表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒焔の復讐者は禁忌を宿して異世界を往く  作者: 美希昌希
第三章:セルディス王国編
81/88

第081話 旅の目的

 眠れたのか、眠れなかったのか。


 カーテンの隙間から差し込む朝日が、やけに眩しい。ベッドから半身を起こしたまま、エミルは乱暴に自分の髪をかきむしった。


 目を閉じれば、昨夜の光景が勝手に再生される。


 ——『教会で待ってるわ』


 どこか助けを求めるような、けれど最後にはすべてを諦めたような、あの痛々しい微笑みが、瞼の裏にこびりついて離れない。


 酒場の喧騒に背を向け、消えていくサラの後ろ姿。


 ——おれはただ、見送ることしかできなかった。何も言えなかった。

 アヤメの父を救うというタイムリミット。それを言い訳にして、足が動かなかった。

 かつての自分を重ねた? 同情した?

 結局、口先だけじゃないか。おれは確かに、サラを見捨てたんだ。


 じわりと、奥歯に力がこもる。


 重い体を引きずるようにして部屋を出ると、宿の食堂にはすでにアヤメとバルディアが座っていた。


「あ、エミル様。おはようございます」

「おはよーさん、エミル」

「おはよう……」


 向かいの席に腰を下ろすと、アヤメが心配そうに覗き込んでくる。


「……あまり眠れませんでしたか?」

「あ、ああ……。まあ、な」


 出されたスープに手をつける気にはなれなかった。湯気が立ち上る器をぼんやりと見つめていると、バルディアがずいっとパンを突き出してきた。


「なーに暗い顔してんだよ。腹が減ってるから元気が出ねえんだ! ほら、食え!」


 強引にパンを皿に乗せられ、思わず苦笑がこぼれる。


「……おまえは相変わらずだな」

「当たり前だろ。アタシが暗い顔してたって何も解決しねえんだからさ」


 その単純明快な言葉が、妙に胸に響いた。


「ま、それもそうだな」

「バルディアちゃんらしいです」


 アヤメも微笑んでいる。

 もしかしたら、アヤメも自分と同じだったのかもしれない。


 ふっと息をつき、エミルは気を取り直した。

 やり残している問題がある。いつまでも沈んでいる場合じゃない。


「よし、じゃあ星読師(ステラノート)のことなんだが」

「おう、早速本題だな」

「時間もないしな。あの司教にもう一度頭を下げるか、それとも……」

「エミル様」


 アヤメが、エミルの言葉を遮った。真っ直ぐな瞳が、こちらを射抜く。


「わたし……このまま、あの人を見過ごして先に進むことはできないです」

「お前の親父さんのことがあるんだぞ。寄り道してる時間は……」

「わかっています」


 エミルの現実的な反論を、アヤメは強い意志で押しのけた。


「たとえ、このままシオン国に戻って父が助かったとしても……わたしはきっと後悔します。あの人を見捨てたことを、一生」


 その声には、一切の迷いがなかった。


 父を救うという焦りすらも、目の前の一人を見捨てる理由にはしない。


「父の命は……まだ時間があります。ですが、彼女は『明日』と言っていました。わたしはもう……後回しにはしたくない」

「……」


 エミルは言葉に詰まる。


 ——正論だ。あまりにも真っ直ぐで、眩しい。

 いや、アヤメはそういう子だ。きっとそう言うだろうと思っていた。

 でも、その真っ直ぐさがどれだけ危険かも、もう知っているつもりだ。


 二人のやり取りを見ていたバルディアが口を開く。


「……でもよ、アイツ言ってたじゃねえか。貴族にメイドとして雇われるって。それって良いことなんじゃねえのか? 今よりずっと生活は良くなるんだろ?」

「バルディアちゃん、おそらくそれは……」

「多分だけどな。『メイド』ってのは表向きの理由で、実際は慰み者とか、半分奴隷みたいな感じなんじゃないかな……」


 ——確信はない。

 だが、地球(あっち)でいくつものアニメや漫画を読んできたからこそわかる。こういう場合、大抵良いように扱われるわけがない。

 もちろん、貴族がそんな連中ばかりとは限らない。しかし、あの司教を見ていると、なんとなく察しが付いていた。


「奴隷!? そりゃ放っておけないな……アタシもアヤメに賛成するぞ!」


 バルディアがテーブルを叩かんばかりに身を乗り出した。


「バルディア、これは勢いで決めることじゃないぞ。いいのか?」

「当たり前だ。エミルもアヤメも、どこの馬の骨ともわかんねーアタシを見捨てなかったんだ。そうだろ?」

「バルディアちゃん……」


 ——そうだったな。

 こいつらも、おれも、そうやって進んできたはずだ。

 最初にアヤメに助けられ、今度はおれが助け、次はバルディア。そしてそのバルディアにも助けられた。


 元の世界に戻る。復讐を果たす。

 目的はそれだけだったはずなのに、いつの間にか、それだけじゃなくなっていた。


 ……ああ、そうか。

 これは、そういう旅なんだ。


「……はぁ」


 エミルは深く息を吐き出すと、がしがしと頭を掻いた。


 胸の奥で燻っていた重苦しい霧が、二人の言葉で少しだけ晴れていく気がした。


「……わかったよ。おまえらの言う通りだ」


 顔を上げたエミルの目にも、迷いは消えていた。


「ただ、サラを雇うにしても情報がなさすぎる。もしその貴族がいい奴だったら、それはそれであいつの幸せかもしれない」

「ですが、サラ様の表情は、あまりそれを望んでいないように見えましたよ……?」

「ああ。だからあいつの言ったように、教会に行ってみよう」

「賛成です、エミル様!」

「にししっ! そうと決まりゃ話は早いぜ!」


 ようやく、いつもの調子が戻ってきた。エミルは苦笑いを浮かべながら、残っていたパンを口に放り込む。


 ——貴族が買いに来るとなると、一筋縄ではいかないかもしれない。

 ……厄介ごとに首を突っ込むのは、もう慣れっこ、か。


 引きこもっていた頃には考えられなかった感情が、確かに胸の内にある。


 それは、決して悪い気分ではなかった。




 —————




 朝食を済ませた三人は、足早に教会へと向かった。


「明日がその貴族が来る日。今日しかないわけですね」

「あのクソ司教、ちゃんといりゃあいいが」

「いようがいまいが、サラを呼び出すだけだ。いくぞ」


 重い扉をゆっくりと押し開ける。


 中を覗くと、不気味なほど静かだった。薄暗い礼拝堂に、人の気配がない。


「あれ? 今日はいないのか……?」

「タイミングが悪かった、とかですかね……」

「おーい、司教さん。いるかー?」


 バルディアの声が、高い天井に反響して消えていく。


 司教の姿を求めて中へ足を踏み入れた、その時だった。


「……っ!?」


 ぐらり。


 エミルの視界が大きく揺れた。


「な……んだ、これ……?」


 体の中の血流が逆流するような感覚。魔力の流れが、内側からぐちゃぐちゃにかき混ぜられていく。


 これまでに感じた魔力切れや、暴走とも違う。


 もっと根本的な……そう、ひどい船酔いみたいに、平衡感覚そのものが奪われていく。


「……エミル? どうしたんだよ、顔色悪いぞ……って、うぐっ……!?」


 バルディアも同じだった。獣人の鋭い感覚が、逆に強烈な不調となって襲いかかっているのか、小さな体がぐらぐらと揺れている。


「バルディアちゃん!? エミル様!?」


 魔力を操れないアヤメだけが、この異常の影響を受けていない。彼女が慌てて駆け寄ろうとするが、エミルの体はすでに限界だった。


「くっ……!」


 膝から崩れ落ち、教会の冷たい床に手をつく。


 視界が霞む。アヤメの焦った声が、水の底から聞こえるように遠い。


 ——まずい……毒ならスキルが効くはず。何かの罠か……?


 必死に【魔力探知】を試みるが、自分の魔力が乱れすぎて何も感じ取れない。感覚器官を全て塞がれたような、圧倒的な無力感。


「……っ、バルディア!」


 かろうじて意識を保ち、隣を見る。


 バルディアはすでに床に倒れ伏していた。小さな体が、小刻みに痙攣している。


「エミル様! バルディアちゃん! しっかりして……きゃっ!?」


 アヤメの悲鳴が、礼拝堂に響いた。


 朦朧とする視界の端で、アヤメが何者かに首筋を打たれ、糸が切れた人形のように崩れ落ちるのが見えた。


「ア……ヤメ……」


 声を出そうとしても、喉が動かない。

 手を伸ばそうとしても、指一本動かせない。


 急速に意識が闇に沈んでいく。


 ——誰だ。誰がこんなことを。


 薄れゆく意識の中で、ひとつの声が聞こえた。


「思ったとおりね。あなたたち、お人好しそうだもの。……悪く思わないでね」


 それは、聞き覚えのある声だった。


 昨日自分たちを侮辱した、あの傲慢な男の声でも、司教のねっとりとした声でもない。


 もっと……。


 ——この、声は……。


 エミルの脳裏に、一人の姿がよぎる。


 確認しなければ。

 この声の主を、確かめなければ。


 しかし、その顔を見る間もなく、エミルの意識は完全に途切れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ