第弐拾弍章 魔王・エミルフォーン
遅くなりました。
視点は意外な人物(?)です。
余は魔王である。
星神教に地底へと追いやられて四千有余年、屈辱の歴史を敢えて生き抜いた者の末裔なり。
我らは星神教徒どもに『魔族』という蔑称を与えられ、悪魔を崇める邪悪な異形とされた。
偉大なる祖は光の届かぬこの世の地獄を魔族の世界・魔界と名付け国を作った。
国の名はガルスデント、地上において我が一族が治めていた国の名前である。
かつてのガルスデントは星神教に奪われ、今や聖都スチューデリアと呼ばれている。
余は魔王である。
草木の生えぬ無明の大地へと追いやられし祖先の屈辱を受け継ぐ者なり。
餓えし者は泥に生えた苔を囓り、渇きし者は岩に滲み出した僅かな水を舐めたという。
偉大なる祖は星神教の云う悪魔――我らの神々の力を借り、光無き地に耐えうる体を得たり。
我らの神は天空に輝く星々に非ず。
人ならば本来備えている神性を認識し、真理に接することで『悟り』を感得して智慧を得る。
その智慧を用いて己が煩悩から脱却することで救われるというものだ。
つまり我らの神はどこにも存在しないものであると同時に自分自身が備えているものとする。
その境地に至る修行そのものが信仰であり、一切の衆生を導く教えなのである。
無明の世界へと追われた我らは教義を糧に生き延びた。
前後左右はおろか上下の区別もつかず、過去も現在も未来すらない闇の中で祖先は夢想の世界で遊ぶ。
祖先は天地四方上下(空間)を『宇』と名付け、往古来今(時間)を『宙』とした。
それらを合わせて『宇宙』呼び、闇の世界を空想の遊び場とする境地に至ったのである。
国を追われた屈辱と闇の恐怖すら夢想の中にある『宇宙』と比べれば小さいと笑ったという。
音のみが頼りの闇の中で、いつしか我らは長き耳を得る。
色無き虫や苔を食す内に、いつしか我らの血は青く変わった。
餓えと渇きに苦しむ中で、いつしか生命そのものの磨きがかかり長命を授かる。
屈辱と恐怖を愉しむ事で、いつしか精神は研ぎ澄まされ、ニンゲンを凌駕する魔力を得た。
強大な魔力と生命力を得た我らは、光無き世界で草木を育む技術を確立する。
草木を得た我らは、糧を手に入れた。糧を得た我らは恐れていた闇を愛するようになった。
余は魔王である。
闇を愛し、闇に愛されし一族の王なり。
余は魔王である。
星神教に奪われし国を、大地を、自然を、太陽を渇望する者達の頂点に立つ者なり。
余は魔王である。
余は魔族の王・エミルフォーンなり。
ん? ああ、そう畏まるものではない。
何、格好つけてはみたが所詮は様式美にのっとったに過ぎぬ。
今の余は語り部に過ぎんよ。取って喰いはせぬ。気楽にな、気楽に。
さて、今、余は我が居城の玉座に腰を下ろし、目の前で平伏する馬鹿者を見下ろしている。
ガルスデント正規軍の中でも最強と誉れも高いガルスデント・エアフォースを率いて置きながら勇者から惨敗を喫した魔将軍が一人、『暴食』のベルーゼフだ。
精鋭二百名中、死者は十六名、重傷者三十四名、軽傷者多数という体たらくである。
勇者の姉たるユキコがわざと恐怖を植え付けるような戦い方をせなんだら、騎士らが臆することなく果敢に戦闘を続けていたならば、勇者を討てたやも知れぬが結果として全滅に近い被害が出たであろうと我が右腕、大元帥・アポリュオンは推測している。
『失態よな……貴公はこの大敗をどう償うつもりだ?』
ベルーゼフは平伏したまま大きく全身を震わせる。
だが、何も口から発することはなく、聞こえてくるのは奥歯が小刻みにぶつかり合う音だけだ。
恐怖に震えるのは分かぬでもないが、このままでは埒も開かぬ。
余はこのような茶番じみた謁見を早く終わらせたいのだ。
『貴公、余の問いに答えぬ気か? よもや魔王たる余を虚仮にする度胸が貴公にあるとは思わなんだぞ』
却って脅かす結果になるやも知れぬが、口を開いて貰わぬ限り先に進まないのだ。
ベルーゼフが余の思惑に気付いたのかは別として、漸く言葉らしきものを吐き出した。
『もももも申しわわわわわ訳けけけけけ……』
『何を申しておるのか分からん。胆が据わっておらぬから舌の根が回らぬのだ』
それから顔を上げさせた。
魔将軍の地位にいる者がこうして軽々しく額を床に擦りつけている様が余計に余を苛立たせる。
騎士ならば自らの失態を認め、余の沙汰を粛々と受け止めて見せるべきだろう。
アポリュオンめ……わざわざ余のところにまで話を持ってきおって、貴様の段階でケリがつくレベルであろうが?
余の疑問はベルーゼフの言葉で解消した。
『て、敵を前に逃走した恥知らず共を処しまする。あのような弱兵を育ててしまった責任は私自身の手で……』
そこまで聞き、思わず余は玉座から立ち上がってベルーゼフを蹴り上げていた。
『この戯けが!! 恥知らずは貴様の方だ!!』
ここまで性根が腐っていたとは思いもよらなかった余は、大勢の臣の目がある中で娘を蹴り飛ばす暴挙に歯止めを利かせることができなかった。
『貴様はそれでもガルスデントの盾たる魔将軍か?! 己の愚行の責めを兵に押し付けようとは、最早許してはおけん!! 父が自ら成敗してくれよう!!』
アポリュオンが、ベルーゼフを余自ら裁けと云った訳が分かった。
ベルーゼフに魔将軍の地位を与えたのは他ならぬ余である。
槍を巧みに操る技量、生態系の頂点たるドラゴンと心を通わせ合える器量、兵法の知識から、将としての器を見出したつもりだったのだが、どうやら余の目は節穴であったようだ。
これは余の罪である。ベルーゼフの優れた部分のみを見て肝心の為人を見ることを疎かにしてしまっていた。
思えば余の浅慮が、危うく魔界を二分させる危機に陥れたのだろう。
そう、元々、余は地上の奪還には気乗りがしなかったのだ。
地上を追われてから気が遠くなるような年月を生きた今となっては、ニンゲンそのものを憎むには時間が経ち過ぎた。
四千年という時間の流れは、憎しみを風化させるには十分過ぎる物であろう。
食糧が十二分にあった事もその理由の一つになるだろう。
豊かな食事は心に潤いを与え、余裕を持たせた。
僅かな食糧を巡って同族同士が争う事もなくなり、いつしか秩序が生まれ、街ができ、国が生まれた。
我ら魔族が食べ物を分け合う行為を神聖視しているのは、飢えと乾きに苦しんだ時代の名残なのだ。
こうして地獄だった魔界は、法と規律に護られた魔族の楽園となっていった。
しかし、豊かになれば欲も出てくるのも当然の成り行きである。
まだ若い我が子らは、かつて治めていた聖都スチューデリアの地を、再びガルスデントに取り戻そうと野望を持ち始めた……持ち始めてしまった。
そればかりか、脆弱なニンゲンに取って代わって地上を支配しようと目論んだのだ。
余は反対した。
当然だ。今や魔界は食うに困る事のない豊かな世界であり、わざわざ地上を侵略してまで国を奪う必要がないからだ。
否、それ以前の問題で、戦争など勝とうが負けようが国力を大きく疲弊させる最も愚かな政治判断である事は明白である。
余は逸る我が子らを諌めようと、何度も会食の場を設け、お互いに心の内をさらけ出すような討論をしてぶつかり合った。だがあやつらは逆に余を腰抜けと罵った。
我が子らは遂に兄弟の中でも最も優れた七人を選抜し、たとえ余人から大罪人と蔑まされようとも己の信念を貫き通す意気込みで、『大罪の七将』と名乗った。
ガルスデントは分裂の危機を迎える。
保守的な魔王派と革新的(悪く云えば野心的)な『大罪の七』将派に分かれつつあった。
結局、分裂から内紛が起こる事を恐れた余は、魔界でも名門と呼ばれる軍人達を我が子らの補佐につける事を条件に折れた。
いくら優れた能力があろうと、実戦経験は皆無に等しい子供達がいきなり戦争を仕掛けて勝てるなどと楽観視する程気楽に構えていられなかったからだ。
戦争に駆り出される兵士達には気の毒だが、我が子らに兵力だけで勝てる程甘くはない事を、敗北を持って学んで貰えれば何よりのプラスになるだろうと云う計算もあった。
しかし、余の願いは最悪の形で裏切られる事となった。
我が子らの中でも、最も呪術に優れてはいるが怠け者でもある『怠惰』のヴェルフェゴールが、あろう事か、我らが偉大なる祖先達が多大な犠牲と引き替えに封印した『悪しきモノ』を甦らせようと目論んだのだ。
奴は『悪しきモノ』の恐ろしさをまるで理解していない。
伝承だけでも人の手に負えぬ恐怖の象徴として伝えられているが、『悪しきモノ』の真の恐ろしさは強大な破壊力でも、制御不能の無差別攻撃でもない。
アレらが『悪しきモノ』と呼ばれる所以は、ニンゲンは云うに及ばず獣や植物、無機物にさえも悪しき心を植え付け、邪悪なモンスターに変えて自らの尖兵とする事にある。
黒い霧に触れた者が罹る奇病とは単に肉体を腐らせるものではない。その後、体は醜悪なモンスターへと再構成され、『悪しきモノ』の忠実な下僕と化す。
世界中に蔓延るモンスターは『要』の隙間から這い出たモノが殆どだろう。
だが、中にはいるはずなのだ。ニンゲンや獣、或いは魔族の成れの果てが……
それ故に余はアポリュオンを通して勇者に元凶たるヴェルフェゴール討伐の許可を与えたのだ。
『悪しきモノ』は我ら魔族にとっても驚異であり、不倶戴天の敵であるのだからな。
できることならば余が自ら『大罪の七将』を討ち果たしたいところなのだが、魔王という立場がそれを許さない。父親だからこそ動かねばならぬのに……
それをすれば『家族』を重んじる魔族社会の秩序が崩壊する。
父が子を殺す。しかもそれが王であるならば……
だからこそ余は魔王でありながら勇者に願いを託さなければならないのだ。
こんな滑稽な魔王など、余の他にどこの世界にいると云うのか、笑い話にもならぬ。
『ヒイイイイイイイィィィィィィ……』
見ればベルーゼフが尻餅をついたまま後ずさりをしていた。
顔は恐怖で歪み、顔中の穴という穴から体液を垂れ流している始末だ。
その姿に余は無意識に唇を噛んでいた。
何が、万人から蔑まされようと構わぬだ。それが覚悟を決めた者の姿か。
余は噛み破ってしまったのか口の端から垂れる血を無視してベルーゼフへと歩み寄る。
『お、お許しを……お許しを……魔王様……』
思えば、こやつは中立であった。
しかし高い実力からヴェルフェゴールに目を付けられ、奴の呪術に屈して軍門に下った経緯がある。
そう思うと先程までの怒りが嘘のように霧散していくのを感じた。
いくら強くてもベルーゼフはまだ子供だ。それを魔将軍にしたのは余ではなかったのか。
ひたすら許しを請うベルーゼフには余が鬼か蛇に見えているに違いない。
余も大概だ。後でアポリュオンに溜息混じりに説教をされるのは目に見えている。
魔界を分裂させたこやつらだが憎めぬ……それが父故なのか、魔族としての性なのかは知らぬ。
『助けて……助けて……お父様!!』
後一歩で手が届く位置に余はいる。
『私はただお兄様を連れ戻したかったの!! あんな辛い役目を負わされても兄様や姉様達から罵られてるネームレスお兄様を私の屋敷で匿いたかっただけなの!!』
『戯けが!! ネームレス、いやさネムスは既に父の手から離れておるわ!!』
魔将軍としての地位に相応しい実力を持ちながら、私情で軍を動かす幼さが憐れだった。
そう育てたのは余だ。甘んじてヴェルフェゴールの云い成りになる意志の弱さも余の罪だ。
それを思うと、『無能』でありながら強い意思を持ち、自らの生き方を決めて余から巣立っていったネムスの方が父として誇らしい。
『戯けが……』
余は怯えるベルーゼフを抱きしめていた。
周囲には臣の姿はない。アポリュオンの奴め、既にこうなる事を察して人払いをしていたか。
翌朝、魔将軍の一人が刑に処された。
民衆から非難の声が無かった訳ではないが、概ね『英断であった』との評価に落ち着いた。
余の手にはベルーゼフの遺髪が握られている。
『感傷か? お前も父親という訳か』
城から臨む丘を見つめる背後から、からかい混じりの声がかかる。
『ベルーゼフを救うにはこれしか手はあるまい? 否、救ったのではないな。確かに余はベルーゼフを殺した……殺したのだ』
『自分を責めるな、なんて言葉は期待するなよ? これはお前の決断の結果だ。王たる者は自分の言動によって生じた結末を冷然と受け止められなければ務まらん』
『馬鹿が……いちいち怒りや憎しみのぶつけどころにならんでも余は前に進めるわ』
わざとらしく大仰に肩を竦めながら、余は背後のアポリュオンへ振り返った。
この男は余が気落ちするたびに余計な世話を焼きおる。
先代の魔王、即ち父の懐刀であったアポリュオンは何かに付け余を子供扱いするのが玉に瑕だ。
孫が既に五人もいるのだがな……
『それで何用だ? 今日は早朝から軍議と聞いておるぞ? こんなところで油を売って良いのか?』
『いや、お前も出るはずだったろ……昔、確かに『王は君臨すれども統治せず』が理想と云ったがな? ある程度の事は把握しておいて貰わねば困る。王の判断が必要な事は少なくないのだぞ』
『議事録には全て目を通してあるわ。何なら今から全て諳んじてみせようか?』
今度はアポリュオンが肩を竦めて頭を振った。
『読んだというのであれば問題はない。備忘録要らずのお前が羨ましいよ』
『これはこれで大変なのだぞ? 忘れたい事を忘れられないのだからな』
余は一度見た物、聞いた物を忘れる事ができぬ、ある意味においての記憶障害がある。
御陰で昔、親兄弟から帳簿代わりにされたものだ。
否、今でも目の前におるこの男は、ド忘れしたら魔王に聞け、と酒の席でそんな悪い冗談を飛ばしている。
『おお、話がどこかに飛んでしまったではないか』
アポリュオンが苦笑して話の軌道修正をする。
『それにしても良い別れであったな。ベルーゼフも気持ち良く旅立てたであろうよ』
『そうだな……ベルーゼフは死ぬことで解放された。ヴェルフェゴールからも、な?』
余は窓からベルーゼフの髪を撒いた。
持っていても詮方無き事よ。どうせ、いずれはまた生え揃う。
『さらばだ。ベルーゼフ……否、修行増・ベルフよ』
『千里眼』の魔法で丘を見やる。
余の言葉が届いたとは思わぬが、絶妙なタイミングで頭を丸めた尼僧が城へ手を振ってきた。
ベルフと名を改めたベルーゼフは今日より僧侶として巡礼の旅に出る。
『肩の荷が降りた心地です。ネーム……ネムスお兄様もこんな気持ちなのでしょうか?』
旅立ちの際、ベルフはそう云って笑った。
今後の生き方をどうするか訊くと、とりあえずネムスと会い、後は足の向くままだそうな。
ただ、かねてからの『ガイラント王の動向を探れ』という密命は続けると云っていた。
軍人で御座いと動くより、一介の雲水として動いた方が怪しまれないだろうとの判断からだ。
余からは何も云わなかった。精々が、ヴェルフェゴールに気をつけろ、と素っ気なく送ったくらいだ。
ベルフの肉体に付加された『暴食』という全てを喰らい我が力と為す恐るべき能力は、ヴェルフェゴールによって刻み込まれたものらしい。
それ故にベルフの生存がヴェルフェゴールに知るところとなり、再び奴の尖兵にされないかという不安がある事はある。
保険としてベルフの『影渡り』を緊急持には余の部屋へ直通するよう術式を書き換えておいてはいるがな。
父としては魔将軍という呪縛から解き放たれた以上、幸せな人生を歩んで欲しいのだが……
『それで本題なのだがな』
『待て! 貴様の用はベルフの事ではないのか?』
『莫迦も休み休み云え。今生の別れでもあるまいに、ましてや魔王が一つの案件に心を砕いている暇はないぞ』
二人きりとは云え、この扱いは承服しかねるのだがな。
『二人の勇者の足取りについてだ』
アポリュオンは鼻先に小さな眼鏡をちょこんと乗せると咳払いをした。
わざとらしく音を立ててレポート用紙を捲って注意を促すのがまた嫌味である。
『まずユキコら勇者だが……なぁ? あやつらは勇者パーティと呼ぶべきか、ユキコ御一行と呼ぶべきか、どちらが相応しいかな?』
『どうでも良いわ! 先を云え!』
あの連中はどちらかと云えばユキコがリーダーだと余も思うがな。
更に云わせて貰えば、あの姉妹は得体が知れぬにも程がある。
伝え聞くところによると、ユキコはヴェルフェゴールを倒すのではなく、暗殺すると云っているらしい。
しかも、あやつは聖都スチューデリア相手にきっちりと報酬の交渉までこなし、路銀とは別に報酬の半分を前金と称して既に受け取っておるそうだ。
その辺りが今まで見てきた数多の勇者どもと一線を画しており、不気味な存在感を見せている。
だからか、余はユキコらを勇者パーティにしろ一行にしろ、その呼び名がしっくりこなかったのだ。
強いて云えば、ユキコ一味か。聞こえは悪いが、これで余はすとんと腑に落ちたのである。
これを思いついたのは夜半を過ぎた頃で、余はベッドの中で笑いを堪えるのに必死だった。
同じベッドで寝ていた夜伽の相手の側室達は、さぞかし気味が悪かったであろうな。
『カイゼントーヤに渡ったそうなのだが、どうにも様子がおかしいのだ』
『ほう……で?』
『冒険者ギルドで多数の冒険者を募っているらしい。密偵の話では下手な依頼を受けるより日当が良いらしいから、その数は相当なものだそうだぞ』
またきな臭いことをやっておるな。
稀にギルドからの依頼内容が自分の手に負えず、他の冒険者にヘルプを求める者は少なからずおるが、大多数なんて聞いた事がない。
しかも、どうやらユキコは集めた冒険者をいくつかの組み分けをしているそうな。
『カイゼントーヤ侵攻を担当している魔将軍・リバイサもその動きを不気味に思ったのか、援軍を要請してきたが、私の一存で蹴っておいた。魔王を腰抜けと罵った口で何を、とせせら笑ってやったわ』
確かに敵の意図が読めぬからと安易に援軍を求められても困るが……
それにリバイサ自身の戦力も馬鹿にしたものではない。
奴は近海に出没する海賊どもを纏め上げ、カイゼントーヤを一呑みにできる程の巨大な水軍を組織しているのだ。
『万に一つも勝ちは揺るがぬと、私の目から見てもそう思うよ。海賊とは思えぬ練度と士気だ。とても初陣の青二才が統率しているとは思えぬ見事な水軍だぞ』
大元帥は、それにと続ける。
『余程良い軍師がいるようでな。なんと船と船を鎖で繋ぐことで揺れを抑え、陸上と同じように船上を動けるようになったらしいぞ。何でも『連環の計』という策なのだそうだ』
『おいおい……それでは火矢を射かけられたら一網打尽ではないか?』
『いつの時代の話をしている? 今時、火矢で大火災が起きる戦艦があるかよ。おまけに先頭の船団は鉄板で覆われた軍艦だ。風が我が方に吹こうと問題はないだろう』
アポリュオンにしては楽観視しすぎるような気もするが、長年、父を支えて国を守ってきた男の言だ。
だが、信じたいと思う反面、不安が残る。
『その顔、まさかユキコが何か企んでいると思っているのか? ありえんよ。何しろユキコはリバイサの存在どころか、海賊艦隊にすら気づいておらん。確かに奴は恐るべき剣の達人だし知恵も回る。だがニンゲンだぞ? ニンゲンが劣っているという話ではない。そこまで神懸かり的な力を持っている訳ではないと云いたいのだ』
それは分かる。ユキコは特別な存在ではない。神の加護を得た勇者でもないのだ。
しかし、何かがおかしい……根本的な何かが破綻しているように思えてならない。
だが、いすれにせよ、軍は動かせない。これ以上は本国の防衛がままならぬ。
何より『大罪の七将』派を地上侵略反対派の魔王が肯定したと取られかねない。
今、ガルスデントは微妙なバランスの上で運営している状態なのだからな。
『カイゼントーヤの方は見守るしかあるまい。それでもう一人の方は?』
もう一人の勇者・ハヤトもまた異世界から召喚された勇者だ。
半年前から『六星』なる神槍を振るい魔族やモンスターと戦っている。
だが奴が召喚された理由が分からぬ。
『確かにユキコらは『楔』の破壊、そして『楔』を打ち込んだヴェルフェゴールを抹殺するという御題目があったが、槍の勇者はそれよりずっと前だ。半年前と云えば……何もないな。精々がニンゲンの間で妙な噂が立ったくらいか?』
『アレか……』
余は露骨に顔を顰めた。
その噂とは、『異世界から翼持ちたる魔王が現れ、世界を混沌へと導く』、などという愚にもつかぬものだ。
初めは、余のことでも云っておるのかと思ったが、異世界である。地底は異世界と云わぬだろう。
ましてや余に翼など無い。いくら魔族でも翼は生えぬ。
『肝心の異世界の魔王がいないとあらば、槍の勇者も身の置き場があるまい』
『だからこそヒーロー気取りの勇者ごっこで魔族を倒しているのだろう』
そんな理由で我が子同然の魔族を殺されては敵わぬ。
だからガルスデント正規軍は何度も刺客を送っているのだが、その悉くを返り討ちにされているのだがら堪らない。
『行動的な馬鹿は厄介だとは誰の言葉であったか?』
『知らぬよ。それより槍の勇者に動きはないのか?』
するとアポリュオンは困惑げな顔をした。この男にしては珍しい表情である。
『それがな……ネムスからの報告で、奴がユキコにあしらわれたのは知っていよう?』
『随分と云い淀むな? 確かに槍の勇者がユキコに勝負を挑んで手もなく敗れた上に、仲間にしようと誘いをかけたが相手にすらされなかったと記憶しているぞ』
『それでな……奴は槍を捨てた』
『何おう?』
流石に余もこの予想外の報告には我が耳を疑った。
なるほど、アポリュオンが躊躇う訳だ。自分の命ともいうべき槍を捨てるとはな。
『正確には槍による戦法だな。元々奴は槍を巧く遣えないそうだ』
勇者に槍を授けた神が不憫に思えてくる話だな。
そういえば、聖剣の勇者も己が聖剣を盗賊の屍体で試し斬りにした挙句、酷評を下したとネムスの報告にあったな。
神からの授かり物の武具を蔑ろにする勇者達……叙事詩なら作者は石を投げられよう。
『なんでも得手としているのは剣術だそうでな。このように……』
アポリュオンは教鞭を剣に見立て、右肩の上に剣を立たせる奇妙な構えをとった。
『木剣を構えまま的にした甲冑に向かって一目散に走り……妙な雄叫びを上げながら一気に振り下ろしたそうだ』
そこで何故かレポート用紙を何度も見返した。
『勇者の得物は木剣だというのは先程云ったが、奴は一撃で鉄の兜を潰して見せたそうだよ』
木剣で兜を潰すとは、また恐ろしい話だな。
「全てが間違いじゃった。馴れぬ槍、馴れぬ言葉、馴れぬ人情、俺は勇者っちゅう称号に酔って今までどうかしちょったがじゃ。目を醒ましてくれた雪子どんには感謝せねばなるまい」
今の勇者は以前とは別人のようであるそうだ。
ユキコに敗れて僅か数日で目の光は消えて荒みきり、愛嬌のあるクセっ毛をオールバックに纏めてイメージが大分変わっているらしい。
「雪子どん! 『かへし見よ。己が友はいずこへ。偽りの友は長すぎる』との忠告ばしかと受け止め申した!! やはり俺は槍の勇者である前に剣士よ! この借りは薩摩示現流神楽坂派が秘剣『流星落とし』にて返礼とさせて頂くでごわす!!」
こうして勇者は木の精霊が宿るとされる巨木から一枝切り落とし、木剣を拵えたという。
これによって精霊に仕える仲間の僧侶は泣き叫び、その行為に幻滅したのか奴の下から仲間が去ったそうだが勇者はさして気にはしていないそうだ。
自分に必要なのはカクラザカ・ハヤトの仲間であって、勇者の仲間では無いとの事だ。
ニンゲン、変われば変わるものである。
自分がかけた情けが原因で仲間が傷つき、共に戦う宿命を帯びているにも拘わらずユキコに拒否された事実には、流石の直情型の莫迦も考えさせられたようだ。
奴は唯一残った僧侶を伴い、丸太や鉄塊をひたすら叩く修行に明け暮れているらしい。
これが魔族にとってプラスになるかマイナスになるかは予想がつかんがな。
『以上が今回の報告だ。質問はあるか?』
『質問は無いが要望はある』
余はアポリュオンにそっと耳打ちをする。
アポリュオンの奴め、目を皿のように丸くしておるわ。
『本気か? いや、段取りを組むのは容易ではあるが……』
久々にこの男の驚く顔を見られた余は上機嫌で頷いてやった。
『では良きに計らえ』
余はアポリュオンを部屋から追い出すと、自分の企みに思いを馳せて思わずほくそ笑むのだった。
と、このように余はニンゲンを敵視してはおらぬ。少しは安心したかな?
しかし『大罪の七将』については余の落ち度よ。立場上何もできぬのが歯痒いわ。
さて、カイゼントーヤに到着したユキコ達に何が起こったのか?
何故、すぐにアジトアルゾ大陸を目指さないのか?
それはまた次回の講釈にて。
……云ってみたかったのだ、これが。
プロットを見つめなおしているうちに、ここまで遅くなってしまいました。
今回は新展開の前に魔界サイドでのお話を書いてみました。
次回は時間を遡らせまして、カイゼントーヤに入国したユキコ一味の動きを書く予定です。