第077話 ラグネシアの教会にて
「なんなんだよアイツら! A級冒険者がそんなに偉いかよ! まだむしゃくしゃするぜ!」
セルディス王国・ラグネシアの朝。
石畳を踏み鳴らしながら、バルディアが吠えた。
小柄な狐獣人の剣幕に、道行く人々が驚いて道を空けていた。
「落ち着きなさい、バルディアちゃん。昨日は、あそこで楯突いても意味がないと、エミル様は抑えてくれたんですから」
「わかってるけどよ! あんな言い草あるかよ!」
尻尾を逆立てて怒るバルディアを、アヤメが苦笑しながらなだめている。
「バルディアの気持ちもわかるよ。おれだってムカつくさ。でもここで無用なトラブルを起こしても、シオン国に行くのが遅れるだけだからな……」
「気を遣っていただいてありがとうございます、エミル様」
「ちっ、アヤメのためだしな。今回は我慢するぜ」
「バルディアちゃんも、偉いですよ」
アヤメがバルディアの頭を撫でた。ブラドに撫でられて怒っていた昨日とは違い、満更でもない様子で目を細めている。
「……わたしたちが、エミル様がE級だからって侮られないくらい、強くなればいいんですよね」
「おう! アタシがもっとすげえ武器にして、A級だろうがS級だろうが、ギャフンと言わせてやるぜ!」
「はは……。おれも昇級できるよう頑張るさ」
二人の前向きな言葉に、エミルは苦笑する。
自分一人の問題だったはずが、いつの間にかこいつらも巻き込んでしまっている。その事実に、申し訳なさと、同時に胸が熱くなるような不思議な感覚を覚えていた。
「そういえばさ、アヤメ」
「ん? なんですか?」
「いや……大丈夫かと思ってさ。その、教会に行くことについてな」
エミルは言葉を選びながら続ける。
「シオン国はアストレア教とは距離を置いてるんだろ? 前に、異端扱いされてるって言ってただろ。その……嫌じゃないのか?」
自分たちを否定する連中の膝元へ、頭を下げに行くようなものだ。王族の血を引く彼女なら、尚更抵抗があるはずだと思った。
アヤメは一瞬きょとんとした後、苦笑交じりに視線を落とした。
「……そう、ですね。正直に言えば、複雑な気分ではあります」
彼女の表情に、微かな陰りが差す。だが、それは一瞬のことだった。
アヤメは顔を上げると、凛とした眼差しで前方を見据えた。
「ですが、ここはセルディス王国。郷に入っては郷に従え、です。それに父を、そして国民を救うためなら、なんだってやる覚悟はできています」
迷いのない、強い言葉だった。
「……そっか。悪かったな、変なこと聞いて」
「いえ。お気遣い、ありがとうございます」
アヤメがふわりと微笑む。
その笑顔を見て、エミルも少しだけ肩の荷が下りた気がした。
ブラドに教わった通り、西の大通りを進むと、他の建物を圧倒するような巨大な白亜の聖堂が見えてきた。ラグネシアの冒険者ギルドも荘厳だったが、ここはさらに規模が違う。信仰というものの力を感じさせる威容だった。
「でけえ……。これが教会か」
「立派ですね……。なんだか、緊張してきました」
「よし、入るぞ……」
教会の重厚な扉を押し開けると、中は静謐な空気に満ちていた。高い天井には色鮮やかなステンドグラスが嵌め込まれ、そこから差し込む光が床に幻想的な模様を描き出している。
中央の祭壇では、白い法衣に六芒星のペンダントをつけた司教が祈りを捧げていた。
「ようこそ、ラグネシア教会へ。冒険者の方々ですかな?」
白い髭を蓄えた司教が振り返り、穏やかな笑顔を見せる。
「あ、ああ。星読師を探していて……」
エミルがギルドカードと推薦状を差し出すと、司教はそれを受け取り、事務的に目を通した。
だが、エミルのE級のカードを見た瞬間、眉がピクリと動く。
「……リーダーの方が、E級?」
あからさまな侮蔑ではない。だが、その声色には「E級ごときが何の用だ」という響きが含まれていた。
——ここでも、か。
昨日の屈辱がフラッシュバックする。こめかみがピクリと動くのを、必死に抑えた。
「他の二人はC級だ。それに、ギルド長のブラド・ジェスタッド氏からの推薦状もある」
「推薦状は……確かに。ですが、ご紹介できる星読師がいるかどうか……。それに、大丈夫ですかな? 道中は魔物も多く、大変ですぞ」
言葉を濁す司教に、アヤメがすっと前に出た。
「司教様。わたしたちの実力が心配なのはわかりますが、まずはご紹介いただける範囲で構いません。お願いできませんか?」
「ふむ……。少しお待ちいただけますかな?」
やれやれといった顔で、司教が奥へ向かおうとした、その時。
ガラン、と、背後で重い扉が開く音がした。
——この感じ、まさか。
嫌な予感がして振り返る。
案の定だ。
昨日ギルドで遭遇したA級パーティ「黒鷲」の四人組が立っていた。リーダーのエンデバーがエミルたちを見つけると、昨日よりもさらに歪んだ、悪意に満ちた笑みを浮かべた。
「おいおい、なんだよ。昨日のE級ヒモパーティじゃねえか。こんなところで何してんだ? 死なないようにお祈りか?」
「……あんたらこそなんの用だ」
「ああん? E級風情が生意気な口きいてんじゃねえぞ」
エンデバーが凄む。
すると、さっきまで渋い顔だった司教が、弾かれたように戻ってきた。
「おやおや、これはこれは『黒鷲』の皆様ではありませんか!」
態度が百八十度変わった。揉み手でもしそうな勢いで、エンデバーたちに媚びへつらっている。
「よう司教さん。いつもの用事だ。今は取り込み中か?」
「いえいえ! とんでもない、問題ございませんとも! すぐに準備をさせますゆえ、少々お待ち下さい」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! おれたちが先だったろ……!」
エミルが抗議の声を上げるが、司教は見向きもしない。
エンデバーはニヤニヤしながら、エミルの肩に手を置いた。
「司教さん、こいつは気にしなくていいぜ。冒険者ごっこやってるE級パーティだからな」
エンデバーは勝ち誇ったように笑うと、ふと、祭壇の上に置かれていた推薦状の存在に気づいた。
「なんだこれ、推薦状だぁ? なになに……『このパーティの実力は、当ギルド長の名において保証する』……?」
芝居がかった声で読み上げ、そして吹き出した。
「ぷっ、ギャハハハハ! だっせえ! マジかよおい! E級がリーダーだから、わざわざこんな“保護者のお手紙”が必要なのかよ!」
黒鷲の仲間たちも、腹を抱えて下品な笑い声を上げる。
聖堂に響く嘲笑が、エミルの理性を削り取っていく。
「テメエ……! いい加減にしやがれ!」
バルディアが遂にキレた。全身の毛を逆立て、ガントレットから爪を出す。
「やめなさい、バルディアちゃん!」
「離せアヤメ! こいつら、絶対に許さねえ!」
アヤメが必死に止めるが、バルディアの怒りは収まらない。
「なんだぁ、チビっ子。やんのか?」
エンデバーが一歩踏み出す。殺気が膨れ上がった。
「教会だろうが関係ねえぞ。A級に楯突いた代償、その体で教えてやろうか? ギルドに送り返される頃には、手足の一本くらいなくなってるかもしれねえがなぁ!」
「エンデバー様、おやめください! ここは神聖な教会です!」
司教が慌てて割って入るが、エンデバーはそれを一喝する。
「うるせえ! その神聖な教会にE級が紛れ込んでるのが問題だろうが! 俺が掃除してやるって言ってんだよ!」
バルディアは完全に臨戦態勢に入り、アヤメも覚悟を決めたのか、刀の柄に手をかけた。
——ここまでか。
二度もパーティを侮辱され、理性の糸も切れかかっていた。
たとえ教会だろうと、ここで引くわけにはいかない。
右手に闇の魔力を集中させようとする。指先がじわりと熱を帯び始めた、その瞬間。
「ヌハハハハ! これはこれは! 朝から随分と威勢のいいことですな!」
地響きのような、それでいて底抜けに陽気な声が、教会全体に響き渡った。
全員の視線が、入り口へと注がれる。
そこに立っていたのは、大柄で鋼のように鍛え上げられた肉体を持つ、壮年のドワーフの男だった。
燃えるような赤銅色の髪と、それに劣らぬ猛々しい髭を蓄え、琥珀色の瞳は獲物を射抜くかのように鋭い。豪華な装飾が施された大槌を肩に担ぎ、その身にまとうオーラは、エンデバーたちA級冒険者とは比較にならないほど強大で、濃密だった。
男は豪快な笑みを浮かべたまま、悠然と歩み寄ってくる。
「A級の『黒鷲』殿が、揃いも揃って駆け出しの若者をいびるとは。随分と余裕なことですな?」
その言葉に、さっきまであれほど強気だったエンデバーの顔から、サッと血の気が引いていく。
「なっ……グ、グリア・バナザード……!? S級冒険者のアンタが、なんでこんなところに……!」
S級冒険者。その言葉に、エミルだけでなく、アヤメとバルディアも息を呑んだ。
数多いる冒険者の頂点に立つ存在。その一人が、今、目の前に立っていた。




