表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/28

第壱拾壱章 霞流空中決戦

 今回から視点は三人目の主人公・桜花です。

 今、桜花達は物凄く困ってる。

 朝早く幌馬車を借りて雪子姉様が云っていたスエズンって街に向かっていたんだ。

 初めは結構のんびり進んでいたんだけどね。

 相乗りした吟遊詩人にいくらかお金を払って歌を歌って貰ったり、雪子姉様はギターって楽器の弾き方を教わったりして楽しい旅だったんだよ。

 でも、いきなり御者が悲鳴を上げて、馬車の速度が上がった。


「何事?!」


「お、お客さん! そ、空にま、ままままま……魔物が!!」


 その言葉に幌の垂れを上げると、無数の翼が生えた大きな蜥蜴が宙を舞っているのが見えた。

 蜥蜴達の背中には鞍があって、甲冑姿の人達が跨っている。


『やあやあ! 我こそは偉大なる大魔王様よりガルスデント・エアフォースを預かる魔将軍・ベルーゼフなり!』


 見れば一際大きな蜥蜴の背に乗って赤い甲冑に身を包んだ人が槍を片手に名乗りを上げていた。

 他の蜥蜴の背に乗っている人達の甲冑は黒で統一されているから、名乗った通りあの人が大将なんだろう。

 うーん……兜に面当てがあるせいで顔は解らないけど、声の高さから女の人かも知れない。


『大魔王様に弓引く愚か者よ! ここが貴様の死地と心得よ!』


 気合い入ってるなぁ……でも、いきなり将が自ら出陣するものなのかな?


「全く……大将が前線に赴くなんて兵法の“へ”の字も知らないのかしら?」


 雪子姉様も同意見だったみたいで首を傾げていた。


「お、お客さん! まさかアンタ達のせいで魔物が?!」


「彼らの云い分からすると、そうなるわね」


 狼狽える御者にしれっと答える雪子姉様って本当に大物だと思う。


「じょ、冗談じゃない! 降りてくれ!! 俺はまだ死にたくない!!」


「降りるのは構わないけど、十中八九馬を止めた瞬間、彼らは襲って来るわよ?」


「ヒィッ?! だ、だったら……」


 御者が何かを云おうとすると、雪子姉様はニコリと微笑んで御者に近づいていった。


「まさか、飛び降りろなんて云わないわよね? そうそう、実は私は馬の扱いに慣れていているの。馬車だって少しくらいなら操れるわよ?」


 雪子姉様が何を云わんとしているのか察した御者は気の毒なくらい顔を真っ青にさせて脂汗を滴らせた。


「貴方は何も考えずにスエズンに向かいなさい。でも、約束はする。貴方の命とこの馬車の無事は私が保証してあげるわ」


「保証って、あんな沢山の魔物からどうやって?! 連中は空を飛んでるんだぞ!!」


「喝ッ!!」


 雪子姉様の一喝に御者は口を噤んでしまった。


「オロオロするな! 御者の不安は馬に伝わる! 貴方も御者としての誇りがあるのなら、そのまま馬車を走らせなさい!!」


 すると御者の顔から動揺が消えて、落ち着いた表情で手綱を操り始めた。

 雪子姉様の一喝はただ相手を萎縮させたり脅かすものではなく、禅僧の警策のように心を静める。


「貴方も信じろとまでは云いませんが、無事を約束します」


 雪子姉様は吟遊詩人に向かって微笑むと、馬車の屋根の縁を掴んで屋根の上へとヒラリと飛び上がった。


「桜花も行くよ! 月夜姉様は二人を守って!」


(心得ました)


 月夜姉様が微笑んで頷いたのを見て、桜花も急いで雪子姉様を追った。


「うわぁ! ざっと二百! 大丈夫かな?」


 改めて空の蜥蜴達を見てちょっと弱気になりかけると、雪子姉様の手が頬に触れた。


「でも、勝たないと私達に未来はないわよ。生き残る為にも勝たないとね? ヴェルフェゴールを倒して『楔』を砕いてあげるんでしょ?」


 雪子姉様の微笑みはいつも桜花に自信を持たせてくれる。

 稽古でへこたれそうになった時も、試合前にガチガチに緊張してた時も姉様は微笑んで力づけてくれた。


「うん、そうだよね! こんな所で負けてられないよ!!」


 『日輪』を空に掲げてフェニルクスに向かって声を張り上げた。


「我こそは太陽神の聖剣を持つ勇者、霞桜花!! 魔将軍・ベルーゼフ、そなたの挑戦を受けよう!!」


 歌舞伎役者のように見得を切る桜花に何故か蜥蜴に乗っている人達が動揺する気配を見せた。


『な、何ぃ?! アポスドルファの聖剣を持つと云う噂の勇者がここに?! 奴を追ってまさか、勇者とかち合うとは!』


「ほえ? 桜花達を狙う刺客じゃないの?」


『馬鹿も休み休み云え! たかが数人のニンゲンに将自ら軍を率いて出陣するものか!!』


 ベルーゼフは槍をブンブン振り回して怒鳴っているけど、あんな体勢でそんな事したら……って、云わんこっちゃない。


『ぬお?! と、兎に角、これは都合が良い! 裏切り者を始末するついでに勇者も葬ってくれよう!!』


 なんとか手綱にぶら下がって落下を免れたベルーゼフだったけど、足をバタバタさせながらじゃいくら凄んでも全然怖くなかった。


『全軍、勇者を討ち取れ!! あ、その前に誰か我をクリスティーヌ号の上に引き上げよ!!』


 黒い甲冑の人が何人かベルーゼフの蜥蜴に飛び移って彼(彼女?)を引き上げている。

 上空で『エンヤコーラドッコイショ』と音頭を取りながら引き上げ作業をしている彼らに桜花は緊張感が抜けかけた。

 それにしてもクリスティーヌ……クリスティーヌか。

 この西洋の童話に出てきそうな名前はどう見てもあの蜥蜴には似合わないような気がする。

 どちらかと云うと、金剛とか仁王って名前が似合いそうな凶悪な顔をしているんだけどね。


「霞流『乱れ桜』!!」


 そんな時、雪子姉様が上空の蜥蜴目がけて数本の短刀を棒手裏剣に見立てて打った。

 『投げる』のではなく『打つ』。

 手裏剣術は大上段に構え、刀のように手裏剣を鋭い一刀両断の斬り込みに見立てて、気迫を持って打ち込む。

 雪子姉様は一度に数本の手裏剣に一打必殺の威力を込めて打つ事ができる。それが『乱れ桜』と呼ばれる多勢を撃破する奥義というわけ。


『おおう?! し、鎮まれ!!』


 短刀が命中した蜥蜴達は体勢を崩して、背に乗っている黒甲冑を振り落としたり他の蜥蜴にぶつかって混乱を広めていった。


『愚か者! 陣を乱すな!!』


 しかし、なんとかクリスティーヌの背中に這い上がる事ができたベルーゼフの号令ですぐに陣形を整えてしまった。


『ふっ、莫迦め! ドラゴンはかつては“神々の乗騎”と呼ばれた最高位の種族! そんな投げナイフ程度で倒せるものか!!』


 手綱を巧みに操りながら誇らしげに云うベルーゼフに雪子姉様はクスリと微笑んで指を鳴らした。

 すると数匹の蜥蜴(これがドラゴン?)が再び暴れ始めた。


『なんと?! ええい、陣を乱すなと云ったであろうが馬鹿者!!』


『か、閣下! ち、ちが……うわああああああああああああああああっ?!』


 瞬く間にドラゴン達は背中の黒甲冑を道連れに錐揉みしながら落下していった。

 その時、桜花はドラゴンの口から血と泡が出ている事に気が付いた。


『貴様、まさか?!』


「ええ、お察しの通り短刀には毒が塗ってあるわ。そう、たっぷりと、ね?」


 穏やかに微笑んでそんな事を云う雪子姉様に、桜花は流石に背筋に薄ら寒いものが走るのを禁じ得なかった。


「卑怯と思う? でも多勢に無勢ですもの、それくらいは大目に見て欲しいわね」


 そう云い様、銀光が煌めいて短刀が飛んだ。


『うむぅ、毒を差し引いたとしても、たかが投げナイフで鉄より硬いドラゴンの皮膚を傷つけるとは……さてはマジック・アイテムか?!』


「まじっ……く? 何の事か解らないけど、これは只の短刀よ。我が霞流手裏剣術は五間(約九メートル)離れた鉄板に手裏剣を刺せるようになって初めて目録を許される」


 本当は無くしてもすぐに持ち主の所に帰ってくるなんてある意味怖い妖術がかけられてるみたいなんだけどね。

 兎に角、桜花も雪子姉様に続いて短刀を打った。もっとも桜花には一度に何本も短刀を打てないので、左右一本ずつになるけど。

 桜花の打った短刀は二匹のドラゴンの目に突き刺さった。思った通り、皮膚は硬くても目まではそれほど頑丈じゃなかったみたい。


『しっかりドラゴンどもを制御せぬか! うぬらはガルスデント・エアフォースに選ばれた精鋭ぞ!!』


 毒に冒され悶え苦しみ、眼球を潰されて混乱するドラゴン達に黒甲冑は慌てふためいていてベルーゼフの叱責は最早意味をなさなかった。


「せいっ!」


 雪子姉様の打った短刀が近くを飛んでいた黒甲冑の面当ての隙間を縫って突き刺さる。

 雪子姉様は本当に目が見えないのだろうか? ううん、見えていたとしても、そんな芸当が出来る人はそうそういないと思うけど。


『ヒィッ?! 毒ナイフが?! だ、誰か、毒を抜いてくれ!!』


 堪らず兜を脱いだ彼に雪子姉様は会心の笑みを浮かべた。


「今、兜を脱いだわよね?」


 そう問いかけた雪子姉様はいつの間にか、金具に“鬼”の一文字が書かれた鉢鉄を巻きつつ、瞼を開いて綺麗な緑色の瞳を見せていた。


「う、うん……人間で云えば三十路過ぎくらいの男の人だったよ」


「ありがとう」


 そう云って雪子姉様は釣り針のお化けみたいのを取り出した。

 ソレは糸が繋がっていて、糸は雪子姉様の袖の下に消えていた。


「ゆ、雪子姉様……ソレって何?」


「ん? とっても“いい物”よ? そうね、そろそろ貴女にも霞流兵法にある暗器術を教えるべきかもね」


 雪子姉様は嬉しそうにお化け釣り針の先端に指を這わせて答えたんだけど、なんか怖いよ。

 その時、桜花は雪子姉様の手首に小さな滑車があるのを見た。

 糸は滑車を通って肘の少し前に装着されたやや大きめの滑車に巻き取られているようだった。


「じゃあ、少し行ってくるわね」


「い、行ってくるって雪子姉様?!」


「霞流暗器術『人釣り針』!!」


 雪子姉様がなんだか物騒な名前の釣り針を投げると、寸分狂わず兜を脱いだ人に向かっていった。

 ややあって……


『ハギャホヒュヒュ!!』


 釣り針は見事に彼の口の中に入って、右の頬から凶悪な“かえし”のついた先端が飛び出していた。


「アイタタタタタタ……」


 あまりの光景に桜花は思わず顔を顰めて自分の右頬を押さえてしまった。


「ふふふ、空中戦が自分達だけのものと思わない事ね」


 雪子姉様が愉しそうに微笑むと、糸が滑車に巻き取られて雪子姉様は宙に引っ張り上げられた。


「霞流剣術道場師範・霞雪子! 推して参る!!」


 雪子姉様はそのままドラゴンの背中に飛び移ると、釣り針を思いっきり引っ張って男の人の頬を引き裂きながら釣り針を回収した。


『ひょげ~~~~~っ?!』


 雪子姉様に蹴り落とされた男の人は頬を裂かれたせいか、悲壮感から程遠い悲鳴を上げながら大地に叩きつけられた。


「ベルーゼフ、覚悟!!」


 雪子姉様は次々とドラゴンの背中を飛び移りながら黒甲冑の面当ての隙間に大真典甲勢二尺六寸を突き立てる。

 顔面を刺し貫かれた黒甲冑達はほぼ即死したらしく、ドラゴンの背中から落ちていった。


『化け物か?!』


 ベルーゼフが慌てたようにクリスティーヌのお腹を蹴ると、なんとクリスティーヌは地獄の業火を思わせる紅蓮の炎を吐き出した。

 しかし雪子姉様は既に跳んでいて、ベルーゼフのそばにいるドラゴンの背中に移っていた。


『ヒ、ヒイ?! 閣下! 熱い! 閣下閣下閣下閣下閣下カッカカッカカッカカッカカッカカカカカカカカカ……あつあつ、あついって! あぢゅらま!!』


 炎に巻き込まれた多くの黒甲冑達が断末魔の叫びを上げてドラゴン共々地面へと落ちていった。


『な、なんて事を……ユキコと申したな? 我の大切な部下を無惨にも焼き殺した罪は重いぞ!!』


 焼き殺したのは自分だと思うんだけど……


「勝手な事を……でも、その大切な部下を巻き込む恐れはもう無いみたいね? 気配が遠ざかってるもの」


『何ぃ?!』


 雪子姉様の云うようにあれだけいたドラゴンと黒甲冑の姿は周りに無く、遠い空に黒い点がいくつか見えた。

 空という圧倒的優位な状況。二百という圧倒的な数の差。魔族と人間という圧倒的な力の差。

 彼らは自分達の勝利を疑っていなかったはず。

 でも、そんな絶望的な状況でたった二人、ううん、雪子姉様一人に不意打ち、卑怯打ちとはいえ逆に圧倒された彼らの恐怖は如何なるものだっただろう?

 そして、仲間の頬を釣り針で貫いて引き裂く、顔面に刃を突き立てるなんて残酷な手段で倒された彼らの胸中にあったものは……そして上官からの攻撃の巻き添え。

 恐怖が恐怖を呼んで彼らは崩壊した。まさに空中分解、気勢を削がれ士気はガタ落ちになって彼らには遁走以外の選択はなかったように思う。

 まさに寡兵をもって大軍を退ける。

 月夜姉様に云わせれば、寡兵で大軍を迎え撃つ状況を作った段階で負けなのかも知れないけど。


『あやつらぁ!! 否! 我一人でもうぬの首を持って帰ってくれよう! でなければ、二度と魔将軍を名乗れぬわ!!』


「じゃあ、名乗らなければいいでしょう?」


『なんと?!』


 雪子姉様は自分が乗るドラゴンを操ってクリスティーヌに突っ込んでいく。

 そして雪子姉様を乗せるドラゴンの顔にあるのは恐れ、恐怖の表情……


『馬鹿め! 今度こそ丸焼きにしてくれるわ!!』


 クリスティーヌが炎を吐くと、雪子姉様は二尺六寸を大上段に構えた。


「小賢しい!! 火を吐く程度、大道芸人でもできるわ!!」


 雪子姉様が裂帛の気合いとともに刃を振り下ろすと、信じられないことに炎が真っ二つに裂けてベルーゼフまでの道を作った。


「霞流『濁流斬り』!! 覚悟!!」


 背中に叩きつけんばかりに振り上げ、その反動で振り下ろした斬撃は恐ろしい速さを生み出す。

 その凄まじい斬撃は切っ先に真空の楔を生み、大気を切り裂くほどなんだ。

 かつて戦国時代ではこの技で無数に飛来する矢を一刀のもとに叩き落として血路を開いたって伝説がある。

 先代、つまり父様に至っては技の名前が示すように、嵐で氾濫した濁流をも斬り裂いて川底を露出させ中洲に取り残された人を救ったという逸話があったりする。


『貴様、な、何者だぁ?!』


 声にありったけの恐怖をこめて叫びながらもベルーゼフは鐙に足をかけて立ち上がって槍を突き出し、飛びかかる雪子姉様を迎撃する。


「霞流『兜潜り』!!」


 なんと雪子姉様は迫り来る穂先を左手で掴んで、雷光のような片手突きを兜の隙間、つまり喉元に二尺六寸を突き立てた。

 人間ならほぼ即死の一撃にフェニルクスの手から槍が離れた。クリスティーヌの背に移った雪子姉様はそれを左手で受け止めて大地に落ちるのを防いだ。


「さあ、スタローグ家はここから反撃をしてきたわ。魔将軍を名乗る貴方はどんな芸を見せてくれるのかしら?」


『我の芸とな? ならば見せてくれよう!! 冥土の土産にすると良いわ!!』


 痙攣していたベルーゼフは渾身の力を籠めて雪子姉様の首を絞めてきた。


「最後の手段が馬鹿力? それでよく魔将軍なんて名乗れるわね?」


 そんな反撃にも雪子姉様は嘲笑を浮かべると、兜の上から肘をベルーゼフのこめかみに叩きつけた。


『ぐあ!』


 頭を、脳を揺さぶられてフェニルクスはあっさりと雪子姉様を解放した。


「期待外れもいいとこだわ……まさかと思うけど、アジトアルゾ大陸にいるヴェルフェゴールはこの程度じゃないわよね?」


 あ、ついに出ちゃった。口の端を吊り上げた下弦の月を思わせるあの“笑み”が……


『な、舐めるな! 我の力はこんなものではない……我が力は『暴食』よ! この世のあらゆるものを喰らい我が力と成す! この痛みさえも我が糧よ。殺されようとも苦痛が更なる力を我に与えて蘇る!!』


「『暴食』ねぇ? 殺されても蘇るところはあのヴァンティスとさほど変わらない能力みたいね……」


 雪子姉様がさもつまらなそうに云うとフェニルクスは兜を脱いで睨み付けてきた。

 想像していた通り、その素顔は短く切り揃えられた青い髪を持つ女性だった。

 それにしてもヴァンティスって誰だろう? どこか頭の片隅に引っかかってるんだけど、どうしても思い出せない。


『ヴァンティスとやらが何者かは知らぬが、我が『暴食』の力を見縊るでないわ!! 我が肉体はたとえ全て灰になったとしても火と熱と痛みを喰らい蘇る!!』


 その言葉に雪子姉様の“笑み”は益々強くなっていった。


「そう……そうなの? だったら、遠慮はいらないわね?」


 ベルーゼフはある意味、最大の禁句を口にしてしまったような気がする。

 だって、雪子姉様はまるで自分専用の玩具を買い与えられた子供のような顔をしているから……


「いくわよ? まずは小手調べ!」


 雪子姉様は嬉々として鞍に尻餅をついていたベルーゼフの顔面に膝蹴りを叩き込んだ。

 全く容赦をしている気配を感じられない強烈かつ凶悪な音が響いた。

 ベルーゼフの鼻は無惨にも潰れて真っ青な鮮血が飛び散る。


『あがぐげ……』


 雪子姉様は聖帝陛下から賜った銀の手甲を装着すると慈愛の微笑みを浮かべて何度も何度もベルーゼフの潰れた鼻に拳を叩き込んだ。


「どうしたの? 不死身なんでしょう? 早く反撃してきなさい?」


 雪子姉様がベルーゼフのお腹に掌底突きを打ち込むと、彼女は口から大量の血を吐いて咳き込んだ。


「霞流『波紋』……霞流の前では甲冑など無意味よ」


 多分、雪子姉様の掌底の衝撃は甲冑を通り抜けて、ベルーゼフの体そのものに大きな痛手を与えたんだと思う。


『わ……我を……嬲るか……? 後悔するぞ……』


「あら……貴女の体内の妖気が大きくなっているわね? それが苦痛を喰らうってことなの?」


 雪子姉様はベルーゼフの口の中に手を入れて舌を引っ張り出すと、思いっきり捻り上げた。

 舌は生き物にとって急所の一つ。それは魔族も変わらないようでベルーゼフは涙目になって動けなくなっていた。


「いいわ……素敵よ。痛みを与えれば与えるほど貴女の妖気が高まっていくわ!」


 雪子姉様の表情(かお)が狂気を増していく。

 反対にベルーゼフは痛みと恐怖で顔がグシャグシャになっていた。

 まさか不死身(?)の自分を恐れるどころか嬉々として殴りつけてくる人間がいるなんて夢にも思ってもなかったんだろうね。


『クヒョ(クソ)ッ!』


 ベルーゼフは雪子姉様の手にあった自分の槍を奪い返すと、尻餅をついている状態とは思えない速さで突きを放ってきた。


「なんだ……大きくなったの妖気だけで、槍の腕前は変わらないのね? 少々早くなっただけじゃない」


 けど、雪子姉様はさもつまらなそうに槍の穂先を人差し指と中指で挟むように止めてしまった。

 霞流道場・四天王の一人にして宝蔵院流槍術の達人である延光和尚の十文字槍を毎日のように受けていた雪子姉様にとってベルーゼフの槍は児戯のようなものなのかも知れない。

 自分の槍をあっさりと止められたベルーゼフは驚愕に目を見開いている。無理もないけどね。


『我の槍がたった二本の指で……』


 そんなベルーゼフに雪子姉様は溜め息をつくと、大真典光勢を六角杖に納めてしまう。


『何故、剣を?』


 その問いかけに雪子姉様は失望を隠すことなく答えた。


「終わりよ……貴女は大真典甲勢二尺六寸で斬る価値もない。その代わり、この世の地獄を味わわせてあげるわ」


 雪子姉様はベルーゼフを上空へと放り上げて、自らも追うように跳んだ。

 そして彼女を逆さまにして顎を右足で踏み、更に右腕で両足を抱え、左手を絡めるようにベルーゼフの右手を拘束した。


「霞流禁じ手『地獄落とし』!!」


 雪子姉様達はそのまま地上へと落下して、ベルーゼフは受け身を取ることもできずに脳天から大地へと叩きつけられた。

 桜花は思わず馬車から飛び降りて雪子姉様達へと向かった。


『あぎゃ……ふふぇふ……は、はふぇは……』


 二人分の体重に落下の衝撃を脳天に受け、顎にも雪子姉様の全体重と衝撃を受けて、ベルーゼフの顔は原型を留めていなかった。


「流石、不死身を自称するだけあって素晴らしい生命力ね。でも……」


 雪子姉様はベルーゼフにトドメを刺すべく拳を振り上げる。


「トドメを刺すのは戦いの作法……覚悟!!」


 雪子姉様の拳がまさにベルーゼフの顔面を貫こうとする寸前、彼女の目が恐怖と絶望でカッと開かれた。


『ヒィッ?! ヴェルフェゴール姉様ァ!!』


「え?」


 雪子姉様は思わず拳を止める。


「へぇ、ヴェルフェゴールって女だったの? これは良い情報が手に入りそうだわ」


 雪子姉様の“笑み”が消えて、慈愛の微笑みが浮かんだ。


「では、貴女の姉様について訊かせて貰いましょうか?」


 雪子姉様はベルーゼフに膝枕をして優しい口調で訊いた。

 桜花はヴェルフェゴール姉様って言葉に物凄く引っかかってたんだったけど、その意味を思い出せなかった。


『ば、馬鹿か? わ、我がそのような質問に答えるとでも……』


 不死身っぽいというのもハッタリじゃなかったみたいで、完全に砕け散っていたはずの歯が生え替わったかのように揃っていた。

 まだ顔が青黒く腫れ上がっていて痛々しかったけど、それでも彼女はニヤリと笑って雪子姉様を嘲った。


「勿論、答えて貰うつもりよ? それと貴女は大変な勘違いをしている……」


『何? それはどういう……あぎゃあああああああああああああッ?!』


 なんと雪子姉様は慈愛の微笑みのままベルーゼフの前歯を一本、指で摘んで引き抜いたんだ。


「私がしているのは“質問”ではないわよ? これはね……“拷問”よ」


 雪子姉様が隣の歯を一本無造作に引き抜き、ベルーゼフの悲鳴が上がった。


「あら?」


 ふと桜花達の上空から影が差した。

 見るとクリスティーヌがこっちに向かって急降下してくるところだった。


「桜花! 右!」


 雪子姉様の声に桜花は右に跳ぶと巨大で真っ赤な影が通り過ぎていった。


『でかした、クリスティーヌ号! それでこそ我が最愛のドラゴンよ!』


 クリスティーヌに拾われたベルーゼフは、その背中で大笑いをしている。


『これで形勢逆転だな! 我は今までコレほどの屈辱を受けた事はない!! 返礼に貴様にもこの世の地獄を味わわせてくれるわ!!』


 ベルーゼフは槍を構えると鞍の上に立った。


『行くぞ、クリスティーヌ号!! フォーメーションA『クリムゾン・ストライク』だ!!』


 クリスティーヌはベルーゼフの言葉に応えるように咆哮を上げると、こちらを威嚇するように巨大な炎を空に向かって吐き出した。


「雪子姉様!」


 見ると雪子姉様が杖を帯に差し、腰を落として居合の構えを取っていた。


「クリスティーヌ、見事! 愚かな主を見捨てぬ義侠心は人として見習うべきところ! その心意気に応えよう」


 雪子姉様はベルーゼフ、ううん、クリスティーヌに向かって駆けだした。


『魔族に刃向かう愚かなニンゲンよ! 今こそ我ら魔族の恐ろしさを思い知れ!!』


 クリスティーヌが地獄の業火を吐き出しながら雪子姉様に向かって一直線に急降下してきた。

 更にベルーゼフが跳ぶ体勢を取った。恐らく炎と槍による特攻の二段構えの攻撃。


「南無三! 飼われた相手が悪すぎた哀れな竜よ!! せめて最強の技で葬ろう!!」


 雪子姉様の全身から紫の炎のようなものが立ち上がって、紫光を放ちながら二尺六寸が抜き打たれた。


「怨念解放!! 秘剣『覇王鬼門返し』!!」


 真一文字の横薙ぎは業火を切り裂き、雪子姉様とクリスティーヌが擦れ違う。


「妖魔九百七十九斬……南無八幡大菩薩」


 雪子姉様が瞼を閉じて納刀した瞬間、クリスティーヌの口が大きく裂け、やがて首、胴体と裂けていって最後には上下に真っ二つになってしまった。

 ご先祖様が手に入れてから今日に至るまで斬り捨ててきた数多の悪党や妖魔の怨念を吸い続けてきた大真典光勢二尺六寸は、今や妖刀と化している。

 その身に篭められた怨念を開放して爆発的に破壊力を増したのが、霞家当主のみ使用を許された秘剣『覇王鬼門返し』なんだ。

 桜花も初めて見たけど、巨大な竜を両断するほどの威力があるなんて思いもしなかった。

 しかもこの秘剣はこれで完結した訳じゃない。

 名前に“返し”とあるからには返し技が必ずあるはずなんだよ。

 この技がどんな完結を見せるのかは桜花にはとても想像がつかなかった。


『な、何ィ?! クリスティーヌ号!!』


 槍を突き出しながら落下してきたベルーゼフが驚嘆の声を上げた。


「貴女の最大の失敗はクリスティーヌに救われた時に逃げなかった事よ! やはり貴女は将の器ではない! 引き際を見失った愚か者よ!!」


 空中で体勢を変えられないベルーゼフを雪子姉様は真下で待ち構える。


『あ! あ! ああ~~~~~~~~~~~~ッ!!』


 恐怖の表情で落ちてくるベルーゼフに雪子姉様は再び居合の構えを取った。


「せいっ!!」


 陽光をかます切っ先が反射して煌めき、ベルーゼフの槍がバラバラと輪切りにされて、彼女は無様にも地面に叩きつけられた。


「本当に貴女は斬る価値がない……精々魔界とやらで失脚しないように云い訳でも考えるのね」


『き、貴様……』


「では、機会があればまた会いましょう」


 御者の気遣いか、月夜姉様の指示か、戻ってきていた馬車に向かう雪子姉様をベルーゼフは憎々しげに睨んでいる。


『待て! せめて馬車だけでも!!』


 ベルーゼフが手を頭上にかざすと、巨大な火の玉が現われた。


『広大な草原を惨めに歩くが良い!!』


『やめよ。これ以上は恥の上塗りだ』


 突然、ベルーゼフの火の玉が弾け飛び、その衝撃で彼女は吹っ飛ばされてしまった。

 状況を把握しようと動くまでもなく、場が重苦しい空気に支配される。


「この重圧……少なくともベルーゼフとは比べ物にならないわね」


 桜花は目を疑った。

 あの雪子姉様が額に脂汗を浮かべて六角杖を支えに漸く立っていられるような状態だったんだ。


『お初にお目にかかる……』


 いつの間にか、桜花は地面に腰砕けに座り込んでいた。

 この人はマズい……戦ってはいけないと本能が警鐘を鳴らしている。

 雪子姉様とベルーゼフの丁度中間に現れた男の人は桜花達とは強さの次元が違っていた。


『貴殿が勇者か? ふむ、私の殺気を受けて気を失わずにいるのは流石よ』


 禍々しい悪魔の意匠を凝らした甲冑を纏い、腰には本当に振れるのかと訊きたくなるような馬鹿に大きな剣を差している。

 歳は四十手前くらいで、少し頬がこけているのを見逃せば眉目秀麗と云えるかも。

 やや痩せぎすっぽいけど、鼻髭と鋭い眼光の御陰で貧相には見えない。

 むしろ全身から放たれる威圧感のせいで巨人と錯覚する瞬間があるくらいなんだ。


『あいたたたた……何をなさいますか!? 大元帥閣下!!』


『黙れ! 今、私は勇者と話をしているのだ』


 抗議をしたベルーゼフは男の人の一睨みで口を閉ざしてしまう。

 男の人は桜花達に向き直った。

 途端に全身の肌が粟立つ。


『私の名はアポリュオン。魔王陛下をお守りする近衛騎士団の団長にしてガルスデント軍を統括する大元帥である』


「将軍の次は大元帥……随分と大物が出張ってきたものね」


 蹲る桜花を庇うように雪子姉様が間に立ってくれた。

 御陰で少し楽になったけど、それでも感じる威圧感は半端なかった。


『勘違い致すな。私は戦いにきたのではない』


 アポリュオンはまるで子猫のようにベルーゼフの首根っこを掴んで持ち上げた。


『本来の任務を忘れ、わざわざスチューデリアくんだりまで出張ってきたこの馬鹿者を連れ戻しに来たのだ』


『し、しかし、閣下……アレ(・・)を見過ごす訳には……』


『黙れと云ったはずだが?』


 ベルーゼフは口どころか全身が石になったかのように固まる。


『ではな、我らはこれにて失礼する。よもや文句はあるまいな?』


「文句も何も私達は降りかかった火の粉を払っただけ。退くと云うのであればあえて追いますまい」


 雪子姉様の答えにアポリュオンは威圧感を消してニヤリと笑った。


『賢明だな。近頃は勇気と無謀の違いが分からぬ輩が多いがそなたは違うらしい』


「ここで貴方と戦う必要はありませんからね。私達の標的はヴェルフェゴールのみ……彼の者の首級さえ取れればそれで結構。それ以外の魔族との戦いは意味がありません」


 物分かりが良いのか挑発なのか分からない雪子姉様の言葉にアポリュオンは興味を引かれたようだった。


『ほう、無意味と来たか。そうよな……あくまで仮定としての話なのだが、もしこの場にて魔王陛下がおられたとしてもそう答えるか? 魔族の王を討ったとなれば、戦いは終わるかも知れぬし名声も思うがままぞ?』


「魔王を討つなどと、それこそ無意味極まりないですわ」


 何を云ってるの、雪子姉様!?

 ベルーゼフは大口を開けて固まってるし、アポリュオンも呆気に取られてるよ。


『私も星の数ほどの勇者を見て参ったがな。ニンゲンと魔族との共存を夢見て陛下を討つことを拒む者は稀にいたが、無意味と云い切った者は一人としておらなんだぞ?』


『そ、そうよ! 今まで見てきたニンゲンはみんな魔王陛下を倒せば世界が平和になるって妄言ばっかり云っていたのに、貴女はそうは思わないの?』


 アポリュオンに同調するベルーゼフの口調が変わった。今のが素なのかな?


「無礼は承知の上で質問を質問で返しますが、魔族は頭が潰された程度で機能しなくなるような脆弱な種族なのですか?」


『そんな事はないぞ。我ら魔族の国・ガルスデントは武官・文官共に有能な者達が揃っておるし、魔王陛下の後を御継ぎになる皇太子殿下は文武両道に優れ、万民に慕われる名君の器をお持ちの方。万が一、否、億が一、兆が一にも魔王陛下に変事が起こったとしても魔界は盤石ぞ』


 誇らしげに答えるアポリュオンに雪子姉様の口から出たのは、さもありなん、だった。


「だから意味がないと申したのです。むしろ陛下を討つことで、魔王を慕う心ある魔族達の怒りを買い報復されるかも知れませぬ。こうなれば人間と魔族の間に憎悪の連鎖が生まれ、際限無き戦いが幕を開けることでしょう。私はそれを恐れます」


 さりげなく、無用な戦いは避けるけど、戦えば魔王といえども勝ってみせると取れるような言葉を使うところが雪子姉様なんだよね。

 アポリュオンはしばらく雪子姉様の言葉を吟味するように沈黙していたけど、急に大声を上げて笑いだした。


『見事! 見事な答えである! 流石は魔界において名門中の名門と謳われるスタローグ家と『家族』になったニンゲンよな! いやはや、本日は良き娘と会えたものよ。まさに本懐である!!』


「やはり閣下の目的はベルーゼフを連れ戻すことではなかったのですね?」


 するとアポリュオンの顔に初めて驚きの表情が浮かんだ。


『“やはり”ときたか。そうだ。私の目的は武門の名家・スタローグ家から『家族』にと請われるほどのニンゲンと会うことにあったのだ。実を申せば、魔王陛下もそなたらに興味をお持ちでな、流石に陛下御自ら出向くわけにもいかず、ならば私がと聖剣の勇者の為人(ひととなり)を見にきたというわけだ』


 うわ……桜花達、もう敵の御大から目を付けられていたのか……

 桜花の心境を知ってか知らずか、雪子姉様はもう脂汗が引っ込んでいて愉しそうにアポリュオンと談笑していた。

 そんな雪子姉様をベルーゼフは気味悪そうに見ている。


『フッ、こんなにも愉しいニンゲンは久しぶりだ。ならば魔王陛下の御意を伝えてもよかろう』


 初めとは違って穏やかに笑いながらアポリュオンが云った。


『勇者とその姉妹達よ。魔王陛下の御意である!!』


 魔王からの言葉なのに、何故か雪子姉様といつの間にかそばに来ていた月夜姉様が居住いを正して耳を傾けていた。


『魔王・エミルフォーンとその直轄のガルデント軍は魔将軍・ヴェルフェゴールを討つことを黙認するものとする。彼の者とその配下を討ち果たしても我らは一切の報復行動を取らぬことを誓おう!!』


「なるほど……今回のヴェルフェゴールが起こした戦は魔王陛下の命令にあらず。ヴェルフェゴール当人とその賛同者の独断というわけですか」


『聡いな。如何にもヴェルフェゴールを始めとする七人の魔将軍による……』


 アポリュオンの言葉を雪子姉様が右手を出して遮った。


「貴方は魔界の欠点を口にしようとしている。それはいけない。少なくとも敵対者である私達に漏らすべきことではありません」


 え? でも、さっきベルーゼフを拷問してまで情報を聞き出そうとしてなかったっけ?


「それに私は貴方の言を丸々信じるほどお人好しではありません。貴方が尊敬すべき人であることは百も承知ですが、一度に多量の情報を流そうとしている敵の元帥を信じるとお思いですか?」


『これは私の失態だな。そうか、尊敬されても信用されるまでには至っておらなんだか。虚実を交えた情報を流してそなたらを誘導しようと思ったのだが急き過ぎたようだな』


 雪子姉様とアポリュオンは不敵に笑った。

 一見、打ち解けたかのように見えて、腹の中では狐と狸の化かし合いを演じていたのか……

 桜花だったら疑うことなく、アポリュオンがいい人だって信じてたかも知れないよ。


『だが、ヴェルフェゴールを討つ許可は本当よ。同志の魔将軍は知らぬがガルスデント本国は関与しないというのは嘘偽りないことだ』


「信じましょう。大元帥ともあろう方が王の名を出して嘘をつくとは思いたくはありませんので」


『云いよるわ。その剣技、知恵、胆力、なるほどスタローグの兄弟が好みそうな娘よな』


 不意にアポリュオンは一瞬だけ哀しそうに雪子姉様を見つめた。


『だが辛いな……』


「え……?」


『先程の戦いを見ていたが、そなた、あえて無造作に、残酷に兵共を殺したな?』


 今度は雪子姉様が驚愕する番だった。


『仲間をあのような殺され方をされたのでは、百戦錬磨の者でも怖気ずくわ。そなたが奴らが潰走するようにわざと惨たらしい殺し方をせなんだら、ガルスデント・エアフォース二百名を悉く討たれていたであろう』


 アポリュオンは本当に一瞬だけ、また哀しそうな顔をした。


『一罰必戒。誰もが恐れる残忍な敵を演じれば、戦わずして敵は逃走する。しかし、そのために悪鬼のように振舞わざるをえぬそなたの心情は察するに余りある。だから辛いと申したのだ』


「見抜かれていましたか。私も修行が足りませぬ」


 そう返した雪子姉様は、今にも泣きたい気持ちを苦笑の表情で必死に隠そうとしているように見えた。


『いや、その若さでよくぞと褒めたい。私もまたそなたを尊敬しよう』


 アポリュオンは雪子姉様に敬礼をした。


『これで私の云いたいことは全て語った。さらばだ。真の意味での勇気を持つ勇者達よ。流石にヴェルフェゴール打倒を応援はできぬが、武運長久は祈っておくぞ』


「はい、大元帥閣下も息災で。魔王陛下にもよしなにお伝えくださいませ」


『承った。また会える日を愉しみにしておるぞ』


 アポリュオンは自分の影に吸い込まれるように姿を消した。


『あわわわ……閣下、お待ちください!!』


 慌ててベルーゼフも後を追うように自らの影に沈んでいくけど、頭だけ残して雪子姉様を睨んだ。


『今日の屈辱は絶対に忘れない!! 今度、会う時までにそのペッタンコな胸に私の名を刻み込んでおきなさい!!』


 その言葉を残してベルーゼフは完全に影の中へと沈んでいった。

 なんて恐ろしいことを……


「ぺ……ぺ……ペッタンコぉ?! 私のどこがペッタンコなの?! ちゃんと膨らんでるわよ!!」


「ゆ、雪子姉様、落ち着いて!」


 桜花は必死に雪子姉様に縋ってみたけど、無駄だった。

 雪子姉様ってば胸の話をすると物凄く不機嫌になって、ず~~~~~~~っと怒ってるんだもん……


(姉様、冷静に……冷静にですよ? 折角の美貌が台無しです。それに女は胸ではありません)


 月夜姉様……いつも言葉はよく頭の中で吟味してから口に乗せなさいって云ってるクセに、どうしてこういう時だけ余計な事を……


「貴女にだけは云われたくないわぁ!!」


 胸の大きい人にそんな事云われたら火に油を注ぐようなものなのに……

 結局、桜花達は雪子姉様の怒りを静めるのに半刻(約一時間)も無駄にする事になったんだ。

 今、桜花達は物凄く困っていた。









 その後、何事も無く運河に建造されたスエズンって街に辿り着くことができた。

 運河を渡ればこの国、聖都スチューデリアに別れを告げ、カイゼントーヤって国に入ることになる。

 ちゃんと船を借りられれば良いんだけど、そんな心配をする前にスエズンで思いもかけない事件に巻き込まれることになったんだ。

 果たして桜花達に襲いかかる事件とは?

 ベルーゼフが追っていた裏切り者とは誰なのか?

 それはまた次回の講釈にて。


 遅くなりました。

 ストック自体はあったのですが、ふとアイデアが浮かんで加筆しているうちにこのザマです。

 今回は勇者である桜花の視点ではありますが、活躍らしい活躍はできず雪子の独壇場でした。

 雪子の愛刀大真典光勢に秘められた力の片鱗が出てきましたが、本来あそこまで中二臭くするつもりはありませんでした。

 ただ相手は人間じゃなく強大な魔族なので流石に時代劇よろしくバッサリ斬ってお仕舞いでは呆気なさすぎるのと、知人からファンタジーなのに剣術一本じゃ地味すぎるだろと指摘を受けてちょいと派手めになりました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ