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第弐拾章 姫信長三番勝負・前編

 今回からアランドラの視点となります。

 私ことアランドラ=フォン=スチューデリアはまるで美麗な舞を舞っているかのようなユキコ殿の動きにただ見惚れていた。

 今、彼女が相手をしている銀髪をポニーテールにしている男は私と同じ母を持つ実兄で、名をアラミス=フィス=スチューデリアと云う。

 もっとも我が兄はスチューデリア姓を拒み、人に名乗る時もただの一人の男、アラミスとしている。

 それというのも窮屈な王宮生活に嫌気が差したのか、十三歳の折り、俺は自由になる、と止める母上の手を振り払い城を飛び出してしまったからだ。

 その後、街から街へと転々とし悪童とともに悪事を重ねるようになり、彼らの対応に困った人々が我が師・ケグルネクに依頼して制裁を加える事にした。

 いくら腕っ節が強くても所詮はナイフに頼って弱者を脅す程度だった彼らが師に敵うわけもなく、散々打ちのめされて心身ともに痛い目に遭わされた。

 気を失うまで懲らしめられた兄達が眼を覚ますと、牙狼月光剣のヴェアヴォルフ道場に縛られて転がされていたと云う。

 自慢のナイフの威光が通じないどころか多勢に無勢という状況であっさりと打ち負かされた彼らは道場の上座で睨み付けてくる師に心底怯えた。

 しかし彼ら全員が眼を覚ました事に気付いた我が師はニカッと笑って束縛を解き、温かい食事を与えたばかりか住む場所を提供した。


「お前達、そんなチャチなナイフを振りかざして強くなったつもりになるより、本当に強くなってみたいとは思わぬか?」


 そう云って師は兄達に牙狼月光剣の手解きを授け、我が子のように慈しんで接したと云う。

 初めは少年特有の反抗心を師にぶつけていた彼らだったが、根気強い師の指導に一人また一人と素直に教えを請うようになっていった。

 我が師は懐く子も懐かぬ子も平等に扱った。

 一人がミスをすれば仲間がフォローしろと指示し、ミスした者も可能な限り自分で決着をつけるように教育した。

 彼らが教わったのは剣術ばかりではない。字を知らぬ者には読み書きを教え、数を数えられぬ者にも侮らず根気良く数字を教えていった。

 そして彼らははたと気付く。

 己が胸に今まで感じたことのない温もりが宿っている事を……

 勿論、悪童だった者、皆が皆、更正した訳ではない。

 道場を飛び出し、半端な修業で身につけた半端な力を振りかざして逆に返り討ちに遭って死んだ者や堪えきれず再び悪事に手を染めて役人に捕まり人生を棒に振った者もいた。

 それでも師は辛抱強く悪童を集めて熱心に指導を続けていった。

 その地道な努力は古参の悪童達にも伝わり、先輩として新しい者達を指導するようになっていったという。

 少人数では困難だった事も同志となった教え子達の協力も得られるようになり道場は軌道に乗り始めるようになる。


「師という者は一方的に教えるだけでなく、弟子からも教わることが多いと遅蒔きながら思い知った。儂は果報者でござる」


 当時のことを懐古する師の照れくさそうな笑いは私のもっとも好きなものの一つだ。

 やがて剣術道場と更正施設を兼ねたヴェアヴォルフ道場の噂が我が父、聖帝陛下の耳に入り、感じ入った父は国から助成金を出した。

 そればかりか、勉強になると私を含めた実子十数名を当道場に通わせ、そして我が師を帝室指南役に大抜擢した。

 そこで私は十も歳が離れた兄と再会するのだが、当時八歳でありながら未だに母の乳房恋しい軟弱者だった私は兄から顰蹙を買っていた。

 今でこそ親離れが出来てはいるものの、当時の甘ったれぶりは相当で、兄という事もあって彼に鬱憤をぶつけていた過去は今でも尾を引いている。

 しかも私は事ある毎に家出の事や昔、悪さをしていた事を引き合いに出して我が儘放題にしていた為に兄は多分に恥ずかしい思いをしていたはずだ。

 私は当時のことの償いをしたいのだが当人に取り合ってもらえず、ずっと心苦しい思いをしている。

 当然の報いなのかも知れないが……


 そんな兄も今ではヴェアヴォルフ道場の師範代であると同時に児童相談所の所員として生計を立てており、見目麗しい妻と二人の男の子に恵まれている。

 我が師は最近の兄を指し、己の剣に自惚れが出てきている、と危惧しているが私にはどう自惚れているのかは判じられなかった。

 後輩の指導も熱心であるし、師を立て妻には優しく、我が子も他人の子も等しく笑顔を向けている。

 兄が侮る人間は精々私くらいなものだろう。

 しかし、師の危惧が当たってしまったと目の前に広がる光景を見て悟らざるを得なかった。

 まず我が師の命で一番手に指名された兄がユキコ殿と対峙した瞬間、冷笑を浮かべたのを私は見逃さなかった。

 恐らく霞流が聞いたことのない流派であることや私の連れであること、そして女性であることが兄に彼女を侮らせたのだろう。


「霞流剣術師範・霞雪子……お手柔らかに」


「牙狼月光剣師範代・アラミス……こちらこそ」


 二人は木剣を手に一礼すると各々の流派の構えを取った。

 兄は右手の大剣を頭上に上げ肩より切っ先をやや外に傾け、小刀を逆手に持った左手を前に出した。

 対してユキコ殿は中段の構えを見せて、膝を軽く屈伸して体を上下させている。


「始めッ!!」


 師の合図で先に動いたのは兄の方だった。


「ケェ!!」


 気合を発して小刀でユキコ殿の手首を払いにきた。

 これは相手に小刀を防御させて、その隙に頭上の大剣を頭目がけて振り下ろす兄の得意技だ。

 牽制とは思えぬ気迫に満ちた小刀に相手は思わず反射的に防御してしまうだろう。それ故に大きく隙ができるのだ。

 硬い樫の剣同士がぶつかり合う甲高い音に兄の冷笑が強くなった。

 早くも勝利を確信しているのだろう。

 だが、次の瞬間には冷笑が驚愕に変わっていた。


「霞流『士魂抜き』」


 小刀を叩いた音がしたと思った時にはそれ以上に鋭い音が起こって兄の大剣が宙を舞っていた。

 なんとユキコ殿は小刀を弾いた瞬間にすぐさま木剣を返して頭上に掲げられた大剣の柄尻を叩いたのだ。

 対峙していた兄はユキコ殿の動きが見えなかったに違いない。大剣がすっぽ抜けた右手を不思議そうに見つめている。

 それは一瞬のことであったが、ユキコ殿にとっては充分すぎる隙だった。


「面ッ!!」


 流れるような剣の動き、体捌きに私は言葉を失って、気付いた時には振り下ろされた木剣が兄の顔面スレスレで止まっていた。

 兄はしばし血走った目で鼻先に触れるか否かの木剣を見つめていたが、ユキコ殿が木剣を引くとそのまま道場の床にへたり込んだ。


「それまでぃ!! 勝者・ユキコ殿!!」


 師の宣言に静まり返っていた門下生達は兄に殺到していった。

 どうやら失神しているらしく、担架を持ってこいだの、気付けだとの声が上がっている。

 ユキコ殿は木剣を左手に持ち替えると兄に向けて頭を下げていた。


「ユキコ殿、フェイナンから聞いてはおったが誠に凄まじい剣でござるな。当道場でも一、二を争うアラミスを手も無く負かすとはいやはや驚かされたわ」


 師は莞爾として笑ってユキコ殿の勝利を褒めそやした。


「恐れ入ります」


 ユキコ殿は至極冷静にそう返すと一度深呼吸をして師が指名したもう一人の男に顔を向けた。

 男は一瞬だけ不敵に笑うと、すぐさま表情を消してユキコ殿と対峙した。


「まだ名乗ってはいなかったな? 牙狼月光剣副師範・ラカスロープ=ヴェアヴォルフでござる」


「儂の実弟にござる」


 これにはユキコ殿も驚いたようで右の眉が跳ね上がった。

 ラカスロープ副師範は師とは十三歳も離れた腹違いの兄弟で、目元口元は似ているが顎のラインが細い。

 四十二歳の師の剣が努力の積み重ねで得た境地なら、ラカスロープ副師範は幼い頃から「聖都スチューデリアにラカスロープあり」と謳われた天才剣士だ。

 この兄弟の仲は羨ましいくらいに良く、互いに支え合って道場を運営している。

 師はラカスロープ副師範こそ道場主にしたいと思っているようだが、逆に副師範は兄ケグルネク以外に道場の主はいないと云う。

 彼が云うには、「いくら周りが天才と褒めそやそうと努力という土台の上に築かれた兄の剣には到底及ばぬ」との事らしい。

 なるほど確かにラカスロープ副師範の技量は師と互角かそれ以上だが、師のように相手を威圧する気迫が足りないように思える。

 初めて師と木剣を交えた者は皆口を揃えて体が動けなくなる程の威圧感を受けると云うが、副師範は実力では敵わない事は当たり前だが威圧感はさほどではない。

 この剣気と呼ばれる気勢が勝負の明暗を分ける事は珍しくない。ラカスロープ副師範は資質は別として真剣勝負では師に勝てないと理解しているのだ。

 無論、副師範も甘んじてナンバー2の位置にいるつもりはない。いずれ兄に追いつき追い越す気迫で日々修業に励んでいる。

 二人は仲の良い兄弟であると同時に互いに切磋琢磨する良きライヴァル同士でもあるのだ。だからこの二人の指導を受けることが出来るこの道場は強い。

 余談だが今日、徒党を組んでアンカー亭に来たのはフェイナンを糾弾するためではない。むしろ彼らに無用な騒動を起こさせぬよう監視のためにいた事は信じて欲しい。


 さて、互いに目礼を交わしたラカスロープ副師範とユキコ殿は木剣を構える。

 改めて見るとユキコ殿の背は女性としてはかなり高い。だが副師範はそれに輪をかけて大きく見える。

 鍛え上げられた筋肉は力強いだけではなく獣の如き俊敏性を併せ持つ。並の剣士では反応すらできずに彼の打ち込みを受けてしまうだろう。

 ましてや彼は近隣住民のために定期的にモンスター討伐を行っている。つまり実戦経験が豊富なのだ。

 流石のユキコ殿も分が悪いかも知れない。


「参ります」


 ユキコ殿が静かにそう宣言したと同時に彼女の全身から凄まじい剣気が迸った。

 その強大な気迫に門下生は勿論、情けない事に私の身まで何かに縛られたかのように動けなくなっていた。


「霞流『闘鬼の術・風車』」


 『闘鬼の術』?

 確か気を高めて一瞬の怪力を得る術だったと記憶しているが、ラカスロープ副師範の筋力に対抗する為だろうか?

 しばらくユキコ殿の剣気を受けて顔を顰めていた副師範だったがすぐに覇気のある顔に戻っていた。


「おりゃあッ!!」


 腹の底から気合を発するとユキコ殿の剣気は嘘のように霧散した。

 だが、同時にラカスロープ副師範の気も消失してしまった。


「ぐっ!」


 副師範の呻き声に私は先程の剣気がユキコ殿の“誘い”であることを悟った。

 副師範の気が消えてしまったのではない。彼が放出した気をユキコ殿が受け止めて自分の物にしているのだ。

 霞流とはなんと恐ろしい剣術なのだろう。

 ラカスロープ副師範がユキコ殿を威圧せんばかりに気を放出すればするほど彼女は有利になっていく。

 こちらは気力を放出し奪われていくだけ……

 対してユキコ殿は奪った気を高めて副師範にぶつけてくる。

 気の悪循環と呼べる状況が出来上がっていた。


「ば、莫迦な……」


 道場は森閑としてラカスロープ副師範の苦しげな荒い呼吸の音だけが響いていた。

 四半刻(約三十分)が経っただろうか?

 不意に副師範の頭が揺れ始め、彼は自らを叱咤するように頭を振った。


「はああああああああああッ!!」


 ユキコ殿の剣気が益々高まって、とうとう副師範の体が前後に揺れ始めてしまった。

 最早、目は虚ろで何も見ておらず、体の揺れは激しくなって額には脂汗が浮かんでいた。

 ついに副師範はユキコ殿から顔を背けてしまう。構えは既に解けているが木剣を手放なさなかったのは剣士としての意地か。

 次の瞬間、ユキコ殿が動いた。


「喝ッ!!」


 声量はそれほどではなかったものの、ヤケに耳を打つ叫びで勝敗は決した。

 ラカスロープ副師範は腰砕けに床へ倒れ込んだ。


「それまでぃ!! 勝者・ユキコ殿!!」


 なんとヴェアヴォルフ道場の双璧が仕合らしい仕合をする事さえ許されずに敗退してしまった。

 しかもユキコ殿は汗をかくどころか息一つ乱れていなかった。


「ご指導、かたじけのうございました」


 ユキコ殿は膝を折りセイザと呼ばれる座り方をして我が師に頭を下げた。

 それにしても彼女の強さは異常だ。

 剣技は勿論、気の使い方、体捌き、相手に合わせた戦術の組み立て方、どれもが常人とはかけ離れている。

 盲目とは思えぬ正確無比な動き、盲目ゆえに安い幻術に囚われない強さ。

 全てを包み込む慈愛の心と全ての敵を斬り裂く残酷性の同居。

 彼女は私が今までに出会った全ての人物とは全く異なる存在だ。









 私は初めてユキコ殿達と邂逅した日の事を思い出す。

 その日、私は父の命を受けて勇者の実力を計る為に、太陽神から授けられた聖剣が納められている『儀式の間』へと続く螺旋階段で彼女らを待ち構えていた。

 元々、『儀式の間』とは星神教の巫女となる女性が試練を受ける為の神聖な場所で、その国の巫女頭と共に三日三晩籠もるというしきたりがある。

 中で何が行われているのかは判らないが、『儀式の間』から出てきた巫女頭と新たな巫女は例外なく妙に肌が艶々として不自然な程仲が良くなっていた。

 一度、好奇心で当の巫女頭である我が姉アリーシアに儀式の内容を訊ねた事があったが、彼女は微笑むだけで教えてくれる事はなかった。

 ただ、その微笑みは目だけが笑っておらず、これ以上の追求は身に危険が及ぶと思わせる“色”が瞳に宿っていて背筋の凍る思いがした。

 まあ、それは良い。

 兎に角、父は自分達の世界の危機を異世界から勇者を召喚してまで払拭する事を是とせず、自らの手で平和を取り戻そうとされていた。

 私もその考えに賛成だったので、場合によっては実力をもって勇者を黙らせ、彼女らを元の世界へと帰す方法が見つかるまで軟禁するつもりだった。

 だが、気配を完全に消して待っていた私の存在をあっさりとユキコ殿に見破られて、武力に訴える考えは霧散してしまった。彼女に興味を覚えたのだ。

 私は次に軽いプレイボーイを気取ってユキコ殿に近づいていった。案の定、姉上の機嫌が悪くなっていったが私は構わずユキコ殿を観察する。

 初めてユキコ殿を見た時の衝撃は今でも忘れることができない。この世にこれほど美しい女性がいたのかと我が目を疑ったくらいだ。

 まず闇の中でもなお艶やかな黒い髪に目を奪われた。

 今まで黒髪を持つ民族を見たことが無かった事もあるが、何より黒という色を生まれて初めて美しいと思ったのだ。

 次にシャープな顎を持つ美貌に言葉を失った。

 目をきつく閉じている為、眉間に皺が寄っていたが、それさえも私の目には魅力的に映った。

 ユキコ殿の後ろに控えている二人の妹御も姉に劣らぬ美貌を誇っていた。

 このような美しい女性達を戦いの中に投じる事は人類の裏切りのように思えてきた。

 私は無意識の内にペラペラと軽薄な口説き文句を並べていた。己の悪癖に気付いた私は内心舌打ちしたが、そのまま続ける事にした。彼女の反応が見たかった。

 だが、ユキコ殿が口を開く前に姉上の方が我慢の限界を超えたのか私の言葉を封じてしまった。そのまま不毛で幼稚な口喧嘩になりつつあったが、ソレをユキコ殿が止めてくれた。

 私はその凜とした声に思わず聞き惚れてしまっていた。

 意志の強さをそのまま口にしたかのような声はなんと私に儀式の立ち会いを認めさせるに至った。

 察するにユキコ殿は私と姉の不毛な会話を聞き難いと思ったのではないだろう。私達の仲を拗れさせぬ為の配慮であったのではないかと愚考せずにはおれない。

 さて、本来ならば男子禁制の『儀式の間』へと赴かんと螺旋階段を下っていると、いつの間にかユキコ殿が私の隣にいて、私の様子を探るような気配を見せている事に気付いた。

 確かにこんな胡散臭い男がいれば警戒するのは当然だろうと思い小声で話しかけた。


「正直、私の貴方に対する第一印象は最悪でした」


 ユキコ殿のストレートな答えに苦笑しながらも、「最悪でした」と過去形で云われた事に内心希望の火を灯す現金な私がいた。

 そんな私をよそに、ユキコ殿は私が彼女らが勇者であって欲しくないと望んでいる事を云い当ててしまった。

 思わず硬直してしまった私に、彼女はどうやって導き出したのか、自分の推論が事実であると確信したようだ。

 あくまで恍けようとする私にユキコ殿は韜晦しないように云い、私には威徳があるとも云ってくれた。

 とうとう私は彼女を止める気持ちが消え失せてしまう。

 初対面でありながら私の考えを読む程の人物を侮るほど莫迦ではないつもりだ。

 そこで父からの密命を思い出す。


「もし彼らが勇者として相応しい力量を見せたのならば、最早止める必要なし。彼らの旅に同行し目付となるべし」


 勇者が無事にヴェルフェゴールを倒し、『楔』を破壊して元の世界に帰れる日が来るまで彼らを守り抜き、また勇者が自惚れて問題を起こさぬよう見張れ、という訳だ。

 それならばと、合流ついでにユキコ殿にある依頼を持ちかけようと思いついた。

 運河に建造された街スエズン。そこで私が懇意にしている宿屋アンカー亭の抱える問題に智恵を貸して貰おうと思ったのだ。

 事実、彼女の策は素人同然のフェイナンに恐るべきサーベルの達人であるベルムから勝利を収めさせている。

 決闘の後、フェイナンに命じた奇妙な構えと勝利の種明かしを聞かされた私は感嘆のあまり唸る事しかできなかった。

 流石に道場主とあって人の心の機微を察する能力はあると思っていたが、まさか心理の動きさえ策に組み込もうなど誰が思おう。

 私はそういった意味でも城を飛び出してまでユキコ殿のパーティに入って良かったと思っている。

 彼女のそばにいればあらゆる角度から学ぶことが多いだろう。これは私が成長するチャンスでもあるのだ。


 話を元に戻そう。

 私は何かを探るように杖を前に出しながら一歩一歩足を踏み出すユキコ殿の様子に彼女が盲目であることを察した。

 考えてみればすぐ判りそうなものだ。ユキコ殿はずっと瞼を閉じていたのだから……


「失礼」


 私はユキコ殿の手を取るとゆっくりとエスコートしながら螺旋階段を降りていった。

 初めは驚いていたユキコ殿だったが、顔を赤らめながらも手を振りほどこうとしない彼女に私は緩みそうになる頬を引き締めるのに苦労した。

 ただ後ろからの視線を感じて背中どころか全身に凄まじい悪寒が走って恐る恐る振り返ると、そこには一人の修羅がいた。

 まるで視線だけで人が殺せそうな目つきでツキヨ殿が私達を、正確には繋いだ手を睨み付けていた。


「あ、あの……」


 私が声をかけようとするとツキヨ殿は一層強く睨み付けた後、ぷいと横を向いてしまった。

 これは何を云っても逆効果だろうと再び襲ってきた刺すような視線を背に受けながら私は無言で足を動かした。

 いったいコレは何だったのか? 姉を取られた嫉妬どころではない激情を感じて私は冷や汗の掻き通しだった。

 その後、ユキコ殿をエスコートする私に嫉妬した姉上が暴れて階段を踏み外し落下するという微笑ましいハプニングがあったが問題なく『儀式の間』に着いた。


「こ、これは……」


 巨大な扉が開くと同時にユキコ殿は感嘆の声を上げた。

 私も初めて『儀式の間』に足を踏み入れたが、まるで星神教本山の大神殿に負けぬほどの清浄な空気に満ちていた。

 白亜の壁、大理石の床とシンプルながらも調和の取れた空間はなるほど巫女となる女性が儀式を受けるに相応しい場所だった。

 恐らく地下水を汲み上げたのだろう水路が周りを走り、その先に沐浴の為の小さなプールが見える。

 中央には太陽神・アポスドルファとその妻、月の女神・アルテサクセスの仲睦まじく寄り添う巨大な像がある。

 随分と地下深く降りてきたのに太陽の光と空気がここまで届くように造られた先人の知恵には驚かされるばかりだ。

 ふむ、儀式の最中は外に出られない事もあって断食しているのかと思ったが、キッチンのようなものがあるから違うらしい。

 端にかなり大きい白磁の壺が置かれているのが見えた。何が入っているのかと近づいてみると強烈なポプリの香りと微かな異臭がした。


「な、なるほど三日三晩も出られないのだからな……必要と云えばこれ程必要なものはないか」


 壺の下にはやはり白磁でできたパイプのような物が繋がっていて、『儀式の間』の壁をも突き抜けて先が消えていた。

 気が付くと姉上が顔を真っ赤にして羞恥なのか怒りなのか判然としない表情で睨んでいたので、私は大人しく壺から離れることにした。

 それを見届けた姉上は一度咳払いをしてから、まだ微かに頬を赤く染めつつもユキコ殿達に聖剣の儀の説明を始めた。

 アポスドルファとアルテサクセスの像の足下に設えた台座に突き立てられた二振りの聖剣を引き抜くことが出来た者、それこそが勇者だ。

 まずユキコ殿が儀式に臨んだ。

 しかし押せども引けども聖剣が台座から抜ける気配は微塵も見せることはなかった。

 ユキコ殿は勇者ではない……この事実は私にとっては好ましいものだった。

 何故ならこれで彼女をヴェルフェゴールの元へ送らずに済むかも知れなかったからだ。

 続いてツキヨ殿も挑戦してみたがやはり彼女も聖剣を引き抜くどころか僅かにも揺らすことさえ叶わなかった。

 姉上を始めユキコ殿もツキヨ殿も苦渋に満ちた表情をしていた。


「じゃあ、最後に桜花が行くね」


 最後の望みを託すかのような視線に見守られながらオウカ殿が聖剣の儀に臨んだ。

 彼女が聖剣を掴んだ瞬間、『光』の聖剣『サンシャイン』(今では『ニチリン』と名を改めているが)から強い光が放たれた。

 オウカ殿こそ勇者かと思われた時、彼女から意外な言葉が出た。彼女もまた聖剣が抜けなかったのだ。

 誰もが絶望する中、我らを嘲笑う声が響き渡り、次の瞬間、地響きと共に台座の影から黒い甲冑を纏った巨人が現われた。

 ご存知、巨大な甲冑を数人で操る魔族の刺客、スタローグ兄弟だ。

 私はせめてユキコ殿達姉妹だけでも逃がそうと剣を抜くが、私がスタローグに向かう前にユキコ殿が前に出てしまった。

 あの時の私はユキコ殿の実力を知らなかった故に相当焦らされたが、そんな心配も杞憂に終わった事は今更述べるまでも無いだろう。

 その時、ユキコ殿は額に細い布を巻いていたが、それ以上の変化はその開かれた眼だ。

 我が国の皇女達の中にも宝石を蒐集する趣味の者がいるが、彼女の持つ自慢の翠玉(エメラルド)よりもユキコ殿の緑色の瞳は鮮やかで美しかった。

 彼女はスタローグの巨大な棍棒の一撃に臆することなく一気に加速してなんと彼らの股下をスライディングして背後に回った。

 そして間髪入れずに振り返るや跳びながらスタローグの膝の裏を一閃した。彼女の杖に仕込まれていた剣は見事に甲冑の隙間を縫っていた。

 スタローグが膝を庇って片膝をついた瞬間を見逃すユキコ殿ではなかった。

 彼女は再び跳んで今度はスタローグの首筋に剣を突き立てる。


「延髄は急所中の急所……終わりよ」


 ユキコ殿がそう宣告するとスタローグは無言のまま前のめりに倒れていった。

 私はこの戦いを思い出す度に身を震わせた。圧倒的というのはこの事かと何度でも興奮が蘇る。

 霞流は戦場で生まれた実戦剣法だと聞いた。

 故に鎧甲冑を着けた敵に対抗する技が多く、霞流にとって重たい甲冑とは相手の方からハンデを負ってくれていると同義らしい。

 恐ろしかった。だがそれ以上に技の美しさに目を奪われた。

 私は美しさと残酷さが同居できるのだと初めて知った。

 美しいがゆえに残酷。残酷であるがゆえに美しい。

 剣の本質は『叩き潰す』事にあると思っていた私は『斬る』事に特化したカタナという剣と技に魅了された。


「こ、これがユキコ殿の実力……これで勇者に選ばれなかったとは」


 私は興奮のあまり声が少し上擦ってしまった。

 しかしユキコ殿は勝利を喜ぶでもなく、自分の実力を誇るでもなく、寂しげに佇んでいた。


「いえ、だからこそ選ばれなかったのではないでしょうか?」


 私と姉上は思わず異口同音にユキコ殿の名を呼んだ。

 ユキコ殿は自嘲気味に微笑むと自分は他人の命を奪うことに躊躇いを持てないと云う。

 私がどう声をかけて良いものかと迷っている内にユキコ殿は更に自虐の言葉を発しようとしている。

 しかしツキヨ殿がユキコ殿に抱きついた事で彼女が自分自身を苛む事を防ぐことができた。


『姉様、ダメです……これ以上、その事は云ってはいけません。放っておくと際限なくご自分を卑下されるのが姉様の一番悪い癖です』


 ツキヨ殿の外見とは大きく離れた老婆のような『声』に私達は言葉を失った。

 詳しい事情は判らないが、どうやらツキヨ殿は自ら毒を飲んで喉を潰してしまったらしい。

 聞けばまだ十六歳だというのに自らの命を絶とうとしたとは如何なる過去があったのか……

 ユキコ殿はただツキヨ殿を抱きしめて何度も謝っていた。


 ユキコ殿は云う。

 自分は確かにスタローグから我々を守ろうと戦った。

 しかし戦っているうちに戦うことが愉しくなっていったのだと呟くように告白した。

 ユキコ殿は恐らくずっと自分を苛んで生きてきたのだろう。

 涙を流しながら血を吐くような告白を続ける彼女を一秒でも早く止めたかった。


「えい♪」


 私が口を開こうとしたその瞬間、ユキコ殿のスカートとズボンの中間のような物(ハカマというらしい)が床に落ちた。

 あまりの光景に私は呆然としてしまった。

 何故にユキコ殿は下着を穿いてないのか? ユキコ殿は意外と薄いのだな、と莫迦な事を無意識に考えていた。

 私の思考を正常に戻すことができたのはユキコ殿が悲鳴を上げたからだ。

 自分がナニを見ていたのか気付き、慌てて顔を逸らすと幸せそうな姉上の横顔が見えた。


「オウカ様、大変良い仕事をされましたわ」


 私が人の事を悪く云えた義理ではないが、これが聖都スチューデリアの姫巫女かと思うと少し泣けてくる。

 確かに星神教の巫女は信者と交わりつつ教えや宿命を説いたり、時には腹を貸して代理母を務めたりするが姉上は己自身の性欲を優先させている嫌いがある。

 それが悪いとは云わないが、数多の星神教徒から神聖視されている巫女頭の教えを説く相手が少女限定というのも如何なものか?

 巫女に選ばれた皇族はその身を太陽神・アポスドルファに捧げ生涯純潔を通さなければならぬと過酷な運命を背負わされている事も同情しないでもないが……

 その話は置いておこう。

 私は互いに慈しみ合い、支え合うこの美しい三人の姉妹を眩しく見つめる。

 絶望的と思われていた魔族との戦いも彼女らを見ているうちに希望を見出したのだ。

 その後、スタローグ兄弟が『マリオネット・アームズ』なる技を用いて再び襲ってきたが、特に語ることもないだろう。

 問題はスタローグ兄弟の長兄・カイゴーが姉上を人質に取り、魔力を暴走させて自爆を目論んだ事だ。

 強大な魔力のうねりにユキコ殿が弾き飛ばされて負傷した時、ついに奇跡が起こった。

 なんとオウカ殿の中には本来双子の片割れとして生まれるはずのトモエ殿がいて、『彼』がユキコ殿の負傷を切っ掛けに『表』に現われた。

 トモエ殿が『闇』の聖剣『ムーンシャドウ』を掴むや『儀式の間』はシンと空気が張り詰めて、トモエ殿を中心に『闇』が溢れた。

 彼(彼女?)の中でオウカ殿とトモエ殿が同時に覚醒した瞬間、奇跡の仕上げが成された。


 聖剣の力を得てオウカ殿とトモエ殿は一つの『存在』となった。

 『ニチリン』と『ツキカゲ』に名を改めた聖剣を使いこなす奇跡の勇者・ヒジリがここに誕生した。

 勇者は二人の面影の残る顔立ちとオールバックにした長髪を除いて大きく姿が変わっていた。

 背は私よりやや低い程度まで伸び、胸は相当大きくなってはいるが下品という印象は受けない。

 何より目を引いたのが左右の瞳の色が違うオッドアイになっている事だ。

 金の右目と銀の左目はユキコ殿の瞳と遜色ない美しさだ。

 勇者は聖剣の力を使い、瞬く間にカイゴーを倒して姉上を救い出した。


「これが勇者……これが聖剣……」


 私は自らの考えが甘かった事を思い知らされた。

 ユキコ殿の剣、ツキヨ殿の知と火術、そして勇者となったオウカ殿とトモエ殿。

 私がどうこうできるレベルの話ではなかった。

 もし私が己が剣に物を云わせてこの三姉妹と戦っていたら……

 数分と持たずに敗北し、場合によっては命さえも散らしていた事だろう。

 やはり彼女達はアポスドルファに招かれた勇者なのだ。

 私はこの時ばかりは大司教・アズメールが受けた神託を素直に受け止めようと思った。


 さて、私がユキコ殿の器量に完全に感服させられた出来事がこの後に起こった。

 自分達をどうするのか早く決めろ、と云う魔族達にユキコ殿はあっさりと解放すると云ってのけた。

 当然、魔族も激昂し我々も大いに戸惑ったが、彼女に『影渡り』の事を指摘されてようやく合点がいった。

 下手に捕まえて恨まれるより、何事もなかった事にして穏便に済ませようと云うユキコ殿に私も魔族も頻りに感心した。

 誰も云わなかったが彼らを処刑するという選択肢もあった。しかしユキコ殿があえてそれを提案しなかったのには訳があった。

 自爆しようとしていたカイゴーを必死に止めようとしていた長女・テーシャの心意気に好感を持ったからだと後述している。

 流石はユキコ殿の人徳だと云うべきか、スタローグ兄弟はすっかり彼女に好意を持ってしまっていた。

 特にアンリのユキコ殿を見る目はどう見ても優しいお姉さんに一目惚れした純情少年そのものだ。

 その後、なんとカスミ家とスタローグ家は『家族』の契りをかわしてしまう。

 先程まで命のやりとりをしていた者達と手を取り合える器量は、私のように凡愚な男には到底持ち得ぬものだ。

 初対面から気にはなっていたが、この瞬間に私は心底ユキコ殿に惚れ込んでしまったのだろう。

 恋愛感情だけではない。

 ユキコ殿の持つ剣の腕、人としての器の大きさ、それに反してガラス細工の如く繊細で脆い“危うさ”ともいうべき部分にすら魅せられていた。









 私が回想をやめ我に返ると、なんと道場の中央でユキコ殿と我が師・ケグルネクが木剣を手に対峙していたのだ。


「すまぬな。先の二人との手合わせで終わらせるつもりが、年甲斐もなく火が着いてしもうてな。迷惑な事と思われるだろうが、よしなに、な」


「いえ、一流を究めた達人に直接ご指導を賜わるのです。この機会に感謝こそすれども迷惑など夢にも思いませんわ」


 微笑み合う二人の間に穏やかな空気が流れたが、互いに一礼して木剣を構えた瞬間、彼らの間、否、道場全体の空気がピンと張り詰めた。









 想像すらしていなかった対決が始まろうとしている。

 己が流派を究めた達人同士の仕合は、如何なる結果と相成るかという予想すら困難だ。

 片や長年私を鍛えてくれた恩師、片や並々ならぬ想いを抱く女性……

 どちらを応援すべきかすらままならない我が身の不甲斐なさよ。

 この仕合の果てにあるものとは?

 牙狼月光剣と霞流の両者にどのような結末が待っているのか?

 それはまた次回の講釈にて。


 霞流と牙狼月光剣の他流仕合は師範代、副師範と立ち続けに勝ちましたが、いよいよ道場主であるケグルネクの登場です。

 両者に遺恨はないので凄惨な戦いにはなりませんが、互いの技を尽くした名勝負を書きたいものですね。

 それとやや蛇足かと思いましたが、アランドラの回想を交えました。

 これは盲目であるユキコの視点では説明し得なかった情報の補完と第三者から見た雪子像を書きたかったというのもあります。

 ちなみにアランドラという名前は、私の中での男前といったらアラン=ドロンでして、ちょっと弄ってアランドラとなってます。

 しかし古いですな(苦笑)

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