第092話 C級冒険者の誕生
——いつの間に、そこにいた?
エミルの背筋を、冷たい汗が伝い落ちた。
限界まで張り詰めていた『魔力探知』。の網。リシャールの歪んだ魔力も、グリアの重厚な魔力も、全て把握していたはずだった。
なのに。
リシャールの背後に佇む、その小柄な人影だけが、最初からそこにいたかのように、エミルの網から完全に抜け落ちていた。
「……ミ、ミカル……様……?」
リシャールの喉から、かすれた声が漏れた。
純白のオラクルズの制服に中性的で整った顔立ち。だが、その瞳には何の感情も浮かんでいない。
——ヤバい。
本能が警鐘を鳴らしている。グロムハルトで戦ったアレスとも、S級冒険者のグリアとも違う。ここだけ世界が切り取られているような、異質な存在感。
「グリア殿の言うことは正しいよ、リシャール」
小さく息を吐くような声。
だがその一言で、リシャールの肩がびくりと跳ね上がった。
「その、あの……。こ、これは……」
「言い訳はいいよ。君の行動に前から疑念を抱いていてね。グリア殿に極秘裏に調査を依頼していたんだ」
ミカルは薄い笑みを浮かべたまま、淡々と続ける。
「奴隷商自体は黙認しているけれど、オラクルズが主催者となると話は別だよね? 市民への示しがつかない。それに、君は気づいてなかったみたいだけど、監視の目は最初から付けていたんだよ」
「そ、そんな……私は……私は、ただ……!」
「司教を殺したことは予想外だったよ。まあ、おおよそ教会を任すにふさわしくない人物だったんだ。いずれ任を解く予定ではあったけど、自ら罪を増やしてくれるとは……全く、愚かな男だね」
トン、とミカルがリシャールの肩に手を置いた。
たったそれだけの動作で、リシャールは糸が切れた操り人形のように崩れ落ちた。
「あ……ああ……」
瞳から光が消え、絶望に染まっていく。
もはや弁解する気力すら残っていないようだった。
ミカルは興味を失ったように視線を外すと、くるりとエミルたちの方へ向き直った。
無機質な瞳が、エミルを、アヤメを、バルディアを舐めるように観察する。
「すまなかったね。僕の部下が、君たちに随分と迷惑をかけてしまった」
「……え?」
予想外の謝罪に、エミルは思わず間の抜けた声を漏らした。
「この支部の不始末は、僕らオラクルズ内部で処理させてもらうよ。君たちへの容疑は、これでなしだ。正式な書類はあとで回すけど……安心していい。これ以上、君たちを煩わせることはないからね」
ミカルは微笑んでいるが、その目は笑っていない。
——『これ以上首を突っ込むな』、とでも言いたいのか。
グリアの仲間やゴーレムたちが、オークションの客を次々と拘束していく。リシャールもまた、ミカルの部下たちに両脇を抱えられ、連行されていった。
その光景を見送りながら、エミルの胸の中に残ったのは達成感ではなかった。
——『追われる側のようだね』
グロムハルトで戦ったアレスの捨て台詞が、脳裏をよぎる。
この騒動の裏に、アレスの組織が関わっているのではないか。そう疑っていたが、結局はっきりしたことは何ひとつ掴めないまま、幕が引かれようとしている。
得体の知れない何かが、じわじわと近づいてきている。そんな感覚だけが、胸の奥に黒い染みのように広がっていく。
「……っ」
頭を振って、その感覚を振り払う。
今は目の前のことだ。
エミルはサラの前で足を止めた。
少し遅れて、アヤメとバルディアも並ぶ。
「エミル君……」
サラは震える声で呟き、深く、深く頭を下げた。
「本当にごめんなさい。あたしが巻き込んでしまった……あたしが……っ」
「いいんだ、顔を上げてくれ。お前もリシャールに利用されていただけだろ」
「そうですよ、サラ様! あなたも、子どもたちも無事だったんです」
「あなたたち……」
アヤメが、エミルの背後でむすっと腕を組んでいたバルディアの手を引き、ぐいっとサラの前に連れていく。
「ほら、バルディアちゃんも。言いたいことがあるなら今ですよ?」
「……ケッ。アタシは釈然としねえとこはあんだけどな!」
バルディアはそっぽを向いたまま、ボリボリと頭をかいた。
「でもまあ、エミルもアヤメも許してんのに、アタシだけ怒ってるのもなんか違うっつーかよ。……その、なんだ、今回は貸しにしといてやるぜ」
「あ、ああ……バルディアちゃんは素直じゃなくて……」
「ふふっ、いいのよ。それ以上のことをやったんだもの。……本当にお人好しな人たち」
そう言って微笑むサラの表情は、どこか儚くて、どこか寂しげで。
視線だけが、エミルたちから逃げるように逸れていた。
—————
それから三日が過ぎた。
奴隷として売られそうになっていた人々は保護され、教会の地下にあったオークション会場も封鎖された。
公式発表によれば、事件の黒幕はA級冒険者パーティ『黒鷲』。リシャールは彼らに唆された被害者だったという。
黒鷲は極刑。オラクルズは再発防止と信頼回復に努めると声明を出した。
街ではその話題で持ちきりだ。
——ふざけた話だ。
リシャールが糸を引いていたのは、あの場にいた人間なら誰でもわかる。だが、オラクルズは身内の不祥事を隠蔽し、全ての責任を冒険者に押し付けて幕引きを図った。
三日間、エミルはその公式発表を何度も反芻していた。
澱のような不快感が、胸の底に溜まっていく。
そして今日、エミルたちは冒険者ギルドの重厚な扉をくぐっていた。
「……セルディスの闇を暴いた、ねえ」
ギルド長室。
書類の山に埋もれるようにして座っていたブラドが、呆れたようにため息をついた。
「冒険者登録してからわずかひと月だぞ? 薬草採取に行かせりゃ山賊を壊滅させ、今度は王国の暗部をひっくり返すたぁ……全く、どうなってやがる」
「ははは……そんなのはおれが知りたいところだ」
苦笑いを返しながら、エミルは内心で別のことを考えていた。
——このタイミングでの呼び出し。嫌な予感しかしない。
「ま、結果オーライだ。……受け取れ」
ブラドが無造作に放り投げたプレートを、エミルは慌ててキャッチする。
それは、鈍く輝く銀色のギルドカードだった。
刻まれたランクは『E』ではなく——『C』。
「……!」
「喜べ。お前は今日からC級だ」
「やりましたね、エミル様!」
「にしし。オマエの実力でE級ってのが理不尽だったからな、当然だぜ!」
アヤメとバルディアが、興奮した様子で新しいギルドカードを覗き込む。
カードの端をつまんだまま、エミルの手がわずかに震えた。
——C級冒険者、か。
肩書きだけ聞けば、大きな前進だ。
だが、素直に喜べなかった。
黒鷲を黒幕に仕立てた情報操作。
そしてこのタイミングでの昇格。
——「余計なことを喋るな」という、オラクルズとギルド上層部からの圧力だ。
わかっている。今ここで騒いでも何も変わらない。飲み込むしかない。
「三人揃ってC級か。ま、悪くねえパーティだ」
エミルの表情を読み取ったのか、ブラドがわざとらしく明るく言った。
「全員がC級なら、そこそこの星読師だって雇えるようになる。お前らアプスの大地に行きたいんだろ? その神脈航行船の手配も、しやすくなるだろうよ」
「……そう、だな」
頷きながら、エミルの脳裏に一人の女性の顔が浮かんだ。
自分を卑下し、誰のことも信用できず、それでも子供たちを守ろうとした不器用なエルフ。
あの時の、逃げるような視線。
——あれは、引きこもっていた頃のおれと同じ目だ。
世界を恐れ、自分を諦め、誰かに手を伸ばしてほしいのに、その手を振り払ってしまう。
そんなやつを、このまま置いていけるわけがない。
「おい、もしかして、もう星読師のアテがあるのか?」
「……ああ。もう、決めてる」
迷いは、もうなかった。
「そうか。C級に上がったからつって、無茶しすぎんじゃねえぞ」
ブラドはそれだけ言って、いつもの乱暴な手つきで「とっとと行け」と手を振った。
ギルドを出ると、アヤメが小走りで隣に並んできた。
「エミル様、さっきのって……」
「ああ。サラだ」
エミルは歩みを止めず、前を向いたまま答えた。
まだ教会との正式な手続きもある。サラ自身がどう思っているかも分からない。拒絶されるかもしれない。
それでも。
「おれは、あいつを星読師として雇いたい。……あいつじゃなきゃ、ダメなんだ」
その気持ちだけは、もう誤魔化せなかった。




