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黒焔の復讐者は禁忌を宿して異世界を往く  作者: 美希昌希
第三章:セルディス王国編
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第089話 奇妙な男

 冷たい鉄格子を握る手が、白くなるほど震えていた。


 教会の地下に広がるオークション会場。

 檻の中に閉じ込められたサラ・イネリアは、奥歯が砕けそうなほど強く噛み締めていた。


 ——この子たちの身の安全が保証されるなら、あたしはどうなってもいい。

 この薄汚れた命ひとつで、この子たちの未来が買えるなら安いものだ。


 そう、割り切っていたはずだった。

 この、エミル・ハナビシという、奇妙な男に出会うまでは。




 —————




 数日前の深夜。閉門後の、誰もいなくなった教会。

 ステンドグラスから落ちる月明かりだけが、サラの足元を照らしていた。


「……何の用かしら」


 背後に立った気配に、サラは振り返りもせずに問う。

 まとわりつくような不快な足音の主は、オラクルズ支部長のリシャールだ。


「つれないな、サラ。せっかく良い知らせを持ってきてやったというのに」


 リシャールは下卑た笑みを浮かべながら、サラの隣に腰を落とした。


「貴様に興味を持つ物好きが現れたそうじゃないか。いい機会だ、雇ってもらったらどうだ」

「……期待なんてしてないわ」

「まあ聞け。もし奴らが本気で貴様を雇うと言うのなら……協力してやってもいい」

「……協力?」


 サラは警戒心を隠さず、リシャールを見上げた。


「そうだ。貴様が教会へどれだけ貢献してきたか、私が一番よくわかっている。それに、聞くところによると奴ら、ダンジョン攻略でかなりの金を持っているらしい。所詮E級だ、どんな不正な手を使ったのかは知らんがな」


 リシャールの目がギラついた。


「貴様が奴らを取り込み、星読師(ステラノート)として雇わせることができたなら……貴様も、貴様が世話をしているあのガキどもも、奴隷候補からは外してやってもいい」


 その言葉に、サラの心が揺れた。


 ——あの子たちを、奴隷候補から外す?


 脳裏に、子供たちの顔が浮かぶ。


 一緒にご飯を食べたこと。泣いている子の背中をさすったこと。夜、怖いと言って布団に潜り込んできた小さな体の温かさ。

 親を失い、行き場をなくした子供たち。サラは彼らの世話をしてきた。


 ——あの子たちだけは。あの子たちだけは、守りたい。


 だけど、信じられるはずがない。

 この男は、私欲のためなら人を人とも思わない。


 A級冒険者パーティを利用し、冒険ついでに奴隷候補を捕まえてこさせる。奴隷候補がいなければ、親を魔物に襲わせ、子を奴隷落ちさせる。時には貧民に金を渡して野盗に仕立て、それを捕まえるマッチポンプで支部長にまでのし上がった男。

 

 ——事情を知っているあたしも、いつ口を封じられるか……。


「信じられないって顔をしているな」


 リシャールは愉快そうに肩をすくめた。


「安心しろ、あくまで奴らの金が目的だ。オラクルズの目を盗んで奴隷売買なんてやってきたが、支部長にもなった今、これ以上リスクを負うつもりはない。奴らの金さえ手に入れたら、足を洗って、市民に優しい支部長様の顔で退役まで全うするつもりさ」

「……」

「明後日は定例オークションがある日だ。その日を最後に奴隷の売り買いは終わらせるつもりだ。だから明日だ。明日奴らをここに連れて来い。それができなければ、貴様もあのガキ共もオークションにかける」

「そんな、あの子たちはまだ先のはずじゃ……!」

「聞こえなかったか?」


 リシャールは立ち上がると、サラの顎を掴み、醜悪な顔を近づけた。


「貴様のやる気を出させるためにそうするって言ってるんだ。奴らの後は尾けさせている。今は近くの酒場にいるらしい。本気でガキ共を助けたいのなら、これが最後のチャンスだ」


 至近距離で囁かれる脅迫に、吐き気がこみ上げる。

 振り払いたい衝動を必死に抑え込み、サラは氷のような瞳で男を睨みつけた。


「……いいわ。やってあげる」

「ふっ、聞き分けの良い女は嫌いじゃないぞ」


 リシャールは満足げに手を離し、闇の中へと消えていった。


 一人残されたサラは、膝から崩れ落ちた。

 震える手で、自分の肩を抱く。


 ——この男の言葉は、嘘と欺瞞に満ちている。

 だけどもし。万が一、その言葉が本当なら。

 子供たちだけでも、この地獄から救えるかもしれない。


 あたしはどうなってもいい。あの子たちが、普通の生活を送れるなら。

 どうせ、あたしの人生なんてとっくに終わっているのだから。




 —————




 そうして、今日。

 リシャールの計画通り、彼らを罠に嵌めた。


 それなのに。


「どうして、あなたは……」


 サラは、檻の前に立つエミルを見つめていた。


 騙されたと知ってもなお、この男の瞳には侮蔑の色がなかった。あるのは、呆れるほど真っ直ぐな意志だけ。


 ——『おれは、酒場で話してたお前の言葉が嘘には思えない』


 この男は、そう言った。


 ——『だから、全員助ける』


 思考が止まった。


 子供たちだけじゃなく、あたしも助けると……?

 騙そうとした女を、なぜ。


 目の前で、戦いが始まろうとしていた。

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