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第壱拾伍章 もう一人の勇者

 刑場にいる看守達は二重の意味で驚き戸惑っている。

 まず十数人の武装した看守をものともしない凶悪な死刑囚を一刀のもとに処したユキコに感嘆させられ、そして脈絡もなく登場した光り輝くド派手な甲冑を纏った少年に彼らの思考は停止した。


「ハンムル! よくもよくもエルエーを!! 殺してやる!!」


 クセのある黒い髪、真っ赤な瞳……ここ半年程前から噂に聞く『勇者』の特徴そっくりだった。

 彼もまた異世界から召喚されて神から聖なる槍『六星』を与えられたと評判を取っていた。

 そして我々魔族は、と云うより魔界・ガルスデント正規軍はたびたび彼に辛酸を舐めさせられたという。

 しかしまさか、こんな刑場で勇者と『勇者』がかち合う事になるとは思わなかったよ。


「見つけ……し、死んでる?」


 『勇者』は首が落ちたハンムルを見て顔を青ざめさせた。

 あー、ちなみに何で彼を二重括弧付きで表わしてるのかと云うと、勇者と勇者じゃ紛らわしいからね。


「はい、ハンムル殿は私が送り(・・)ました。彼は最後の最後で穏やかな心を取り戻して逝かれましたわ」


 ユキコが抑揚のない声で云うと、『勇者』はギョロギョロと視線を巡らせてハンムルの生首を見つけた。


「何でだ……何でこの人の皮を被った悪魔が笑って死んでるんだよぉ!!」


 憎悪に顔を歪ませた『勇者』がハンムルの生首を蹴り上げようと右足を振り上げた瞬間、彼の体が一回転して地面に背中から叩きつけられた。

 ユキコが『勇者』の軸足を払いつつ背負うようにして地面に投げつけたからだ。


「そこもとが何者かは存知上げませぬが、死者の首を蹴ろうなど、およそ人の所業とは思われませぬぞ!!」


 『勇者』の鼻先に杖を突きつけてユキコが厳かに云う。


「う、うるさい! コイツはエルエーを、周りがお前は勇者なんだから何とかしろと責め立てる中、一人だけ優しくしてくれたエルエーをハンムルは……」


 憎悪が籠められたかのように更に赤くなった瞳で『勇者』はユキコを睨む。


「エルエーなる人物が誰かは存じませんが、死者に鞭打てばそこもとの名が落ちるだけですぞ?」


 ユキコは『勇者』に向けていた杖を引くとハンムルの生首へと足を向ける。

 『勇者』は悔しそうにユキコの後ろ姿を目で追うことしかできずにいた。


「皆様、部外者が囚人の首を刎ねたる非礼をお詫び致します」


 ユキコは深く頭を下げた後、かろうじて首と胴を繋いでいた皮を短剣で切り離し純白の布でハンムルの生首を包んだ。


「い、いや……ハンムルは我々も手を焼いていたのです。むしろ貴女の手を煩わせた事をお詫びする」


 看守達のリーダーと思しき人物がまるで夢でも見ているような表情でハンムルの生首を受け取りながら答えた。


「しかし、斧でも首を一撃で斬り落とすのは至難の業なのに、貴女の剣は……否、恐るべきはその腕前ですかな」


「剣術の稽古で真剣を許されるようになった頃から、よく亡父に罪人の亡骸を斬る修行を課せられてましたので……」


「なるほど、なるほど……では、貴女のような美しい女性が場違いなこのジャッジメント・スクエアに来られたのは?」


 ユキコが何を云わんとしてるのか察した看守はハンムルの首無し死体に目をやった。


「ええ、据え物斬りの修行にハンムルの亡骸を所望したいのです」


 ユキコの言葉を受けて看守達にどよめきが起こった。


「いくら死体でも、罪人をここから出す訳にはいきませんな。どうしてもと仰るなら……如何でしょう? ここでその修行を行うのは? 我々も貴女の腕前を拝見できれば見取り稽古となりますので」


「それは願ったり叶ったりですわ。亡骸を街に持ち帰るのは流石に憚られますしね」


 その後、ユキコの指示で囚人を使って土を練り、人の膝くらいある高さの土台が作られた。

 その上に薄いマットを敷き、ハンムルの死体が横たえられた。


「半刻もかからずこれだけの準備が出来るとは思っていませんでしたわ」


 ユキコの労いの言葉にいかつい囚人達は満更でもない顔をしていた。


「では、早速……フェイナン殿、出ませい!」


 腹の底から出したユキコの声にフェイナン君はビクリと震えたけど、観念したかのように剣を手に前に出た。

 にわかに起こったどよめきに視線を巡らせると、据え物斬りに興味があるのか数人の看守が並んでいた。

 そこから少し離れた場所で『勇者』とその仲間らしき人達が憎しみを籠めた視線をハンムルの死体に注いでいた。


「フェイナン殿、相手は死骸、襲ってきません。恐れずに足を斬りなさい」


「は、はい……」


 フェイナン君はしばらく目を泳がせていたけど、覚悟を決めたのか目を瞑って深呼吸をしてから大きく剣を振り上げた。


「いざ!」


「イヤアアアアアアアアアアアッ!!」


 ユキコの声に触発されてフェイナン君は気合を発して剣を振り下ろした。

 ガッという骨を叩く音がして、剣は骨に阻まれてハンムルの脛の中程で止まった。


「ぐ……うええええええええええええええええ!」


 手に肉を斬る感触が伝わってきたのか、フェイナン君は剣を取り落として地面に吐瀉物を巻き散らした。


「これが人を斬る感触です。これが如何に恐ろしいかを自覚できずに人は斬れませぬ。明日までにその恐怖を乗り越えなさい」


「はい……肝に銘じておきます」


 嘔吐した為に顔色は悪かったけど、フェイナン君の目はもう泳いでいなかった。


「次! 巴、出ませい!!」


「はい!」


 トモエと呼ばれて出てきたのは勇者だった。あれ? 勇者の名前ってオウカだったはずじゃ?

 よく見れば勇者は気持ち肩幅が広くなったような気がする……どうなってるんだろう?


「巴、二の胴(腹部中央)を斬りなさい。ついでに『月影』の試刀をします」


「師範、畏まりました」


 勇者は三日月のように反り返った黒い剣を抜くと、すぅっと振り上げた。

 勇者の顔がさっきとまるで違う。顔立ちの事じゃない。何というか男性的な精悍さがあった。


「二の胴、いきます」


 勇者はしばらく呼吸を整えていたけど、やがて剣気が満ちたのか裂帛の気合と共に振り下ろした。

 骨を断つ嫌な音がして聖剣がマットに少し食い込んで止まった。


「おお! 人間の胴が二つに!!」


 看守達は驚きの声を上げる中、勇者は気難しそうに顔を歪めて振り返った。


「巴、『月影』は如何に?」


「うーん……正直、あんまり良くない。反りが強すぎる……なまくらじゃないけど名刀とは云いがたい」


 勇者は落胆したように首を左右に振った。

 神から授かった聖剣を評価するには酷すぎるものだけど、命を預ける以上はそうも云ってられないのだろう。


「なるほど、特殊な力が籠められている分、剣そのものの造りは重視されなかったのでしょうね。あとは己を鍛えるのみね」


「それは望むところだけどな」


 勇者は苦笑すると聖剣に水をかけて紙で拭うと鞘に納めた。


「では、最後に久しぶりに私が据え物斬りを行います」


 ユキコは杖から刃を抜くと大きく振り上げた。


「両車、参ります」


 両車とは下腹部の腰骨がある部分で骨が硬いところらしい。

 しかもハンムルの筋肉は硬く、鎧と云っても過言ではない。


「筑後は真典甲勢が作、二尺六寸……いざ!!」


 骨を断ち斬る凄まじい音がして、ユキコの剣はハンムルの胴体を両断してマットを斬り裂き、土台まで達していた。

 しかも勇者が斬った場所と比べて斬り口はほとんど開いてなく、茶褐色の液体が僅かに流れ出ただけだった。

 ユキコの剣の斬れ味が鋭いだけじゃない。彼女の戦慄と感動を同時に味わわせる腕前があっての事だろう。


「ハンムル……そなたの肉体は我ら三人の剣士にとって大きな前進を促すものだった。亡骸を辱めた事はいずれ地獄で詫びるが、今は感謝しよう」


 ユキコがハンムルの死体に頭を下げると、勇者とフェイナン君もそれに倣った。


「お手間を取らせました。これにて我らの据え物斬りの修行は終了でございます」


 ユキコが一礼すると看守や囚人達から拍手が起こった。失禁している者までいる。

 やはりユキコのような美人がこれだけの技を披露したんだ、恐怖よりも感動が大きかったんだろう。


「ちょっと待て! 首を蹴ろうとした俺の事を貶しておいて、自分達は何をやってやがんだ!」


 見れば『勇者』が豪奢な装飾が施された槍を構えていた。

 その槍の穂先は鋭く、陽光を反射して虹のように絶えず色を変えている。


「見ての通り修行ですよ。貴方のように己の感情を亡骸にぶつけた訳ではありません」


 激高する『勇者』にユキコは穏やかに返した。


「ふざけるな!! 屁理屈ばっかり抜かしやがって!」


 あくまで穏やかなユキコに『勇者』は苛立ちを隠さずに叫んだ。


「では、どうすれば貴方は納得いくのです? まさか、ハンムルの亡骸に怒りをぶつけさせろとは云いませんよね?」


「そんな事はどうでも良い! ユキコって云ったよな? 俺と勝負しろ!!」


「どこをどうしたら、そのような結論に達するのかは私には判じかねますが、お断り致します」


 ユキコはキッパリと云い放つとボク達を促して刑場から去ろうとする。

 しかし、それを許さず『勇者』は槍を構えてユキコに躍りかかった。


「俺は精霊王・フスティシアに選ばれし『勇者』! 聖槍『六星』を神から託された『勇者』・神楽坂勇人(はやと)!!」


 精霊王・フスティシア?

 確か星神教に匹敵する勢力を誇るプネブマ教の最高神だったと記憶している。

 木石は云うに及ばず、万物には精霊が宿っているって考え方の宗教だ。

 早い話が精霊信仰であり、自分達の日々の営みは全て精霊の賜物としているんだ。

 そして精霊王・フスティシアは人間の心にある正義に宿るなんて考えがまかり通っていたりする。

 本来なら、自分の悪心を自分の正義で見張れって教えなんだろうけど、稀に、我が正義はフスティシアと共にある、なんて極端な解釈をする馬鹿な信徒がいるのも事実なんだ。

 そう、今まさにユキコへ肉薄せんとする『勇者』のようにね。

 ユキコは慌てるでもなく溜息を吐くと、『勇者』に背を向けたまま杖を振り上げる。


「ガッ?!」


 無造作に振り上げたように見えたけど、杖の先端は『勇者』の鼻を見事に捉えていた。


「『勇者』を名乗る者が背後から襲うのですか? 人はそれを『勇者』ではなく『卑怯者』と呼ぶのですよ?」


「チキショウ……」


 『勇者』は鼻を押さえながら憎々しげにユキコを睨む。


「……それほど望むのであれば相手をするのも吝かではないですよ?」


 ユキコの全身から殺気が放たれた。いや、それは殺気なんて生易しいものじゃなかった。

 一流の剣士だけが持つ剣気がまるでこの場にいる者全てを縛り上げるかのように場を支配していた。


「ぐ……これだけの殺気、今まで倒してきたモンスターや魔族とは比べものにならない……」


 『勇者』は槍を構えたまま固まって動けなくなっていた。


「少々大人げない気もしますが、聞き分けのない子供を叱るのも大人の役目……宜しい、その勝負、受けましょう」


 ユキコは杖を手に無造作に『勇者』に近づいていく。


「どうしました? 勝負をするのでしょう?」


 ユキコは穏やかに云うけど、『勇者』は蛇に睨まれた蛙のように脂汗を額に浮かせたまま動けないでいた。


「お名前から判断するに、貴方も私と同じ世界より召喚された方でしょう。なればご存知か? 新免宮本武蔵様を」


 ユキコの問いかけに『勇者』はかろうじて「ああ」とだけ答えた。


「宮本武蔵様は晩年、こう仰いました。『自分が生涯無敵だったのは自分より強い者と戦わなかったからだ』と……そのお言葉は、自分より強い者はいないと解釈できますが、自分より強い者との戦いを避けたとも解釈できます」


 ユキコが一歩踏み出すたびに『勇者』の顔が強張っていく。


「今の貴方に必要な事はまさに後者……自分で云うのもおこがましいですが、貴方は蛞蝓が獅子に喧嘩を売ると同じ事をしたのですよ?」


 『勇者』の顔に恐怖が浮かんだ。

 足は震えて、目は泳ぎ、全身が硬直している。


「そして、喧嘩というものは、買った側に喧嘩を終わらせる権利があるのです。つまり、貴方がどんなに許しを請おうとも私が許さなければ終わりません」


 優しく微笑みかけるユキコに『勇者』は眦が裂けんばかりに目を見開かせた。


「いざ、尋常に……」


 ユキコは杖を腰に差して、一気に間合いを詰めて……

 斬った!

 そう思った瞬間、『勇者』は後ろに倒れて痙攣した。

 極度の緊張のあまり失神したんだろう。


「兵法の極意は戦わずして相手に勝つこと……戦いを避ける以上の上策は古今を通して未だにあらず」


 今、解った。

 ユキコはこの事を見越して必要以上に脅しをかけたんだ。

 彼女は自分達と同じく勇者としてこの世界に召喚された彼を死なせたくなかったんだね。

 ユキコは気を失っている『勇者』の頭を慈愛の表情で撫でる。


「今日の事は必ず屈辱として貴方の心に残る。それをバネにして強くなりなさい。私はいつでも貴方の挑戦を待っているわ」


 ユキコは懐から出した紙に何事かを書き込むと『勇者』の手に握らせた。


「では、今度こそ退散させて貰うわね?」


 ユキコが『勇者』の仲間達に云うと彼らは複雑な表情で頷いた。


「お待ち下さい!」


 立ち上がるユキコを白いローブに身を包んだ少女が呼び止めた。

 ユキコは勇者達を先に行かせると、振り返って少女と対峙した。

 ボク? いや、何となくトラブルの臭いを嗅ぎ取ったからさ、新しい歌のヒントになればと思ってね。


「何かご用でも?」


「わ、私はハヤト様と共に旅をしている僧侶・エルエーと申します。まずは先程のご無礼をお許し下さい」


 エルエー……僧侶……なるほど、彼女がハンムルに……

 そう云えば顔は苦痛で歪んでるし、腰もいささか引けていた。


「無礼に無礼で返した私も似たようなもの。詫びられる謂われはありませんよ」


 ユキコは柔和な微笑みを浮かべてエルエーに云う。


「それで? “まずは”と前置きするからには他にも云いたい事があるのでしょう?」


 ユキコの言葉にエルエーは目を丸くした。

 うーん、役者が違う……イニシアチブは完全にユキコが握っていた。


「は、はい! 先程の恐ろしい修行を拝見致しました……正直に申し上げますと、怖かったです。怖かったのですが、私には解りました!」


「何がです?」


 ユキコは何故か急に機嫌が悪くなって、表情を険しくする。


「貴女は私達に必要な方だと云う事を! 私達、『宿命の六星』の中にいるべき運命を貴女はお持ちです! ですから「お断り致します」え?」


 エルエーは驚いてユキコ見る。

 ……ボクは見るんじゃなかった。

 ユキコは嗤っていた。口の端を吊り上げて、まるで下弦の月を思わせる“笑み”を浮かべていたんだ。


「何を云い出すかと思えば……要は私の剣の腕を見て仲間に取り込みたくなっただけの話ではありませんか?」


「ち、違います! こ、これをご覧下さい!」


 エルエーがユキコに向かって右手に填めた指輪を見せた。

 それは黒い宝石が銀の台座に収まった物だった。


「これが私達の仲間、『宿命の六星』たる証です!」


 指輪を、黒い宝石をユキコに近づけると、急に強い緑色の光を放って宝石の色が緑に変わった。


「やはり貴女は宿命に導かれた希望の……ヒッ?!」


 エルエーの顔が恐怖に歪んだ。

 ボクはまたも見なければ良かったと後悔した。


「生憎、私には何が起こったのか皆目見当が付かないのですが?」


 更に口の端が吊り上がって“笑み”が強くなったユキコは静かに続ける。


「私は生来、目に光がありません。ですからご(ろう)じろと云われても困りますわ」


「か、重ね重ねのご無礼をお許しください! し、しかし……ッ!」


 言葉の途中でエルエーは完全に固まってしまった。

 ユキコが両目を開いて翠玉(エメラルド)のような綺麗な瞳を見せていたからだ。


「残念ですが、私は既に徒党を組んで行動していますの。ここは縁が無かったと諦めてくださいまし」


 ユキコは瞼を閉じて表情を消すと、ゆっくりとエルエーに背を向けて歩き始めた。


「何故、それだけの力がありながら、人の為にその力を使おうとなさらないのですか?!」


「失礼な……私は既に勇者と行動を共にしているのですよ。私は極悪人ではありませんが、二人の勇者の仲間を掛け持ちするほど慈善家でもありませんので」


 エルエーの悲痛な叫びもユキコは軽く一蹴した。


「しからば御免」


 ユキコはもう振り返る事なく刑場を後にした。

 ボクは気になって彼らを見ると、悔しさと信じられないという思いが入り混じった顔をしていた。

 何となくだけど、ボクはこれから先、ユキコ達と彼らがたびたび悶着を起こしそうな予感がした。


 それにしてもと思う。

 父上は召喚された二人の勇者を『ニンゲン、何するものぞ』と一笑に付していたけど、やはり彼らは危険だ。

 勇者オウカ、『勇者』ハヤト、確かに今は未熟だし、倒された魔族も下位の者ばかりだった。

 でも確実に力を付けてきている二人だった。

 そしてオウカ、いやトモエ? どっちでもいいか……オウカは元々の素質に加えて今日、人を斬った事で剣に凄味が増すことだろう。

 ハヤトにしてもここ半年の実戦に加えて今日、仲間を傷つけられ、ユキコに屈辱を味わわされた事で前よりも強くなろうとするに違いない。

 奇しくも二人の勇者はユキコの手腕によって大きく前進する切っ掛けを与えられた事になる。

 これを脅威と云わずに何を脅威と云えと。


 うん? ボクの雰囲気が変わったって?

 そりゃそうさ、だってボクは父上、魔王・エミルフォーンから派遣された刺客(・・)なんだから……

 え? 無理? 『無能』の吟遊詩人に何ができるって?

 何を云ってるのさ、ボクはね『無能』だからこそ父上に信頼されてるんだよ。

 ボクは確かに教養もないし、武術だってカラキシさ。だからボクは誰からも警戒されない(・・・・・・)んだよ。

 うん? その顔だと漸く解ってきたようだね?

 そうだよ。ボクは歌しか取り柄のない『無能』の者だから、どんな達人も全く警戒しない。

 どんな猜疑心の強い者もしばらくすれば笑って気を許す。

 後はターゲットの食事の中に無色無味無臭で銀食器を使っても変色しない毒薬を仕込んで仕事は終わりさ。

 ボクは今までそうやって父上の政敵を倒してきたんだ。

 しかも毒は遅効性で、量を加減すれば効果が現われる時間を簡単に調節できるからボクが怪しまれる事は無いに等しい。

 ターゲットは臓腑から腐って死にゆくのみだ。


 ボクは兄弟から莫迦にされて生きてきた。


『毒殺なんて恥ずかしい真似ができるなんて、お前は『無能』な上に卑怯者なのだな』


 そう云ってボクを嘲り罵り兄弟達……

 だけど、そんな屈辱も後数日で終わる。

 まずは勇者の姉にして師であるユキコを討つ!

 彼女の実力はスタローグ家の兄弟達によって魔界に知れ渡っていると父上からの使い魔によって知らされた。

 魔界において名門中の名門と謳われたスタローグ家の言葉だ。誰も疑わずに受け入れている。

 しかも彼らはユキコに敬意を抱いていると云っているんだ。

 その事実から、『カスミ・ユキコ』の名は既に魔界ではかなりのビッグネームになっている。

 二人の勇者が『勇者』という称号でしか呼ばれていない事を考えると相当なものなんだよ。

 ましてや、あの大元帥・アポリュオンからも一目置かれているとなれば、ユキコの首の価値は一気に跳ね上がる。

 そうだよ。あのユキコを討ったとなれば兄弟達も、いや魔界中がボクを見る目を変えるだろう。

 さっきのハンムルじゃないけど日陰者はもう嫌だ! 莫迦にされるのはもう沢山だ!

 毒を仕込むのは明日の夕食!

 フェイナン君の決闘が終われば流石に勘の良いユキコも気が緩むだろう……そこを狙う!

 そしてユキコの死と同時にネムスの名も殺す!

 もう誰にもネームレスなんて呼ばせない。

 ボクは……ボクはエミルフォーンⅡ世になるんだ!!









 ボクは腹の底にドス黒い殺意を隠して翌朝を迎える。

 まずはフェイナン君の決闘を見届けなければならない。

 しかし、決闘の地で思わぬ事態が発生する。

 恐ろしい剣の遣い手を前にフェイナン君はどうなるのだろうか?

 この決闘の裏に隠された事実は如何に?

 それはまた次回の講釈にて。


 雪子のライバルってほどでもありませんが、旅路の腐れ縁ともいうべきキャラクターの登場です。

 桜花以外は半分ビジネスで勇者をやっている霞家の面々と比較する為に、ありがちな熱血馬鹿という設定にしてあります。

 初めから完成に近い力を持ち冷静な霞三姉妹と、いきなり召喚されて大混乱の極みにありながら持ち前の正義感を胸に仲間とともに苦難を乗り越えながら強くなっていく王道的勇者の隼人との対比を楽しんでいただけたら幸いです。

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