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第弍拾伍章 その名はクラウン=セカンド

 翌日、未明の内から街の入口で待機していた我々に近づいてくる馬車がありました。

 馬四頭で引く如何にも豪商が使いそうな幌馬車で、拵えが立派で機能性にも優れていそうです。

 成程、商人風の馬車なら海賊を釣るにも効果があるでしょう。

 ただ問題があるとすれば……


「で、何故(なにゆえ、貴女がここにいるのです?」


「そりゃあ、決まっている。ボクと授かり児の命を救ってくれた恩人の手助けをする為さ」


 そうです。昨晩、逆子を治療し、子供を取り上げた巫女のルアムワート女史が馬車の前で陣取っていたのでした。

 命懸けの出産を遂げた翌日とは思えないほど肌にはツヤがあり、その両足はしっかりと大地を踏みしめています。

 雪子さんの鍼治療の賜物か、少々浮腫(むくみ気味だった顔や足はすっきりとして健康そうではあるのですがね。

 しかし、農家のおかみさんじゃあるまいに出産してすぐに動いて平気なのか、と不安を覚えるのは仕方ないでしょう。

 事実、雪子さんの表情には不機嫌さがありありと浮かんでいました。


「手助け、大いに結構。なれど貴女は母親になったばかり……アセロ閣下の御子のお世話は宜しいのですか?」


 するとルアムワート女史はケラケラと笑ったものです。


「ボクの仕事は子宮を貸して代理母を勤め、生まれた子に星神教の神々の祝福を授けるまでだよ。あの子を育てるのは乳母の仕事であって、ボクはもう御役御免さ」


 確かに結婚しているわけでもなく、巫女としてなら最早アセロ軍師との関係はそれまでなんでしょう。

 その辺りの事情は遊女を母に持つ雪子さんも充分に呑み込めたのか、納得したようです。

 ただ、桜花君だけは簡単に割り切れる姉と巫女に不満を抱いているようでしたけどね。


「しかし、この格好は如何なものかと」


「きゃっ!? な、何を?」


 雪子さんは衣擦れの音で察したのか、ルアムワート女史の全身に手を這わします。

 そう、彼女は肩口から太腿まで包み露出こそしていないものの、体の線がくっきりと分かる黒い肌着に、腰に青い布を巻いただけの格好だったのです。

 金属製のブーツと肩当てに純白のマントが無ければ、巫女と思えなかったでしょう。

 カイゼントーヤ人特有と云われる褐色の肌、雪子さんに勝るとも劣らない長身、殆ど真っ平らな胸と言葉にすれば男と見紛うのではと思うでしょうが違うのです。

 肩からキュッとくびれた腰周りまでが描く曲線は確かに女性的であり、顔立ちは精悍ながらも幾人もの男女と閨を共にした巫女の色香が存在しています。

 青い髪は短いながらも手入れが行き届いており、香油の香りが自身を女性であると主張しているのです。


「私は忠告しましたよね? 衣服はきちんと身に纏うべきです、と」


「し、仕方ないだろう。ボクが巫女である以上、神々にこの肌をお見せするのは当然の義務だし、常夏のカイゼントーヤでは男女ともに半裸は当たり前なのだからこれでも抑えている方さ」


 確かに漁師町のおかみさん達を見るに付け、真夏の下町の女房衆よろしく平然と肌を露出させてはいましたが……

 しかし、雪子さんが云いたいのはそこではないでしょう。


「体を冷やすなと云っているのですよ。仮にも人様の子をそのお腹で預かる以上は、無事にその子を産まなければならない義務があるのではないですか?」


 雪子さんが右目だけ開いてルアムワート女史を『視』据えると、彼女は金縛りにあったかのように動けなくなってしまったようです。


「幸い、あの場は私が逆子を矯正する術を持っていたから事なきを得ましたが……もし、私がいなかったとしたら、貴女は無事に子供を産むことができましたか?」


 いつ見ても日本人とは思えない緑色の瞳は、威圧をしているわけでもないのに人の動きを封じる眼力を秘めています。

 ルアムワート女史もその瞳の魔力の前では言葉を詰まらせ俯くばかりです。

 空気が重たくなっていく中、アランドラ様がなんとか二人の間に入りました。


「そ、その話はいずれ改めた場所でということにしましょう。それより巫女殿は先程、手助けとおっしゃいましたが、それは如何なる意味を?」


 アランドラ様の言葉を切っ掛けに金縛りから立ち直ったルアムワート女史は、居住いを正して雪子さんにお辞儀をしました。


「我が命を救ってくれた騎士に忠誠を! カイゼントーヤ巫女頭補佐・ルアムワート、心身は元より魂魄の全てを騎士・ユキコに捧げます! 如何ようにも御命じください!!」


「では、早々に帰って軍師閣下の御嫡子にお乳を与えなさい。以上!! では、カナンに向けて出発するわよ」


 にべもしゃしゃりもないとは正にこの事。

 ルアムワート女史に背を向けるとアセロ軍師の遣いであり、馬車を用意してくれた兵士に挨拶をするのでした。


「そ、それはないんじゃないかな!? まさか巫女だから戦闘はできないと思っているのかい? なら心配は無用さ。ボクは……」


 自分を売り込もうとするルアムワート女子を今度は両の目を開く事で黙らせます。


「アランドラ殿の助けがあったとはいえ、私の『不動金縛りの術』を破った時点で貴女が優秀な戦闘員であることは存じています」


 聞いての通りです。

 雪子さんは霞流道場の四天王の一人である雀蜂のお紅さんからいくつか忍術の心得を伝授されており、自身の剣気を利用した『金縛り』を会得しています。

 剣術においては雪子さんが師ですが、暗殺者としてはお紅さんが雪子さんを鍛えるという相身互いの関係なのであります。

 その結果、雪子さんは初めて行くブレイズフォード家の広大なお城の中でも迷わず標的のエスパンタリオを見事仕留めのける程の技量を身に付けたのです。


 さて話を戻しましょう。

 自分の技量を認めながら同行を許さない雪子さんにルアムワート女史は憤慨しているのですが、暖簾に腕押しです。


「では、これは如何なることですか?」


 何を思ったか、雪子さんがルアムワート女史の胸を揉みしだくと、彼女の肌着が見る見るうちに濡れて染みが広がっていきました。

 それは彼女が紛れもなく母親である証拠だと云えるでしょう。


「貴女の理屈では母ではない、それは正しいのかも知れません。しかし、貴女の体は……否、心底は母である事を望んでいるのではありませぬか?」


 項垂れるルアムワート女史を雪子さんは優しく抱きしめます。


「私の助けになりたいという貴女の気持ちは嬉しい。実際、貴女ほどの実力者が仲間になってくれればどれほど心強いでしょう」


 しかし、と力強くルアムワート女史の肩を掴んで引き離すのです。


「貴女がなんと云おうと貴女は母親なのですよ。心の底ではあの愛らしい男の子をその手で抱きしめたいと望んでいるのでしょう?」


 聖書にある聖母の如き慈愛の微笑みを浮かべた雪子さんをルアムワート女史は泣きそうな子供のような表情で見つめます。


「私には母の記憶がありませぬ。母の温もりも、声も匂いすら覚えていません。そのような哀しみをあの子に与えてはいけません」


「ぼ、ボクはは巫女だ。現にボクはあの子以外にも代理母として既に三人の子供を産んで……そんな私があの子だけ……」


「でも、愛しているのでしょう? ならば先の三人の分も愛してあげなさい。貴女の精一杯の愛情をあの子に与えてあげるのです」


 ルアムワート女史はとうとう跪いて雪子さんに祈るように叫びます。


「ボクは……私はあの子の……エスクドの母親になっても良いのでしょうか?」


「エスクド……良き響きの名前ですね。エスクドがカイゼントーヤの未来を担えるように貴女が導いてあげてくだされ」


「ああ、私はエスクドの母親……それで良いのですね、我が守護神、『亀』の神々よ!」


 ルアムワート女史は感涙にむせびながら雪子さんにいくつかの青い宝石を持たせると、愛する我が子とアセロ軍師が待つ街へと帰っていきました。


「やれやれ……出発前に余計な手間を取らせられたわね」


 雪子さんは宝石を小さな革袋へ入れると懐に入れながら気怠げに呟くのでした。

 そんな彼女のそばにフェイナンさんが寄り添います。


「しかし、ユキコ先生も苦難の生涯を送られていたのですね。私も物心がつく前に母を亡くしてますので、少しは先生の気持ちは理解できます」


 すると雪子さんは苦笑しながら手を振るではありませんか。


「先程のは巫女殿を帰す為の方便ですよ。母を覚えていないどころか、一昨年、河豚に当たるまでは元気過ぎるくらい元気で、それは鮮明に記憶に遺っていますわ」



「しかし、あの巫女様は相当な実力者だったのでしょう? 何故、そうまでして追い返そうと?」


 今度は渋面を作って腕を組みをする雪子さんは苦々しげに答えたものです。


「まず第一にその実力も稽古によって磨かれたもので実践経験が皆無なのは言動を『視』れば察せられます。これから百戦錬磨の海賊と刃を交えるのに腰が引けてしまっては困りますのでね」


 道場稽古はあくまで体と技を鍛える為のものであり、実践的に剣を振るう海賊の太刀を理論で構築されただけの剣で受けきれるものかよ、と雪子さんは盛大に溜め息をつきます。


「それに私達は海賊を釣る餌です。だからアランドラ殿も私も商人風の衣装に着替えているというのに、如何にも巫女で御座いと来られた日には成功する策も成功しませんわ」


 雪子さんは商家のお嬢様といった風情の衣装を翻しました。

 ……って、『月夜』!? いくら純白のドロワーズが見えたからといって、鼻を抑えるのはやめなさい。


「では、今作戦の確認をするわよ? まず商人を装ってカナンへと近づき海賊共を釣る」


 一同は同時に首肯します。


「海賊と交戦すると同時にフェイナン殿は身を隠し、頃合を見て狼煙を上げてください」


「畏まりました」


「月夜とアランドラ殿は馬車の防衛と同時に馬車を反転させてすぐに逃げられる準備を……私と桜花で海賊を抑えます。桜花? いけるわね?」


「だ、大丈夫! 戦えるよ!」


 以前、赤鼻のグリーク率いる盗賊団との戦闘を思い出したのか、やや顔色は悪いものの桜花君に腰が引けている様子はありませんでした。

 雪子さんは桜花君の胸に手を当てます。


「緊張しつつも動揺はなし……信用しましょう」


 どうやら心音で桜花君の状態を確かめたのでしょう。


「狼煙を見て街から脱出してきた間者達を素早く馬車で回収後、カイゼントーヤ城へ向けて全力離脱……これで良いわね?」


 全員が頷いた後、フェイナンさんが弓を手に口を開きます。


「逃走中、迫り来る海賊は私とアランドラ様が矢を持って防ぎます。こう見えて宿のお客様へ出す山鳥や猪はこの私が仕留めているのですよ」


「牙狼月光剣は矢を防ぐ修行の一環として弓術を修めます。フェイナンは仕事で狩猟をしている為か、弓だけならばケグルネク道場の中でも五指に入りますぞ」


「それは頼もしい! では、追手の対処はフェイナン殿を中心に編成しましょう」


「お任せあれ!!」


 フェイナンさんは力強く頷きました。


「それではカナンへ向けて出発!」


 雪子さんの号令を受けて馬車は動き出したのでした。

 ただ見送る兵士が薄く笑っているのが気になりましたが、夜以外に『月夜』へ伝える術を『私』は持っていなかったのです。









 石畳で舗装された道を進むこと数刻、長閑な港町が見えてきました。あれがカナンの街でしょう。

 厳戒態勢を取られていると聞いていましたが、遠目にはそのような様子は見受けられません。


「妙ね。海賊に支配されている街にしては静かすぎるわ。本当にあそこがカナンなの?」


「へ、へい! あの街は紛れもなくカナンでさ」


 雪子さんに問われた馭者が吃音混じりに答えます。


「もしかしたら旅人を誘き寄せるために平和な街を装っているのかも知れませぬな」


「そうなると厄介ですね……海賊を釣るどころか、魔窟へ引き釣り込まれかねませんわ」


 アランドラ様の推測に雪子さんは苦々しく返しました。


「ユキコ先生、如何なさいますか? 引き返すという手もあります。街の直前で進路を変えれば不審に思った海賊が出てくるかも知れません」


 フェイナンさんの提案に雪子さんはしばし考える素振りを見せましたが、直進を指示したのです。


「良いわ。そのまま虎穴へと入りましょう。もし、海賊の策が私達を引き込むというものならそれはそれでやりようがあります」


 雪子さんが桜花君に何やら耳打ちをすると、桜花君は驚いた表情を浮かべましたが、すぐに口元を引き締めて頷きました。


「桜花、この策は貴女の勇者としての名を貶めるものよ。でもね、貴女も武士(もののふならば進んで汚名を被る覚悟を決めなさい」


「正直、気が進まないけど、桜花の中の巴も云ってる……この策が決まれば冒険者ギルドと密な繋がりができるかもって」


 すると雪子さんは頼もしげに桜花君の頭を撫でました。


「流石は霞家の次期当主ね。この策の意味をちゃんと理解している。どうせ、いつか去る異世界ならば名より実を取るが道理よ」


「ユキコ殿? それは如何様な策なので?」


「ふふふ、この策は飽くまでアセロ軍師の策が頓挫した時のものですわ。ですから、今はお気になさらず本作戦を成功させる事だけを考えましょう」


 不敵に嗤う雪子さんでしたが、やはりアセロ軍師の策が破れている事を確信しているようでした。

 事実、カナンの街であのような無残な結果になろうとは……









 やがてカナンの街へ到着した我々は穏やかな笑みを浮かべる人々に迎えられました。

 長旅ご苦労様だの、暑い中よう来ただの、異様な程の歓待を受けて雪子さんは、予感が的中してしまったと肩を落したのです。

 もっとも早々にいつもの道着に袴の姿に着替えているあたり、アセロ軍師の策が破れているものと見切りをつけているのが分かります。

 確かに、いくらにこやかでも眼帯を着けていたり、右手が物騒な鈎爪になっている人を見て、気を許す阿呆がいるとは思えないでしょうね。

 おまけに腰には湾曲したサーベル、所謂、海賊が好むというカットラスを帯びている訳でして、本気で偽装する気があるのかと疑問を覚えます。


「わぁ! 雪子姉様! こんな大きな海老の塩焼き貰っちゃった♪ この街の人達は良い人ばかりだね♪」


 桜花君? それは逆にこちらが海賊の油断を誘う為の演技ですよね?

 間違っても食べ物を貰ったから上機嫌になっている訳ではないですよね?

 頭痛を堪えるような仕草をしていた雪子さんでしたが、ふいに顔を上げたのです。

 すると波を引くように人垣割れて、年若く、恐らくまだ少年と呼んでもおかしくない男が現れました。

 頭をバンダナで覆い、髑髏の刻印が彫られた眼帯を右目に着けた少年はニヒルな笑みを浮かべて雪子さんを見ています。


「へぇ……アセロの糞爺が送り込んだっていうから、どんなごつい男が来るのかと思えばなかなかの別嬪じゃねーか」


「口を慎みなさい。貴方は既に私の剣の間合に入っているのよ、坊や?」


 雪子さんの挑発に少年は乗るどころか、楽しげな笑みを浮かべて腰のカットラスを抜き放ちました。


「アセロの名を出しても驚かないか……どうやらそっちも敢えてカナンに乗り込んできたって訳かい?」


 雪子さんは杖から筑後の刀匠が作、大真典甲勢二尺六寸を抜いて少年と対峙します。

 周囲の海賊共もお互い偽装が見破られていると殺気を隠さずに各々の武器を構えたのです。


「俺の名はクラウン……クラウン=セカンド! 一家のボスだ!!」


 なんと、まだ顔立ちに幼さが残るこの少年がカイゼントーヤを恐怖のどん底に突き落としている張本人であったとは。

 雪子さんは海賊の頭目と正面から向き合って尚、表情に笑みを浮かべたものです。


「これから死ぬ外道に名乗る名は無し! 罪無き人々を殺戮した報いを受けなさい!」


「上等だ!! テメェら、手を出すな!! この女は俺の獲物だ……生け捕りにして船の上でたっぷり可愛がってやるぜ!!」


 若くても流石に海賊というだけあって獰猛な殺気が突風のように雪子さんを襲いかかりました。


「征くぜ!!」


 矢のように飛び出したクラウンのカットラスを二尺六寸が弾き、孤を描いてクラウンの首筋を狙いますが敵もさるもの。体を捻ってかわします。


「一つの動作で防御と攻撃をするだぁ!? ンな剣術、初めて見たぜ!!」


 クラウンの言葉に応じず、雪子さんは正眼の構えで待ち受けます。


「一つだけ聞くわ。貴方がカイゼントーヤ軍の動きを察しているという事はアセロ軍師が放った間者にも気付いているはず……彼らは生きているの?」


「生きちゃぁいる……ただ、アレじゃぁ死んだ方がマシかもな?」


 含みを持たせていますが、やはりそういう事でしょう。


「海賊は男所帯だ。分かるだろう? 男の間者はストレス解消、女の間者は……」


「皆まで云わずとも結構」


 言葉を遮った雪子さんにクラウンは悪意のある笑みを浮かべました。


「それじゃアンタも女間者と同じ体験をさせてやるぜ」


 クラウンは顔から表情を消すと、半身に構えてカットラスの切っ先を雪子さんの喉元に向けました。

 この構えはブレイズフォオード家の兄弟が遣った飛龍旋風剣。

 彼もまた本格的に剣術の修行を乗り越えてきた剣客のようですね。


「それはそれは……では、私も」


「な、何だと?」


 なんと雪子さんも半身に構えて刀をクラウンの喉笛にピタリと合わせたのです。

 これにはクラウンも面食らったように問い質してきました。


「何のつもりだ?」


「折角、海賊の頭目が目の前にいるのよ。確実に首級を上げる為に私も出し惜しみをしないことにしたわ」


 クラウンが切っ先を上下に動かすと、雪子さんもほぼ同時に切っ先を揺らしました。

 そんな雪子さんを気味が悪く思ったのか、半歩下がると、やはり雪子さんも半歩下がったのです。


「巫山戯てやがるのか!? 真似ばかりしやがって!!」


 ほぼ同時に動く雪子さんを乱そうと怒鳴りつけますが、雪子さんは涼しい顔。

 一瞬の間を置いて雪子さんの真っ赤な唇が動きした。


「せいっ!!」


 クラウンの切っ先が小刻みに揺れます。

 まるで鏡のように動きを合わせられて苛立ってきたところに、裂帛の剣気を当てられて心が掻き乱されているのでしょう。


「おのれ!! 決闘を穢し、私を嬲るか!!」


 怒りの形相のクラウンが間合いを詰めて切っ先を合わせてきたのです。

 その体に剣気が満ちて斬撃の気配が濃厚になってきました。

 そこで、初めて雪子さんも斬る意思を見せたのです。


「イヤアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 切っ先に剣気を乗せてクラウンが雪子さんの喉笛を貫かんと襲いかかってきました。


「せいっ!!」


 甲高い金属音が響き、次いで肉と骨を断つ凄まじい音とまた金属音が立て続けに起こりました。

 雪子さんはカットラスを弾くと小手を返してクラウンの右腕を截断したのです。

 最後の金属音はクラウンのカットラスが右手ごと地面に落ちた音でした。


「ガアアアアアアアアアッ!! 私の腕がっ!?」


 傷を左手で押さえながら苦しむクラウンに雪子さんは血振りをくれて納刀しながら云い放ちます。


「霞流に雪月花の名を持つ三奥義あり。今のは『雪』の奥義『雪像』……まだ魔族にすら見せたことがないわ。光栄に思いなさい」


 この『雪像』の奥義は恐らく鏡の如く敵の動きを模倣し、相手を苛立たせて強引に斬りかかってくる出端を捉える技なのでしょう。

 根雪のようにどっしりと構えつつ、敵の動きを鏡像のように真似る……云うは易し、しかし実際に行う事がどれほどの難度であるか。

 しかも、奥義と呼ぶからにはそれだけでは無いのでしょう。

 『雪像』の真価が発揮される時、どれほどの威力があるのか計り知れません。


「さて、クラウン殿?」


 雪子さんの冷たい声にクラウンは痛みを忘れたかのように動きを止めます。

 見れば周囲の海賊共は桜花君達によって殲滅させられていました。

 その桜花君も目こそ血走っているものの、取り乱している様子はありませんでした。

 遠くではアセロ軍師の間者と思しき男女を手当しているフェイナンさんの姿が見えます。


「貴方の手下がどれほどいるのか? 本拠地は何処か? 私が自ら拷問して訊き出してあげるわ」


 雪子さんはクラウンの頭に足を乗せると、潰れろとばかりに踏み躙るのです。


「さあ、海賊の頭目としてどれだけ意地を張れるのか、貴方に殺されていった罪無き人々も草場の陰で見ていることでしょう」


 雪子さんの言葉にクラウンは憎悪を呑んだ表情で叫びます。


「つ、罪が無いだと!? 貴様は何も知らないのだ!! 奴らがどれだけ罪深く愚かであるのか!! 奴らのせいで私も母上も……っ!?」


 クラウンはハッとして血塗れの左手で口元を押さえたのです。


「母上ね……先程の無頼な言葉遣いも妙にしっくりこないように感じたし、貴方には何か秘密がありそうね?」


 雪子さんが更に足に力を込めたようで、クラウンの口から苦しげな呻き声が漏れてきました。


「貴方、やはり元は海賊に落ちるような身分じゃないわね? いえ、それ以前に貴方の背後に何がいるの?」


 口元を抑えるばかりで何も語ろうとはしないクラウンに苛立ったのか、今度は右腕の傷を踏みつけます。


「聞けば貴方は恐ろしい妖術を操るとの噂があったけど、貴方はそんなものを遣う気配がなかった……誰なの? 貴方に力を貸す本当の黒幕は?」


 それは一瞬の事でした。

 雪子さんの手が翻り銀光が走ったかと思えば、乾いた音を立てて一本の矢が地面へと落ちたのです。


『へぇ、スタローグ家の兄弟を退け、魔将軍・ベルーゼフを倒しただけの事はあるってわ~けネ。やっぱ~一筋縄じゃぁ~いかないってカンジ~!!』


 突如、現れた男に思わず硬直してしまっても仕方がないでしょう。

 肉体は細身ながら引き締まっており、贅肉もそうですが無駄な筋肉も無い実践的に鍛え上げられた事が察せられます。

 しかし、問題はその格好でして……


『アタシこそはぁ~大罪の七将のぉ~一人にしてぇ~』


 つんつるてんの女物のブラウスを纏い、丈の短いプリーツのついたスカートを穿く姿はとても正視できるものではなく……


『クラウンちゃんのぉ~後見人をぉ~しているぅ~』


 編み上げブーツはまだ許せるとして、時折、風を受けて捲れるスカートから覗く純白の下着が嫌過ぎます。


『その名もぉ~『嫉妬』のぉ~リバイサってぇ~アタシのことってカンジ~♪』


 顔立ちは眉目秀麗であるのですが、濃すぎる化粧とキツい香水が肉体を持たない『私』ですら吐き気を催させるほどです。

 クネクネと体をよじらせて時折片目を瞑るリバイサは魔族の将軍とは思えませんが、しかし、雪子さんだけは違った反応をしていました。


「桜花! アランドラ殿とフェイナン殿、間者達を連れてカイゼントーヤ城へ戻りなさい!!」


「え? 雪子姉様?」


 戸惑う桜花君に雪子さんは余裕のない切羽詰った声で再度怒鳴ります。


「さっさと行きなさい!! ここは私と月夜で殿軍(しんがりを務めるから早く!!」


『あ~ら? アタシのぉ~力をぉ~感じ取ってるってぇ~カンジ~?』


 相変わらず無意味に体をくねらせていますが、確かに厚化粧の奥にある眼光は獲物を狙う猛禽類のように鋭い事に気付いてしまいました。


「早く行きなさいと云っているのよ!! これは霞家当主としての命令よ!! 間者をアセロ閣下の元へ連れて行きなさい」


 しかし桜花君は未だに踏ん切りがつかないようですね。

 いえ、アランドラ様とフェイナンさんも腹を決めかねている様子です。


「このままじゃ全員殺されると云っているのが分からないか!! 行かないのなら私が貴女達を斬り捨てるわよ!?」


 雪子さんの言葉はもう支離滅裂になっていますが、それだけ必死なのでしょう。

 アセロ軍師の策が失敗に終わっても冷静に即興の次善策を打ち出せるあの雪子さんがここまで焦るほどに……


「分かりました。オウカ殿、行きましょう」


「え? でも皇子様……このままじゃ雪子姉様と月夜姉さまが……」


 桜花君の抗議にアランドラ様は唇を噛み締めることで耐えているようです。


「オウカ殿、貴女は勇者なのです。魔将軍・ヴェルフェゴールを倒し、『楔』を破壊する使命を帯びた勇者なのですぞ!!」


 アランドラ様は暴れる桜花君を抱きしめながら雪子さんへと叫びました。


「ユキコ殿!! 一つだけ約束を!! 生きて……必ず生きて再会する事を約束してください!! 拷問されればすぐに口を割ってください。もし、犯されるような事があっても自害などせず、希望を捨てずに我々の救助をお待ちください!!」


「承りました。必ずやアランドラ殿の御前に再び立つ事を約束しましょう!!」


「それを聞いてこのアランドラ、漸く駆ける事ができます!! 御免!!」


 雪子さんと『月夜』を残して馬車はカナンの街から風のように去っていきました。


「待たせたわね。それとも見逃してくれたのかしら?」


 雪子さんの問いにリバイサは長い睫毛をバサバサいわせながら片目を瞑ったものです。


『アタシはぁ~空気を読めるぅ~オ・ン・ナよぉ~? それにぃ~間者を逃がしたってぇ~どうせぇ~大したぁ~情報はぁ~得られないってぇ~カンジ~?』


「けど、妹の命は救われたわ」


 雪子さんは居合腰に体を沈めてリバイサとの間合を測る後ろで、『月夜』がいつでも炸裂弾を投げられるように構えています。

 リバイサは無手のままニヤニヤと雪子さんの動きを伺っているようです。


『そろそろぉ~決着をつけないとぉ~クラウンちゃんがぁ~ヤバイってぇ~カンジ~? まだその子にはぁ~使い道がぁ~あるからぁ~……男一匹、リバイサ!! 命張らせて頂きます!!』


 例の気持ち悪い動きから一転、凄まじい威圧感を放ったリバイサはまるで肉体が一気に数十倍に膨れ上がったような錯覚を覚えさせました。

 見れば、あの雪子さんが及び腰になっています。視角を持たない雪子さんにとって正確な状況を掴むことができないのかも知れません。


『ハイヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』


 大砲の弾のように巨大な気配を伴う拳が雪子さんと『月夜』に襲いかかってきたのです。









 ついに二人目の魔将軍との戦いが始まりました。

 この威圧感。鍛え上げられた肉体。『暴食』のベルーゼフが可愛く見えるほどの実力者である事は間違いないでしょう。

 海賊の頭目であるクラウンを倒したのも束の間、訪れた最大の危機に雪子さんと『月夜』の運命は如何に。

 一体、リバイサは海賊共の後ろ盾となって何を企んでいるのでしょうか? そして雪子さんが桜花君へ託した策とは?

 それはまた次回の講釈にて。



 相変わらずの遅筆で申し訳ありません。

 忙しいのも相変わらずで、出張だらけのスケジュールでネットに繋ぐ暇さえありません(涙)

 ネットする暇がないと云えば、まさかにじファンが閉じているとは思いませんでした(汗)


 それはそうと、今回は久々のバトルに加えて、ついに霞流の三奥義の一つが出ました。

 まあ、地味というご意見もあるかと思いますが、奥義なんてそんなものです。

 もっとも地味ではありますが、確実に敵を斬るという意味では怖い技かと思います。

 むしろ『覇王鬼門返し』なんてド派手な最終奥義なんてファンタジー以外に使い道なんかないでしょうしね(笑)


 そして出ました。大罪の七将の二番手リバイサ君。

 実力はベルーゼフなんて問題にすらならなく、雪子にとって初めてとなる自分より強いボスキャラとの戦いとなります。

 ただちょいと個性出しすぎたかな? と思わなくもないんですけどね(おい)

 ちなみにあっさりとやられたクラウンも勿論これで終わりではなく、むしろこれからが活躍していくキャラだったりします。


 しかし、先にも述べましたが、随分と遅くなりました。

 だからという訳ではありませんが、一話一話の文字数を減らして更新を早めるか、このままのペースを維持するか思案中だったりします。


 それではまた、次回にお会いしましょう。


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