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第壱拾肆章 初めての真剣勝負

 何を思ったのか、ユキコはオーナーの肩越しに前へと身を乗り出した。


「殺気ね」


 ユキコが杖を握りしめながらオーナーに云う。


「流石ですな。前方の茂みに十数名……今日、刑に処される『ブレインマッシャー』ことハンムルの手下でしょうな」


「首領を助けに来た……わけじゃなさそうね」


「でしょうな。殺気は私達に向いています」


 ユキコとオーナーはさも当然のように話しているけど、ボクにはどの茂みに盗賊が潜んでいるのか解らない。

 ちなみに『ブレインマッシャー』なんて物騒な二つ名は、ハンムルの得物が巨大なウォーハンマーで、好んで敵対者の頭を叩き潰していた事からきている。


「如何なさいますか?」


「大事の前の小事……彼らの手前で止めてください」


 そう、会話から判るように、猛スピードで走る馬車の中で茂みの中の殺気に気付いた彼らには驚嘆するしかない。

 やがて馬車の速度は緩やかに落ちていき、盗賊が潜んでいると思しき茂みの少し手前で止まった。


「ネムス殿とフェイナン殿は馬車から出ないように……オーナー殿は二人をお願いします」


「承知致しました」


 ユキコは勇者を促して幌の後ろから茂みに対して死角になる場所に降りた。


「私も微力ながら助勢します」


 アランドラ君も剣を携えてユキコに続いた。

 その直後、茂みが揺れて人相の悪い男達がぞろぞろと現われた。


「へっ! 俺達に気付いた風に止まるから変だと思ったが、伝説の『運河の七戦鬼』が一人、ファンガズ殿とは恐れいったぜ!」


 盗賊達のリーダー格らしい赤ら顔で痩身の男が下卑た笑いを見せながらオーナーと対峙する。


「誰かと思えば、赤鼻のグリークか。殊勝にもボスを助けに来たって様子じゃないな? 差し詰め、今日処刑されるハンムルに対するデモンストレーションといったところか? 刑場の中にいるハンムルの耳に届くように派手に暴れて、「我らは健在。だから安心して死ね」と伝える腹だろう。やはり悪党には侠義なんてものはないな」


 オーナーの言葉にグリークはニヤリと、解ってるじゃねーか、と凶悪な笑みを浮かべた。


「んじゃ、早速で悪いんだが……ハンムル盗賊団改め、グリーク盗賊団の最初の生け贄になってもらおうかい?」


 グリークが片手を上げると殺気が膨らんで手下達が一斉に得物を抜いた。


「野郎ども! かかれっ!! 目の前のハゲ親父を殺れば、たんまり褒美をくれてやるぜ!!」


「本陣、オーナー殿!! 作戦は一つ、本陣死守!!」


 幌の陰からユキコが飛び出して、先頭の盗賊の腹を割った。

 見ればユキコは袖が邪魔にならないように紐のようなもので括って、頭に細長い布を巻いていた。


「霞流『車輪』……」


 それにしても、イアイという剣法は凄い……

 速いだけじゃなくて威力も既存の剣術とはケタが違っていた。


「あひぃ……俺の中からどんどん溢れてくるぅ……」


 割られた腹から溢れる臓腑を両手で掻き集めながら盗賊は絶命した。


「て、テメェ!! 何モンだ?!」


「アンカー亭の宿泊客……それ以上でもそれ以下でもないわ」


「ふざけやがって、このアマ!」


 二人の盗賊がいつの間にか刃を杖に納めたユキコを前後から挟撃する。


「霞流『引き波』!」


 陽光を反射して刃が抜かれて前にいる男の手首を斬った。

 得物を持った両の手首が飛ぶのを無視して、すぐさま後ろに振り返りつつ振り上げた剣を盗賊の脳天へ落とす。

 脳天を割られた盗賊の顔は見る間に赤く染まり、赤い中にも飛び出した眼球が浮島のように白く映えていた。

 寄せては返す波のように滑らかな動きで前後の敵を討つ様は、なるほど『引き波』の名に相応しい。


「ひぎゃああっ! 俺の腕が無くなっちゃったよォ!!」


 ユキコに斬られた断面から鮮血を撒き散らしながら地面を転がる盗賊は、ユキコに顎を蹴られて昏倒した。


「今更ながら恐ろしくも美しい剣ですな!」


 アランドラ君もユキコの技を絶賛しながら盗賊を数人討っている。

 アランドラ君の遣う牙狼月光剣は右手に長剣、左手に短剣を逆手に持つスタイルで戦う。

 この短剣の意味は接近戦に持ち込まれた場合、瞬時に武器を切り替える事ができるし、盾としても利用する事ができると聞いた。

 更に動揺する盗賊達の背後で爆発が起こり後衛の男達が数人吹き飛ばされた。


「月夜、霞流『火術の型・殿軍(しんがり)砕き』、見事! 貴女も大分正確に狙った場所に炸裂弾を投げられるようになったわね」


 ユキコがツキヨに向けて微笑むと、彼女は頬を紅潮させて目を細めた。


「桜花! 敵陣形左翼にいる男だけ貴女が斬りなさい!」


 ユキコの命令に近い指示に勇者の全身がビクリと震えた。


「桜花、これが貴女にとって初めての真剣勝負! 斬る事を躊躇して命を落とすは愚行と心得なさい!」


 勇者は不安と恐怖が入り混じった表情でユキコを見た。


「臍下丹田に力を入れて肩の力を抜きなさい。それでも駄目なら乳房の間に握り拳を押し込んで大きく呼吸なさい」


 勇者は戸惑いながらも云われた通りに胸の谷間に拳を当てて何度も深呼吸する。


「大丈夫……行けます!」


 そう云った勇者の顔はまだ強張っていたけど、目はもう泳いでいなかった。


「霞流・目録! 霞桜花、参る!」


 自らを奮い立たせるように叫びながら勇者は敵最左翼の男目がけて走り出した。

 これも後から聞いたんだけど、人は左脇からの斬撃が受けにくいらしい。

 更には最左翼の男の腕が未熟という事もユキコは見抜いていたんだそうだ。


「イヤアアアアアアアアアアアアッ!!」


 裂帛の気合を発する勇者に最左翼の男が慌てて対応する。

 勇者の目は血走っていて冷静では無いことが素人目にも解った。


「霞流『車輪』!!」


「オウカ殿! 間合いが遠い!!」


 アランドラ君が叫んだ通り、勇者の切っ先は男の顔を縦に浅く裂いただけに終わった。

 男の顔が歪み、眉間から左頬までパックリと肉が開いて男は悲鳴を上げながら顔を押さえた。


「うあああああああ・・・・」


 男の指の間から鮮血が噴き出し、あっという間に顔面を真っ赤に染めていく様を見た勇者は張り詰めたナニかが切れたかのように叫んだ。

 勇者は理性を失ったかのように聖剣を振った。

 剣術の動きじゃない、棒で殴りかかるようなムチャクチャな剣だった。


「ぎゃっ!」


 勇者の斬撃に顔を押さえていた両手ごと男の喉が裂けた。

 鳥の囀りに似た物哀しい息を漏らしながら男は勇者を睨んでいたが、やがて後ろに倒れて動かなくなった。

 勇者は息を荒げながら男を見ていたけど、死んだ事が理解できたのかその場にへたり込んだ。

 気が付けば盗賊達はグリークを除いて全て倒れ伏していた。

 そのグリークは無言でユキコと対峙している。


「畜生めがッ! 可愛い子分達を!」


 グリークの顔に怒りが浮かんだのは一瞬のことで、すぐさま酷薄な無表情になった。

 他の盗賊はともかくグリークには薄気味悪い迫力を感じる。

 旅人を殺戮しては金品を奪う世界で生きてきた男の獰猛さがそこにはあった。


「霞流剣術師範……霞雪子」


 ユキコは杖を腰に差してイアイの構えを取った。


「昔は虎山流地伏剣をかじってたが……今は我流よ。俺は赤鼻のグリーク、一応それなりの賞金が俺の首に懸かってるぜ。精々、がんばりな」


 虎山流地伏剣。聞きかじった話だと低い体勢からの攻撃が得意という特殊な剣法だったはず。

 その証拠にグリークは幅広で両刃の長剣をダラリと下げて、地面に水平にして、自身も身を沈めた。


「ク……」


 なんとユキコの口から苦悶が漏れた。


「グリークの剣は下段より脇に引きながら敵に向かって踏み込み、間合いに入った時に上へと斬り上げる剣です。それゆえにグリークの体は異様に低くなります。大抵の戦士なら上から斬り下ろすのがセオリーですが、これだけ低く構えられると目測を誤り切っ先が空を切る事でしょう。そうなったが最後です。グリークは敵に空振りさせておいて腕か膝を斬り上げるのです。それがグリークが工夫を重ね、多くの旅人を斬り殺してきた恐るべき殺人剣なのです」


 オーナーの説明にボクは思わず呻いた。

 ユキコもグリークの剣を見抜いたからこそ呻き声を上げたのだろう。


「……秘剣『野分』」


 ユキコは呟きながらじりじりと間合いを詰める。

 同様にグリークも低い体勢のまま間合いを詰め、時々切っ先を沈めてユキコを挑発している。


「恐らくユキコ様はグリークの間合いの外からご自分の間合いへ一気に行くおつもりですな。奴の技を破るにはそれしかありますまい。そして当然、下段から斬り上げるには剣を返さなければならない事もユキコ様はご承知でしょう。その僅かな間が勝負の分かれ目となるでしょうな」


『ユキコさん……』


 ボクの呟きが合図になったかのように両者が駆けて一気に間合いを詰めた。

 ユキコの体がグリークの左側に大きく跳んだ。


「せいっ!」


 気合とともにユキコの剣が抜かれた。

 切っ先だけではなく、ユキコの腕、そして上体までもが一本の矢のように伸びた。

 イアイは剣を片手で持つ為、両手持ちよりリーチが伸びる。

 だけどこの技は上半身全てを使うので、更に遠くから敵を斬る事ができるんだ。


「秘剣『土砂崩れ』!!」


 グリークの剣が返されて地滑りのような斬撃がユキコを襲うが、切っ先はユキコの足をかすめただけに終わった。

 両者は擦れ違って、瞬時に振り返った。


「……『野分』……『土砂崩れ』を破ったり。南無八幡大菩薩」


 ユキコの静かな宣言と同時にグリークの首筋に赤い線が走った。

 数瞬遅れて首筋から勢いよく血が噴き出した。

 ユキコの剣がグリークの首の血管を斬った証拠だ。


「な、何で俺は濡れて? 血か? 俺の血が首から出てるのか?」


 グリークは自分の出血に気付いていなかったらしい。


「ぐあ! 今まで破れたことのない『土砂崩れ』が……」


 グリークは首筋を押さえて女の含み笑いのような音を出した。

 裂かれた気道から漏れる息と噴き出す血が絡み合って鳴らしているんだ。


「へへ……グリーク盗賊団……たったの一日で……壊滅かよ……」


 グリークは何故か穏やかに苦笑して見せると、咆哮を上げながら腰砕けに倒れてそのまま動かなくなった。


「ユキコ殿、お見事でした」


 アランドラ君が労いの言葉をかけると、ユキコは神妙な顔をして首を振った。


「恐るべき剣の遣い手でした。僅かでも読み違えがあれば、私の方が屍を野に晒していた事でしょう」


 あのガルスデント・エアフォースを圧倒したユキコがグリークをそこまで評価して黙祷を捧げたのには流石に驚きを禁じ得なかった。


「オーナー殿、盗賊達の亡骸を運びたいので大きめの布があれば分けて下さいませんか?」


「畏まりました……お優しいのですね」


 オーナーが幌馬車に積んであった袋の一つを開けると、純白の布が何枚も出てきた。

 多分、客室用に新しく買ったシーツか何かだろう。


「盗賊とは云え、勝負は勝負……戦士の亡骸を野の獣の餌食にするのが忍びないだけですわ」


 そう云ってユキコは自分が血に塗れるのを厭わずオーナーとアランドラ君と手分けして盗賊達の死体を布にくるんでいった。


「桜花……しっかりなさい」


 ユキコは自分が斬った盗賊の死体の前で荒い呼吸を繰り返している勇者の肩を掴んだ。


「ゆ、雪子姉様……」


 返り血で顔をどす黒く染めた勇者がユキコを見上げる。


「お見事! 一人仕留めたわね」


 ユキコが慈愛の表情で勇者を抱きしめると、勇者もユキコの腰に手を回した。

 二人とも血塗れなのに、ボクはその光景を美しいと思った。


「斬った……桜花、人を斬った……斬ったの……」


 泣きじゃくる勇者を更に力強く抱きしめて、ユキコは子供をあやす母親の様な口調で云う。


「果たし合い、斬り合い、殺し合い……いずれも、こんなものよ」


 ユキコは勇者が泣きやむまで優しく抱きしめていた。









 ジャッジメント・スクエアの検問所でグリーク達との死闘の顛末を説明していると、奥で怒号と悲鳴が轟いた。


「何事?!」


 只事じゃない気配に驚いていると、奧から数人の男達がやって来た。


「入り口を閉鎖しろ! 死刑囚が、ハンムルが刑場で暴れ出した!!」


「何だと?!」


 動揺している検問員や看守と思しき連中の脇をユキコが走り抜けた。


「オーナー殿、刑場は?」


「案内致します!」


 ユキコはオーナーに手を引かれて走り去ってしまった。


「ユキコ殿!」


 アランドラ君までも走り去り、思わずボクも後を追ってしまった。

 息を切らしながら薄暗い通路を走り抜けると、開けた場所に出た。


「こ、ここが刑場……」


 むせ返るような血の臭いに辟易しながら見ると、短く刈られた紅い髪の巨漢が数人の看守を一度に殴り飛ばしているところだった。

 南天からの陽の光を受けながら巨人は武装した看守相手に一歩も引かずに暴れていた。


「あの外道が……いや、悪魔だ、奴は……」


 足下で蹲る看守を助け起こして聞いた話だと、彼は処刑の寸前に面会があったと云う。

 面会人は彼を捕らえた『勇者』を自称するパーティで、そのメンバーの女僧侶がハンムルに教えを説こうとしたらしい。

 なんでも、自分の罪業をちゃんと悔い改めさせてから死に臨ませたいとかで、云ってはなんだけど余計な世話を焼こうとしていた。

 彼女は、心清らかに天召されれば神もきっと許してくださいますよ、とハンムルと二人っきりになったそうだ。

 呆れた事に仲間達も彼女に諭されて真人間に戻らない人間はいないと、生まれついての悪人はいないとそれを認めたと云う。

 しかし彼女は知らなかった。

 ハンムルの様な悪党にとってわざわざ自分を訪ねてきた女は全て自分の『女』と思っていることを……

 ハンムルは彼女に陵辱の限りを尽くした後、このまま処刑されるのは真っ平御免とばかりに看守相手に大立ち回りを始めて現在に至っている。


「ハンムル、見苦しいぞ! 今まで数多くの人命を奪っておいて、自分の番が来たら逃げるのか!!」


「うるせぇ!! どいつもこいつも俺の事、馬鹿にしやがって!! こうなったら一人でも多く道連れにしてやらぁ!!」


 ハンムルの巨大で硬そうな拳の一撃で看守の顔は大きくひしゃげて絶命した。

 素手でニンゲンをここまで破壊するハンムルに看守達は尻込みしてしまっていた。


「お、おい?!」


 看守の慌てた声に振り向けば、なんとユキコが無造作にハンムルに近づいていくのが見えた。


「ハンムル殿、頬を撫でる春の風が心地ようござるな」


「あん? 何だ、テメェは?」


 ユキコの穏やかな声にハンムルは振り返る。


「ただの一人の女ですよ。まずは気を静められては如何かな? 折角の春の日差しが台無しです」


 穏やかに一片の敵意もなく話しかけてくるユキコにハンムルは流石に戸惑う。


「あーん? ふざけた事ォ抜かしやがって、テメェもあの尼のようにされてぇのか? あー?」


 凄むハンムルにユキコは動じる風もなく、ただ静かに佇んでいる。


「いえ、誰がハンムル殿を馬鹿にしているのか気になりましてね? 誰ぞに何か云われましたかな?」


「ぐむぅ……」


 ユキコの表情に蔑みも恐れもない。

 ただ純粋に穏やかな微笑みを浮かべていてハンムルは何も云えなくなる。


「さあ、誰が貴方を馬鹿にしているのか教えてくだされ」


「ぐ……みんなよ。俺ァ生まれた時から日陰者、俺は何もしてなくてもみんなから莫迦にされて生きてきたんだ」


 急に大人しくなったハンムルに、周囲は戸惑いを隠せない。


「親父はろくに働きもしねぇクセにいつも遊んで歩いてた大馬鹿野郎で、俺が七つの頃に変な商売に手ぇ出した挙げ句、ヤクザ者に叩っ殺された。母親は知らねぇ、顔も覚えてねぇ、匂いも覚えてねぇ、乳をねぶった覚えもねぇ、いねぇと同じさ。だから俺は日陰者だってのよ」


 信じられなかった。

 さっきまで暴れていた狂人がユキコの前では大人しくなるどころか、身の上話まで……


「日陰者は日陰者同士で連む以外に生きる術はねぇ……みんなから嫌われ、馬鹿にされ、捻りに捻くれて『ブレインマッシャー』の出来上がりよぅ。さっきの尼だって、訳の解らねぇ教典読むだけ読んで改心しろときた。俺ァああいう高みから訳知り顔で物を云う奴が一番大嫌いなんだよぉ!」


 ハンムルは憤怒の形相で地面を殴ると足下に微かな振動がきた。

 動揺するボク達を尻目にユキコはやはり穏やかな口調で云う。


「はて? 貴方のどこが日陰者なのでしょう? では、今貴方の頬を撫でている暖かなものはどこから来ているのですか?」


 ユキコの言葉にハンムルはハッと顔を上げた。


「そう、太陽の光です。貴方はご自分を日陰者と云うけど、太陽は誰にも平等に光を与えてくれるではありませんか。確かに貧富の差、有能無能の差は有りましょう。しかし、それでも生まれついての日陰者などいないのですよ」


「陽の光……俺は日向にいても良かったのか?」


「ええ、自分を日陰者と云う事で貴方は逃げていたのですよ。貴方と同じ境遇でも精一杯お天道様の下で生きている者はごまんといますわ」


 ユキコが云っているのはアンカー亭で働いている者達の事だろう。

 ハンムルは縋るような目でユキコを見ている。


「逃げていたのか、俺は……眩しい世界から日陰の世界へ……」


「ええ、貴方は初めから大手を振って日向の世界で生きる権利があったのですよ。それが出来なかったのは、生まれのせいでも、周りの嘲笑のせいでもなかったのですよ」


 項垂れるハンムルの顔を上げさせてユキコは太陽を指差す。


「さぁ、今は何も考えずに陽の光を、温もりを楽しまれよ。春の風を一身に受けて心を静めなされ」


「太陽……風……そうか、今は春なんだなぁ……」


 ハンムルが眩しそうに目を細めた瞬間、ユキコの気配が変わった。


「せいっ!」


 春の日差しを反射させて銀光が煌めき、岩のような大きな体が前のめりに倒れた。


「ハンムル……次も人として生まれたなら、今度は日向の世界で生きよ」


 首の無いハンムルの断面から噴水のように血が噴き出すのを見て、ボクはユキコが一刀のもとにハンムルの首を刎ねた事を悟った。

 しかもただ首を斬っただけじゃない。皮一枚ほど残している。だから首は飛んでいかず、ぶら下がるように前に落ちて、その重みで前のめりになったんだ。

 ハンムルは既に絶命している。けどその表情(かお)は遠目でも解るほど穏やかな表情をしていた。


「殺伐とした刑場の中において、春を愛でさせつつ逝かせるとは粋ですな」


 アランドラ君が心底感心した様子でユキコを賛辞する。


「いえ、彼があまりにも見苦しかったので……」


 ユキコは血振りをくれると、懐から白い紙を出して刃を拭った。

 その時だった。


「畜生! ハンムルはどこだ?!」


 騒動の余韻が残る中、怒号が響く。

 見れば十五、六歳程の少年が怒りの形相で刑場に入ってくる所だった。









 これが勇者、いや、ユキコにとって腐れ縁の始まりだった。

 オウカとはまた違う神の導きで召喚された『勇者』との邂逅である。

 ユキコと『勇者』との間に如何なる(えにし)が結ばれているのか?

 仲間を傷つけられて怒り狂う『勇者』を前にユキコはどう動くのか?

 それはまた次回の講釈にて。


 勇者こと桜花が初の真剣勝負を体験しました。

 剣客の宿命といえども初めて人を殺した桜花の心情は計り知れません。

 人の命を断つ恐ろしさを克服するか、それとも潰れるのか、はたまた心の箍が外れて道を踏み外すのか。

 それを見て頂くためにも、今後もこの三姉妹の物語にお付き合いくださいませ。


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