04 転入生
御影との会談から3日後。
今、クロは中央能力育成学園の職員室に居た。
ごわつく制服の感触に、クロはなんども身じろぐ。
『陽炎』の部隊服に着慣れたクロには、シャツやブレザーの硬さが気になって仕方なかった。
(こんなものを毎日着ているのか)
地上の学生も苦労は多いようだ。
「こっちだ。教室まで案内しよう」
担任であると紹介された中年の男が言った。
広々とした、およそ通路とは思えない廊下を歩いていく。
階段を上がる。
さっきと同じ構造のフロアがまた姿を現す。
等間隔で並んだ扉。そのうちのひとつの前で、彼は立ち止まった。
「じゃあ、呼んだら入ってきてくれ」
「わかりました」
担任の男が教室へと姿を消した。
壁の向こう、それまでにぎやかだった室内にしーんとした静けさが流れる。
「今日は、このクラスの新しい仲間を紹介する」
仲間、という単語にクロは『陽炎』のメンバーを思い出した。
(そういえば、アキラの奴、随分うらやましがってたな)
昨夜。
どこからか情報を得てきたらしいアキラは、クロに会うなり興奮した調子で「いいなー」を連発していた。アキラは地上の学校というものに非常に興味を持っていたらしい。
(帰ったら土産話でもしてやるか)
「では入ってくれ」
教室内から投げかけられた言葉に、クロは一歩を踏み出した。
黒板の前で止まり見渡す。
50人ほどの学生が席についたまま、顔をこちらに向けていた。人前に出る経験がないクロは、その好奇の視線に心拍数が上昇するのを感じた。
その視線の中、クロは一人の少女を見つけた。
(彼女か)
まさか、同じクラスだったとは。
銀髪をした少女が部屋の右奥、窓のそばから此方を見ていた。
(白霧天音)
御影総一がなんとしても守ろうとしている少女。なにか特別な能力でも持っているのだろうか。見た目は普通の学生だった。なぜ護衛が必要なのかはうかがえない。
「自己紹介を」
「はい」
男に促され、クロは事前に通達された名を名乗った。
「鈴掛黒哉です。どうぞよろしく」
リアクションは無い。そのことに少しだけ、クロは何かへまをしたかと不安になった。
しかし、担任の男は特に気にした様子も無く、唯一の空席を指差した。
「あそこが鈴掛の席だ」
(それはつまり、そこへ行けという事か?)
とりあえず、いわれた場所へと向かった。
政府により運営される訓練学校で育ったクロには、普通の学校の勝手がいまいちわからなかった。
教卓から見て、右奥の机。
そこへと向かっていて、クロは隣の席が誰なのかに気がついた。
(これも御影長官の手回しか?)
クロの席は天音の真横だった。
偶然か、それとも必然か。
しかし、護衛のためには天音に目の届くところにいなければならない。近くにいられるのは好都合だった。
クロは硬い椅子に座った。クロのために用意されたためか、新品同様に綺麗な机だった。
「それでは、ホームルームをはじめるぞ」
教師の言葉に耳を傾けながら、クロは教室を見回した。色とりどりの掲示物が壁に張られ、その下のロッカーには雑に本や服が詰め込まれている。
天井は高く、整然と並んだ机には乱れも無い。
名門校とは名ばかりでは無さそうだとクロは思った。明るい室内は広く、ナガレの執務室ほどの面積がある。50人を収容しているとは思えない余裕があった。
窓へクロは目を向けた。そこには雲ひとつ無い青空が広がっていた。
「鈴掛君」
「へ?」
声のしたほうに目を向けると、白霧天音が困ったような顔ではにかんでいた。
(なんだ?)
護衛だとばれたのだろうか。そんな不安がクロの胸によぎったがすぐに消した。まだ何のコンタクトもとっていないのに、さすがに気づかれることは無いだろう。
天音は少し目を伏せた。そして顔を上げてクロの目を見た。
「綺麗な髪だね」
「え?」
天音の発言の意味をクロは捉えかねた。
たしかに男にしては多少長いため、目に付くかもしれない。しかし、髪が綺麗だというなら天音のほうだとクロは思った。
光を反射して輝く銀色。
染めているようには見えない。
(初対面では相手をほめるのが、『セカンド』のしきたりなのか?)
そう思ってクロは戸惑う。しかし、近くに座っていた男子生徒数人が噴出したのを見て、自分の感覚はおかしくないとクロは確認した。
「佐々木、外へ出てろ」
「先生、違うんです!」
盛大に噴出したうちのひとりが抗議の声を上げた。
「そうか。なら鈴木も外に出ろ」
「なんでですか!」
とばっちりを受けた生徒が戸惑ったように叫んだ。教室のあちこちから忍び笑いが上がる。
天音だけが恥ずかしそうにうつむいていた。
そうして、にぎやかなままホームルームは終了した。とはいえすることもなく、クロは席についたままでいた。
「やあ、鈴掛君」
そこに、一人の好青年がクロへと声をかけた。
「亜州那神谷だ。よろしく」
亜州那。
その名前に、クロはこの男が御影の用意した『協力者』であると理解した。
優しげな瞳が、姉とどこと無く似ていた。
「鈴掛黒哉だ。こちらこそよろしく」
現在、クロの周りには神谷しかいない。
教室内には一種独特な空気が流れていた。興味と警戒。皆の視線を一身に浴びて、クロはその原因が自分にあるようだと察した。
「少し、学校を案内しよう」
「助かるよ」
この空気から逃れられるなら、どこへでも行こうとクロは思った。教室を出る。神谷に連れられ階段を上っていく。
突き当たりにあった扉を開けるとそこは屋上だった。
ベンチがいくつか置かれ、プランターで紫の花が揺れている。人は誰もいなかった。
「鈴掛黒哉、か。いい名前だな」
神谷はベンチのひとつに腰掛けながら言った。
「まあな」
その隣に、クロは腰を下ろした。
御影総一が用意した、架空の個人。
鈴掛黒哉。
家の事情で転入してきた、転入生。
それが、今のクロだった。
「気づいているとは思うが、僕が『協力者』だ。神谷でいい」
「クロだ。呼び捨てにしてくれ」
それを聞くと神谷は微笑み、空を見上げた。
「美亜がいっていたとおりだ。君は変わっている」
「そうか?」
左右に分けられたクロの前髪が、風で乱れた。
「『ファースト』には見えない」
「神谷」
少しだけ、クロは低い声を出した。それに気づいた神谷は「悪い」といって笑った。
「俺の正体は隠しといてくれ」
クロが『ファースト』だとばれれば、チップの偽造も露見する。学園を追い出されれば、白霧天音の護衛は難しくなる。
「わかってるさ。大丈夫だ」
クロの心配などまるで気にした様子も無く、神谷は言った。そして神谷は視線をクロに移した。
「この学園について、何か聞いてるか?」
「いや、あまり知らないな。名門だということくらいだ」
「そうか」
それを聞いて、神谷はクロにかいつまんで『中央能力開発学園』について説明した。
この学園は一貫教育によるエリート輩出を目標に掲げていた。その結果、初等部から大学部までがこの敷地に集まっている。総勢5千人の生徒を抱えるために、広大な敷地は東西南北で4つのブロックに分けられている。高等部はその中でも南部に位置しており、7つの建物を使っている。
クロたちがいる1号館がその中心であり、本館とも呼ばれる。授業で使うのはここがメインだ。
学校とは思えないその広大な敷地のせいで、『学園区』と呼ばれる事もある。
神谷の説明をクロは静かに聞いていた。
「入学規準が厳しいことでも知られている。『能力強度』が15以上で無ければ、受験資格をもらえないからな」
「たしか、『能力強度』の平均は10くらいだったか?」
クロは訓練生時代の知識を掘り返した。
それと同時に、訓練生時代の記憶がよみがえった。
教官が声を張り上げた。
「超能力の発達限界である『能力強度』。この数値は完全に才能だ。運動神経や知能。そういう物と違い、生涯変わることは無い。そして、その数値が『0』であるものが『ファースト』と呼ばれる。能力を持たない旧人類。そういう意味でこの呼び名は広く定着している」
一人の生徒が手を上げた。
「でも、教官。私たちは能力を扱えます」
「その通りだ」
教官の男は黒板をたたいた。
「『神威』にはまだ謎が多い。なぜ『ファースト』が能力を扱えるようになったのかも、まだ判明していない。だが、ひとつだけ確かなことがある。世界はお前たちを拒絶した。お前たちは敗者だ」
(懐かしいことを思い出しちまった)
クロは少しだけ顔をしかめた。訓練生時代の思い出は、あまり好きではなかった。
「その通り、10だ。詳しいな」
「まあ、人なりにはな」
訓練生時代、クロたちはノートをとる時間も与えられず、ひたすらに知識を叩き込まれた。勝者こそ正義。教官は厳しかった。
クロは敗者になりたくなかった。
だから、力をつけようと努力した。
知識を、腕力を。その全てを。
そうして、クロは今ここにいた。
「どうした?」
「いや、なんでもない」
神谷の視線を感じ、クロはいつのまにか眉間によっていたしわをほぐした。
「あとは、まあこの学園の周囲にはかなり堅固な防御が施されていることかな。能力妨害、警報機、その他もろもろ。正直、あれを突破できる人間はそう多くない。だから、敵は内部にいる可能性も高い」
「なるほどな」
たしかに、すでに敵が近くにいる可能性も捨てきれない。
「僕の能力は『気配察知』だ。だから何か異変があれば」
神谷は懐から小型の無線機のようなものをとり出した。
「これで知らせる。肌身離さず持っていてくれ」
クロはそれを受け取った。
「了解だ」
神谷の説明を聞き終え、クロは気になっていたことを訊ねた。
「そういえば、白霧天音がなぜ護衛を必要としているのか、知っているか?」
「いや、知らされていないな。ただ……」
「ただ?」
そこまでいって神谷は口をふさいだ。しばし硬直した末、彼は頭を振った。
「今はやめとこう。まだ、僕もよくわからないんだ」
なにを神谷が考えたのか。クロはそれが気になった。
「推測でも構わない」
「……わかった」
神谷は言いづらそうに顔をゆがめた。
「美亜が、一度こぼしたことがあった」
ぽつぽつと、神谷は言葉を選ぶように、ゆっくりと話した。
「口にした後にあわててたから、たぶん、口止めされていたことなんだと思う」
「なんていったんだ?」
「『白霧天音は神を目覚めさせる鍵だ』と」
「神?」
クロは眉をひそめた。
「それは、まさか文字通りの意味じゃないよな?」
随分と宗教じみた言い方だ。クロはそれが何かの比喩だろうと推測した。
「おれもそこまではわからない。ただ、天音は普通の奴だよ。2年くらいの付き合いだけど、特におかしい所はない」
神谷もまた何事か分からない、といったように肩をすくめた
「そうか」
今のクロには情報が足りなすぎた。それは神谷も同じなのかもしれないとも思う。
「そろそろ授業だ。戻ろう」
「そうだな」
神谷の言葉にクロはうなずいた。
(神、ねえ)
あいにく、無宗教のクロは神様など信じてはいなかった。しかし、御影の側近である美亜が漏らしたというのは、かなり重大な気がした。
(まあ、そのうちわかるか)
元の道をたどって2人は教室へともどった。
クロが教室に入った瞬間、またあの好奇の視線が集まる。居心地の悪さにクロは溜息をついた。
この見られている、という感覚は精神的に疲れるものだった。なるべく無視するようにしながら席へつく。
見るだけで、近付こうとするものはない。まるでなにかの見世物にされているような気がした。
(なんだかなあ)
これから毎日この視線が続くのか、などとクロが思っていると、思いもがけないところから声がかかった。
「鈴掛君」
「うおっ!」
思わずクロは大声を上げてしまった。さらに注目を集めていることを感じながら、クロは席を立った。
「……なにしてんの?」
クロの机の下に、なぜか白霧天音が居た。
「消しゴム落としちゃって」
えへへ、という笑みを浮かべながら、天音が言った。そのまま立ち上がり、勢いよく机に頭をぶつける。
鈍い音がした。
クロのほうへとさらに視線が集まる。
「し、白霧、早くどいてくれ」
なんだか可愛そうな状況だが、慰めはしない。むしろクロのほうが慰めてほしかった。いまや、教室中からなにやら小声が聞こえていた。
「ごめんね」
頭をさすりながら涙目の天音が出てきた。
「あったのか?」
「え?」
きょとんとした顔で天音が言った。
「消しゴム」
「ああ、うん。あったよ」
ほら、といって天音はクロに右手を開いた。
(いや、別に見せてくれなくてもいいんだけど)
クロの天音に対する第一印象は「なにやらおもしろい奴」に決定した。
「そういえば、さっきはごめんね。てんぱってへんなこと言って」
髪のことだろうか、とクロは思い至った。たしかに、第一声であれを言われたのはかなり驚いた。
「別に構わないさ。白霧こそ、綺麗な髪だと思うぞ」
「本当? ありがとう。あれ、そういえば私自己紹介したっけ?」
(しまった)
つい、名前で呼んでいた。苦し紛れに、クロは「神谷に教えてもらったんだ」と言った。
「ああ、なるほど。神谷君か」
「色々話をしていたんだ」
強引にごまかす。天音は信じてくれたようで、クロはほっと胸をなでおろした。
「じゃあ、改めて」
天音は微笑んだ。
「白霧天音です。天音、と呼んでください」
「鈴掛黒哉だ」
天音のまっすぐな視線に少しだけどきりとしながら、クロは自己紹介した。
「鈴掛君ね。よろしく」
「こちらこそ」
さきほどぶつけたところが痛むのか、頭を抑えながら天音は席に着いた。
そこへ。
「どうしたの? 天音」
茶髪の少女が近付いてきて、天音の席の前に座った。
「あ、恵斗。今ね、鈴掛君とお話してたの」
「ほほお。天音もなかなかやるじゃない」
「どういう意味?」
天音は頭の上にはてなを浮かべて聞いた。それを無視して、恵斗と呼ばれた彼女はクロのほうに目を向けた。
「鈴掛黒哉、だっけ? 私は陣屋恵斗。天音の友達よ」
「ああ、よろしく」
長い髪を後ろでひとつに纏めた彼女は人のよさそうな顔で微笑んだ。
「さっき、天音にへんなこと言われたでしょ?」
「恵斗、な、なんのこと?」
天音があわてたように身を乗り出した。
「だって、さっきこのあたりから噴出す音が聞こえたから。原因になるとすれば、天音くらいかなー、と」
鋭い。
さすがは天音の友達というところか。クロは感心した。
「別に、私はなにも……」
「ふーん」
いまだしらを切ろうとする天音から、恵斗はクロへと目を移した。
「で、どうなの。黒哉君」
天音が目で訴えかけてくる。それを理解し、クロはひとつうなずいた。
天音が安心したように顔を緩めた。
「いきなりナンパされた」
「ちょっと! 鈴掛君!?」
そういって大きく体を動かした天音が椅子から落ちた。
「大胆ね……」
恵斗が笑いを堪えたように肩をひくつかせながら、必死にまじめな顔を作る。
クロの思ったとおり、天音はいじられるタイプの人間だったようだ。
「すまない。天音」
「もう。いいわよ」
すねたように天音は顔を背けた。それを見て恵斗が「子供っぽい」といって笑った。
それを見て、天音も恵斗も悪い奴では無さそうだ、とクロは思った。
「あ、もうこんな時間か」
恵斗の声に時計を見ると、次の授業まで残り5分ほどだった。
「黒哉君は『強化』使える?」
「ああ。それがどうかしたのか?」
突然の質問にクロは首をかしげた。それを見て恵斗は「なら私と同じほうね」と言って立ち上がった。
『強化』とは『神威』のひとつだ。
基本的な力のひとつだが、その名の通り様々な要素を強化できるため、応用の幅が広い。特に戦闘においては非常に好まれる能力でもあった。
「次の授業、『能力育成』っていうんだけど、強化が使えるかどうかで2つに分かれるのよ。で、黒哉君はとりあえずこっちだから、ついてきて」
「わかった」
恵斗が歩き出した。それにクロも早足でついていく。
気づくと、教室に残っているのは半分くらいの生徒だけだった。
「それじゃ、天音。またあとでね」
「はいはい。2人ともいってらっしゃい」
まだ遊ばれたことを根に持っているようで、やる気の無い様子で天音が手を振った。
5月14日 修正