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黒焔の復讐者は禁忌を宿して異世界を往く  作者: 美希昌希
第三章:セルディス王国編
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第087話 奴隷オークション

 アヤメとバルディアが地下牢でエリーと戦っていた頃。


「どれだけ広いんだよ、この建物は」


 グリアが壊してくれた地下牢から這い出し、迷路のような通路を抜けてようやく出た先。そこは、夜の闇に沈む巨大な空間だった。


 高い天井に、壁一面を飾る荘厳なステンドグラス。そして、整然と並べられた無数の長椅子。


「ここは、教会か……」


 今朝、司教が殺されていた現場だ。ようやく全ての点が線で繋がった。


 アストレア教団の教会と、その騎士団であるオラクルズ。二つの拠点が同じ場所にあること自体は不思議じゃない。だが、この清廉潔白を装った聖堂の真下で、薄汚いことが行われているとすれば話は別だ。


「リシャール……あの野郎」


 奥歯を噛みしめる。怒りと共に、先ほど地下で感じたあの感覚が蘇った。


 更に下から感じ取った、無数の人間の魔力。十人、二十人、いや、もっと。まるで家畜のように詰め込まれた、命の気配がそこにあった。


 グリアが話していた「人身売買」。それが重い現実となってエミルの胸に突き刺さる。現代日本で生きてきたエミルにとって、どこか遠い世界の話だった。だが今、その現実がすぐ足元に広がっている。


 ——サラも、この中にいるのか。


 無数の気配が混ざり合い、個人の特定はできない。それでも、彼女がこの異常事態と無関係であるはずがない。


「地下に通じる入口が、どこかにあるはずだ」


 【魔力探知】の精度を限界まで高める。

 地下牢で感じた、あの無数の魔力の気配。そのほとんどが建物の裏手、さらにその下から漂ってきている。


 ——こっちか。


 警戒しながら、教会の裏手へと続く薄暗い通路を進む。


 その時、背後から足音が聞こえた。


 咄嗟に柱の影に身を滑り込ませ、息を殺し、気配を消す。


 二人の足音が近づいてくる。鎧の軋む音。オラクルズの連中だ。


「地下牢が破壊されたって本当か?」

「ああ。囚人が逃げ出したらしい。支部長がお怒りだ」

「支部長は怒らすと面倒だからな……。早く捕まえないと」


 足音が遠ざかっていく。


 エミルは柱の影で、静かに息を吐いた。


 ——時間がない。


 裏手への通路を進むと、簡素な木製の扉を見つけた。


「こんなところに裏口が……。ちっ、やっぱ密室じゃなかったか」


 扉に手をかけながら、舌打ちする。


 この裏口を使えば、司教の死体があったホールへの出入りは容易いだろう。


 扉を開けると、そこは表通りの荘厳さとは対照的な、ゴミが散乱し悪臭が漂う裏庭だった。魔力の気配は、この裏庭の一角、ひときわ鬱蒼と茂った草むらの下から漂ってくる。


「……あった」


 草をかき分けると、地面に設置された古い鉄製の扉が姿を現した。地下からの魔力は、間違いなくここから漏れている。


「こんなところに……。つくづくヤバいとこだな」


 エミルは息を殺して扉に手をかけた。鍵はかかっていない。


 扉を開けると、冷たい石造りの階段が地下へと続いていた。

 音を立てないよう、慎重に階段を下りていく。


 下へ行くほどに、空気が変わった。湿った土の匂いが薄れ、代わりに、華やかな香水の匂いが漂ってくる。そして、楽しげなざわめきと、カチャン、カチャンというグラスが触れ合う音。


 やがて、通路の先がぼんやりと明るくなった。

 エミルは壁に張り付き、そっと中の様子を覗き込む。


「……なんだ、ここ」


 息を呑んだ。


 予想していたものとは、全く違った。


 薄暗い地下牢なんかじゃない。地下とは思えないほど広大な空間が広がっていた。天井には無数の魔石がシャンデリアのように輝き、床には真紅の絨毯が敷き詰められている。


 そして、そこにいる人間たち。


 ざっと見て、五十人は下らない。全員がドレスやタキシードに身を包み、酒を片手に談笑している。そして、全員が仮面でその顔を隠している。白い仮面、金の仮面、鳥のくちばしを模した仮面。誰一人として素顔を晒していない。


 ——なんか見たことあるぞこんな風景……。オークション会場か?

 【魔力探知】で感じた人の多さは、こいつら買い手も混じってたのか……。


 フィクションでしか見たことのない、異様な光景。


 背筋に冷たい汗が流れた。


 最初は単に、貴族が奴隷を買い付けに来るような、小規模な市場をイメージしていた。


 しかし、これほどの大規模な奴隷売買が、セルディス王国の中枢、それも教会の地下で行われている。リシャールだけでなく、王国の、あるいは教団の上層部までグルだとしてもおかしくない。


 オークションはまだ始まっていないようだ。仮面の客たちは開始を待ちながら歓談している。つまり、まだ“商品”は無事だということだ。


 ——今なら、間に合う。


 壁際を這うように移動し、広間の奥へと続く薄暗い通路を見つけた。


 悪趣味な広間とは対照的に、湿っぽくカビ臭い通路だ。華やかな照明はなく、壁に設置された灯がぼんやりと青白い光を放っているだけ。


 そして、その両脇には、無数の檻が並んでいた。


 鉄格子の向こう。

 薄闇の中に、人影が蠢いている。


 怯えた目をした子供たち。すべてを諦めたように虚空を見つめる女。獣人らしき者もいる。彼らは“商品”として、値踏みされるのを待っていた。


 檻の中から、幼い少女がエミルに気付いた。その瞳には光がない。涙を流す力さえ、もう残っていないのだろう。


 エミルの足が、無意識に前へ出た。


 その瞬間。


 檻の奥から、誰かがこちらを見た。

 暗闇の中で、銀色の髪がかすかに揺れる。


 虚ろだった目が、エミルを捉えた途端、わずかに見開かれた。

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