第079話 突然の来訪者
教会を出てから、数時間が経っていた。
セルディス王国の夜は活気に満ちている。エミルたちが宿の近くで見つけた酒場も、冒険者や商人たちの陽気な声が響いていた。
だというのに、エミルたちのテーブルだけは、どんよりと重い空気に包まれていた。
「……ったく、胸糞悪りぃぜ」
バルディアの尻尾が、不機嫌そうにパタンと椅子を叩く。
「あのクソ司教も、あの『黒鷲』とかいう連中もだ! どいつもこいつも、人を見下した目しやがって……! 大っ嫌いだあんなヤツら!」
「あまりいい印象はありませんね……」
アヤメも、テーブルに置かれた水差しを見つめながら、か細い声で同意した。
「なあ、あの助けてくれたグリアってやつのことなんだが……。S級冒険者って珍しいのか?」
重苦しい空気を変えようと、エミルは話題を変えた。
「珍しいなんてもんじゃねえよ。冒険者ランクの最高峰、世界にたった九人しかいねえ化け物揃いだ。その一角、万岩創主、グリア・バナザード……まさかこんなとこで拝めるとはな」
「そのような方が、どうしてわたしたちを……」
「ま、あのオッサンのお陰でスカッとしたのは事実だけどな!」
バルディアの険しかった表情が少し和らいだ。
エンデバーですら子供扱いだった、あの圧倒的な威圧感。「友人ですぞ」などと笑っていたが、本気のはずがない。気まぐれか、あるいは何か別の目的があったのか。
グリアの真意は読めないが、今はそれどころではなかった。
「……悪かった、アヤメ」
「え?」
唐突な謝罪に、アヤメが目をぱちくりさせる。
「おれのせいで……その、結局、星読師を探す手段を失ってしまった」
自分でも情けないと思った。だが、言わずにはいられない。
——『ここには、おれたちが求める星読師はいないみたいだ』
あの時は頭に血が上っていた。司教の態度と、あのハーフエルフへの仕打ちを見て、冷静さを完全に失っていた。結果として、アヤメの父を救うための大事な手がかりを、一時の感情で台無しにしてしまった。
ブラドとの模擬戦で暴走した時と同じだ。黒い感情に飲み込まれ、制御できなくなる。
「……何言ってやがるんだ、エミル」
バルディアが呆れたように、果実ジュースの入ったジョッキを置いた。
「オマエは悪くねえだろ。あのクソ司教、最初から訳ありな星読師しか見せる気なかったじゃねえか」
「でもな……」
「エミル様」
反論しようとしたエミルを、アヤメが静かに遮った。
「わたしも、バルディアちゃんと同じ気持ちですよ」
「……」
「あそこで怒ってくれるのが、エミル様らしいと思います」
アヤメは穏やかに笑う。
だが、エミルの胸の奥では、黒い泥がぐるぐると渦を巻いていた。
「いや、そもそも……おれがブラドの前で暴走しなければ、推薦で等級が上がれたかもしれない。E級でさえなければ、今日みたいに門前払いされることも……おれのせいで皆を……」
E級。無属性。最低ランク。
この世界に来てまで貼られた「落ちこぼれ」のレッテルが、エミルの思考を侵食していく。
——どうせおれなんて。
その声が、頭の奥で木霊する。十年間の引きこもり生活で、骨の髄まで刻み込まれた自己否定の呪いだ。何をやっても無駄。どうせ失敗する。周りに迷惑をかけるだけ。
元の世界でも、この世界でも、結局は同じ——。
「エミル!」
「エミル様!」
二人の声が、同時に響いた。
ハッとして顔を上げると、アヤメとバルディアが、真剣な眼差しでこちらを見据えていた。
「誰もオマエを責めてねえだろ。だから、オマエもオマエ自身を責めんなよ」
「そうですよ、エミル様」
アヤメがバルディアの言葉に力強く頷く。
「わたしたちが今、C級パーティとしてここにいられるのは、エミル様が戦ってきてくれたお陰なんです。それをどうか、忘れないでください」
「つーかよ、自分自身を責めんなつったのはオマエじゃねえかよ」
バルディアがびしりと指を突きつける。
「オマエのことを信じてるアタシらを、裏切ることになるんじゃねえのか?」
「おまえら……」
二人の真っ直ぐな視線が、エミルに突き刺さった。
脳裏に、グロムハルトでバルディアに話した言葉が蘇る。
——『お前がお前を認めなかったら、お前のことを想ってるヘパイストスさんや、おれたちまで裏切ることになる』
あの時は、バルディアを励ますために言った言葉だった。
なのに、自分自身がその言葉を忘れていた。
思えば、失敗は責められて当然のものだと思っていた。それが、自分がいた環境の当たり前だったからだ。
けれど、こいつらは違う。失敗を責めるどころか、「お陰だ」と言う。
それは、エミルのこれまでの人生で、もっとも縁遠かったもの。それを今、確かに受け取った気がした。
じんわりと、胸の奥が熱くなる。自分の行動が、誰かにこんな風に真っ直ぐ受け止められたことなど、あっただろうか。
「……そうだな。おまえらの言う通りだ。また、悪い癖が出てしまったかもな」
込み上げる気恥ずかしさを隠すように、エミルはぽりぽりと頬を掻いた。
「にしし、わかればいいんだよ、わかれば」
「エミル様は素直じゃないんだから、もっと喜んでもいいんですよ?」
バルディアとアヤメが、やれやれといった笑みを浮かべる。ようやく、テーブルに温かな空気が戻ってきた。
だが、肝心の問題は解決していないのも事実だ。
「……となると後は、星読師だな」
エミルが切り出すと、アヤメとバルディアの表情が再び曇った。
「仕方ない。もう一度あの司教に頭を下げて、低ランクでも星読師を雇えないか交渉するしか……」
「げっ、マジかよ。アレに頭下げんのか?」
「そうしないと先に進めないしな。星読師の力が低くても、おれの魔力で補助すれば、もしかしたら……」
「確かに、エミル様と星読師が協力して、わたしとバルディアちゃんで前衛をこなせば、あるいは……」
今後の作戦を練り始めた、その時だった。
「あの……」
酒場の喧騒を割って、不意に澄んだ声がかけられた。
テーブルの脇に、一人の人影が立っている。
「あんたは……」
目深に被ったフードの下から、銀色の髪がこぼれていた。隙間から覗く、深い蒼色の瞳。そして、エルフ特有の尖った耳。
間違いない。昼間、教会で司教に殴られていた、あのハーフエルフの女性だ。
「……サラ。サラ・イネリアよ」
声は努めて平静を装っていた。けれど、微かに震えている。
「サラ……何の用だ? こんなところまで、どうしておれたちを?」
「あなたたちにお願いがあって来たの」
サラは空いている椅子を引き寄せると、許可も待たずに腰を下ろした。
「あたしを、あなたたちのパーティの星読師として雇ってくれないかしら?」
エミル、アヤメ、バルディアが息を呑む。
「……あたしを、この地から連れ出してほしいの」
「「「はあっ!?」」」
三人の驚愕の声が、綺麗に重なった。




