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第伍章 秘剣『野分』

 月夜が私の腕を取り、手際よく手当をしてくれる。

 彼女もまた剣術道場の娘、狼狽えず冷静に対処してくれるのはありがたい。


「月夜、状況を……私の傷の具合も含めて」


(まず腕の傷ですが、今、血止めの薬を塗って、包帯代わりに私の襦袢の袖を裂いて巻きました。無茶をしなければという条件付きではありますが、姉様の腕前でしたら戦闘は可能です。でも、後ほどきちんとした手当をさせて下さい)


 我が妹ながら、迅速かつ適切な応急処置のお陰で楽になった腕をさすりながら続きを促す。


(敵、エントですが、鎧越しとはいえ私の炸裂弾を受けたにしては傷が浅すぎます。流石に身に付けている物はボロボロで裸同然ですが、膝裏まで届く銀色の髪が少しも焦げていないのが不気味です。両手足の爪が異様に鋭く伸びていて、ほとんど凶器と化しています。実際、姉様の腕を傷つけたのは彼の爪です)


 なるほど、刃物にしては傷口がズタズタになっていると思っていたけど、まさか爪だったなんて……


(エントの目は姉様に向けられています。今はスタローグ家の人達と聖、アランドラ皇子がエントを取り囲んでいますが、いつ囲みを抜け出すか分かりません。早急に対策を講じなければならないでしょう!)


対策と云われても、炸裂弾の直撃を受けてなお無傷でいられる怪物相手に使える手段なんて私が教えて欲しいくらいなんだけど……


「いったい、どうなってるのよ? まるで獣みたいになってるわよ!」


『くっ! エントは優れた死霊術師(ネクロマンサー)でな、とりわけ動く死体作成にかけては魔界でも他の追随を許さぬ腕を持っているのだ。エントの奴め、恐らく死の間際に自分自身に術をかけて生ける屍と化し、暴走しているのだろう!』


 聖の焦りを含んだ声に、テーシャの答えは今にも泣き出しそうな子供を思わせる哀しみがあった。


「アンタ達、止められないの?」


『無理だ! エントの操る死体は完全に制御され、術者の命令には絶対的な服従をし、かつ高い成功率をもって遂行する能力の高さに定評があったのだ。今のように対象が自分自身、しかも当の術者が死んでいるとなると、これからエントがどうなるのかおよそ見当がつかない。ましてや、きちんと術をかけていたのかも怪しい。単純に『敵を倒せ』とだけ命令して術を施したとしたら、こちらの動き次第では最悪我ら兄弟までも標的にされかねん』


 テーシャの声は哀しみだけでなく、徐々に焦りや恐怖も混じってきている。

 無理もない。味方のはずの弟が暴走して、いつ自分達に牙を剥いてもおかしくない状況だ。


『更にだ。もう気付いていると思うが、エントの体が綺麗すぎると思うだろう?』


「こんな時に身内自慢? 確かに女と見紛うほどの切れ長の美形だし、傷一つない綺麗な体してるけどさ……あ、その唐辛子(隠語)は小さくて可愛らしいわね」


『どこを見ているか! 私が云いたいのは爆弾で殺された男の死体とは思えぬだろうという事だ! エントは美意識の高い奴でな、どんなに能力が高くても外見が醜く腐った死体は使いたがらない男なのだ。だから、奴の術は死体を操ると同時に生前に近い状態へと修復する機能も付与される。つまり、エントの屍は高い戦闘能力に加えて、ある程度の自己修復能力があると考えた方が良いだろう』


「いや、情報はありがたいんだけど、何故、敵である俺にコイツの事を教えるのよ?」


 聖の疑問ももっともだと思う。確かに私もスタローグ家には友情めいた気持ちが芽生えてきている自覚はあるし、向こうもこちらに好意的な感情もあるだろう。しかし、それでもエントの力を教えて貰える理由にはならない。


『云ったであろう? エントは暴走していると……見よ、あの浅ましい(けだもの)のような目を。獲物を狙う誇り高き狩人たる(けもの)の目ならまだ良い。だが、今のエントの目はただ暴力に身も心も奪われた人面獣心(けだもの)のソレだ。だから止めて欲しいのだ。エントがただの暴力者に堕ちてしまう前に……情けない話だが『マリオネット・アームズ』で魔力を使い果たした我らでは足止めすらできぬ……』


 これは小さかった。

 道に迷い、心細くなって今にも泣き出しそうな子供のようなか細い声だった。

 しかし、私にははっきりと聞こえた。聞こえた以上は応えなければならない。


『誰か弟を助けて』


 ただ純粋に使命を果たす為だけに、自ら外道に堕ちる覚悟をしてしまった弟を助けて欲しいと願うテーシャの心が『視』えてしまった。


「お引き受け致しましょう」


『ユキコ?』


 半ば涙声のテーシャが不思議そうに声を上げた。


「勇者と聖剣を滅ぼす使命を全うせんが為に、自らを怪物と化した弟御の覚悟はご立派なれど、このまま外法に身を任せては地獄へと堕ちましょうや……」


 私は太刀を佩くように杖を袴の帯に挟み、左手の指を開いたり閉じたりして痛みを確認する。

 大丈夫。この程度の痛みならばお役目の最中は耐えられる。


「健気な弟御を地獄に行かせるは忍びない哉。ならば代わりに地獄へと堕ちましょう。外法の術をばバッサリ断ち切り安らかなる冥福を捧げましょう」


 私が聖に顔を向けてゆっくりと頷くと、云わんとする事を察したのかスタローグ家の面々に、合図をしたらエントから離れるように指示を出した。


「憐れ『死人返り』となった弟御の地獄行、肩代わり致しましょう」


 『地獄代行人』のお役目は、何も正面から悪を斬ってきた訳じゃない。

 世の中にはいるもので、死す事で徳川幕府、今ならば明治政府に悪影響を及ぼす権力者。

 裏で悪い事をしていても、表では善行を積む事で人々から慕われている者共。

 ―即ち悪として葬ってはいけない悪の存在がごまんといた。

 そんな力業の使えぬ悪に霞流は戸惑ったが、それならばと知恵を絞り、我が霞流の祖・霞籐右衛門が山中での荒行の過程で友誼を得た山伏から伝授された外法を用い、標的に神罰が下ったように見せかけたり、善人だった者が妖魔に取り憑かれて悪行に走り、ソレを謎の剣士が倒したとして始末したりと人智を超えたモノの祟りとして標的を仕留めるようになった。

 腰に差した大真典甲勢二尺六寸、先祖代々、そういった人の世に蔓延る悪を妖魔の形にして斬り捨てて九百と七十と七……

 悪に苦しめられてきた人々、斬り捨てられた悪どもの恨み辛みを吸い続けて最早、妖刀と呼ぶに相応しい存在となっていた。


「第十五代目霞家当主・雪子……地獄行、代行致し候」


 私は体を居合腰に沈めて杖の先端に右手を添えた。


「今!」


 剣の合図と共に、スタローグ家の気配がエントから離れた。

 そう察した時には、既にエントの気配が目前まで迫っていた。


「せい!」


 私は矢のように飛んで来る殺気の先端に合わせて『車輪』を放った。

 『車輪』とは霞流居合の基本中の基本で、文字通り自分の体を軸として車輪を描くが如く抜き付けて前面の敵を薙ぎ払う技だ。

 また基本故に応用技も多く、この技を完全に自分の物にして使いこなす事ができるようになった門下生は例外なく上達が早い。


『グロロオゥッ?!』


 手応えを感じたと同時に、エントは憎悪を含んだ叫び声と共に後ろへと跳躍した。


『なっ?! 山猫を思わせるエントの攻撃を防ぐどころか迎撃するとは!』


『見事だ、ユキコ! 今の斬撃でエントは右手の五指を失った! 自己修復を終えるまでの間は攻撃力が幾分削がれるはずだ!』


 テーシャとマーストの驚愕と賛辞に私は軽く頷くことで返した。

 しかし、自己修復か……戦闘中に傷が癒えるとはなんとも厄介な話ね。

 私は素早く二尺六寸を杖の中に納め、エントとの間合いを測る。

 すると、私の気持ちを察したのか聖が彼らに声をかけた。


「エントの操る屍を倒す術はあるの?」


『ああ、勿論あるぞ。エントの作る動く死体の秘密は血液にある! 詳しくは流石に我ら兄弟にも教えてはくれなんだが、奴は自らの血に術を施し、ソレを屍に注入することで操り人形へと変えるらしい。即ち、奴の血を屍から抜くことで術を弱められるだろう』


 抜くって目の前にいるのがエントその人なのだけど……

 それに死体を斬ったところで出血なんてたかが知れてる。

 いえ、人一人から全ての血を抜くなんて不可能に近いだろうに……

 愚痴をこぼしそうになった私を先制するように今度はテーオちゃんが答えてくれた。


『アタシはよくエント兄様のお手伝いをしていたから知ってるけど、兄様の作る動く死体は生者と同じように心臓が動いてて血液を循環させているわ。理由は二つ、血液を循環させることで術を施したエント兄様の血を屍の全身に行き渡らせるという意味。もう一つは任務中、死体だってバレないようにっていう生者としての擬装ね』


 だから、大動脈を斬れば生きてるかのように一気に血が噴き出すはずよ、と得意げに云うテーオちゃんに私は思わず、でかした、と大声を上げた。


『いきなり大声出さないでよ。吃驚するじゃない! ほら、折角、修復中で大人しくなってたエント兄様も驚いて威嚇の唸り声を上げてるじゃない!』


 私は苦笑しつつ謝罪して、すぐに笑いを引っ込めた。

 再び居合腰に構えてエントとの間合いを測り直す。


「……秘剣『野分(のわき)』を遣う」


 私の呟きが聞こえたのか、月夜と聖から息を呑む音が聞こえた。

 今から遣おうという『野分』は私が自分専用に独自に編み出した技であって、霞流に伝えられているものではない。ましてや、門下生に教えられるような技でもない。

 私の能力『心の眼』は確かに盲目である私に敵の位置、動き、心理を教えてくれる。

 しかし、『心の眼』は極限まで高めた集中力を必要とする為、長期戦では遣えないという弱点がある。

 それ故に私は一つの結論に達した。勝負を一瞬で終わらせる事、即ち一撃必殺と。

 桜花や巴は勿論、月夜にさえも見せた事のない必殺の秘剣……

 いずれ、再び敵としてまみえるだろうテーシャ達にも見られる事になるけど、それもやむなし。

 仮に『野分』が彼らに看破されようとも、霞流にはまだ三つの奥義が残っている。

 霞流剣術の基本技、応用技を究め、更に自分の体格や動きの癖に合わせた工夫を凝らして独自の進歩ができるようになって門下生は目録を許される。そこで、初めて三奥義の存在を明かし、道場に住み込みをさせ、通常の稽古が終わって中位、下位の門下生が帰った後に奥義伝授の修行に入る。

 もっとも、奥義伝授は本人が必要としなければ無理に教えるつもりはない。

 剣の腕があれば世の中を渡れる戦国の世じゃあるまいに、激動の幕末もとうに過ぎ去った新時代においては剣術など廃れる一方で、今じゃ精神修行か護身術程度になりつつあって奥義の遣いどころなんて無いに等しい。

 そもそも、霞流道場は荒稽古でも知られていて、当道場の目録は他道場の免許皆伝に匹敵すると云われているから、目録で満足してしまう門下生が多くなってしまっているのが現状なのだけどね。

 ああ、いけないいけない、戦闘中だったわ。

 日本の剣術の未来を嘆く前に、今はお役目を務めなくては……

 私とエントとの間合いはおよそ四間(約七・二メートル)。

 いくら居合が両手持ちより間合いに利があるにしても離れすぎていると思うでしょう?

 でも、これが『野分』を仕掛けるには丁度良い距離でもあるの。


「エント。己の主の為、己に課せられた任務の為、誇りを失おうとも外法に身を委ね死して尚も戦わんとする貴方に敬意を払い、我が不敗の剣をお見せするわ」


 私は居合腰のまま上体を前に傾ける。

 すると、エントは私が勝負をかけようとしている事に気付いたのか、唸り声を止め先程とは打って変わって静かな殺気を全身から放出し始めた。


『え、エント兄さんとユキコさんの気配が変わった? いったい、何が始まろうとしているんだろう?』


「姉貴はいまだ誰にも見せた事のない秘剣を遣うらしいわ。エントも姉貴の勝負の気迫を察したようね……上体を低くして素早く跳ぶ構えを取っているわ」


 アンリ君と聖の遣り取りを聞き流しながら、私は摺り足で間合いを詰めながら、時折右肩を下げて、「抜くぞ!」と云わんばかりに挑発してエントの警戒心を煽る。


「いざ尋常に……」


 私が一歩大きく前に踏み出すと、ソレに触発されたのかエントの殺気が大きくなった。


「勝負!」


 ほぼ同時に私は駆け、エントが跳びかかってきた。


「ユキコ様!」


 アリーシア様の叫びと同時に私は跳躍し、突き出されたエントの左腕と交差するように大真典甲勢二尺六寸を抜き付けた。


「おお!! 野の草を吹き分ける疾風の如き秘剣は正に『野分』!!」


 私達が擦れ違って着地し、間髪入れずに振り返ると、アランドラ皇子の呟きが聞こえた。


「……『死人返り』を倒したり……妖魔九百七十八斬、南無八幡大菩薩」


 血振りをくれて杖に刃を納めた瞬間、エントの立つ位置から鳥の囀りに似た哀しげな息の漏れる音が聞こえ、遅れて風が唸るような恐ろしげな噴出音が続いた。

 この血の噴き出す音が幼い頃、野分の夜に布団の中で怯えながら聞いた風の音に似ていた事から私はこの秘剣に『野分』と名付けた。

 私とエントが擦れ違う瞬間、私の剣はエントの首筋を捉え、逆にエントの爪は袴の左側を浅く裂き、左腿に少し血が滲む程度の傷を受けたに過ぎなかった。

 秘剣『野分』とは敵の呼吸、太刀筋を読み、相手の間合いの外から跳躍しながら上体を伸ばし、抜き付けた腕、剣先を伸ばす事でかなりの遠間から仕掛ける事が出来る。

 しかも、この秘剣の狙いは相手の首筋にある重要な血管であり、更に捻るように斬るので僅かな傷でも大出血を起こして私の勝利は確定する。

 無論、外せば無防備な体を空中に晒す事になるので、間合いの取り方、相手の行動を先読みする勘がこの技の肝である事は云うまでもないわね。

 四間以上の間合いは、跳ぶ為の助走だけでなく、敵の動きを『視』て、行動を先読みする為の猶予を作るのに必要なものだ。

 これが、私の出した結論である一撃必殺の完成形の一つになる。


『グロロロロロゥ……』


 エントから苦しげな声が漏れる。

 噴き出す血と風が絡まるような音から、気管まで斬り裂いていた事が分かった。


「介錯を仕る」


 徐々に出血の音が小さくなっているのに動く気配がないのは、傷を癒しているのではなく、体内の血が尽きかけているからだろう。

 私はエントの苦しみが長引かないよう首を落とす為に、彼の背後に回ると二尺六寸を振り上げた。

 霞家も昔は極秘に切腹の介錯を請け負っていた事もあるので、切腹者の首を喉皮一枚残して落とす技術も伝えられている。それは抱き首と云って、首を完全に落とす事で周りに血を散らさない為の所謂、介錯人としての礼儀ね。結構、難しいのよ?

 ちなみに何故、極秘だったのかと云うと、切腹の介錯は首を一撃で落とす熟練者でなければ務まらず、介錯の失敗は武芸の不心得として大いに恥とされた。だから、家中に腕の立つ者がいない場合は、他家に気取られぬよう腕の立つ介錯人を雇う必要があった。


『エント、もうすぐだ……もうすぐユキコが楽にしてくれるぞ』


 テーシャの涙声が聞こえたのか、エントはゆっくりと意味を持つ言葉を紡いだ。


『あ、姉者……僕は負けたのか?』


『エント! 正気に戻ったか!』


 テーシャは安堵と哀しみが入り混じったような複雑な声色で、私との勝負の結果を伝えた。


『ああ、自らをアンデッドにしてまで任務を完遂しようとする気迫は見事であったが、相手が悪かった……だが、誇るが良い。お前を倒したユキコは尊敬に値する剣士だ』


 テーシャは、大真典甲勢を振り上げていた私の手を下ろすとエントの元へと導いた。


『このユキコはな、地獄に堕ちようとしていたお前を命がけで止めてくれたのだ。いくら感謝をしても足りぬぞ』


 エントの近くにいたのか、マーストはそう云っては私の手の上に恐らくエントのモノと思しき手を重ねる。

 死体にしては意外と温かいエントの掌は男の人とは思えぬほど滑らかで、まるで絹織物に触れているようだった。


『そうか……ありがとう……いや、この場合は、すまなかった、かな?』


「否、感謝も謝罪も不要よ。貴方は命だけでなく誇りさえも引き替えにして任務を達成しようとしていた。主の為とはいえよくぞ……その忠誠心には私も尊敬の念を抱いたわ」


 

『優しいんだね、君は……外道に堕ちた僕にそんな言葉をかけてくれるなんて』


 エントの手に僅かながら力が籠もった。

 気が付けば、西洋刀(サーベル)を思わせる凶器と化していた爪は人のソレになっていた。


『君は不要と云ったけど……あえてもう一度云うよ……ありがとう』


 そう言葉にしたきり、エントはもう喋ることはなかった。

 急激に冷たくなっていくエントの手とテーオちゃんの泣き声で、私は漸く彼が解放されたのだと悟った。


「テーシャ……」


『なんだ?』


私の呼びかけにテーシャは嗚咽を堪えながら答えた。


「フレーンディアに帰還したら、ヴェルフェゴールに私の言葉を伝えて貰えないかしら?」


『伝言だと? それは構わないが、何と伝えるつもりだ? もしや宣戦布告か?』


 テーシャの戸惑ったような声に、私は苦笑して首を左右に振った。

 けど、それも面白いかも知れない。


「私がアジトアルゾ大陸に乗り込むまでに、厠の扉を精々頑丈に作り直しておきなさい。最後はきっと、そこにブルブル震えながら逃げ込む事になるのだから、と」


『つ、伝えた後で我々が閣下のお怒りに触れそうで、できれば断りたいのだが……』


「いやね、冗談よ」


 元々、宣戦布告などするつもりはなかったし。

 ただ、忠誠の徒たるカイゴーとエントの死に様を、せめて上役であるヴェルフェゴールには褒めて欲しいと伝えて貰いたかっただけよ。


『そ、そんな下弦の月を思わせる恐ろしげな笑みを浮かべられては冗談には聞こないのだが……』


 あら、いつの間にか口の端がつり上がっていたわ。


『テーオもアンリも怯えるので、その歪な笑みはやめてくれ』


 失礼な話だ。

 とりあえず私は手で口元を糺すと、エントのそばで正座をする。


「手にかけた者の義務として、私達もエントとカイゴーの菩提を弔わせてもらうわ」


『そうか、兄者達も喜ぶと思う。ありがとう』


 異世界の、しかも魔族の弔いに般若心経もないので、私は何も云わずに二人の冥福を祈った。


『敗れた戦場にこれ以上は留まれぬ。我らはアジトアルゾ大陸へ帰還するとしよう』


 祈りが済むと、マーストが帰還の旨を伝えてきた。

 長兄であるカイゴーの死により次兄のマーストが家長となるらしく、エントの遺体を運搬する段取りを立派に指揮している。

 アリーシア様の厚意で純白の布でエントの遺体を包んだ彼らは例の『影渡り』の準備を始めた。

 その際、テーシャがどこから出したのか、パンを一斤取り出してスタローグ家と私達、霞家の人数分に切り分けて配る。


『我らは糧を分け合う兄弟なり。笑いも涙も分かち合う家族なり。我らが絆よ、永遠たれ』


 促されるまま口に入れ、咀嚼して飲み込むと、テーシャが先の宣言をした。

 何でも魔界と呼ばれる魔族の世界では食べ物を分け合う事は神聖な行為とされているらしい。

 日本でいう杯事のようなものだろう。


『今、この時より我らは何人にも侵されぬ絆を得た。ユキコよ、我らは敵であると同時に家族となったのだ』


 テーシャの声は神官のように厳かに響いた。

 なるほど。兄弟分どころか家族となる儀式だったのね。

 随分と惚れ込まれたものだけど、不思議と迷惑とは思わなかった。


『今後、我らが貴様らを討つ事になれば、我々は万人に誇れるスタローグの家族として貴様らを葬ろう』


 面白い。

 この愛情深き宣戦布告に私も応えなければ嘘だ。


「ええ、私達が勝った時も貴女達の事は素晴らしき霞家の一員として葬る事を約束するわ」


 交わされている言葉は物騒極まりないものであるが、雰囲気のせいか不思議と静謐な空間を作り出していた。


『では、さらばだ。我ら以外の者に殺されてくれるなよ、家族よ』


「ええ、いつでも待っているわ。他の魔族に出し抜かれないでね、家族よ」


 その後、スタローグ家は自らの影の中へと消えていった。

 こうして異世界での初戦闘は終結した。

 戦績はガルスデントでも名の知れた武将を二名討ち果し、上々と云えるだろう。

 そして『地獄代行人』の報酬として得難い家族を得た。

 今後、スタローグ家とは互いを尊敬し合う敵として長い付き合いとなるに違いない。

 私はこの奇妙な絆で結ばれた縁を心の底から嬉しく思うのだった。









 翌日、聖剣に選ばれし勇者となった私達は聖都スチューデリアの聖帝と謁見する事となる。

 そして旅立ちの際、私達、雪月花の三姉妹をこの世界へと召喚した大司教と邂逅する。

 聖帝とは如何なる人物なのであろうか?

 大司教を前に私達の胸に去来する感情とは何か?

 それはまた次回の講釈にて。


 漸くスタローグ家との戦いに決着がつきました。

 考えてみたら、まだ旅立ってもいないのにいきなりボス戦が始まったようなものでしたね。

 もっとも霞三姉妹だって上限がレベル50のRPGなら雪子はレベル40、月夜はレベル36、桜花ならレベル30でスタートするようなものだったりしますが。

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