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公爵閣下の装飾品

作者: 加上汐
掲載日:2026/02/19

 一体どうしてこんなことになったんだっけ。


 今日は朝から忙しかった。いや、忙しかったのは今朝どころかそのずっと前からだが、特に忙しかった。

 なにしろ婚礼だ。しかも貴族の――この国においては王族に次ぐ立場である公爵閣下の結婚式である。豪華な衣装に身を包み、大して知りもしない公爵閣下の隣に立ち挨拶をするだけの機械(からくり)と化していた。何か腹に入れた記憶もないが、空腹を感じることもなかったからますます機械っぽい。

 そして式と披露宴が終わり、招待客を見送ると二人で部屋に向かった。


 寝室。そう、夫婦の寝室だ。

 初めて入るその部屋は広かった。我が家の主寝室の数倍はあろうかという広さ、応接室でもないのに備えられている立派なソファ、壁を飾る大きな姿見。そして何よりベッドが巨大だ。こんなに巨大なベッドの寝具を探すのはさぞ大変だろうと思い、いや公爵家なら全部オーダーメイドかと思い直した。

 公爵閣下は入り慣れているようにスタスタと奥まで進んでいく。侍女が一礼して下がってしまったので、本当に二人きりだ。急に緊張してきた。

「座りたまえ」

 ベッドではなくソファに座った公爵閣下はそう促してくる。そのあと小声で何か言っていたが聞き取れなかった。緊張のせいかもしれない。

 とりあえず言われたまま腰を下ろす。向かいの公爵閣下はひどく、難しい顔をしていた。初夜にする顔ではない。あー、これ何か良くないことを言われるんだろうな。直感的に思った。


「……まず」

 はい、と頷く。とっとと用件を聞くためだ。

「君と寝ることはない」

 ばっさり。そんな感じだった。

 初夜である。夫婦のはじめての夜である。つまりあれやこれやして、正式に夫婦になりましたよーってする日に、寝ない。営みをしないってことですね。

 ため息が出そうになりそれを堪えた。

「質問よろしいですか、閣下」

「うむ」

「それはこの先永遠にですか?」

 何せ事前に伝えられていないのである。尋ねると閣下はパチクリと瞬いた。ちょっとかわいかった。

「いや?それでは我が家を継ぐ者がいなくなるだろう」

 何当たり前のこと言ってんだ、という感じで言われる。そうですか。つまり、だ。

 デリケートな話題になるが、そもそも寝ないとか言われる時点でガラスのハートは粉々に砕け散っている気がする。気にするのはこっちだけか?あーあ。

「では、いつになればよいのですか。ええ、いえ、意味はわかっております。閣下のご都合がおありでしょう」

 ちょっと嫌味っぽい言い方になったのは言葉足らずなのと先に話を通してほしかったという当てこすりだ。閣下には全く伝わっていないっぽいけど。

「そうだな、君に仕事を任せられるようになってからだ」

「……なるほど」

 筋は通っている。納得した。

 仕事を任せることができなければ子作りもできない。閣下の都合を考えるとなるほど理解できる事情だ。

 顔を上げて改めて閣下の姿を眺める。

 白い礼服は婚礼衣装だ。引きずるほど長いヴェールが不思議なくらい綺麗にソファにかかっていて、まるで一枚の絵画のようだ。座った姿勢からは気品というか、そういうものを感じざるを得ない。田舎子爵家とは大違い、何せ公爵閣下である。


 ――そして今は、俺の妻となった人。リカルディア・ゼクンド公爵閣下を不躾に思われないくらいに眺めた。


 ああ、ホントなんでこうなったんだっけ。

 こんな、――俺にめちゃくちゃ都合のいい幸運が転がり込んでくるなんて!


 *


 俺の実家であるところのトリセルタ子爵家の領地はそこまで立派ではない。貴族として相応に暮らしていく分には問題ないといったところで、結婚もその辺の貴族の子息とするだとか、そんな感じである。一応派閥には属しているが、敵対派閥の家でなければ大した問題にはならない。

 しかしトリセルタ子爵家長男の俺の婚約はそうならなかった。なぜなら、この顔だ。

 俺は父と母によく似ているが、二人の容姿の優れているところだけを抽出したような顔立ちをしている。つまるところものすごく美形なのだ。目を惹く、と言ったらいいのか。行く先々で注目を浴びてしまう、そんな顔をしていた。

 そうなると何が問題かというと、派閥の中でも結構な力を持った伯爵家のご令嬢に惚れられてしまったのである。しかもそのご令嬢は一人娘。ご令嬢に甘い伯爵の手によりあれよあれよという間に婚約者に仕立て上げられてしまった。


 とはいえこれは悪い話ではなかった。ご令嬢は爵位を継ぐ気はないらしく、俺は入り婿伯爵になれるのだ。

 長男を持っていかれた家族、というか祖父は大層立腹していたがどうしようもない話だ。母は早世してしまったため、もう一人男児を、というのは父が後妻を取るのを嫌がり、結果として姉が子爵家を継ぐことになった。

 俺は未来の伯爵、姉は子爵である。きょうだい仲は良かったので俺たちは競い合うようにして領主となるための勉学に励んだ。


 そのうち姉は父の手伝いをするようになり、俺も俺で伯爵家で仕事を叩き込まれた。そっちが本題なのか、ベタベタと擦り寄ってくるご令嬢とのお茶会が本題なのかはわからなかったが。

 ご令嬢がいくら俺を気に入っていようと格上の伯爵家で礼を失した振る舞いをするわけにもいかない。少し面倒だったがこれも伯爵位を手に入れるためだ。

 仕事を教えてもらえるのは楽しかったし、どんなふうに産業を盛り上げ税収を上げその金でさらに還元をして運営をしていくかを考えるのも好きだった。姉と一緒だったのもよかったのかもしれない。俺たちはすっかり領地経営にハマっていた。


 真面目に取り組む俺を伯爵家側もよく思っていたはずだ。――はずだった。


 最初におかしいと思ったのは俺が伯爵家を訪れてもご令嬢に会う機会が少なくなったことだ。まあ、それも忙しいのかななんて呑気に思っていた。どれだけ頻繁であっても、礼儀として訪れるたびに花とか手土産を用意していたから、そんなに心配していなかった。

 次におかしいと思ったのは伯爵の態度だ。それまでは将来の息子だとか言っていたのに、妙によそよそしくなったのだ。それも気のせいかと思ったが。


「ねえ、あんたの婚約者最近浮気してるっぽいけど。知ってる?」

「はあ!?」

 姉上にそんなことを言われて驚いた。

「浮気、って……どういうことだよ」

「それがセプティマ侯爵の孫息子と恋仲らしいわよ。次男のほうね」

「いや……知らんけど。それ、ヤバいな」

「ヤバいわね」

 姉上と二人、見つめ合う。セプティマ侯爵家といえば肥沃な農地を持つ豊かな貴族であり、婚約家のキンセー伯爵家としても結びつく価値のある相手だ。それにもう恋人の仲までいってるなら娘に甘いキンセー伯爵が俺との婚約を解消する可能性もある。

「まあ婚約解消ならいくらでも別の婿入り先探せるんじゃない?あんたの顔に惚れてるコならたくさんいるし」

「そうかなあ……。キンセー伯爵領がよかったんだけど。あの山の資源とか養蚕とか、ああ水も良かったから造酒業試したかったのにな!」

「仕方ないわよ。諦めなさい」

 姉上が慰めてくれてるんだか突き放してるんだか声をかけてくる。しかし俺に惚れてるコがいる、というのは多分本当だ。この顔さえあればまた新しい領地を手に入れることができる。やってみせる!


「シエン・トリセルタ!トニアと貴様との婚約を破棄する!」

 ……セプティマ侯爵の孫ことセシエテ卿がこんなことを言ってきたときには正直気絶しそうだった。

 場所はキンセー伯爵家、婚約者の誕生日パーティーの場である。そんなところでこの婚約破棄がプレゼントだよとばかりに突きつけてこないでほしい。いやいや、ちょっと待て。

「お待ちください、セシエテ――」

「貴様はトニアを蔑ろにし、暴言を吐き、あまつさえ襲おうとした!」

 婚約破棄というのはこっちに瑕疵がないとできない。俺はそんなつまらんミスをしていないはずだ。そう言い返そうと思ったのになんか変なことを言い出した。

「何をおっしゃるんですか!?私がトニア嬢を襲おうとしたなんて言いがかりです!そんな事実はありません!」

「黙れ!トニアの名前を呼ぶなこの下郎!屋敷の者から証言は取れている!」

 俺は悟った。これは最悪の茶番だ。伯爵家ぐるみで俺を性犯罪者に仕立てようとしているというわけだ。

 そうしたい理由はいくつか思い浮かぶが、一つは違約金を払いたくないのだろう。片方の事情で婚約解消となると違約金を払う必要がある。まさかキンセー伯爵がそこを渋るとは思わなかった。

 あと、バックにセプティマ侯爵家がついているから強気になっているのだろう。派閥の下位貴族なんていくらでも黙らせられると言ったところか。全く胸糞悪い話だ。

「……誓ってそのような行いはしていません。名誉を汚され黙っているわけにいくものか。非常に不愉快だ、我が家から正式に抗議させていただく!では」

 ここで怒鳴り合っていても埒が明かないので早々に帰ることにする。しかし無事にはすまなかった。


「お前がシエン・トリセルタか!」

 会場を出たところで暗がりに引き摺り込まれた。身なりのいい複数の男たちが尻餅をついた俺を見下ろしてくる。正直どの顔も見覚えがある貴族の令息だった。

「そうだが」

「トニア嬢に危害を加えたなんて男の風上にもおけねえ!」

「そうだそうだ!ほかの令嬢もお前に酷い目に遭わされたと言っていた」

「その顔で女性を誑かしたんだろう!」

「ぐっ!」

 嫌な予感ほどよく当たる。俺は蹴り上げられた顔を咄嗟に庇った。だが、冤罪をかけられて黙っているわけにもいかない。

「そんなことをしていないしする必要もない。冤罪で暴行とかどうなっても知らないぜ、お坊ちゃんども」

「ハッ!偉そうに吠えやがる!やっちまえ!」

 貴族の子息のくせにごろつきのような言いがかりに笑ってしまったが、ぶっちゃけ抵抗はほぼできなかった。いや俺も貴族子息だから鍛えることとかしてないんだよな。せいぜい二十四時間働くのに問題ない体力をつけていたくらいだ。

 そんなわけでボロボロになって帰宅した俺だったが、さらに悪い知らせが待っていた。


「ならん。セプティマ侯爵家に逆らうなど……!」

「父上!なぜです。あれが狂言であることは明らか、事実を詳らかにすることは可能なはずです!」

 なんと父がセプティマ侯爵にビビって抗議しないとか言い出したのだ。勘弁してほしい。姉上も目を吊り上げて怒っている。

「父上。セプティマ侯爵家がなんだというのです」

「だが、慰謝料など大した金額にもならないだろう。ここで逆らって叩き潰されでもすれば……!」

「金などどうでもよろしい!誰もそんな話はしていない!あなたはシエンが性犯罪者の汚名を着せられてよいというのですか!シエンがこの先どんな思いをするとお考えか!現に謂れもない罪で暴行を受けたのですよ!ふざけないでいただきたい!」

 バン!と姉上がテーブルを叩いて詰め寄るが、結局父から抗議をするという言質は取れなかった。当主である父が抗議しないと言えば、正式な抗議は出せないのである。


 姉上と俺は二人で執務室を出て同時に深いため息をつく。

「シエン。……どうする?」

「どうすると言われてもなあ」

 一夜にして人生転落にも程がある。ボコボコにされた俺を慮った姉上の提案で部屋に移動し二人でベッドに腰掛けた。

「……あんたがここにいるの、正直ヤバいわよ」

「わかってるよ。姉上にとっても迷惑だろ」

「うん」

 歯に衣着せない返答にまたため息をつく。姉は俺にだけは容赦ない。父上にも厳しいが。

「絶対俺に爵位継げって言ってくるよな、お祖父様」

「言うわね。それ困るんだけど、かと言って今のあんたを拾ってくれるところなんてね」

 姉上は絶対に爵位を譲る気はないのだろう。俺もそれでいい。姉上の努力を知っているからよこせなんて今更言えない。

 しかし祖父は面倒な人で、どんな瑕疵があっても男児がいればそっちに爵位を継がせたがる。父があんなんだから口出ししてきたら避けるのは難しい。なので俺が姉上の下で働くことは無理だ。

 それで、もともと考えていた婿入りプランだが……これも俺が婚約者に暴行し婚約破棄されたという評判がついてしまうことを考えると少なくとも同派閥の貴族だと無理がある。つまり詰み。

 今から官吏になろうたってこれも評判が悪いのが枷になるし、そもそも領主とは規模が全く違う。ぶっちゃけやる気出ない。今すぐに気持ち切り替えるのなんて無理だ。

「なによりあんたの汚名は絶対に晴らさなきゃいけない。どっか別派閥の高位貴族にアテができれば……」

「そんなアテって、簡単に言うけどな」

「私は弟が性犯罪者とか言われるの絶対に嫌なの!わかる!?」

 それは俺もそうだ。そんで家族の中で俺のために憤ってくれるのは姉上だけだ。

「……わかるよ。ごめん、姉上」

「あんた悪くないじゃない。悪くなんかないよ。絶対、私が知ってるんだから」

「うん」

 震える声で言う姉上の目元を拭ってやると、「鼻垂れて泣いてるくせにかっこつけんじゃないわよ」と笑われた。うるせえ。


 ぐずぐず泣いてても事態は変わらない。俺はとっとと婚活情報集めでもしようと思ったが、この殴られた顔では悪い意味で目立ちすぎてかなわない。ヒソヒソと陰口を叩かれるのもいい気分ではなかった。いろいろショックなのもあって精神的に参っていたと言っていい。

 そんなある日、突然姉上に呼び出された。

「怪我どう?」

「だいぶマシになってきた。俺の取り柄は顔だけなのに酷いことするよな」

「そんなこと思ってないくせに。ま、アザはまだあるけど大丈夫そうね。これくらいなら化粧で隠せるわ」

「何が?」

「明日大事な取引先のところに行くんだけど、あんたも顔売った方がいいでしょ?せっかくの美貌を活かしなさいよ」

「あー」

 なるほど、姉上も婚活もとい売り込みの場を用意してくれるらしい。その大事な取引先はどうやら別派閥、と言っても敵対しているというほどではない。セプティマ侯爵の支配下にはないならまだ望みがある。


 姉上の侍女が施してくれた化粧でアザを隠し、俺は社交の場に紛れ込んだ。取引と言ってもやはりパーティーが主体だ。今日は相手先の伯爵当主の誕生日なのだとか。

 ばっちり下調べをした俺の狙いは大体決まっていた。

 大物狙いは厳しい。だから男爵家の後継ぎくらいがいい。後継ぎと結婚して俺が爵位を得なくたって問題はない。ただ仕事がしたいだけなのだから。とにかくある程度自分の裁量で運営できる領地が欲しい。

 もしくは当主が王都で仕事をしているような家の下のご令嬢なんかもいい。こういう場合、領地運営を親戚に任せているパターンも多いからだ。俺が仕事ぶりを認めさせることができればそういう採用の道も開けるだろう。本来は結婚しなくたってそういう仕事を探すこともできるが――まあ、今の悪評まみれの俺には顔を生かして取り入るくらいしか手段がない。

 キラキラした顔で俺を見てくるご令嬢を引き留める親御さんもいたが、何人かとは接触して踊ることもできた。感触は悪くない。大丈夫、俺は絶対浮気とかしないから。入り婿なんだから立場も弁える。優良物件ですよ、マジで。冤罪による誹謗さえなければ、なんだが。


 ――そんなアピールをしていたのが、よかったのか悪かったのか。


 コツ、コツ、と靴音が響いた。その人の存在は俺も知っていたが、挨拶をすることはないだろうと思っていた。

 だって相手は公爵閣下。俺は子爵家も継がないただの令息だ。次期子爵である姉上だってよっぽどのことがなければ挨拶できる相手ではない。

 なのに。

「そなたが次期トリセルタ子爵か」

「……!お初にお目にかかります、ゼクンド公爵閣下。次期トリセルタ子爵となりますシエル・トリセルタと申します。本日はこのような場にお招きいただき、公爵閣下御自らお声をかけていただけたこと光栄に思いますわ」

 姉上が美しい所作で挨拶をするのに俺も黙って倣う。この場では俺が何か言うことはない。

「ほう?次期子爵はそちらの者ではないのか?」

 ……が、こうも声をかけられるとは。一応チラリと姉上を見ると、姉上の方で対応してくれるっぽい。それが正しい作法だ。

「こちらは私の弟のシエンですわ、公爵閣下」

「そなたはよほど優秀なのだな、トリセルタ子爵令嬢」

「公爵閣下にお褒めいただき至極光栄に存じます。ですが……身内の自慢と思われるかと存じますが、弟も私と同じくらい優秀なのですわ」

「ほう?」

 ゼクンド公爵閣下も婚約破棄騒動のことはご存じのはずだ。それなのに聞いてくる意図がちょっとわからん。

 ここで俺がセシエテ卿の悪行を訴え無実だよアピールしてもな、セプティマ侯爵と積極的敵対をしていないゼクンド公爵閣下にはメリットが薄い。なんの土産も持たないのに露骨な擦り寄りは相手も良く思わないだろう。

 試されているような感覚にゾクリとする。俺はこういう緊張感が結構好きだ。話の通じそうな相手だからかもしれないが。


「シエン、と言ったか。先程何人かのご令嬢と踊っていたようだが、そなたに婚約者は?」

「お声がけいただき光栄に思います、閣下。婚約者がある身ではございません」

「そうか」

 ……そうか、ではない。ではない、が。

 まさか、そういうことなのか?

 俺は公爵閣下を眺めた。

 並んでみると公爵閣下は姉上より背が低い。なのにそのオーラか、この会場の誰よりも大きく見えた。ふんだんに宝飾をつけたドレスを完璧に着こなしているせいかもしれない。生地から宝飾から仕立てまで一流であろう、財をアピールするためのドレスをここまで当然のように着こなす人もそういない。

 肌の露出が少ないせいか、他のご令嬢やご婦人とは違ったが、閣下ご自身の雰囲気にあったドレスだと思う。意志の強い、権力者の自覚に満ちた瞳に惹きつけられる。有無を言わせない、とでもいうべきか。

 このパーティーでの俺の目的は顔を売り、少しでも悪印象を払拭することだ。だからここで躊躇う理由もなかった。


 俺では立場が不足しているだろうが、この顔を活かすだけでそれなりに形になってくれる。

 やや芝居がかった調子で、人目を集めるために声のトーンを少し上げて手を差し出した。

「恐れながら、閣下。麗しくあらせられるあなた、この夜もっとも高貴なる牡丹の君。どうか私にあなたと踊る名誉を与えてはくださいませんか」

「よい、許す」

 そして手を取りホールに繰り出す。俺が人生で二番目に真面目に踊ったのはこの時だった。


 どうしてこうなった。踊りながら思考を飛ばしてしまう。

 閣下がなぜ俺に声をかけたのか、いまいち理由は分からないままだった。

 公爵閣下は独身の女性である。もう十年も前に流行病で両親を亡くし、若くして公爵の位につかれた。昔は婚約者がいたとか、それにまつわる話も聞いたが突飛すぎて噂でしかないだろう。

 それから結婚するという話もなかったし、夜会で男性と踊ることもほぼなかったらしい。何せ王家に次ぐ地位を持つ公爵閣下その人だ、国王や王子であろうと彼女が断れば踊ることもかなわないだろう。

 あまりに雲の上の人すぎて閣下の夫の座を狙うなんて考えてもいなかった。それが向こうから声をかけてくるとは思わなかったので俺は普通に動揺した。

 俺のことを知っているということは、何かしらリサーチされているということだ。ならば顔を繋ぎ、好印象を与えることに注力すべきだ。なんにせよ閣下の派閥に引き入れてもいいと思われたい。


 自然な笑顔を保ち、閣下を丁寧にリードする。閣下の踊り方は自分が引っ張って型通りに進めたがるように感じたので、それの邪魔にならないように、というのが正しい。様にはなるが踊り慣れていないのだろうな。そりゃ十年も夜会で踊っていないのなら当然だ。

「そなたはダンスが得意なようだ」

「光栄です、公爵閣下」

「そう固くなるな。このように踊れたのは久々なのだ」

 断ってたのはそっちだと思いますがね。俺はニコリと微笑んだ。これは若い女性が喜ぶやつじゃなくて、年上に対する微笑みだ。さすがに公爵閣下相手にご令嬢に対するような態度は取れない。

 だがダンスの相手をしているのだ、まるきり仕事のような調子ではつまらない。少しは隙を見せてみる。

「私も閣下のようなお方のお手を取らせていただくのは初めてです」

「随分と力のある相手に好かれていたと聞いたが?」

 いやいや、伯爵家の総領娘といえどもただの令嬢とゼクンド公爵閣下を並べるのは不敬だし力が違いすぎる。わかって言ってるのだろうが。

「ご冗談を。それと、私の顔に見惚れぬ方と踊るのが初めてということですよ」

 そうとうに無礼な発言だろうが、この感覚は権力を持ちすぎる公爵閣下にも分かるものではないかと思う。ここまで話した感じでも閣下がこれを許さないとは思えなかった。

「はは、そなたのような美しいものと踊るのは令嬢にとっては至上の喜びだろうな」

「では、閣下にとってはいかがでしょう」

「知りたいか?」

「もちろんです」

 公爵閣下の意図を把握しなくては次の手が打てない。そのつもり――俺を伴侶に選んで良いと考えているのか、それとも派閥に加えるために見極めているのか。

 果たして公爵閣下はこう答えた。

「そなたが次も付き合うかどうかによるな」

 次――次のダンス。二回続けて、そして三回続けて踊るかどうか。連続して踊るダンスには意味がある。三回ともなれば男女の仲があると言っているにも等しかった。

 俺に選択の余地を残すとは意外だった。逃げるとでも思われてたのだろうか?心外だ。


 俺は結構欲深い。

 手に入れられるものが想像よりも上等で手に余る可能性があるとして、それだけで怯んだりはしない。


 シルクのグローブに包まれた閣下の手を握り込む。百戦錬磨のはずの閣下のわずかな表情の変化は俺に見せるためのものだろう。

「どうか私に付き合っていただけますか、閣下」

「――よい度胸だ。シエン・トリセルタ」

 理由はわからないが、これ以上悪くなることはない。俺は覚悟を決め、閣下を二曲目のダンスへ誘った。



 最終的に三曲立て続けに踊った俺はこの後手紙を通して公爵閣下に結婚を打診された。了承の意を伝えるとトントン拍子に話が進み、三ヶ月後に結婚式の予定が立てられた。公爵閣下の結婚としては異様に早いし、貴族全般で言っても普通はないスピード婚だろう。

 父は降って沸いた公爵家との婚姻にビビリにビビって使い物にならなかったため姉上が話を進めてくれた。ついでに使い物にならなかったことを理由に、公爵閣下の後ろ盾を得て、姉上は無理矢理父を子爵の座から下ろして襲爵してしまった。行動力がやべえ。俺でもそうするけど。

 そんで姉上は俺の婚約破棄の件で派閥を変えた上で正式に抗議すると約束してくれた。もちろんゼクンド公爵もバックについてくれる。何せ夫の名誉毀損である、傷がついたままでは困るのは公爵閣下も同じだ。


「あんたは表に出たらダメだからね。あの尻軽小娘、あんたに色仕掛けしかねないし」

「仕掛けられても無視するけど」

「今度こそ本気の罠にかけられたらどうすんの?一服盛られてもおかしくないわよ」

 そう言われると黙るしかない。俺は姉上にこの件を任せ、結婚式までは家で大人しく仕事を手伝っていた。

 ちなみに、人生で一番真面目に踊ったのは結婚式後の披露宴である。


 そして話は初夜の同衾拒否事件に戻る。


 仕事を覚えなければ子作りができないというのは、つまり仕事を代わりにできる人間がいなければ公爵閣下が安心して妊娠出産に臨めないということだ。

 子どもを産む女性にかかる負担は半端ではないから、閣下がそう考えるのは当然だろう。


 ――ここで重要なのは、他でもない俺にその代わりをさせようとしていることだ。


 伴侶として、公爵家の入り婿として当然ではあるのだが、俺に公爵当主代行をできるほどの仕事を叩き込もうとしてくれている!願ってもない話すぎる!テンションが上がった俺に公爵閣下は微笑んだ。今まで見たことのない微笑みだった。

「これで喜ぶのだな、君」

「期待をかけてくださることが何よりも嬉しいのです」

「はは、仕事熱心だとは聞いていたがここまでとは。どれくらいかかるか楽しみだな?」

 もし俺が使いものにならなくとも、仕事をこなせるよう部下を増員して分散化させるという手もある。それも将来的にはやらなくてはならないことだ。一人抜けるだけで回らない組織ほど非効率なものはない。

 だからその前に俺の存在価値を示さなくてはならない。リミットのある困難な仕事、大変よろしい!伯爵になるなんかよりずっと楽しそうな仕事にありつけるとは思ってもみなかった。

「もちろん、閣下のご期待に沿えるよう尽力いたします」

 いやー、婚約破棄されてボコられた時はどうなるかと思ったが人生何とかなるものだ!俺は有頂天になっていたので、部屋を辞そうとして「結婚初夜に妻を一人寝させるのか?」と引き止められ公爵閣下と同じ床についてももはや何も思わなかった。

 後になって思い返せば急に妻の立場に立ってそんなことを言ってくるなんて相当都合のいい話だ。とはいえ俺が部屋を出て行って勘繰られても嫌だしね。俺に利益がある限りは偽装でもなんでもさせてもらいますとも!


 *


 そんなわけで公爵当主代行の仕事を覚えるため毎日忙しく過ごしていた俺は、突然やってきた姉上ににこやかに「あのアホから賠償金ふんだくったわよ」と言われても何のことだか最初は思い浮かばなかった。

「え?あの橋の権利の件?」

「……はあ、あなたねえ。あなたの元婚約者の件よ!」

「あー!その話か」

 この頃には公爵閣下の夫として家の中でそれなりに扱われていたので姉上を応接室の一つに通して高級なお茶を出すのもスムーズだった。これ一番いいやつなんだけど、まあ姉上をもてなすにはこれくらいしないと足りないに決まってるしな。

「そういやなんかどっかで聞いたな。セプティマ侯爵が孫息子を放逐したとか」

「それそれ。セプティマ侯爵って厳しいお方じゃない?そんな方に無断であんなことやらかした上にゼクンド公爵閣下に目をつけられてお怒りだったそうよ」

「父上のビビり、ほんっとーに無駄だったな。姉上が爵位継げたからいいけどさ」

 全く、父上は肝心な時に使えない。母上が亡くなってからは見ていられないくらいだった。姉上が領地を回していなかったら領地経営もままならなかっただろうから没落まっしぐらだったぞ、本当に。祖父も口出ししてくるわりに実務やろうとなんかしないからな。肩の荷を下ろして二人仲良く僻地で暮らしているといい。

「セプティマ侯爵がマトモでよかったよ。で?俺の元婚約者殿はまた婚約がご破算になったわけだ」

「それがセプティマ侯爵のお怒りを買って結婚させられた後に二人で放逐されたのよ。つまりあの小娘は今や平民ってワケ」

 何と、そこまでとは。キンセー伯爵は跡取りをどうするんだろう?まあ伯爵はご令嬢に甘かったから援助はするだろうな、娘をあきらめても孫を当主にするくらいは考えるかも。となれば普通の平民よりは遥かに楽で豊かな暮らしができることだろう。

「あなたに暴行したボンクラ令息どもからも、もちろんふんだくったわ。きっちり顔を覚えられてるとは思わなかったみたいね」

「ははは、評判も落ちただろうねえ。なるほど、あっちの派閥の婚約がいくつか破談になったとかで慌ただしかったのはそれか」

 ていうか婚約者いるのにあんな逆恨み暴行かましたのかよって話だが、どうせセシエテ卿の腰巾着かなんかだったんだろう。当事者より悪いことになってるかもしれないな、こりゃ。俺が知ったことではないが。


 楽しく忙しくしていたのでもはや婚約破棄の件はどうでも良くなっていたが、落とし前がついたのならよかった。俺の汚名もないほうがいい。しかし公爵閣下も一緒に進めてたんだろうから進捗報告してくれてもよかったのにな。

「賠償金はあなたの個人資産にしていいと公爵閣下からのお達しよ」

「まあ金はあって困るもんじゃないしな。姉上の取り分はどんくらい?」

「弁護費用と手間賃は算出しておいたから確認してサインして」

「了解」

 今はゼクンド公爵家に入っている以上はそこはきっちり線引きしておかなきゃいけない。俺としては姉上が全額持って行っても構わないんだけどね。姉上も律儀だ。

 そう伝えると姉上は呆れたように言った。

「ゼクンド公爵閣下からの印象ってものがあるでしょうが。私はその辺ケチったりしないわよ」

「あー、信用は金じゃ買えないからな」

「そういうこと」

 渡された書類を確認してサインする。個人資産があるというのはいざという時に役に立つからな。そんな時が来ないよう祈ってるが。


 一段落つき、姉上は「こんないいお茶うちじゃ飲めないわ」と言いながらティーカップを傾けていた。その所作は前より洗練されていたので、公爵家と縁ができるにあたって準備したんだろうと思う。俺も高位貴族のマナーを叩き込まれたからな。

「それで、公爵閣下とはどうなの?」

 うちの応接室とはいえ侍従は控えている。俺の秘書みたいな役割をしてくれている彼に信頼を置いているが、それでも公爵家の人間だ。あんまり下手なことは言えない。

「上手くやってるよ。外からもそう見えるだろ?」

「あなたを相当気に入って連れ回してる、って言われてるわね。急な結婚も閣下の一目惚れとかなんとか。あなたの顔のせいだろうけど」

「俺の取り柄だからな。外野が勝手に納得できる理由を見つけてくれてよかったよ」

 実際のところ、閣下は俺の仕事の出来を見てくれたのだと思うが。歳を取れば取るほど妊娠・出産のリスクは上がる。結婚相手としてはしがらみのない適当な、しかし仕事をする能力のある生殖能力に問題のない男ならこだわりはなかったのでは?と思う。ついでに恩を売って裏切らないようにできたら最高だろう。つまりタイミングよく引っかかった俺は超幸運ってことだ。

「相変わらずねえ。その顔、閣下は気に入られてるの?」

「美しいとは言われたことはあるよ」

「ふーん。ま、楽しそうで私も安心したわ」

「俺ならなんとかなるってわかってるだろ?」

「あんなボッコボコに殴られたあなたを見たら心配もするわよ」

 それは悪いことをした。もしかして姉上に相当心労をかけていたのかもしれない。俺は引きずらないタイプだから、傷もすっかり綺麗にふさがっちゃってんだよな。

「姉上が心配することはないよ。閣下は良くしてくださっているし、俺も真面目にやってるからさ」

「……夫婦として?」

 さすが姉上、痛いところをついてくる。いやー、夫婦としてはどうだろね。俺にとっては閣下は雇い主みたいなもので、妻としてどう思っているかというと、あの夜から完全に棚上げ事項だった。

「えー、そのへんは俺の頑張り次第です」

「一人で頑張ったってどうにもなんないわよ」

「正論やめて。今んとこ、未来の展望はあるから……中長期の計画を見据えていましてね」

「なんでこんな朴念仁に育ったのかしら」

「環境のせいじゃない?!」

 束縛強めの婚約者がいたらよそ見しないふりは得意になるし、自動的にシャットアウトしちゃうんだってそういうの。気づかない方が楽だからさ。

 閣下に対しても今のところは部下としてのスタンスが楽っていうの、多分気づかれてるだろう。閣下なりに俺を気遣ってくれているのだと思う。

 つまりマジで俺の余裕が必要で、俺の頑張り次第なのだ。

「進捗は随時報告しなさいね。じゃないと進まなさそう」

「ぐう」

 姉上の俺に対する辛辣な思いやりを喰らい、情けなくも机に突っ伏したくなった。行儀悪いからしないけど!



 その夜、姉上から婚約破棄騒動の賠償金についての報告を受けたことを閣下に告げると、楽しそうに笑われた。俺の侍従からすでに話を聞いていたらしい。

「まさか忘れていたとは。君に言わなかったのは傷を抉ってはならぬという気遣いだったのだけどな」

「それはありがたいことです。お陰で気にせず仕事に邁進できましたので」

「ものは言いようだ」

 そういうことです。寝室のソファにゆったりと腰かけ、葉巻を咥え紫煙を燻らせる閣下を眺める。

 父は煙草をやらなかったが、亡くなった祖母が煙草を吸っていた記憶がある。執務室はいつもその煙草の匂いが染み付いている気がした。かなり幼い頃の話なのだが、閣下が葉巻を吸うとそのことを思い出した。

「だいたい、キンセー家の凋落をうまく取り入れていたのは君だろう」

「ああ、アレは汚名返上とは関係のない話ですよ」

「というと?」

「俺がいなくなったら回らなくなることくらいわかっていましたから。セシエテ卿もそこまで気がきくと思えませんでしたしね」

 ここ数年、キンセー伯爵家の領地を運営していたのは他でもないこの俺だ。ご令嬢はおろか、伯爵その人も俺に任せっきりで碌に仕事をこなしていなかったからな。

 俺は権利を手に入れて楽しかったのだが、一手に担っていた者がいなくなればそりゃめちゃくちゃにもなる。内情もよく知ってるから使える人材を引き抜いたり足りないものを売りつけたり、いろいろお得にやらせていただきましたとも。

「そっちが君にとっては復讐になったかもしれぬな」

「そうでしょうか。当然のことすぎて復讐にもなりませんよ。そもそもあまり興味はありませんがね」

 過ぎたことは過ぎたことだ。キンセー伯爵領への未練ももうないし、この先は公爵領をどう盛り立てているか考えるだけである。いろいろ考えられることはあるが、優先順位をつけていかなくては。


「君は本当に仕事が好きなのだな。どうしてそこまで領地経営に執着するのか訊いても?」

「……執着、あー、確かに執着していますね」

 他人から指摘されるとなんか刺さる。うーん、理由か。

 たぶん、これだろうなーってのはある。しかしこれって理由になるのかな。どう説明しようか。

「……十年も前ですかね、流行病で母が亡くなった時の話ですが」

「ああ」

 病の流行で親を亡くしたのは閣下もそうだ。閣下は両親を亡くされて急遽爵位を継ぐことになったのだから、より辛い思いをされただろう。だからつとめて平坦な声色で続ける。

「死の床にいる母に立派な領主になりなさいと言われたのです。俺が家を継ぐことを母は疑っていなかったと思います。母と約束があって……それを忘れられないので、俺はそうなりたいんでしょう」

 他人事みたいになったのは、本当にそうか自分でもよくわからないからだ。でも伯爵家のご令嬢と婚約させられて実家を継げないとわかったとき、泣いた記憶はある。そこで姉上に領主にはなれると慰められたのだ。

「と言っても、今は領地経営が楽しいというのが一番の理由ですね」

 根底にあるのがそれだという自覚はあるが、過去よりも未来派の俺としては将来性があるので楽しいと言った方がしっくりくる。

 閣下は納得がいったというように頷いた。

「そうか。母君の願い通り、君は立派な領主になったのだな」

「えっ」

「どうした?」

「では、閣下は俺を認めてくださるんですか?」

 まさかそんなことを言われると思わなかった。だって今の俺は閣下の夫の身分だが、領主として、つまり公爵代行としては未熟だ。進捗でいうと三割がいいところである。

 驚く俺を、葉巻を咥えたまま閣下は見据えた。

「ふ、そうだな。そもそも君が領主として適性があるというのはキンセー伯爵領がどうなったかで判断はできる。君が回していたからうまくいっていたのだろう?」

「まあ、欠員が出たら回らないようになっていたとも言えますが」

 そこまで手が回らなかったんだよなー。まあ、これから爵位を継ぐって立場の奴――しかも入り婿――が他に任せても回るようにしちゃったら存在価値なくなるからな。

「それは私も耳が痛いからな」

「はは……」

「こちらでも君はよくやっているとも。みなからの評判もいい。期待以上だ」

 おお、マジでお褒めの言葉をいただいてしまった。真に受けていいやつか悩んでいると、そんな内心を見透かすように閣下が目を細めた。

「ただ、そうだな。君にはもう一つやることがあるだろう?」

 姉上と同じことを言うってことは、冤罪騒動の落着が一つの区切りだったということか。確かにこれは俺が悪い、ちゃんと情報を集めて備えておくべきだったな。気を遣われていたとしても、調べようはあったはずだ。姉上と閣下に任せきりで怠ったことを反省する。

「わかりました、そちらにも、取り組ませていただきたく思いますが……」

 が。うん、これどうする?

 もう一つやること、というのは当然俺だけではできない。ネグリジェ姿の閣下は確かに無防備なのだが、これはもしかしてずっとオッケーサインを出していたのだろうか?

 経験皆無でも精一杯頭を働かせて考える。あー、元婚約者のアプローチなんて全然覚えてないよ。俺は嬉しくなかったからアプローチにもなってなかったんだけどさ!


「……お名前でお呼びしてもよろしいでしょうか」

 なんとか絞り出した案がこれだ。閣下は目を丸くすると噴き出した。というかむせた。葉巻吸ってるからな!

「あああすみません閣下!」

「げほっ、げほ、ふは、はは!君、今どき生娘でももう少し大胆だぞ」

「そうは言いますが俺も生娘みたいなもんですよ!」

「あっははは、そうかそうか。愛いなあ、シエン。こちらに来なさい」

 愛いって夫への評価としてどうなんだ?!やや自信をなくしながら向かいのソファから閣下の隣へ移動する。少し距離を置くと葉巻を手放した閣下にぐいと抱き寄せられた。他人の体温を感じるなんて久々すぎて、驚きと戸惑いが先に出てしまう。

「かかか、閣下?!」

「名前で呼ぶのではなかったか?」

「う、……えー、リカルディア様?」

 名前で呼ぶのは畏れ多いのだが、今更そんなことを言っていられないだろう。閣下、じゃなくてリカルディア様は満足そうに頷いた。

「敬称もいらぬが、まあいいだろう。しかし本当に生娘なのか?君の元婚約者は奔放なようだったが」

「いやいや、婚約者だとしても婚姻前に不届きな真似はいたしませんよ。俺は格下でしたし、事故ったらまずいでしょう」

 婚姻前の妊娠が良く思われない以上、リスクを承知の上で愚を犯す理由もない。手を出して娘を溺愛する伯爵の機嫌も損ねるのも馬鹿らしかったし。執拗に誘いをかけてくるご令嬢と婚前に娘に手を出すなと言ってくる伯爵のご意向、そりゃ権力がある方に従いますとも。

「潔癖だな、いや、真面目というか、もはや興味がないのか?」

「えー、大丈夫ですよ。機能しますのでご心配なく」

「私相手でも?」

「あなた以外の誰に機能したって意味ないでしょう」

 女性が当主である場合、種がどこからなんて言わなけりゃわからないのかもしれないが、結婚しているのなら夫が生物学上の父親になるのが一番スムーズだろう。少なくとも俺はそのつもりだし、リカルディア様もそのはずだ。

「ではただ真面目なだけか。君はつくづく理想の夫だな。賢く、よそ見をせず、初心で純真だ。なんとも愛い」

「……そこまで評価します?そもそも褒めてます?」

「すまないな、つい前の婚約者と比べてしまう」

 そこまで悪かったのか前の婚約者。――いや、それって王子殿下なんじゃなかったっけ?


 正直その辺は気にしていなかったが、馬鹿馬鹿しい噂は耳に届いていた。リカルディア様が話題に出したということは詳しく訊いてもいいんだろうか。俺が知らないままだと不確定情報を吹き込まれかねないし、認識は共通で持っておきたい。

「その顔だと私の前の婚約のことを知っているようだな。さすがに調べているか」

「王子殿下であったということは存じておりますが……それ以外は馬鹿馬鹿しい噂ばかりでした」

「馬鹿馬鹿しい噂?」

 リカルディア様が口角を吊り上げて笑うので、その噂のことを知っているのは察せた。しかも面白がってる、というか。

「言ってみなさい」

「……噂ですので、俺が言ったわけではありませんよ」

「わかっているわかっている」

「王子殿下が平民の娘に入れ込んでリカルディア様に人前で冤罪をふっかけた挙句、婚約破棄をするなどと一方的に喚いたとか……」

 リカルディア様が王子殿下と婚約を解消したのは事実だが、流石にそれは話を盛りすぎだろう。

 王子殿下――正確には元王子は自身の意向で王位継承権を放棄して異国に留学していると聞いているが、長く国を留守にしているので実際どのような人物かはほぼわからない。だからみんな好き勝手言っているのだろう――


「おや、ほぼ正解ではないか」

「え」

「正確には平民の娘ではなく男爵家の妾腹の娘だな。まあその男爵家はとうになくなったが」

「……ま、えっ、ええっ?!正解って、これが事実ということですか!?」

「そうだ。アレが他の娘に入れ込んで私が嫉妬してその娘をいじめただのなんだの言ってな。私のような人間に公爵は務まらぬから私を国外追放しその娘が公爵家に養女として入れば良い、そしてアレがその娘と結婚して爵位を継ぐだとか。なんなら私は一度辺境の修道院に送られかけたぞ」

「いや、いやいやいや……妄言ここに極まってませんか?!」

 噂より酷いなんてことあるか!?というかそんなことしたアホがなんで留学で済んでるんだよ。言われてみれば国外追放ではあるが。

「間の悪いことにその件の直後に両親が亡くなってな。アレは王位継承権を剥奪されて国外に留学の体で追いやられるだけに済んでしまった。娘も共に連れて行かれたが途中で逃げ出したらしい」

「泥舟ですからね……」

「さらにその件のほとぼりも冷めただろうとじきにアレが戻ってくるのだが」

「は?!」

 それは流石にどうなんだ。当時は公爵令嬢だったリカルディア様が公爵になってるんだが。ほとぼりとか冷めるわけないだろう。

「あくまで噂、というレベルでしか元王子の悪行が流布していなかったのはそのためですね」

「常識的に考えてあり得ないことでもあるからな。だが王家が意図的に悪評を消そうとしていたのは事実だろう」

「うわ……」

「それと先代様が昨年亡くなったからだな。ハッ、増長しおって」

 リカルディア様の後見をされていた先々代の公爵閣下、つまりリカルディア様の祖父上は落馬事故で亡くなられている。先代様というのも正確ではないのだが、皆そう呼ぶのは呼びやすいからだろう。


「リカルディア様がご結婚を急がれたのはそれが理由でしょうか?」

 貴族にしてはあまりに結婚までの期間が短かったが――先代様の喪が開けた後ではあった――急いだ理由としては妥当だ。元王子があまりにアホなのでリカルディア様が未婚だとまたなんか爵位目当てで言って来かねない。

「そうだな。しかし私がここまで急に結婚したのは君だったからだ」

「と言いますと?」

 心当たりがさっぱりない。そういやリカルディア様は俺のこと知ってたっぽかったんだよなー、と思ったら。

「アレは見た目は良かったからな。それに勝る男と結婚しようと思っていたのだ」

「み、見た目ですか」

 まさか今回も顔目当てだったとは。リカルディア様は呆気に取られる俺に微笑んだ。

「いいか、シエン。君は全てにおいてアレに優っている。アレの唯一の取り柄である美しさだけではない。優秀で勤勉で度胸があり誠実で、実に興味深い人物だ。君の元婚約者も愚かなものだ、君よりもあのボンクラを取るとは」

 ぐっと顔が近づけられて、もはやキスでもしそうな勢いだった。

 しかし目が離せないのはリカルディア様が俺を見つめているからだ。一時たりとも目を逸らすことは許さないとばかりに腕で囲い込まれるが、そんなものがなくとも惹きつけられてやまない。

 俺も同じことを思うよ。見てくれがどんなに美しく愛らしい女性でも、この人にはかなわない。鮮烈で苛烈な、公爵としての矜持と人間らしさを併せ持つひと。元王子とは絶対気が合わねえな。


 はっきり言って、俺は人の見てくれの美醜がわからない。そういうもの、と判断はできるのだが、一般的な美しさの基準が俺のものさしとして機能しないのだ。

 そんな俺にとってリカルディア様は美しかった。これ以上の理由があるだろうか。

「私のシエン。君が欲しいものはくれてやろう。その代わり、公爵家を軽んじる愚か者にはどうしてやれば良いかわかるな?」

「ええ、もちろんです」

 俺に公爵家の人間としての矜持があるかどうかは微妙なところだが、リカルディア様が舐められるのを許せるはずもない。

 ああ、姉上の気持ちが理解できたな。大切な人を貶められるとこんなに怒りを覚えるものなのか。

「ですから、報酬は必ずいただきますよ」

 キスができそうな位置から少しずらして、頬に口づけを落とす。自分でも気障だと思うが、こういう時にこそ、この顔を使わなくてどうする。

 リカルディア様は一瞬目を丸くしてから、「ふはっ」と噴き出した。

「はは!いやはや、君は本当に面白い。存分に裁量を与えてやっていると思ったが、なかなか強欲だな?」

「俺はリカルディア様のお望みを叶えたいだけですよ。お分かりでしょう?」


 もう一つやることがある、と言ったのはリカルディア様なのだし。ただ俺にとっては両方報酬になっただけだ。

 何ももらわなくたってリカルディア様のためなら意趣返しに協力するだろう。でもまあ、おっしゃる通り強欲なので。利害の一致があるならば遠慮するのも馬鹿馬鹿しい。

「ふふ、君と夜を共にするのがこんなに楽しいとはな。しかしシエン、あまり夜更かしはしないように。君のことをこれから徹底的に磨き上げるのだから」

「仰せのままに。公爵閣下」

 懐かしい葉巻の匂いと、重い香水のかおりが混ざる。くらりとしたが、なんとか抑え込んで女性好きのする微笑みをのせた。

 俺ばっかり悔しい気分だから、リカルディア様も少しはその気になってくれればいいのにと心の片隅で思いながら。


 *


 これまでの俺は社交の場に出てもほぼ元婚約者の添え物としてだった。というか俺が目立つとご令嬢がたが集ってきて、元婚約者が嫉妬して暴れ、というめんどくさいことになったので、なんとか目立たないよう四苦八苦していたのだ。

 服も少し流行遅れのものを選んでいたし、なるべくかっちりとして隙がない、お手本のような格好をしていた。アクセサリーなんてもってのほかで、貴石を身につけたことはほとんどない。

 幸い元婚約者は俺を着飾ることに興味がなかったので、俺なりに地味ダサい格好を模索していたのだ。――もしかしたら、それが心変わりされる原因だったのかもしれないけど。顔で選ばれたのにその顔を生かさなかったら、興味を失われても仕方がない。いい教訓になった。


 流石に婚活の際はそれなりの格好で挑んでいたが、リカルディア様が俺に仕立てた服はそれとは段違いだった。リカルディア様も相当豪華な服をお召しになっているが、それはドレスならではの華やかさだと思っていた。しかし男物の礼服でこんな華美なものが存在するとは。

 さらに華美なだけではなく、シルエットも洗練されている。

 そこまでいるのか?というくらい隅々まで寸法を測られたが、そのおかげだろうか。こうも動きやすく、しわにならず、体のラインが綺麗に出ることでスタイルも良く見えるものなのか。一流の職人の技を見た気分になった。


「服だけでは足りぬからな。作法は様になっているが……もう少し特訓をするか。あとは髪や肌のケアを欠かさぬことだ」

 そのうえ上乗せで要求されたので俺は改めて礼儀作法と所作を叩き込まれた。比較対象は王族だからこの上なく上等なものだろう。

 ダンスもそうだ。俺がリカルディア様を引き立てるように踊ると不満そうにされた。これについてはリカルディア様も「私も勘を取り戻さねば」と言っていたが。

 髪と肌については規則正しい生活を送るだけで、他は侍従が準備してくれた。美容専門の侍従がいるとはさすが公爵家。子爵家(うち)では絶対にこうはいかない。

 拘束されることに不満がないとは言わないが、これも仕事だと思うとそこまで気にはならない。あとはリカルディア様が俺を見て満足そうにされるから割と楽しいというか。女性が着飾るのは己のためと姉に言われたことがあるが、俺は完全にリカルディア様のためなので。

 今回の俺はリカルディア様の宝飾品(アクセサリー)だ。彼女を着飾るための努力は惜しまない。つくづく顔がよくて助かった。


 そうこうしている間に元王子の噂は俺の耳にも届いていた。リカルディア様の元婚約者であることは知っている者は知っているから、一歩派閥の外に出れば王子殿下を逃したなんて、そして選んだのがよりによって田舎子爵家の男だなんて、という声もあるらしい。まったく噂というのは無責任だ。

 流石に派閥内は統制が効いているが、外の声を姉上が教えてくれた。

「特にキンセー伯爵の周りとあのボンクラ孫息子の母親、それから腰巾着やってたあたりがうるさいわね。セプティマ侯爵はそんなことを口にされるほどではないけれど」

「血統だけは如何ともし難いからな」

「ま、そんなもん意味をなさないわ。あなたに見惚れない人間なんていないでしょうから」

 そんなもんだろうか。いや、そんなもんだからリカルディア様は俺を選んだのか。血筋も、顔の作りも、生まれつきという意味では似たようなものだ。

 しかしキンセー伯爵の周りがうるさいのは気になるな。伯爵自身に俺への恨みがあるのが理解できるが、放逐されたあの二人がどうなってるか調べてみてもいいかもしれない。貴族と繋がりが残ってないわけがないから、妙なことをしでかさないといいのだが。


 というのを侍従に頼んでみると、「公爵閣下の御命令で調査を進めております」と返ってきた。あー、俺が考えつくんだからリカルディア様だってとっくに調べてるか。

「どちらかというと元令嬢が話を進めているようです。元セシエテ卿の方は酒浸りのようで」

「ご令嬢の身は安全なのか?」

 ついそんなことを言ってしまう。やけになった酒浸りの男と二人だなんて流石にまずいだろう。そりゃあ恨みもあるのだが。

「キンセー伯爵の手のものが使用人としておりますので、シエン様がご心配なさることではないかと」

「そうか。となるとキンセー伯爵も積極的に絡んでそうだな。セプティマ侯爵はどうなんだ?話を聞く限り、あのお方は元王子のことを気にいるようではないが」

 厳しい人なら浮気の挙句婚約破棄などした男を、たとえ王子だとしても非難しそうだ。とはいえゼクンド公爵とは別派閥だからリカルディア様の側に立つかはわからないが、余計なことをしなければこちらとしては十分である。

「対外的には隠されているようですが、セプティマ侯爵はお倒れになったようで」

「倒れたのか?!」

「孫を追い出した後ですが、頭に血が上ったのか倒れてしまったようです」

 おいおい、爺さん大丈夫かよ。いやまあ、ご老人の血圧を急上昇させる孫も孫だが。

「今はご子息、元セシエテ卿の父親が代理を務めているようです。ですがまだ侯爵はお亡くなりになっておりません。後継も元セシエテ卿の件で考え直されているらしく」

「泥沼だな……」

「セプティマ小侯爵夫人は元王子に取り入って後継の座を強固にしたいように見えますね」

「泥舟だな……」

 うんざりした気持ちになりながら眉を顰める。

 セシエテ卿の父親はセプティマ侯爵家の嫡男で、その嫁は小侯爵夫人である。その地位にあぐらをかいていたら急に脅かされた結果、息子を切り捨てずに泥舟に乗り込むとは。奇特な趣味をしていらっしゃる。

「それで、元ご令嬢は元王子と組んで何をするつもりなんだ?」

「元令嬢は元令息を見限っているようですから、単純に元王子に取り入りたいのでしょう。その手土産に閣下の夫君であるシエン様の過去の不祥事を、というところでしょうね」

「いや俺の不祥事ってもう裁判で解決しただろ?それに逆らうってことは国王陛下のご決定に異議を申し立てるってことなんだが」

 あれは結局裁判沙汰になったし、貴族同士の争いが裁かれる法廷では国王陛下の名の下に裁定が下される。つまり陛下が決めたことだから逆らうなという話だ。もちろんそれを決めるまでに様々な人間が関わっているのだが、反論を許さないためにそうなっている。

「そこは国王陛下の息子への甘さを期待しているのではないでしょうか。あの愚か者のことです、元令嬢は本当に被害者であり、真実を詳らかにするのが自分の役目だと酔っているに違いありません」

 淡々と言うが、辛辣な台詞にそうとう腹に据えかねているっぽいなと遠い目をしてしまう。過去に元王子がやらかしたことを思えば当然ではあるが。


 キンセー伯爵はとにかく元令嬢を手元に戻したいのだろう。あれだけ溺愛していた娘だ、元王子を使って汚名を雪ぎ、貴族籍に戻すくらいは考えそうではある。

 セシエテ卿の母親はそれに乗っかってる感じかな。セシエテ卿本人はダメになっちゃってそうだが、小侯爵夫人は諦めきれないのだろう。夫を侯爵に、息子はキンセー伯爵に婿入りさせたいに違いない。乗るにしたってずさんな計画であるが。

 多分、事前に潰そうと思えば潰せる。しかしリカルディア様はどうしても元王子を公の場に引っ張り出したいらしい。過去の出来事の意趣返し、言い訳の利かない場で徹底的に元王子含めて王族をやり込める気なのだろう。


 公爵家の派閥はかなり強力だ。かつて対立していた王妃陛下の生家とも手を組んでいるのは公爵家の仕事に関わるようになってから知った。例の婚約破棄騒動の頃からそうだったとは思えないので、リカルディア様と先代様の仕業だろう。

 家同士の婚姻だけではない。流通、合同事業、技術提供。そういったものを駆使し、壮大な図はすでに描かれているのだ。もはや敵対派閥がもがこうが、王族が喚こうが、ほとんど意味を成さない。仕上げの時をリカルディア様は待っていて、ピースの一つが俺なのだ。


「その元王子は、本当にリカルディア様のことを一つも見ていなかったんだな……」

 呆れてため息をついてしまう。十年だ。同じ十年を、元王子はどう過ごしたのだろう。リカルディア様が積み上げた十年にかなうわけあるはずがない。侍従も深く同意している。

「なんか、最後だけ特等席で見られるのってちょっと申し訳ないくらいだな」

「それが閣下が選ばれたシエン様の特権でございます」

「気分がいい。でも、浮かれるのは終わってからにしようかな」

 勝ちが決まっている盤面だろうと、俺が駒の一つであるならその役割を甘く見るわけにはいかない。一つのミスだって許されなかった。

 今回の理想の勝ち方は、完膚なきまでに叩きのめすことなのだから。


 *


 その夜、王城では王子の帰還を祝うパーティーが開かれていた。もはや元王子とも呼ばれない、いまだ王子殿下の立場でだ。

 本当に舐め腐っている。国中の貴族を集めた中でリカルディア様に跪き(こうべ)を垂れ許しを請うならわからないでもないが、相手はリカルディア様にまた難癖付けようとしているらしい。正確には俺にだが。

 だいたい、とんでもない不祥事で国外追放された王子の帰還を祝うなんてトチ狂っているとしか思えない。まあ、ほとんどの貴族が同じ気持ちだろう。それでもわざわざ集うのは、あいつらの決定的な不祥事を目撃するためだ。言い逃れのできない状況を作り上げ、玉座から引きずり下ろす。そのためだ。

 畏れ多いとは思わなかった。神から与えられた王権を振りかざされても、その中身が空っぽなんじゃどう怯えればいいのかわからない。その王権がまがいものだと、もうわかっている。今や聖堂会もリカルディア様に手を貸しているのだから。神は正しい者の手に王杖(レガリア)が渡ることをお望みだ。


 ――今から行われるのは断罪だ。

 愚かさを露呈し、切り捨てられるための舞台だ。


 リカルディア様は相変わらず隙のないドレス姿で、俺の隣に立っていた。目を細め、赤いワインで唇を潤す。グラスに口紅の跡が残っていて、小さく息を呑んだ。

「こら」

「……申し訳ありません」

「集中しなさい。君も物好きだな」

「そうは思いませんが、仕事はきちんとこなします」

「はは」

 リカルディア様のあらわになったうなじが色気を放っている。今度は態度に出さなかった。

「あの夜を思い出す」

 ワインに濡れた唇から、リカルディア様はぽつりとこぼした。

「愚か者たちが私を舞台に上げた夜だ」

「……十年前の夜ですか」

「私は一刻も早く帰りたかったが、王都での情報収集は私の役割だった。流行病によって国の中枢は麻痺し、我が父母の容態もすぐれなかった」

 すぐ帰らされなかったのは、と想像してみる。当時の公爵夫妻がリカルディア様を危険に晒したくなかったからなのかもしれない。同じ場所にとどまることで一家の全滅を防ごうとしたのかもしれない。

 あのとき、俺もそうだったからだ。一人で母方の家に行かされていた。母があの言葉を告げたときが、生きている姿を見た最後だった。

「あれらは、機を見る目だけはあったのかもしれぬな」

「今は己から罠にかかりに来ているのに?」

「確かに。では、運が良かっただけだか」

「頭が悪いだけです。知っていますか?初心者のほうがカードの切り方が見えないんです。セオリーがわかっていない相手は、やりづらい」

「おや、我が夫はずいぶんと悪いことを知っているようだ」

「健全な遊びしかやったことありません。本当ですよ」

 リカルディア様と他愛のない会話を交わしながら待つ。独りであの夜を思い返させるなんて、そこまで甲斐性を失っては隣に立つ資格もないからな。

 目を細めて微笑むと、周りの視線が突き刺さった。ああ、いい気分だ。リカルディア様の装飾品(アクセサリー)。その身を飾るために磨き上げられた俺だからこそ、孤高の公爵閣下の隣に立つことが許されている。集まる視線の数だけ、俺には価値がある。

 羨望の、憧憬の、称揚の、欲心のまなざしたちだ。それでいて、触れることは許されない。派閥の者たちが阻むように立っているから、壁を突破できる者はいないのだ。だって今は、リカルディア様が俺を見せびらかす――そのための時間だ。

 何せ今夜の俺は、姉上にすら「我が弟ながら美しすぎて目が潰れる……」と評された出来だ。人生で一番輝いているだろう。


「ゼクンド公爵閣下」

「うむ」

 ようやく獲物がご到着らしい。リカルディア様の側近が耳打ちをしてきたので、だだっ広いホールのエントランスに視線を向ける。

 きらびやかな服を身にまとった男がそこにいた。王族らしい、贅を尽くした衣装。手入れされた髪。優雅な所作。

「……えっ?」

 思わず声が出てしまった。

「まさか……あれが王子ですか?」

「ふは、ははは。そうだよ、シエン」

「なんと、まあ……」

 おいおい冗談だろう、と心の中で繰り返しながらそいつを見る。リカルディア様の元婚約者、今や何の権力もない、トゥーイス王子。


「君の足元にも及ばないな」


 リカルディア様がうっそりと呟く。

 まったくもって、その通りだった。

 男の肌には張りがない。くたびれた目元、肌も荒れている。髪は撫でつけられているが、なんというか、額のあたりが寂しげだ。姿勢がいいだけに腹回りも目立つ。

 絶世の美青年と名高かった王子の面影はあるものの、逆に言えばもはや面影しか残っていないおっさんだった。考えてみれば俺より十以上も年上なのだ、美容に気を使わない生活をしていたのならおかしいことはない。

 あれは留学(ついほう)先で何をしていた?自堕落に過ごしていただけなのではないか?色と欲に溺れ、すべてを誰かのせいにしながら。


 王子の周りには人が集まっており、その中には元キンセー伯爵令嬢もいた。平民がどうやってもぐりこんだのだか、と呆れた気分になる。国王も黙認しているのかもしれないな。

 トゥーイス王子は主賓然と周りと歓談していたが、やがて俺たちに気が付いたのか悠々と歩く足を止めた。目を丸くしている。

 誰よりも美しい装飾品で身を飾るリカルディア様がいれば仕方がないことだろう。元キンセー伯爵令嬢に至っては、小さく悲鳴を上げていた。

「シエン様!」

 まったく、何の権限があって平民が俺の名を呼ぶのか。俺はリカルディア様に向かって微笑み続ける。何も聞こえていないからな。

「リ……、リカルディア!」

 王子もリカルディア様の名前を呼んだ。彼女はちらりとも反応せず、俺の顎を取り、ぐっと引く。

 俺のほうがいくらか背が高いため、キスをするときは背中を丸めなくてはならない。突然のキスシーンに周りがざわめいた。王子を無視してキスする奴なんかふつういないし。

「仕上げだ」

 紅が薄れた唇で公爵閣下は獰猛に笑った。俺は唇には何もつけていなかったから、今は赤く染まっただろう。グラスへの悋気がばれていたのか。

 頬を撫でられ、目を細める。たっぷりと情感のこもったまなざしと共に息をついてみせた。

「今宵も君は美しい」

「あなたのためですよ、リカルディア様」

「わかっているよ。どうにも不躾な声を聞いた気がしたのでな」

「あなた様のお心を乱す不届き者がいるのですか?」

「ああ、立場をわきまえていない愚か者がな」

「リカル……いや、シエン・トリセルタ!」

 場違いな睦言を聞いていられなかったのかなんなのか、トゥーイス王子が再度声を上げた。俺にターゲットを定め直せるくらいには賢いらしい。リカルディア様の名前を呼ぶ権利がないからな。

「おや。お初にお目にかかります、トゥーイス王子殿下。直々にお声がけいただけるとは光栄ですが……名前を間違えておられますよ」

 嫌味ったらしく応えてやる。

「我が身はすでに敬愛するリカルディア・ゼクンド公爵閣下のものですゆえ。長く国を離れておられた殿下はご存じでなくとも不思議ではありませんが……」

「その婚姻は無効だ!」

「と、おっしゃいますと?」

「トニアは――トニア・キンセー伯爵令嬢はセシエテ卿に脅されていたのだ!だから君に罪をかぶせ、婚約を破棄せざるを得なかった」

「……」


 え?そっち?

 びっくりした。てっきり俺がかけられた冤罪は冤罪じゃないという方向性で来ると思っていたから、まさか元伯爵令嬢が元セシエテ卿に騙されていたなんて話になるとは。ほら、セシエテ卿の母君、セプティマ小侯爵夫人もびっくりしてるじゃん。切り捨てられるとは思ってなかったんだろうな。

「君は冤罪を晴らすためにリカルディアと結婚したのだろう――だが、その必要はもうない。愛する者と一緒になるべきだ」

「驚きました。我が妻を私以外が名前で呼ぶ権利があるとは」

 いい加減むかついたので、とりあえずそこに突っ込んでやる。

「つ、妻など、私はリカルディアの婚約者だった――」

「我が敬愛する妻を、不躾に名前で呼ぶとは。無作法に驚きましたよ、トゥーイス王子。すっかり遠くの作法になじんでしまわれたようだ!」

 もう一度繰り返してやる。声を響かせ、手振りで視線を集める。王権など畏れずに、王子を睨みつけた。

「何より婚姻は聖堂会に受理され、神に祝福されたものです。それを?無効であると?よりによってこの国の王子であるあなたが!なんとなげかわしい……」

「神はお赦しになる!真実の愛があるのだから!」

「真実の愛!」

 俺は幸福にとろけるような笑顔を浮かべた。唇についた赤色を指でぐいと伸ばすと、元伯爵令嬢だけではなく、王子もカッと頬を朱に染める。何人かの貴婦人が倒れてしまったようだったから、刺激が強すぎたのだろう。リカルディア様がかすかに肩を震わせているのは、多分ツボってるからだ。あなたの装飾品は攻撃性能も備えております。

「もちろん、私の愛はこのお方に捧げておりますとも。ああ、敬愛するあなた、この夜()()()()()()()()牡丹の君……」

 芝居がかった仕草で跪く。リカルディア様は当然のように手を差し出し、俺も当たり前のように口づけた。シルクに落ちた口紅を消し去る方法は後で考えよう。

「お慕いしております。愛しております。この世の誰よりも!どうか私の愛を疑わないでください、この身も心もあなた様だけのもの。無効とされるのならば、幾度でも神に誓いましょう。許されぬというのならば、いっそこの場で命果ててしまいましょう」

「それは困る」

 リカルディア様はようやく唇を開くと、ククっと喉奥で笑った。

「私の麗しい夫が、私以外のものとなるのは許せぬ。それが冥府の乙女であろうとな」

 言いながら俺の手をぐっと掴み、立ち上がらせる。俺はすかさず彼女の隣に立ち、夫婦にしか許されない距離で腰を抱いた。


「さて――トゥーイス王子?」

 名前を呼ばれただけで、王子は硬直した。リカルディア様は嫣然とした表情を消し、冷ややかに王子を見つめている。

「リカ……、……ッ、ゼクンド公爵」

「何か言うことはあるかね?」

 あまりに尊大に、リカルディア様は言葉を投げかけた。

 敗北だ。投降しろ。虫けらのように地を這い、惨めに赦しを請え。無言の言葉が王子に突き刺さる。

 王子はうつむいて唇を噛みしめている。リカルディア様はやれやれと首を横に振ると、矛先を向ける相手を変えた。

「国王よ」

 ヒールが大理石の床を打つ。俺は黙って彼女の腰を抱いたまま、隣を歩いた。断罪の刃を持たせてはもらえないが、それくらいは許してもらえる。

「ゼ、ゼクンド公爵――」

 傍観者に徹していた国王は、ようやく状況を把握したらしい。だが、その前に影が躍り出る。

「ゼクンド公爵!」

 立ちふさがったのは、トゥーイス王子の兄、ノルディ王太子だった。

 覚悟を決めた瞳でリカルディア様を見つめる王太子は、ばっと頭を下げた。

「弟が申し訳ない……!」

「ノルディ殿下!」

 誰かの悲鳴が聞こえるが、リカルディア様は全く耳を傾けていなかった。

「このような場であなたの夫の名誉を汚すようなことを……」

「このような場?」

 低く繰り返す声は、感情が一つも乗っていない。

「このような場とはなんだ?私はどうして今宵招かれたのだ?」

「そ、それは……」

「私に冤罪を被せ、断罪し、公爵家を侮辱し、越権行為で辺境に送ろうとし、親の死に目にも間に合わせなかった愚か者が、どうして再び私の目の前に立っていたのだ?」

 しん、とホールが静まり返る。ノルディ王子はすっかり血の気が引いている。目は焦点が合っておらず、両足で立っているのが不思議なくらいだ。

「何か言うことはあるかね」

「わ、我々の不手際で……」

「何か、言うことはあるかね」

 ノルディ王子が後ずさり、膝を折る。くずおれた王子には欠片の興味も残さず、リカルディア様は無感情に、国王へ視線を向けた。

 ――何か、言うことはあるか。

 そう問いかける。


 国王は冷や汗をかいたまま、黙りこんだ。リカルディア様はカツ、カツ、と時計の針よりも正確に靴音を刻み、玉座へとたどり着いた。

「――神はお赦しにならぬ」

 朗々と、声を響かせた。

「神に背き、もはや声すら持たぬ国王に、何の意味があろうか」

「ゼ……ッ、ゼクンド公爵……!貴様は……!」

「私、リカルディア・イリステラ・トワヌス・ゼクンドは、国王ドゥザルークの退位及びノルディ王太子の廃嫡を要求する」

 優雅な手つきで、リカルディア様は国王の持つ王杖を奪い去ってしまった。あるべき場所に収まった、と思った。

 ゴン!と床を打つ。

 カーペットと床に阻まれて音が響くはずもないのに、まるで鐘を打ったかのようだった。


「異論あるものは前に出よ!異議なきものは頭を垂れよ!」


 空気を震わせる言葉に、貴族たちはいっせいに跪いた。ただ、その中で立ち尽くす者がいた。

 ――トゥーイス王子だ。

「何か、言うことはあるか」

 うつむいたままだった男は顔を上げる。その瞳は狂気にぎらついていた。

 はあ、はあ、と獣のように息を荒げる。

「リカルディアァァア!」

 手には――シャンデリアの光を反射する銀のナイフ。

 嘘だろ。なんで凶器を持ってんだよ!リカルディア様の前に出ようとしたが、彼女は全く動じずに俺の腰を抱いた。

「死ね!死ねッ!死ねえぇえええッ!」

 何人かが立ち上がる。もちろん、公爵家配下の騎士たちだ。素人の突進がリカルディア様に届くはずもない。王子はすぐに取り押さえられ、地に伏した。

「不敬であるぞッ!国を傾ける悪女がッ!貴様さえいなければッ!死ねッ!」

 口角に泡を飛ばしながら叫ぶ王子の首を、騎士が絞める。がくりと落ちる前に、リカルディア様が裁定を下す刃のように言った。

「神の威光を汚す(けだもの)はどちらか」

 答えは明白だろう。

 玉座から国王が崩れ落ちる。乱れた白髪の下の顔は、十年は老け込んだように見えた。


 *


 そんなわけで、我が敬愛するリカルディア様は女王に――ならなかった。


 そもそもである。

 国王および王族の能力に疑いをかけるというのが、今回の断罪劇の目的だった。ゼクンド公爵の夫であり、国王によって無罪を認められた俺に、トゥーイス王子が再び疑いをかける。そんなわけあるかい馬鹿野郎がとぶちのめし、国王にどういうことだテメエと脅しをかけ、公衆の面前で面子を粉微塵にし、こいつじゃ国は回らないから議会の権力を強めようという方向に持っていき、国王からノルディ王太子に頭を挿げ替えようという作戦だった。

 しかし。

 トゥーイス王子が斜め上すぎた。セシエテ卿にすべての罪を擦り付け、ここまで集めた手勢――つまり、キンセー伯爵を除くセプティマ侯爵派閥をまるっと裏切ったのだ。裁判結果をひっくり返すよりも、そっちの方に勝ち筋を見出したのかもしれない。

 本当にリカルディア様と結婚出来たら、セプティマ小侯爵夫人についている小物なんて恐るるに足らずと考えた、ということもありうるが。

 どこまでも他人を踏み台にすることしか考えていない男に、いっそ一貫性があると感心できる。だが、こいつがアホだったのは、王の裁定より神の承認を覆す方が楽だと思ったことである。いやまあ、聖堂会の承認があれば離婚もできるけどさあ。なんで部外者が騒ぎ立てていけると思ったわけ?馬鹿だろ、さすがに。


 こうしてセプティマ侯爵派閥を裏切った王子につく味方はもはやいない。

 もう一人愚かだったのは、ノルディ王太子だ。

 黙っていれば廃嫡にならなかったかもしれないが、国王の権威を陰らせることを厭ってあそこで飛び出して来たのだから潰すしかない。親孝行で結構だが、局面が見えていない馬鹿正直な男だった。泥なんか命綱が切れてる国王に被せておけばいいものを。

 リカルディア様があそこで王杖を奪い退位を要求できたのは、セプティマ侯爵派閥が黙ることが分かったからだ。あの醜態は、全員を失望させるに十分だったってこと。

 まあ、最初から完膚なきまでに叩きのめすのが目的だったのだが――アドリブがうまくいきすぎちゃったのだ。


「君があまりに美しいからだ」

「はい?」

 あの夜から幾夜過ぎ、ようやく事態が落ち着いてきたころ。

 久々の二人の寝室で思い出したように「よくまああんなうまくいきましたね」とこぼすと、リカルディア様にそう言われて、ちょっと意味が分からなかった。

「人は美しいものに神性を見出す。よく言うだろう、神の顔が描かれぬのは美しすぎて人の目を灼くからだと」

 太陽と同じように、神も直視できない。当たり前の話だ。神は光り輝いているが、美しすぎるからと一般には言われている。

「君という美しすぎるものが、私に寄り添っていたのだ。奴らは神性と正当性を見出し、勝手に畏れた。だから国王も王杖を手放したのだろうよ」

「え、ええ~……?俺、そんなに美しいですかね」

「この世でもっとも美しい」

 断言されたら信じられてしまう。美に対する物差しが一般的でないので、実感はマジでないが。

 俺は王家に連なる血筋を持ち合わせていないが、それでも顔の良さだけで神性を背負えるとは。公爵家でピッカピカに磨き上げられ、シャレにならんくらい美しくなっちゃったのか?うーん、リカルディア様の装飾品として一級品にもほどがあるぜ。

 だが、考えてみればトゥーイス王子の十年前の悪行がギリギリまで許されたのだって、あの男が美しかったからだ。その美しさが陰っていなければ、アドリブもここまで大成功しなかったのかもしれない。

「となると、神?っぽい俺の伴侶であるリカルディア様が玉座に着くべきだったのでは?」

 派閥や協力者たちにも推されていたのだ、リカルディア様は。そりゃあ、あの圧倒的な風格を見れば、誰だってリカルディア様を差し置いて王杖を手にしようとは思わないだろう。

 美しさで言ったって、リカルディア様の方がよっぽど神性を背負っていただろうに。

「私は王家の血が遠い」

「神に選ばれたのに?」

「君を選んだのは私だ。そして、君がいれば私への畏敬は揺らがない。よってわざわざ王になる必要はない」

 隣に座るリカルディア様は、俺の肩を抱き寄せた。赤い唇が蠱惑的に囁く。

「そろそろ新しい家族が欲しいのだ。国王になどなっている暇はないと思わないか?」

「……おっしゃる通りでございます、公爵閣下」

 肩に回されたのとは逆の、何にも遮られない手の甲を取って口付ける。それから赤い唇にも。こうすれば痕が残らないと学んだ。

「でも新国王も派閥もあなたに頼りきりじゃないですか、すぐに妊娠したら大変ですよ」

「私には優秀な夫がいる。私の誘惑に弱いかわいい夫がな」

「はい……」

 公爵代理、務まるか?いや務めなくてはならない。何がなんでもやるしかない。この顔を輝かせてでも。

「安心したまえ。いい加減夜更かしも許してやる」

「わかりましたよ、もちろん俺はあなたの誘惑に弱いので逆らえませんとも……何よりあなたをお慕い申し上げておりますので」

 再度唇を寄せて甘ったるく囁くと、リカルディア様は肩を震わせた。って、笑ってますね?!人の告白を!

「す、すまん、あの芝居を思い出して愉快になる……」

「あんまりですよ!何のために俺の顔が美しいと思ってるんですか」

「ふっ、くく、閨で妻を喜ばせる方法はもう少し考えたまえ、私のかわいいシエン」

「あーもう……芝居じゃなくって本心ですよ、牡丹の君」

 ソファでしなだれかかる体を抱きしめる。ネグリジェ一枚向こう側にあるのは、男の俺に比べれば華奢な体だ。重い香水と、葉巻の匂いがする。子供ができたら禁煙してもらおう、流石に。嫌な匂いじゃないけど煙いんだあれ。

 白いヴェールではなく、柔らかな髪をかきあげ顔を覗き込む。

「今宵、俺と寝てください」

「ふふ。お手柔らかに頼むぞ?私も生娘なものでな」

 一生敵わん。敵うと思ったこと、ないんだけども!

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