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第壱拾捌章 霞家の歴史

 巴視点となります。

 休息がてらに霞家と霞流を巴に語らせているので、お話は進みません。

 俺こと霞巴は今日も皆が寝静まった頃に一人起き出した。

 その時、俺は鏡を見ないようにしている。

 理由は簡単……いくら自分でも、否、自分だからこそ男が女物を着ている姿を見たくないからだ。

 俺は寝間着を脱いでようやく姿見に映る自分と対面する。

 鏡に映っているのは『妹』と同じ顔をした『男』で、半目でこちらを見つめている。


「今日も無駄に元気だな……まあ、ある意味地獄のような生活だからなぁ」


 鏡の中の俺は苦笑して己の業物(・・)を指で弾いた。

 ふぅむ、警策のつもりだったんだが、大人しくなるどころか益々元気なって“鞘”から少し頭を覗かせる始末だ。


「まったく桜花も桜花だぜ」


 鏡の中の俺は胸に手を置いて、幸せそうに眠る『妹』を感じながら情けない表情(かお)をしていた。

 桜花が起きていようと寝ていようと、俺は『表』に出ない限り四六時中覚醒し続けている。

 寝ることが出来ない俺は同時に己の『体』動かすことすらままならず暇を持て余す事になる。

 だから桜花の目に映る情景、耳に入る音、舌で感じる味、肌が触れた様々な感触に愉しみを見出すより無かった。

 初めこそ単なる暇潰しだったが、コレがなかなか面白い。

 ただ“在るだけ”の俺にとって全てが良い刺激になってくれた。

 桜花の奴は月夜姉の講義、躾が退屈だったようだが、俺には最大の娯楽だった。

 知識を得られることが快感だった。

 また剣術の稽古も愉しいものだ。俺自身は『体』を動かしていなかったが、技を会得する喜びと心地良い疲労感は桜花と共有する事ができた。

 俺の知識欲は底が無い。ソレしか愉しみが無いってのもあったが、一度覚えたモノは完全に自分のモノにする事ができた。

 まあ、それ故の弊害(・・)が今ここに出てるんだけどな……


 桜花は基本的に雪子姉と一緒に風呂に入る。

 勿論、目が不自由な雪子姉を手伝うって意味もあるが、虎視眈々と雪子姉を狙う月夜姉に対する牽制の意味もなきにしもあらずだ。

 ソレが俺にとってどう弊害になるのかって?

 解らないか? さっきも云ったけど桜花の見たモノはそのまま俺が見たモノなんだって!

 で、桜花が雪子姉と一緒に風呂に入るって事は、だ……

 は? 羨ましい? 冗談じゃねェやい! 俺達はれっきとした姉弟(きょうだい)だっての!

 まあ、俺も十四、数え年なら十五歳だ。

 世が世なら元服っつって大人の仲間入りしてる。時には劣情を抱く事もあるさ。

 しかも一度見たモノは決して忘れることはない……ああ、解って……くれてないな? 地獄のような禁欲生活を……

 おまけにだ。その桜花もたまに一人で隠れるように風呂に入る事がある。

 理由はまあ、思春期にありがちな……“一人遊び”さ。

 それもまた俺に生き地獄を味わわせてくれる。

 まあなんだ、やっぱりソレ(・・)も共有するんだよ。感覚を……

 我ながら鉄の自制心だと思うよ、実際……

 否、雪彦(あに)ィが煩悩に苦しむ俺に気付いて“一人遊び”を教えてくれなかったら、とっくに理性が飛んでたかも知れねェな。

 おっと! 下世話な話はここまでとして、『女』の中に在る『男』の俺なりの苦労はコレで解って貰えたと思いたい。

 

 そんな俺も元々は桜花と双子として生を受けるはずだった。

 しかし何の因果か俺は母親の胎内で桜花の体に吸収されてしまった。

 お袋の腹の中にいた頃から既に物心がついていた俺は徐々に桜花に取り込まれていく課程で『恐怖』と同時に何故か『歓喜』を味わっていた。

 やがて、すっかり桜花の中に包まれた俺はそれでも消える事なく『俺』であり続ける事ができた。

 そして月日が流れ、急かされるように欺瞞と欲望に満ちた俗世に落とされて、産声を上げたのは俺じゃなかった。


「ほう、まずは女の子か! もう一人はどっちかな?」


 産湯で綺麗になった『俺』を抱き上げたのは今は亡き親父殿だった。

 当時でもう三十も半ばを過ぎていたが、気味が悪いほど白い肌は女のように潤っていた。


「そ、それがこの子のみでござる」


「は? 順庵(じゅんあん)殿は双子と仰っていたではないか」


 なんだか親父が筍庵(じゅんあん)の藪医者に捲し立てているせいで、咽喉(のど)の奧から景気良く泣き声が上がった。

 自分で出しておいてなんだが喧しいことこの上ない。

 まるで自分以外の誰かに『体』を勝手に操られているようだ。

 否、この『体』にとって異物は俺だ。

 俺は桜花に吸収されてなお自我を失わずに生き続けているが、『体』はやはり桜花のモノで俺に使用権は無いらしい。


 あー、ちなみに筍庵ってのは誤字じゃないぜ?

 藪以前に筍だ。年季の入った爺ィのクセに未だ半端な知識と技量しか持ち合わせていない野郎には似合いの号だろう?

 はっきり云って怪我をすりゃ月夜姉の方が手当が上手いし、病気になりゃ下手な薬を煎じられるよりも雪子姉の鍼治療の方が治りが早い。

 雪子姉は知っての通り、雪彦兄ィが道場を継ぐものと思っていて、餓鬼の頃は剣術修行にはあまり本腰を入れてなく鍼と按摩の勉強をしていた。

 雪彦兄ィが死んじまってからも、桜花が免許皆伝を許されたら早々に道場を譲る腹積もりらしい。

 おまけに独立しようとしているようで、人に頼んで盲目の人間を受け入れてくれて、尚且つ鍼医の開業を許可してくれそうな借家を探している。

 もっとも独立なんて月夜姉が許しそうにないけどな。

 仮に独立したらしたで月夜姉の性格じゃ付いて行くんだろうけど。


 おっと! 話が逸れた。

 この世に生を受けてから俺というか桜花の面倒をよく見てくれたのはまだ四歳だった幼い雪彦兄ィだった。

 勿論、雪子姉も流石におしめ(・・・)の世話はできなかったものの、よく子守唄を歌ってくれた。

 思えばその頃から雪彦兄ィは俺の存在に気付いていたような気がする……

 何故そう思うのか?

 それは、たまに桜花の瞳の奧を覗き込もうとするかのように凝視して、「出ておいで? 一緒に遊ぼう?」と語りかけてきたからなんだ。

 どうも雪彦兄ィは人が気付かない、否、気付けない、むしろ気付いちゃいけないモノ(・・)が『視』えちまっていたらしい。

 なにせ誰もいない部屋で虚空を見つめて愉しげに話をしてたり、石地蔵を家に上げて滔々と説教してたり、墓地で無数の火の玉に囲まれて踊ってた事もあったしなぁ……

 それは置いといて雪子姉に『俺』の存在を明らかにされた時なんざ、途端に相好を崩して抱きしめてくるわ、脇の下に手を差し込んで高い高いをするわ、えらくはしゃいでいた。


「やはり出る事ができるではござらぬか♪ 今まで隠れていたとは人が悪いでござるよ♪」


 摩擦で火が出るんじゃねぇかと思うくらい頬擦りをしてくる雪彦兄ィに俺が思わず衆道かと疑いを持ったのは秘密だ。

 実際、雪彦兄ィは女にモテるがそれ同様に男にも人気がある。

 純粋に強くて気さくな性格が受けてる所もあるが、やはり女のように繊細な顔立ちのせいだろう。

 門下生の連中は今でこそ「強くなるんだ」という確固とした目的で修業に励んでいるが、最初はほとんどの奴が雪子姉と雪彦兄ィが目当てだった。

 しかも雪彦兄ィは男女の差別が悪い意味で全くない。

 昔、衆道趣味の若い僧侶から告白されて、兄ィがあっさりと承諾しちまった事件があった。


「友は多いに越したことはござらぬよ。もっとも恋仲に至るか否かは彼の努力次第でござるがな」


 この言葉を聞いた日には流石に開いた口が塞がらなかった。

 つまり雪彦兄ィ自身が心底惚れられれば男色も構わないと云ってるって事だからな。

 そう云えば俺に“一人遊び”を教えてくれた時も普通なら肉親としての義務感ないし嫌悪感が顔を見せる所を逆に嬉々としてたしなぁ……

 もっとも雪彦兄ィが特定の人物に対して嫌悪感を見せるなんて事は無い。

 元々の性格もあるが、剣士としての宿命……人を殺めた事があるって事実が大きい。

 我が霞家が代々受け継いできたものは何も剣術や兵法だけではない。人の世にある『悪』を妖魔の形にして斬り捨てる『お役目』がある。

 それは『悪』として葬ってはならぬ存在を誅して『闇』から『闇』へと消し、全ては“妖かし”の業とする霞家の『裏』にして『闇』……

 だけど、ソレは『正義』に依る行動じゃない。

 どのような大義名分があろうとも『正義』の名において人殺しをしてはならぬ。人を殺すは『正義』に非ず。

 だから我が霞家は『悪』である。『悪』が『悪』を斬り捨てる。

 だから雪彦兄ィは誰かを嫌う事はない。自分が『悪』であると自覚しているからだ。

 ただ誤解して欲しくはない。雪彦兄ィは雪子姉とは逆に自分を卑下するような人じゃなかった。

 『悪』は『悪』なりに自分に課せられた『お役目』に誇りを持っていた。

 確かに悪党一人殺したとてソイツに殺された人は帰らない。奪われた幸せが戻ってくる事もない。穢された純潔が無かった事になるなんてあるはずもない。

 だが残された家族は? 恨んでも恨みきれぬ悪党が滅んだ事で溜飲が下がる。憂いが消える。仇を討てた気持ちになれる。脅威が目の前からいなくなる。

 これもまた一つの救いの形とならないだろうか?

 奪われた家族と悪党の命、なるほど釣り合うはずがない。しかしそれで帳尻を合わすのが世の倣いでもある。

 そう、全ては死んだ者達の供養の為ではない。

 明日を生きる人の為に雪彦兄ィは、雪子姉は凶刃を振るう。『お役目』を全うする『地獄代行人』として……


 そういった意味では今回の旅はまさしく『地獄代行人』に相応しい仕事だろう。

 一国を滅ぼした憎き魔将軍ヴェルフェゴールを『闇』に葬る必殺の刺客こそ勇者よりも肌に馴染む。

 既に俺達は路銀と呼ぶには大仰な大金を貰っている。

 そう、これは『正義』に非ず。勇者(ワル)魔族(ワル)を金ずくで殺す契約に他ならない。

 俺も桜花も聖剣に選ばれた勇者ではあるものの、身も蓋もなく云ってしまえばヴェルフェゴール抹殺の依頼を引き受けた刺客である事には違いねぇ。

 もう一度云うが我が霞家は『悪』である。凶刃を振るい弱者を『悪』から守る謂わば『必要悪』。

 否、詭弁はよそう。結局俺は勇者を名乗る『悪』でしかないだろう。









「ふぅ……ようやく治まったか」


 俺の在り方、家族、我が家の事と思考を巡らせているうちに業物(・・)は力を失って、頭も完全に“鞘”の中に消えていた。

 俺は素早く道着に袖を通し袴を着けると足音を立てないように部屋から抜け出した。

 本当なら褌も締めたいところなんだが桜花が嫌がるから着けられないので、どうにも収まりが悪い。


「雨こそ降っちゃいねぇが雲は全然切れてないな……」


 宿の中庭に出てしばらく暗黒の空を眺めていた俺だったが、冷たい夜風に吹かれたのを切っ掛けに目線を下ろして聖剣『月影』を構えた。

 剣が空気を斬り裂く毎に足を前後に運ぶ。幼い頃から続けてきた基本的な素振り稽古だ。

 これは俺も桜花も雪子姉さえも一日たりとも休んだことがない。

 剣術にしろ徒手空拳にしろ強くなる為に近道はない。こうして愚直なまでに基本を積み重ねる以上に己を磨く事ができる稽古を俺は知らない。

 確かに我が霞流は一撃必殺の秘剣が数多く存在する。

 だが、いくら強力な必殺剣といえども基本が出来ていなければ使いこなすことはできない。

 近頃、大切な素振り稽古を嫌がって手っ取り早く秘剣を教わりたいとほざく門下生がたまにいるが、そんなのは却下に決まっている。

 未熟者が使ったところで十の威力を持つ秘剣も一の威力すら出せないだろう。

 もっともそんな奴が高度な技を会得できる訳はねぇけどな。

 逆に云えば基本が出来上がっている奴らの中には十の秘剣に独自の工夫を凝らして十二にも十五にまでも引き上げている者もいる。

 そう、剣術の基礎が固まっていれば自分の腕が見えてくる。

 自分を知ることができれば創意工夫をして自分に合った必殺剣を創作する事もできる。


 そうだな……雪子姉を例に挙げてみようか?

 雪子姉は知っての通り生来からの盲目だ。

 だけど雪子姉はそんな苦しみに耐え、残る感覚を研ぎ澄まして“目”以上の空間認識能力を手に入れた。

 その鼻は敵の位置を探り、その耳は敵の動きを読み、その肌は微妙な空気の流れを感じ取って敵の気配を知り、脅威の第六感が敵の全てを見通す。

 この恐るべき能力(ちから)、『心の眼』を体得するのに雪子姉がどれだけの凄まじい修練を積んだのか俺にはとてもじゃないが想像もつかない。

 そしてその『心の眼』を体得した雪子姉ならではの秘剣が存在する。

 ソレこそが先日、スタローグ家のエントと刑場の前で盗賊・赤鼻のグリークを倒した秘剣『野分』だ。

 居合は元々片手剣である為、両手持ちより若干間合いに利が生じる。

 だが『野分』は相手の呼吸を読み、先の先を取って間合いの外から跳びかかるように斬りつける。

 それだけじゃない。剣先は勿論、腕を伸ばし上半身まで伸ばして一本の矢のように跳んでいくから雪子姉の間合いは更に伸びて、ただでさえ先手を取られてる敵は戸惑う事になる。

 極めつけに『野分』の狙いは敵の首筋にある。首の重要な血管を捻るように斬りつけるので、決まれば僅かな傷でも大量に血が噴き出して雪子姉の勝利は確定する。

 まさに一撃必殺の秘剣だ。

 更に霞家には当主のみが会得を許される『覇王鬼門返し』と名付けられた最終奥義がある。

 長い年月、あまたの妖魔の血を吸い続けた事で『妖刀』と化した雪子姉の愛刀、大真典甲勢二尺六寸、その『力』を解放するって事しか解らない奥義中の奥義。

 『覇王鬼門返し』の名に相応しく、荒々しい激流の如く瞬く間に敵を飲み込んでしまう一撃滅殺を誇る覇王の剣だ。

 この奥義の前には如何なる敵も生存が許されず、ドラゴンと呼ばれる強力な怪物さえも一撃で屠った事は記憶に新しいだろう。

 だが俺には『覇王鬼門返し』が単に出鱈目な威力の技で終わらないような気がしてならない。事実、先日のアレは全開ではなかったはずだ。

 何故、そう思うのかと云うと奥義に付けられた名前にある。名に“返し”とあるからには『返し技』が必ず存在するに違いないだろう。

 敵を惑わすための虚偽という可能性も無いわけではないが、まさか奥義の名にそのようなハッタリを入れるなんて誇りを穢す真似はすまい。

 つまり雪子姉はドラゴンを倒すのにも、本気ではあっただろうが全力を出していなかったと云う事になる。

 考えたら背筋が寒くなってきやがった……


 まあ、雪子姉がそんな出鱈目な奥義や秘剣を使いこなす事ができるのは、ひとえに日々修行に明け暮れて鍛錬を積み重ねてきた結果にある。

 だから俺も桜花も雪子姉に少しでも近づくには雪子姉の倍は努力をしなくちゃならない。

 もっともその雪子姉自身が人の数倍頑張ってるんだけどな……

 俺は勿論、桜花や月夜姉、それと門下生の連中が雪子姉を敬愛している理由がそこにある。

 確かに雪子姉が課す稽古は厳しい物ばかりだ。

 だが雪子姉は門下生に与えた課題以上の修行を自分にも課している。

 門下生に稽古をつけながらも自身を鍛えているのだから不平など出ようはずがない。

 しかも門下生一人一人の力量を見極めて把握し、それぞれに合った稽古を指示しているのだから頭が下がる。入門したばかりの奴は大抵はコレで感激する。

 また気配りも出来る人で、仕事の合間に稽古に来る奉公人や人足などは稽古後、仕事に差し支えないよう体力を残して帰すから士族は勿論、平民も長続きする。

 もっとも雪子姉に云わせると、「私達の日々の暮らしは門下生の指南料で成り立っている。だから仕事が出来なくなるまでしごくのは愚の骨頂よ」って事らしいがな。

 それと当道場では厳しい稽古だけではなく、年に何度か食事会や茶の湯の会を催して日頃の疲れを癒したり、門下生を紅白に分けての剣術大会まで開いて愉しませている。

 我が霞流の先人達が見たらさぞ嘆き悲しむだろうがこれも時代の流れだ。

 次々と名のある流派が道場を畳んでいく中、生き残る為には“飴”も使うのが現当主霞雪子の方針だ。

 ご維新後、年貢が銭になったり徴兵制度を始めたりと俺ら庶民の生活が苦しくなっていく中で無用の長物となりつつある剣術道場を持ち直すには綺麗事は云ってられねぇからな。

 雪子姉が強いだけでなく商才も長けていた事には本当に感謝している。おかげで剣術が続けられるんだからな。

 結局、俺も剣術バカってところなんだろう。









 さてと、素振りが千本越えた所で体が温まってきた俺は『月影』を帯に差すと居合の稽古を始めた。

 どうもコイツは刀身の反りが強すぎて扱いづらいんだが、桜花の『日輪』を思えば贅沢な悩みなので不満は表に出さないようにしている。

 俺は霞流居合の基本技『車輪』を何度も抜いた。この技はその名の通り己の体を軸にして車輪のように刃を振るい前面の敵を薙ぎ払う。

 そして基本技ゆえに応用技も多く、突進しながら斬りつける『疾風(はやて)』や更に左右の敵へと方向を変えつつ斬る『旋風(つむじかぜ)』という技もある。









 元々霞流には居合は無かったそうだ。

 戦場で生まれた剣は鎧の隙間を突いたり、あるいは膂力をもって鎧ごと敵を叩き潰す、この二系統を武器としていた。

 だが戦国の世であった頃、時の霞家当主――名を霞籐右衛門(とうえもん)が武者修行の途中、小太刀の技を善く遣う富田(とだ)流の一派と出会い、その技に魅せられた。

 富田流とは元々三河(現在の愛知県東部)の中条流が越前(現在の福井県嶺北地方及び敦賀市)へと広まった剣法で、富田家一門に名人が現われたのでいつしか富田流と呼ばれるようになったものだ。

 籐右衛門はそれこそ地面に額を擦りつけんばかりに教えを請い、ついには入門を許されて大いに富田流の技を学んだ。

 小太刀の技を使いこなすという事はそこらの棒切れでも代用が効き、如何なる状況にも耐えうる剣術の完成を夢見る彼にとってはまさに理想的な流派だ。

 また富田流と云えば小太刀だけを連想しがちだが、戦国時代に生まれたとされる流派だ。槍や薙刀は勿論定寸の刀も遣えば棒術、柔の技まであった。

 しかし入門したばかりの頃は女人の如しと伝えられる顔立ちと柔らかな物腰のせいで兄弟子達に『お(ふじ)』と呼ばれ、からかわれながら顎で使われていたらしい。

 だが、元々合戦の場で鍛え上げられていたその技と体は兄弟子達の嘲笑を物ともせず、木の根が雨水を吸い上げるが如く富田流の教えを自らの血肉と変えていった。


 更に当代の霞家当主には剣客冥利に尽きる出会いが待っていた。

 室町時代末期に居合を創始したとされる林崎甚助を祖とする林崎新夢想流、その遣い手が霞家当主が修行に明け暮れていた道場近くで行き倒れていたそうだ。

 流派は違えど同じ剣の道を歩む者として、それ以前に同じ人間として放っておけず行き倒れの若い剣士を介抱する事になった。

 世話を任されたのが一番の新参者である籐右衛門だったそうだ。

 彼はその剣士の為に修行の時間が削られる事を厭うことなく甲斐甲斐しく世話をしたという。

 むしろ彼の方が道場仲間を寄せ付けず、一人で世話をしていたと彼の遺した日記にはあった。

 その理由は単純明快で、他の奴は知らないが俺としては好ましいものだ。

 なんとその行き倒れの剣士は男に身をやつした女剣客だったのだ。

 自分を世話する籐右衛門を見た目から女と勘違いし、無防備に彼の目の前で着替えをした事で発覚したらしい。

 聞けば居合の名人と謳われた父親を卑怯にも数人で闇討ちし、母親までも無慈悲に斬り捨てた挙げ句、道場の財産を食い潰した男達に復讐する為、旅をしていたと云う。

 彼は憤った。

 聞けば林崎甚助から直接薫陶を受け、田宮流の基礎を築いた田宮平兵衛重正と並ぶ名人と呼ばれる程の剣客を闇討ちにし、目の前の見目麗しい少女から、復讐、道場の復興と二重の意味で女の幸せを奪った男達に対し義憤を覚えたそうだ。

 後は己が心の命ずるがままに動いた。籐右衛門は少女に助太刀として名乗りを上げ、武者修行の途次に知り合った忍者に繋ぎを取り、男達の探索を依頼した。

 何でも、その忍者は己の一族の中でも上位にありながら忍術よりも槍が得意というまるで武将のような人だったそうで、その辺りも籐右衛門と意気投合した理由にあるらしい。

 その間、籐右衛門は少女を介抱しながら敵討ちに備えて今まで以上に過酷な修行に励んだ。

 その鬼気迫る様子に兄弟子達からは「弁天様が鍾馗様に化けた」と云われたそうだ。


 一方、少女も元々復讐の為に居合で心身を鍛えていたからか順調に回復し、救われてから半月もする頃には素振り稽古くらいはできるようになっていた。

 少女は何の益も得られない自分の助太刀にそこまで体を張ってくれる籐右衛門に困惑した。とても義憤の一言では説明がつかないと思っていたそうだ。

 その理由については少女には語らなかったようだし、日記にも記されてなかったが、まあ下衆の邪推を働かせれば容易に察せられた。

 やがて少女は、無欲に修行に励み、懸命に復讐の相手を捜す籐右衛門に次第に惹かれていった。

 そして籐右衛門の方も……

 そして、ついに少女の人生を狂わせた憎き男達の在所が知れた。

 奴らは長篠(現在の愛知県新城市長篠)の合戦に参加して武名を上げんが為、信長の元へ向かっていると云う。

 籐右衛門はすぐさま一人で長篠に向かい、男達を見つけると瞬く間に首領格の男を除いた全員を討ち果たし、首領を少女の待つ越前へと連れて帰った。

 何故、籐右衛門が少女を残して単身長篠へと向かったのかって?

 そりゃ仕方ないんだよ。何せその少女の腹ン中には籐右衛門の子供がいたんだからな。

 少女の前に引っ立てられた男は正しく母親を無惨に殺し、父親を卑怯討ちした下手人だった。

 男はそりゃ見苦しく命乞いをしたそうだ。

 俺としてみりゃ、巫山戯るなって云いたいが、まあ遙か昔の話だから文句の云いようがねぇ。

 それに当の少女が許しちまったんだからな。

 少女、後の霞永久子(とわこ)は母親になりつつあったからな、復讐よりも一度は諦めていた女の幸せを選んだって事さね。

 復讐よりも一度は諦めていた女の幸せを選んでくれた事が、彼女の血を引くこの身としては嬉しい、とは雪子姉の弁。

 男は二度と武芸者を名乗れないように指を切断されてから解放された。

 ま、今後、せめて農具を持てるようにと両の薬指と小指で勘弁してやったってのが甘いと云うか優しいと云うか。

 復讐が終わった籐右衛門と永久子は道場主に媒酌人を頼み、祝言を挙げた。

 それは賑々しく酒宴が開かれ、二人は周囲に似合いの夫婦だと祝福されたそうだ。

 それから二人は夫婦二人三脚で剣術を磨き、子を育て、越前でも評判の剣客夫婦となった。

 籐右衛門は自身の霞流を研鑽しつつ、富田流、林崎新夢想流を貪欲に吸収していった。

 富田流の小太刀と林崎新夢想流の居合は殊の外相性が良かった。

 籐右衛門の剣はあっという間に高みへと押し上げられていった。


 その後、彼が何年修業したのかは定かではないが、永久子が流行り病を得てあっという間に無くなったのが切っ掛けとなって越前から去り、どこぞの山中に籠もり荒行を始めようと決意をしたそうだ。

 そして決行当日、越前を去る際には子が三人、彼に従ったと伝えられている。

 余談だが、彼の子供達の中には越前に残った者もおり、今でもその子孫が越前、いやさ福井県で平和に暮らしている。


 さて、越の国を出た当代の霞家当主は更なる高みを目指して子供達と厳しい修業の毎日を送ったと云う。

 彼は霞流剣術元来の実戦剣法に富田流と林崎新夢想流を組み込む事で三つの流派を一つとし、如何なる状況にも耐えうる最強剣を編み出す事に腐心した。

 記録によると彼らは十年近くもの歳月、山の中で荒行を重ね、その課程で籐右衛門も視覚と聴覚を失ったがついには一撃必殺を旨とする真に実戦に通ずる剣法が完成した。

 中でも当代の嫡男(記録では『孫兵衛』という名前らしい)に至っては、三尺(約九十センチメートル)近い胴田貫で苦もなく繊細な居合術を使いこなしたと伝えられている。

 なんと、木々が密集している森の中で、真上に向かって胴田貫を抜き放ち、後ろを振り返り様に太刀を返して振り下ろすなんて神業をやってのけたと云う。

 正に、如何なる状況においても剣を振るう事ができる、という謳い文句に恥じない精緻かつ力強い剣術が出来上がった

 真の霞流剣術の完成を悟った籐右衛門は微笑みながら大往生を遂げ、残された子供達は野に下り、合戦場で霞流の名を高めていく。

 折しも時勢は関ヶ原の合戦で小早川秀秋の裏切りにより西軍が総崩れとなって石田勢が敗走した頃であり、間もなく徳川(とくせん)の世が訪れようとしていた。

 やがて徳川が江戸に幕府を開くと霞家の先祖はこぞって江戸に移り、開拓のどさくさに紛れて剣術道場を開くに至る。

 そして現代、道場は雪子姉が担っている。









「ふぅ……ようやく『月影』にも慣れてきたな」


 俺はこの異様に反り返った聖剣で満足いかないまでも及第点と云える居合を放てるようになった所で稽古を止めて汗を拭った。

 まあ、聖剣と銘打っちゃいるがコイツは本来は『闇』の力を封じた容れ物に過ぎず、たまたま剣の形をしているから聖剣などと呼ばれてるんだけどな。

 ナマクラじゃないのが救いだが、この嫌がらせに近い反りは何とか出来ないもんだったのか、と思わずにはいられない。

 兎に角、それなりに修行の成果を得た俺は腰の聖剣よろしく欠伸混じりに背伸びをして後ろに反った。


「アダッ?!」


 やけに長い欠伸が終わろうとしたその時、俺の額に鋭く尖った物が落ちてきやがった。

 幸いソレが軽かった為に怪我とかはしなかったんだが、痛いものは痛い。


「あんだぁ?」


 闇の中で目をこらすと足下に菱形の宝石が落ちていた。どうやらコレが俺に当たったらしい。

 だがこんな物、どこから? 空から降ってきた訳じゃあるまいし……


「あん?」


 空を見上げてアチコチ視線をさまよわせていると、宿の屋根の上に何か小さな影が見えたような気がした。

 いや、見間違いじゃねぇ。

 星が見えないせいで見にくいがどうやら誰かが俺の事を見つめているようだった。

 しばらく屋根の上の曲者と睨み合いが続いていたが、相手は不意に背を向けると屋根の向こう側へと姿を消した。


「何だったんだ?」


 俺は手の中にある黄色い宝石を見つめながら、さっきの奴の事を思い返していた。

 よくは見えなかったものの、体の線が細かった事から女じゃないかと俺は推測したが、性別が解ったところで意味がなかったのでこれ以上の推測をやめた。


「大方、どこぞの蔵に忍び込んだケチな泥棒ってところか……」


 俺は宝石を懐紙に包むと汗を流すために風呂場に向かった。









 実は未だに俺達はアンカー亭に流連(いつづけ)ていたりする。

 このところ波が高く運河を越える為の渡し船が出せないせいだ。

 だが、この足止めが俺達に幸運をもたらすことになろうとは思いもしなかった。

 その幸運とは如何なるものなのか?

 そして俺が目にするものとは?

 それはまた次回の講釈にて。


 さて、今回は霞家の隠し球、巴の視点で、巴の出生の秘密や雪子の兄、雪彦の事、霞流の成り立ちを語ってみました。

 巴もかなり特殊な存在ですが、今回のことで彼にも人間らしい感情があるってことを知って頂けたら筆者としては嬉しいです。

 そして霞家の家族の事、霞流の事とスライドしていったのは、皆さんに主人公達の事をよく知って貰いたかったからです。

 勇者としてはあるまじき考え方ではあるのですが、勇者といえども人、人だからこそ業があると、このような設定にしました。

 やはり綺麗事だけじゃ何も出来ませんですしね。RPGだって人様の家のタンスを漁ってるんだし(笑)

 こんな出来ですが、一応歴史年表や剣術の文献と睨めっこしながら書いたので年月の矛盾はあまりないかと思います。

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