表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
96/110

第096話 神脈の旅

「……すごい。まるで宇宙だ」


 思わず、そんな言葉が漏れた。


 セルディス王国の港を飛び立って数時間。船底を滑るように流れる眩い光の奔流、神脈(ルミナスロード)。外を過ぎ去るのは風ではなく、青白い光の粒子だ。


 甲板の手すりを握りしめながら、エミルは眼下に広がる光景に息を呑んでいた。


「この下はどうなってるんだ?」


 好奇心に抗えず、船べりから身を乗り出して霧の底を覗き込もうとした瞬間。


「エミル様、ダメです!」


 鋭い声と共に、首根っこをグイッと引かれた。

 振り返ると、アヤメが真っ青な顔で立っている。


「落ちてしまったら、二度と戻れませんよ」

「え……?」

「この霧の下がどうなっているのか、誰も知らないんです。落下して戻ってきた人の記録はありませんから……」

「落ちたらそのまま行方不明、っつーか死亡扱いで処理されるって話だぜ」


 バルディアも神妙な顔で頷く。


「大地間の入出地もオラクルズの管理下なので、出地履歴があれば当然入地履歴と紐づけられることになります。出地履歴があるのに、予想される移動日数を超えても入地履歴が記録されない場合は……」

「途中で落下したか、魔物に襲われたかの事故扱い、ってことか。結構命がけなんだな」


 エミルはごくりと唾を飲み込み、手すりから一歩下がった。


 神獣の大地から出て他の神獣の大地へと渡る。地球(元の世界)でいえば、他国に飛行機で向かうような感じだろうか。たしかに地球でも飛行機事故はある。ただ報道もされるし、落下場所も特定される。


 テクノロジーが発達していないカリストラの場合、一度落ちたら追う手段もない。出国管理と入国管理が紐づいている仕組み自体はパスポートと似ているが、移動中の事故を追えないのはリスクが桁違いだ。


 美しい光の川が、急に底なしの地獄の入り口に見えてくる。


「だからこそ、航行の安全を守る星読師(ステラノート)は命綱なんです」


 アヤメの視線が、船の操舵席へと向けられた。


 舵の代わりに設置された水晶玉のような魔力制御装置。そこに両手を置き、神脈の流れだけをじっと見つめるサラの姿があった。銀色の髪をきつく結い上げ、その横顔は感情の起伏を一切見せない。


 ——緊張……してるのか?


 サラにとって久しぶりの現場仕事だと聞いている。教会で冷遇されていた時間を考えれば、ブランクは相当あるはずだ。


 声をかけようか迷ったが、そのピリついた空気がそれを許さない。


 だが、そんな空気などお構いなしの獣人が一人。バルディアが「よっ」と軽く手を上げて歩み寄った。


「どうだ、サラ。調子は?」

「……話しかけないで。気が散るわ」


 視線を水晶から外さず、冷たく言い放つ。だがバルディアは、そんな対応も織り込み済みといった様子でにししと笑った。


「悪かったよ。魔物が出たら、アタシらが片付けるからよ。船のことは任せたぜ」

「……当然よ。航行中はあたしの指示が絶対。あなたたちはあたしの指示に従ってくれればいいわ」


 一瞬、サラの口元が緩んだように見えた。

 だが、すぐにその瞳が鋭く細められる。


「来るわ。左舷前方、ワイバーンが三体。頼んだわよ」


 警告と同時に、霧の中から魔物の影が飛び出した。甲高い鳴き声と共に、船の甲板めがけて急降下してくる。


「おっしゃあ! 出番だぜ!」


 バルディアが真っ先に反応し、船べりを蹴って宙へと躍り出た。


「『狂気掻(クルペオ)・アプセット』!」


 改良されたガントレットから爆炎が噴射され、その勢いのまま炎の爪がワイバーンの頭部を空中で粉砕する。


「わたしは右を! 『翠風流剣技・木枯らし』!」


 アヤメの剣閃が走る。

 流れるような抜刀ですれ違いざまに翼を両断し、体勢を崩した魔物の首を、返す刀で貫いた。


 残る一体が、正面からエミルに突っ込んでくる。


 魔物の爪を見切ると、即座に反転し、回避と同時に踏み込む。


「『黒焔』!」


 ドォォンッ!


 漆黒の焔を纏った拳が、ワイバーンの腹を深々と打ち抜いた。衝撃波が背中へ抜け、内臓ごと身体を粉砕する。


 三体の魔物は、ものの数十秒で肉塊となって霧の底へ消えていった。


「……ふぅ。バルディアの作ってくれたコイツ、かなり馴染んできたな」


 エミルは軽くグローブを握り締め、その感触を確かめた。

 以前より魔力の通りがいい。自分の手の一部になったかのような一体感がある。


「にしし、当然だ! アヤメはどうだ? 慣れてきたか?」

「……そうですね。だいぶ使いこなせるようになってきました」

「へへっ、そっかそっか! 使えば使うほど自分の力になるからな」


 バルディアの明るい表情とは対照的に、アヤメの回答にはどこか戸惑いが感じられた。


「アヤメ……?」


 いつものアヤメとは違う。

 そんな違和感を覚えたエミルが声をかけようとした、その瞬間。


「油断しないで、次が来るわよ」


 サラが鋭い声を上げる。

 前方から、さらに二体の影が迫っていた。


「おっしゃ! 次もアタシに任せとけ!」

「どうにも気が休まらないな」


 苦笑しつつも、エミルは拳を構え直した。


 大地間の旅は、地上以上に命がけだ。冒険者の仕事に、大地間を移動する商人の護衛が絶えないのもわかる話だった。




 —————




 そうして魔物との戦闘を繰り返しながら、数日が経った。魔物の影も減り、船上に穏やかな時間が戻ってきた頃。


 休憩に入ったサラが、水筒を片手にエミルたちの元へやってきた。


「お疲れ様。もう少しで『アプスの大地』に入るわよ」

「お疲れ、サラ。さすがだな、ほとんど揺れもしなかった」

「当たり前でしょ。D級扱いされてたけど、腕は錆びついてないわ」

「なあ、なんでサラはD級なんだ? 基準はわからないけど、お前の腕ならもっと上でもいいんじゃないか?」

「……さあ」


 サラは自嘲気味に口の端を歪め、遠い目をした。


「あたしを登録したのは、あのリシャールよ。嫌がらせで低くされたのかもしれないし……あるいは、実力通りなのかもね」

「そんなわけ……」

「いいのよ。あたしは落ちこぼれだから」


 それ以上踏み込まないで、と拒絶するように、サラは視線を逸らした。


 話を変えるように、サラはアヤメに向き直った。


「ねえ、アヤメちゃん。ずっと気になってたんだけど」

「はい、なんでしょう?」

「アプスの大地……シオン国って、鎖国してるのよね? 海流と霧で閉ざされた孤島だって聞くけど……どうやって外に出たの? 星読師(ステラノート)なしじゃ、あそこから出るのは不可能よ」


 その疑問に対し、アヤメは「転移石」と呼ばれる希少な魔石を使った話をした。


「転移石……?」


 サラが眉をひそめる。


「そんな便利な魔石があるなら、星読師(ステラノート)なんて商売あがったりね」

「いえ、とても貴重で、ほとんど世に出回っていないそうです。父を看病してくれている友人が、わたしに持たせてくれたんです」

「友人?」


 アヤメはこくりと頷き、どこか遠くを見るような表情になった。


「バエルといって、わたしの古くからの友人です。小さい頃から、とてもお世話になっていて」

「へえ……。随分と信頼しているのね」

「元商人ですが薬の知識も深くて。父が奇病に倒れた時も、すぐに駆けつけて看病してくれたんです。だからその……恩人、ともいうべき存在です」

「そう、いい人に恵まれたのね」

「はい。だから、必ず魔石を持ち帰って、バエルと一緒に父を治してみせます」


 アヤメは懐から、グロムハルトで手に入れた紫色の魔石を取り出すと、大切そうに両手で包み込んだ。


「さ、見えてきたわよ」


 サラの声に、全員が船べりに駆け寄る。


 神脈(ルミナスロード)の青白い光が途切れ、船はゆっくりと高度を下げていく。眼下に広がっていた濃霧が晴れ、ようやく次なる大地の姿が見えてきた。


「……あれが、アプスの大地」


 広大な海の真ん中に、ぽつんと浮かぶ巨大な孤島。


 島の周囲は断崖絶壁に囲まれ、波が激しく打ち付けている。島の上部は鬱蒼とした森に覆われ、中心部には霧が立ち込めていて全容が見えない。


「すごいな……本当に陸の孤島だ。それにあの霧……ミストリアを思い出すな」

「ええ。この霧と地形が、シオン国を他国の干渉から守ってきたんです」


 アヤメが故郷を見つめている。


 その横顔には、帰郷の喜びよりも、張り詰めた緊張感が漂っていた。


 旅の間こそ、アヤメはずっと明るく振る舞っていたが、シオン国に近づくにつれて口数が減り、視線が泳ぐことが増えていた。父の病気に国の現状。彼女の双肩にかかる重圧は計り知れないのだろう。


「あなたたち……ミストリアを知ってるの?」

「ああ。セルディスに向かう途中に迷い込んだんだ。長老とかいうジイサンにも会ったぜ」


 バルディアが腕を組みながら答える。


「スランドル様が、あなたたちと……?」

「そっか、サラもミストリア出身だったりするのか?」

「……いいえ。あたしはエルフといってもハーフだから。ミストリアには、入れないの」


 サラの声が微かに沈んだ。

 エルフでありながら、エルフの森に行ったことがない。その言葉の裏に、何か複雑なものがあるのだろう。


「サラはハーフエルフなんだよな、アタシと仲間だな!」

「ええ、まあ……そうね」


 バルディアの屈託のない笑顔に、サラは小さく息をつき、表情を和らげた。


 船はゆっくりと高度を下げ、断崖の一部に設けられた隠し港のような場所へと着岸した。

 タラップが下ろされ、湿った潮風が吹き込んでくる。


 久しぶりに踏む大地の感触。だが、ここはまだシオン国の入り口に過ぎない。


「ここから先は、わたしの案内が必要です。行きましょう。父とバエルの待つ、カルフール城へ」


 アヤメの力強い声と共に、一行は未知なる大地へとその第一歩を踏み出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ