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黒焔の復讐者は禁忌を宿して異世界を往く  作者: 美希昌希
第三章:セルディス王国編
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第091話 お前が諦めても

 眼前の男に拳を叩き込む。

 その瞬間、エミルの脳裏にサラの瞳がよぎった。


 初めて教会で彼女と出会ったとき、息を呑んだ。

 その瞳に、見覚えがあったからだ。


 自分のことなんて、どうでもいいと思っている目。

 生きることを、とっくの昔に諦めてしまった目。


 ——ああ、知っている。


 洗面台の鏡越しに死ぬほど見てきた、希望も未来も何ひとつ映さない、虚ろなガラス玉。

 十年間、部屋の隅で腐りかけていた、あの頃の自分の目だ。


 健康なんてどうでもよかった。食生活を意図的に乱し、身体を壊そうとした。いざとなったら使えるようにと、あの「道具」まで準備していた。


 でも、実行には移さなかった。


 母さんがいたからだ。


 自分なんかのために、朝早くから夜遅くまで働き続ける母さん。

 疲れ切った顔で、それでも「大丈夫よ」と笑ってくれる母さん。


 その笑顔を裏切ることだけは、できなかった。


 ——サラにとっては、あの子どもたちがそうなんじゃないか。

 彼女が何を抱えているのか、詳しくは知らない。それでも、あんな目をしている彼女に“裏切り者”のレッテルを貼って、見殺しになんてできるか。


 アヤメやバルディアに向ける感情とは、まったく別の衝動が突き上げてくる。


 利用しようとした相手に「全員助ける」などと言われ、きっと彼女は混乱しているだろう。


 だが、それでもいい。


 ——そんな顔をして終わらせてたまるか。

 お前が諦めても、おれが諦めない。


「おおおおおおッ!」


 ドゴォォォッ!!


 黒い焔を纏った拳が、黒鷲のリーダー・エンデバーの顔面を深々と捉える。

 奴は声を上げる間もなく吹き飛び、床に転がってピクリとも動かなくなった。


 視界の端では、アヤメとバルディアも決着をつけていた。


「『翠風流剣技・天津風(あまつかぜ)』!」

「『狂気掻(クルペオ)・アプセット』!」


 疾風のごときアヤメの踏み込みと、バルディアの爆炎を纏った爪が、完璧な連携でコンスティの巨体を捉える。

 

 動きが一瞬鈍った隙を、アヤメが見逃すはずもない。低い姿勢から懐へ潜り込み、逆手に持った剣の柄頭を、コンスティの顎へカチ上げた。


「がっ……!?」


 脳を揺らされた巨漢が、白目を剥いてどっと倒れる。


「はぁ……はぁ……」


 アヤメが肩で息をしながら、剣を鞘に収める。


「おいおい、殺しちまったのか?」

「いえ、峰打ちですよ、バルディアちゃん」

「そっか! ま、アタシらにかかれば、こんなもんだな!」


 バルディアがニシシと笑って拳を突き出すと、アヤメも安堵の笑みを浮かべてコツンと拳を合わせた。


 エミルは、すぐさま檻の方へと振り返った。


 鉄格子の向こうで、サラが信じられないものを見る目でこちらを凝視している。あの虚ろだった瞳に、微かな光が揺れていた。


「……本当に、助けてくれたの?」

「言っただろ。全員助けるって」


 黒焔を纏った手で、檻の鍵を強引に握りつぶす。ガキン、と硬い音がして扉が開いた。


 だが、安堵したのも束の間。


「ひ、ひぃぃぃ! に、逃げろぉぉ!」

「冒険者が暴れてるぞ!」

「素性を嗅ぎ回られたらまずい! 早く!」


 騒ぎに気づいたオークションの客たちが、我先にと出口へ殺到する。この国の闇に群がっていた貴族や富豪たちだ。彼らを逃せば、奴隷売買を暴く証人がいなくなる。


「ちっ、あいつらは仕方ねえか……!」


 バルディアが舌打ちをする。


 この人数を三人で止めるのは不可能だ。サラたちの無事が最優先と判断し、諦めかけた、その時。


「ヌハハハ! ここからは吾輩の出番ですぞ!」


 会場の空気が、びりびりと震えた。


 出口に殺到していた群衆の足が、ピタリと止まる。雷鳴のような大音声に、全員が凍りついたのだ。


 そこに立っていたのは、壁のように巨大な影。


 S級冒険者、グリア・バナザードの威圧感が、会場全体を支配していた。


「逃がしはしませんぞ!」


 グリアは高らかに笑いながら、その太い腕を床に叩きつけた。


「出でよ、我が兵団! 人形達の宴ドールマンズ・コンベンション!」


 ズズズズズ……ッ!


 床が、壁が、天井が波打つ。

 石材が泥のように形を変え、無数の岩石人形(ゴーレム)へと姿を変えていく。


 一体や二体ではない。十、二十、三十、会場を埋め尽くすほどのゴーレムが、逃げ惑う客たちの前に立ちはだかった。


「ひ、ひぃっ! ば、化け物だァ!」

「通せ! 金ならやるから!」


 同時に、会場の四方から屈強な冒険者たちが姿を現す。グリアのパーティメンバーだ。彼らはゴーレムと完璧に連携し、瞬く間に客たちを取り押さえていく。


「……す、すげえ」


 バルディアが息を呑んだ。


 ——これが、S級……!


 エミルも内心で舌を巻いていた。

 たった一人で、この会場を完全に支配してみせた。ドワーフでありながらあの巨躯、そして圧倒的な魔力量。牢獄で助けられた時も思ったが、やはりこの男は規格外だ。


 客たちを完全に封じたグリアが、ゆっくりとこちらへ歩み寄る。その琥珀色の瞳が、床に転がるエンデバーを一瞥した。


「……だから、台座が甘いと足元を掬われると言ったでしょうに」


 グリアはエミルへと視線を転じた。


「お見事な仕上がりでしたぞ、エミル殿。A級パーティを相手に完勝とは」

「……いや、ギリギリだったよ」

「ヌハハハ! 謙遜は美徳ですが、事実は事実。胸を張られよ」


 グリアは満足そうに頷くと、周囲を見渡した。


「さて、ネズミどもは全員型に収めましたぞ。あとは——」


 その言葉に合わせるように、袖の奥から「パチ、パチ、パチ」と乾いた拍手が響いた。


「いやあ、見事、見事。まさか君たちだけで、奴隷事件の首謀者どもを捕らえてくれるとはね」


 ゆったりとした足取りで現れたのは、オラクルズのラグネシア支部長、リシャールだった。

 彼は気絶しているエンデバーたちを一瞥し、さも感心したように頷く。


「ご苦労だったね。あとは我々オラクルズが引き取ろう」

「……お前。おれらを拘束しておいて、どの口が言ってんだ」

「おや? 人聞きの悪いことを言わないでくれるかい。この奴隷事件と、司教が殺されていた事件はまた別物だよ。君たちの疑いが晴れたわけではないことを、忘れてもらっては困るな」


 しゃあしゃあと宣うその態度に、檻の中のサラが叫んだ。


「……嘘よ! エミル君、騙されないで!」


 彼女はリシャールを真っ直ぐに睨みつけ、声を張り上げる。


「そいつが全ての首謀者! 黒鷲の背後にいたのも、司教を殺したのも、全部そいつ……!」

「……ほう。貴様の言葉など誰が信じると……? そこまで言い切るには、何か証拠でもあるのだろうな」


 リシャールの眉が、ピクリと動く。


 その告発を裏付けるように、グリアが重々しく口を開いた。


「リシャール支部長殿。吾輩の調査でも、貴殿は最有力な容疑者候補として上がっておりましてな」

「……何を馬鹿なことを」


 さすがのリシャールも、S級冒険者からの指摘には顔色を変える。表面上の余裕は保っているが、その額にはうっすらと汗が滲んでいた。


「貴族を集め奴隷オークションを定期的に開催していたのはわかっておりますぞ。司教と黒鷲にも協力させ、この場所に関係ない者が近づかないよう見張りもさせていた。その司教ですが、裏では酒、賭博、娼館に溺れ、借金まみれ。ついには奴隷売買の金にまで手を出してしまった」


 グリアの一言一言が、リシャールを追い詰めていく。


「貴殿は司教を消したかったのでしょうな。しかし、教会の司教を簡単には消せませぬ。そこで、たまたま口論していたエミル殿たちに目をつけた。あのハーフエルフの娘に魔力遮断の魔石と雷の魔石を持たせ、エミル殿らを無力化させ、司教殺しの罪をなすりつけた。金の流れは、すべて裏付けが取れておりますぞ」


 全てが暴かれた。

 グリアの言葉とサラから聞いた話が、一直線に繋がる。


 リシャールは俯き、肩を震わせた。

 観念したのかと、そう思った次の瞬間。


「ハ、ハハハ! アッハハハハ!」


 狂ったような高笑いが、広間に響き渡った。


 リシャールが顔を上げる。

 そこにあったのは、正義の仮面を脱ぎ捨てた、欲望と焦燥に歪んだ醜悪な男の顔だった。


「……出来損ないのエルフの次は、出来損ないのドワーフか! S級だからって、偉いと思ってんじゃねえぞ! 私はオラクルズの支部長だ! 選ばれた人間なんだ! 貴様らのような下等な冒険者に、裁かれてたまるかぁッ!」


 リシャールが両手を広げた。その全身から、どす黒い魔力が噴き出す。


「いくらS級でも、オラクルズには反抗できまい! ここで全員死ねェッ!」


 エミルが黒焔を展開し、防御に入ろうとした、その時だった。


「……そこまでだよ」


 氷のように冷たく、一切の感情が乗らない声が、リシャールの動きを止めた。


 いつの間に現れたのか。

 リシャールの背後に、小柄な人影が立っていた。


 性別も年齢も判然としない、中性的な容姿。

 オラクルズの純白の制服に身を包み、その無機質な瞳で、リシャールを見上げている。


 ——なんなんだ。誰なんだこいつは。


 エミルの背筋に、冷たいものが走った。

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