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第099話 お前に何かできるってのか

「私の夫を……あの人を殺さないで……! ううう……」


 助けた女性の悲痛な叫びが、エミルの耳に突き刺さった。


「サラ! その人を保護してくれ!」


 エミルが叫ぶより先に、サラが女性の元へ駆け寄っていた。

 半狂乱で魔物にすがりつこうとする女性の肩を抱き、強引に路地裏へと引きずり込む。


「しっかりして! 死にたいの!?」

「いやぁぁぁ! 私の夫なのよ! 助けてあげてよおお!」


 女性はサラの腕の中で暴れ狂っている。


 目の前にいるのは、全身が赤黒い岩盤のように隆起し、右肩から鋭利な結晶を生やした魔物だ。


 ——こいつが、夫?


 エミルの思考が止まる。


 女性の悲痛な叫びが耳にこびりついて離れない。

 攻撃すべきなのはわかっている。だが、拳が上がらない。


「くそっ……どうすれば……」


 その迷いを見透かしたように、魔物が咆哮を上げた。

 地面を蹴り、こちらへ突進してくる。


「もう、やるしか……!」


 迎撃の体勢を取ろうとした、その時。


「退いてな、兄ちゃん」


 ドォォォォンッ!!


 轟音と共に、エミルの視界が巨大な影に遮られた。

 風圧によろめくエミルの前で、魔物の巨体がボールのように弾き飛ばされていく。


「な……」


 そこに立っていたのは、二つの巨躯だった。

 額に一本の角を生やし、岩のような筋肉を鎧で覆った大男、オーガ族だ。


「おいおい、暴れるんじゃねえよ」


 先頭のオーガが、手にした金棒を無造作に振り回す。再び起き上がろうとした魔物の脳天へ、一切の躊躇なく振り下ろした。


 ドゴォッ!!


 砕けるような音が響く。エミルの拳を受けても怯まなかったタフな魔物が、たった一撃で地面に崩れ落ちた。


「あ、ああ……!」


 サラの腕の中で、女性が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。這いずるようにして、動かなくなった魔物へ手を伸ばす。


「あなた……あなたぁ……ッ!」


 その姿は、愛する人を目の前で殺された者の絶望そのものだった。


 オーガたちはそんな女性を一瞥もせず、まるでゴミでも片付けるかのように、事務的に魔物の足首を掴んで引きずり始めた。


「おい、待てよ!」


 バルディアが声を荒らげ、オーガの前に立ちはだかる。身長差は倍以上あるが、彼女は怯むことなく指を突きつけた。


「どういうことだ! その人がめちゃくちゃ取り乱してるのが見えねえのかよ! 何か事情があるんじゃねえのか!?」

「ああん?」


 先頭のオーガが足を止め、面倒くさそうにバルディアを見下ろした。


「なんだ、外から来た冒険者か。見ねえ顔だと思ったぜ。これは俺らの仕事だ。お前らが出る幕じゃねえ」

「アンタらの仕事……?」

「そうだ。この国じゃ、こういうのは俺たちオーガの管轄なんだよ。だから()()()はすっこんでな」


 ——部外者。


 その言葉が、冷たい棘となってエミルの胸に刺さった。


 今朝読んだ、アヤメからの手紙が脳裏をよぎる。


 ——『今の城内は神経質になっており、部外者である皆様をいきなり連れて行けば、余計な混乱を招きかねません』


 あの内容にはまだ納得できていない。だからこそ、目の前で泣き叫ぶ女性を無視して、ただ「部外者だから」で済ませていいわけがない。


 エミルは奥歯を噛み締め、一歩踏み出す。


「待ってくれ。せめて、彼女に説明をする時間くらい……」


 オーガの一人が足を止め、今度ははっきりと敵意のこもった眼光を向けてきた。

 ぬっと顔を近づけられる。


「なんだ。じゃあお前に何かできるってのか、あ?」

「それは……」


 言葉が出てこなかった。


 エミルの沈黙を嘲笑うように、オーガは口角を吊り上げた。


「この国にゃ冒険者ギルド自体ありゃしねえ。魔物は俺らオーガが狩る。それで人族は平和に暮らせてる。この国の均衡(バランス)はそうやって保たれてんだ」


 最後通告のように言い放ち、オーガはエミルの肩をポンと叩いた。


「わかったら、二度と邪魔すんな」


 オーガたちは倒れた魔物を肩に担ぐと、通りの向こうへと消えていった。

 路上に残されたのは、黒い血の跡と、泣き崩れる女性だけ。


 周囲の野次馬たちは「ああ、オーガが片付けたか」「良かった良かった」と口々に言いながら、蜘蛛の子を散らすように去っていく。誰も、残された女性に声をかけようとはしない。


 ——何も、できなかった。


 エミルは握りしめた拳を開くこともできず、ただ立ち尽くしていた。


 闇属性の力も使いこなせるようになった。冒険者ランクだってC級に上がった。セルディス王国では奴隷事件を解決し、A級パーティを叩きのめした。


 それが、この場所では何の意味も持たない。

 ただの無力な「部外者」でしかなかった。


 ——『お前に何かできるってのか』


 オーガの言葉が、頭の中で反響する。


 答えられなかった。

 何も言い返せなかった。


 胸の奥で、黒い感情がぐつぐつと煮えたぎる。

 無力感と自己嫌悪が絡み合って、息が詰まりそうだ。


 居ても立ってもいられなくなり、その場を立ち去ろうとした、その時。


「エミル」


 背後からの声に、ハッと我に返る。


 振り返ると、バルディアがじっとこちらを見据えていた。

 サラは震える女性の肩を抱き、背中をさすっている。


 ふと、昨日のアヤメの表情が脳裏をよぎった。


 ——『だ、大丈夫ですよ! ただ少し、緊張しているだけです。明日、ようやく父上に魔石を届けられると思うと……』


 不安を押し殺して、必死に笑おうとしていたあの表情。


 ——そうだ。何をビビってるんだおれは。

 自分を見失っている場合じゃない。


「……悪い。大丈夫だ」


 エミルは小さく息を吐き出し、女性の元へ歩み寄った。




 —————




 少し落ち着きを取り戻した女性の話は、凄惨なものだった。


「……あの人は、私の夫です。一年ほど前から、『奇病』にかかってしまって……」

「奇病……」

「最初は、ただの高熱だと思ったんです。でも、熱は下がらず、だんだん体の一部が……硬く、石のように変質し始めて……」


 女性の声が震える。


 夫の看病のために仕事もままならず、貯金を切り崩す日々。薬代は嵩み、生活は困窮していく。日に日に変わり果てていく夫の姿と、終わりの見えない介護生活。


「もう……限界だったんです」


 彼女は両手で顔を覆った。指の隙間から、嗚咽が漏れる。


「楽になりたいって……楽にしてあげたいって……。そう思って、今日、発作で苦しむ夫の首に、手を……」

「……っ!」

「そしたら……夫の体が急に膨れ上がって、あんな姿に……! 私が……私が殺そうとしたから、夫は……!」


 エミルは言葉を失った。かけるべき言葉が見つからない。


「そんな……人間が魔物化するなんて、聞いたことがないわ」


 サラが眉をひそめて呟いた。


 だが、オーガたちはあまりにも手際よく処理していた。野次馬も、慌てていたのは最初だけ。オーガたちが去ると、見世物が終わったかのように散っていった。


 つまり、ここでは()()()()()()なのだ。


 重苦しい沈黙の中、ふと、バルディアが声を上げた。


「なあ、アンタ」

「……?」

「旦那の体から生えてきたっていう『石』……どんな色だった? まさか、透き通るような青色じゃなかったか?」


 女性は驚いたように目を見開き、こくりと頷いた。


「……はい。綺麗な青、でした。でも、どうしてそれを……?」


 その瞬間、バルディアの顔色がさっと青ざめた。


「やっぱりか……。クソッ、なんてことだ」

「おい、バルディア。何か知ってるのか?」


 エミルが問うと、バルディアは忌々しげに吐き捨てた。


「……蒼海石(そうかいせき)だ」

「蒼海石……?」


 聞き慣れない名前に、エミルは首を傾げる。

 サラも心当たりがないようで、怪訝な顔をしている。


 バルディアは腕を組み、深く息を吐き出した。


「アタシも実物を見たのは一度きりだ。……グロムハルトの鉱山で、師匠と一緒にいた時にな」


 バルディアの視線が、遠い記憶を手繰り寄せるように宙を泳いだ。


 ——『魂を喰らう、呪いの石じゃ』

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