第082話 殺意の教会
体が、鉛みたいに重い。
魔力を根こそぎ吸い取られたような虚脱感。指一本動かすのにも、途方もない労力がいる。
「……っ、う……」
瞼をこじ開けると、視界に飛び込んできたのは、高い天井と、薄暗いステンドグラス。冷たい石の床に、体が転がされていた。
「ここは……教会……?」
意識が途切れる直前の記憶が、断片的に蘇る。魔力をかき乱され、膝をついた自分とバルディア。背後から襲われ、崩れ落ちるアヤメ。そして……。
——『あなたたち、お人好しそうだもの。……悪く思わないでね』
あの声。
助けを求めていたはずの、あのサラの声だ。
「……っ!」
胃の奥から、苦いものがせり上がってくる。
怒りか、失望か。それとも、まんまと騙された自分自身への、どうしようもない苛立ちか。
——お人好し、か。
結局、おれは何も変わっちゃいない。日本にいた頃と同じだ。人を信じて、裏切られて、すべてを失う。何度繰り返せば学ぶんだ。
かつての自分を重ねて、同情して……その結果がこれか。
エミルは拳を握りしめた。
爪が手のひらに食い込む痛みで、どうにか沸き上がる感情を押さえつける。
——今は感傷に浸っている場合じゃないか。
「アヤメ! バルディア!」
なんとか体に鞭打って跳ね起きる。すぐそばの床に、二人が倒れていた。
「アヤメ、起きろ! しっかりしろ!」
「……ん……エミル、様……?」
肩を揺さぶると、アヤメがゆっくりと目を開けた。
「ここは……?」
「教会だ。……嵌められた」
「え……?」
状況が飲み込めていないアヤメが、不安そうに周囲を見渡す。その顔に、徐々に理解が広がっていくのがわかった。
「おい……アタシの頭、ガンガンすんだけど……」
少し遅れて、バルディアも頭を押さえながら起き上がった。彼女もまた、魔力が空になった感覚に顔を歪めている。
「まさか、あの女……!」
バルディアも状況を即座に理解し、床に思い切り拳を叩きつけた。ガン、と重く鈍い音が教会に響く。
「エ……エミル様……あ、あそこ……」
アヤメが青ざめた顔で、エミルの肩を揺さぶる。
その震える指が示す先——祭壇の前。
見覚えのある法衣が、うつ伏せに転がっていた。
「司教……?」
ピクリとも動かない。
その背中には、短剣らしきものが、柄まで深々と突き立っていた。
法衣は流れ出たおびただしい量の血で、禍々しい暗赤色に染まっている。床には、どす黒い血溜まりが広がっていた。
「……なん、だよ……これ……」
喉の奥が、ぎゅっと締め付けられる。思わず嗚咽しそうになるのを、必死で堪えた。
——考えろ。今、何が起きている。
死んでるのか? もしそうだとして、誰がやった?
——『悪く思わないでね』
嫌でも蘇る、あの声。
——おれたちを、利用したのか?
助けを求めるふりをして、おれたちをここに誘い込み、司教殺しの犯人に仕立て上げた?
あの表情も、貴族に買われる話も、すべてが嘘だったと?
「あのクソ女、やりやがった……! アタシたちを罠にかけやがったんだ」
「そんな……嘘、ですよね……?」
バルディアが歯を食いしばり、アヤメが震える声で首を振る。
その時だった。
ガチャ、と鍵の開く音。
そして、ギィィと、教会の重い扉が軋みながら開く。
「なっ!?」
雪崩れ込むように入ってきたのは、揃いの白銀の鎧に身を包んだ武装集団だった。
「あれは、オラクルズ……!?」
アヤメが驚きで口を覆う。
「動くな!」
怒号と共に、数人の騎士が剣を構えて展開し、エミルたちを取り囲む。
その中央を割って、一人の男がゆっくりと歩み出てきた。整えられた金髪に、神経質そうな細い目。その男は、祭壇の惨状を一瞥すると、冷ややかな視線をエミルたちに向けた。
「私はラグネシア支部の支部長、リシャール・グリエルだ。貴様ら、なんてことを」
「ち、違う! おれたちが目覚めた時にはもう……」
「言い訳は聞かん」
リシャールは、エミルの反論を遮った。
「今、我々が鍵を開けて入るまで、外からの侵入は不可能だ。この密室にいたのは貴様ら三人だけだ」
「はあ!? ふざけるな! アタシらが来たときには鍵なんか開いてたんだよ!」
バルディアが食い下がる。
——そうだ。おれたちが入った時は、扉は開いていた。
なのに今は閉まっていた? 誰かが後から閉めた? それとも——。
「往生際が悪いぞ、亜人風情が。私が今しがた開けた鍵は、誰が閉めたというんだ」
「こんな状況だけで犯人扱いするんですか? わたしたちは誰かに嵌められて——」
「この状況で貴様らが犯人じゃないと言い張る者がいたとすれば、そいつの頭を疑いたいものだ」
アヤメの必死の訴えを、リシャールは冷たく一蹴した。
「こいつらを連行しろ」
「「「はっ!」」」
号令一下、オラクルズの騎士たちが動く。
まともに動けない三人を、荒々しく拘束していく。魔力が空っぽの体では、抵抗すらままならない。
エミルは組み伏せられ、冷たい床に顔を押し付けられる。視線の先で、アヤメとバルディアも同じように拘束されていた。
—————
連行された先は、オラクルズ・ラグネシア支部の地下牢だった。錆びた鉄格子。黴臭い石壁。わずかに差し込む光すら届かない、陰鬱な空間。
「おい、おれたちは何もやっていない! ここから出せ!」
「アタシらは何も知らねえぞ!」
エミルとバルディアの叫びが、薄暗い地下に虚しく響く。
「ごちゃごちゃうるさい。貴様ら三人以外、誰にできるというんだ」
鉄格子の向こう側から、リシャールの冷え切った声が返ってきた。
「クソが……出しやがれ!」
バルディアが鉄格子に掴みかかり、力任せに揺さぶる。ガシャン、ガシャン、と重く鈍い音が響くだけで、びくともしない。
「……躾のなっていない獣だ」
ガッ。
リシャールのブーツが、鉄格子を掴むバルディアの指を容赦なく踏みにじった。
「痛ぅっ⋯⋯」
「大丈夫ですか、バルディアちゃん!」
アヤメが駆け寄る。バルディアは指を抑えてうずくまった。
「あなた、それでも騎士ですか! 抵抗できない相手になんてことを!」
「ふん。言葉が通じぬ獣には痛みで教えるまでだ」
リシャールは、汚物でも見るような目で三人を見下ろした。
その視線が、アヤメの前で止まる。
「そこの女、その顔見覚えがあるな。……そうか、貴様はアヤメ・カルフール。シオン国のネリス王の娘か」
「……っ! それがなんだというのです……!」
「ふん。アストレア教団に帰依せぬ不遜の国……。教えに背き、鎖国などという愚行を続ける異端の血か。実に好都合。獣の鍛冶師に、異端の国の王女。司教殺しの犯人としては、これ以上ないほど"わかりやすい"構図じゃないか」
「ぐ……」
アヤメの肩が強張る。
「お前、そんな余裕ぶってるのも今のうちだ。こんな牢、簡単に……」
——『空間転移』
エミルは能力を発動させようと意識を集中する。
だが。
ガンッ!
まるで透明な壁に叩きつけられたかのように、力が弾かれる。発動しようとした魔力が体に逆流し、吐き気にも似た不快感が全身を駆け巡った。
「なんだ……?」
「妙な力を使おうとするな。魔法が使える冒険者を囚えているんだ、当然対策しているに決まっているだろう」
「……!」
「余計なことは考えるなよ。大方、まともな星読師を紹介されず逆上でもしたのだろう。既に、昨日貴様らがあの司教と口論していたという裏は取れている」
「そんなことでおれたちを……!」
「何ともで喚くんだな。貴様らの沙汰は、追って下される」
リシャールは冷淡に言い捨て、踵を返した。
「……ま、この国で司教殺しだ。極刑は免れんだろうがな」
コツ、コツ、と足音が遠ざかっていく。
重い鉄扉が閉まる音がして、地下牢は再び静寂と闇に包まれた。




