表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒焔の復讐者は禁忌を宿して異世界を往く  作者: 美希昌希
第三章:セルディス王国編
85/104

第085話 サラ・イネリア

 温かいスープの湯気が、子供たちの小さな顔を包み込んでいた。


「お姉ちゃん、ありがとう!」

「おいしい!」

「はい、ゆっくり食べなさい。おかわりはまだあるからね」


 無邪気な笑顔を浮かべ、夢中になってスープを啜る子供たち。サラ・イネリアはその光景を見つめながら、胸の奥で何かが軋むのを感じていた。


 ——ごめんね。もうすぐ、この子たちとも……。


 ここは教会本堂の裏手にある、表向きは孤児院として使われている小さな一室。親を失った子供たちが、肩を寄せ合って暮らしている場所だ。


 貧困、魔物や野盗による殺害、親が奴隷……理由は様々だ。司教は保護を謳いながら、この子たちをいずれ労働力か、あるいは『商品』として売り捌くつもりでいた。


 サラにできることは、世話係を名乗り出て、こうして僅かな食事を分け与えることだけ。


 ——『この地から、連れ出してほしいの』


 昨晩、酒場でエミルに向けた自分の言葉が、頭の中で反響する。


 ——白々しい。よくもまあ、あんな嘘が言えたものね。

 ずっと共に暮らしてきたこの子たちを見捨てて、一人だけ逃げ出す選択肢なんて、最初からなかったくせに。


 ——『辛かっただろう。こっちへ……』


 ズキッ。


 不意に走った頭痛に、サラはこめかみを押さえた。


 ——やめて。

 昔のことを考えると、必ず"あの人"が出てくる。

 もう、忘れたい。あたしを自由にしてほしい。


 ドクン、と心臓が大きく跳ねる。


 胃の底から込み上げてくるものを必死に飲み込んだ。


「お姉ちゃん、大丈夫?」


 隣で食事をしていた子が、心配そうに見上げてくる。


「ええ、大丈夫よ。ちょっとぼうっとしちゃっただけ」


 無理やり笑顔を作る。子供たちを不安にさせるわけにはいかない。


 ——『おい……!』


 自分を呼び止めたエミルの顔が脳裏をよぎる。


 嘘を見抜こうとするような、それでいてどこか心配そうな、熱を帯びた目。

 彼らは今頃、リシャールに捕まっただろうか。


 もし、もしあの時、全てを打ち明ける勇気があったなら。


 ——……馬鹿ね。

 期待なんてするな。どうせ裏切られる。あたしみたいな“傷物”を、本気で救おうなんて人がいるはずがない。期待した分だけ、傷つくのは自分だ。


 サラは湧き上がる未練を、乱暴に心の奥へ押し込んだ。


 その時だった。


 バタン、と乱暴に扉が開く。


「……まだそんな無駄な世話を焼いているのか」


 冷めた声と共に部屋に入ってきたのは、ラグネシア支部の支部長、リシャール・グリエルだった。


 その鋭い目が、子供たちとサラを不快そうに一瞥する。子供たちが怯えて身を寄せ合い、サラは反射的にその前に立ちはだかった。


「リシャール……」

「いくら貴様の魔力が強いからといって、自由に動き回りすぎだ。余計な真似はするなと言ったはずだが?」


 返事も待たず、リシャールは無遠慮にサラの腕を掴んだ。そのまま奥の部屋まで引きずっていく。


 掴まれた腕の感触が、忌まわしい記憶を呼び起こす。


「っ、離して……!」

「黙れ。貴様は表向きこそD級の星読師(ステラノート)だ。だがな、同時にいつでも競売にかけられる“商品”だということを忘れるな」


 壁に押し付けられる。リシャールの顔が近づき、その目が粘つくような欲望を宿した。


「例の冒険者どもを教会へ誘い込んだ手際は褒めてやろう。おかげで司教殺しの罪も、全部あいつらに被せられた」


 サラは込み上げる吐き気に耐えながら、リシャールを睨みつけた。


「約束は守ったわ。あの子たちには手を出さないで」

「ああ、あのガキ共か。悪いな。予定が変わった」

「なっ……そんな、話が違う!」


 絶望に声が震える。その反応を待っていたかのように、リシャールの手がサラの首を締め上げた。


「ぐ……っ」

「貴様、あの冒険者共に余計なことまで話したらしいな。バレてないとでも思ったのか?」


 ——『あたしを引き取りたいという貴族が来ることになってるの』


 ——あの会話、聞かれていたのか。あたしとしたことが……。


「ただでさえ最近この辺をうろちょろしているネズミ共がいるんだ。余計な口は慎むべきというのがわからんのか? ああ?」

「……っ」

「お人好しそうな連中だもんな。もしかしたらって希望でも抱いたか? ハッハッハッ」


 リシャールは首に手をかけたまま、嘲笑った。だが、その目は笑っていない。


「貴様みたいな傷物、誰が好んで手を取るというんだ。勘違いするなよ? あのガキ共だって、大切な“商品”なんだからな……」


 歪んだ視線が、サラの首筋から豊満な胸元へと這うように落ちていく。


「どうせ貴族のバカ共に売られるんだ。その前に俺が味見でもしてやろうか……」


 いやらしい手つきで、サラの服に指がかかる。


「やめ……触らないでッ!」

「あぁん? 誰に向かって口を利いてる?」


 パンッ!


 乾いた音が響く。

 頬を平手打ちされ、サラはその場に崩れ落ちた。


 口の中に鉄の味が広がる。


「誰のおかげで()()()()()を見逃してもらってると思ってる? 貴様のような“傷物” を、星読師(ステラノート)にしてやった恩を忘れたか? 奴隷として売った方がよほど金になるんだ。それとも、売り上げを着服してた司教(ジジイ)みたいになりたいか?」

「……っ」


 サラの瞳が、恐怖で見開かれる。


 リシャールが下卑た笑みを浮かべ、サラの服を乱暴に剥がそうとした、その時。


「ねえ、リシャール支部長。何遊んでるの?」


 部屋の入り口から、第三者の声が響いた。

 感情の読めない、中性的な声。


 リシャールの動きがピタリと止まった。

 脂汗を浮かべ、錆びた機械のようにぎこちなく首を回す。


「あ、あなたは……!」


 慌ててサラの体から手を離し、声の主に向かって直立不動の姿勢をとった。


 入り口に立っていたのは、小柄な人影だった。


 オラクルズの制服を身に纏い、顔は深いフードで隠されている。性別すら判然としないが、その華奢な体躯から放たれる威圧感は、リシャールの比ではない。


「任務はどうなってるのかな? 今日、君がここに来る予定なんて聞いてないんだけど」

「も、申し訳ございません……! ちょっとこの女への“教育”が必要でして……困ったもんです、ハハハ」

「ふーん。上に媚びることしか能がない君が支部長だなんて……やっぱり僕には理解できないなぁ」


 声には抑揚がない。


 だからこそ、その言葉がリシャールの顔から血の気を奪っていくのがわかった。


「そ、そんな……、はは。ちなみに今日はどうされたので……?」

「……ちょっと気になることがあってね。それより、下が騒がしいよ。地下牢で何かあったかもしれない。見てきてくれない?」

「はっ! 直ちに!」


 リシャールは弾かれたように敬礼すると、逃げるようにサラの腕を掴み上げた。


「来い、サラ。貴様もだ」


 有無を言わさず引きずられていく。サラは最後に一度だけ振り返った。


 フードの奥。暗闇の中で、口元だけが三日月のように歪んでいるのが見えた気がした。


 ——この人は……? リシャールが、これほどまでに恐縮する相手……。


 顔は見えなかった。


 だが、その影から放たれる異様なまでの冷気だけが、サラの肌に焼き付いて離れない。


 まるで、人の形をした『別の何か』を見ているような——。

 背筋を這い上がる悪寒に、サラは思わず身震いした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ