第088話 全員助ける
「……エ、エミル、君……?」
掠れた声ではあったが、確かにサラの声だった。
——見つけた。
その安堵を口には出さず、エミルは鉄格子に歩み寄る。
「な、なんで……どうして、こんなところに……」
「お前には聞きたいことが山ほどあるからな。ひとまずここから出よう」
エミルは檻の鍵穴に手を伸ばした。
しかし、サラは静かに首を横に振る。
「……放っておいて。もう、いいの」
サラはか細い声でそう言うと、顔を伏せてしまった。
——なんだよ、それ。
胸の奥がざわついた。この反応には、覚えがある。自分を責め続けて、もうどうでもいいと思い込もうとする——あの頃の自分と、同じ匂いがした。
「……おれはまだ、お前の本当の目的も聞いてない。おれたちを教会で気絶させたのも、何か理由があるんだろ」
あの酒場での必死の訴え。震える声で語った『この地から連れ出してほしい』という願い。あれが全部嘘だったとは、どうしても思えない。
「何を……もういいって言ってるでしょ? 目的も何もないわ。あなたたちを罠にかけた、ただそれだけのこと」
「ああ、そういうのは良いから。待ってろ、今この鍵を……」
エミルは檻の鍵穴に手を伸ばし、スキルで破壊しようとした。
その瞬間だった。
「それ以上動くんじゃねえぞ、E級」
背後から響いた、冷たく粘つくような声。
エミルは弾かれたように振り返った。
「っ!?」
通路の入り口を塞ぐように立っていたのは、見覚えのある三人の男たち。A級パーティ『黒鷲』。
だが、エミルの視線を釘付けにしたのは、彼ら自身ではない。
「う……ぐ……っ」
「んー! んーッ!」
バルディアが、リザードマンの男、ビルク・ホージマーに首元へナイフを突きつけられている。アヤメが、重装甲の巨漢、コンスティ・ホルトに首を掴まれ、身動きを封じられている。
——なんで、二人がここに。
武器を探しに行っていたはずじゃ……!
「おやおや、随分と間抜けな顔をしてくれるじゃねえか」
リーダーのエンデバーが、下卑た笑みを浮かべて一歩前に出た。
「E級の雑魚が、随分と出しゃばってくれるじゃねえか。お前のお仲間が地下で嗅ぎ回ってたんでな、捕まえるのに苦労したぜ」
「何言ってんだお前。人に冤罪なすりつけやがって。司教殺しに奴隷売買……お前らこそ何してるかわかってるのか?」
「何してるか、だぁ?」
エンデバーは肩をすくめ、まるで世間知らずの子供を諭すような顔をした。
「商売だよ、商売。……だがまあ、この場所を見られちまった以上、生かして帰すわけにはいかねえな」
その目が、獲物を狩る獣のそれに変わった。
エミルは咄嗟に魔力を練ろうとした。だがそれより早く、エンデバーが右手を掲げる。
「おっと、変な真似はするなよ?」
その掌で、バチバチと青白い雷が爆ぜた。
「お前の仲間は見ての通りだ。……だが、それだけじゃねえぞ」
エンデバーは顎で檻の中をしゃくった。
「そこの奴隷どもがしてる手錠……見えるか? アレには、ちと強力な雷魔法が仕掛けてある。俺が合図すりゃ……わかるよなあ?」
「な……ッ!?」
「お前が妙な動きを見せたら、仲間の喉を掻っ切るのが先か、奴隷どもが黒焦げになるのが先か……試してみるか? ああ?」
その言葉に、エミルの全身から力が抜けていく。
アヤメとバルディアだけではない。檻の中の、無抵抗な子供たちまでもが人質になっている。
『空間転移』で一気にケリを付けたいが、相手は三人。ちょっとしたタイミングのズレが命に関わる。仮に一人を倒せても、残りが人質を殺す時間は十分にある。
——考えろ、考えろ。
何か方法があるはずだ。
「こいつらはお前にとっても『商品』なんだろ? おれひとり抑えるために、犠牲にしていいのかよ?」
「はっ。奴隷なんざ、また冒険ついでに捕まえりゃいいだけだ。魔物に襲われそうになっている女やガキ、スラム街で飯をねだるガキ……金のなる木は山ほどいるぞ? 代わりなんざいくらでもいるんだよ」
「……絵に描いたような外道だな、お前」
「褒め言葉と受け取っとくぜ」
エンデバーの笑みが深まった。
——こいつは本気だ。
自分の命や利益のためなら、他人の命など石ころ以下にしか思っていない。
どうする。どうすればいい。
思考が泥沼にはまっていく中、背後からサラの声が聞こえた。
「……ごめんなさい。まさか、ここまでの事態になるなんて……あたしのせいで……」
「なんだ? オラクルズにおれたちを捕まえさせておいて、こうなることを予想してなかったのか?」
エミルは振り返らずに答えた。
「返す言葉もないわ……。お願い、あたしはどうなってもいい。せめてこの子たちだけでも……!」
背後で、サラが立ち上がる気配がした。鉄格子を掴む音が聞こえる。
「おい、何をごちゃごちゃ話している。さあ、仲間もそいつらも殺されたくなきゃ、大人しく投降することだな。手足の一本や二本で許してやるよ」
エンデバーが鬱陶しそうに手を振った。ビルクがナイフを強く押し当て、バルディアが苦悶の声を漏らす。
——『この地から、連れ出してほしいの』
酒場でのサラの言葉が、脳裏をよぎった。
あの時の彼女の目。必死で、切実で、そして——どこか諦めたような。
「……嫌だ」
エミルは静かに、だが力強く言った。
「……え?」
「おれは、酒場で話してたお前の言葉が……嘘には思えない」
エミルは檻に背を向けたまま、静かに、だが力強く言った。
「だから、全員助ける。……奴隷たちも、お前も、アヤメもバルディアも。全員だ」
エミルの体から、ゆらりと黒いモヤが立ち昇った。




