
『能力育成』と呼ばれるこの授業は、実際に能力を使用し、模擬戦闘を行なう。恵斗にクロはそう聞いていた。
高位能力者で編成される警察部隊、『スカウト』へも多くの隊員を輩出するこの学園は、戦闘技能の育成にも力を入れているらしい。
「天音と神谷は向こうだったか」
クロは周りにいる、100人弱の生徒を見回した。3クラス合同ということもあり、人の密度は高い。そこに2人の姿は無かった。
「そうよ。あの2人は非戦闘系だから。そういえば、神谷と仲よさそうだったわね」
隣にいる恵斗のその言葉に、クロは少し肩をすくめた。教室を出てすぐに、クロが神谷と言葉を交わすのを恵斗に見られていた。
「仲がいいわけじゃないな。少しこの学校について案内してもらっただけだ」
実際問題、仲がいいとは少しちがう。そもそも、友達ではない。
2人は協力関係にあるというだけだった。
「ああそうだったんだ。案内ねえ。まあ、神谷はまじめだからねー」
恵斗は自身の緩衝装置の最終確認をしながら言った。
3クラス合同で行なわれるこの授業は、2つのグループに分けられる。
ひとつが、模擬戦闘を行なうグループ。
もうひとつが能力開発を行なうグループ。
『神威』には様々なものがある。そして、その全てが戦闘に特化しているわけではない。
亜州那美亜のような『非戦闘系』と呼ばれる能力も多い。
そのため、この場には3クラスの半数くらいの人数しかいない、とクロは恵斗に説明されていた。
「それでは授業を始める」
教師のその一言とともに、円が地面に浮かび上がった。直径は約20メートル。そこから空に向かい光が放射される。どこか幻想的で、クロはそれに目を奪われた。
巨大な光の柱が生えた。
「名前を呼ばれたものからこの『結界』の中に入り、模擬戦闘を行なう。ダメージの蓄積により緩衝装置が作動するか、結界から押し出されたら終了とする」
(なるほど。地面の下に結界発生器が埋め込まれているのか)
さすがは一流学校、というところか。
『結界』とは『神威』のひとつで、衝撃を吸収、無効化する能力だ。今ではその応用で、このように人工的に結界を作り出すこともできる。
クロも話には聞いたことがあったが、実物を見るのは初めてだった。
まだ、『神威』の人工化はあまり進んでいない分野のひとつ。
そのため装置が非常に高価だが、この学園にはどうということもないようだ。
「では、最初は――」
***
自分の番を待ちながら、クロは他の生徒の模擬戦闘を眺めていた。
能力強度が高いものを選別しているだけのことはあった。学生にしてはレベルが高い。
しかし、それだけ。
クロは退屈さに欠伸をした。
授業で友人と学ぶ彼ら。
生きるために実戦で見に着けたクロ。
その差は歴然だった。
生きる世界が違うのだ。
『ファースト』と『セカンド』。その間には非常に高い壁があった。
『神威強度』があるかないか。それだけ。
しかし、その違いは絶対的な意味を持っていた。
たとえ、両者の見た目は同じでも、その内面はまるで違う。それをクロは感じた。
(まあ、わかっていたことだけどさ)
『神威強度』の差ではない、その違い。それをクロは肌で感じた。
攻撃を食らって炎に包まれた生徒の『緩衝装置』が赤く光った。ダメージを受けすぎた証拠だ。
「そこまで! 次、鈴掛と刃金」
名前を呼ばれたクロは立ち上がった。
「うわあ、初戦が刃金とか。黒哉君、がんばってね」
恵斗が苦い顔をしながら言った。その意味がよくわからなかったが、とりあえずクロはうなずいた。
少しだけ、周囲がざわめく。それは刃金という少年のせいなのか、クロのせいなのか。
それを無視してクロは結界の中へと足を踏み入れた。向かいから入ってきた男と目が合う。
身長は190ほどだろうか、同学年とは思えない巨躯。運動着の上からでもその下に隠れる筋肉がうかがえる。その顔は彫が深く、アジア系のハーフに見えた。
「たしか、転入生だよな」
その男は手を回しながら、クロを見て言った。
「ああ。鈴掛だ」
「おれは刃金龍二だ。よろしく」
教室にはいなかったため、他クラスの生徒なのだろう。
「転入生の実力、見せてくれよ?」
笑いながら刃金が言った。本気を出すつもりはもとより無いクロは、曖昧な笑みを作った。
一瞬の静寂。そして。
「はじめ」
教師の男の合図で、クロは能力を発動した。
『神威』の中でも基本とされる『強化』を肉体に施す。身体能力を向上させるこの力は特別なものではなく、能力者であれば強弱に差はあるが、ほぼ半数が習得可能なものだ。だが、それゆえに応用も利く。近接戦闘では、これ以上に適した能力はない。
クロが『強化』を展開するのに要するのは、およそ1秒。
しかし、刃金の攻撃はその展開を待ってはくれなかった。
空気を切る音。
両者の距離はいつのまにか消えていた。
「っ!」
すんでのところでクロは身をかがめた。頭上を刃金の右足が通過する。
危うく先制をもらう所だったが、クロはすぐに思考を切り替えた。
(チャンスだ)
そのままの姿勢から、クロは刃金の軸足めがけて足払いを放つ。
直撃。
その瞬間、金属でもぶつかったような音がした。
(痛っ!)
クロの『強化』が、刃金の『強化』に負けた。
その結果、ダメージがクロの足を襲った。
一旦距離をとろうと地面を転がったクロを、刃金の右手が襲う。
クロのわき腹を掠めた一撃は、轟音とともに地面に大穴を作った。
刃金の『強化』は本物だ。
まるで、戦闘訓練を受けているかのように、その動きには無駄が無かった。直線的な攻撃は、圧倒的な力で相手をねじ伏せようと牙をむく。
所詮は学生だ、という認識をクロは改めた。
全力で『強化』を施す。
足と腕、そして肩。
「うおおっ!」
いのししのように刃金が突っ込んでくる。それを見てクロはにやりと笑った。
避けずに、ぎりぎりで体勢を低くする。クロの肩が刃金の腹部にめり込んだ。
「はああっ!」
そのまま、タックルのように刃金を押していく。
目指すは結界の外。倒す必要はない。結界の外に出してしまえばいい。
クロの狙いに気づいたのか、刃金は足を地面にめり込ませブレーキをかけた。
(きたっ)
クロはそれを待っていた。
刃金の体格はクロのそれよりもかなり大きい。力押しで勝つのは難しいとわかっていた。
前のめりになる刃金を、その下にもぐりこみ背中におぶさるように持ち上げる。そしてそのまま背後へと投げ飛ばした。
刃金は結界の外に飛んでいった。
「そこまでっ」
教師の声が響く。観戦していた生徒の間から歓声が聞こえた。
「おい、刃金が負けたぞ」
「あいつ強いぞ」
余計に目立ってしまったことにクロは後悔をした。
(やりすぎたか)
授業前の休み時間、グラウンドへ行く途中でクロは事前に神谷から注意を受けていた。
「あまり目立ちすぎるなよ。転入生ってだけで、かなり注目されているんだからな」
「そうなのか?」
「気づいてなかったのか」
神谷はあきれたように息を吐いた。その仕草に、クロは思った。自分は鈍い人間らしい。
「あれだけの視線を浴びれば気づいているかとも思ったが」
「ああ、あの視線は『転入生』だからだったのか」
廊下は人が多く、騒がしい。神谷は声のトーンを落とした。
「クロの実力は知らないが、『陽炎』の武力の高さは知っている。本気は出すなよ。相手が相手だと、注目が集まりかねない」
「わかった」
神谷はクロよりも断然、この学園について詳しい。素直に忠告を受けたほうがいいと、クロは素直に頷いた。
(あとで神谷に相談かな、これは)
クロの所属するクラスの者を中心に、切れ切れで話し声がクロにまで聞こえていた。どうやら、この刃金という男は相当強いという評価だったらしく、クロの実力に驚いているようだ。
(やっちゃったな)
勝つ必要はなかったが、刃金の実力に、クロはつい負けず嫌いのスイッチが入ってしまっていた。
仕方ない、とクロは溜息をついた。
そして、クロは地面から立ち上がってほこりを払う刃金へと近付いた。
「鈴掛、お前強いな」
近付いてくるクロを見て、刃金は苦笑しながらそういった。それを見て、クロも苦笑を浮かべた。
「手を抜いていたくせに、よく言うな」
クロが気づいていない、とでも思っていたのだろうか。刃金は目を丸くした。
「……ほう」
刃金は驚いたように目を見開いたあと、面白そうに笑った。
「それはお前もだろう。なにを隠してる?」
その言葉に、思わずクロは体が反応しそうになった。
(危ない危ない)
まさか、本気を出していないことがばれているとはクロは思わなかった。
「さあ。何の話だか」
適当にごまかす。
刃金の言うとおり、クロもまた、まだ隠している力があった。しかし、それは刃金も同じだと、クロは改めて確信する。
(何を隠している?)
この男は何者かと、クロは疑念を持ち始めていた。
「久し振りに楽しかったぜ」
「おれもだ」
それを押し込めて笑顔を作る。
次の生徒の模擬戦闘が始まった。派手な爆発音がクロの耳に届いた。
「また手合わせ願うわ、鈴掛」
「機会があったらな」
クロは刃金に背を向けた。
そして、笑顔を消した。
あの身のこなし、『強化』の使い方。
同じ感じがした。
生きるために力が必要だった、自分と。
クロはこの刃金と言う男が要注意人物であると心に留めた。
***
≪刃金目線≫
離れていく背中を見ながら、しばらく刃金はその場に立っていた。
「刃金」
後ろから掛けられた声に、刃金は振り向いた。
「藍坂か」
赤い髪をした、背の低い少女がそこにいた。がらんどうの目で刃金を見つめる彼女の名前は藍坂葛葉。刃金と同じクラスの一人だった。
「どうだった?」
「ビンゴだな」
刃金の体には、さきほどまでの熱がまだ残っていた。
「あれは只者じゃない」
勝負を前にしてあの冷静さ。どれほどの場数を踏んできたのか、刃金には想像もできなかった。
「壊したい?」
感情の無い声で藍坂が言った。
「ああ」
刃金はうなずいた。
あいつが全力を出していないのは間違いない。
「本気で壊してやりたい」
堪えようのない衝動が。
負けるわけにはいかない意地が。
刃金の中で湧き上がった。
「でも、だめよ。まだ」
「わかってる。まだ、な」
研究室にて、榊から出されている命令は待機。
まだだ。刃金は心の中で繰り返す。
まだ、そのときではない。
***
「おつかれさま、黒哉君」
元の場所に戻ると恵斗が笑いながら手を振った。
「それにしても、まさか刃金龍二を倒すとはねえ。こりゃあ、謎の転入生プロフィールに追加かな」
「あいつ、そんなに有名人なのか」
「まあ、それなりにね」
恵斗は刃金が学年で一番の戦闘成績を持っていることを説明した。
「彼、同学年だとまるで敵わないから、大学生の授業に呼び出されたりもしているのよ。負けるところ見たのはかなり久し振り」
「そうだったのか」
思っていた以上にまずい相手を倒してしまったと、クロは頭を抱えた。
「ねえねえ、黒哉君は今までどこでなにをしていたの?」
恵斗が目を輝かせながらそう問うた。
「えーっと」
まずい。
恵斗が興味津々だ。
この場を切り抜けるため、クロは全力で言い訳をひねりだした。
「親が強くてな。よく指導してもらっていたんだ」
周囲の生徒も耳をそばだてているのか、静けさがクロの周りにだけ漂っていた。
早く授業が終わるよう、クロは祈りをささげた。
「へえ。ご両親はなにか特別な職業でもついてるの?」
「あー、いや、そういうことじゃないんだが」
クロは言葉を濁す。それを拒絶の意志と見て取ったのか、恵斗ははっとしたように引き下がった。
「ごめんね。根掘り葉掘り聞いて」
「いや、別に気にしなくていい」
本心ではほっとしながら、クロは気にしていないようなそぶりを見せた。
(これからはもう少し気をつけて動かないとな)
「それじゃあ、正体不明の転入生君にお願いがあるんだけど」
恵斗の目が光る。クロはなにやら嫌な予感がした。
「なんだ?」
「今日の放課後、少し付き合ってくれない? 私も黒哉君と手合わせしたくなっちゃった」
その言葉に、クロはなぜ恵斗に胸騒ぎがするのか、その理由に思い至った。
恵斗はシオンと同じ目をしている。
(戦闘狂だったのか、こいつは)
見た目は活発な美少女だが、その目に宿るのは熱意。
自分より強い者に、挑まずにはいられない。そんな強い目。
クロは苦笑いをした。
「人は見た目によらないな」
「ほめ言葉と受け取っておくわ」
恵斗はにやりと笑った。どうやら自分でも自覚があるようだと、クロは見て取った。
「まあ、少しくらいなら時間をとっておく」
「ありがと」
恵斗はうれしそうに笑った。
そのあと3組ほど模擬戦闘をして、授業は終了した。
教室に戻ると、クロの席で天音と神谷がなにやら話をしていた。
「おかえりさん」
クロに気づき声をかけてくる神谷。
「ただいま」
神谷の言葉にそう返し、クロは自分の席についた。
「どうだった、授業は」
「ちょっとやりすぎた」
クロの言葉に、神谷は苦笑いをした。
その顔には、あれだけ忠告したのに、と書いてあった。
「やりすぎた、ってなにを?」
天音がクロと神谷の顔を交互に見ながら訊ねた。
「まあ、たいしたことじゃない」
「ああ。たいしたことじゃないな」
「あー、私には教えてくれないの?」
天音が不満そうな声を上げた。その様子に、クロは子供っぽいなと思い、少し笑った。
「神谷君だけじゃなくて鈴掛君まで笑ってる……」
「まあ、そういうことだ」
神谷が適当な言葉で天音を遮った。
しかし、神谷の言葉もまた、新しい来訪者によって遮られた。
「そう? 私はたいしたことだと思うけどなあ」
恵斗が自分の席から移動してきていた。
「恵斗、なにがあったの?」
天音がそう訊ねると、恵斗は少しクロに目を向けたあと、さきほどの授業の様子を話して聞かせた。
「刃金龍二を倒したのよ、彼」
「えっ」
天音と神谷が同時に声を上げる。天音は驚いたように、神谷は警告するような目でクロを見た。
神谷の「それはやりすぎだ」と言いたげな視線にクロは肩をすくめた。
「別に、たまたまだ」
クロがそう言うと、恵斗がクロを見た
「たまたま、ねえ」
「……なんだ」
何か言いたげな恵斗に少しクロは眉を吊り上げた。恵斗は鋭い。クロは自分に対して、恵斗がなにか疑問を抱き始めていると感じた。
「別にー。とりあえず、放課後。忘れないでね」
「はいはい」
自分の席へと戻る恵斗の背中を見ながら、クロは溜息をついた。
「なに、鈴掛君、恵斗とデート?」
「違う」
「なんだ、もうそんなに発展していたのか」
「だから、違う」
聞く耳を持たない2人に否定の声を上げながら、クロは次の授業を確認するために時間割を引っ張り出した。
「そういえば、鈴掛君は寮住まい?」
「いや。寮は埋まっていたから、取れなかった。天音と神谷は寮だったか」
神谷がうなずいた。
「そうだ。まあ、半数くらいしか寮には入れないからな。空きがないのも仕方ないな」
神谷とクロの役割ははっきりしていた。
寮で寝泊りする神谷が天音の身辺を監視し、クロへと伝える。
御影との対面の後、伝言に来た美亜にそう伝えられていた。神谷は戦闘能力が無いらしいので、あくまで連絡役というわけだ。
戦闘能力はないとは言え、神谷の持つ『気配察知』の能力は非常に有効でもあった。彼案ら常に天音の身辺に注意を払える。
「私は恵斗と同部屋なんだ」
天音が言った。
「そうだったのか」
それであれだけ仲がよさそうだったのか、とクロは納得した。
「てことは、もう長い付き合いなのか。天音と恵斗は」
「うーん、そうでもないかな」
小学校からの一貫教育だと聞いていたので、クロはその頃からの付き合いかと思ったのだが、天音は首を横に振った。
「私、この学園に来たの高校からなんだ」
「じゃあ、天音も転入生だったのか」
「うん」
天音は懐かしそうに教室を見渡した。そこにいるのは少し距離を置いて、横目でこちらを見るクラスメートたち。
「この微妙な空気は、私のときもあったよ」
なぜか楽しそうにそう語る天音。
「そ、そうか」
現在進行形で息苦しさを感じているクロは、天音の精神力のタフさを垣間見た。
(天音って天然か?)
クロは目で神谷にそう問いかけた。神谷は黙って深くうなずいた。
「だから、鈴掛君もすぐみんなと仲良く慣れるよ」
「そうだな」
天音はどうやらクロを励ましてくれたらしい。それに気づき、クロは天音に礼を言った。
「ありがとな、天音」
「え? なにが?」
やはり天音は天然だった。
「それで、天音はなんでこの学園に転校してきたんだ?」
少しは命を狙われる原因が分かるかもしれないと、クロは何気なく訊ねてみた。
「えっとね」
天音の顔がわずかに影った。
「5年前、事故にあってずっと寝たきりだったの。それで、やっと15のときに治って、この学校に来たの」
「そうだったのか」
天音はひとつうなずいてから、言いにくそうに口を開いた。
「事故のときに親が死んじゃって。この学校なら国が学費を援助してくれるって聞いたから、ここにしたんだ」
つらい記憶を思い出したのだろう。天音がうつむいた。
「……悪かった。へんなこと聞いて」
それを見て罪悪感を憶え、クロは謝った。どうやら、天音は今まで大変な思いをしてきたようだ。
「ううん。いいの」
天音は元の調子に戻って言った。
「事故の影響でほとんど昔のこと覚えてないし」
クロと神谷は黙ったまま、互いを見た。
暗くなった雰囲気を変えるように、天音は「そうだ」と手をたたいた。
「今度、鈴掛君の家に遊びに行こうよ」
ちょっとまってくれ、それはまずい。クロは焦りながらそう思った。
クロの住んでいるのは『陽炎』の地下拠点だ。一般人には存在が秘匿されているため、場所の特定さえ禁じられている。
天音を連れて行くのは不可能だ。
「いきなり押しかけるのはまずいだろう」
神谷のフォローにクロは心の中で親指をあげた。
「でも、折角だし……」
(折角って何だ)
折角の意味を彼女は理解しているのだろうか。
恵斗との約束を思い出し、クロはそれを活用させてもらうことにした。
「悪いけど、今日は恵斗と約束があるから」
「あ、そういえばそっか。残念。そしたら又今度だね」
天音の中ではどうやら延期扱いのようだ。クロとしては何が何でも中止にもって行きたかったが、これ以上は踏み込むと危険だと判断した。
「ああ、また今度な」
そのとき、休み時間の終了を告げるチャイムが鳴った。
「やべ、席戻らないと」
神谷はそういい残すとそそくさと離れていった。それを見送りながら、天音の視線に気づき、クロは訊ねた。
「なんだ?」
「鈴掛君って、なんか変わってるよね」
その言葉に、美亜にいわれた台詞をクロは思い出した。
「どこが?」
「んー、雰囲気?」
天音は笑いながらそういった。
5月14日 修正