第072話 闇属性
「や、闇……!?」
思わず、声が裏返った。
エルフの長老、スランドル・レスカーノの静かな宣告が、ミストリアの荘厳な静寂を貫く。
「そうじゃ。今、世界で知られている属性は六つ——水・火・氷・土・風・雷。だが本来は、闇と光を含めた八属性が存在していたのじゃ」
「そんな……魔法属性が八つも…… !?」
「なんでそんな力がエミルに……!」
アヤメとバルディアの声が重なる。二人の顔には、驚きと共に隠しきれない不安が滲んでいた。
——闇属性……?
それが、おれの力だっていうのか……?
頭の中がぐちゃぐちゃになる。
ギルドの水晶では「無属性」と判定された。だからこそ、強力な力を使えることにずっと違和感を抱いてきた。
だが、今、その答えが示された。
無属性なのではない。測定できなかっただけなのだ。
世界から、その存在ごと抹消された第七の属性——「闇」。そんなものが、なぜ自分に……?
「じゃあ……」
エミルは震える拳を見つめ、意識的に黒いモヤをまとわせた。
「この黒いのが……闇属性の力だってことか?」
「おお、その禍々しいオーラ……まさしく闇属性の証」
「まだあるぞ。『スキル獲得』とか、『空間転移』とか、『アイテムボックス』とか……それも、全部その闇属性の力だっていうのか?」
「うむ。『空間転移』であれば、自己を空間の裂け目に取り入れ、別の座標へ吐き出す術。表面的には転移に見えても、その構造は闇の応用そのものじゃよ」
「じゃあ、これも……」
今度は手の平に土の塊を生み出してみせた。
「ほお。土属性か」
「ああ。ダンジョンの奥で……手に入れた」
「なるほど、ダンジョンの奥……」
スランドルは目を細め、何かを確信したように呟いた。
「それはこの大地を司る神獣、デメテルと共鳴したんじゃろうな。通常、魔法属性を後天的に獲得することは不可能。だが、闇属性ならばそれも可能になる。アイテムボックスやらスキルやらも同じ理屈じゃ。すべては闇属性の根源的な特性によるもの」
スランドルは言葉を切り、エミルの目を真っ直ぐに見据えた。
「『吸収』。それこそが、闇属性の本質じゃよ」
——吸収……?
たった二文字。
だが、その言葉が頭に入ってきた瞬間、バラバラだったパズルのピースが一気にはまっていく感覚があった。
スキル獲得——魔物の能力を「吸収」した。
空間転移——自分を空間に「吸収」し、別の場所に出す。
アイテムボックス——物を異空間に「吸収」する。
土属性——神獣の力を「吸収」した。
すべてが、たった一つの言葉で説明される。
だが、自分の力が得体の知れないルールで動いているという事実に、エミルは背筋が凍るような感覚を覚えた。
「おい爺さん! エミルは拳に黒いモヤを纏わすと攻撃力が上がるんだ。それも『吸収』だってのかよ?」
「貴様、黙っていればスランドル様に向かって……!」
控えていたハルが声を荒げ、一歩前に出る。
「スランドル様、こいつだけは我慢できません。どうか私に処分の許可を!」
「良いと言っているのがわからんのか。彼らは客人じゃ、もう二度は言わんぞ」
「申し訳ございません……」
スランドルの、穏やかだが空気が凍るような一言。
ハルが肩を縮めて引き下がる。その様子を見て、バルディアがニヤリと笑った。
「へっ、怒られてやんの」
「ちょっとバルディアちゃん、あなたも言いすぎです」
アヤメが小声で窘める。だがバルディアは聞いているのかいないのか、肩をすくめただけだった。
「話を戻そうかの」
スランドルは咳払いをひとつして、再びエミルに向き直る。
「闇は大気中の魔力をも無差別に喰らう。お主の拳に宿るそれは、お主の中にある魔力だけでないということじゃ」
「おれだけの魔力……だけじゃない?」
「左様。じゃが闇属性の特性上、使い手の負の感情を増幅させてしまう欠点もある。そうなると、大気中の魔力、己が魔力、その両方を必要以上に消費してしまう。そうなると闇に呑み込まれ、己を見失うなってしまうのじゃ」
「エミル様、あの時の……!」
アヤメの声に、エミルは息を呑んだ。
冒険者ギルドでの模擬戦。野次に過剰反応し、理性を失い、ブラドを叩きのめした。あの時の、制御できない怒り。全身を焼くような憎悪。
——あれが、闇属性の特性……?
「どうやら心当たりがあるようじゃの。闇は強大な分、代償もある。制御には、充分気をつけることじゃな」
「なぜ……」
声が震えた。
「なぜ、おれがそんな力を……。おれは、ただの……」
——ただの、引きこもりだった男だぞ。
母さんの復讐だけが目的だったはずなのに。元の世界に帰る方法を探していただけなのに。
いつの間にか、とんでもない世界の秘密に足を踏み入れていた。
「そもそも、闇属性がなぜ表舞台から姿を消し、禁忌の力となったのか。それはかつて、この世界を恐怖に陥れた者に……」
そこまで言いかけた時だった。
突然、スランドルの体が大きく傾いた。
「ゴホッ、ゴホッ……! ハァ、ハァ……ッ!」
激しい咳と共に、口元から鮮血が散る。
「「長老!」」
セルンとハルが悲鳴を上げて駆け寄った。他のエルフたちも慌てて集まり、椅子から崩れ落ちそうになるスランドルを必死に支える。
「いけません! これ以上はお体に障ります!」
「ハル……すまぬ……。やはり、時の流れには……ゴホッ……抗えんか……」
スランドルの顔色は紙のように真っ白で、額には脂汗がびっしりと浮かんでいる。
「おい、しっかりしろ!」
エミルも思わず駆け寄ろうとするが、「部外者は下がれ!」とエルフたちに強く押し返された。
セルンが冷静に指示を飛ばし、スランドルは木の蔓で編まれた担架に乗せられ、静かに奥へと運ばれていった。
「……」
残されたのは、エミル、アヤメ、バルディアの三人。
広間には、重い沈黙だけが満ちていた。
「あ、あのさ……」
バルディアが不安げにエミルの袖を引く。
「エミル……大丈夫か? その、闇属性って……なんか、とんでもないモンみたいだけど……」
「そんなこと……おれが一番知りたい」
エミルは頭を掻きむしるしかなかった。
掴んだはずの答えは、さらに巨大な謎を連れてきただけだ。いや、答えどころか、新しい問題が増えただけじゃないか。
「皆様」
スランドルの治療を指示し終えたセルンが、硬い表情で戻ってきた。
「長老様は、このところずっとお体の具合が優れませんでしたの。今日は、無理を押して皆様とお会いになられて……」
「そう、だったんですか……。私たちのせいで……」
アヤメが申し訳なさそうに俯く。
「おれたちが来たから……無理させたのか?」
「それは違いますわ」
セルンは静かに首を振った。
「長老様は、おそらくエミル様がここにいらっしゃることを予期していたのだと思いますの。いえ……お待ちになっていたのですわ。ずっと」
その言葉に、エミルは息を呑んだ。
「待っていた? おれを?」
「……これを」
セルンはローブの懐から小さな包みを取り出し、エミルに差し出した。
「これは……?」
「石の、欠片……のようですわね。長老様から、『もし我が身に何かあれば、これを彼に』とお預かりしておりましたの」
エミルの手のひらに乗せられたのは、親指の先ほどの、黒く濁った水晶のような欠片。ひどく冷たいのに、なぜか自分の心臓と呼応するように、微かに脈打っている。
——まるで、生きているみたいだ。
それだけじゃない。この感覚。どこか懐かしいような、恐ろしいような……。
エミルがそれを強く握りしめた、その瞬間。
ズンッ。
脳が直接揺さぶられるような衝撃と共に、エミルの視界が暗転した。




