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第陸章 旅立ちの前に

 今回からもう一人の主人公、月夜の視点です。

 私こと霞月夜(かすみつきよ)は悩んでいます。その悩みの種は今、私の横で安らかな寝顔で眠り続ける最愛の姉、雪子の事です。

 私は姉様に対して深い愛情と感謝の意を持っています。しかし同時に云い様の無い程の申し訳無い気持ちと遣る瀬無い気持ちもあるのです。

 嗚呼、姉様。姉様。私の姉様……私の為に、いえ、私のせいでその白雪のような美しい手を紅く染めてしまった姉様。姉様の『罪』は私の『罪』。

 嗚呼、姉様。私の愛しい人よ。貴女は私に微笑んで下さるけど、その笑顔は本心からなのでしょうか?私は貴女の為に何が出来るのでしょう?

 私に出来る事は姉様の代わりに我が手を血に染める事だけ。貴女を穢そうとする者を貴女から引き離す事だけ……たとえ私の身が穢されようとも……

 嗚呼、姉様。姉様。私の姉様……あの日、穢れた私さえも桜花と等しく愛して下さる姉様。口が裂けても云えないこの想い。

 お慕い申し上げます、姉様。









 私達は今、大勢の女性に囲まれて服を着替えさせられています。

 昨日、聖剣の儀を成功させ、勇者の称号を得た私達は本日、この国の国家元首たる聖帝陛下に謁見することになったからです。

 私は青を主体とした絹のドレスに銀の髪飾り(ティアラと云うそうです)を頭に載せられています。当然、着物に仕込んでいた火術の奥義は全て取り外されて少し心許ないです。

 お化粧をしてくれている人の邪魔にならないよう視線を巡らせると、やや憮然として道着を脱がされている姉様を見つけました。

 その背中には大きく抉られたような傷が二つ肩甲骨にありました。いつこのような傷が出来たのかは私にも解りません。本人も忘れているようです。

 両親にいつか傷の事を訊ねてみた事がありましたが、二人とも言葉を濁すばかりで教えてくれず、とうとうお墓にまで秘密を持って行ってしまいました。

 そして、あらかじめ手伝ってくれている彼女らに、姉様には傷の事を触れないよう云い含めてあるので、誰も騒ぐ人はいません。僅かに息を呑む音は聞こえましたけど。

 姉様は髪を解かれると丁寧に櫛を通された後、綺麗に編み上げられて後頭部に纏められました。

 次に純白のドレスを着せられ、様々な宝石をちりばめた髪飾りや首飾り、指輪までされるがままに装着されていきます。

 感心したのはここまで宝石を身に着けているのに嫌味や下品さを感じさせない事でした。

 むしろ宝石の方が姉様の引き立て役になってると云う表現が合ってました。


「うう……このピッチリした“ぱんてぃ”って下着、落ち着かないんですけど……」


 姉様の困惑した声に周りの女性たちはキョトンとしています。

 無理もありません。姉様に限らず、腰巻やあるいは何も着けない事に慣れている私達にはこの下着は馴染まないのです。 

 昔、男の子達に混じって子供神輿に参加した時に締めた褌を思い出してしまいました。


「お化粧なんて母様の葬儀の時に軽くして以来よ」


 苦笑する姉様の顔は既にお化粧が終わっていました。


(ね、姉様……)


 なんと云うか、お化粧された姉様は下手な華族様のご令嬢よりも美しく、まるでお姫様みたいでした。

 私は思わず口が半開きになり、しばらく呼吸を忘れるほど姉様に見惚れてしまいました。


「うわぁ♪ 雪子姉様、綺麗♪ 絵本のお姫様なんか比べ物にならないよ♪」


 何故か、桜花だけカーテンで仕切られた場所で着替えさせられていたのですが、桜花は今、カーテンの隙間から顔だけを出して姉様を絶賛しています。


「もう! 桜花、お世辞なんか云っても何も出ないわよ?」


「お世辞じゃないもん。雪子姉様は自分がどれだけ美人か解ってないよ!」


 私も桜花の意見に賛成です。いくら盲目とは云え、世間の噂くらい耳に入るでしょうに。


「霞流道場に過ぎたるもの二つありき。名刀・大真典甲勢二尺六寸に麗しの女師範」


 こんな戯れ唄まであるのですけどね。


「はいはい、私の事より桜花の方も準備は終わったの?」


 姉様の言葉を受けて、本日の主役たる勇者・霞桜花の勇姿を拝見する事にします。


「終わってるよ♪ 桜花の服は姉様達とはちょっと違うみたいだけど」


 こ、これはまた姉様の時とは違う意味で私は絶句してしまいました。

 水色を主体とし、豪奢に金糸・銀糸の装飾が施された礼服とズボン、そして深紅のマント。

 これは男性用の正装、それこそ絵本の王子様のような格好でした。

 良く見ると桜花の腰には例の聖剣が差してあります。


「桜花、コレ気に入っちゃった♪」


 桜花は帽子を被ると胸に手を当てて優雅にお辞儀をして、ニコリと微笑みます。


「さあ、参りましょう。お姫様達」


 急に表情を引き締めて私達に手を差し延べる桜花に内心ドキリとしましたが、恐らく巴の入れ知恵だろう事は容易に察せられました。


「ふふ、本当に愉しそうね? 王子様になりきっちゃって」


 姉様は優雅に微笑まれると桜花の手を取って立ち上がりました。

 その様子に、いつも道場で厳しい修業を課して門下生達から陰で『姫信長』の仇名で呼ばれていた凄腕の剣客の面影は見えません。


「ユキコ様、ツキヨ様、オウカ様、準備は整いまして?」


 その時、控えめなノックの後にアリーシア様の声が聞こえてきました。


「はい、三人とも準備終了しております」


 代表で姉様が答えると、失礼しますと前置きしてからアリーシア様が入室されました。

 アリーシア様は初めてお会いした時と同じ服装に、豪奢な肩当のついた純白のマントというお姿でした。

 普段のアリーシア様はお姫様としての公務の他、星神教の巫女頭を務められているのでどちらのお仕事もできる服装をされているとの事。

 ちなみに言葉で表すなら、艶やかに黒光りする首から股間まで覆う不思議な作りの肌着の上に、金属製の袴垂のような物と銀色の胸当てと云ったところでしょうか?

 更に金の腕輪に脛当て、細々とした装飾品を付けられています。ただ先に述べた肌着は背中が大きく開き、お尻も半分以上見える程切れ込みが入っています。

 私でしたら恥ずかしくてまず人前には出られない露出度なのですが、彼女は大して気にもしていない様子でした。

 それ以前に彼女のお付きの巫女達はそれに輪をかけて露出が凄いので、星神教では普通の格好なのでしょう……恐らく。

 ついでにお付きの人達の肌着は、上は胸がかろうじて隠れるほどの布を巻いているだけで、下に至っては細い褌のような物でしかありません。


(月夜姉様? あの人達、お臍とお尻が見えちゃってるけど、お腹冷えないのかな?)


(慣れているのではないですか? 意図は解りませんが、皆お揃いの格好ですし正式な衣装として着慣れていると考えるのが妥当でしょう)


 私の腰を突く桜花の問いに私は推測しか答える術はありませんでしたが、桜花は納得したかのように生返事をすると私から離れていきました。


「皆、寒そうな格好だけど、お腹が痛くならないの?」


 今度はアリーシア様達に直球で疑問をぶつける桜花に、私は思わず前につんのめりそうになってしまいました。

 私の答えでは満足しなかったのでしょう。それは解りますが、もう少し遠回しに訊く事ができないのでしょうか?


「ふふふふ、そうですわね。確かに私どもの服装は他の方達と比べると肌を出している部分が多いですね。でも、それには宗教的な意味がありますのよ?」


 桜花の不躾な質問に対してアリーシア様はお気を悪くされる気配を見せず、微笑みながら答えを教えて下さいました。


「まず日の光、即ち太陽神アポスドルファの加護を多く得る為という意味があります。つまり日の光が当たる部分を少しでも多くするという事ですわ。

 そして……これはあまり公言する事は憚られるのですが、遥か天空におわす神々のほとんどが男性の神様と考えられているのです」


「ほえ? 神様が男の人とその格好って関係あるの?」


 桜花は興味津々といった具合でアリーシア様の次のお言葉を待ちます。

 何と云いますか、私には説明の続きの予想がついてしまいました。


「ええ、神と云えどもやはり殿方です。やはり肌を出した女性を見る事がお好きなようですわね。ですから我々、巫女達は極力肌を見せる服の着用を求められるのです」


 さもありなん。

 私の脳裏に天岩戸(あまのいわと)に閉じこもった天照大御神(あまてらすおおみかみ)の気を引くために一心不乱に裸で踊られる天宇受賣命(あめのうずめのみこと)のお姿が浮かびました。


「ふーん……」


 生返事をする桜花の肩に私は手を乗せると力を込めて掴みました。これは桜花に言葉を止めなさいという合図なのです。

 桜花が次に続けようとしている言葉が容易に察せられたからです。


「この世界の神様も助平なんだね」


 そんな事を口走られた日には、私達は世界中に石持て追い回される事請け合いです。

 少なくともこの場にいる巫女達を敵に回す事になりかねないでしょう。


「そう云えば」


 私の合図に気付いていないのか、桜花は平然と言葉を紡ぎました。


「桜花達の国だと山の神様は女の人なんだって」


 私は思わず右手で目を覆ってしまいました。


「まあ、桜花様達の世界では山に神様がおわすのですね」


「うん、それで山で探し物をする時、男の人がアウッ?!」


 物凄い音とともに桜花が頭を抱えて沈黙しました。

 見れば姉様が右肘を下に向けた格好で仁王立ちをしていました。


「アリーシア様に何を聞かせるつもりだったの?」


 ニコリと微笑まれてはいましたが、今の姉様はまさに『姫信長』の二つ名に相応しいお姿でした。

 嗚呼、姉様の背後に第六天魔王と地獄の業火の幻影が見えます。


「姉様、酷……」


「あら? お代わりが欲しいようね?」


 にこやかに右肘を振り上げる姉様に桜花は頭を抱えて逃げ出してしまいました。

 実は姉様は戦いで刃が折れた時を想定して徒手空拳で戦う術を模索しています。

 そこでまず考案されたのが、女性でも十分打撃力を得られる肘の鍛錬でした。


「まだ子供がコブを作って泣く程度の威力か。改良の余地があるわね」


 洒落では済まされない風切り音を震わせて肘を振り回す姉様に私達は唖然とするよりありません。

 凶悪な空気の振動を感じながら、「霞流・目録を得た桜花だからこそコブで済んだのでは?」と思わずにはおれませんでした。


「さて、愚妹の悪巫山戯(わるふざけ)で無為な時間を過ごしてしまいましたが、ここに来られたと云う事はそろそろ謁見のお時間でしょうか?」


 第六天魔王もとい、姉様がアリーシア様に問うと、彼女は頬をヒクヒクと引きつらせながらも「ええ」と答えました。


「我が父、聖帝陛下の準備が整いましたのでお迎えに上がりました」


「わかりました。すぐに参りますわ……桜花? 早くなさい?」


「うう……雪子姉様、コブができちゃってるよぉ……」


 桜花は恨みがましい視線で姉様を見上げますが、姉様はどこ吹く風のようです。


「予定では頭蓋骨陥没だったところをその程度で済んだのだから我慢なさい」


 この言葉に周囲の空気が凍りつきます。


「予定って、雪子姉様……」


「冗談よ」


 おどけるように微笑む姉様に周りの人達は安堵の笑みを浮かべていますが、私と桜花には解ってしまいました。

 姉様が本気だったと云う事を。

 たとえ叱る際の拳骨であろうと人に痛みを与える時は全力を出す姉様の狂気。

 私と桜花にだけ気付く事ができる姉様が時折り見せる凶暴性と云う名の狂気。

 穏やかな笑みの下に隠された暴君。

 おまけに姉様はまだ私達の知らない隠し玉をいくつか持っているらしいと巴から聞いた事がありますし、本当に底の知れない人です。

 その気になれば、まさに彼の織田信長公よろしく恐怖で人を支配できる狂気の人。

 屍の山を容易に積み上げる事のできる力を持つ恐ろしい人。

 それが実行に移されないのは姉様の根底にあるのが“善”だからに他なりません。

 “善”、いえ“人”と狂気の境目にいる姉様を“人”の側に留めるのが私達の役目なのです。


「さあ、行きましょうか」


 仕込みと云う事もあって謁見の間に杖の持込を禁じられた姉様はアリーシア様に手を取られて部屋から出て行きました。

 アリーシア様の腰まで伸びた波型の金髪を見つめながら桜花が呟きます。


「雪子姉様……こういう雰囲気でもアレが出ちゃうんだね」


(そうですね。でも、私達がいる限り姉様は大丈夫です)


 私達は頷き会うと姉様の後を追っていきました。









「朕がこの聖都スチューデリアを治める聖帝『レオン=ジル=スチューデリア』である。 苦しゅうない面を上げよ」


 聖帝陛下のお言葉に私達が顔を上げると、そこには慈愛の笑みを湛えた初老の男性が玉座に腰をかけられていました。

 昨日、予備知識としてアランドラ皇子から「仁政をもってこの国を栄えさせる名君」と聞いてはいましたが、確かに感じる器量が桁違いでした。

 ただ好色が過ぎる一面があり、手を出した女性は貴族、軍人、侍女、平民含めて五百人は超え、子供も二百人を超えるとか……

 五代将軍・徳川綱吉公の時代の大奥二千人と比べるべくもないですが、それでも半端ではない数である事には違いありません。

 ただ救いと云って良いものかは判じかねますが、お手付きの女性は皆すべて後宮にて養っておられ、その家族にもいろいろと便宜を図っておられるようです。

 またこれも当たり前過ぎて評価するものではありませんが、たとえその女性が気に入っても既に恋人や夫がいる場合はお手を出される事はないと云う事です。


「そなたらが太陽神より賜った聖剣を使う勇者であるか?」


「御意! 名を霞桜花と申します。そしてこれなるが太陽神アポスドルファより賜った聖剣に御座います」


 ふふふ、桜花に徹夜で練習させた甲斐あってなかなか様になっています。


「ほう、これはまた見事な剣である。我らの世界の平和はその剣とそなたにかかっておる。頼みおくぞ」


「御意」


 その後、姉様と私が自己紹介をして、世界を取り巻く状況の再確認、激励のお言葉や様々な品を賜って謁見は終了しました。


「大儀であった。今宵は勇者の誕生の祝いと激励を兼ねて宴を催す故、鋭気を養い明日からの旅に備えるが良い」


 陛下が退場されると、謁見の間にホッとした空気が流れました。

 やはり私達だけでなく、周りにいた騎士や侍女の人達も緊張されていたようですね。


「さて、私達も退席しましょうか」


 姉様がそう云って立ち上がると、アランドラ皇子が歩み寄って来られました。


「これはこれは麗しきお嬢さん、少し私めにお時間を頂けませんかな?」


 皇子が軽薄さながらの口調で姉様の手を取ると、周囲の雰囲気がガラリと変わりました。

 皆、一様に苦虫を噛み潰したかのような顔で嫌悪感を篭めた視線を私達に、いえ皇子に向けています。


「はい……その……」


「おお、これは申し遅れました。 私はこの国の……」


 身振りを交えて自己紹介をするアランドラ皇子に益々険悪な空気が流れてきます。

 これは勿論、昨夜の内に皇子と私達とで示し合わせたお芝居です。

 実はこの国の皇族の方々は旺盛すぎる色欲を持て余す人物が少なくないそうです。

 それゆえ、私達が女という事もあって虎視眈々と狙う方も多いとか。

 しかし、彼らには共通する性癖があって、人妻や恋人持ちなど云い方は悪いのですが人の手がついた女性は興味を失うと云う困ったものでした。

 けれど姉様と桜花の安全を保つ為にその性癖を利用させて頂くとしましょう。

 私ですか? ふふふ、私はとうに穢れていますのでご心配無く……

 姉様と桜花は満更でもないといった仕草でアランドラ皇子と話の花を咲かせています。

 独りその様子を眺めている私に一人の男性が近づいて来ました。


「彼らの話には加わらないのかい?」


 アランドラ皇子より二つ三つ年齢が下に見える青年が私に話しかけてきました。


「賢明だね。あのアランドラに近づいたが最後、どんな目に遭わされるか解ったものじゃないさ」


 彼は片目を瞑って見せましたが、不器用なのか瞑った側の顔が大きく引きつっていました。


「僕は王家第百三十七子、サーレンっていうんだ」


 彼は一方的に話しかけてきますが、その言葉は私の耳を右から左へと抜けていくばかりです。

 そもそも下心があからさまに見える笑みを浮かべる彼に、アランドラ皇子の事をとやかく云える権利は無いように思えます。

 アランドラ皇子が軽薄を装う理由が解った気がしました。

 つまり皇族が目をつけそうな女性は皆自分が手をつけた事にしているのでしょう。

 皇子は自ら女性に目が無いと噂を流し、彼の眼鏡に叶った女性は全て手篭めにする、即ち純潔を奪われた事にして皇族の興味を削ぎ護っているのですね。

 ちなみにアランドラ皇子は第三十六子、男子では十六番目であられるそうで、帝位継承権は有って無いものとして敢えて汚名を進んで被っているとの事です。

 彼のお母様は元軍人で剣術の他諜報術に長けた方だそうで、そんな彼女の血を引くアランドラ皇子はまさに精悍そのもの……姉様が気になさる訳です。


「ねえ! 僕の話を聞いてるのかい?!」


 青年が苛立ったように私の肩を掴むと、元々胸元が開いていたドレスがずれて私の乳房が大きく露出してしまいました。


「あっ!」


 私が憮然とした表情で睨むと、彼はバツが悪そうにそそくさとその場から逃げていきました。

 まったく……そう云えば彼の名前は……ヤーレン? ソーラン? 思い出せないのならそれで良いでしょう。

 私は胸元を直しながら姉様達の方を見ると、いつの間にかアリーシア様が姉様を抱きしめてアランドラ皇子に向かって怒鳴っていました。

 しかし、アリーシア様は姉様より頭一つ分背が低いのにどうやって姉様の頭を胸に抱いたのでしょう?

 あ、桜花……「桜花もやってみたい」って姉様を絵本のお姫様のように抱き上げて……

 姉様、長女としての威厳は台無しですが、本当に可愛らしいです。

 姉様を景品とした三人の争奪戦は宴の時間まで続き、周りの侍女や騎士達はその光景に初めは呆気に取られていましたが最後には皆微笑んでいました。









「うー、お腹いっぱい♪」


 宴も終わり、お風呂を頂いた私達は絹の貫頭衣のような寝巻きを頂き、用意された寝室でくつろいでいました。

 桜花はベッドの上で仰向けになると、幸せそうな顔でお腹を擦っています。


「桜花、食べすぎよ? いくら美味しくってもあんなに厚く切ったビフテキを一人で三人前も食べるんですもの……横で咀嚼の音を聞いてて恥ずかしかったわ」


(そう云われる姉様も出てくる料理一品一品作り方を訊ねられて料理人を困らせていましたよ?)


 私はテーブルをコツコツと突いてつい揶揄してしまいました。どうも気分が高揚しています。

 私も出されたワインを甘いとは云えついつい飲みすぎてしまったようです。


「それは作れる物なら作りたいからね。いつも行っていた洋食屋は美味しいけど値段が高めだし」


 姉様は意外と西洋料理がお好きです。

 大蒜を大量に使った物や極端に甘い物を除けば何でも召し上がられます。

 もう顔馴染みになったお店では姉様用に大蒜を控えて調理して下さるので、姉様の嗜好の幅はさらに広がっています。

 思うに西洋料理は目で見て楽しむ日本の料理とは違って香りを楽しむ料理なので、その事も姉様が西洋料理を好まれる一因でしょう。


「そう云えば王様から色々貰ったよね? 見てみようよ」


 桜花はベッドから飛び降りると聖帝陛下からの贈り物が入った箱に手をかけました。


「桜花、王様じゃなくて聖帝陛下よ。我が国で云えば畏れ多くも帝、天皇陛下のような存在じゃないかしら?」


「その割には気さくだったよ? 話し方は堅苦しかったけど、「お主の様な子供に未来を託さねばならぬ情けない朕を許せ」って頭を撫でてくれたし」


 柔らかく微笑む桜花に同調するように私の口元も緩みます。

 あの優しげでご自分を責められているような寂しげな陛下の微笑みはどこか姉様に似ていらしたから。


「確かに為政者としては身近すぎる方だったわね。アランドラ皇子が仁政の人と評するのも解る気もする」


(若い頃、よくお城を抜け出しては綺麗な女性を捜していたと云う陛下は、同時に城下の整備や治世の欠陥も多く見つけられたそうです。その修繕が彼を仁政の人にしたのですね)


 苦笑する私に姉様も、「人生、何が幸いするか解らないわね」と微笑まれました。


「ねえ! 早く見ようよ!」


 待ち切れないと云わんばかりの桜花に私達はもう一度苦笑するのでした。


「うーん……これは世界地図だね。これは各国の火薬を取り扱う組合の手形って云ってたね。月夜姉様への贈り物かな?」


「そうね、月夜が火術を使うと聞いて手配して下されたのね。他には?」


 桜花は手甲のような物を取り出します。


「何だろ? あ、説明書きかな? あう……見た事の無い字で読めないよ」


 私は桜花の手から説明書きを受け取ると、目線を走らせます。

 私は本日、空いてる時間にこの世界の文字を学ばせて頂いたので、簡単な文章ならなんとか読めるようになっていました。


(この手甲は特殊な銀で作られているようです。ところどころ不明ですが、どうやら防御力が半端ではなく、その上まったく重さを感じさせない代物のようですね)


「そうなの? あら、本当に軽いわ。何も着けてないみたい……硬さは……」


 姉様は手甲を嵌めて面白そうに手を振り回した後、愛用の杖で軽く叩きます。


「うん、相当硬いわね……過信しなければ盾として使えそうね。これなら千回素振りをしても疲れる事はなさそうよ」


 普通、千回も素振りをすれば手甲が無くても疲れると思うのですが……


「じゃあ、それは雪子姉様の物だね。桜花には何か無いかなぁ?」


 桜花は数本の細い短刀の様な物を取り出しました。

 柄は真っ直ぐで黒い革製、鍔は無く刀身は私の中指くらいで怪しげな光を放っています。


(これは……失わずの短剣と読むのでしょうか? その短刀は無くしても、気付いた時には所有者の元に戻ってくる物のようですね)


「気付いたら戻ってくるって、呪われてるんじゃないでしょうね?」


「雪子姉様、“天の声”……じゃない、巴がそういう嫌な感じはしないって」


 姉様はしばらく桜花の方に顔を向けていましたが、納得されたのか棒手裏剣代わりにと桜花と半分ずつ分け合いました。

 姉様は私にも持たせようとされましたが、私は手裏剣術が苦手なのでお断りしました。


「あ、まだある……んしょ!」


 これは小瓶に銀色の液体が入って……まさか水銀?!

 桜花が蓋を開けようとしたので慌てて止めようとしたのですが、間に合わずポンと景気の良い音を立てて蓋が開けられてしまいました。


「うにゃ?!」


 桜花の奇妙な悲鳴の理由はすぐに解りました。

 なんと水銀と思しきモノはまるで生きているかのように桜花の体に纏わりついていきます。


「な、何?!」


 やがてソレはいくつかに分かれて桜花の急所を覆うように登って行き、そこに留まりました。。

 私が意を決してソレに触れてみますと、見た目はプルプルと波打っているのに表面は凄く硬いモノでした。


(これは……防具のようですね)


 説明書きに目を走らせて二人に説明をしました。


(その水銀のようなモノは魔法、妖術の類で命を与えられた特殊な銀で、持ち主の意のままに操る事ができるようです)


「い、意のままに?」


 涙目になった桜花が必死になって訊き返します。


(ええ、普段はそうして最低限の急所を護るように展開していますが、試しに右手に集まるように念じてみてご覧なさい)


「わ、解ったよ! 右手右手右手……」


 すると桜花の体についたモノは集まりながら右手を目指して登っていきます。


「うう……体中を蛞蝓が這ってるみたいだよぉ!」


 嫌悪感に身を震わせながらも、桜花は必死に右手に意識を集中させているようです。

 やがて数秒も経たずに桜花の右手は銀の塊に変じていました。


(形も自在みたいですね。桜花、何か形になるように念じてみてください)


「う、うん……」


 桜花が目を瞑って精神を集中させると右手に纏わりつくソレは美しい刀の形に変じました。


「うわぁ! 姉様の仕込みそっくりになったよ!」


 云われて見れば、確かに見事なかます切っ先が目の前にありました。

 ちなみに、かます切っ先とは文字通り、切っ先がかますのように鋭く尖った実戦刀の事を云います。

 姉様は筑後の刀鍛冶・甲勢の作、ニ尺六寸(約80センチメートル)の豪刀を仕込み杖に改造しているのです。


「あはは♪ いろんな形になる! おっもしろーい♪」


 桜花の手の中でソレは槍になり弓になり、様々な姿に変わり、それを見ては桜花はキャッキャッと笑っています。

 なるほど、扱い方次第では強力な武器にもなるようです。

 使いこなせるようになれば、戦いを有利に進めることが出来るでしょう。


「あー、面白かった♪」


 やがて桜花が集中を解くと、ソレは桜花の腕を下りて彼女の急所を守護すべく纏わりついていきます。


「うひゃぁ!! また桜花の体にぃ!」


 ソレが体を這うたびに桜花はビクリビクリと身を震わせます。


「き、気持ちわ……アン! 気持ち悪いよぉ……アフ……ハン……いやぁ……アン!」


 頬を紅く染めて身を捩る桜花は何と云いますか、妙に艶やかと云うか、色っぽい。

 そう、扇情的なのです。


「あう……動か……ないでぇ……ハァン♪」


 私は上を向いて首の後ろをトントンと叩く事を余儀なくされてしまいました。

 ……理由は訊かないでくださいませ。


「桜花、貸してごらんなさい」


 姉様が桜花の胸に触れると、ソレは姉様の腕を伝って全身に纏わりついていきました。


「なるほど、確かにくすぐったいわね……でも、制御は簡単そうよ?」


「どーゆー事ぉ?」


 姉様の言葉に桜花はとろぉんとした表情で、呂律の回らない口調で訊き返します。


「コレが自分の肌の一部と思って動かしたら、くすぐったいのが消えたわ。いえ、本当に自分の肌の一体になったみたいよ」


 姉様が私達の目の前に右腕を差し出すと、瞬時に銀色の鱗に覆われてしまいました。

 いつの間に加工をしたのでしょう?


「ね? 肌の一部と思えば『ナニかが体を這い回る感覚』は起きないから、桜花ももう一度やってみなさい」


 姉様が桜花の手を取ると、ソレは再び桜花の体へと戻っていきました。


「うん……肌の一部肌の一部……」


 次の瞬間、桜花の額から一角獣のような立派な角が生えてきました。


「ホントだ! 雪子姉様の云う通りにしたら気持ち悪いのが消えたよ! おまけにさっきより動かしやすい!」


 どうやら問題は解決したようです。

 しかし桜花の試運転を僅かな時間『観察』して、その身に移しただけでソレを使いこなす姉様は流石です。


「うにゃぁ?!」


 すると突然桜花が再び叫びました。


「ど、どうしたの?」


「あうぅ……と、巴が……」


「巴がどうしたの?」


 桜花が顔を真っ赤にさせてモジモジと途切れ途切れに続けた言葉に、私はポカンと大口を開けてしまいました。


「あの……さっきの桜花みたいに……この銀で雪子姉様も……も、悶えたら目の保養になってたのに……って」


 云わなければ良いのに、桜花は良くも悪くも素直すぎます。

 ほら、ご覧なさい。第六天魔王の御出ましです。


「とお~~~~~~もお~~~~~~うぇ~~~~~~~~~~ッ!!」


「はわ?! な、なんで俺が『表』に?」


 どうやら桜花は姉様の気迫に当てられて気を失ってしまい、巴が強制的に『表』に出てきたのでしょう。


「月夜?」


 いきなり名前を呼ばれて私の心ノ臓は大きく跳ね上がってしまいました。


「この変幻自在な銀の名前は解る?」


(な、名前ですか?)


「早くなさい?」


 気のせいか、お部屋の空気が急激に冷え込んだような錯覚を覚えました。

 こ、これはすぐに答えないと身に危険が……


(な、名前はホーリー・ディフェンサーです!)


「……ありがとう」


 私はその時、姉様の笑顔を見るべきではありませんでした。

 身の毛がよだつってこの事なのでしょうね。

 姉様は微笑まれながらゆっくりと巴に近づいていきます。


「あ……雪子姉? キョウモステキナエガオデ……」


「あら、ありがとう……お礼に愉快な事をしてあげるわ」


 私は耳を塞いで後ろを向きます。

 私は何も見ていません。何も聞いていません。そして何も云いません。


「さあ、ホーリー・ディフェンサー? 可愛い弟をくすぐっちゃいなさい!」


「うにゃぁ?! ちょっ! そ、そこはしゃ、洒落にな、ならねってば! あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」


 いったい巴はどのような目に遭っているのか……興味はあれど見てはいけないと私の本能が告げています。

 やがて巴の断末魔の叫び。いえ、それは姉様が口を塞いでくぐもった悲鳴になっていましたが、その後巴は膝を抱えて部屋の隅で泣いていました。


「お、お婿にいけない……」


 私は何も聞いていません。ええ、聞いていませんってば!

 恐る恐る姉様の方を見れば、姉様は姉様で顔を真っ赤にさせて卒倒されていました。

 さもありなん。口付け程度で気を失う姉様がこんな物(・・・・)をかけられては……


(この臭い、久しぶりですね)


 私は姉様の頬にあるソレを指ですくい、親指と人差し指で弄びながら深い溜め息を吐いたのでした。

 明日からの旅路が物凄く不安です……









 夜が明けて旅立ちの朝。

 目を覚ますと既に姉様は道着を身に纏われて、仕込み杖の手入れをされていました。

 足元は真新しい革製のブーツがあります。

 召喚された時、姉様と私は足袋しか履いていなかった事に気づかれたアリーシア様から頂いたものです。

 桜花に至っては裸足だったのでメリヤス足袋(靴下)も頂いてご満悦です。


「彼の坂本龍馬先生の気分が味わえて愉しいわ」


 とは姉様の言。


「おはよう、月夜。私達がこの世界に呼ばれて三日目、ようやく夢じゃなかったと実感したわ」


 姉様はそんな事を仰っていますが、その顔は自信に満ち溢れていて現実逃避をしているようには見えませんでした。

 その隣では桜花が慌てて道着の袴をつけている所でした。


「おっはよ、月夜姉様♪ いよいよ旅立ちだね」


 袴を着け終えた桜花は二振りの聖剣を交差させて背中に括りつけます。


(おはようございます。私もすぐに準備をしますね)


 私は寝巻きを脱ぐと腰巻と肌襦袢だけをつけて、荷物を探ります。

 まず鎖帷子を着込み、次いで全身に火術の仕掛けを施していきます。その上に私はローブと呼ばれる白い服を纏いました。

 本当は普段着ている紺の着物が良いのですが、動きやすさを重視してこっちの方に変えてみました。


「月夜姉様、よく似合ってるよ♪ いつもより神秘的だね」


 神秘的というのも照れくさいのですが、微笑む事でお礼に代えさせて貰います。


「朝御飯を頂いたらすぐに出発する予定だったけど、少し寄り道をする事になったの」


(寄り道……ですか?)


 いったいどこへ行くのでしょう?


「私達を召喚した大司教……アズメールさんが少し回復して短時間だけならお話ができるそうよ」


 姉様はやや複雑な表情でそう云われました。

 確かに私達をこのような異世界に召喚した張本人に会うとして、どんな顔をして会えば良いのか見当もつきません。


「体力を極限まで消耗させてまで、死ぬような思いをしてまで『秘術』を施した彼女がどんな人か、人となりを見るのも悪くないわね」


 姉様は柔らかく微笑まれていましたが、その本心は窺い知る事はできませんでした。









「あら? 新しい信者の方ですか?」


 朝食と云うにはあまりに豪勢な食事を頂いた後、この地の星神教会へお見舞いに来た私達を出迎えたのはのほほんとした問いかけでした。


「大司教様! 今朝方、目を覚まされたばかりなのに、ご無理をなさっては!」


 私達を案内して下さったアリーシア様が一人の女性に駆け寄っていきました。

 恐らく彼女が大司教アズメール=ガルディゴ……想像以上の若さに私達は言葉を失ってしまいました。

 歳は二十歳前後、中肉中背で橙色の髪をおさげにしています。顔立ちは柔和な童顔でソバカスが少しある事を見逃せばなかなかの美人です。

 彼女はゆったりとした白と青を主としたローブと纏い、子供達に囲まれてニコニコと微笑まれていました。


「あらあら、これは姫巫女様。おはようございます」


 優雅にお辞儀をされる大司教様にアリーシア様の目が点になっています。


「大司教様? 二日間も昏睡されていたのですが、お体の方は大事ありませんの?」


「まあ、二日も!」


 目を丸くしてパンと手を叩くと、なんとも脱力させられる言葉が続きました。


「道理で眠気がないはずですね。日頃の睡眠不足が解消されましたわ」


(姉様……)


 私の呼びかけに姉様の反応はありませんでした。

 不思議に思って姉様の顔を見上げてみると、瞼を開かれて緑色の美しい瞳で大司教様を『視て』いました。


(ね、姉様?)


「どうしたの?」


 姉様はいつの間にか瞼を閉じられて、不思議そうな表情で私の方を向かれました。


(いえ、大司教様があまりにも若々しかったので……)


(その事で月夜に後で話があるの)


 姉様の『言葉』にハッと顔を見上げますが、姉様は既に顔を大司教様の方へと向けられていました。


「ところであの黒い髪のお三方はどなたですの? この様な美しい黒の髪を持つ民族は世界中どこを捜してもいないはずですけど」


 大司教様の言葉から、黒髪を持つ人間はこの世界にはいないようですね。


「そうです! 彼女達は貴女の秘術に導かれ、私達の世界に召喚された希望の勇者達なのです!」


 興奮気味に私達を紹介するのは宜しいのですが、聖剣に認められた勇者はあくまで桜花と巴であって姉様と私は違うのですけど……


「まあ! 希望の勇者よ!アポスドルファの導きに引かれ、よくぞこの世界へお出でくださいました!」


 正直、導きに引かれという部分に引っかかるものがあるのですが、敢えて顔には出さないようにしましょう。


「私は霞雪子、こたび聖剣に認められし勇者・桜花の姉に御座います。不躾ながら貴女様が大司教様であらせられますか?」


「あら! あらあらあら!私とした事がなんと礼儀知らずな……申し遅れました。私は星神教・教祖様よりこの地の大司教を命ぜられているアズメール=ガルディゴと申します」


 興奮して自己紹介を忘れる大司教様に姉様は自分から名乗りを上げる事でキツイ皮肉を叩きつけます。

 やはり道場主をされているだけあって、その辺の礼儀にうるさい姉様には我慢がならなかったようですね。


「ご丁寧な挨拶、痛み入ります。隣に控えしは上の妹、月夜に御座います。故あって言葉を失っておりますので、私が代わりに紹介する無礼はご容赦を」


 姉様の紹介に私は慌てて頭を下げます。


「私が聖剣に認められた勇者・桜花に御座います」


 桜花が前に進み出て頭を下げると大司教様は桜花の前に傅きました。


「た、確かにこれはアポスドルファより託された聖剣!貴女が勇者様ですのね」


 興奮して桜花の手を取る大司教様を呆気に取られて見ていると、何やら背後から冷気を感じて思わず後ろを振り返ります。

 そこには全く表情を無くした姉様の緑の双眸がジッと大司教様を捉えている様がありました。

 普段は下手な宝石より美しいと思って見ていた緑の瞳が、今日に限ってどこか禍々しいモノを感じてしまいました。


「と、ところでどうやって桜花達を召喚したの? 桜花達に聖剣が使えるかどうやって知ったの?」


 矢次早に賛辞の言葉を続ける大司教様に辟易したのか、桜花は質問する事で話題を替えようとしているようでした。


「はい、アポスドルファより授けられた『秘術』はまず瞑想する事から始まります」


 あからさまな話題のすり替えに気付いているのかいないのか、大司教様は妙に潤んだ瞳を湛えて桜花の質問に答えます。


「瞑想が深くなればやがて無想の境地に達します。その時、どこか光を感じるのです。それは希望の光です」


「希望の光?」


「その通りです。アポスドルファの『力』を使うに値する勇者の心の波動です。そこに手を伸ばして掴み取ったのが……」


「桜花達って事なんだね?」


 私には説明が抽象的過ぎて結局概要は解りませんでしたが、桜花は恐らく直感的に理解できたようです。


「流石は勇者様! 飲み込みが早いですわ! そして、その手応えを感じた直後に私は意識が遠のいてしまったのです」


 話を聞いていて、何だか掴み取り漁法の魚になった気分にさせられてしまいました。


「さあ、大司教様。これ以上はお体に障ります。今日はここまでにされた方が宜しいでしょう」


「そうですね。本音を云えば少々体がだるい様に感じます。ここは姫巫女様のお言葉に従って休む事にしましょう」


 アリーシア様が大司教様を立たせると、確かに彼女の顔色は気持ち蒼褪めていました。

 大司教様は力無く微笑まれると、桜花の首に星の形をした首飾りをかけました。


「コレは太陽神アポスドルファの祝福が篭められています。貴女の行く先に幸福があらん事を」


「ありがとう♪ 大切にするよ」


 大司教様は今度は私達に顔を向けます。


「貴女達の心の波動は不思議ですね。強い光を感じると同時に底の知れないナニかを感じます。

 でも不思議とそのナニかは不快な感じはしません。むしろ心地良い波動を感じます。その心で勇者様をお守りください」


 そう云うと、彼女は私達に一礼をして子供達を伴い教会の奥へと下がって行かれました。


「面白い方でしたね」


 大司教様が視界から消えると同時に姉様がアリーシア様に声をかけられました。


「ええ、彼女は知識、信仰心どれをとっても素晴らしい方ですが、何よりそのお人柄を買われて、あの若さで大司教に任命されたのです」


 アリーシア様が誇らしげに答えられると、姉様の眉が一瞬跳ね上がりました。


「ところで彼女の周りにいた子供達は?礼拝客とは思えませんでしたが」


「あの子達は、あのヴェルフェゴールの侵攻から生き残った孤児なのです」


 アリーシア様は哀しげな顔でそう答えられました。


「地獄と化したフレーンディアにおいて有志が子供だけでも出来る限り救おうと努力した結果があの子達なのです」


 その孤児達の一部を大司教様は引き受けて私財で養っておられるそうです。


「国家滅亡という極限の中でよくぞ……アジトアルゾ大陸から魔族を一掃したあかつきには彼らを弔いたいものです」


 姉様が遥か西、アジトアルゾ大陸に向けて合掌されるのを私達は倣いました。


「まあ、そのお言葉だけでも彼らは報われたと思いますわ」


 アリーシア様は涙ぐみながら姉様に微笑みを向けました。









 大司教様との邂逅を済ませた私達は城門に向けて歩みを続けます。

 門を出れば私達はいよいよ第一の目的であるヴェルフェゴール退治に向けて旅立つのです。

 その道すがら姉様は私の肩に手を乗せて指でトントンと軽く叩きました。


(月夜、さっきのアズメールの事なんだけど……)


 いきなり呼び捨てですか姉様……


(大司教様が如何なされましたか?)


 私は姉様の腰に手を当てて、同じように指で軽く叩きます。


(彼女は信用しない方が良いわ。少なくとも油断はしないで)


 私は思わず姉様の腰を掴んでしまいました。


(信用できないとは……召喚された事と関係はないですよね?)


(そんな事、いつまでも拘らないわよ? 私が云いたいのは彼女の言葉の矛盾よ)


 姉様は目が不自由な分、勘が鋭い所があります。

 いえ、勘と云うより洞察力でしょうか?


(彼女は初めに「どなた?」って訊いたのよ? おかしいとは思わない?)


(それは初対面ですし、当たり前の反応では?)


 私の答えに姉様は軽く溜め息を吐かれました。


(いい? 彼女は私達を召喚する時、「勇者としての心の波動を感じ取って、引き寄せた」と云ったのよ? なら、初対面でも桜花の中に波動を感じ取って然るべきでしょう?)


(それはそうですが、勇者の心の波動とは数少ない特殊なモノなのではないですか? いくら桜花が勇者でも常態で、そのような波動が起こせるとは……)


(貴女は心の波動なんて信じてるの? 心に波なんて起こせる道理はないわ。ましてやソレを感じるなんて)


 姉様の指の調子が強くなり、少し痛いくらいになってきました。


(そもそも私達が召喚された時、私達がどういう状況にいたのか忘れたわけじゃないでしょ?)


 その『言葉』に私はハッとなりました。

 そう、あの時は姉様と桜花が丁度内弟子達との朝稽古を終えて、揃って朝餉を食べていました。

 そして急に眩暈に襲われて、気が付くとあのお城の一室に大勢の男性に囲まれていたのでした。


(暢気に朝御飯を食べている状況の桜花から勇者の波動を感じたのなら、常に桜花から勇者の波動を感じてなければ嘘でしょう?)


 確かに……しかも大司……いえ、アズメールは最後に私達の心の波動もどうしたと云っていました。

 つまり、いつも他者の心の波動を感じると云っているようなものです。

 それなのに桜花の心の波動と召喚の『秘術』の時に感じた波動の一致が彼女には解らなかったようです。


(解ったでしょ? アズメールは心の波動なんて感じる事ができないのよ、実際は)


 私は『言葉』も出ません。


(見ず知らずの、しかも見たことも無い黒髪を持つ女が三人訪ねて来たのなら、彼らが勇者かと当たりをつけて、嘘でも「貴女が勇者ですね?」と云うべきだったのよ、彼女は)


(つまり私達がこの世界に召喚されたのは?)


(偶然でしょうね。聖剣の資質も怪しいものよ? まあ、私や貴女に抜けなくて、桜花と巴に抜けたのは案外私達の中で最強の者を選んだってところじゃないかしら?)


 私は姉様の顔を見上げます。それは自嘲でもなく本気で桜花と巴を最強と思っているように感じられました。


(ふふ、才覚を見れば桜花と巴が私を超えるのも時間の問題だというのは解るわ。何せ、去年たった13歳で霞流道場の四天王になったんですもの)


 霞流道場の四天王とは師範である姉様を除いて上位に名を連ねる四人の門下生を指します。

 いずれも目録を許された師範代で、同時に中位、下位の門下生に慕われる人格も兼ね備えた人物が選ばれます。

 いえ、桜花も性格はやや幼い部分はありますが、それでも後輩には慕われていますので……お子様限定ですが。


(さあ、この話題はこれでお仕舞い! やるべき事をやらないとね)


 姉様の『言葉』に、私はいつの間にか城門に辿り着いていた事に気付きました。


(それと今の話は桜花には内緒ね?)


(わかりました。勘のいい巴はいずれ自分で気付くでしょうけどね)


 私の返事に姉様はニコリと微笑まれて頭を撫でてくださいました。


「ここを抜ければユキコ様達の旅が始まります」


 アリーシア様は城門の前で振り返ってそう仰られます。


「はい、私達、雪月花の三姉妹、これよりヴェルフェゴール退治に赴きます。吉報をお待ちください」


 姉様の言葉にアリーシア様は頼もしそうに頷きます。


「そのお言葉、頼もしく思います。でも、くれぐれもご無理だけはなさらないでくださいまし」


 それと――アリーシア様は背後に向かって声をかけます。


「星神教よりの支援だそうですわ」


 アリーシア様に促されて前に進み出たのは私と同い年くらいの紫色をした髪の少女でした。

 腰まで伸ばした髪を綺麗に切り揃え、それほど高くは無い背丈。なで肩の上に理知的な、悪く云えば冷たい印象を与える美貌が乗っています。

 目はややツリ目がちで鼻の上に乗った小さな眼鏡の奥から紫色の瞳がこちらを見ています。

 服装はピッチリとした皮の短ズボンに上半身は赤い布地で乳房を隠すだけの肌着を着用し、銀の肩当てを装着しています。

 その背中には槍が括られてることからそれなりに武芸を修めているのでしょう。


「彼女は星神教会の守護騎士の一人にして、傷を癒す回復魔法の使い手メンフィス=イルーズと申します」


「勇者様、メンフィス=イルーズで御座います。メフィとお呼びください。不束者ですが、宜しくお願いします」


 メフィさんはペコリと頭を下げます。


「この世界に不案内なユキコ様達の案内人にして、治療要員として厳選された逸材です。必ずやお役に立つと私は確信しておりますわ」


 アリーシア様の紹介に、メフィさんは、褒めすぎですと至極冷静に返事をしていました。


「勇者の姉の霞雪子です。治療要員とは心強い。こちらこそ、宜しくお願いします」


 姉様の挨拶にメフィさんは一瞥しただけで、「ええ」とだけ答えました。

 同様に私を見る目もまるで路傍の石を見ているようでした。


「勇者様、旅は困難を極めると思いますが、私が命に代えましてもお守り致します」


 メフィさんは先程、私達に向けた冷たい視線とは逆に、敬意を篭めた目を桜花に向けています。

 成る程、勇者以外は眼中にありませんか。それはそれで構いませんけどね。道案内だけしっかりして頂ければ。


「それでは、アリーシア様。行って参ります」


「ユキコ様、ツキヨ様、オウカ様も息災であられますよう……カイゼントーヤには既に早馬を走らせて船の手配を依頼しておりますので」


「お心遣い、感謝致します」


 姉様が一礼してお別れは済みました。

 いよいよ私達の旅が始まります。


「出発♪」


 桜花の号令と共に私達は冒険の旅へと一歩を踏み出したのでした。









 

 ちょっと長くなってしまいましたが、いい加減冒険に出発させたかったのでここまで書き切りました。

 それと今回から月夜視点で進めていきます。

 つまり月夜の持つ狂気を掘り下げていくことになります。

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