第009話 スキル獲得
ゴブリンを倒した後、しばらく奥へ進んでいくと、森の開けた場所に出た。
目に入ったのは、月光を浴びたように淡く光る植物の群生。クエスト指定の薬草だ。
「……あれ? 地図と違うな。こんな奥地に群生地があったのか」
ダンジョンにあるという扉が元の世界に帰るゲートなら、もはやクエストには用はない。だがブラドに世話になった手前、せめて薬草採集だけはやるか。
そう思考を切り替えた瞬間、凍りついた。
薬草の群生を見守るかのように、その奥で何かが蠢いている。
大型犬ほどもある、巨大な蜘蛛。
鎌のような牙からは、紫色の粘液がボタボタと垂れている。
八つの単眼が、ギョロリと一斉にこちらを向いた。
「……っ」
全身に鳥肌が立った。ゴブリンなんかとは格が違う。
蜘蛛はまだ動かない。こちらを警戒しているのか、それとも獲物の品定めをしているのか。
——引き返して、別ルートからダンジョンを目指すか?
いや、どのみちダンジョンには潜るんだ。中にはこんな魔物がゴロゴロいるかもしれない。
ゴブリン戦で学んだばかりだろう、逃げの選択肢を消せ。
自分を叱咤している間にも、蜘蛛はじりじりと威嚇するように身体を揺らし始めた。
迷っている時間はない。
「……やるしか、ないか」
腹を括り、右の拳を握りしめる。
ゴブリンを屠った感覚を思い出す。身体の奥底から噴き上がる、熱く、どす黒い奔流。
「……来い」
意識を集中させた、その刹那。
巨大蜘蛛が身を震わせ、牙の間から何かを吐き出した。
ヒュンッ!
弾丸のような速度で迫る、白い糸の塊。
「ちっ……!」
咄嗟に身を捻るも、糸の速度は想像以上だった。
——直撃する……!
死を予感し、思考が白く染まる。
だが次の瞬間、世界が飛んだ。
景色が、瞬きする間もなく切り替わる。
気づけばエミルは、数メートル横の地面を踏みしめていた。
本来なら自分に直撃していたはずの糸が、何もない空間を虚しく通り過ぎていく。
「……は?」
何が起きたのか、理解が追いつかない。
ただ夢中で避けようとしただけだ。それなのに、過程をすっ飛ばして移動していた。
だが、混乱している暇はない。
目の前には、糸を吐き出した直後で隙だらけの蜘蛛の横腹が、無防備に晒されている。
「よくわからないが、チャンスだ……!」
ここでやらなきゃ、次こそ殺される。
「おおおおおおっ!」
雄叫びと共に右拳を突き出す。
呼応するように、拳に黒いモヤが宿った。
ズブッ!
拳が蜘蛛の腹部を深々と抉り、生々しい感触が伝わってくる。
キシャアアアアアアァァッ……!
断末魔の悲鳴を上げ、蜘蛛の巨体が激しく痙攣した。
——やったか?
そう確信し、緊張の糸が切れかけた瞬間だった。
「!?」
右脚に、焼けるような激痛が走る。
死に体の蜘蛛が、最後の力を振り絞って毒牙をエミルの太腿に突き立てていた。
「ぐ……あ……っ!」
慌てて飛び退くも、傷口からはすでに紫黒い液体が滲み出していた。視界がぐらりと歪み、手足の先から急速に熱が奪われていく。
「まさか、毒……?」
立っていられず、膝から崩れ落ちる。
心臓が早鐘を打ち、呼吸ができない。
——こんな、ところで……。
走馬灯のように、母の笑顔が浮かんだ。
——こんなことなら真っ直ぐダンジョンを探せば……。
くそ……おれは一体、なにを……。
意識を手放しかけた、その瞬間。
《スキル【毒耐性】を獲得しました》
脳内に直接、無機質な機械音声が響いた。
ゲームのシステムメッセージのような、あり得ない音声。
「……え?」
続けて信じられないことが起きた。
紫に変色していた脚が、正常に戻っていく。痛みも消え、疲労感すら薄れていく。
「なんだ……これ……」
幻覚なんかじゃない。確かに毒は消え、身体も回復している。
——毒蜘蛛の魔物から【毒耐性】のスキル……?
もしかして、倒した魔物から力を奪えるのか……?
戦慄と共に、強烈な高揚感が湧き上がった。
もしこの力を使いこなせば、強くなれる。ダンジョン攻略も楽になる。
そして、このまま元の世界に帰れば、復讐だって容易い。
そう思ったら、いてもたってもいられなくなった。
「試してみないと、わからないよな」
エミルは立ち上がり、魔物が多く生息しているであろう森の奥へと進んだ。
—————
それから数時間。森の中で、必死に新たな力を試した。
意識を集中させ、相手の力を“奪う”ことをイメージする。すると、脳内にステータスウィンドウのようなものが浮かび、スキル獲得の通知が表示される。
《スキル【麻痺耐性】を獲得しました》
《スキル【暗視】を獲得しました》
《スキル【魔力探知】を獲得しました》
獲得したスキルは、即座に肉体へと反映された。
暗い森が見やすくなり、周囲の魔物の位置が手に取るようにわかる。
《スキル【俊敏強化】を獲得しました》
《スキル【防御向上】を獲得しました》
《スキル【身体強化】を獲得しました》
身体が軽い。地面を蹴れば、風のように加速できる。
重かった短剣も、今では羽のように軽い。
「……本当に強くなってる」
だが同時に、心の奥で何かが壊れていく気がする。
魔物を殺すことに躊躇いがなくなっていく自分。
命を奪い、力を得ることに、快感すら覚え始めている自分。
——それでも、今はこの未知の力に頼るほかないんだ。
感情の狭間で揺れながら、空を見上げた。
「……すっかり遅くなったな」
気がつけば、辺りは真っ暗になっていた。
ダンジョンの場所はまだわからない。いくら力がついたとはいえ、夜の森を探索し続けるのは危険だ。
——地図だと、この近くに『タルマ村』があるはずだ。
村人なら、ダンジョンの情報も知っているかもしれない。温かい食事をとって、ベッドで眠れば、この昂った神経も落ち着くはず。
そう自分に言い聞かせ、エミルは森を抜けた。
やがて、街道の先に小さな集落の明かりが見えてきた。
木の柵で囲まれた、こじんまりとした村。
「よかった、あった……」
安堵の息をつき、簡素な門をくぐる。
人の営みがある場所なら、少しは安心できる——そう思った、次の瞬間だった。
ぴたり、と足が止まった。
最初に気づいたのは、匂いだった。
木材が焦げた臭いと、むせ返るような鉄錆と血の臭気。
「……なんだ、これ」
視界に飛び込んできたのは、破壊され尽くした家屋の残骸だった。
散乱する家財道具に、壁に飛び散った赤黒い飛沫。
そして地面に転がる、物言わぬ村人たちの姿。
「うっ……」
胃の中身がせり上がってくる。
ゴブリンや蜘蛛とは違う、人間の死体だ。それも、一方的に蹂躙された惨たらしい死。
——あの日の玄関と、同じにおいだ。
強烈なフラッシュバックに眩暈がする。
一体、誰がこんな……。
その答えは、村の中央にあった。
燃え盛る篝火の周りで、下卑た笑い声を上げながら酒盛りをする男たちの集団。
足元には略奪した食料と、血に濡れた剣が転がっている。
こいつらは、虐殺の後に宴を開いているのだ。
「あん? なんだぁ、テメェ」
宴の中心に座っていた大男が、肉を食いちぎりながら、面倒くさそうにこちらを睨んだ。




