送った覚えのない恋文を、公爵令息だけが私の文章ではないと見抜きました
「リリアーナ様、少しよろしいかしら」
慈善委員会の会議が終わり外へ出ると、顔見知りの令嬢の一人が声をかけてくる。
「何でしょうか」
「ルーカス様に恋文をお送りになったの?」
予想だにしない問いに、リリアーナは唖然とする。
理解出来ず、
「……私が?」
と少し間を開けてから、問いに問いで返してしまう。
「ええ。ずいぶん情熱的だとか」
情熱的な恋文を送れるほど、ルーカス様の人となりを知らない。
身に覚えのないことを言われている自分ですら、とてつもなく驚いている。
突然親しくもない女性から情熱的な恋文を送られた、ルーカス様はもっと驚き戸惑っているはずだ。
そうリリアーナは考え、少し大きめの声で
「送っていません」
きっぱりと否定した。
彼女の声に驚き、周囲の令嬢たちは顔を見合わせた後で、
「まぁ白々しい」
「あんな文面をルーカス様に送っておいてしらばっくれるなんて」
ひそひそと話し始める。
どうやら自分が知らないうちに、公然の事実のように語られているらしい。
それも書いてもいない、恋文とかいうものの中身すらも。
どう対処したら良いか考えていると、同じ慈善委員会のセシリア・ローデンが近づいてくる。
「本人が違うとおっしゃっているのですから、何かの間違いかもしれませんわ」
一人でも味方がいてくれたことに喜び、セシリアに感謝を言おうとした瞬間、
「私のところに届いた手紙のことでしょうか」
後ろから男性の声がする。
彼女が驚き振り返ると、そこには噂の人物であるルーカス・アルヴェインが立っていた。
「ご覧になりますか?」
「是非お願いいたします」
リリアーナが見たいというと、ルーカスは頷き上着のポケットから手紙を出し、彼女に渡した。
確かに差し出された封筒には、リリアーナの名が書かれている。
(どういうことかしら。私の筆跡によく似ている……)
まだ名前だけなので断定できないと思いつつ、封筒を丁寧に開けて中の手紙を取り出す。
そこにはルーカスへの好意と、慈善委員会での彼の仕事振りを褒めたたえる内容が書かれていた。
――恵まれない子供たちのために働くあなたのお姿を、以前から素晴らしいと思いお慕いしておりました。
ルーカスは慈善委員会の議長を務め、誰であれ分け隔てなく意見を聞き、男女を問わず評価の高い人物である。
身分が高いにもかかわらず飾り気もなく、文武両道で女性から見合いの申し込みが絶えない。
リリアーナも父からそう聞かされていた。
(たしかに凄い人だけど、私が交際を申し込むなんて無謀すぎるわ)
かろうじて貴族に踏みとどまっている程度の自分の家が、ルーカスに交際を申し込もうとしただけで、嫌がらせが起こるのは目に見えている。
憤りを感じながらも堪え、筆跡をしっかり見たがとてもよく似ていた。
しかし文字を真似ているだけだと気づき、
「私ではありません」
と今度はルーカスに対し、面と向かってリリアーナは否定してみせる。
「そうだと思っていました」
「……え?」
「この手紙はリリアーナ嬢が書いたものではありません」
ルーカスの意外な言葉に周囲がざわつきだした。
「リリアーナ嬢、ここでは少し賑やかすぎる。会議場へ戻りましょう」
「は、はい……」
二人は先ほどまでいた会議場へと戻る。
◇
入り口から離れた位置にある椅子を、ルーカスは手で示す。
あそこに座れば良いのかと理解し、リリアーナが席の前まで行くと、ルーカスは彼女の椅子を引いた。
一礼して座るリリアーナを見て、それに合わせるように彼は軽く押す。
彼女が座った後で、彼は一人分空けた位置の椅子に腰かける。
「どうしてルーカス様に、私が書いたものではないと分かるのですか」
気になって仕方ないリリアーナは、彼が切り出すのを待てずに自分から訊ねた。
「それは……この部分です」
ルーカスは手紙を見せながら一文を指した。
「『恵まれない子供たち』」
「そうです。あなたはこの言葉を使いません」
「確かに使いませんが……」
慈善委員会の文書においてだけでなく、常日頃からリリアーナはその表現を避けていた。
貧しくとも心豊かで幸せな人はいる。
支援を必要としていることと、その人自身の価値は別だと思っているからだ。
報告書に関しても一貫して、
――保護を必要とする子供たち。
と記してきた。
(私もそこが違う、と思って偽の恋文だと確信したけれど、どうしてそれをルーカス様はご存じなのかしら)
そう不審に思い訊ねる。
「どうしてご存じなのでしょうか」
「あなたの報告書に、いつもそう書かれていたからです」
「私の報告書を読んでいるのは分かりますが、今も覚えていらっしゃるのですか?」
「ええ。委員会の資料ですから、いつでも答えられるように、極力覚えようと心掛けていますので」
議長である彼が読まないはずはない。
ただそれを読んで覚えているのは、ルーカスだからだろうとリリアーナは思った。
人数が多くとも資料を読み、何を誰に問われても戸惑った場面を見たことがない。
覚えているのは理解したものの、普段使っていないと信じた根拠が分からず訊ねる。
「でも、言葉遣いまで覚えていらしたのですか? 報告書以外では違うかもしれないとはお思いにならなかったのでしょうか」
ルーカスが一瞬口を開こうとして止まり、視線を前へ向けた。
「……何度も目にしていますから」
それだけ答えると、彼は手紙へ視線を戻す。
要領を得なかったものの、なんだか彼が嬉しそうにしているように見え、リリアーナはそれ以上聞けなかった。
ルーカスは社交界でも一目置かれる人物である。
文武両道で上下関係なく優しい。
対して自分の家は、貴族の中でも末端に近かった。
社交界にもお古のドレスで出ている。
文武両道どころか、帳簿整理以外になんの特技もない。
容姿も両親以外から可愛いと言われたことはなかった。
(私に対しても、他の誰とも変わらない接し方をしているようにしか見えないのにな)
誰に言っていいかわからず、リリアーナは心の中でつぶやいた。
「筆跡もよく似ていますね」
少しの沈黙の後、ルーカスは手紙を指さしながら言った。
筆跡まで覚えているなんて、几帳面な人だなと思いつつ、リリアーナは頷く。
「完全ではないけれど、私の文字を何度も見て真似している気がします」
「そして、委員会の事情も知っている」
ルーカスがそう言って彼女を見る。
そしてリリアーナは、はっとした。
「偶然あなたの名前を使ったわけではないでしょう」
「委員会に関係する人……」
慈善委員会に所属しているということだけなら、関係者の家族など広い範囲になる。
だが自分の筆跡を何度も見て真似し、ルーカスを狙い撃ちして恋文を出した。
そう考えると、自分とまったく接点のない人物とは思えない。
リリアーナは口から出かかった言葉を飲み込む。
「可能性は高いと思います。未婚で人気の貴族は多くおります。わざわざ私宛にあなたの筆跡を真似て出す必要がない。もちろん他の貴族に宛てて出している可能性もなくはないので、確定ではありませんが」
ルーカスも同じ考えなのかと感じ、彼女は力強く頷く。
筆跡を真似てまで恋文を出したのは誰なのか。
情熱的に書いてはいるが、品のある文面からして、少なくとも相応の教養がある人物に思える。
そして文面からして、本心から書いている部分が感じられた。
(自分が言えないから、私のせいにしたのかしら……だとしたら考えるほど気味が悪い!)
堪えきれなくなったリリアーナは席を立つ。
「私が委員会の方々に話を聞いてきます」
「でしたら私も同行しましょう。あなたは事務方の皆さんと仲がいい。一人で調べ上げたとしても、その証拠の信憑性を疑われてしまう」
「え!?」
彼の言葉にリリアーナは驚き、一歩引く。
まさか彼まで真相究明に動くとは考えていなかった。
自分の予想が確かならば、真似た人物は、少なくともルーカスに気がある人物である。
(一緒に行動なんてしたら、余計な恨みを買う気がするな……)
彼女はそう思ったものの、確かにルーカスの言うように、自分は事務方と親しすぎる。
一人で動いて潔白を証明するのは難しい。
出来ればルーカスと二人で動く、という状況は回避したいものの、名案は浮かばなかった。
(そうだ……考えてみれば、私の筆跡を真似た人が、ルーカス様のことを思うならば、二人で行動することで動揺を誘うことができるかもしれない!)
動揺を誘えれば、証拠を見つけて突き付ける際に、相手がミスをする可能性が上がる気がした。
とはいえ、余計な恨みをさらに買うことは間違いない。
彼の良縁の妨げになるかもしれないと考え、確認することにする。
「ですが、ルーカス様まで巻き込んでしまいます。私といることで妙な噂をさらに立てられるかもしれません」
「私は受取人ですし、もう噂は立っています。いまさら一つ二つ増えたところで、変わることはないでしょう」
さらっと笑顔で言われ、リリアーナは体勢を崩しそうになる。
噂を一つ立てられた程度では動揺することはない。
そう言い切る彼を心強く思う。
(ルーカス様は私と違い、日頃から注目されているお方。もしかすると私以上にこういった迷惑を被る機会が多いのかもしれない)
彼女は一人納得し、遠慮せずに頼ることにした。
「ではよろしくお願いします」
「喜んで」
そう答えてルーカスは手紙を丁寧に畳み、封筒にしまってから立ち上がった。
「まずは現状を確認しましょう。偽の恋文の作成者は、あなたの文章を見る機会が多い者である。そうでなければ筆跡や癖を真似できない」
「家族以外であれば、やはり慈善委員会の方々や事務方の皆さんですね」
「かなり精巧に真似ていますから、最近、資料を閲覧している可能性がある。誰が見ているか確認しましょう」
「そうしましょう」
手紙の話を聞いた時、これまで受けたことのない悪意を向けられ、リリアーナは不安だった。
誰が何の目的でこんなことをしたのか。
なぜ自分が標的にされたのか。
わからないことばかりである。
けれど今は、ルーカスがいてくれる。
彼はただ味方してくれるだけではない。
意見を交わし可能性を考えてくれた。
一人ではないことが、これほど心強いとは思わなかった。
「協力してくださり感謝しますわ。ではさっそく確認に」
「感謝されるのはまだ早いですよ。何も解決していない。それに先ほども……」
そう言いかけてルーカスは天井を見上げた後で視線を戻し、ポケットに手を入れた。
「まさかこんなことになるとは思わず、言い忘れていたことがあります」
リリアーナは嫌な予感がする。
「実は、先ほど会議前に私の部屋に封筒が置いてありました。まだ見てはいないのですが……」
彼は先ほどまでテーブルにあったのとは違う、薄いクリーム色の封筒を取り出し、テーブルに置くと彼女の前に差し出してきたのだ。
「薄いクリーム色の封筒って珍しいですね」
「ええ。実はこの色は私の好きな色なのです」
(ルーカス様の好きな色を知っているなんて……よほど彼のことが好きなのね)
複雑な気持ちを抱きつつ、見なければ先に進めないと覚悟を決めて、手に取る。
◇
二通目は、一通目よりも親しげだった。
――今日、あなたと二人きりでお話し出来るよう、計らってください。私の胸の内を打ち明けさせてください。
「これは……」
「困りましたね」
ルーカスの声にも、わずかに疲れが混じっていた。
二通目には、実際に会って告白する段取りが記されている。
そして今、本当に二人きりで同じ部屋にいる。
明らかに誘導されていた。
「相手は余程の策士ですね」
「そうですね。それに二通目の手紙の内容も伝わっているとすれば……」
「ますます本当らしく見える」
「まさに計画通りと言ったところですね」
顔を見合わせた。
あまり笑える状況ではないのに、同じことを考えていたと分かると、少しだけ気持ちが軽くなった。
出来ればもう少し話したかったが、長く会議場に二人きりでいると、手紙の内容が本当だったと思われるだけでなく、さらに尾ひれがつきかねない。
そうは考え、リリアーナはルーカスにも伝える。
彼も同意して封筒をポケットにしまい、二人は一旦会議場の外へ出た。
「あっ」
会議場を出たところで声があがる。
多くの人がまだその場に残っており、視線はルーカスとリリアーナに釘付けになった。
少し間があってから、最初にリリアーナに声をかけた令嬢とは、別の令嬢が近づいてくる。
「まあまあ、お二人でどんな話をしていたのでしょうか。熱い愛の言葉でも交わしあっていたのでしょうか。やはりあの恋文は本物……」
「違います」
ルーカスは皆まで言わせず、素早く静かに強く否定する。
「今日、リリアーナ嬢と二人きりになったのは、手紙の内容を確認するためでした」
「それで本当だったから、なかなか出てこなかったんじゃありませんこと?」
「彼女の名前を使った手紙が私に届いている以上、私にも確認する責任があります。そしてそれに対して真摯に返答する責任も」
周囲がざわめく。
ルーカスははっきりと言い切った。
一緒にいたことは事実。
だがそれは皆知っていたことであり、示し合わせて隠れて二人きりになったわけではない。
そして恋文を書いたことも事実ではない。
正確な情報を整理する必要があった。
「ルーカス様まで妙な噂を立てられてしまいますわよ?」
「私は何も気になりません」
意地悪く問いかける令嬢に対し、ルーカスはあっさりと言ってのける。
リリアーナは驚き思わず彼を見た。
本人は、涼しい顔をしている。
その言葉の意味について考えかけたが、すぐにやめた。
今は事件の方が先だ。
リリアーナは二通目を読み返す。
そして、ある一節で手を止めた。
「……待ってください」
「何か?」
「ここです」
指で示す。
「北区第三倉庫、という部分です」
「それが?」
「その名前の倉庫は、もうありません」
「ないのですか?」
「半年前に名称が変わりました。今は北区共同倉庫です。一時的に使う名前なので、分かりやすいものをと私が考えたんです」
慈善委員会では、そこから毛布や保存食を配分している。
第一と第二は改修工事に入ると言われ、リリアーナはその名称変更を担当していた。
名称変更に伴い、帳簿も現在の名前へ改められている。
だからあの手紙の差出人が、彼女であれば旧名を書くはずがないのだ。
「私が書いたのであれば、旧名は使いません」
「では、この人物は」
「恐らく資料を確認しています。なぜなら倉庫の名前を憶えている人は少ないですし、最新の資料では修正が行われておらず、資料上はまだ『北区第三倉庫』のままですから。」
貴族の令嬢が倉庫の名前まで憶えているとは考えづらい。
そう推理したリリアーナだったが、自分が変わっているのかもしれないと思い、少しショックを受ける。
対してルーカスの表情は変わっていた。
今度は彼が、リリアーナを見る。
「言われてみれば、確かに名称変更の届け出がありましたね。それもあなたが申請していた。私としたことがそんなことを忘れるなんて、とんでもない失態だ」
「いえ、普通は倉庫の名前なんて気にも留めませんから」
委員会の財務にも詳しい彼なら、何でも気づくような気がしていた。
けれどそうではない。
自分の方が分かることがある。
ただ彼に助けられるだけではない、そう思えて嬉しかった。
「資料の閲覧者を見れば、手掛かりが得られるかもしれません」
「では私が確認してきます」
「リリアーナ嬢を一人で行かせるわけにはいかない。明日の朝、一緒に確認しましょう。皆さん、帰宅してください。私は残って会議場の戸締まりをしてから帰宅します。解散!」
議長であるルーカスの言葉に、誰も逆らうことができず、全員その場を後にする。
リリアーナも皆と共に会場を後にしたが、一緒に、と言った彼の言葉に、心はざわついていた。
◇
翌朝、ルーカスを待たせまいと、リリアーナは朝一番に委員会事務所へ向かった。
すると初老の事務長から、一通の通知を差し出され驚愕する。
「こ、こんなことって……」
「リリアーナ様申し訳ありません。事が事ですので」
慈善委員会の内部情報を、私的な恋文に利用した可能性があると、匿名の通報があった。
事実関係が確認されるまでの間、リリアーナによる帳簿及び機密情報に関する内部資料の閲覧を禁ずる。
そう記されていた。
「私は書いていません!」
「話は伺っておりますが、匿名とはいえ事務処理にもかかわること故、委員会として何もしないわけにはいかないのです。どうかご容赦ください」
事務長とは長い付き合いで、事務処理のため遅くまで一緒に作業したこともある。
実直な仕事ぶりで定評のある彼が、閲覧の可否に私情を挟んだりはしない。
だからこそ、無理やり見ることはできなかった。
それにしても噂だけならまだいいと思っていたが、仕事にまで影響が出始めている。
このままでは何をされるかわかったものではない。
リリアーナは身の危険を感じた。
「おはよう事務長、リリアーナ嬢」
どうすればいいかと考えていた時、後ろから声が聞こえ振り返ると、ルーカスが来ていた。
「ルーカス様、おはようございます」
「リリアーナ嬢、通知を私にも見せてほしい」
「どうぞ」
「……これなら報告書や閲覧名簿の確認をするくらいはできるはずだ。違うかな?」
「確かに」
「あと、万全を期すために、指定したものを事務長が用意し、私が確認してから彼女が見る。こうすれば問題ないのではないだろうか」
「ルーカス様に確認していただけるのであれば、問題ありません。さっそくご用意いたします」
やった! と内心喜びつつ、ルーカスに対して頭を深く下げる。
「まったく責任感の強い方だ」
「え?」
「私に迷惑をかけまいと、一人で早く来たのでしょう? そう思って早く出てきたのですが、あなたの方が早かった」
「も、申し訳ありません」
「とんでもない。私が甘かった。ご婦人をお待たせするなど、あってはならないことです」
「私が先走っただけですから」
「ではお互いさまということで、約束通り、一緒に確認しましょう」
ルーカスの言葉にリリアーナは、先ほどまでの不安が嘘のように軽くなっているのに気づいた。
◇
事務長から渡された閲覧名簿を確認し、ルーカスは候補者を三人にまで絞った。
三人とも旧名称の倉庫関連資料を閲覧した記録がある。
その一人に、セシリア・ローデンの名があった。
「セシリア様……」
昨夜、自分を最初に庇ってくれた人物だ、とリリアーナは気づく。
―本人が違うと言っているのだから、何かの間違いかもしれない。
(彼女の言葉に助けられたと思ったのに……)
そう考えたがすぐに頭を振る。
まだ彼女が犯人だと決まったわけではない。
なぜルーカスへの恋文を偽装し、内部情報を私的に利用した者に自分を仕立て上げたのか、それが分かるまでは。
「三人とも条件は同じです」
ルーカスはリリアーナの考えを察したのか、そう諭すようにいった。
「閲覧記録だけでは証拠になりませんね」
「ええ」
リリアーナは考える。
発端になったのは手紙だ。
あの文章は自分の筆跡に似ていた。
何か違いはないか。
――あなた様のお力が必要でありますから。
ふっと頭に偽の恋文の文面が浮かぶ。
私は、必要でありますから、などとは書かない。
どこかで間違えて覚え、そのまま身についてしまった癖だろう。
ならば報告書などに記載があるかもしれない。
頼めば見せてもらえるだろうけど、先ほどルーカスが言ったように万全を期する必要がある。
隣には彼がいてくれるのだから、助けを借りて用意してもらおう。
そう考えリリアーナはルーカスを見て言った。
「三人が書いた報告書はありますか」
「ありますが、何を調べるのです?」
「文章です」
「……わかりました。事務長、私に三人の書いた報告書をもらえますか?」
「はっ、直ちに」
事務長は手慣れた様子ですぐに報告書を用意してくれる。
そろった三人分の報告書を並べて確認した。
一枚目。
違う。
二枚目。
これも違う。
三枚目のとある部分で目が止まる。
報告書の主はセシリアだった。
「ルーカス様」
「はい」
「ここを見てください」
指で示す。
―必要でありますから、早急な確認をお願いいたします。
「『でありますから』」
偽恋文を開く。
――あなた様のお力が必要でありますから。
一度なら偶然でもおかしくない。
だが、セシリアの報告書では同じ癖が何度も出ている。
リリアーナの指摘した場所を、ルーカスが改めて偽恋文と並べ確認した。
「確かにあなたの言う通りですね。この書き方は独特の癖である可能性が高い」
「ただ、残念なことに確実な証拠ではありません」
「それでも本人に確認する理由にはなります」
ルーカスは報告書を閉じて事務長へ返し、偽恋文をしまう。
「リリアーナ嬢が気づいてくれたからこそ、漠然とせずセシリア嬢に訊ねることができる」
「ルーカス様が協力してくれたからこそです。私一人では閲覧しても疑われたかもしれない」
二人の間に沈黙が訪れる。
どちらが欠けてもたどり着けなかった。
誰かと協力してたどり着けたことが、リリアーナには嬉しかった。
「セシリア様に確認しましょう」
「はい」
◇
その日の午後、さっそくセシリアを委員会の応接室に呼び出し、偽恋文について訊ねる。
「私ではありませんわ」
セシリアはきっぱりと否定した。
次に倉庫資料を閲覧したことについて訊ねる。
「倉庫資料を閲覧したのは事実です。でも、それだけでしょう?」
「その通りです。ですがもう一つ、あなたの報告書を確認したところ、あなたが使う文章表現と似ている点もあります」
ルーカスは資料閲覧の件について、セシリアの主張を認める。
だが今度はポケットから手紙だけを取り出し、該当部分を指で示した。
「そんな言葉、私だけが使うものではありませんわ」
セシリアの指摘に対し、完全に否定しきれなかった。
明確に誤りではないものの、独特の癖であると言わざるを得ない。
だが間違いなくそれがセシリアだけの癖だ、という証拠がない。
リリアーナは攻めあぐね、それを見透かしたのかセシリアは鼻を鳴らす。
「私を疑っていらっしゃるの?」
「確認しているだけです」
「昨夜はあなたを庇ったのに」
そう言われると辛いなとリリアーナは思ったが、そこで折れるわけにはいかない。
「ですから、違うのであれば確認して終わらせたいのです」
事態は、偽恋文を出したというだけでは済まなくなっている。
疑惑が晴れなければ、慈善委員会の活動もできない。
何より内部情報を漏らした者として、国から査問にかけられるかもしれない。
どうしても犯人を見つけなければならなかった。
現在、彼女だと疑う材料はあるが、これだけでは決め手にならない。
「二通目の青い封筒の話ですが……」
突然ルーカスがそう切り出した。
二通目の封筒は青ではなかったはずなのに、とリリアーナが思っていると、
「違います! 青ではありませんわ! 薄いクリーム色です!」
なぜかセシリアが強く否定した。
そして記憶が確かなら、彼女の言う通り薄いクリーム色である。
「その通りです。青ではありません。私の好きな、薄いクリーム色の封筒です」
ルーカスはポケットから封筒を取り出して見せた。
「あっ!」
セシリアの悲鳴にも似た声が響き、部屋は静まり返る。
二通目は、ルーカスの部屋に置かれていたもの。
昨日、会議場にいたリリアーナ以外には見せていない。
「どうして色をご存じなのですか」
ルーカスの問いに、セシリアは答えなかった。
「私は二通目の封筒について、差出人と言われたリリアーナ嬢以外、誰にも見せていません」
追いつめることはせず、静かに問う。
根負けしたのか、しばらくしてセシリアの肩から力が抜けた。
「……あなたが悪いのよ」
彼女が見たのはリリアーナだった。
「私ですか」
「いつもルーカス様の近くにいて」
「委員会の仕事でお会いしていただけです」
「でも、ルーカス様はあなたばかり見ていた!」
リリアーナは言葉を失った。
思わずルーカスを見る。
彼はリリアーナを見ず、否定せずにまっすぐ前を見ているだけだった。
「あなたなんて、公爵家に取り入ろうとしている女だ、と思われればいいと思った。それならルーカス様だって、あなたのことなんて何とも思わなくなる」
そのために、リリアーナの名前と文字を使った。
(まさか勘違いの八つ当たりで、こんな騒ぎにまきこまれたなんてね)
リリアーナは辟易したが、なんとか疑惑を晴らせそうでほっとする。
ただ一つだけ、彼女に対してはっきり言っておく必要があった。
「何度も言うようですが、私からルーカス様に近づいた事実はありません。あなたにはなぜかそう見えていたようですが」
「あなたには分からないでしょうね」
セシリアは、泣きそうな顔で笑った。
「ルーカス様が、どれだけあなたのことを見ていたかなんて」
好きな人が自分とは違う女性を目で追っている。
近くにいてそれに気づいたのなら、それは辛いだろうなとリリアーナは理解した。
ただルーカスがまさか自分を見ていたとは思えず、確認するように彼を見る。
だが今度もルーカスは否定せず、ただ前を見ているだけだった。
◇
数日後、セシリアは慈善委員会を自ら外れる旨を、手紙で事務方に伝えてくる。
また彼女の手紙には今回の件の詳細と共に、匿名の通報も自分が行ったと記されていた。
それによってリリアーナの疑惑はすべて払しょくされる。
だが本来であればセシリアのしたことは、何らかの処分が下されてもおかしくない問題だ。
ルーカスとリリアーナの父、そしてセシリアの父で話し合い、さらに宰相にも報告をあげ、判断を仰いだ。
結果はすぐに出た。
セシリア自身の意思による退任ではなく、国の決定による退任にすること。
そしてリリアーナへ正式に謝罪し、事実関係を公表することで済ませるように、というお達しが出た。
こうして一連の事件は幕を閉じる。
「リリアーナ嬢」
委員会の建物を出ようとしたところ、リリアーナをルーカスが呼び止めた。
「委員会お疲れさまでした」
「ルーカス様もお疲れさまでした」
ルーカスが追い付くと二人で歩き出し、互いに労い終えると会話が止まる。
だが二人の足は止まらなかった。
リリアーナは馬車を呼ばずに、明るいうちは毎回歩いて帰宅している。
ルーカスは普段は歩くことなどなく、馬車で帰る。
それを互いに知っていた。
(世間話をすると言っても、何を話せば良いのかしら……)
そう考えていた時、事件の中で気になっていたことがあり、それを彼に聞くことにする。
「ルーカス様、一つお訊ねしてもよろしいでしょうか」
「答えられることであれば」
「最初の偽の恋文なのですが」
「はい」
「報告書を読んでいたから分かった、というのは本当でしょうか」
「なぜそう思うのですか?」
「私は家の帳簿もつけているので、報告書は必要最低限のことを書くように、と父にしつけられています。なのでそんなに違うのかなと思いまして」
ルーカスは都合の悪いことを聞かれると、黙って前を見るだけという癖がある。
事件で発見した癖だが、今もそれをしているのを見て、リリアーナは少し可笑しくなった。
「何か面白いことがあったでしょうか」
「ごめんなさい、少しおかしくて」
「気になりますね」
「本当に何でもないんです」
今度はルーカスが困った顔をした。
やがて諦めたように息を吐く。
「報告書の話ですが、確かにあなたは必要最低限のことを書いていました。ですが、たまに思いが溢れて、にじみ出ている時があるのです。そんなあなたがあんな情熱的な文章を書くはずがない」
リリアーナはそう言われ、気恥ずかしくなり視線が泳ぐ。
(まさか私にもそんな癖があったなんて……)
今まで事務的な報告書を心掛け、やり切った感じになっていたことが余計彼女を恥ずかしくさせた。
「私はそのにじみ出ているあなたの本心を読むのが好きでした。読むと、そこにいないあなたが何を好きで、何を大切にしているか知れる気がして……」
普段とほとんど変わらない話し方。
けれど、耳が少しだけ赤い。
「なので何度も報告書を読んでいたんです」
「わ、私の言葉遣いを覚えていたのはそういう理由なのですか」
「はい……」
確かに周囲から見ても、自分は情熱的な文章を書く人間には見えないだろう。
ただ恋愛において奥手だし、見合いの誘いもないのは事実だった。
初めて惚れた相手なら、情熱的な文章を書いても不思議ではない、と周囲に思われたからこそ、今回の騒ぎになったのだろう。
それはそれで不快な気持ちになった。
だけどルーカスは、文章を見て絶対に違うと信じてくれた。
それはそれで答えに困る。
「困りました」
隠しても仕方ないので率直にそう伝えると、ルーカスの顔が強張った。
「ご、ご迷惑でしたでしょうか。確かにそんな細かいところに気付くなんて、と思われても仕方がないとは思うのですが……」
「いいえ。ただルーカス様ばかりが、私に詳しいのが少しずるいな、と思っただけです」
これまでリリアーナは、聡明で凛としていたルーカスしか知らなかった。
だが今横にいる彼は、瞬きが少し多くなり言葉を失っている。
しばらくしてルーカスは足を止めた。
リリアーナもそれに気づき足を止め、振り返り彼を見る。
「で、では、一つお願いがあります」
「なんでしょう」
「ぜひ私にのみ宛てた手紙を書いていただけませんか?」
「こ、恋文ということでしょうか……?」
「そ、そこまではまだ申しません。本当に、何でもない普通のことで結構ですので」
「では今度書いてみますね」
「是非、お待ち申し上げております」
とても丁寧な言葉で返すルーカスに対し、
「私、筆が遅いかもしれません」
少し意地悪をしてみたくなったリリアーナがそう言うも、
「構いません」
真面目に返すルーカス。
彼女は生真面目で人気者の彼に、どんな手紙を出そうか。
いきなり恋文でなくてもいい。
いつか恋文になったら素敵だな。
それに気づいてくれるかなと思いながら、二人で家路に就くのだった。




