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黒焔の復讐者は禁忌を宿して異世界を往く  作者: 美希昌希
第三章:セルディス王国編
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第095話 雇ってくれないかしら?

 空を流れる淡い光の帯——神脈(ルミナスロード)


 その輝きの下、ラグネシアの港は早朝から賑わっていた。神脈航行船を見上げて歓声を上げる冒険者たち、荷物を抱えて走り回る商人、別れを惜しむ家族の姿。桟橋は活気と興奮に満ちている。


 その喧騒から少し離れた場所で、エミルは腕を組んだまま港の入り口を睨んでいた。


「……来ない、な」


 何度目かもわからない独り言が漏れる。


 視線の先にある大通りには、行き交う馬車や荷運びの男たちばかり。銀髪のエルフの姿は、どこにもない。


「……すまない、アヤメ。お前の親父さんのリミットがあるってのに」

「いえ、謝らないでください。わたしも……サラ様を信じたいですから」


 アヤメは気丈に首を横に振った。

 その真っ直ぐな瞳が、逆にエミルの胸を締め付ける。


「エミル。アタシはオマエを信じるぜ。オマエが『待つ』って決めたアイツを、アタシも信じてる。だから、そんな顔すんな」

「バルディア……」


 二人の信頼が、胸に刺さる。


 嬉しいはずなのに、その重さが今は苦しかった。


 カン、カン、カン——。


 出航を告げる鐘が、また鳴り響く。神脈航行船が、光の帯を滑るように出発していった。

 港が閉まるのは夕方だが、このまま待ち続ければ、星読師(ステラノート)を探しに教会へ戻る時間さえ危うくなる。


 ——これ以上は、駄目だ。


 エミルは拳を握りしめた。

 自分一人の決断で、これ以上二人に迷惑をかけるわけにもいかない。


「……ダメだ。教会に戻ろう。港が閉まる時間には間に合うはずだ」

「エミル……」

「エミル様……」


 バルディアとアヤメが、痛ましそうな顔でこちらを見ている。

 その視線から逃げるように、エミルは背を向けた。


 ——結局おれは、何も……。


 やり場のない感情を押し殺し、一歩を踏み出した、その時。


「待って……!」


 人混みを切り裂くような、鋭い声。


 弾かれたように振り返った。


 港の入り口に、雑踏をかき分け、一人の女性が立っていた。


 大きな荷物を背負い、肩で息をしている。銀色の髪が、朝日に照らされて眩しく輝いていた。


「サ……ラ……?」


 呆然と、その名を呟く。


 来た。


 本当に、来た。


「はぁ……っ、はぁ……ご、ごめんなさい……! 孤児院の引き継ぎに、思ったより時間がかかって……!」


 サラは膝に手をつき、荒い呼吸を整えながら顔を上げた。


「サラお姉ちゃん、頑張ってー!」

「泣くなよー!」

「行ってらっしゃい!」


 大通りの向こうから、リカを先頭にした子供たちが、必死に手を振っているのが見えた。


 サラは一度だけ振り返ると、大きく息を吸い込んだ。


「行ってきます!」


 凛とした声に、力強く振り返された手。

 その背中には、もう迷いがなかった。


 サラがこちらに向き直る。

 その蒼い瞳には、もう昨日までの諦めも、虚無もなかった。


「……遅い」


 エミルは、こみ上げる熱いものを誤魔化すように、わざとぶっきらぼうに言った。

 サラはくすりと笑うと、一歩踏み出し、エミルの目を真っ直ぐに覗き込む。


「ねえ、エミル君」


 朝日に照らされた彼女は、今まで見たどんな時よりも美しかった。


「あたしを、あなたのパーティの星読師(ステラノート)として雇ってくれないかしら?」


 エミルは、一瞬言葉を失った。

 喉の奥が熱くなり、視界がわずかに滲むのを、必死にこらえる。


「……ああ。よろしく頼む」

「ふふっ。契約成立、ね」


 サラが満足げにウィンクをした瞬間、横から小さな影が飛び出した。


「にしし! やっと来たか、遅えぞ!」

「ようこそ、サラ様!」


 バルディアとアヤメが左右からサラに抱きつく。


「ちょ、ちょっと! 走ってきたから、汗が……」

「んなもん気にすんなって!」

「ふふ、そうですよ、サラ様」


 サラは困ったように眉を下げながらも、その表情はどこまでも柔らかい。


「……あ、そういえば、教会への手続きしてなかったな」


 焦るエミルを見て、サラは涼しい顔で懐からギルドカードを取り出した。人差し指で挟み、ひらつかせる。


「ああ、それなら心配いらないわ。あたしの方で、もう済ませておいたから」

「……さすがだな。準備がいい」

「当然よ。D級扱いされてたけど、腕は錆びついてないわ」


 サラはにやりと悪戯っぽく笑い、少しだけ誇らしげに胸を張った。


「さあ、行きましょう。まだ神脈航行船はレンタルできるはずよ」


 サラが、神脈(ルミナスロード)を見上げながら言った。


 空に浮かぶ光の道が、青白く輝いている。その先に広がるのは、まだ見ぬ世界。


 目指すは、アヤメの故郷——水の神獣アプスの大地。


「よし……行くぞ」

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